日本は戦犯国だ。植民地戦争で人類に莫大な苦痛を与えた犯罪国家だ。1945年の崩壊後、戦争できない国になった理由だ。だから日本は過去70年間余り、戦争をしなかったのだろうか。

否。驚くことに彼らは崩壊後、すぐ戦争に飛び込んだ。驚くべきことに6・25韓国戦争(朝鮮戦争)それ自体に日帝戦犯が参戦した。そのすべてを公式確認できない。日本人は全員国籍を消して韓国人名を書いたという。

公式文書でなく、記事と資料で確認される事実だ。「8000人で構成された幽霊部隊が韓国戦線で戦っている。彼らは日本から渡ってきた在日朝鮮人支援部隊だった。」 1952年9月29日、米国CBS東京支局長ジョージ・ハーマンはこのように報道した。

翌日の在日韓国代表部発表内容は違う。「民団系在日韓国人が支援して参戦したのは事実だがその数は625人に過ぎない。」625人を除く7375人は誰か。「少なくとも日本人7375人が韓国戦争に参戦した事実を不本意に証明してしまった。」(リュ・コウイチ『現代韓国の歴史』)日本人参戦事実を確認する記事もある。朝日新聞は1952年11月19日、米国と共に韓国戦線に参加して戦死したシゲハル君について報道した。

彼らはどのように韓国戦争に参加することになったのだろうか。GHQ(General Headquarter・連合国最高司令官総司令部)の必要によるものだった。GHQは戦後日本に駐留しながら占領統治全体を指揮した組織で、ダグラス・マッカサー元帥が最高司令官だった。

崩壊後、日本は6年間GHQの支配を受けた。仁川(インチョン)上陸作戦(1950年9月15日)も日本戦犯に依存した。韓国の地形や海域の水深などについて日本軍ほど豊富な資料を持っている組織はなかった。GHQ別館である郵船ビル内「歴史地理課」には多くの元日本軍人上級将校が参加していた。ハットリ・サクシ大佐もその一人(記者注:服部卓四郎(はっとり たくしろう)大佐のことか?)。彼は太平洋戦争を主導したA級戦犯・東條英機の秘書官だった。

このようにマッカーサー司令部は日帝戦犯遺産を惜しみなく活用した。右翼戦犯を処断してから停止し、1949年中国共産化などアジアの共産化の波を阻止するために戦犯を再び呼びこんだ。これで日帝戦犯は免罪符を受けて派手に復活した。韓国で親日派が復活した背景も同じだ。

マッカーサー司令部は生体実験で悪名高い満州細菌戦部隊(731部隊)を率いたイシイ・シロウ中将も保護した。ソ連が彼を戦犯だと目星をつけて裁判にたてようとしたが最後までかばった。

私たちにとって6・25戦争は残酷な悲劇だ。数多くの人々がみじめに無念に死んでいった。同じ民族どうし強姦と虐殺の悪循環を繰り返した。生き別れの苦痛と恨が永久化した。

米国と日本は違った。機会だった。「韓国は一つの祝福だった。この土地あるいは世界のどこかに韓国がなければならなかった」と当時1952年、米第八軍司令官であり国連軍司令官ヴァン・フリートは言った。また、吉田茂日本総理は6・25韓国動乱が勃発するとすぐに「テニュ(天佑・天佑神助)!」と言ったとか。

戦後疲弊した日本は6・25韓国動乱兵たん基地の役割を果たしながら起死回生した。当時、日本駐在米国大使であったウィリアム J. シーボルトは「米国CIA韓国戦争関連報告書」で「日本の経済は韓国戦争で儲け物(windfall)した」と書いた。

戦争70周年をむかえた。戦争はまだ終わっていない。平和は訪れず反目葛藤憎悪が無限反復中だ。初めのボタンから間違ってかけた。米国と日本が機会をつかむ間、私たちは同族間の争いの悲劇だけ繰り返した。誰のための戦争だったのか。

それでも停戦協定の現場に私たちはいなかった。1953年7月27日板門店(パンムンジョム)でなされた停戦協定に署名したのは連合軍総司令官クラーク(Mark Wayne Clark)、北朝鮮軍最高司令官キム・イルソン(金日成)、中共人民支援軍司令官、彭徳懐の三人だ。100年以上、他人の手にまかせた運命。戦争70周年をむかえて再び自覚することになる不都合な真実だ。

リュ・スンヨル編集局長
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ソース:UPIニュース(韓国語)[リュ・スンヨル コラム]日本戦犯はどのように韓国戦争に参戦することになったか
http://www.upinews.kr/newsView/upi202006240119

前スレ:https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1593055813/
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