日曜日の夜、テレビをつけると、ちょうど尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が発言する場面だった。貨物連帯のストライキに対し、関係長官対策会議で超強硬対応を注文するという内容だった。「政府は、組織的に違法と暴力を行使する勢力とはいかなる場合であっても妥協しない…長官のみなさんはこのような違法行為に対して、あらゆる行政力を動員して最後まで追跡し、迅速かつ厳正に措置してください」

 尹大統領は冒頭発言だけで「違法」という単語を7回、「暴力」という単語を4回使用し、「最後まで追跡する」は2回言った。まるで1980年代のテレビを見ているような気がした。

 この発言だけであの当時を思い出したわけではない。近ごろ起きた一連の事件のせいだ。イ・サンミン行政安全部長官は10・29惨事の翌日、事故の責任を問われ「ソウル市内のあちこちで騒乱とデモがあったため、警察・警備兵力が分散した」「扇動性を帯びた政治的主張をしてはならない」として責任逃れをした。80年代の内務部長官や治安本部長を連想させる発言だった。

 このようなことが相次いだ。文化放送(MBC)の記者に対する大統領専用機への搭乗の拒否、前政権と野党第一党の主要人物に対する大々的な捜査などなど。今や労組のスト権そのものを認めず犯罪視する発言まで登場している。

 また、労働者の生計や安全の問題のかかったストに対して、私たちが決して容認しえない国家安保の問題である「北朝鮮の核の脅威」になぞらえて原則的対応を注文したことも、とうてい納得できない。政治の役割である対話と妥協を通じた問題解決の努力は完全に消え去り、処罰をちらつかせて抑えつけようとする姿勢ばかりが目に付く。

 よほどのことがない限り、国際労働機関(ILO)が政府に書簡まで送り、「結社の自由」を制限したとして刑事制裁を加えないよう勧告したりはしない。私は1カ月前、梨泰院惨事に直面した際に「目覚めてみれば後進国」というコラムを書いたが、今度は「労働後進国」というレッテルまでついて回ることになった。

 権力の核心が今、治安、報道、労働、政治などの各分野で行っていることは、韓国社会が軍部独裁を終息させ、30年あまりにわたって切り開いてきたものを水泡に帰しうる兆候だ。使用する言語と法執行のやり方は少し洗練されているかもしれない。それは少々学があり、「銃」の代わりに「法」を扱う人たちで権力の核心が構成されているからだろう。

 しかし、民主主義の退行であるという点で本質は似ている。敵か味方かを判断基準にする軍人のように、検事出身者は善と悪という二分法的な考え方に浸っている。これを制御すべき与党はさらにひどい。与党指導部は民主労総のことを「北朝鮮に同調する勢力」「朝鮮労働党第2中隊」だと主張し、軍部独裁政権が伝家の宝刀のように振り回した「容共フレーム」にはめようとしている。

 80年代式の国政運営方式は経済分野でも見られる。政府が物価を抑えるとして価格統制を行うのが代表的な例だ。今年はエネルギー価格が暴騰したにもかかわらず、電気料金を適切な時期に引き上げなかったため、韓電は実に30兆ウォン(約3兆900億円)を超える赤字が見込まれている。前政権でも同じだったではないかと抗弁するかもしれないが、比較にならないほど赤字規模(昨年5兆8000億ウォン、約5980億円)は膨らんでいる。経営資金が足りなくなった韓電が公社債(韓電債)を発行して債券市場で資金を調達したことから債券金利が急騰し、金融市場までもが動揺した。

 江原道のレゴランド再生手続き申請の際のように、政府はもみ消しつつ繕うことに汲々としているうちに、問題をさらに大きくした。これはただでさえ高金利に苦しむ家計と企業にとって、大きな負担となりつつある。密に絡み合っている資本主義経済のエコシステムにおいて政府が価格決定に過度に介入すれば、必ず事故が起こる。

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ハンギョレ 2022-12-07 04:03 修正:2022-12-07 06:53
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