2年ほど前から私は日製(日本製品)を一切購入していない。ほとんどの韓国国民が感じたように、当時起きた日本の輸出規制が不当であると判断したからである。輸出規制の前は日製を頻繁に購入して、愛用していた。ユニクロのパンツやTシャツ、アシックスのシューズを好んで履いていた。時計も数年前に購入したセイコーのダイバーウォッチを着用していて、身に着けているもの全てが日本のブランドだった時もあった。そのような私にとって、『アベ内閣』の輸出規制は『脱日製』の起爆剤になった。

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▲ キム・ヂュン経済エディター

日本が問題視したフッ化水素、フォトレジスト、フッ化ポリイミドの3品は、サムスンやSK、LGが半導体やディスプレイパネルを作成するのに必要な素材である。日本が韓国経済を支えている主要企業の息の根を断つと意図した状況で、日製の購入は馬鹿げた行動だと思った。

振り返ってみると、ウリたちはイルヂェ(日帝=帝国主義)強占期を脱した後も、また違ったイルヂェ(日製=日本製品)強占期』に封じ込まれていた。1970〜1990年代の日本の産業技術力は不気味なほどに強かった。幼い頃、ウリたちの家や友だちの家には象の炊飯器、ナショナルのヘアドライヤー、ソニーのウォークマン、キヤノンのカメラのような日製の工業製品が一つや二つは必ずあった。当時、アイワというブランドの大型カセットレコーダーが我が家にやってきたが、音質はそれほど良くはなかった。ビートルズ3rdアルバムの4番目収録曲を探し、頭出しをする『オートミュージックサーチ』という機能もあった。「どうすれば人間がこのようなモノを作れるにか」という感嘆詞が自然に出るくらいだった。

大人たちが口にする『日製は糞も良い』という言葉に自尊心が傷ついたが、韓国産を使いたくても相当する代替品がなかった。製造業だけではない。当時の日本はアジア最強の『ソフトパワー』保有国だった。『コイビトヨ(恋人よ)』を歌ったイッスワ・マユミ(五輪真弓)、『トンボ(とんぼ)』のナカブチ・スッヨシ(長渕剛)に代表される日本の歌謡は韓国でも大きなファンダム(熱狂的ファン)層を築いていた。村上春樹が書いた『風の歌を聴け』や塩野七生の 『ローマ人の物語』は、必読書のように思われていた。

私が『日製コンプレックス』から脱した時期は、2010年前後だったと思う。韓国経済が先進国と肩を並べるほどのレベルに成長して、購買力も日本に追い付こうとしていた時期だった。個人的に『ウィッシュリスト』にだけ存在していた『ブランド品』を、少し無理をすれば買えるようになった時期でもある。特に、韓国産のノートパソコンやスマートフォンの性能が日進月歩して、日製は私の関心事から姿を消した。たまたま日製ブランドを購入したとしても、ユニクロのようにチープで適当に使える生活必需品が全てだった。

厳密に言えば、日製の本質は『チャクトゥン(パチもん)』である。欧州産や米国産のブランドをコピーしたものがほとんどだ。目新しい機能にスペックも最高水準だが、実際に使ってみればその製品の存在理由や本質を逃した『ウッヂャラン・カヂ(肥料を与えすぎた茄子)』のケースが少なくない。オーディオマニアがMark Levinson(マークレビンソン)やSTUDER(スチューダー)、Wilson(ウィルソン)のオーディオなどの西洋ブランドを求める理由だ。ピアノはSTEINWAY(スタインウェイ)やBosendorfer(ベーゼンドルファー)、時計はRolex(ロレックス)やオーデマ・ピゲ(Audemars Piguet)が最高ランクに根付いている。自動車もそうだ。日本車はポルシェやベンツの比ではない。

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ソース:京郷新聞(韓国語)
https://www.khan.co.kr/opinion/column/article/202110150300025
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