【書評】中国から見た徳川慶喜の引き際 [12/1] [昆虫図鑑★]
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中国の著者によって書かれた日本史の本——とても奇妙な作品のように思えますが、実は意外と興味深いものです。
我々が知っている日本の歴史を通して、当時中国との比較、現代中国への暗喩、日本に対する正直な気持ちなどが随所に散りばめられています。
この記事では、12月5日販売開始の新刊『明治維新の教え —中国はなぜ近代日本に学ぶのか』(中信出版日本)を一部抜粋して面白くなる「読み方」を紹介します。
(略)
しかし『明治維新の教え』の著者・馬国川氏は国と国民を守るため自ら強大な権力を手放した世界でも稀な例として、一人の日本人を挙げています。
江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜です。
日本では「江戸時代を終わらせた」「戦わずして逃げた」などの理由で評価が高いとは言えない人物ですが、
中国人ジャーナリスト馬国川氏の目には、「自ら権力を手放す」という世界でも例を見ない偉業を成し遂げた政治家だと同書には描かれています。
<「国家の転換」という重要な局面において、政治家は重要な役割を担い、しばしば難しい選択を迫られる。もっとも難しいのは、彼ら自身の進退である。
なぜなら、それは個人的な栄辱だけでなく、歴史の進展にも影響を及ぼすからである。徳川幕府最後の将軍・慶喜がまさにそうだった>
(略)
<自ら権力を手放して、潔く隠居を決めた「紳士」を、弱虫だと貶めることはできない。1868年、もし慶喜が新政府軍との決戦を決めていたならば、
日本の歴史は書き換えられていたに違いない。少なくとも明治維新はあれほど順調には進まなかっただろう。日本は長期的な内戦に陥り、敗北国家となっていたかもしれない。
慶喜が個人的権力のために戦わず、勇敢に一線を退いたことは、国家の進歩に大きく貢献した。彼の行為は英雄と呼ぶにふさわしいものである。
権力は、一度握ると手放せなくなる。歴史の舞台に立つ政治家には勇気が必要だが、それ以上に度胸を試されるのは、舞台から下りるときである。
特に19世紀半ば、徳川慶喜が自らその舞台から下りた英断には感心させられる。
当時、東方国家には、指導者と平和裏に交替できる民主制度がなかったため、政治家は政界で老死するか、他から追い出されるかであり、自らその権力を放棄した者はいなかった。
100年以上が過ぎても、政治家というのは、死ぬまで権力を手放さない(最終的には、暴君や国賊に成り下がってしまうことが多い)。
その意味で、勇退した慶喜は、日本の歴史における功労者であり、世界の政治文明史における偉人であると言えよう>
日本では負の評価が多い慶喜ですが、日本国外の人からこのよう客観的に評せられることで、「歴史観」の多面性を実感せざるを得ないのではないかと思います。
もちろん、現代の政治家を判断する上で「歴史的な視点」というものも忘れてはならないということも改めて喚起されるのです。
https://citicpressjapan.com/articles/detail/5656 >>4
多いだろ
戊辰戦争で江戸にトンズラこいたし >>5
幕府が本気で戦ってたら、勝ってたのは間違いない。
製鉄所や軍艦を作る造船所、ナショナルバンクの原型も存在してた。他の藩とは、レベルが違う。 >日本では負の評価が多い慶喜ですが
?
この記事書いたの日本人じゃないだろ 戦ってる部下を見捨てて江戸に逃げ帰ったクズ
ジャップの鏡だわw 部下に優秀な者が多かった幸せかな
決断は当人だけどさ そんなに徳川慶喜は日本国民に低評価されてるの? 信じられんな 変わらなきゃ国があかん事になる状況で今後の国の事考えて最善だと思う手段取ったんやろ 評価に値するわ 評価云々はともかく慶喜はなんであんな行動を取ったのか理解が難しい
最終的なところはもうわからないのだろうな >>10
支那の願望っぽいよね〜
>>11
自分が逃げるために難民が渡ってる橋を爆破したり
戦時統帥権を少尉に渡す大統領を、どう思う? 日本には天皇(≒ローマ法王)がいたから、円滑に権力の移行が出来た
中国や朝鮮には天皇がいないから、中華皇帝が廃止されると無秩序な混乱が起きた 明治維新が大成功してアジア近代化の原点になったからこその話し でも明治維新で視野狭窄の長州閥が実権を握ったから、先の大戦まで転げ落ちた部分もあるんじゃない。歴史に正解はないけども。 あいつは
へたれなだけよ
隠居して
いいくらすずーとしていまして
だいくんとよばれてました >>16
賢いだけに、戦って勝ったところで、反幕世論が盛り上がってる国を纏めれないと思ったんじゃないかなっと
無理やり押さえ込んだら暴君として歴史に不名誉な名を残すし、そんな強権で押さえ込むような余裕のある世界状勢でもなかったし 慶喜「なりたくてなった将軍じゃないし、写真撮って暮らしたい」 日本の文化が独特なんだよ
徳川が日本にもたらした功績は評価されるべきものだよ
あの時代において最大の優れた治世を行ったといえるし、
江戸時代があったからこそ日本の近代化がスムーズに成し得た 中国と北朝鮮は中華皇帝の権威を共産主義に変えることで一応の安定を得た
ロシアはモンゴル帝国の後継者 韓国は表面上は民主主義を採用したが、天皇もローマ法王もいない
権力の正当性を認証する理論装置を持っていないから
大統領が変わる度に易姓革命が必要になる 内乱は外国勢力に工作と侵略させる絶好の機会だし、大政奉還を決断したのは英断だろ
まあ、徳川幕府のまま近代化した日本ってのも見てみたかったけど >>20
会津が勝ってたらもっと酷いことになってる >とても奇妙な作品のように思えますが
まずここが大きな間違い。
日本には三国志を研究する人が大勢いるし、エジプト学者の吉村さんみたいな人もいる。
単に好きなものにのめり込んでそれを発表する、そこに国内外は関係ないんだけども。
どんな偏見を持っていれば、「奇妙」なんて言葉が出るのかね。 日本は天皇がいたから大政奉還が可能だった
中国や朝鮮は天皇がいない
権力を返すという発想がない 会津藩は京都所司代に過ぎないって知ってて言ってるのか? >>2
支那では同一政権内での禅定はあっても、政権が交代するほどの事態の時は常に内乱になって、
旧主派は徹底的に抗うのがあたりまえだからな
政権の禅譲なんてありえない >>30
中国は戦前の日本は悪というイデオロギーでプロパガンダを展開しているから、まっとうに日本史、特に明治維新以降の日本史を中立的に研究している学者がいるのはおかしいんじゃね? >自ら権力を手放して、潔く隠居を決めた「紳士」
キンペに聞かせてやれ 天皇制はよく出来た理論装置だった
あれのおかげで仏教にもキリスト教にも必要以上に食い込まれずに済んだ
明治維新も上手くいった
「国王が借り物の権力を奉還する」というアクロバティックな革命を可能にした 日本と欧州の権力構造はとても似てる
権力と権威が分離しており、王朝としては神武が即位してからずっと変わってない
そもそも将軍は帝に任じられて治世をしているのだから、政権を返上するのが道理 >>38
「天皇制」というのは国体の変革を企てる反社会的結社日本共産党による反日政治造語
「国体」が正しい >>8
だが、肝心の幕府軍で戦ってくれる藩が少なかった。。。 ま、たしかに明治維新は偉大な改革であって、他国には簡単に真似が
できなかったねw 朝鮮の改革が遅れたのも、結局支配者の一族がギリギリまで
権力に執着したからだしねw >>2
中国の禅譲だと後で殺されるパターンが多いからなあ
もちろん次の王朝がちゃんと保護した例もあるけど >>40
天皇制は7世紀に創設された
それ以前は中華皇帝にハンコもらって権力の正当性を認証してもらっていた
西欧ならローマ法王に相当する 偉大なる明治維新の精神をみならいつつ、今度は天皇中心の日本によって
アジアが解放されたという普遍的真理に従い、世界を改革せねばならないねw 慶喜の評価は教科書よりも司馬遼太郎の影響の方が強そうだが
慶喜が引いたのは水戸藩という勤王藩の出身だから
水戸藩が勤王だったのは明の遺臣朱舜水の影響
ということで中国人は自画自賛できるネタでもある 中国は責任は敗者や弱者が取る文化だから、生き残るためにはとにかく皇帝を目指して高い地位を奪っていくしかなく、日本のように天皇=権威と将軍=権力という分割構造の体制は産まれない
逆に日本は責任はトップが取るものだから、あまりに重い責任を回避するために体制の分割が起きる
どちらが優れているかってより、それぞれの文化に合わせた支配体制ができたんだろうな >>2
王莽は一応、禅譲じゃない?
・・・形の上だけでは。
曹丕も形の上では禅譲だっけ? 俺も慶喜はすげーと思ってる
つーか何代も続いた専制君主一族のラストエンペラーが、逃亡も亡命もせず、一般人として
最後は畳の上で死ぬなんて世界史的に見てもあり得ないくらい稀な出来事だよ
世界中の独裁者は、みんな世間の復讐を恐れるからこそ権力にしがみつくわけで 慶喜は若いからできたのかも。一生の生活を面倒みてもらう代わりに地位を放棄できた 朝鮮の王は中華皇帝に権力の正当性を認証してもらっていた
中国とロシア(モンゴル帝国の後継者)は共産主義によって一応の安定を得た
朝鮮も本来ならば共産主義によって統治されるべき地域 >>11
と、日本の寄生虫で人類の汚物在日チョンコロがおっしゃっている。 韓国は表面上は民主主義を採用したが、あの国には天皇もローマ法王もいない
権力の正当性を認証する理論装置がない
だから権力の移行が上手くいかない
大統領が変わる度に易姓革命が必要になる 明治維新は詳しくないが内乱が続いてボロボロになるよりはと考えたんじゃね まあ、徳川慶喜が権力に固辞してたなら、既に国力で上回っていた李氏朝鮮が
日本に侵攻して、日本は韓国の植民地になってたってのは世界史の定説 ま、権力に執着するのはひとり愚かなる朝鮮人ばかりではないが
北のキムブタやら南の三権ムン立政権をみてると、権力の病理というものはよくわかるねw まあ権力と権威の二重構造が鎌倉幕府以降あったからな。
権力は幕府が、権威は皇室が持って、征夷大将軍は朝廷が任命する官位。
だから大政奉還がうまくいった。
これがシナならとっくの昔に皇室を放伐してるから、権力の座を巡って血で血を洗う事態に。 秀吉が朝鮮なんかで遊んでないでアメリカ大陸を征服していれば、今頃日本人の天下だった
天皇を中心とした平和な世界が実現していた
その可能性は十分にあった
痛恨の極みである >>57
韓国の政争は、軍事政権由来の保守とバックに北朝鮮がいるアカによるガチの玉の取り合いだから、どうしようもない面がある。
そもそも、長いこと権威を中国任せにしていたせいで、民族の常識として政争の限度をわかってないんだと思う。 その全国版である「版籍奉還・廃藩置県」に続くの、だが? >>59
19世紀初頭の朝鮮のGDPはアフリカと変わらなかった
世界で最も貧しい地域の1つだった シナでも劉禅が蜀漢滅亡後も安楽公として生き延びてるな。
・・・まあ野心のあるなしを疑われても「今が楽しい、満足している」と
言ってないと殺されてただろうけど。 >>66
今でも貧しいんじゃね北は
南は日本に寄生して成り立ってる 慶喜な。
旧幕府軍の末裔の感想としては
単なる腰抜けだがw 愚かなる朝鮮人は歴史的にはずっと中華王朝の属国で、近代になってからも
大国のあいだで翻弄され、日本に併合されて主権を失ってしまったりしたから
とりわけて権力への執着が激しいわけだろうねw しかし、あまり権力に執着するのは
亡者じみているねw >>63
16世紀の日本にはその程度の国力はあった
世界最強の軍隊を持っていた
秀吉が朝鮮なんかで遊んでないでアメリカ大陸を征服していれば、今頃日本人の天下だった 流れる血は少なく済んだ
当人がヘタレか賢明だったかはともかく
続く明治維新は後の世にも評価できるだけにな
この劇的とも言える変化をこの程度の流血でスタートできたのは大きい >「国家の転換」という重要な局面において、政治家は重要な役割を担い、しばしば難しい選択を迫られる。
>もっとも難しいのは、彼ら自身の進退である。
>なぜなら、それは個人的な栄辱だけでなく、歴史の進展にも影響を及ぼすからである。
お^ーい、キンぺー聞いとるかー? トップに立ってやりたい放題やることしか考えていない支那人には理解できんだろうな >>59
今日からもう、師走だぞ。
忙しくなるから、妄想も程々にね。 要するにだ
この中国人が言いたいのは
いいかげん キンペーは引っ込め と 言いたいのだろうw かなり現代人だよね
当時は不思議ちゃんだったろうに 韓国が李朝化していくのと同様、中国も清朝化していくのが定めか >>73
日本は街に城壁がないですからね。
これは文化的にも住民の大虐殺にはめったには発展しないってことです。
戦闘員同士の殺し合い以上には発展しないでしょう。
これがシナなら屠城(町の中での大虐殺)が普通。
太平天国の乱でも南京で官軍が南京城内の住民にやらかしてます。
王朝滅亡時に人口が1/3ぐらいに減るのが普通ですわ。 >>75
退位したのと
退位させられた
の違いかと
まあ龍馬が暗殺されなければ慶喜首班の新政府ができたかもね あの時はああするしかなかった、あれでよかったんだと後日息子に語ってるそうな。
確かにそうかもしれない >>82
キンペー以降、誰も陛下に謁見してないからな〜 >>87
牟田口にしても死ぬ間際まで自分の所業を正当化してたけどな >>82
シナに限らず世界標準では
対抗勢力になりそうな人材は粛清するのが
普通だよ >>10
ただしいにほんごもつかえないのは
チョンのもはんやなw
ばかそうだしひらがなでかいてあげたよ >>83
ぶっちゃけ、そのあと全国の大名が藩を明治政府に返却しているので
フォロワーが出てくる程度には当時として珍しくない行為だったとも言える 心情的には味方になって倒幕側と戦ってくれている人間のことを考えたら余力を残しての降伏なんてあり得ないんだけど、欧米の脅威が迫っている時世でいつまでも内乱をしている場合じゃなと考えたら大政奉還もやむ無しってところだろ。
慶喜が大政奉還をしなかったifがどうなるかなんて誰もわからないから正解はないけど、是々非々で評価するのが妥当なのかね。 ぶっちゃけ慶喜に選択肢なんて無かっただろな。
もはや誰の目にも徳川の時代は終わりなのは明白。
