┃済州島海女博物館 プ・シンヨク館長

(写真)
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▲ 済州(チェヂュ)海女(ヘニョ)抗日運動90周年特別展は来月18日まで、海女博物館2~3階の特別展示スペースで開かれている。
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「歴史の発展は逆行しないものであり、民衆の力量は不敗だ」

済州(チェヂュ)海女(ヘニョ)抗日運動90周年を迎え、『磯ノミを持ち、ねじり鎌を持って火花の海へ』特別展の内容を一言で集約した文言である。歴史の原動力は大衆であり、大衆の力によって発展し、大衆によって実を結ぶという意味だ。

済州の歴史は苛酷で苦難の歴史だった。中央政府の権力の影響下にあった頃から、済州は収奪と迫害の対象だった。不毛な自然環境による貧困との戦いは自主的に成長することになり、その原動力は天恵の『海』だった。その海は貧弱な農産物に代わる解決策でもあった。

海女は済州島の特殊な職域だ。外地に出て出稼ぎ労働を通じて家庭生活を送り、済州経済にもそれなりの基礎になっていた。だがしかし、日本の帝国主義が朝鮮を併呑し始め、その魔手は済州島にも及び始める。日帝は1910年代の『土地調査』によって農地収奪政策を拡大しただけでなく、済州の海女を対象にした搾取はいっそう高度になっていく。『済州島海女漁業組合』を中心に海女を欺瞞して搾取する行為は、済州の女性として耐エラれない憤怒として表出されてしまう。

生涯を漁と畑仕事などで疲労困憊した人生を送る可憐な済州の女性の抗日闘争は、済州の歴史を表すものであり、不毛な自然環境に適応しながらも、不正な時代に対してはきっぱりと拒否する不屈の済州の精神を示してくれた。1931年12月、済州島海女漁業組合の事務所を点検するための集団行動を始め、1932年1月まで自身らの生存権を守るための血のにじむ戦いは、まさに済州の集団的抵抗意識を表すものだという。

90年が経った今、海女博物館周辺の牛島(ウド)、旧左(クヂャ)、城山(ソンサン)一帯には、日本の帝国主義に対立した海女たちの血のにじむ絶叫と抗争の独特なオーラを感じられる場所だ。いずれも済州の海女の息づかいが感じ取れない場所はない。海岸通り、石垣、プルトク(焚火場)などは疲労困憊する海女の人生を見ることができ、このような人生は『スンビギ(ハマゴウ)の花』に昇華されて歴史的事実として残るだろう。

済州の海女のための展示、『磯ノミを持ち、ねじり鎌を持って火花の海へ』特別展は今回が終りではない。済州の海女は抗日運動だけでなく、大韓民国領土主権の象徴である『独島(トクド)』守護にも乗り出している。このような済州の海女の人生を拡散させるため、資料発掘と同時にさらに真剣で発展した内容で次の特別展を準備しようと思う。

ソース:ニュー済州日報(韓国語)
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