┃差別を受ける在日同胞を守るために誕生した民団
┃団長選挙の混乱、それによる内紛で対立

(パク・ヒョンヂュン東京特派員)
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東京・麻布十番にある韓国中央会館の別館に、『在日コリアン歴史資料館』がある。在日同胞から過去の写真や服、本などの寄贈を受け、100年の歴史を展示している。展示室の扉を開けば、みすぼらしい掘っ立て小屋の写真が目に入る。『東京の在日韓人(コリアン)集団居住地』という短い説明だけついている。西暦1905年に釜山(プサン)と下関を結ぶ連絡船が就航して、その航路から朝鮮人が毎年日本に渡った。日帝に土地を奪われて生きていくため、太平洋戦争の際に軍需工場の労働力として動員され、日本軍の慰安婦になる運命かも知らないままに「良い仕事がある」という言葉に騙され・・・。そのような朝鮮人が東京に掘っ立て小屋を建て、苦しい生活をしたのだろう。

資料館の『ヂャイニチ(在日)』説明が特に気になった。西暦1945年8月に日本が敗戦した時、日本にいた朝鮮人は約236万人。ほとんどが解放された祖国に旅立ったが、帰国しても生活の目処が立たなかった約60万人の朝鮮人は、日本に残った。彼らがまさに『ヂャイニチ』だ。ヂャイニチは日本に住む外国人を指す一般名詞だ。だがしかし、日本人は特に韓国籍や朝鮮籍の者をヂャイニチと認識して、固有名詞のように使用する。

日本に残った人々の生活も厳しかった。敗戦によって日本の軍需産業が止まり、海外から日本人が帰国すると、大勢の朝鮮人は仕事を失った。彼らは参政権をエラれなかった。朝鮮人の未成年者が罪を犯せば、メディアに実名で報道されるほどの差別を受けた。このような状況下で生き延びて力を集めるため、西暦1946年10月に在日本朝鮮居留民団(現・在日本大韓民国民団=民団)が結成された。

現在、民団に属する同胞の数は約30万人である。これらを米国や欧州などの海外同胞と同じにされては困る。他の海外同胞たちはチャンスを求めて自ら海外に向かったが、民団の同胞たちは歴史の屈曲中で日本に流され、光復後も韓国に帰れなくてハン(恨)を抱いて暮らしている。

そのような民団に最近、恥ずかしい内輪もめが起きた。任期3年の民団中央本部団長選挙で団長のヨ・ゴンイ(呂健二)候補(72歳)と、副団長のイム・テス(任泰洙)候補(59歳)が激突した。2月26日に予定されていた開票は2度も延期され、先月6日に開票されないままヨ候補が当選者として発表された。投票箱の中の491票はシュレッダーで破棄された。選挙管理委員会がイム候補の犯罪容疑の前歴を理由に、候補者の資格を剥奪して起きたのである。

反発した民団の幹部20人は直ちに正常化委員会を立ち上げ、臨時中央大会の開催を主張して、選挙管理委員会とヨ団長の責任を追及した。一方、ヨ団長側は選挙に問題を提起した民団の役職員を解雇したり、会議のメンバーから外して対立した。

民団のホームページに紹介されている通り、民団は『在日同胞の故郷』であり『第1世代の血と汗と涙の結晶体』である。韓国政府も日本国内唯一の在日同胞公認団体と認めており、年間約80億ウォンの予算を支援している。選挙問題は双方合意で真相調査委員会を立ち上げ、イム候補の候補資格の有無、2018年にイム候補が副団長に任命された際は同じような問題がなかったのか、このため選挙管理委員会は判断が適切だったのかを突き詰めればいい。

ヨ団長は今年の新年会の祝辞の際に韓日の政治的対立に言及し、「常識に基づいて相手に対する理解と尊敬を持てば解決できるだろう」と強調した。今現在、民団にも全く同じことが必要だ。

ソース:東亞日報(韓国語)
https://www.donga.com/news/article/all/20210510/106853799/1