支那の都市が発展したときは交通路を整備して交易の中心地になったとき
シルクロードがその典型、ローマや京都奈良はシルクロードの終端であり集積地
世界が狭くなった現代とはスピード感が全然違うけど
交易の中心地になった都市ではいろんな物が集まり改変されては出て行くのは今と同じ
交易の中心として発展した支那の都市経由でいろんな物が我が国に入ってきた時期があるのは
そういう来歴の記録が残っているし事実だけど
それを見て支那が「全ての元」だと考えるのは思い込み
ササン朝ペルシャの影響もある、みんな天竺を目指した時期もある
中華思想につられてもしょうがないアル