(金 愛:フリージャーナリスト)

旧日本軍の元慰安婦、李容洙(イ・ヨンス)氏は、日帝時代の従軍慰安婦を「自発的売春婦」だと定義付けたジョン・マーク・ラムザイヤー・米ハーバード大学ロースクール教授の退陣を求める記者会見を2月17日に行った(参考記事「性奴隷説を否定した米論文にぐうの音も出ない韓国」「慰安婦は性奴隷ではないと理詰めで語る米論文の中身」)。この場では、慰安婦として強制連行されたという事実を証明するため国際司法裁判所(ICJ)に訴える、慰安婦被害者に代わって文在寅大統領が日本の謝罪を受けるべきだと涙ながらに語っている。

 李容洙氏については、2020年5月に尹美香(ユン・ミヒャン)前正義記憶連帯(正義連)前理事長が、李容洙氏は慰安婦被害者ではなかったことを匂わす発言を出した。「真正性」と「信頼性」に対する疑惑を解消することなく、一方的に「被害者性」を訴えている李容洙氏には、自称“慰安婦被害者”という批判も上がっている。

 それを物語るように、会見の質疑応答では「世間では偽物慰安婦との論調もあるが」という質問がMBC担当記者から出た。それに対しては、「そんな認識の質問は今さら受けたくない」と回答。「当時は何も分からずに連れて行かれた。この30年の私を見てください」と続けた。この一連の報道を見て、「やはり」と疑心暗鬼になった韓国人は少なくない。

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李容洙氏は韓国では代表的な慰安婦被害者だが、彼女に対する疑惑もある。韓国の「日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援及び記念事業に関する法律」は、慰安婦被害者を「日帝により強制動員され性的虐待を受け慰安婦としての生活を強要された被害者」と定義付けている。

 韓国で慰安婦問題が提起された直後の1992年8月15日、李容洙氏は最初に慰安婦だったと名乗り出た金学順氏と一緒に、KBSの生放送番組「私は女子挺身隊、民族受難の痛みを乗り越えて」に出演した。

 番組のなかで李氏は「16歳のとき、ぼろを着て食べることもできなかったが、日本人がワンピース1着と靴1足を持ってきてくれた」「それを差し出して『行こう』と言ったのでついて行った」と話した。司会者が「だまされたのか」と再度尋ねると、李容洙氏は再度「日本軍の強制連行ではなかった」と述べた。「拉致」や「強制連行」ではなく誘惑に負けたのである。

 この証言は、正義連の前身である挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)が発刊した「証言集-強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち(1993、ハンウル)」でも確認できる。「家出状態だった李容洙氏が川辺で若い日本人男性がくれたワンピースや革靴を見て虜になり、ついて行った」と掲載されている。

 ところが「強制連行ではない」という証言はその後、覆された。2007年の米国議会と2018年のフランス議会で行なった「証言」で、「強制連行の現場に軍人がいた」「背中に刃物を刺されて連行された」と発言したのだ。

 李容洙氏を数年間追跡してきた韓国インターネットメディアの「メディアウォッチ」は特集報道で、「李さんと挺対協の問題は国際詐欺劇」「(戦争で犠牲になった)日本軍将校のために霊魂結婚式を行った李さんは年齢、結婚、職業などをすべてだました詐欺共謀者」「『従北』勢力という烙印を押された政治勢力や市民団体と連合し、民主統合党比例代表国会議員を申請して政界進出まで夢見た人物」だと糾弾した。

 複数のマスコミ報道や資料を総合すると、李氏は1944年10月、14歳のとき、旧日本軍の慰安婦募集に応じて翌年1月から台湾・新竹(HSINCHU)空軍基地近くの慰安所で、7〜10カ月の間、日本軍慰安婦生活を送ったようだ。しかし、李氏はあるメディアのインタビューで3年間の慰安婦生活を送ったと話している。また、一日に相手にした日本軍人も5人から最大70人に増えるなど「供述の一貫性」は見られない。

韓国の歴史家で慰安婦問題の実態解明に取り組んでいる国史教科研究所のキム・ビョンホン所長は「李容洙氏は『日本軍慰安婦被害者』ではないにもかかわらず、これまで慰安婦法による各種支援や恩恵を享受してきた不正受給者であり、犯罪者だ」とメディアのインタビューで指摘した。

 李容洙氏は疑惑について沈黙を続けており、韓国世論が反証することはない。

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https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64163