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▲1910年庚戌国辱直後、梅泉・ファン・ヒョン(黄玹)が自決で命を終える前に書いた絶命詩。「ムクゲの国」を意味する「槿花世界」が書かれている。(記者注:「槿花世界」の文字は中央左一行、下から3文字目から始まり左二行の先頭文字「界」まで。「世」はロゴに隠れている)

ムクゲは1000年を越える間、我が国を象徴し、生活空間の中で先祖の人生の一部と位置づけられてきた。特に日帝強制占領期間には従来の歴史性と代表性から特別な意味が一層増した象徴になった。

痛恨の歳月、私たち民族のそばで強靭に根をおろしたムクゲに関連した日帝強制占領期間の記録を調べる。

1910年庚戌国辱直後、梅泉・ファン・ヒョン(黄玹)が自決した。命を終える前、彼は血の涙を混ぜて書いた絶命詩を残した。詩には彼がそれほど守りたかった祖国が「ムクゲ国(槿花世界)」の文字で刻まれていた。

それだけではない。アン・チャンホ(安昌浩)は演説のたびに「私たちのムクゲの丘」を叫び(1925)、ユン・ボンギル(尹奉吉)は爆弾義挙二日前に遺作詩「光復歌(1932)」を作って「ムクゲ三千里、私たちの山川」の独立を念願した。

ナムグン・オク(南宮檍)は日帝警察の捜査(1933)でムクゲが私たち民族を代表する国花であると主張し、裁判所(1934)ではムクゲを栽培して全国に広げたのは独立のためだったと明らかにした。

日増しに深刻になっていく日帝の圧制でもキム・ジュァジン、アン・ジュングン、ハン・ヨンウンなど数多くの烈士は民族の胸にムクゲを植えた。彼らにとってムクゲは民族・祖国・韓半島・独立だった。

先覚者の血と涙が染みたムクゲは国境の向こう側でも咲いた。大韓民国臨時政府と海外独立運動団体は記念式(1920)や会議(1924)を始める時、殉国烈士を追悼(1923)する時、ムクゲの歌を歌った。また、海外独立軍が戦場で歌った軍歌や詩歌の中にもムクゲが登場する。確認された58の歌でムクゲは祖国・韓半島・故郷などを象徴し、なつかしい母親を意味することもあった。

それでは日帝はムクゲをどのように認識したのだろうか。1935年、朝鮮総督府警務局が対外秘で出した<高等警察用語辞典>には「ムクゲは2000年前の文献に出てくる朝鮮の代表的な花として(中略)ムクゲ山川を云々するのは朝鮮の別称で不穏な意図が入っている」という記録が残っている。日帝がムクゲに加えた弾圧と圧迫の理由があらわれる文だ。

独立は日帝強制占領期間の時代精神だった。ムクゲはこの時代精神と触れ合って独立の象徴になった。かつて義親王他32人の民族代表が作成した「宣言書(1919)」には我が国を示す花として記録され、ウ・ホイクは過去の文献考察を通じてムクゲが民族の花であることを<ムクゲ考(1927)>で明らかにした。

他にもチャ・サンチャン(車相瓚)は<湖西雑感(1924)>で「国花」に言及しムクゲはその後、数多くの記録で国花としての地位を維持した。ムクゲに内在する歴史性と代表性に当代の時代精神が加わって発現したからだ。

ある時代にはその時代を代弁する時代精神がある。今日の時代精神は何か。ムクゲにその時代精神を入れるのか。あるならばどのように入れるのだろうか。軍歌「独立軍の奮闘(1923)」で「ムクゲが春に会って再び咲く時、私たちの楽しみによって無限だろう(訳注:ムクゲは韓国語で無窮花(ムグンファ)と言い極まり無いことを表す)」という先人の熱い熱望がこの時代に新たに出てくるよう期待する。

ムクゲは咲いて散り、また咲く。

キム・ヨンマン<新丘(シング)大学メディアコンテンツ課教授>

ソース:農民新聞(韓国語)痛恨の歳月、民族の切実な念願象徴‘ムクゲ’
https://www.nongmin.com/nature/NAT/ETC/326285/view

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