これまでの様に国内の問題だけならいいが欧米列強の脅威を考えれば
ああするしか無かったんだろ。
慶喜個人の思いとしてはこの難局に政権なんて背負いたくなかっただろ。
彼が偉人だったかどうかは分からんが暗愚ではなかったのは間違いない。 >>11
チャイナ思想は戦って敵を滅ぼし新皇帝に成り代わる
徳川家は朝敵になるなら家を潰してでも天皇を守る 幕府は朱子学を奨励してたから天皇家に逆らえなかったが正解 >>85
■通州事件…盧溝橋事件発生から3週間後の1937年7月29日、
北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■
『通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)−日本人皆殺しの地獄絵−』
★「通州事件 目撃者の証言」 (自由社ブックレット5) より 藤岡 信勝 (著) 自由社; 初版 (2016/8/7)
http://blog.livedoor.jp/ahocyoncyonaho/archives/1063869799.html
夫を生きたまま腹を切り裂き…「これはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろ」
…そうして、その妻である妊婦の腹を切り裂き胎児を取り出す
それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。頭の皮を剥いでしまったら、
今度は目玉を抉り取るのです。このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、
この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。
目玉を抉り取ると今度は男の人の服を全部剥ぎ取りお腹が上になるように倒しました。
そして又学生が青竜刀でこの日本の男の人のお腹を切り裂いたのです。縦と横とにお腹を切り裂くと、
そのお腹の中から腸を引き出したのです。ずるずると腸が出てまいりますと、その腸をどんどん引っ張るのです。
人間の腸があんなに長いものとは知りませんでした。十メートル近くあったかと思いますが、学生が何か喚いて
おりましたが、もう私の耳には入りません。そうしているうちに何かワーッという声が聞こえました。
ハッと目をあげてみると、青竜刀を持った学生がその日本の男の人の腸を切ったのです。そしてそれだけではありません。
別の学生に引っ張らせた腸をいくつにもいくつにも切るのです。一尺づつぐらい切り刻んだ学生は細切れの腸を、
さっきからじっと見ていた妊婦のところに投げたのです。
このお腹に赤ちゃんがいるであろう妊婦は、その自分の主人の腸の一切れが頬にあたると「ヒーッ」と言って気を
失ったのです。その姿を見て兵隊や学生達は手を叩いて喜んでいます。残った腸の細切れを見物していた支那人の
方へ二つか三つ投げて来ました。そしてこれはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろと申しているのです。
1937年 通州事件(つうしゅう)中国冀東保安隊による日本人虐殺事件。被害者約200名
・婦人は24時間強姦されたあげく鼻や喉に針金をつけられ殺害現場まで引き擦られる。
・旭軒では17〜40歳の女性はことごとく強姦され
陰部を銃剣で刺さたもの、口中に土砂を填めてあるもの、
腹部を縦に断ち割つて等にて惨殺。
・錦水楼では女性達は手足を縄で結ばれ強姦され、斬首。
・男は目玉をくりぬかれ、上半身は蜂の巣の様
・子供は手の指を揃へて切断され惨殺
・南城門では腹部の骨が露出し、内臓が散乱
・首を縄で縛り両手を併せて針金通し一家六名数珠繋ぎにして引廻し惨殺。 >日本では負の評価が多い慶喜ですが、
どこの日本だ? >>103
あと水戸学ね
なにせ、徳川慶喜は水戸徳川家だし
つまり、江戸幕府を滅ぼしたのは水戸黄門 >>2
堯舜禹だけだろ、美しく禅譲したのは。
その後の世代は全部禅譲という名の脅迫強奪、
日本と中国で同じ言葉でも意味合いが違うっての多いみたいだけど
今の中国だと禅譲ってのは美しい言葉ではなくて
脅迫して地位を強奪すること、なんだろうな。
企業のトップ交代劇とか、買収とか、団体会長の交代とか、政権交代とか。 実は大政奉還した後も新政府の中枢に
入り込んでとかの野心は在ったらしい
ただし無理筋だと分かると、確かに
潔く身を引いた
勿論、国家全体を考えてって思考も
在っただろうが、ジタバタしても返って
我が身が危ういって計算も含めてだろう
ここいら辺は権力から身を引いたら、何
されるか分かったもんじゃ無い中国と
一度引いたら潔くを好む日本人との文化
の違いが見えて面白い >>104
一般人が入手できる状況証拠だけでもバイデンは不正選挙真っ黒なのに、バイデン大統領はありえないわ。
まあ、本当にトランプが負けてバイデンが大統領になったら、その時は民主主義の正義が終わる時で、人類にとっては大きな歴史の転換期にはなるだろうな。 未来人が乗り移って死亡フラグを回避し続けたとしか思えない男
列強に国を切り売りしつつ泥沼の内戦をせずに済んだのはひとえに慶喜のお陰だわ >>110
アメリカは中国に負けるシナリオなんだろうな
グローバリストは中国に軍配を上げた >>109
将軍争いの時も揉めるぐらいなら最初から引くぜの人だからな
状況分析能力が高いけど、それをひっくり返そうとする気概は無いって感じかな 日本人で初めて自動車で「独り相撲」で事故った人だっけ? >>114
イデオロギーなんて関係なくて、賄賂と恫喝に屈しただけだと思うけどね。まあ、米のマジもんのポリコレは日本のパヨと同じで、本気で中国を理想の国家だと信じ込んでいるらしいが、そんなのは米国内でも少数だろうし。 大政奉還した後も新政府で徳川幕府が実験握る予定だったんだよな。 >>111
まあ間違いなく変わり者だろうな
普通の人だったら例え自分自身が内心どう思ってようが、沢山の部下とその家族、
何より徳川の歴史を背負った身で大政奉還なんかとてもできんだろう
それこそ場に流されて、江戸城を枕に討ち死にだー!とか言う方が簡単だ >>3
大河にもなってるほどだし見直されてるからそうでもないよな
単に記者の主観だろ >>1
慶喜さん好きだけどなぁ
ちなみに実家には隠遁時代の慶喜さんが撮ってくれた曽祖父の写真があるw 明治になって旧幕府側だった人材も積極的に活用した政府も立派だった >>122
このスレの中だけでもヘタれだの優柔不断だのけなされまくってるんだが >>118
薩長にはイギリスがついてる
幕府にはフランスがついてる
英仏の代理戦争となる
幕府は勝てない 権力を平和的に移譲した明治維新を成し遂げた日本だからこそ、アジア解放という偉業が可能になったと言えようw >>104
読んだ後に「沼の住人」にプレゼントさせようと言う意味?
彼らは日本人差別のレイシスト多いから無理じゃない? >>120
孝明帝が暗殺されなきゃそうなってた
会津の容保公と慶喜公はまさか尊王攘夷サイドだった人間が暗殺するとは思わなかったのが敗因だ >>109
基本、徳川の統治はそんなにひどいものじゃなかったってことなんだろうな
潔いのが好きとか言ったって、代々圧制して民衆から恨まれてたらとても許されはせんかっただろう
ヨーロッパの貴族なんかも虐殺されまくったし >>89
中国共産党のトップの条件は日本からの国賓招待だったとは知らなかった >>121
そういえば、昔いた会社で従業員の互助会の会長をやっていた時に、俺が「会社も大きくなったし、会社で休日に従業員集めてイベントをする時代でもないから、互助会は止めよう」って提案あいたけど、他の役員から「自分が役員の時に終わらすのは嫌だ」と反対されてズルズル続けたのを思い出したわ。
何かを終わらすには、始めるより大変かもな。 >>51
けっこう優しめの禅譲だったような、献帝も余生を全うしてるし
まぁ曹操が献帝まつりあげそうなのを完全に排除してたんであえて弑逆する必要もなかったんだろうけど >>131
郷土史で、藩領より天領のほうが暮らしやすかった、って話は見かけた気がする >>1
マッカーサーも昭和天皇が自らの命を引き換えに国民を救ってくれとかこんな皇帝はいままでおなかっただろ…って回顧しとったからな >>121
大政奉還した後の新政府も徳川幕府が実権を握る予定だったんだけどな。 >>132
64天安門以降は天皇陛下にあって承認されるのが中共国共産党トップになる実質的条件ですよ >>89
序列3位のきんぺいがトップになれたのは天皇陛下に謁見したから 江戸幕府が終焉し
明治政府が出来てから150年くらいか
イギリスをモデルの中心とした日本の
議会制民主主義も制度疲労の限界がきてるな
何代目世襲のお殿様のような貴族議員ばかり
金の流れも汚れ切っている 自浄意識もなく国民には増税増税
そろそろ日本独自の制度をつくるべき時がきてると思うが
それはどういったものだろうか トランプの制裁に屈して報復にコロナテロのシナ猿ごときが考えても意味ないだろ >>131
日本は藩による連邦国家だからな
藩を競わせることで公正明大な統治をしていた
悪政をすれば改易させられた >>136
泣けるのはマッカーサーに涙目ですがって食料を分けてくれないと死んでしまうと言った国民の数の中に台湾と半島の人間の分も入ってた事なんだよねぁ
きっと後2世紀くらい経てば聖帝として世界的に崇められると思う 明治維新はまあ良いとしてその後の歩みを見ると
明治政府そのものは失敗だった
慶喜と西郷を排除したのが大きなま違いだった >>13
されてないよ
日本の義務教育を受けていない記者の思い込み >>1
慶喜の評価が低いのか?
というか、それより、親の斉昭が凄まじく偉大だったのかと。
ああいう育て方されてなければ、権力手放す選択なんか出来なかったろうな。 >>144
ところが日本が要求した食料が実際には多すぎてあまった事があとでわかって、マッカーサーに「日本人は統計に弱いのか」って言われた吉田が「統計に強かったらもともとお前らと戦争なんかしないよ」って言い返した機転しこ >>141
バイデンが大統領になったら、日本も選択の余地なく選挙制度は形骸化してマスコミとネットの言論の自由は無くなり、権力も固定化されてくよ。
どんな体制が良いかなんて考えて選択する猶予なんてとっくの昔に失われてた。 >>135
金銀は出るわ米は大量にとれるわで潤っていたからね >>81
たしかに野田は勇退っぽかったな
その後女々しいけど >>75
刑務所にぶちこまれて、
何もかも失い、庶民に落とされていっしょうわを終えたが。 >>141
旧国レベルでの連合政府も、中央政府との権限調整次第ではありかもしれん。
まあ山城丹波若狭は一国でいいし、摂津河内和泉はまとめて一つでいいだろうが。 >>150
1980年代からサヨクによる情報独占である意味外国による支配続いてたね >>137
「1868年、もし慶喜が新政府軍との決戦を決めていたならば、」って言ってるんだから、戊辰戦争を言ってるんだろう >>157
最後の錦の御旗伝説だわさ
慶喜公は水戸学にドップリだったんで玉を相手に取られた時点で負け確定 中国人は自分たちの歴史をもっと直視したほうがいいよ。文革とか。 >>156
その質問は中共人的には命の選択だわさw
察してやれよ ヨーロッパが植民地支配する定石の、「武器を与え、内乱を起こし、救済名目で侵略する」
手法使えなかったもんなw
、
無血開城するとはヨーロッパも予想外だっただろ >>155
そもそもWWUの日米開戦自体が、共産勢力の目論見だったとしか 慶喜は大政奉還後も自分を担ぎ出すような奴を排除するために浪費家のバカ殿を演じていたからな >>162
命の選択
命の洗濯
何故にこうも違うのか? >>165
日本はアメリカと戦わせられたと解するのが正解
日本はアメリカに負けたのではなく、共産勢力に負けた 中国の日本史研究者が、慶喜の評価が日本で低いと認識してるってことは、中国とつるんでいる日本人学者は慶喜を低く評価してるってことだよな。
イデオロギー的にはアカのくせに、吉田松陰はテロリストだと言ったり、軍事政権を解体させた慶喜の評価が低くかったり、不思議な歴史観だな。 >>160
司馬遼太郎によると、それまで準譜代とされてきて、砲兵陣地を任されていた津の藤堂藩が、錦の御旗が上がった瞬間、掌返して幕軍に砲撃を加え始めたとか。
さすが藤堂高虎の子孫と、当時でも大評判ww >>41
でも国体じゃ若いもんに通じんよ。
せっかく共産党さんが便利な言葉を作ってくれたのだから
素直に使えばいい。
なにしろ「天皇には、そういう効能があったのか」と
人々に気づかせる効果があったんだから、
共産党の意図とはまるで逆にね。
>>2
劉禅ってどうなんだろ
三国志ファンから嫌われているけど
おれがその時代の徴兵死にする庶民なら平和来たと思うが >>163
両者とも公武合体派、
家茂は脚気と言われてるがノリノリで長州征伐ために入った大阪城で急死、死亡原因がヒ素毒っぽい症状
孝明帝は天然痘と言われてるが死亡原因がヒ素毒っぽい症状 >>16
水戸藩の子孫で水戸学修めているんだから
反天皇なんかできっこないす >>18
(=゚ω゚=)ノ でもそれはどうかな。王政復古の大号令で、明治政府の出だしには太政官を始め平安時代の官職が。
まあでもすぐに駆逐されたけどねぇ。 >100年以上が過ぎても、政治家というのは、死ぬまで権力を手放さない(最終的には、暴君や国賊に成り下がってしまうことが多い)。
キンペーの事かな? 慶喜は家康公の生まれ変わりのようだという評価が当時あったらしいが
将軍就任後、慶喜はそれが家康公の意向であるに違いないと確信して
幕府やめちゃったんだろうなきっと でもこの人庶民感覚とかけ離れてむちゃくちゃ金遣い荒かったらしいぜ
新政府から資金は援助されてたけど >>165
それは正しいとソ連崩壊後に証明された史実
日本の教科書に載せるべき >>181
大蔵省の響きは良かった
財務省はなんか味気ない 孝明天皇が死んで(死因は不明)やる気がなくなっただけだろ >>172
吉田松陰や武市半平太の言動は今から見れば過激派指導者以外の何物でもないし、実際に幕末から明治初期にかけては日本史上まれに見る様なテロリズムの時代だからな。 >>181
ヽ(゚∀゚)ノ 破壊するのは戦艦!駆逐するのは駆逐艦!
