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【韓国】 「壬辰倭乱の時、72キロの大型爆弾『震天雷』で倭軍を撃破した」〜韓国の教授、研究発表[11/19]
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2019/11/20(水) 21:50:59.60ID:CAP_USER
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▲チェ・ヨンソク科学技術連合大学院大学教招へい教授が復元した「震天雷」の’設計図.
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▲世宗(セジョン)時代の銃筒碗口復元の姿(左側写真)を基にチェ・ヨンソク教授が復元した大碗口設計図。チェ・ヨンソク教授提供

壬辰倭乱の時、倭軍を討伐・撃退するのに「飛撃震天雷」より5倍爆発力が大きい大型爆弾「震天雷」が大きな役割を果たしたと推定された。

蔡連錫(チェ・ヨンソク)科学技術連合大学院大(UST)招聘教授(68)は19日、「壬辰倭乱の時、陸上戦闘で使われた爆弾である『震天雷』は『飛撃震天雷』より5倍以上の殺傷力を備えた大型爆弾で倭軍を討伐・撃退するのに核心的役割を果たした先端武器であった」と明らかにした。

チェ教授(前韓国航空宇宙研究院院長)は神機箭や亀甲船、各種火砲などを研究復元した古火器の専門家で、震天雷に関する研究結果を全北(チョンブク)高敞(コチャン)邑で開催された「飛撃震天雷保存および活用事業学術大会」で発表した。

チェ教授は1635年発刊された火薬武器兵書「火砲式諺解」に「震天雷は大碗口から発射され飛撃震天雷は中碗口を利用した」とされており、1694年編纂された江華島(カンファド)地理誌「江都志」、英祖の時に記録された「日省録」等にも震天雷に関する記録が残っている点をあげて壬辰倭乱の時、震天雷が使われたと主張した。

「火砲式諺解」には「震天雷は鉄鋳造して丸く胴を作り重さ113斤(67.8s)、鉄のふたが10両(375g)、爆発を遅延させる柱檄鉄筒の重さ1斤8両(900g)で、火薬5斤(3s)、殺傷用鉄片である菱鉄(鉄びし)30個を入れる」とされ、全重量が72キロに達すると推測される。

チェ教授は「記録には震天雷が飛撃震天雷より重さは5.6倍重いうえ、火薬も5倍多く、菱鉄も30個入れて爆発力と殺傷力が5倍以上大きかった。これは震天雷が倭軍を討伐して撃退するのに大きな役割を果たした武器だということを見せてくれる」と話した。

実際に晋州(チンジュ)博物館に保管されている壬辰倭乱当時の「ク兵日記」には「倭敵を討伐する計略として震天雷より良いものはなかった」(1593年2月9日)、「震天雷は効果があり、倭敵の肝を冷やすので極めて嬉しいが、安東(アンドン)の陣営には3つしかないうえ、火薬が底をつき、輸送できない」(1593年1月16日)という内容が載っている。

チェ教授は「中碗口から発射された飛撃震天雷とは異なり震天雷はこれよりはるかに大きな大碗口で発射されたが、実物が残っていない」として世宗時の銃筒碗口を基に設計した大碗口の形を公開した。

彼はまた、震天雷が大碗口の中で爆発した場合、被害が大きいので、安全なところに隠れて長い点火線を利用して発射したり神機箭を利用して点火・発射しただろうと推定した。

チェ教授は、「壬辰倭乱当時の海戦では亀甲船と板屋船の大型艦砲を利用して倭船を破壊・撃沈させたように、陸戦では震天雷と飛擊震天雷などの巨大な爆発力を利用して倭軍を討伐したことが明らかになった」と語った。

イ・グンヨン選任記者

ソース:ハンギョレ新聞(韓国語)“壬辰倭乱の時72s大型爆弾‘震天雷’で倭軍打ち破った”
http://www.hani.co.kr/arti/science/science_general/917566.html#csidx9a43ab0a8dfee98b06a4e07e16eb081
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