東海という海の名前は
歴史と生活の中になじんで
地理学界表記原則に合う
日本海表記に対抗して
韓国海使ってはいけない理由だ

2019年4月末、ニューヨークで韓日代表が激しい舌戦を行った。国連地名専門家グループ会議でだ。国際水路機構(IHO) S-23修正版に日本海(Sea of Japan)表記を東海(East Sea)と併記してほしいという私たちの要求に日本が対抗した席だった。IHOは2017年4月、総会で韓国側の要求に対して韓国、日本、北朝鮮3国主導に米国と英国をオブザーバーに加えて非公式で協議するよう調整した。

期限を2020年総会までと釘をさした。予定通りならば今年11月頃、デジタルにしても議論とともに再び競わなければならない。IHOが製作した海と海洋の境界という名前の地図でありガイドブックであるS-23に日本海東海併記の要求は熱い懸案だ。韓国政府は1992年に開かれた国連地名標準化会議でこれを初めて提起し国際社会はもちろん韓国内でも知らせた。民間では東海研究会という研究団体が1994年スタートして活動を広げた。

その後の成果は数字によく現れる。世界各国地図に東海日本海併記率は2000年2.8%に終わったが、2005年18%、2009年28%を経て2014年には40%を越えると推計される。

東海と日本海を併記しなければならないという要求の論理的根拠は大きく二つだ。該当地域民になじむ名称を反映しなければならない、ということと地名に関する国際機構や地理学界の原則に従おうということだ。東海は韓半島居住民には右側に位置した大きな海で歴史と生活の中に存在する。2000年以上、東海という名前になじんでいる。1145年書かれた三国史記に東海という記録がある。

日本の人々は必要に応じて他の名前を使ったりもしたが、この海を主にイルボンヘ(日本海)と呼んで表記した。英国とフランスの間の海を片方ではイングリッシュ・チャネル、他方ではラ・マンシュと呼ぶのも同じ現象だ。問題はIHOが1929年S-23を初めて発刊する時、日本海と明記してしまったことだ。当時、私たちは主権を失って声をあげることができず、後れを取った。

1937年2版製作の時も植民支配が続いていた。1953年3版時は韓国戦争中だった。1957年にIHOに加入し、東海と日本海併記を要求したのは1992年だった。帝国主義支配から抜け出した後、主権国家として歴史的に書いてきた海の名前を回復しようとする動きは当然だったが遅すぎた。

IHOや国連地名標準化会議など国際機構は特定地名に隣接国の間で合意出来ない場合、当事国でそれぞれ書く名前を併記するように勧告している。韓半島東側の海は東海や日本海という名称を使うのが正しい。ただし、これを英語'East Sea'と'Sea of Japan'で併記しようということだ。米国のナショナル ジオグラヒックは1990年代からすでに東海と日本海を併記している。
(中略:併記の事例)

国内でも一般人を対象とした世論調査で東海と日本海併記よりは日本海に対抗する韓国海という名前を前に出すべき、という意見に同意する人々がいる。しかし、このような形の接近は国際機構や地理学界で認められるのが難しい。教育の多様性を強調したバージニア州の事例や該当地域民になじむ名前なので書かなければならない、という主張の方がより共感を得る。地名は歴史と生活の中の産物だからだ。

[ユン・ギョンホMBN論説委員]
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ソース:毎日経済(韓国語)[生きて行く話]東海並記を応援する
https://www.mk.co.kr/opinion/contributors/view/2020/07/760883/