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中国で生まれたマージャンは、20世紀初頭には世界各地に広まるようになった。米国は、中華圏以外では、「マージャン人口」が相当に多い国の一つだ。

マージャンは19世紀の中国で形作られたとされている。そしてマージャンは、日本などの周辺国だけでなく、遠く欧米にも広まった。マージャンが米国など異文化の地で、どのように人気を獲得したのか。中国メディアの中国新聞社はこのほど、米オレゴン大学のアンネリス・ハインツ教授に取材して、概要をまとめた記事を発表した。ハインツ教授は中国の雲南大学で教職についた経験もあり、「マージャン:中国のゲームと近代米国文化の形成」という著作もある。以下は中国新聞社掲載の記事を、部分的に情報を追加することも含めて再構成したものだ。なお、マージャン用語に添えた< >内のカナは、日本で一般的に用いられている呼称であり、標準中国語の発音とは違いがやや大きい場合がある。

■マージャンの「米国上陸」は1920年代、人気が高まりルールブックも出版

欧米人にもマージャンを愛好する人は多い。有名人としては、米国人俳優のジュリア・ロバーツさんが、「マージャンの魅力は手にした牌(パイ)がもたらす混乱の中から秩序を創造することにあるのです」と、“マージャン愛”を熱く語ったことがある。元バスケットボール選手のシャキール・オニールさんはマージャンの腕前でも有名で、春節(旧正月)に中国を訪問してマージャンに興じたことがある。

世界各地に広まったマージャンは、地域によるルールの違いも発生した。例えば米国式マージャンや日本マージャンなどだ。このような現地化されたマージャンはすでに40種以上があるとの見方がある。米国では、米国マージャン連盟が1937年に設立され、ルールの調整なども行っている。設立当初はわずか32人だった登録会員は、現在では35万人を超えるまでに増加した。

ハインツ教授は、マージャンの海外普及について、「100年余りの間に、性別や人種を超えたゲームとなり、多様な社交空間で人と人を結ぶ独特の役割を果たすようになった。マージャンはかなりの程度、現代米国文化の一部にもなっている」と考えている。

米国でマージャン人気に火が付くと、中国や西洋の実業家が上海に、マージャン用具を大規模生産するための工場を作った。さらにはニューヨークにも工場が作られた。つまり近代的なマージャン産業が出現した。

興味深いことに、米国内で最初にマージャンが広まったのは、ニューヨークなどにいる白人の間だった。そして1930年代になると、チャイナタウンの中国系住民に広まった。この時期には、中国国内でも海外でも、マージャンは「中国の国民的ゲーム」と認識されていた。日系米国人がマージャンを知ったのは1920年代で、第二次世界大戦中には特に、手軽な娯楽として彼らの間でマージャンに対する注目度が高まった。1950年代になると、ユダヤ系米国人の間でマージャンが盛んになった。

■本国では紆余(うよ)曲折あったものの、現在は「伝統ある頭脳スポーツ」として評価

なお、中国本国では中華人民共和国が成立すると、マージャンがその他の賭(か)け事と共に、「一律禁止」の対象になった。ただし、1976年に文化大革命が終了して改革開放の時代になると、マージャンに対する見方が変化し始め、1985年までには「賭けはしない」などの条件のもとで、マージャンが解禁された。現在では競技団体も存在して活動を行っている。中国ではマージャンが「伝統ある頭脳スポーツ」として公認されており、最近では国際マージャン連盟と中国側団体が「マージャンスポーツ技術技能等級評価管理規則」を制定するなどの動きがある。

米国のいわゆるマイノリティー人種にとっては、マージャンはコミュニティーを維持強化することにもつながった。マージャンは一方で、人種の垣根なしで楽しめることから、米国社会の融合を推し進める力にもなった。

米国におけるマージャンの人気は、時代による変動もあったが、2010年代後半からは高齢者の間での人気が高まった。一人暮らしのお年寄りなどが高齢者用施設に足を運んで、仲間とマージャン卓を囲む姿が、珍しくなくなった。若いころは楽しんでいたが、その後は離れてしまったマージャンを再開した人もいれば、未経験者で施設でルールなどを手ほどきしてもらいつつ始めた人もいるという。

ハインツ教授は「私は米国や他の地域でマージャンが再び流行していることをうれしく思う。マージャンが引き続き繁栄して、未来に向けて発展していくことを願う」と述べた。(構成 / 如月隼人)

2022年11月26日(土) 22時0分
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