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朝鮮人が35年余りの植民統治期間の間に、日本の植民地支配をどのように受け入れたのか。また、日本の支配下での朝鮮人の生き方、もしくは日本との関わり方はどうだったのかを考えてみると、そう単純化できるものではない。

一般的に、1919年を境に武断統治と文化統治という、統治の基本的なフレームの変化があった。また、1931年満州事変勃発以降、日本の対外進出が活発になるにつれ、同化政策を本格化し、朝鮮人の日本に対する態度にも大きな変化が起こり始めた。

 1931年以降、日本の満州への進出は、朝鮮人たちにも一種の転機であったし、その立場を格上げするチャンスでもあった。日本帝国の2等国民という差別を受けていた朝鮮人が、朝鮮以外の地域において、新たに3等、4等国民に編入された被支配民族の上に立つことができたのである。それは堂々とした帝国の一員になったという、身分の上昇を意味した。

自ら日本軍になって一緒に戦った朝鮮人は記憶から削除してしまった
実際に満州事変以来、多くの朝鮮人が日本軍と関東軍とともに満州と中国に入って、日本軍をバックに麻薬や売春など、不法な商売をし、様々な利権に関わって大金を儲けた。そして満州、中国などの地元の人々には、日本人になりすまして悪行を働いたりもした。

 太平洋戦争後、戦線が東南アジア、南太平洋にまで拡大され、連日届けられる勝報に鼓舞された朝鮮人たちは、日本帝国内で2等国民の地位を強固にし、日本人としての既得権を行使した。若い朝鮮人たちは自ら天皇の軍隊に入隊することを望んだし、朝鮮人も日本軍になれる道が開かれると、数十万人の朝鮮の青年たちが自発的に日本軍に入隊をした。

そして終戦後、多くの朝鮮人が日本人とともに戦犯として処罰を受け、日本人とともに靖国に合祀されている。もちろん、靖国神社に合祀された2万人を越える朝鮮人が、果たして合祀を願ったかどうかは分からない。とにかく、多くの朝鮮人が自分の意志で日本人とともに、日本軍の一員になって日本帝国に協力したのは事実だ。

 多くの朝鮮人が日本軍に合流して満州で、東南アジアで、南太平洋で日本人とともに戦争を戦った。悪行を働いたりもしたであろう。しかし、今の韓国人は、1944年以来、強制的に徴集され、戦場で死んでいった朝鮮兵ばかりを記憶していて、自ら日本軍になって一緒に戦った朝鮮人は記憶から削除してしまった。

日本人は完全な加害者、朝鮮人は完全な被害者というストーリー
朝鮮人たちの誇らしい抗日独立闘争ばかりを記憶しようとして、日本人と協力して満州で、東アジアで、南太平洋で行ったさまざまな侵略行為を記憶から消してしまった。日本と朝鮮は同じ国であったし、差別がなくはなかったけれど、同じ日本人として戦ったことを否定することはできない。朝鮮人も帝国の軍人であったし、神風特攻隊の隊員であった。

 1945年8月15日以降、長い間、韓国では、徹底的に民族主義を踏まえた反日教育を通じて、日本人たちは完全な加害者、朝鮮人たちは完全な被害者というストーリーを作り出した。そしてこれらの物語を繰り返しつつ、日本に対する憎悪をつのらせてきた。まさに歴史の忘却である。最近、韓国で流行っている言葉で表現すれば、「遺体離脱話法」であり、少し有識者っぽく言えば、「認知不調和現象」である。

「韓国人は純粋な被害者だ」という盲目的な民族主義的言辞によって、「日本はもっと謝罪し、もっと譲歩しろ」という言葉を堂々と要求できる。これを元に、今の韓国政府と国民の対日本認識は作り上げられた。

しかし、韓国の今のような自国中心的な歴史認識、記憶を恣意的に選択して対話の相手に強要することでは、対話の相手を納得させるどころか、問題をより悪化させるだけである。韓国政府と国民は、真の隣人として、そして未来を共に歩むパートナーとしての日本を失いたくなければ、これをよく心に刻むべきである。日本政府と国民の、韓国に対する認識は以前とはだいぶ変わってきている。残された時間はあまりない。

李東原(イ・ドンウォン)
日韓関係史が専門の評論家


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