サンフランシスコ条約発効70周年を迎え 体制の成立・展開・帰結を総体的に分析  戦犯国日本、米国の「冷戦と反共のパートナー」に 「東アジアの領土紛争も米国が意図した」

 『サンフランシスコ体制を越えて-東アジアの冷戦と植民地・戦争犯罪の清算』 
キム・ヨンホ他 著|メディチメディア刊|3万8000ウォン
 今年は戦後の東アジアの国際秩序を規定した「サンフランシスコ体制」が構築されて70年になる年だ。サンフランシスコ体制とは、第2次世界大戦の戦犯国である日本が米国をはじめとする戦勝国と「サンフランシスコ講和条約」を締結したことによって成立した体制をいう。同条約は1951年9月に48カ国が署名し、翌年4月に発効した。本書『サンフランシスコ体制を越えて』は、サンフランシスコ条約自体に内包された問題と、サンフランシスコ体制が起こした問題を一つひとつ明らかにする論文集だ。東北アジア平和センター(キム・ヨンホ所長)が中心となり、2016年から2019年まで4回開かれた国際会議で発表された論文と、この企画に合わせて書き下ろした論文をまとめた。サンフランシスコ体制の成立とその体制が東アジア秩序に与えた影響、そして東アジアの市民社会の対応と関連して、すべて重要な争点を盛り込んだ論文だ。論文執筆者として、韓国(キム・ヨンホ、チョン・ビョンジュン、イ・テジン、イ・ジョンウォン、イ・ジャンヒ、カン・ビョングン、キム・ソンウォン、オ・シジン、キム・チャンロク、ペク・テウン、ノ・ジョンホ)、日本(和田春樹、原貴美恵)、中国(徐勇、胡徳坤、石源華)、米国(チャールズ・アームストロング、アレクシス・ダデン)、オーストラリア(ガバン・マコーマック)など学者25人が参加した。サンフランシスコ体制の問題点を指摘する論文はこれまでもあったが、この体制の成立と展開、帰結を総体的に追求し論じた著作は同書が初めて。

 サンフランシスコ講和条約は、最終締結まで6年という長い時間がかかった条約だ。著者のキム・ヨンホ氏は、同条約が締結されるまで日本に対する米国の態度が3段階を経て変わったと述べる。第1段階(1945~1947)では戦犯国である日本を解体することに重点を置いたが、第2段階(1948~1949)で米ソ冷戦体制に入ると、ソ連を排除し日本と単独講和を結ぶ方向に転じた。続いて第3段階(1950~1951)では中国本土に社会主義体制が樹立され、朝鮮戦争が勃発すると、日本を冷戦と反共の最前線に立つパートナーにした。日本は最大戦犯国の地位から脱し、米国の東アジア戦略の最大同盟国となった。こうして戦争犯罪者の大多数が免罪符を受け、戦後の日本再建の主役となった。

 サンフランシスコ条約締結の過程で浮かび上がった問題はこれだけではない。注目すべきは、日本の侵略と支配で最も大きな被害を受けた韓国と中国が、同条約を締結する当事者として参加できなかったという事実だ。韓国は南北が分断されており、韓国が参加する場合は北朝鮮も参加しうるという理由で排除され、台湾と本土に分かれた中国も、代表性に問題があるという理由で除外された。日本の侵略による一番の被害国が、条約の主役になれなかったのだ。にもかかわらず、このように成立したサンフランシスコ体制は、東アジア秩序を規律する枠組みとなり、韓国を束縛した。例えば、1965年の韓日国交正常化の際の「請求権協定」は、サンフランシスコ条約に基づいて結ばれた。その後、日本は請求権協定の文言を口実に、日本による植民地時代の韓国人被害者に対する賠償責任がないと主張している。韓国が参加もできなかった条約が、韓国の足を引っ張っているかたちだ。

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コ・ミョンソプ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

Yahoo!Japanニュース/ハンギョレ 4/30(土) 7:49配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e6c83e5d1a45766d6f3fbcff7fd251ae68a71c57