…巡洋艦は何をすればいいのだ 廃藩置県がスムーズに進んだのも
統領である慶喜が引退したことも関係してるだろうな
昭和天皇も戦後、人間宣言などせず
多くの国民の犠牲を生み出した大本営の中心部にいたわけで
責任はあり、退位はムリでも蟄居はすべきだった
責任取らなかったせいで
戦時中の利権屋、悪人
岸伸介などがワラワラと戦後政治の利権に群がっていった 箱根を閉じて陸軍を三島に足止めしながら幕府艦隊で薩長本国攻めるって勝だか小栗だかが計画してて
あとで聞いた西郷が震え上がったって話があったな
戦術的には勝つ可能性大だったんだろう
無意味なだけで >>165
ゾルゲとか尾崎秀実とかを知らない日本人が多すぎるよな。
朝日なんて尾崎を平和主義者だとかデマを流してる始末だし。 日本は天皇がいるから
戊辰戦争では幕府軍は賊軍で朝敵扱い >>131
歴史的な考え方が一つ有って、実は我々が
考える民草は奴隷的な君主制は、結構新しい
時代に出てきたって説 具体的には通貨制が
民にまで行き渡り、それ迄の殆ど物々交換から
市場ってモノが確立されてから、国の君主は
横暴に成ったって考え方
何故かと言うと農耕社会では、所詮は生産側
が強いのよ もう作らないと言われたら国が
成り立たないから しかし金(貨)通貨制だと
国の機関でも財を独占出来る規模に縮小出来る
広大な農地を耕すには、結局多くの民が必要
だが、金(貨)ならほんの一部の技術者を囲
い、後は偽物だ偽造だと取り締まれば良い
こうして君主は国の富を独占して、次第に
民草に無理筋を要求し出した
日本は色々と先進的な部分も在ったが、江戸時
台が終わるまで、正解には明治に成ってもなお
しばらくは都市部でも普通に物々交換が行われ
ていた農耕社会だったのよ
丁度、今の国際的なカード社会に遅れている様
な感じだった そもそも新政府軍による引導を受け入れだの勝だったし >>183
(=゚ω゚=)ノ 18代当主の徳川恒孝氏が時々テレビに出てたけど、こっちの方が家康の肖像画そっくり。 歴史の評価は必ず二面がある。
どっちが正解かは誰もわからない。
そこは、その人の人生観によって分かれる。 >>183
慶喜が幕府に関わって以降
幕府官僚のヘタレ具合に繰り返し苦しめられてたから
やる気なくなるのもわかる >>16
元々天皇親政の水戸思想だからじゃん。
孝明天皇と公武合体を進めていた。
公武合体派の孝明天皇が急死して、
14歳の明治天皇が突然討幕を打ち出した形で
不自然であれ錦の御旗が討幕になった以上
抵抗なんてするわけがない。 勝てば官軍負ければ賊軍
勝てば皇軍に成れるのが日本 >>197
たぶん見た目容姿の評価ではなかったと思うよ
慶喜の英明さを伝える時に当時、幕府内や各藩首脳の間で言われていた話 >>197
(=゚ω゚)ノ ウリは若いときの写真を見ると母ちゃん似。
年取ってくると父ちゃん似になってしまった…親戚ババのお見舞いに行ったら一発でバレた
ご先祖さんはどうなんかな >>193
騙されて反英米路線をとった近衛文麿も悪いんだがなぁ
尾崎が平和主義者とは冗談でも笑えない >>16
企業最高執行者として観れば
単に自社の社員に高給払い続けるのが嫌になって自主廃業しただけかなとおもうw
朝日新聞社の社長みたいなもんだ >>191
(=゚ω゚=)ノ 県を統合していく過程で、一時的ですけど
鳥取県は島根県だったことがあるんですよ。
・・・いまだに根に持ってる年寄りがいる。 >>158
呪縛も何も今は薩長政府による東京時代が150年続いてるからね
明治、平成は時代ではなく元号だし こんな事書いてこの人習近平に怒られるんじゃないの?
大丈夫か >>207
(=゚ω゚)ノ ああ、あなたがいればつらくはないわこの東京〜♪ 山岡荘八好きだから慶喜も好き
中国でも山岡荘八ってよく読まれてるんじゃないのか トランプも見習えよ
いまだに大統領の権威に縋り付いて見苦しいことこの上ない 元々天皇崇拝者の徳川慶喜が自ら天皇に政治を明け渡して
徳川家が明治新政府に加わると思っていたら
完全排除されていた。
幕府側は、そんな馬鹿なという話になった。
そもそも明治天皇は14歳だし。
父孝明天皇の公武合体推進とは正反対の事やってるし。
不可解で謎が多すぎる。
明治新政府から排除されていることを知り
驚き怒った旧江戸幕府の一部が
明治新政府に対して兵隊をだしたものの
新政府の明治天皇が追討を命じ
これが錦の御旗となり江戸幕府の正統性は
すでに失われていた。
天皇崇拝者の徳川慶喜が抵抗しないのは
馬鹿でもわかる。
言いたくないが詐欺みたいな話。 >>191
昭和帝は責任をとったぞ?
取ってないと考える根拠は?
昭和帝は首を刎ねられるのも自害するのも蟄居するのも許されなかったのがわからないとは笑止千万w >>208
軍師連盟 司馬懿って中国歴史ドラマがあるんだけど
解釈によっては中共批判に見えるドラマなんよね
当たり前だが民は中共を煙たく思ってるんだろう まー薩長が維新やって最初のうちは大久保伊藤山縣なんかの薩長の有力者が権力を独占してたが
民権運動で専制が崩れていったわけだねw 太平洋戦争の時には薩長の権力者なんてほとんどいなかったわけで
これも日本の自由民権運動の成果であるねw >>193
ゾルゲとかアドルフに告ぐ 読んで初めて知ったわ その後映画にもなったね 朝日の数ある汚点 >>212
トランプの場合は選挙戦では勝ってるからねぇ
今は情報戦で負けているけれど、どうなる事か?
むしろ選挙で負けた梅田譲一味が諦めれば良いだけ >>209
(=゚ω゚=)ノ 前川清の娘さんがカバーしてますよ。
渋いロックバラードに仕上がってます。
https://youtu.be/QIyJhTFYAns 当時も今も「禅譲」とは「位を世襲せず」に他系に譲ること、またわ
現役天子が自分の皇位を同系含めて他に譲ることだ。これを混交して
書き込むと読む人の理解が微妙にズレてくる。 慶喜公か。
英邁な君主評もあるが、あっさりと幕府統治をあきらめ
その結果、ハシゴをはずされた左幕派諸藩(奥羽列藩同盟)は
悲惨な目にあった。会津なんて涙なしには語れない。
明治期、幕臣とは一切かかわりを持たなかったという。
尾張の殿様の家臣への授産運動(北海道移民家臣の内職:クマの木彫り像の考案など)
の推進とはえらく違う。 >>191
廃藩置県じゃなくて版籍奉還でしょ?
幕末はどこの藩も借金だらけだから、殿様も自分だけが生きていけりゃ煩い藩なんかいらないわってことで反対しなかったのが本当のところだね 徳川の埋蔵金で国連作ってやったんだし
慶喜はノーベル平和賞でも貰えばよかったな >>211
(=゚ω゚=)ノ 山岡荘八『徳川家康』
朴槿恵前大統領が刑務所の独房に持ち込んで読んでるそうですよ。 >>221
会津は西南戦争の時にしっかり復讐してるし。
だからこそ福島県と鹿児島県は手打ちしてる。
対して福島県は今でも山口県とは不倶戴天らしいな。 >>227
慶喜は消極的な手段で幕府終わらせたが
昭和天皇は積極的に戦争を終わらせた
もともと主戦派ではなかったし >>205
徳川のご子孫の方がテレビで言ってたよ、財政難で政権移譲したって
地方の武士も質屋に金借りたり困窮状態で限界なのは皆が感じてたんだろうね おまエラ、劉備の息子劉禅を阿斗とか逝って馬鹿にしてない? 慶喜が明治新政府に政治を禅譲した後に、
戦争したって、まともな戦争になるわけがない。
禅譲する前なら、話は変わっていただろうけど。
将軍様をだますなんてゆるせねーって
将軍シンパの配下の者が言っても
将軍である慶喜は明治天皇にだまされてませんってスタンスを
貫いた方が良いに決まってるじゃん。 >>228
(=゚ω゚=)ノ そういえば赤穂と上野も手打ちやってたな。 >>230
家康が経済ガン無視の体制作ったからなぁ
いつかはこうなってたんだろう 内戦続けたら海外の植民地になってたのは間違いない。 キンペーを揶揄してるだろこれw
慶喜は明治になってから爵位も勲章ももらっているから朝敵の汚名は返上している
一方支那で政権交代が起きたら下野したトップには残虐な処刑が待ってるだろう >>233
足利尊氏ってやつがいてだな
また輪王寺宮というシステムがあって幕府に勝ち筋はあったんよ
むしろ長州藩は一貫して天皇の意向なんて無視して誘拐未遂を何度もしてる
だから孝明天皇の件も疑われている >中国の著者によって書かれた日本史の本
明らかに習近平批判の本だな
独裁国家のインテリは、こうやって直接言わずに時の権力者を批判するのがお約束 >>4
るろうに剣心で四乃森蒼紫がクソミソに批判した後、
「分かってる、あれは内戦を長引かせない為の高度な政治的判断だろう」
とフォローしていたような記憶がある >>230
貴族階級や統治者側が困窮する、というのはむしろ政治が真っ当だった証拠だな
それこそ中国人からしたらありえないだろう 幕府にはフランスがついて、薩長にはイギリスがついてたからねえ。
イギリスのアーネスト・サトウは、西郷に対してイギリスが討幕の軍事支援しようか?って話を持ちかけたそうだが
西郷はのらなかったとか。ここで幕府倒幕側、どっちかが外国勢力を内戦に引き入れてたら、ただでは済まなかったろうねえw 慶喜公の父はバリバリの尊皇派の斉昭、母は皇族の有栖川宮吉子女王。天皇家に逆らえる訳がない。
もし戦っていれば日本は植民地だった。 ぶっちゃけ趣味のカメラで遊びたいから政権とかめんどくさくなったのが真相 >>235
あの当時の軍事・政略優先の時代に、貨幣経済見越した才を求める方が無理 >>127
どっちに転んでも血は多く流れて
明治維新の奇跡的なスタートは無理だったろうな
会津若松みたいな場所が全国各所にある状態とかちょっとな
戦禍に晒されるってのはそう言う事
西南戦争は民間への被害の話はほとんど聞かないのはまた不思議 >>234
(=゚ω゚)ノ 播州赤穂に行った。「一番信用されるのは砂金と塩だ」というマッコイじいさん流。 チンギスハーンは敗北を悟った敵将が部下を見捨て
馬ごと谷を飛び越え河に飛び込み、逃げていくのを見て
「男児とはかくあるべきだ。息子たちにも見習わせたい」と言ったよ
どんなに苦しくても諦めず。最後まで岩にしがみついも生き延びて、
再起を図る
これも男の生き方と思うが フランス「後ろについてやる戦争しろ」
幕府「いやや」
イギリス「後ろについてやる戦争しろ」
薩長「いやや」
植民地にされるの丸見えよ 慶喜の禅譲は自国民から受け入れられてるが、
ゴルバチョフみたいに国が崩壊して分裂してしまうようなやり方は海外からは評価が高いけど、自国民からは支持得られてない
ロシア人からしたらゴルバチョフって鳩山みたいな扱いだぞ
敵国側からはやたら評価が高いという NHKで鳥羽伏見のドキュメンタリーを見たが、幕臣が気の毒すぎる
徹底抗戦を煽る演説をしたあとに、大坂城から逃亡 残された家臣は茫然 >>250
でも、ほとんどのアジアの国はそれができなかったんだよな >>248
あれ?
そのセリフは片目、片腕のカメラマンと
額に傷のあるバンコランのセリフだぞ。 >>246
つか今も資本主義の競争の行き着く先は戦争だけど
信長秀吉の路線では際限のない拡張戦争を繰り返すしかなかったろう >>243
それ、慶喜の方にもあったなぁ。フランスの援助を断ったという。 >>251
鳩山がロシアやアメリカから評価が高かったか?
まあ韓国や中国からは高かったわな。バカにされての高評価だけど。 >>256
今、世界で一番膨張政策とってるのは中国だろ >>249
男の生き様は一つじゃないってことでしょ >>243
会津藩と庄内藩は北海道の割譲と引き換えにプロイセンに軍事援助を要請したからな
ビスマルクが断ってくれて助かった >>257
まー慶喜があくまで権力に拘るなら、フランスの力を借りて倒幕軍をやっつけるという手もあったろうが、それはやはり禁じ手だよねw >>254
日本は東の端っこにあったので
中国がフルボッコにされたのみて態度急変させた
中国やられる前は佐幕派も討幕派も攘夷が主流
そりゃそうで
その頃、アジアでは中国が超絶超大国だもん >>261
そんな話があったの?しかし会津と庄内に北海道を譲渡する権利なんかないだろうw >>216
薩長勢力ってのは西側との海洋貿易で儲けた親米英の海洋勢力なわけだから、
鬼畜米英やアメリカに向かっていくなんてのはありえない、本来なら。
クーデターで入り込んだ勢力が米英に開戦する無謀な太平洋戦争をやってしまった。 大政奉還は どうせ運営できない 天皇側が 泣きついてくるだろうと思って やったんじゃないのか >>266
奥羽は皇位継承権のある輪王寺宮を担いで実質独立国家だったんよ >>262
国家の匙加減で財産を召し上げることができる資本主義なんてないわー
今の中国は共産主義を目指していた国家社会主義だわ >>263
禁じ手ではあるが、逆に当時のヨーロッパからしたら鉄板戦術
先進的な武器を貸してあげるよ? とか言われて断るのは難しい
つーか現代でも通用しまくってる手法だしな
その辺の罠にハマった国は、その後何百年も内戦を続ける羽目になる >>266
会津の領地があったからでしょ?
