「私はあなたがクソ戦犯であり、当然、裁判を受けるべきだと考える」。

米大統領選挙で当選が有力視されるバイデン候補は、就任後に北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長と会えば、このように言い放つ可能性も排除できない。バイデン氏は1993年、セルビアのミロシェビッチ大統領と会談した席で、ミロシェビッチ大統領が「私をどう思うか」と尋ねると、「クソ戦犯」と一喝した。「虐殺者」という批判を受けたりしていたが、国家首脳に米上院議員がこのような言葉を吐いたのだ。

1979年。バイデン氏はカーター政権を代表してモスクワを訪問し、旧ソ連のブレジネフ書記長、コシギン首相と向き合った。コシギン首相が欧州に駐屯する旧ソ連のタンク数を実際よりはるかに少なく話すと、バイデン氏は「コシギン首相、我々(米国)式に話しましょうか。たわごとはほどほどにしろ」と語った。慌てた通訳はこの言葉を「冗談はやめてください」という表現に置き換えて伝えた。

米上院外交委員会で12年間も活躍したバイデン氏はワシントン最高の外交通と呼ばれる。そのバイデン氏の外交キーワードは「率直」だ。バイデン氏は自叙伝『守るべき約束』(Promises to Keep)でこのように書いている。「(私が会った)世界の指導者は弱い態度への嗅覚が優れていて、誠意の不足を感じるレーダーを持っていた。謙遜は率直ほど重要でないことを経験から学んだ。率直に話して力を表すことがヘルムート・シュミット西ドイツ首相のような大物級の信頼を得る道だった」。

バイデン氏は金正恩委員長にも「率直」な表現をした。先月22日、米大統領選挙の最後のテレビ討論で金正恩委員長を「悪党(thug)」と呼んだ。元外交官は「6回も核実験をした独裁者金正恩に対するバイデン氏の認識」とし「『悪党』という表現がバイデン政権の対北朝鮮基調になるだろう」と分析した。しかしバイデン氏は「敵」であっても関係は維持すべきという哲学も持っている。自身のメンターだったハリマン元駐ソ連米国大使が「外国の首脳が『共産主義者』であってもみんなが同じ共産主義者ではない。必ず直接会って関係を維持すれば変化させることができる」と助言したのを座右の銘にしたという。

外交に対するバイデン氏のもう一つの原則は「情七直三」(情報7割、直感3割)だ。本人の言葉だ。「上院議員を36年間務めて7人の米国大統領を見てきたが、大統領は政策を決める時、必要な情報の70%ほどだけ得るということを知った。結局、残りは自身の判断と知恵で埋めなければいけない」。

直感の力を信じるためか、バイデン氏は外交懸案について自分自身のアイデアをよく出すという。2013年に訪韓したバイデン氏は朴槿恵(パク・クネ)大統領を表敬訪問した席で、「北朝鮮との対話の突破口を開くための破格的な案」を提示した。朴槿恵政権で青瓦台(チョンワデ、韓国大統領府)国家安保室次長と外交部次官を務めた趙太庸(チョ・テヨン)国民の力議員は「米政府の最高級としては非常に柔軟な対北朝鮮接近案を出したので驚いた。ただ、米政府の公式立場ではなく実現していない」と振り返った。

◆バイデン氏の外交参謀…ブリンケン元国務副長官に注目

バイデン氏の外交参謀陣では30年間にわたり彼の補佐官を務めたブリンケン元国務副長官が核心人物に挙げられる。バイデン政権で国家安保補佐官候補または国務長官候補の筆頭だ。韓国では趙太庸議員が朴槿恵政権で外交部次官を務めた当時、ブリンケン氏と親しい関係を築いた。当時、外交部と米国務省が5回開催した北朝鮮政策高官級協議でパートナーとして会っていた。

バイデン氏は2001年8月に上院外交委員長として、2013年12月に副大統領として2回、韓国を訪問した。訪韓するたびに韓国に良い印象を抱いて帰国したという。2013年12月の訪韓当時、米副大統領では唯一、大学(延世大)を訪れて政策演説をした。直前の朴槿恵大統領との会談時間が長くなり、40分ほど遅刻したが、1000人以上の学生が歓呼すると、「とても多くの人たちが待っていてくれて自慢話になりそうだ」と喜びを表した。

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中央日報/中央日報日本語版 2020.11.06 16:35
https://japanese.joins.com/JArticle/272030