【香港問題】「中国の香港政策に口出しするな」「植民地時代はもっとヒドかった」のウソ[07/14] [Ikh★]
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6月30日、全国人民代表大会(全人代)常務委員会会議で「香港国家安全維持法」(以下、国家安全法)が施行された。
【写真】中国・習近平、ここへきて「香港問題」に焦りまくっている「本当のワケ」
全人代常務委員175人のうち、香港人はわずか1人。さらに審議の1週間前には「条文を見ていない」と言っていた林鄭月娥・行政長官がそれに署名して発効した。前稿で触れたとおり、中国政府(以下、中央政府)は決議を香港事情に詳しい「香港スクール」を排除して進め、最後に署名だけを行政長官に任せた。その瞬間に香港基本法に記された「港人治港」は名目だけのものとなった。
また、同法には香港の「憲法」である「香港基本法」(以下、基本法)との矛盾点が多く、特に司法の独立に矛盾が集中していることが指摘されている。例えば律政司(司法局)内に新設される国家安全犯罪専門部門の責任者の人選を行政長官から中央政府直轄の国家安全保護公署に意見を求めたり、検察に当たる律政司が「陪審員なし裁判」を要求する権利を有したりするなど、行政の干渉、また利益面の衝突が明らかだ。
民間学者の梁啓智氏によると一部は香港基本法を改正すればことたりるもので、わざわざ基本法に優先される法律を制定したのは、中央政府がすでに香港基本法を紙っきれとしか考えていないことを意味するのではないかと懸念を示している。
巷では学生政党「デモシスト」の幹事長だった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏や現立法会議員の陳淑荘(タニア・チャン)氏らの著書が、さらにいわゆる「本土派」(「本土」は「この地」という意味で、香港優先を主張する人々)のバイブルになっている、作家陳雲氏の著書とともに公共図書館の書架から撤去された。
「審査中」だとされるが、現役議員である陳議員の著書まで対象にされたことが、同議員が国家安全法の調査対象となったことを暗示しているようでもある。しかしまだ正式に拘束されたわけでもない同議員の書籍をどうやって行政が審査するのかなどの疑問が湧く。
さらに既報通り、外国人も、また香港居住者でなくても、さらには香港で行われた行為でなくても、国家安全法の処罰対象になる点についても、前出の梁氏は「基本法より無限大に拡大されている」と指摘する。
こうした基本法ですらも無視したロジックで制定された法律の施行が、香港社会にショックとプレッシャー、そして混乱をもたらしている。ネットには「一国二制度」ならぬ、「一国“殺”二制度」(One Country Kills Two Systems)というプラカードを掲げる市民の写真も流れたが、文字通り「一国」が「二制度」を完全に消し去ってしまった。
そんな事態に際して、日本国内ではまだ、「中国の内政干渉をしてはいけない」とか「植民地時代の香港が今よりも良かったはずがない」という意見がある。特に後者においては、「列強による植民地支配とはそういうものだ」「日本の韓国や台湾の統治時代もそうだった」を根拠にする人が少なくない。
こうした文言が日頃はリベラル「っぽい」人たちの口から飛び出してくるのを見ると、これはある意味、日本の戦後教育のトラウマなのではないかと感じる。かつての「日本の統治システム」への嫌悪感から形成された「ポリティカル・コレクトネス」が、「植民地」という言葉に「パブロフの犬」的な画一的な拒絶反応を生んでいるからだ。
筆者は香港返還の10年前の1987年から14年間香港で暮らした。そのまま主権返還を迎え、香港を離れた後も香港事情をずっと追い続けてきた。実際に体験した植民地香港は、我われが日本の教育で耳にした「日本の韓国や台湾統治」とは大きく違った。筆者も日本の植民地統治を肯定するものではない。
だが、だからといって今の香港人がなぜ植民地時代を懐かしむのかを切り捨てるわけにはいかない。今回は日本人読者が「植民地」という言葉に持つ固定観念から抜け出し、現実の香港事情を理解するための参考情報を提供したい。
※続きは元ソースでご覧ください
ソース
Yahoo! Japanニュース/現代ビジネス 7/14(火) 7:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b4caad471d009aabdb9f8f532065544f717c7df6 いや植民地時代、それ以前もだがもっと酷かったよ
中国の香港に対する態度がな
戦争に負けた賠償に他国に売り渡すくらいだからな >>1
>筆者も日本の植民地統治を肯定するものではない。
さりげなく批判してるな もっとひどかったってことは、己のひどさを認めてんだな 中国人の統治が非人道すぎるから
よく見えるんだろ
悪魔の治政だもの 同じ植民地のアフリカやインドの両腕切り落としとかと比べて、香港は優遇されていたろう >>73
インドは問題点が多すぎてなー
今の世界は西洋文化が支配的だからね
人権なり自由なり契約という価値観が支配してるしそれを受け入れてる国が殆どだからね
これをひっくり返すのはなかなか難しいから中国が覇権を取れないんだよね
チカラだけでの現状変更は超難しい 民主的な選挙は中共に対する深刻な挑戦で治安維持法違反だ!
