<明治日本の産業革命遺産が輝かしく見えるのは、日本の「国民史」においてそう位置付けられているからだ。「世界遺産」なら、「国民史」の枠組みを離れて韓国やさらにはそれ以外の国の人々にも通じる説明が必要だ>

去る6月15日、東京都内にて「産業遺産情報センター」の公開が再開された。3月31日に開館した同館であるが、同日の開所式直後から新型コロナウイルスの蔓延により臨時休館を余儀なくされていたから、この日が事実上の開館だったという事になる。

その名称からも明らかな様にこのセンターは、2015年に正式登録されたユネスコの世界遺産「明治日本の産業革命遺産:製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に関わる内容を展示するものであり、同センターはその為の研究機能をも併せ持つことになっている。周知のようにこの「明治日本の産業革命遺産」登録に当たっては、構成資産のうち、長崎造船所や端島炭坑(軍艦島)等において、多くの朝鮮人が動員され「非人道的」な扱いを受けた過去がある事を問題視した韓国政府が強く反対し、日韓両国政府の間で厳しい対立が展開された事が良く知られている。結果、最終的に日本政府は「1940年代にいくつかの施設において、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた(forced to work)多くの朝鮮半島出身者等がいたこと、また、第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である」という声明を発表し、この内容は「脚注」として、正式文章にも加えられる事となっている。

「日本人のDNAに刺さる遺産」

そして今回問題となっているのは、今回実質的な開館を迎えたこのセンターの展示内容が、この「脚注」の趣旨に適っているか否かだ。しかし、本稿で注目したいのは個々の展示の具体的な内容よりも、この問題の基本的な構造である。何故ならこの問題には、日韓両国、そして国際社会における「歴史認識問題」とは何かを巡る問題が、典型的に表れているからである。

この問題においてまず指摘すべきは、同じ「歴史遺産」であっても、人々の歴史的理解が異なれば、全く異なるものとして現れる事である。例えば、日本側の理解について、「明治日本の産業革命遺産」に名を連ねる橋野鉄鉱山を抱える釜石市長である野田武則は次のように述べている。

橋野は単なる鉄鉱山に過ぎないと思っていました。しかしいまは違います。(中略)富士山や平泉とは違います。あれは鑑賞するものです。明治日本の産業革命遺産は、DNAに刺さります。日本人として勉強していく大事なプロセスがここにあると思っています。

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ソース
ニューズウィーク日本版 2020年07月27日(月)18時40分
https://www.newsweekjapan.jp/kankimura/2020/07/post-12.php