外務省は21日、1991(平成3)年の外交文書19冊、6800ページ超を公開した。このうち海部俊樹首相(当時)の中国訪問などに際し、中国側が天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)のご訪中を強く働きかけていたことが明らかになった。89年の天安門事件以降、西側諸国による経済制裁で外交的孤立に苦しんだ中国が、天皇訪中によって突破口を開こうとした思惑が改めて浮かび上がった。

「来年の天皇陛下訪中実現にかける中国側の気持ちは非常に強い」

記録によると、91年8月10日、中国を訪問した海部氏を歓迎する夕食会で、李鵬首相(当時)は海部氏にこう語りかけた。「本来会談の席でお話ししようと思ったが、日本側を困らせることは本意ではないので、それはやめた」とも打ち明け、海部氏は「検討を進めたい」と応じた。夕食会は日本の「浜辺の歌」や「四季の歌」が演奏される中、和やかな雰囲気で約1時間20分続いた。

中国では89年6月、民主化運動を武力弾圧した天安門事件が発生した。これを受け西側諸国は中国に経済制裁を科したが、日本はいち早く制裁を解除。海部氏の訪中は事件後、西側の首脳として初めてだった。

海部、李両氏の首脳会談では天皇訪中の話題は出なかったが、中国はそれまで繰り返し日本に働きかけてきた。

外務省が91年7月に作成した資料によれば、同年4月、李氏は訪中した中山太郎外相(同)に「明年は国交正常化20周年であり、天皇・皇后両陛下に訪中していただく好機だ。もし訪中されるならば、中国人民、日本人民の歴史の傷口を治す上からも、友好関係を強固にする上からも重要だ」と呼びかけた。銭其?外相(同)も同年、2度にわたって中山氏と面会し、「本件が実現すれば、必ずや中国人民の熱烈な歓迎を受けることであろう」と語っている。

中国側の要請を受け、外務省は検討を重ねた。検討状況をまとめた記録によれば、「天皇訪中を頻繁に求めてくるのは、中国の現政権の側に天皇訪中を政治的に利用しようとの意図があるからではないか」などと警戒感があった。一方で、「熱心な訪中招請は(たとえその背後にいかなる政治的計算があろうとも、)外交儀礼にかなったものであり、これに対するわが方の対応には礼を失するところがあってはならない」などと積極的な見方もあった。

同じ記録には「天皇が韓国よりも先に中国を訪問することは、日韓関係に大きなしこりを残す可能性がある」とも書かれており、当時、外務省が訪韓も検討していたことがうかがえる。ただ、訪韓は実現せず、天皇、皇后両陛下は92年10月に中国をご訪問。中国がその後、国際社会に復帰する上で重要な足掛かりとなった。

産経新聞 2022/12/21 10:23
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