国賊のように見られるけど、理不尽な理由で会津の名誉を奪うならどんな手を使っても抵抗するまでだって思ったんだろうね。
薩長はやり過ぎなんだよ 中国が負ける前
日本「外国人みたらボッコにしとけwww」
中国が負けた
日本「外国人に手絶対だすな!!!!」 >>270
それは資本主義の定義による
気に入らなければ市場原理主義と言い換えても良い
中国経済には環境も人権もない19世紀のような乱暴な自由がある
もちろん政治に自由はない >>11
明治維新が失敗してれば
お前もペクチョンのままでいられたのにな 戦いのあと引きこもってると言う意味では
江戸時代も今も同じなんだよな
幕末はまだまともな政治家がいたが今はどうだ
次の黒船は中国人が乗った赤い船の可能性もあるんだぞ >>267
まー、明治の指導者は日本の国力が大国に比べて遥かに劣ってると思ってたから、戦争は避けたかったわけだが
日清戦争と日露戦争に勝って、アジア解放のために英米と激突せざる得ない運命のレールが敷かれてしまったねw >>263
薩長のバックが米英で、幕府のバックがフランスで戦争したら死ぬのは日本人だからね
その状況で財政難じゃどうにもならないって思うのは当然だと思う
まして清やインドがどうなってるか考えたら、国内の戦争をする気にはなれないね 皆さんも熟知されているから再掲みたいになるが:
明治政府の立場から言えば、慶喜公は武闘派ではなくあっさり政権を朝廷に返却したことは
評価できるが、東北の戦闘を回避して欲しかったのが本音だろう。
その点、尾張藩17代当主慶勝公の活動=東海道・中仙道の諸藩への恭順勧告活動は評価できる。
官軍がこの地域でほとんど戦闘がなかったのはこのおかげ。教科書には載っていない歴史だ。
このお殿様は少し前の長州征討の大将だったがワザとやる気を出さず、グダグダしていたが、
これも徳川幕府崩壊の大きな要因だっただろうな。
あと、高須四兄弟。この慶勝公と会津の松平容保公は実の兄弟。高須藩の生まれだ。
これも教科書に載っていないが、幕末史の知られざる重要史実だ。 >>277
外国人裁判官制を導入しようとした薩長な >>8
>幕府が本気で戦ってたら、勝ってたのは間違>いない
戊辰戦争で薩長軍にボコられまくってたじゃん
薩英戦争や四国艦隊事件で外国とも一戦交えた薩長軍と二百年以上のんべんだらりと過ごしてきた幕府軍とでは勝負にならんよ。 >>281
それから幕府軍もめっちゃ近代化してるから
同党にはなってたんじゃね >>271
改めて思う。
当時の皆がそれぞれ賢明で良かったなあ。 >>252
(=゚ω゚)ノ まあ、決戦地を京都なんぞにしてしまったのが不幸だわな。
あそこは刑務所、燃やしてナンボ、地下鉄がー!。
未だに本籍地が京都なウリ… まあ名声は勝海舟に集中してしまっているから 過小評価の帰来は確かにある >>286
小栗じゃなくて勝に任せたのは慶喜だしな >>272
榎本武揚にはフランスからの借款で北海道の炭鉱開発して、蝦夷地に幕臣共和国をつくる計画があったとか 佐幕派・討幕派
幹部「中国負けたやん、列強やっべえ・・・戦争してる場合じゃねぇ・・・」
下層兵「攘夷じゃあああああああああああああああああ、戦争じゃあああああ」 安倍晋三の華麗なる引き際
仮病で戦わずして引退の潔さ >>269
奥羽列藩同盟か。北海道も独立国にしようという構想があったよねw
幕臣の榎本武揚が新選組ひきつれて五稜郭に立てこもったんだよねw
>>271
エチオピアも日露戦争のまえに有色人種国家としてイタリアに勝った!と
いわれるが、それもフランスからの莫大な軍事援助があったからというねw
>>272
蝦夷に会津の領地があったの?それも知らんかったねw ま〜もし北海道が
独立しちゃえば、その話もチャラだねw >>258
馬鹿にしながら高評価とか一般メディアがそんな複雑なことやると思うか?
アメリカのメディアのバイデンや、日本のパヨクメディアみたいに一方的な称賛だよ >>290
政権交代してないよ
中国共産党がいつ下野したんだ >>281
薩英戦争じゃ鹿児島の市街焼かれてるし、四国艦隊事件じゃ侍が先頭切って逃げ出してるし。
新潟じゃ10万石かそこらの藩に官軍ボコられまくり。
函館でも土方歳三に二股口でボコられる。
幕軍に統一した司令官がいたら流れが変わったかもしれん。
全ては「If」の世界だが。 >>52
その後の徳川って公爵になってるんだけどな。
長州の政治家より位高いで。 >>248
(=゚ω゚=)ノ 吉良のじいさんが嫌がらせしていた理由も
赤穂の塩の利権絡みだったはずが ※諸説あり
歌舞伎や浄瑠璃では浅野の奥さんに横恋慕に書き換えられ・・・ >>297
徳川家は皇室とめっちゃゆかりが深いから
変な扱いできない >>296
長岡城は一旦奪還したけどすぐ取り返されてるでしょ?
奥羽越列藩同盟は藩同士のまとまりがない、戦闘員の人数が少ない、海軍がない、長岡藩庄内藩を除く藩は最新兵器を持っていないで負けたんだ。 赤穂浪士といえば、討ち入りのときに山鹿流の陣太鼓を鳴らしたという
伝説があるが、あれも実在はしない創作された伝説という話であるねw (=゚ω゚)ノ そいや近代、軍隊=輸送。ってのが定番な鉄道。
北海道ではアメリカ式、本州はイギリス式、九州はドイツ式。
…おまいら日本国有鉄道JNRにしる! 日本のためというより自己保身のための引退だろ
戊辰戦争での敵前逃亡もひどいが天狗党の始末も相当ひどい >>298
それも後の創作。
吉良の領地には海がないから塩利権は発生しない。
実際には二度目だったから任せといたらあり得ないミスを連発したんで注意したら根に持たれて切りつけられただけの話。
嫌がらせとされる畳のエピソードも着る服のエピソードも二度目だったから知ってないといけないレベルの話でしかないの。 ネトウヨは馬鹿だから知らないだろうけど
軍事評論家の大石英司先生は
近いうちに香港は必ず陥落して
中国のものに完全になると言っている >>299
長州の連中も自分達が将軍になれると思ってたんで慶喜に完全にしてやられた感じ。 赤穂浪士の討ち入りというのも、当時の社会に大きな衝撃を与えたから
いろいろな伝説が生まれたわけであるねw >>302
結局日本はドイツ式のスモールエンジンになったけどな。 >>307
浅野がキレた理由が不明過ぎて妄想の働く余地が残っただけとも。
今では近親婚が原因で脳に障害があって癇癪が激しくなった可能性が指摘されてるけど。 >>289
フランス人のラストサムライが居たのは有名だね
フランスとしたら幕府側支援して北海道が狙いだったかもしれないし >>304
浅野内匠頭の母方の叔父もも増上寺で他の大名を切り殺してるしな
そういう血筋なんじゃなかろうか >>303
単なる自己保身だけなら他の殿様も一緒に連れていかないんだけどね >>305
そいつの言う通りなら、去年日本はマッハ3巡航の戦闘機を完成させてるでwww >>16
「大政奉還」という発想自体が慶喜より前からあったというのも大きいだろうな
天下の政治を天皇に返還して、徳川家は旧来の領地である駿河をもらえればいいというくらいのものではあったが >>232
劉禅はバカにしてませんが、呂蒙は呉下の阿蒙ってバカにしてました、サーセン >>13
相対的評価じゃね?
他の幕末志士等と比べたら一段落ちるよ >>51
「禅譲」+「させる」までがセットだからな。 徳川慶喜は豚一様と言われたくらいの豚肉好きだが、こんな話がある。
薩摩藩家老の小松帯刀は、幕末の1864(元治元)年、薩摩にいた大久保利通に対してこんな書簡を出している。
「慶喜殿からたびたび豚肉を望まれるので、持ち合わせを差し上げてきましたが、何度もねだられて、結局すべて差し上げてしまいました。
にもかかわらず、またも豚肉がほしいと使いの方をよこされました。しかしもう手持ちはないので、差し上げられず、断るほかありません。
聞き分けがないというのは困ったものです」 入れ替わったら一族郎党全滅させられる地域ではこうはならん。 >>15
だよねぇ
こんなん書いて大丈夫なんかな
そもそも中国は内紛が必ず起こる風土だけど
退くなんて無理じゃないか >>314
それがな,政権を天皇に帰すとはいっても天皇親政とは誰も思っていなかったんだよな。
要は徳川から権力を奪いたい,徳川よりもマシな自分たちに政治を任せろという考えな。
今の野党がいつも言っていることな。
民意なんか関係ない,権威でもって権力を譲れってやつ。 >>319
平安時代の蝦夷とか戦国大名とかも恭順すれば許されるという文化だったからな
朝鮮半島だと百済も高麗も王族は族滅させられてしまった >>251
文大統領がねらー人気ぱねえ、のと
同じかんじかな >>320
反習近平連中の断末魔。
だが,習近平一派が直ぐに分裂し始めるのは必定。 >>321
むしろやれるものならやってみろってとこだったと思う。
でもまさか王政復古の大号令で自分の領地も官位も召しあげられるとは想像してなかっただろうね。
でも頭がよくて割りきりも早い人だから、最後は徳川慶喜家だけが残ればいいだろみたいな考え方だったと思う >>2
真の禅譲は神話の時代にしかない。
あとは全部禅譲とは名ばかりの強制。簒奪。 >>127
欧米の狙いはあくまで内戦によって国力を削いで植民地にすることだったから、内実どちらの味方でもないよ 大政奉還
阿部 正弘
徳川 斉昭
これが幕府を滅ぼした
水野忠邦が
無理に改革すればよかった 外国勢力と手を組んで、戦争になって、気が付いたら、毛唐の植民地になっていたよりはいい。
それぐらいは考えただろうさ。
それに、外様どもが天皇を引っ張り出したしな。
日本の左翼みたいに、アメリカのジャパンウィークポリシー派を利用して、公職追放、我が世の春と得た連中とは違うのだろうな。 支那の王朝交代なら旧幕臣は一人残らず皆殺しにされるか要職から追放され、
榎本や渋沢のような有能な人物が活躍することなく維新は失敗しただろう。 >>330
徳川斉昭については賛成します。
しかしアベは自分等老中の器量では、この大事を解決できないと判断して多くの人々に意見を求めた点は評価出来るけどね。
水野忠邦、お前庄内の人々に恨まれてんぞ! >>336
水野はガイキチの遺伝子が組み込まれてるからしょうがない そもそも、新政府側に処刑された幕府側の人物って近藤勇くらいしか思い付かないな >>339
勝海舟のライバルと言われた小栗上野介
徹底抗戦を主張したが慶喜に却下された
最期は斬首 当時の人達は親しみを込めて「ケイキさん」って読んでたろ?
悪い評判なんて少数派だ。(´・ω・`) 武家の統治は宮廷あっての統治
個人的な話で国を歪めてはならない
こう言う理解がなければ武家の支配はなりたたんだろ
町人より貧しい下級武士は特に >>191
そんな自由が昭和天皇にあったなんて考えてるからお花畑って言われるんだよ 平成天皇の退位すら海外では驚かれてたね
ブラック好きなBBCはエリザベス女王にあなたはまだしないのか?って訊いてて笑った 海外にだいぶ後れをとってる事を知っていたらあっさり譲るのもわからんではない 水戸家の家訓「もし江戸と京の間に戦が起こることがあれば、迷うことなく京に味方せよ」
子供の頃から叩き込まれた教えに抗うことは出来なかったのだろう。 >>1
この人いつの知識で書いてるの?慶喜さんの日本での評価は低くないぞ
くさしたのは職を失った旧幕臣と貶めたい明治政府関係者
近年の評価は高い 逆に評価がダダ下がりなのが西郷隆盛
江戸を焼き尽くすと言い張ったり 国賊まがいの征韓論ぶち上げたり 最近では坂本龍馬暗殺の黒幕説まで出てる >>349
龍馬の暗殺は京都見廻組の仕業と近年は言われていますよ >>345
平城天皇なら引退後にいろいろごたごたあったけど、それ? >>350
近年ていつよ? とっくの昔に否定されてますがな >>349
西郷の征韓論を理解するには横山安武から始めなければならない
西郷は基本ネゴシエーターなんよ >>352
逆に西郷暗殺説はいつ出たんですか?知らなかったわ お前ら慶喜さんが豚肉をどう食ってたのか気にならね?
俺はすっごい気になる >>351
なにいってんの?
先代やないか
上皇さま >>357
豚一な
司馬遼太郎は鍋って書いてなかったかな 徳川慶喜が低評価?どう見ても英雄だろうに
まあちょっとわかりにくいか >>352
容保→手代木直右衛門→佐々木只三郎って聞いたんだが新説出たのは知らなかったわ
>>357
味噌漬けにして喰ったってのは知ってたけど… >>364
生姜焼もニンニク醤油漬けも旨いのにね。
教えてあげたかったわ >>311
浅野の家老の日記に皿を割った女中を【また】殺した、と有るからこの人はそう言う人なんだろうね。 >>356
TVでやってたんだけど すっごい説得力のある納得いく説だった
見ながら ほおぉと感心してしまった >>356
結構前から有るよ薩摩黒幕説。
坂本が新政府の首班に慶喜推してたから、どうしても徳川排除したい薩摩は面白く無かったって。 >>365
ケーキさんに豚肉食った記録残して欲しかったな 最終的に貴族院議長にまでなってるしな。
ところで、>>1は終身国家主席の習近平批判にしか見えないんだけど、大丈夫なのか? もし徳川慶喜が退いてなかったら、外国勢力に国を乗っ取られてたと思うわ。 >>72
これは世界史の定説
日本は明治維新で西洋文化を取り入れて初めて国力で朝鮮を上回って
ついでに近代兵器を手に入れたので10倍の国力を持つ朝鮮半島を
植民地にする事が出来た
現在のサムスンやK-POP、韓流ドラマや韓国映画にボコボコにされてる
現実を見れば直ぐに解る >>354
横山安武は知らなかったけど この人征韓論否定したのね この国難の時に何言うとんねん!って
西郷さんは職を失ったお侍さんたちが可哀そうだから朝鮮攻めさせてやろうぜ って言ったと学んだ >慶喜が個人的権力のために戦わず、勇敢に一線を退いたことは、国家の進歩に大きく貢献した。
ものすごい誤解がある気がするわ >>374
江戸末期に食べ始めた時の話でないならトンカツ食べたことはあるやろな >>375
その人は征台論は国難でもよかったのかね? >>378
鳥羽伏見については本人署名の討薩状は俺の発案じゃねえって言ってるらしいね。 ⎛´・ω・`⎞薩長が錦の御旗を出してきちゃったからなあ。
かの徳川家が朝敵として歴史に残ってしまうよりは >>341
その辺は人によるというか
幕府側で抗戦指揮していて、日露戦争で一軍指揮して大将になった人もいるしな >>375
西郷は横山の死に触発されて明治政府に復帰した
征韓論は西郷が言い出したことではなく西郷は抑える側
そして西郷は朝鮮に攻め込もうとしたのではなく交渉しに行こうとした
長州征伐も西郷が収めた、江戸無血開城も西郷のネゴシエート
岩倉大久保は西郷の朝鮮行きを阻止したが
すぐにコウカトウ事件を起こしている >>377
誰が取った証言?
会津は朝敵にされた上に負け組 だからその説は証言があったとしても疑問視されてる >>383
勝手に薩摩が作った偽物やけどな
逆によくそんなん作って戦場に出すなんてやったな
そこらへんから薩長と幕府では政治力が各段に違うわな >>388
一世一代の大博打だったな。文字通り勝てば官軍。 >>385
維新で死んでいった志士達に申し訳ないから死に場所探していた西郷は自分を朝鮮に殺させて大義名分を作ろうとしたんやないの? >>385
>江戸無血開城も西郷のネゴシエート
西郷は江戸を焼き尽くす!と息巻いてたのを勝海舟が説得してやめさせただけですがな >>391
トランプの外交を見てなにか感じることはないかね? 江戸が戦場になって街が焼けてしまっていたら、新政府の首都は大阪だったかもしれない、と
磯田道史が言ってたな >>388
ただの金襴の帯やったらしいなw 結局その度胸があった方が勝ったということやね
御簾の向こうの天皇はんは幕府を信頼してたんやもん >>388
⎛´・ω・`⎞そうなの? おいは恥ずかしか! >>389
過激な尊皇思想の時代だからなおさらね
凄いはったり
こういう政治家が昭和初期にいれば交渉が破綻して日米開戦なんてならなかったと思うわ >>373
ないない
19世期にヨーロッパは種痘を手に入れる
明確に西洋医学が東洋医学を上回った瞬間だ
日本は、蘭学者などを通じて何が何でも手に入れたいその種痘を
50年ほどかけて手に入れ、そして種痘を全国に広め、
天然痘の治療にあたる
朝鮮?種痘なんて知らずに過ごしてました
その後、日本で普及した種痘を釜山の日本人医師から手に入れて
初めて朝鮮に天然痘治療が広まりましたとさ
朝鮮には情報収集する国力すらありませんでした 錦の御旗は岩倉具視が後醍醐天皇以来500年ぶりに復活させたんじゃなかったか >>390
第一次長州征伐でも江戸の交渉でも
西郷は自ら敵地の真ん中に行って交渉するスタイル
それは朝鮮でも変わっていない
ただしその後の歴史を見ればおそらく西郷の交渉は失敗していただろう ⎛´・ω・`⎞靖国神社の博物館に錦の御旗が展示してあったんだが、あれはいつの時代の御旗なんだ まさか徳川家に慶喜みたいな将軍が出るとは
歴代最低水戸も一橋も失墜 >>396
そうよね
肝心の孝明天皇は佐幕だったから倒幕側に御旗を渡すはず無いのに
しかも35才で倒幕側に都合良く死んでる
ここらへんは未だにタブーなのかあまりはっきりと本にも書かれないよな 中国共産党も、自らちゃんとした民主化する方向へ行き
言論の自由等を認め、仮に選挙で負ければ潔く野党となる方向へ行けば良いのに >>399
君は馬鹿だな。交渉ってのは相互的なものだぞ。 小栗上野介は官僚として非常に優秀な人だったのにな
外国との交渉はほとんどこの人をはじめ幕閣がやって良い成果を出した
明治政府はこれですごく楽ができた ・
うちのおばあちゃんは、静岡で歩いている徳川慶喜を見たことがある
歴史は案外すぐ近くにある
京都は1000年の都と威張っているが、うちのおばあちゃんの10倍の歴史でしかない
・ >>1
>権力は、一度握ると手放せなくなる。歴史の舞台に立つ政治家には勇気が必要だが、それ以上に度胸を試されるのは、舞台から下りるときである。
こんなこと言っちゃっていいの?
プーさんに怒られない?? >>402
だから西郷は志士として死にたかったのに生き残ってしまったから維新後は死に場所探していたって言われているけど?
元々は月照(だったっけ?)と一緒に死にたかったんじゃないの?
結局、征韓論に敗れて次の死に場所を作ることになった >>409
歴史がある街はいいね。
俺んとこなんかただの馬場だったから… 中央日報 2018年7月4日
「西郷どん」は西郷隆盛の愛称だ。公信力があるNHKが明治維新三傑のうちよりによって極右派のシンボルで征韓論を
主張した西郷隆盛を明治維新150周年を迎える今年の大河ドラマの主人公に選んだことは隣国を不快にさせるのに十分だ。
明治維新以降に力を得た日本が薩摩と長州出身の軍人による武断統治を経ながら45年までアジアを戦乱に追いやった
過去を考えると、これは戦争被害国全体を無視する行動と言わざるを得ない。 >>411
交渉の意味をねじ曲げるほど嫌いなのか。 >>416
征韓論って言葉を誤解して伝わってるなぁ
すぐに朝鮮を攻めようとなんて西郷は主張してないぞ >>132
>>138
これ謎なんだけど
理由は何なん?大陸からしたら日本の天皇は増悪の象徴のはず ⎛´・ω・`⎞俺がこの時代にタイムリープできたら
「朝鮮半島には絶対に手を出すな! ロシアと今から外交で仲良くしろ! でないと100年後の日本がメチャクチャになるぞ」
つって全力で訴えるわ >>272
会津は恭順を装いながら武装解除を一切せずに宇都宮や今市にまで兵を進出していたので
本格的な冬がきて会津が周辺地域を占領することを警戒した土佐の板垣退助に討伐された >>416
そんなこと言ったらナポレオンとかどうなんだよ
三国志をあれだけ派手に映画にしといてあの時代どんだけ庶民は死んでいったと思ってんのかね ⎛´・ω・`⎞外国勢力を引き込んで内戦とかヤバいの一言だから、そうならずに済んだのはよかったと思うよね 三国志のの食の劉禅皇帝だな
ばかをよそおひ、庶民を戦乱から救った!
所轄孔明は戦争基地が碑 >>421
禁門の変で御所に鉄砲打った長州も武備恭順なんだけどね。
それが藩主親子が助命され領地から出ることもなく城も破棄されないじゃ不公平なんだけどね? >>407
江戸無血開城はすでに下交渉されてて西郷の出した頭の悪い条件を山岡鉄舟が整えてる。
内容見ればわかるが勝も西郷もなんの評価もできないくらい平凡なことしかしてない。 いやあ 知らなかったこといっぱい ここ勉強になるわ >>419
嘘っぱちだよ。
メンツをがとっても重要な連中にとっても
かなり大きく面目を施す要素ではあるからとても大きな要因になってるだけであってそんな決まり自体はない。 会津の容保さんは天皇から特に信任されてて書き付けまで持ってたから余計にやられたんじゃないだろうか? 鳥羽伏見の戦いの途中で徳川慶喜が大阪城から江戸へ退却
その翌日には徳川御三家筆頭の尾張徳川が新政府に恭順
結果、旧幕府方は1万5000人の兵力を擁しながら緒戦にして5000人の新政府軍に敗北
それからは
徳川御三家の尾張藩は、徳川慶勝が東海道諸藩の新政府の触頭に任命され
佐幕色の強かった東海道譜代諸藩を勤皇側へ動かしたことで
官軍は、難なく東海道を進軍
徳川宗家も徳川御三家も早々に新政府に恭順
紀州徳川は将軍、慶喜に大阪城を守るよう指示されたが拒否
紀州徳川は新政府と戦う意思が無い証明として紀州藩士1500人と15万両を新政府に献上
徳川親藩の越前福井藩が、官軍として上野の寛永寺一帯に立てこもった彰義隊の討伐に参戦
戊辰戦争では長岡藩に対する征討作戦にも加わり、北上して村上城を陥落させた。
庄内や会津藩とも戦闘
徳川譜代筆頭の彦根藩も戊辰戦争では官軍に加わり小山や本宮など各地を転戦
近藤勇の捕縛にもあたった
戊辰戦争の時には
薩長+徳川御三家+徳川親藩+徳川譜代 VS 反乱軍+奥羽列藩同盟になった。 兄ちゃんの尾張藩主は御三家なのにさっさと新政府に寝返った
弟の会津と桑名は幕府に殉じてしまったな >>173
「藤堂に切られぬ為政者であれ」ってのが、戦国から生きていた教訓なんだろうな。 >>419
解説しよう
64天安門大虐殺の後に西側社会から干された中共は2度と戦前の日本の事を悪く言いませんと言う条件で
当時も今も世界最高の権威である天皇陛下ご訪中を当時の中曽根内閣に打診した
田中曽根と言われたくらい田中派の影響が強かったのでそれに乗ってしまう事になる
憲法をちゃんと読み込んでいた石原慎太郎などは天皇陛下の政治利用だと反発した
ただ内閣法制局はスルー
その後天皇陛下のご意向だからと言う事で西欧諸外国から許された中共国内では、
天皇陛下の承認がないと外交的に無視されると言うトラウマを持つ事になる
これは中共国が強大になってからも続き
「オレは天皇陛下に承認された立派な指導者」と言うハクがトップには必要になった
つまり中共国はシナ大陸に置かれた幕府と日本にある朝廷との関係に慣例上なっているのである >>425
長州は長州征伐で勝利して会津は会津戦争で負けたから。
維新後に長州は自ら城を破却して容保は子爵を授かって華族にまでなってる。 >>428
ウソじゃないぞ
慣習法だから明文化されてないだけでw
小沢一郎が宮内庁役人を怒鳴りつけて無理矢理習近平を上皇陛下にあわせたのも
今習近平が代替りした今上陛下に会うために頑張って国賓訪問したがってるのもそう言う事だぞw 朝廷の使者の前で島津の殿様ディスりまくったせいで公武合体とかも何も出来なかったやんけ。
まぁ最低限の引き際があったから暗愚でもないけど、もう少し立ち回りうまくやってれば維新後カスみたいな野蛮人どもがお手盛りで爵位盛りまくって藩閥政治することもなかった。 >>435
>>438
本当に幕府と朝廷の関係が事実なら清朝滅亡後の中原の皇帝は
事実上日本の天皇ということ? >>405
一番大事な所だよなあ。
天皇が、関係の深かった徳川より
薩長や有象無象を取ったって話だし。
???なところが多すぎるけど、触れられないんだよな。 >>438
あれえぐかったよな
国賓なんて絶対ありえんわ 菅ちゃんにそのへんの外交センスあるかな?
茂木はもう国賊並だぞ 外務大臣やめさせろ 頭は良かったんだよ、頭だけは
あとは全てにおいてクズなだけで 渡部昇一氏が、本に書いていたが
戦前、朝鮮王室の皇族は、日本に住んでいたそうだが、
戦後、それらの朝鮮皇族はどこに消えたか不明だそうだ。
渡部氏の本では、そんな「消えた朝鮮皇族」が 日本人に化け、
日本の皇室に入り込む危険があるといってたが
例の婚約は、そんな怪しさを感じるな >>438
そこは否定してないだろ。権力争いの戦局を左右する重要要素なのは事実。
それを天皇陛下との謁見がないと首席として認められないというのは誇張。
それを「陛下との >>439
太政官を「だじょうかん」とか読む奴らだからな。そいつが今でも刑法5条だったか「死刑のやり方は絞首刑でな」なんてとこに生きてたりする。
という自分も古文の授業で「太政大臣」を「だじょうだいじん」と読んで怒られた。(だがIMEも「だじょうだいじん」で覚えているようだ) >>440
清朝滅亡後は間違いですね
そんな事言ったら孫文にも毛沢東にも怒られますよ
64天安門以降の現象ですし、中南海の内輪でルールで日本の皇室にもそう言う意図は全くない
ただ、世界中の外交専門家のフランクな会話ではこの事で中共の事を小馬鹿にする事はある >>340
千葉県松戸市に住んでた弟の所にしょっちゅう遊びに来て、古い宿場町と郊外の農家の風景を沢山撮影したので貴重な資料となってる
弟さんはその慶喜の様子をカメラで撮影してる仲良し
静岡から松戸まで遊びに来るのに宮城はスルーするもんだから、慶喜大好き明治天皇とか高橋泥舟がジタバタしてた(単に行きづらかっただけ) >>440
?? 欧米との関係上ってことでしょ?
天安門のときは日本はアホだからまんまと利用された
中国側からすりゃ今四面楚歌だからまた日本を利用したくてしょうがない
自分の存在意義アピールのためにそれに乗る気満々なのが二階 >>445
>>442
見栄っ張りすぎへん?
確かに清朝より日本は古代中国寄りだけど仮想敵国やん
もしかしたら即位式に出席したチャイナ人は皆、内心はウッキウキなのか >>442
まぁ、個人的モテ期さんはアウト判定ですね
>>445
誇張かどうかは陛下との会見がない共産党主席が長期安定政権を作ってからでないと言えないのでは? >>451
中共なんぞとっとと滅べとか思ってたんだが、もう2〜3代続いてほしくなったわ。
それがほんとかどうかわかるから、という理由だけだけどな。 江戸幕府は名君にはじまり名君に終わった
歴史的意義を踏まえると慶喜は家康と同格と思う 外側の脅威を見て内戦を止めた。これは英断
逆に、外の脅威と手を組んで内戦を続けたら、中東やアフリカみたいにいつまでも落ち着かない
「今はここで争っている場合じゃない」と、理性を以て仇敵と手を組めるかどうか 慶喜はんはかの渋沢栄一が主と崇め崇敬したひとだからな >>447
>>449
前皇后で現在の上皇后の出生関連の話を知ると本当に中国を助ける意図の訪中かもしれない
ID:w2L+AiMXは天皇のご意向で訪中したと話していたけど
ご覧の通り上皇は奥方に首ったけ奥方の意向が訪中を押し切らせたんでない? ただ単に臆病だっただけかも知れんけどな
でも勇敢な馬鹿よりかはずっといい >>131
徳川が政権を失ったのは征夷大将軍なのに
「南蛮」にいいようにやられたからだからね
侍たるもの武を忘れたら駄目だね >>459
近未来に江青の正しさが立証されるかもしれんな。
共産主義国家のはずの支那で共産主義革命が起きるかもしれないほど身分格差が広がってるからな。 >>131
非常にうまくいってたと思うよ
何より国民が裕福だった 江戸末期にやってきた外国人が驚いたそうだから >>457
ゴメン、その説を否定するわけじゃないが
あたしは上皇陛下の意図については全く言及してないぞ?
他の人と間違えてないか確認して 手放さないのが中国人、独裁へと走る、口実をつけて昔も今も変わらない手法
陸の次は海そして空と人海戦術で金と労働力で相手をねじ伏せる、親玉連中は
上納金で生きる、昔と変わらず もし新政府が大政奉還以前に失敗して、江戸幕府が存続した場合、どういう近代史になったかはすごく興味ある 慶喜もそうだけど幕末は天才だらけだわ
よくぞこの配役がそろったなと思う >>467
孝明天皇が急死せずに生きていたらってことでしょ。
公武合体が進んで、議会制民主主義が出来ていたと思われ。
皇室が今のような弱体化はしてない。
基本内向き引きこもり志向だから、戦争もなかったかもしれない。 確かに何故中国が白人の植民地にされたかを理解する上では重要だな >>443
そうでもない、
隠遁時代は結構気さくな良い人だって話が残っているし、自分の直属の配下には配慮をしてた
慶喜にとって徳川家主流は敵でもあったんだよ
ちょっと良い話だが最初のお妾さんを行き場がないからと言う理由だけでずっとそばに置いてたらしい >>468
バカだからバカ力で押し切った坂本もある意味天才だわな >>109
大好物のきなこを顕微鏡でみたらダニがいっぱい居て
以来大好物のきなこを食べられなくなった事が
やっぱり大ショックでやる気が消えたんだろうな >>3
薩長土肥官軍の書いた歴史がまかり通っているからな
日露戦争の東郷、乃木は英雄として有名だがその前段階の柴五郎中佐はほとんど知られていない
日本国内では知られていないが海外では超有名な軍人の中の軍人
柴五郎の活躍がなければ日英同盟もなかったし日露戦争の勝利もなかったと言える 日本は天皇との2重権力構造
権力者は危機になれば天皇に責任を譲渡して自分を守るという逃げ道がある 責任逃れの装置であるな
慶喜も天皇の下で影響力を持ち続ける算段だったが新政府側がかなり有能でやる気を失った >>476
権威と権力わけるようにしたのは知恵だよ
権威と権力が同じ毛沢東は大躍進で失敗してるのに止められなかったから
鎌倉室町時代に学んだ教訓だよ 手放してないけどなw
まあ歴史を知らない人の方が多そうだ。
慶喜が大政奉還を骨抜きにすべくどんだけ頑張ったか。
つーか実質骨抜きにされたからこそ、薩長は放火暴動なんていう無茶苦茶をしてまで
戦争を引き起こさなきゃならなくなった。 世界で最も多くの人を虐殺し、最も多くの国を侵略し
人種が入れ替わるほどの殺しあいを行った最も残虐な民族なのがシナ人
世界でも最も無能で、最も不細工で
最も独創性がなくて、最も無様な歴史しかない民族が朝鮮人
一方の日本は・・・
五大国入りしアジア唯一の近代国家として
植民地化を免れ、アジア解放に貢献し有色人種に希望を与え、戦後は勅語を学んだ世代が経済大国化に貢献
アジアでは例外的にノーベル賞を量産し、数々のイノベーションを起こし
殺しあいで民族すら入れかわってるシナチョンと違って
最低2000年近く続く皇運に感謝だね >>461
欧米列強と不平等条約を結んだ幕府の大老だった井伊直弼や
幕府の外国奉行達
徳川幕府の大老、井伊直弼がアメリカと不平等条約を結んでしまった後
幕府は 列強の外交圧力によって順次同等の条約を各国
フランス、イギリス、ロシア、ポルトガル、ベルギー、イタリア、デンマーク、オランダ プロシアとも締結した。
これらの条約は先例にならい、幕府大老の井伊直弼や幕府の外国奉行がその職責のもとに調印。
領事裁判権
外国人が日本で罪を犯しても外国人は日本の法律の適用を受けない
関税自主権がない
日本が輸入するときに、関税率を自主的に日本が決める権利がない
生糸やお茶を大量に輸出→品不足→物価の急上昇
結果 下級武士や庶民の生活難及び経済の混乱
それから全く不平等条約改正に応じなかったが、日露戦争後から各国改正に応じるように変わった。 毛沢東は権力の座から落とされそうになったので
文革をやった そりゃ中国の歴史は権力者が権力を手放した瞬間
自分が粛正されるという繰り返しだからな 徳川慶喜は近衛文麿と似てる。
指導者になってはいけないタイプ。 >>379
(=゚ω゚=)ノ もしかしたらだけど、豚肉の天ぷらというのはどうかな? 慶喜の母親が皇族だったので、慶喜の半分は天皇家の血が流れていたことも影響した、という話を末裔が語っていた >>420
福沢諭吉「俺も言ったけど無駄だった」
一見正論を盾にしやがるから厄介なんだ、無知な奴の方が数は多いからな! 毛沢東が権力に執着して 文化大革命で 失われた文化は相当だろうな
>>487
悪友を親しむ者は共に悪名を免(まぬ)かるべからず。
我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。 >>408
と言うか明治政府の閣僚以下の役人は殆ど江戸幕府からのスライドで彼奴ら基本的に何もしてないよ。 >>1
別に慶喜は日本でマイナス評価が多い訳でもねーだろ
シナ人が自分の感性で日本人を断じるのがお笑い
超個人拝金主義の自分らには絶対出来ん事を成した外人を評価しとるだけの事に何の意味があるのか
シナ人には死んでも縁のない話に妙なロマンを感じてるだけが精々や 負の評価というほどでもないと思うがな
おいていかれた会津藩士は気の毒だったが >>420
そうじゃなくてアングロサクソンを敵に回すなで良いやん >>491
外された梯子にしがみついた結果というか
急激な時代の変化に慶喜はあっさりと身を任せ過ぎた感はあるな なんか変な記事。
時々中国人は妙な願望を込めて日本の歴史を解釈してくる。気持ち悪い。 中共から見れば
日本の国民性はある意味理想だからな 制御しやすいという意味で
だから日本人のような性質になって欲しいと願うのであるな まさかとは思うが
日本占領しようとしたらこういうことしてくれるとか変な願望抱いてるんじゃないだろうな支那人は >>496
言う程楽でも無いんだけどな
治める方にも一定のレベルを求められる
きんぺーに日本人を治めるのは無理www >>356
三谷が大河でぶち上げて大河板で今でもたまにトンデモ説って叩かれてるよ >>496
日本人の性質は
・上が変わっても下には影響が無い
・従っとけばあまり無茶はしない
・一揆は主導者死刑だけど藩も目付にバレると重い責任を取らされる
みたいな民に比較的優しい政策を四百年くらい続けた結果だからなぁ。 >>490
評価するだけまだマシじゃない?
ニダーなんて理解出来ない物は全て嫉妬か負け惜しみと考えるから >>497
きんぺーの願望記事かもな
手放すべきなのはお前自身の事なのに
或いは手放して逃げるなら命は勘弁的な? 確かにそうかもしれないな。
いや、いい意見だと思うなぁ。 これは、習近平も引き際考えろって迂回批判記事なのかな?
鳥獣戯画みたいに、中国社会を日本に見立ててるのかな (=゚ω゚=)ノ まとめてみた
ラストエンペラーの愛親覚羅溥儀さん:晩年は北京植物園の庭師
ラスト書記長のミハイル・ゴルバチョフさん:初代ソ連大統領(存命)
イラクのサダム・フセイン大統領:絞首刑
ルーマニアのチャウシェスク大統領:夫妻揃って銃殺刑
リビアのカダフィ大佐:下水道に逃げ込んだけど民衆に見付かりフルボッコ
おまけ
ウサマ・ビン・ラディン容疑者:
アジトに米軍ヘリコプターからミサイル撃ち込まれて
死体も見付からず、瓦礫の中からエロ本とDVDが見付かった。(米軍第1報)
その後捕縛作戦で死体を回収して空母カールビンソンに収容して
インド洋のどこか(場所非公表)でスマキにして海にドボン(米軍第2報) 中国の指導者はどんなに年老いても必ず髪を黒く染める
白髪放置だと即、リタイアした人間と見做される これアレかな?
日本を攻めたら慶喜みたいに英断してあっさりシナの一部になってくれるかも?ってこと? >>510
オマエ、単純でいいな。脳中はお花畑なんだろうな。
ある意味、シアワセだよ。 徳川慶喜か。
徳川家康から代々築き上げた徳川の権威を食いつぶした頭でっかちの水戸学学徒って感じだな。
敵前逃亡とかなに考えてんだと。まぁ負け確したあと首都を無血で明け渡したことだけは評価できる 金はたんまり貰ったし政治にも参加出来たしやることが何も変わらないから出来たんだろ パクっただけで上手くいくなら、どうしてパクり元のオリジナルは下手クソなんだよw 日本の首相で慶喜みたいなのが出たら岡田以蔵君に期待しちゃうよ >>485
(=゚ω゚)ノ 化け猫ちゃんの天ぷら!
サウナで10分蒸したあとに天ぷら粉と溶き卵
180度でほどよく 徳川慶喜=日本の首相
水戸学=中華思想
維新軍=中国の息のかかった西軍
幕府軍=日本国政府の自衛隊
維新政府=大阪都
大名=道州制
そうか、こういう構図か >>512
じゃあ漢字使うのやめる?キムチ食わない?
ムリーw >>513
慶喜が将軍になった時点で、徳川家では
大政奉還、公武合体がほぼ確実と見られていたらしい。
慶喜は、子供の頃から水戸学に心酔し、母親が皇族で、公武合体派。
そんな慶喜を将軍に立てた時点で徳川家の意思は固まっていたでしょ。
将軍職の間、慶喜は将軍在職中一度も畿内を離れることなく、
幕臣を上洛させ、実質的に政権の畿内への移転が推進されてた。
慶喜を関白・摂政にするという話も繰り返し出ていたらしい。
孝明天皇が謎の急死をしてしまったことによって、
その公武合体路線が一気に終わっただけのような。
尊王言ってた薩長なんて、天皇とは血縁も思想も近くないし。 >>519
なんやげぼはげ^^
いつの時代のこと言いよるんか^^ >>519
QRコード使うなよ
インスタントラーメン食うなよw 慶喜ちゃんは一旦撤退のつもりだったのがハシゴはずされた奴でしょ
それに戦意喪失してたとも言うし >>519
(=゚ω゚=) 日本の近くに、漢字を廃止した国があるらしい。
しかもだ。その国ではキムチしか誇れる食べ物がないのに
中国からキムチを輸入しているんですと。 ここで彼らが問題にしたいのは
「共産党が最後に禅譲して野に下り慶喜公のような平穏な日々を送ることができるか」
ということだ。今必死になって経済をふかしているが、果たして続くかどうかは誰もわからんだろう。
国有企業が次々に社債デフォルトしているし、どこまで頑張れるかは不明。
昨年の秋、銀行がいくつか破綻したり取り付け騒ぎを起こしたが、そのあとでいくつかの銀行が永久債を発行している。
政権を手放したとき、どこに行くのか?どうなるのか?が心配なんだろう まあ慶喜は公武合体やらで幕府そのものに振り回された人生だし
蹴っ飛ばしてスッキリしたって話かもしれんな
戊辰戦争も西南戦争もそんな権力にしがみついた連中の掃除だし
西郷頼母も西郷隆盛も詰め腹切らされたって感じ
この二人、姓は同じだが遠い親戚だったりするのかね? (=゚ω゚)ノ 幕末って、大阪連中は何してたんだろう?
やっぱロシア式様子見だったかな。 >>3
維新の正当性のために歪んでる部分はあるんじゃね? >>521
じゃあ今日キムチくうなよ?
ムズムズしよるw >>534
お前はなんで日本語で日本の掲示板にレスしてんの?
朝鮮人のくせにw >>531
上方商人は大名に大量に金を貸してたからハラハラしながら見てただろうな
明治政府が大名の借金をチャラにしたせいで大坂の両替商がバタバタ潰れた 銀魂に出てたショウちゃんで存在を知ったのかしら。漫画が知るきっかけなのはどこの国も同じかしら。 いや
天皇に刃を向けるって
それ日本では逆賊だから >>529 錦の御旗って菊の御紋だけど旭日旗の元となったデザインとも言えるかしら。 >>538
こう言い直そうか
ポッキーのパクリのペペロ食うなよ
カッパえびせんのパクリのセウカン食うなよw >>538
日本に寄生して生きてる朝鮮人が何を言っても無駄w >>538
チョンはラーメンもまともに作れんもんな、このげぼはげー^^ >>541
旭日は八条とかのが昔から他にあるんよ、別もんだな 幕府が存続していれば俺たちジャップが侵略せず戦犯国にならなかったかも デモすら出来ないから慶喜でも引き合いにしてキンペー批判か >>547
フヒヒ^^
チョンは征伐されてたな^^ 日本は今の中国から学ぶことが多いぞ。
基礎研究費や、ベンチャー育成とか。
まぁ危険も多いので学んではいけないことも多いけどな。 >>547
多分、ロシアに占領されてシベリアに里帰りだが
それで良いなら >>546 光線(ビーム)が8本しかない旭日旗があるのね。知らなかったわ。 >>538
安藤百幅は日本人として教育されて少年期は皇軍の兵隊になりたいと思った日本人だぞ?
国籍とかDNAよりハートは重要なんだけど? >>547 朝鮮半島はロシアとその後のソビエト連邦に併合・吸収されて冷戦後の今もロシア領になってたでしょうね。
その方が良かったのかしら。 ネトウヨ「安藤さん最高!日本にずっといて愛することが大事」
良識リベラル「在日コリアンボゾッ」
ネトウヨ「ぐねね」 >>547
そうだな
それなら日本人も
朝鮮とかいうくっさい食糞民族と
かかわらずにすんだのにw >>539
天皇に忠義を立てて反乱起こしたのに昭和天皇から真っ先に賊軍扱いされた二二六事件の将校たちカワイソス。 >>559
安藤にまたいばかれて漏らすんか^^
お前安藤からむちゃくちゃ嫌われとるもんな^^ >>559
> ネトウヨ「安藤さん最高!日本にずっといて愛することが大事」
> 良識リベラル「在日コリアンボゾッ」
安藤百福は元台湾人だぞ >>559
台湾人・・・と言ったのはお前だ、キムチ野郎 >>559 もしかして安藤百福が在日朝鮮人だったと勘違いしてるのかしら? 冫(゚Д゚) やるな、菅!!
クウェートと石油の共同備蓄で合意 日本国内のタンクに貯蔵 台湾人はコリアンがだめとか頭らりっとるか
戦時中はコリアンのほうが格上やぞ
ネトウヨ君地悪い 冫(゚Д゚) また韓国が負けたのかwwww
「日本海」単独表記、国際機関が指針維持を正式決定
韓国が日本海の呼称に「東海」の併記を求めている問題を巡り、国際水路機関(IHO)が先月末、
公式の海図に日本海と単独表記する指針の維持を正式決定したことが分かった。
日本政府関係者が1日、明らかにした。
IHOは11月16〜18日の総会で、指針維持のほか、海域を数字で表記するデジタル版の海図を新たに作ることを暫定決定していた。
IHOは総会での議論の概要を報告書にまとめ、参加国の了承を取り付けた。
IHOは各国が公式の海図を作る際に参考とする指針を示している。指針では一貫して日本海の海域を「Japan Sea」と記してきた。報告書は、この指針を「引き続き利用可能」と結論づけた。 >>571
お前のクソみたいな品性と知性を見る限り
台湾人の方が圧倒的に格上
食糞属国民族朝鮮人は身分を弁えろw >>571
棒っきれしか持たされなかった連中が
どうしたって?
なぁ? >>572
これって数週間前か、かなーり前にニュースになってたぞ、東亜で
韓国側は「これからはデジタルが主流になるから日本海の根拠は失われる」って精神勝利してたけど >歴史の舞台に立つ政治家には勇気が必要だが、それ以上に度胸を試されるのは、舞台から下りるときである。
>特に19世紀半ば、徳川慶喜が自らその舞台から下りた英断には感心させられる。
一方、トランプとその応援団のネトウヨは……ぷっww >>576
デジタルになっても、人に見せる地図には海のIDナンバーじゃなく、
従来通り名前で表示するのにねwww
精々が名前とIDナンバーを併記するだけw >>576
位置を緯度経度で表しても、GISで表しても、住所は変わらないようなもんだな >>526
(*゚∀゚)最近では誇れる食べ物は辛味+チーズらしいよw >>1
パヨク(中国)が安倍ちゃん褒めるなんて珍しいな。
チーズ料理で美味しいのは
チーズフォンデュ、グラタン、ピザ、オムレツ、パスタ、パン、チクワ、カマボコ、 なるほど・・・・・
と、こんな視点から
慶喜についての資料を拾い集めてみたら
案外な発見があるかもね >>582
(=゚ω゚=)ノ チーズケーキ、チーズハンバーグ、チーズおかき
ああそうそう
ピザまんにスライスチーズを乗せてレンジでちんしても美味しいよ! 確か江戸幕府というのは結構世論を気にしてたんじゃないのか?
そういう空気みたいなもんで動いてる部分は当時も大きかったんだろう。 >>8
第二次長州征伐で負けてるのに何をたわ言言ってる
錦旗が出てからは親藩譜代でさえ幕府のために戦わなくなった 韓国人は決して口には出さないが、一番
羨ましがってる日本のシステムが天皇制
なんだよね。 >>588
皇室の状態を羨ましがってるというより自分達は建国数十年しか経ってないのに何で弟のはずの日本は皇室を中心に長々と生きながらえているんだって嫉妬 >>1
はあ?
徳川慶喜なんてクソ野郎だろ
長州の朝鮮部落民に敗戦したうえに、まんまと国を乗っ取られた無能野郎だよね? >>588
(=゚ω゚=)ノ まあ何度も言われてることですけど
天皇制というのは共産党の造語ですから、この言葉の使用はほどほどに。 >>584
チーズリゾット、チーズ目玉焼き、チーズTKG、チーズいぶりがっこ トンカツ特売 ¥200
チャーシュー特売 ¥88/g
手羽元特売 ¥28/g
スペアリブ特売 ¥68/g
買ったはいいがメニューが決らない
とりあえず全部冷凍して塩鯖 豚肉が大好きで「豚一」(豚の一橋)とまで呼ばれた慶喜公は、薩摩から黒豚の味噌漬けを献上され、あまりの美味しさに大政奉還を決意したというのはあまり知られていない歴史の真実であるわけがない。 >>588
「君主制」だな。
韓国は李承晩が日本にいた李王家の当主である李垠の帰国を拒否したので王政復古できなかった。
恨むなら李承晩を恨めと言いたい。 >>594
まずは皇帝に即位しないと。
習一族の本拠地は陝西省だから国号は秦かな? >>1
中国は、今、アメリカを内戦状態にして高笑いしてる。
ちなみに日本も、パヨクの後ろに中国がいて、分裂に陥ってる。 >>24
四賢侯・松平春嶽いわく、ねじあげの酒飲みって言われてたようだよ。
将軍になりたいけど立候補はせず廻りから言われて仕方なく引き受けるという >>584
インスタントのうどんにチーズをしこたま乗っけてお湯をかけるといける。
所詮イタ飯なんてチーズ&トマト味の和食だし。 習近平の前の人はあっさり辞めたね
裏で権力闘争みたいのあったのかな? >>11
闘いもできずに併合されたくせに
100年たっても嘘ついて恨んでくる、醜く卑劣、無能な物乞い乞食、キチガイミンゾクがいるぞ。w >>2
そうだが日本の政界でスムーズに政権移行することも禅譲といってる >>2
大政奉還は、日本の言葉だろ。
その後、小さな戦いはあるが。 まぁ確かに徹底的に殺し合いしてたら、
有能な人間が消えて暗殺も横行して統治不能になってたな
さすが野田元総理だ、日本を民主党政権から守ったぜ! >>52
エンペラーじゃないし
権力を追われてから畳で死ぬのは
別にそんなに稀な例でもない
共産主義以前の欧州じゃよくあることでは? けいきさまに直接お会いしたことがあるのは
このスレッドでも
わしくらいのもんじゃろう。 >>572
なるほど、国際水路委員会は全会一致でしか採決できないから
世界でただ一国、韓国の異議だけを取り下げさせるための知恵として
デジタル海図の数字表記を譲歩案として提案したわけですね
裁可にじゃまっけな「韓国委員の意義取り下げ」だけを目的にして。
クレーマー対応として優秀 これから100年も200年もずっと今の体制なんてあり得んだろ
どっかで民主化する必要がある >>11
朝鮮人は戦争になったら逃げたんですよね
李も金も >>617
しかも大嫌いな日本の、山口県に臨時政府を置こうと打診してきたんだよねハズカシイ( ´,_ゝ`)プッ 何だかんだ言って
皇室と徳川家って血縁的に結構つながってるし >>616
一番強い山賊が王になる歴史を繰り返してた国に民主化は無理
文革で愚民化に止めさした後だし あんまり言うと退陣しろってかとキンペーに睨まれるぞ 明治の元勲がとんでもないスケベ親父だったことを支那人はどう思っているのか知りたい。 >>623
伊藤さんは明治天皇に芸者遊び程々にしとけって諌められたってね チョンは中国相手にはドチャクソおとなしいなww
飼いならされたブタみたいwwwwww 西洋諸国の植民地にはさせないという共通認識が
西郷を主座とする勢力と共にあった故に身体他も無事に徳川将軍は退座した。
其れが判らずに、お家大事なりと動いたのが、幕臣の小栗上野介。
彼はフランスから資金を引っ張って幕府を存続させようとしたが、それは
フランスの思う壺で、借金が理由での植民地に我が国はなり掛けていた。 >>631
けーきさんは、隠居後カメラ持ち歩いて道楽写真家としてのほほんだったので
ウリナラとは違うと思うのw 愛新覚羅溥儀
孫文
袁世凱
蒋介石
毛沢東
周恩来
ケ小平 慶喜は将軍になる時にゴネて
徳川宗家だけ相続すると言った人だし
徳川政権がすでに泥舟だと認識していた蓋然性が高い >>634 退却戦線を継承させられた将軍だからね、
あの当時活躍した「維新の群像」の人達の明治初年時の
年齢を知ると興味深いよ、慶喜は30代じゃなかったかな?
今見ると30代の人達が維新の主なる人材。 >>635
でもさ、もっくんじゃないよね
いい役者かもしれんが 中国で日本をダシに語る時は、大体中国政府批判だからな
本題はプーさんの権力固執への批判だな >>623
中国の方がスケール違うんじゃないか?
毛沢東もいろいろいわれてるしな。
>>629
まあ国家統合選んだ大韓皇帝と純宗と李完用なども結果を考えれば
>>1のような評価が与えられてもおかしくないんだが、半島人キチガイ杉で
ダメだわな。むしろテロリスト顕彰してるし。 >>638
李完用は一応国民のことを考えた末にだと思うけど、今の扱い見るといささか可哀想な気がする >>640
てか、自称だけ皇帝の命に従っただけですわに
何故かウリナラでは、命じた皇帝が悪いと言えない同調圧力w >>326
まともな知性なら誰でも予想できるような話 ようはヘタレで頭の悪いだけ
殺されなかっただけでも有り難いと思えって事 >>636
元木じゃなくて篤姫の平幹二朗のせがれが良かったような気がする 三国志じゃヒールみたいな扱いされているけれど、曹丕の禅譲って
中国史全体で見ればかなりの厚遇なんだよな。王として天寿を全う
したし、朕の称号も許されていたし。宋の太祖みたいなのは例外と
しても。
あと、超影が薄いけど内乱になりそうだからとさっさと自害した
オトーっていうローマ皇帝もいたな >>647
共産党を批判するようなことを書かなければ大丈夫だよ
(外国の技術だけ取り入れた)明治維新を見習うべき、と党の偉い人も言ってたし >>650
政治体制を丸ごと刷新したのが明治維新が成功した理由なんだけどなあ。
光緒帝の戊戌の変法とかと違って つーか相手が悪すぎる。
朝敵と言う為政者に絶対あってはならぬ汚名を着ると幕府軍が成り立たなくなるからな。 >>651
それを丸っと、きんぺーの業績に置き換えたら、誉め言葉になるというw
終身主席w 平宗盛
後鳥羽院
北条守時
後醍醐天皇
足利義昭
石田三成
豊臣秀頼
徳川慶喜
昭和天皇 >>587
錦の御旗は偽造、勝手に立てたと今や一致した意見だけどな
それなのに、誰も処分されてない
薩長は天皇の権威を超えた存在ってことでした
テンノー?あー、あのおもらし野郎か、だったらうちの虎ノ助でいいじゃん、南朝の血筋だし。で、入れ替えられちゃったwww >>176
> でも国体じゃ若いもんに通じんよ。
そうそう、インターハイでないと通じにくいよね。 別に不の評価多ないぞ
あれ長引いたら借金カタに植民地もあり得たからな 21世紀に、まさかの皇帝として即位した、習近平に爪の垢ので飲ませたい
的な本?! >>663ガチで言うと、
そんな金すらないほど財政逼迫だから >>664
徳川埋蔵金とか、そんなのあったらとっくに使ってるよねと >>8
フランスとロシアが後ろに付いてたからな。薩長にはイギリスだろ。
しばらく泥沼内戦やって、近代戦争学習して、統一後は欧州の傭兵になって中国侵略かな。 本当かは知らないが水戸藩は天皇と徳川が対立した場合に天皇家側に味方して徳川家を残す役割だと >>316
坂本龍馬は評価してたらしいな。国内戦を避けられたって、薩摩は江戸わ焼くつもりだったし、徹底的に旧幕府体制を壊すつもりだったし、江戸を田舎町に落として、関西に政府を、、、京都なんて高層ビルの街になってたかもね。 >>658
代替した人の家系が本当に南朝か分かる家系図は存在してるのかな 勝てば官軍
慶喜が薩長を蹴散らして玉を手に入れれば徳川幕府が官軍だったのにな
徳川中心の近代化だったら天皇をあそこまで絶対化しなかったんじゃないかなあ? >>176
天皇陛下をいただく国体は制度ではないので「天皇制」は不適切
天壌無窮の神勅により天地が続く限り天皇の御代が続く
天皇とは日本であり、日本とは天皇である
天皇不在の国体はあり得ず、それは日本ではない
国賊日本共産党死ね(「日本死ね」への対抗表現) >>673
天皇陛下を天帝と同格とみなせば一応禅定とは言えるかもw
将軍から朝廷への禅定ではなく、幕府から維新政府への禅定ということで
天帝から命を受けて政権を担っているものが、天命を別のもの(政府)に譲り渡し別の政権が作られる
という定義的には間違いなかろう
・・・中華思想的に問題ないかどうかはさておくとしてww オレ、天皇制という表現への拒否反応は
ガチめの復古右翼の自己紹介程度に思っている >1-100 >500-700
黒船襲来後 開国後の、江戸幕府末期、
安政江戸巨大台風 安政南海トラフ超巨大地震 安政江戸大震災やら、
安政コロリ コレラ、アメリカ風邪 インフルエンザの、ツインデミック大流行。
ここらに、トクガワノミクスなギガ軍拡、
重税加速 インフレ化 スタグフレーション慢性的構造不況化から、
桜田門外の変 暗殺横行、天狗党の乱 関東内戦、
日本内戦、戊辰戦争 第2次長州征伐後半。
江戸幕府末期14代の将軍、徳川家茂の急死で、
事実上の、将軍代行になった、江戸幕府軍の総司令官であった、
徳川慶喜。
この、>1徳川慶喜が、
江戸幕府陸海軍 10師団、15万人での、いきまいた、
和製バスターコール「大討入」総攻撃を、
長州田舎サムライゲリラ奇兵隊の、奇襲攻撃、
小倉城の陥落ごときで、ビビってやめる。
これで、江戸幕府の統制力は さらに、大幅に低下。
反政府軍、薩長土肥連合は、
江戸幕府を、張りのこのトラ扱いする。
数年後、賊軍となった、江戸幕府軍と、薩長連合軍との、
戊辰戦争 鳥羽伏見の戦いでの、江戸幕府軍は、惨敗。
このとき、15代将軍 徳川慶喜は、
大阪城からのこっそり敵前逃亡をする。
この前後、ええじゃないか狂い踊りパンデミック、
世直し一揆巨大暴動 明治維新で、滅亡の、
おまぬけ江戸幕府 徳川慶喜じゃあるまいしw >>645
曹操って、実は漢王朝の譜代とも言える家柄ですもんね。
遠祖の曹参って高祖に仕えた人だし、夏侯嬰は高祖の御者をやってた人。
曹操の祖父の曹騰は宦官ですが順帝の幼馴染で最後は大長秋まで「後宮の事実上の長官」出世
したひとです。
普通に曹操の家って順帝が下賜した宝物とか有ったと思う。親父の曹嵩は夏侯氏から来た養子ですが
夏侯氏はもちろん夏侯嬰の子孫主張してただろうし。
だから、流石の曹操も実は相当な遠慮有ったんだと思うよ、多分祖父の曹騰とは面識あるし。 >>678
アブナイ人?
早めに病院行くことを勧めるよ >>658
官軍として朝廷の許可を得て錦の御旗を掲げているのだから処罰されるわけがない。
当時現存している錦旗は存在せず誰も見たことがなく、決められた形式やデザインもないので
手前で独自に製作することになったが、朝廷から許可を得たら本物として認められる。 慶喜はヤクザの娘を妾にして、そのヤクザを警護とかに使ってたからな。
将軍家もそこまで落ちぶれてたんよ。 >>672
徳川の立場から見れば自ら負けるように動いた腑抜けってことじゃね?
大政奉還、京都からの撤退で、玉を自ら手放してしまい、
一応鳥羽伏見で戦ってみたけど負けたからもう将軍やめる、って。
大政奉還などせずに、天皇を江戸城まで移し、箱根で防ぎつつ時間稼ぎしながら
仏式近代陸軍を増強しまくる。 >>682
錦の御旗が偽物だったのは最早議論の必要が無いレベルの歴史上の事実やで。 キンペーちゃんにはというか中共とチョンには鮮やか引き際とか無理だからwwww >>684
それが内戦で、西欧列強が日本を狙いやすくなる状態になる。 自分
ダイクーンと
呼ばれてるご陰気という
宣教師の
本よんで
こいつは
ただの
へたれな >>687
だからって、慶喜辞めろって一方的だと思うぞ。
薩長だって鳥羽伏見で負けたら、天皇ひっかついで長州まで逃げて
内戦やる気満々だったやん。
なんか慶喜って妙な評価のされ方が気になってる。
実際は、いざというときに精神力が足りなかった腑抜けだったと思うわ。 >>689
蓋を開けると慶喜は貴族院のトップ。
新しい幕府が開けると思ってた薩長はただの案山子。
本当に勝ったのは誰なのかねぇ。 ID:wIw+D2PT ID:OH2lbNUb ID:WxKOa4pN
ID:fAuPoNu6
日本での、空気感染エイズ 空気感染エボラ、空気感染肺がん、
武漢コロナ熱パンデミック再激化の原因は、思考停止の、社畜行列、
令和の参勤交代、満員電車、満員バスにきまってるだろw
自公安倍スタン幕府ナチスマニアック、大本営安全楽観デマムーヴマニアックは、
さっさと、日本全土の主要都市を、けさから、
有事法制 安保法制 ジェイアラート全開で、
テラ ロックダウン、全隔離 全閉鎖 全遮断しろw
ID:fAuPoNu6
江戸時代、思考停止の、社畜行列、
参勤交代は、江戸ギガ一極集中の激化、地方の衰退を誘発w
黒船襲来後 開国後、
安政江戸大震災 安政江戸巨大台風 安政南海トラフ超巨大地震やら、
トクガワノミクスな軍拡、増税路線 インフレ化の
スタグフレーション慢性的構造不況での、
桜田門外の変 暗殺横行 天狗党の乱 関東内戦、
薩英 下関戦争 ロシアの対馬占拠事件などが、起きる。
このため、江戸幕府は、大減税、地方防衛の強化を図る、文久の改革で、
参勤交代を3年に1度、
大名家族の江戸抑留を年 100日までの緩和、帰省手続きの大幅緩和
ここらを行う。
で、数年後、江戸幕府は、参勤交代を再開させようとするが、
有力大名は、江戸幕府の統制から離れ、参勤交代は、拒否され、事実上、消滅。
江戸幕府は、戊辰戦争
鳥羽伏見の戦い敗戦、和風ハロウィン ええじゃないか狂い踊りパンデミック
世直し一揆巨大暴動、明治維新で、江戸幕府は滅亡した。 >>286
まぁ勝は勝で明治になってから
幕臣の食い扶持斡旋や慶喜の名誉回復運動やら
後始末もさせられてるからいいとこ取りばかりでは無いでしょ 尊皇家の慶喜公は単に政権を朝廷に返上しただけ。もともと徳川宗家は継いでも、将軍職を受ける気はなかった。
で、大名衆の合議制でリーダーシップを取る自信はあった。
鳥羽伏見は徳川宗家と島津との私闘で、予め「討薩の表」を朝廷に出してる。でもその直後、朝廷内でクーデターが起こって、私戦が私戦じゃなくなった。
慶喜公が逃げたのは、かあちゃんの実家(有栖川宮家)が攻めて来たから。 >>689
本当に精神力のない腑抜けだったら、普通に内戦初めて普通に死んでると思うよ
だってそれが一番楽だもん。わざわざ変わったことをする必要はない 徳川慶喜と明治天皇は義兄弟になるんだぜ
晩年、徳川慶喜は明治天皇と御所かつての江戸城で一緒に食事しとる >>1
永世主席となったプーさんの暗喩だから、処刑されそうw 権力は握ったら手放せなくなるって
キンペーへの当てつけかw 慶喜さんより勝海舟やら西郷隆やらの回天の英傑にスポットライトが当たっているのは事実。
そして賛否の否が表にも出やすい。
評価されていない訳じゃないんだが、大阪からの部下置き去りのトンズラがあるからなあ >日本では負の評価が多い慶喜ですが、
こんな薄っぺらな評価は日本でされていません >>627
(=゚ω゚=)ノ 中国にも日本にも、昏君に当て字をするという例はあります。
隋の煬帝、元々の名字は楊。
菅直人元首相には管・棺・癇など。
習近平国家主席への当て字ではやはり、コロナウイルスにちなんで『集近閉を避けましょう』が一番だと思います。 天皇が現人神になられる為の国譲りでしょ。この再現性は神道の本質ですよ。 >>37
まさにキンペーdisってんだよ
検閲にかからないよう日本の話ってことにしてる
中国人なら皆わかるんじゃね >>695
明治天皇は慶喜に会いたかったらしいけど
徳川家が断ってたそうだね
ケーキ公はかなりフランクな人だったのに、静岡では相当肩身の狭い思いと扱いだったそうな
むしろ新政府側が、もっと慶喜を自由にさせろと気を遣っていて
慶喜が旅行に出る事を推奨していた 日本人には死者を鞭打つ習慣は無いからな 打った方が非難される文化だよ >>705
全く無いわけじゃない
けど墓荒らしとかはやらない >>704
明治帝は罪滅ぼしがしたかったようだね。
その際、慶喜さんは浮き世のことだから仕方ないと言われたそうだけど、戦後は駿府で好きな生活が出来てたからさほど不満はないでしょう。
可哀想なのは会津ですわ 錦の御旗掲げられたら、戦う大義がないからな
天皇あっての将軍であり、徳川政権だから >>708
承久の乱の時は、鎌倉武士はほとんど気にしなかったんだけどな。
時代が移って、武士が妙に知識を持ったせいかもね。 あれ? たしか幕府はフランス、薩長がエゲレスがバックについて フランスが日本占領する話始め慌てて大政奉還したんじゃなかったっけ キンぺーは手放そうにも
がっつり粛清やってるから無理だよな 当時の政治・外交情勢を鑑みると、仕方ない選択だったがな。
欧米列強は迫る
薩摩と長州や土佐が迫る。
しかも薩摩に英国が付いてるし、幕府にフランスで 代理戦争の内戦必至。
しかも慶喜は大政奉還してしまえば、薩長は幕府を攻める理由がなくなる と思ってたが
薩摩が挑発を繰返し、錦の御旗を掲げられると朝敵にされ、それが嫌で仕方なかった。
飢饉で混乱したし、通商条約で外国に銀などが流出しインフレに。
もともと誰も火中の栗を拾いたくなく、将軍などやりたくなかった。 >>3
むしろあの当時に高度政治判断が出来た点が誉められてるくらい
個人的には、判断実行が必ず一歩遅いって印象
たらればを言えばきりがないが
江戸幕府のままでも今とそう大差ない世の中になったと思う 徳川慶喜は評価低いっつーか、明治維新のドラマでは主役にならないよねw >>715
’97年頃に大河ドラマでやってる しかし大河ドラマの悪い癖で主人公を善人にしすぎる 寛永寺は将軍が数人眠っているが慶喜だけは近所の谷中墓地なんだよね >>715
京都から大阪城に逃げ込み、夜のうちにしれっと側近のみ連れて海上に脱出→江戸に敗走とか
さすがに主役には据えがたいだろ そもそも日本の武家政権は平家の時から貴族かぶれで
鎌倉幕府は三代目になる前に執権に実権を握られ
江戸幕府なんて、今で言う官僚が動かしていたようなもの
征夷大将軍なんて居なくても >>716
モックンには似合わないね。
小泉孝太郎も似合わなかった >>1
そう言えば隣国に、自分が助かる為に避難民が渡っている橋を爆破したり、米軍の下級将校に日本逃避してる事を叱咤されて、司令官の権利を渡した大統領が居たな。
まあ、あの民族はクソだから、大統領もクソって事だな。 まあ西洋列強が虎視眈々と狙ってる時に内乱どころじゃねーわ。
阿片戦争の顛末も出島通して知ってただろうしこのまま続けていたらどうなるかぐらいはわかってたかもしれん。
分かっていなくてもタイミング的にはよかったんじゃないか?
・・・・・・ところでそのヤバいさなか、舅(大院君)と嫁(閔妃)が政争を繰り広げてた国があってな〜。
あの国の末路見てたらあのまま内乱続けてたらどうなったかわかるはず。 >>721
戊辰戦争は1868年だから、アヘン戦争はモチロン、アロー号戦争も終わってる。
そして、1861年の対馬占領事件の後だ。
半年間もの間、日本の一部が占領されていたんだから、その危機感は最高レベルだったろう。 >>716
あれって主人公は新門辰五郎じゃなかったか 俺には、大久保西郷の坂本、越前公経由した工作に騙されて
天下失った間抜けにしか見えん。
今風に言えば、詐欺師に騙され全財産失った3代目社長、みたいな。 >>721
内乱どころじゃない、という価値観の存在こそが本質的に重要なんだよ
つまり日本が日本国として統一されており、それが国民の意識レベルで共有されていた
だからこそ内乱が駄目だという意識が働いたわけで、それが出来ていない国にとっては自分の勢力だけ
欧米から兵器貰って有利に戦争が出来る、というのはむしろチャンスでしかないからね
もし当時の日本の偉人たちが朝鮮にいたとしても、内乱を防ごうという方向には絶対に向かえない
当時の支配者と奴隷が、お互い「朝鮮人」として腹を割って話し合う、ということすら不可能だろう
そう考えると、韓国人が無邪気に信じてる「もうちょっと時間があったら朝鮮は勝手に近代化していた」
という理論が、如何に荒唐無稽であるかがよく分かるな
つーか日本がいなくなった途端内戦を始め、未だに終わってない国が朝鮮なわけで… 中国もそろそろ共産党が国民に禅譲して民主制に移行しないか? 大規模な内乱になれば海外に好きなようにされるとわかっていた
慶喜は徳川を終わらせるしかなかった >>689
慶喜はかつて井伊直弼によって水戸藩は弾圧された他の藩も弾圧され安政の大獄
そこから桜田門外の変につながる
水戸藩は天皇と徳川が対立することがあったら天皇側につけという教えだった
慶喜は元から徳川の為に戦う気などなかったのかもしれん どの大名も借金まみれで破産寸前だったから、
幕藩体制の維持は不可能だったのよね >>722
あんまり意識しなかったが、1860年代ってすごい時代だったんだな。
普墺戦争、ドイツ統一、イタリア統一、南北戦争、…ついでに第一インターナショナルで共産主義が勢力を増して…
そして60年代が終わったとたんに普仏戦争か。
年号覚えるなんて馬鹿のすること、みたいなご高説も聞いたことがあるが、年号覚えないとこんな比較もできん。 >>730
南北戦争あったからアメリカは日本に何もできず英仏はそっちに気をとられていたのがな
運がよかった 慶喜の算段では、大政奉還後に成立する予定だった、大藩連立政府に、
大藩の一翼として加盟する積りだった。
そするれば政治判断の責任が他人に分散されて自分が楽になるハズだった。
しかし、薩長に掌を返されて、連立政府から弾き出されて、敢え無く無為の隠居の身となった。 >>1
おまえらチャンコロには無理だったよな、政権の禅譲は。 >>732
慶喜の場合は誘いはあったんだがな
趣味に生きた あの時点なら、なんとか殺されないだろう。
と言う期待が十分に有るからな。
その辺りの読みに関したら慶喜は一流なんだろ。
まぁ、チャイナだとたいてい殺される。
ラストエンペラーが生き延びたのは本当に珍しい。 何でもできる才能があったせいで何でも一人で決めてしまったため
結果どこまでも付いてくる臣下に恵まれなかった人
あと幕臣に嫌われてたのは主に親父のせい >>726
中国に民主化なんて無理だよ。
歴史が証明してる。 >>736
(=゚ω゚=)ノ 北京植物園の庭師、でしたっけ。 >>737
慶喜自身も家臣や幕臣には嫌われていたよ
冷酷だったというのもあるけど
旧幕の人間には裏切り者呼ばわりされたが慶喜は何も言わなかった
変に家臣や情で動いたら西郷隆盛みたいになったよ >>724
今でも徳川家って資産持ちだけどなw
太平洋戦争超えててそれは結構凄いことよ たとえ千騎が一騎になっても退くべからず。皆、死を決して戦うべし と大坂城で大演説かましたあとに逃亡だからな
そりゃ、幕臣も慶喜に呆れるわ さぁーて、そろそろ俺もバイトリーダーの座を中島くんに譲るとしますか >>741
広告塔として生かされた。
奴も命乞いのために日本を売り飛ばしたんだが、共産党には功績だしね。
洗脳して飼い殺し。 >>744
京都がダメでも江戸がある、江戸がダメでも水戸があるとも言ったらしいが、全ては旧幕府軍を欺くためだろう。
これから降伏するとか撤退するなんて言ったら血気盛んな連中は許してくれない >>746
東京裁判でのあれが最大の功績だわな
あれが皇帝のする事かってなるわこっちにしたら >>739
暗でもなんでもなく直球でしょ
中華でいま出来る最大限の表現だと思うよ >>730
分散統治されてたドイツ、イタリア、日本に統一された国民国家が成立だからな >>3
むしろ、徳川慶喜は、
同胞同士の流血を回避して
早く退いてくれた英断のお陰で、
明治政府による日本近代化、先進化を
潤滑に進める事ができた、日本強国化の功績者。
江戸ちょんまげ体制のままだったら、
国民の医療、教育すらままならず
近代化をしないまま、先に欧米に植民にされて、
2020年現在今ごろは、
辛うじて「日本」という括りが残ってたとしても、
トヨタもSONYも、三菱も川崎も三井も住友も無い、
東南アジアみたいな、
江戸時代にちょっと毛が生えたような未開な農業国になってた。 三井と住友は江戸時代からあった
三井は当時は越後屋だったが 形は違えど似た道になったと思うけどね
慶喜自身が幕府の在り方に疑問を持ってたんだし
単に換わるきっかけが無かっただけだろうし
幕府側が勝ったとしても別の形で幕府政治を終わらせて近代化に舵を切ってたんじゃないかな
実際幕府側も終盤は様式とかまで近代的に切り替えてたんだし 大晦日くらいプロパガンダは入れないでほしいんだがなあ アメリカやイギリスにとっては計算外だったんだろうね
もっと引っ掻き回して弱体化した所を支配する予定だったのが、結局手出しする隙がなかったから さすが家康以来の天才と言われただけあって見事な引き際だったね。
「1000兵が1兵になろうとも退くことはならない」って皆を発奮油断させて、自分は夜にさっさとズラかるなんて慶喜さんじゃないと出来ないわ 欧米の鬼畜ぶりを考えると平和的に日本を欧米化に進めた慶喜さんは偉大だったと思うよ
じゃなかったら外国の資金でオワリのない内戦に明け暮れてたかもね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています