>>464
九州邪馬台国なんて存在しないよ。
三世紀に談合政権の核が出来て、日本列島の東海以西
くらいの有力者たちがやまとに集住し都を作った。
それが纏向前期の時代。
一枚岩とはいかず、内紛というか内乱も起きてるが。
それが落ち着いたのが垂仁の時代であり、全国に同じ設計図の前方後円墳が広まっていく。
この後の「反乱伝承」は関東であったり九州であったり。
古墳に収められてるものの年代が違うって話があるが、それはおそらく現代人が決めた
年代が間違ってるからだろうな。
前方後円墳が急に増えて三角縁神獣鏡が大量に出るようになる。
奈良の鏡作神社の伝承は、崇神天皇が作らせたとなってる。
魏からもらったのにプラスして配り、魏が滅んだ後は国内産だけを配った。
両方出るやつは扱いがものすご違うからな。
景行天皇の時代に国内がそれなりに安定したんだろ。