1940年のどこかの国だな。 >>87
中国人は、特に共産党の上層部の人間は、自分の党内での地位を高めるとか、
政治力ばっかのスキルを磨いてきたからな
いまさら国民や共産党内のライバルに対して、自分が外国要人になめられてるのを見せたくないわよね
で、中国国内でしか通用しないロジックで外交をしてしまう
昔は臥薪嘗胆とか理解してたはずなのに アグネス・チャンも一語一句まったく同じ事言ってるよな 国家安全法通した連中が処罰対象になるオチがありそう >>80
>>65 のインタビュー番組は 香港の行く末を決めた時だから、英サッチャーが首相の頃だよ。
>>77
>中華民族が一番ってフレーズに酔いしれてた
これは事実だが、それは かなり返還に近づいてからのはず。
その理由は、経済力バランスと成長性。
中国経済が その時点でデカかった訳じゃなく、欧州の中で ベルリンの壁 崩壊後はドイツの力が強大になり 英国の地位は相対的に堕ちつつあった。
米国経済は悪くなかったが、アジア経済がモノスゴ発展し、韓国 シンガポールだけでなくASEANも発展目覚ましかった。
その中で 香港人の意識の中に、英国の召使いでいてはアジアの中でも取り残される という意識が芽生え
じゃあ香港のアドバンテージは何か? と自問すると、やほり中国大陸と繋がり 民族も同じ 広東省は言葉も同じだし 親戚が居る人も多い。
実際に改革解放の中国では、香港にピッタリくっつくように深セン経済特区を作り、まず経済圏の一体化を目指した。
当時は 香港と深センを磁気カードみたいの1枚で往き来するほど、人の往来も激しかった。
香港と広州を結ぶ 直通特急列車も 1日6本ぐらい運行されてたし。
深センでは香港ドルが使え、香港は九龍駅で中国元が両替できるようになった。
また当時、台湾と中国は 今ほど緊張的に険悪な関係でもなく、華僑の中国大陸への投資も増えてたから
大中華圏(グレーターチャイナ)構想みたいのも 実は欧米経済人からも出てて、香港人にも中国LOVEのムードはあったな。
返還直前は 中国の経済成長率が年率13〜14%もあり、その余波が香港にも押し寄せて
返還直前なのに、当時の香港は物凄い熱気だった。
日本はバブル崩壊した大後遺症で消沈してた時だったし。 あくまで耳する情報でしか無いけど
人種撲滅 臓器移植など
長期に渡りユダヤ迫害以上のことをしてるのに
なんで中国って成り立っているんだろう
中国人って情報統制が取られているにしても
漏れ伝わる部分はあるだろうになんとも思わないのかね。 >>54
薩英戦争で負けて、英国の植民地になってれば
って話だろ 金は1120年に北宋と「海上の盟」と称される盟約を結び、遼を挟撃
しかし、宋は攻略にてこずったために金が北京を落とし、宋に割譲した
宋としてはもともと野蛮人にうばわれた中華民族の土地を取り返すだけだ
現地の中国人もよろこぶに違いないと考えたが
ところが現地人は中国の腐敗官僚の支配を最も恐れていて
現地の協力を得られない
最初は友好的だった金も
「こんな無能バカとつるむ理由はない」と金は軍を南下させて首都開封に迫った
金は徽宗・欽宗以下の皇族と官僚など、数千人を捕らえて北方へ連行した
(この出来事を「二帝北行」という)。
この事件で宋室の皇女たち(4歳から28歳)全員連行され、妓楼「洗衣院」に入れられて娼婦となった >>95 の続き だが
それも長続きはせず、アジア金融危機で 中国経済への香港人の期待は弱まった。
それどころか、アジア金融危機で華僑や中華経済が かなり傷めつけられた。
東南アジアでの反華人感情も高まったし。
私は、アジア金融危機はユダヤ人と華僑の最終(経済)戦争だったと思ってる。
それはそうと
返還当時に 香港人が中国LOVE 中共Welcome的なムードになった理由の一つにG7など日米欧への失望や不信があったと思う。
最も象徴的だったのが、天安門事件で立ち上がった元民主化リーダー元闘士の一人が 香港で記者会見し
中国は全く変わらないどころか経済発展し豊かになってる という所から始まり、白人のアジア侵略・支配への批判や中華民族のパワーや優越生などを熱弁したこと。
