※鯛の保護色の話(割愛・ソース元参照)

約60年前、ワシーリー・アルヒーポフ提督は、その絶対的な孤独の空間で絶対的な悩みに陥った。彼が苦心の末に下した一生一代の決断のおかげで、あなたはこの世に生きている。アルヒーポフに感謝しなければならない。

1962年10月、アルヒーポフはカリブ海にいた。光も届かない海底、ソ連海軍の潜水艦「B‐59」で、彼は別の潜水艦3隻を含む潜水艦団を指揮していた。その真上では、米国とソ連が衝突に向かって突き進んでいた。

ソ連のフルシチョフ書記長は、ケネディ政府がトルコに核ミサイルを配置するなど、ソ連の安保を脅かすと、劇薬の処方を下した。米国の目と鼻の先のキューバに核ミサイルを配備することにしたのだ。

キューバのカストロ首相は、米国が「ピッグス湾事件」などでキューバの安全を揺るがしたなか、ソ連の核ミサイルを受け入れることにした。

ソ連の軍艦が核ミサイルを積んでキューバに向かって接近すると、米国は大騒ぎになった。ケネディ大統領は勇んで立ち上がった。米海軍を派遣し、ソ連の軍艦のキューバ接近を阻止して退却を要求した。

「キューバミサイル危機」の渦中、アルヒーポフが乗船していた潜水艦B-59が米海軍に捕捉された。B-59が追跡を避けるためにさらに深い海に潜ると、米海軍は信号用爆雷を投下した。海上に上がってきて正体を明かせということだった。

B-59艦長は悩みに陥った。ただでさえ長い潜水で酸素も切れつつあり、室内は耐え難い高温状態だった。数日間モスクワとの連絡は途絶えていた。深海では連絡が不可能だった。

浅く潜行している間はまだ米国のラジオ放送を聞くことができた。ラジオで聞く世間のニュースは不吉なものだった。米国が海軍を派遣し、もうすぐ戦争が起こるということだ。

この最中に米海軍が爆雷を投下するとは、戦争が始まったのか? どうすればいい? バレンティン・サビツスキー艦長は悩んだ。彼にはすでに、戦争が始まれば核ミサイルを発射せよという事前命令が下されていた。

潜水艦へ無線通信を送ることも難しく、潜水艦から通信を送ろうとするの自分の位置を知らせる自殺行為だからだ。米海軍の爆雷攻撃を受けてこのまま死ぬのか、命令どおり核ミサイルを発射して戦争の勝利を図るのか。

サビツスキー艦長は後者を選んだ。イワン・マスレニコフ政治指導員も同意した。残ったのはアルヒーポフだけだった。彼が同意したなら、B-59は作戦計画どおり核ミサイルを発射しただろうし、ソ連の核攻撃を受けた米国も作戦計画に従って核兵器で報復攻撃に踏み切ったはずだ。

1962年は米ソの核戦争で人類が最悪の惨禍を経験した年として歴史に残っただろう。核の惨禍から生き残る人々がいたらならば。

アルヒーポフは反対した。サビツスキー艦長を説得した。とりあえず海上に上がってモスクワと確認しよう。結局、海上に上がってみると戦争状態ではなかった。核ミサイルを発射する理由もなかった。キューバのミサイル危機も終わった。アルヒーポフの決断のおかげで、人類の終末は免れた。

国防総省は最近、国防中期計画に4000トン級潜水艦の建造を明記した。推進方式は明らかにしていないが、一部のメディアは、原子力推進潜水艦を既成事実と見ている。特に中央日報は「有事の際、中国・日本を刺す毒針」と述べて支持してもいる。

しかし、原子力潜水艦から通常ミサイルを中国や日本に発射するなら、それは韓国の終末を意味するだろう。みずから死ぬミツバチの針になるだけだ。原子力潜水艦から核ミサイルを発射するなら? “国家に酔いしれる”映画の素材にすぎない。朝鮮半島、いや世界の安全のためには、進んではならない道だ。

世界を救ったアルヒーポフもがんを避けることはできなかった。キューバ作戦直前に乗船した原子力潜水艦から発生した漏出事故が禍の元だった。

ソ・ジェジョン|国際基督教大学 政治・国際関係学科教授

2020-08-24 09:19
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/37566.html