米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐる県民投票(2月24日投開票)は、反対票が7割超に及んだ。基地問題がこじれ続けていることは、大きな不幸と言わねばならない。

 「日本語族」または「日琉語族」と呼ばれる日本語圏、縄文文化圏は、北方四島から、沖縄諸島までを覆っており、この縄文文化=日本語圏が、わが国の民族的統一の範囲と言っていい。

 沖縄が、その意味での日本文明圏だということに疑問の余地はない。一方、歴史的には日中両属の期間も長く、九州からさえ遠い群島で、距離的には台湾に隣接する。この双方的性格が沖縄問題を難しくしている。

 そのような中で、沖縄は、近代に入り、初めて日本国家に正式に帰属するに至り、以後、国民としての一体感の醸成に努めてきた。その悲劇的なクライマックスは、唯一本土決戦が行われた沖縄戦だ。それが一転、戦後米軍基地の根拠地と化し、ようやく涙の本土復帰を遂げた後、逆に米ソ冷戦の煽りを受けて、左派の反米闘争の舞台になってしまった。

 翁長雄志前知事時代の「オール沖縄」、今回の県民投票ともに、「沖縄の民意と、自民党政権=米国が対立している」という構図が設定されている。自然発生的なものでないのは言うまでもない。この構図の先には、「本土と沖縄」「日本国と沖縄」の対立が含意されている。

基地移設の妨害が、そもそも論としておかしいのは言うまでもない。

 移設の動きは、1995年に発生した沖縄米兵少女暴行事件に端を発している。普天間周辺をはじめ、沖縄県民の犠牲や不安を除去するために、当時の橋本龍太郎首相が困難を押して、あえて米国に要請した。本来、「沖縄の民意」に添う移転だったのだ。

 それが、いつの間にか「反基地闘争の具」に使われ、まるで民意を踏みにじって、「日米政府が強引に移転を進めている」という逆の文脈に置き換えられている。闘争のための闘争に過ぎない。

 利を得るのは日本国でもなければ、沖縄県民でもない。

 このロジックの行き着く先は「琉球独立論」という名の中国支配に他ならない。ウイグル、チベットなど中国の自治区が、どれほど悲惨な境遇にあるかは言うまでもないことだ。

 だからこそ、今、私たちは原点に戻らねばならない。

 沖縄と本土との一体感の源は、日本語=縄文文化圏としての一番古いDNAにある。だからこそ、歴史的・地理的な距離がある沖縄と本土との一体感は、もっと自覚的につくり続けねばならない。

 天皇陛下は、琉球の伝統歌である琉歌(りゅうか)をつくり続けてこられた。国民としての一体感は、歴史・文化の共有と共感にある。陛下が身を以て体現しておられる同胞愛こそ、沖縄問題の「アルファでありオメガ」(=最初であり最後)なのではあるまいか。(文芸評論家・小川榮太郎)

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夕刊フジ 2019.3.10