本来なら共産党にヒドい目に合わされて 大批判すべきなのにオルグされたのか。
要は、中国の民主化に立ち上がったのに、日米欧など国際社会は何もしてくれなかった どころか、中国経済の成長性を考え それに乗ろうと、共産党と"手打ち"してしまった と大失望してるんだろな。
今 日本やEUはともかく、米英豪などが 経済的な返り血は承知の上で 香港の民主化勢力を見殺しにすると、そういう後遺症が出ると中国を絞めてるのは、天安門事件時の後悔があるからかも知れない。 >>68
日本の植民地統治を否定しておいて英国の植民地統治を肯定しようなんてムシが良すぎるんだよなw >>102
和歌山県民が選んだ小沢一郎の元側近
なんでこいつが幹事長なんだ? 勤務先アドミの通達・・・・・ 今後の海外出張に際しては香港乗り継ぎは避ける事 >>1
中国は国家じゃないからな!wwww
中国は今がまさに植民地時代だ!さっさと死ねや糞支那! 英国は一〇〇年あまり香港を統治したが、香港人に英国を愛せよと要求したことは一度もなかった。
返還前、香港人はいわゆる高等華人や香港の英当局が育成した高級公務員を除き、
一般市民は英国に対しなんの感覚ももっていなかったと言うことができる。
香港人は過去に英女王を「事頭婆」(女主人)と呼び、英国国家の歌詞を
「個個?住個兜」(一人ひとりが物乞いのお椀をもって)につくりかえ、
英国の経済不振を皮肉った。 みじめな過去だから嘘で覆い隠すんだよ
当時の新聞や写真や経済データ見ればおのずと分かるだろ? >>98
薩摩もイギリスの植民地になってた方が良かったってこと? >>101
他国の植民地支配は、日本による植民地支配に比べたら、すっとマシなのでは? >>115
他国の植民地の出身者が宗主国で国会議員になった例を一つでいいから挙げてみろ 天安門と香港返還の時、中国や香港から移民してた人がいたけど
弾圧されてなくても、難民申請が緩いからか移民してたなあ >>15
>これだから日本のリベラルはパヨクと呼ばれるんだよ。
日本にはリベラルも左翼も居ない。
居たのはリベラルと左翼を騙る反日勢力だけだったというw >>13
>どっちがよかったとか、現地の香港人が言わなきゃなんの説得力もない。
時代革命起こして中国政府とあれだけ闘っている香港人が全員ズッコケたよ、今w >>114
>薩摩もイギリスの植民地になってた方が良かったってこと?
ここで問うべきは薩摩が中国の植民地になってたらどうだったか。 英国の香港統治は酷かったよ
でもそれは、支那のような弾圧による酷さではないんだけどな
この筆者も長年住んでた割には、何も知らないんだな
英国統治下の香港では支那系住民は、返還の数年前まで、義務教育がなかったんだよ
そういう酷さ
英国植民地支配の基本は昔からそう
返還が決まる直前にやっと義務教育を始めた
それまでは完全放置で、当然ながら経済も言論も教育も自由放任
それで大陸とは桁の違う経済発展したんで、支那系住民は自分たちで教育を普及させた
いわば全部私学で、それで香港大学という世界トップクラスの大学まで整備した 力関係が変われば、統治論理がかわるのもまた当然じゃないか
それはまさしく欧米の列強諸国が今日まで行っている事だろうに
力をつけたチャイナが新たな統治を模索して何が行けないのか
駄目なのはチャイナの伸長を許してしまった国々だろうに もうブルースリーやジャッキーは出てこない
香港は特殊な「国」だった 「はじめに間違いありき」でな、
イギリスは、香港を返還する相手を間違えた。 植民地と比べたって
少なくとも本国の軍隊がぶん殴ってくる時代はクソに決まってるだろ
本国は英国から守ってくれたか? >>120
アメリカのリベラルもただのコミュニストだった。
代表格がオバマ。 こうなると嫌なことは上にあげない
側近は面従腹背で逃げる準備
広報なんてまるでやる気なく洪水が綺麗で万華鏡みたいとポエム言い出すw >>130
オバマはフセインの名前を隠さなかったら当選できなかった? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています