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▲国立文化財研究所が「原州法泉寺址智光国師塔」解体修理の過程で発見された赤い「馬の絵」(左側写真・見やすいように色補正)。日帝強制占領期間に毀損された可能性が高いが、対馬・浮石寺仏像(右側写真)窃盗事件判決など韓日関係悪化の余波で現地調査できなかった。東亜日報DB

韓日関係悪化の余波で文化財当局が日帝強制占領期間に描かれたと推定される「原州法泉寺址智光国師塔」(国宝第101号)の赤い馬の絵を除去できないことが確認された。国権侵奪後、日帝によって本来の場所から移され110年が流れた高麗石塔を完全な原形に復元するには追加調査が必要だ、という指摘が出ている。

文化財庁傘下国立文化財研究所は智光国師塔解体保守過程で上層基壇席(塔本体を支える下の石)で発見された赤い馬の絵をひとまず残しておくことにした、と27日明らかにした。最近、保守を終えた智光国師塔は文化財委員会が決定次第、江原原州市法泉寺址に移される予定だ。

この絵は専門家の調査の結果、1912年日本大阪に智光国師塔を不法搬出した藤田平太郎男爵が父親・藤田伝三郎(1843〜1912)の49齋をむかえて冥福を祈るために描いた可能性が高いと推定される。高麗石塔では馬の絵の前例がないばかりか日本葬儀文化である「絵馬風習」の様式に似ているというのが判断根拠だ。絵馬の風習は木版などに馬の絵を描いて神社や寺に置く葬儀文化だ。日本大企業DOWAホールディングスの創立者である伝三郎が生前、騎兵隊に服務した事実も考慮された。

問題の絵が石塔造成時の高麗時代に描かれたものではなく、不法搬出者の私的な用途で後に描かれたものなら文化財「き損」に該当する。これに伴い、国立文化財研究所は専門家たちとの諮問会議で馬の絵の正確な造成経緯を把握するために藤田家の墓を管理する寺の葬儀記録と藤田美術館の遺物管理記録を調査することに決めた。該当する絵を除去するには平太郎によるき損が具体的に確認されなければならないからだ。

しかし藤田一族は私たちの文化財当局の調査要請を拒否した。文化財庁関係者は「対馬、浮石寺(プソクサ)仏像窃盗事件判決と韓日関係悪化を契機に日本国内の文化財所蔵者が韓国の協力要請に否定的なことに従ったもの」と説明した。文化財庁は確実なき損根拠が確認されなければ馬の絵を直ちに除去することは難しいという立場だ。

これに先立って2017年1月、大田(テジョン)地方裁判所は韓国人窃盗団が対馬の寺から盗んだ仏像に対して日本側の返還要求を受け入れず、忠南瑞山浮石寺に渡せと判決した。当時、日本政府は「明白な盗難品を返還しないことは国際法に外れる」として遺憾を表明した。この判決以後、韓日間文化財交流は事実上凍りついた状態だ。

国立中央博物館は2018年、高麗建国1100周年をむかえて「大高麗展」を開催し、日本国内の高麗仏画のレンタルを推進したが、日本側の非協力で不発になった。当時、日本文化庁は「多くの高麗仏画は日本の寺が持っているが、対馬仏像判決後、韓国に貸与することを敬遠している」と回答した。

文化財だけでなく学術分野での韓日交流も支障をきたしている。日帝強制占領期間に収集された韓国古文献を多数所蔵する日本のある大学は韓国研究者の資料撮影と複写を一切禁止している。韓日関係が悪化し、韓国研究者の資料接近を一層厳格に防いでいることが分かった。これによって国内研究者が該当大学を訪ねて一日中、韓国古文献を手で書き写す非効率に耐えている。ある研究者は「筆写する時、終始日本人大学院生が前に座って監視していたせいで、資料撮影が容易ではなかった」と吐露した。

キム・サンウン記者

ソース:東亜日報(韓国語)[単独]日調査要請拒否で…智光国師塔‘話の絵’除去できなくて
https://www.donga.com/news/Culture/article/all/20210128/105145694/1