明仁天皇が30日、東京都内の皇居で安倍晋三首相、国会関係者、皇族が出席する中、退位の儀式「退位礼正殿の儀」を行った。日本の天皇の生前退位は202年ぶりだ。85歳の明仁天皇は3年前、高齢を理由に今年退位する考えを明らかにしていた。

 明仁天皇は「即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことだった」「象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心からする」と振り返り、「新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈る」と述べた。

 安倍首相は国民代表の辞で、「これまでの天皇陛下の歩みを胸に刻みながら、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来を創り上げていくため、更に最善の努力を尽くす」と頭を下げた。

 この「退位礼正殿の儀」に続き、1日午前には、皇太子徳仁親王が日本の第126代天皇に即位する。そして、明仁天皇は上皇となり、日本は1日から元号が「令和」になる。新天皇は安倍首相(1954年生まれ)と同じ戦後世代だ。日本が高度経済成長を遂げていた1960年に生まれ、学習院大学を卒業し、1983年から2年間、英オックスフォード大学に留学した。歴史・交通・物流に大きな関心を示し、留学時代はテムズ川の水運システムを研究した。治水に関心が高く、国連の「水と衛生に関する諮問委員会」(UNSGAB)の名誉総裁を務めている。

 新天皇の性向は平和主義と護憲という2つのキーワードに要約される。天皇は憲法に基づいて政治介入が禁止されており、「象徴天皇」としてだけ存在し、政治的見解の表明もタブー視されている。しかし、さまざまな国家行事での発言に新天皇の志向を垣間見ることはできる。新天皇は第二次世界大戦終戦から70年にあたる2015年の会見で、「私自身、戦後生まれであり、戦争を体験していないが、戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返ると共に、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切だと考えている」と述べた。父・明仁上皇のような平和主義者の道を歩むという見解を明らかにしたものだ。また、2014年の記者会見では「今日の日本は戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受している。今後とも憲法を順守する立場に立ち、事に当たっていく」と述べた。平和憲法の改正を執拗(しつよう)に推進する安倍首相とは異なる見解だ。

新天皇の皇位継承は順調ではなかった。皇太子時代に1993年にハーバード大学出身の外交官・小和田雅子さんと結婚したが男児に恵まれなかった。後に、雅子妃の「適応障害」が深刻になると右翼を中心に皇位継承に疑問を呈する勢力が発生した。2013年には一部の右翼勢力が『新潮45』という雑誌で皇太子退位論を展開する危機的な状況も生じた。

 こうした中でも徳仁親王は海外訪問や立場の弱い人々への励ましなど皇太子としての役割を黙々と遂行、皇位継承に関する騒動を鎮めた。明仁上皇は天皇だった時、被災地でひざまずいて被災者を励ましたことから「ひざまずく絶対者」として印象付けられるようになったが、実際の「ひざまずき対話」は徳仁親王の方が先に複数の被災地を回った際に始めたものだ。

 新天皇即位で注目されるのは、「現実の権力」を持つ安倍首相との関係性だ。今年11月には日本の歴史上、最長寿の首相になる安倍首相はこのところ「自民党総裁連続4選」挑戦説がささやかれるほど強大な権力を持っている。このような状況で2人がどのような関係性を結ぶかが今後の日本の進路に影響を与える可能性がある。

東京=李河遠(イ・ハウォン)特派員

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朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2019/05/01 09:50