>>946
ぶぶぶ、文書が残ってないから関係ないんだー!!


『漢口慰安所(長澤健一)』→軍医の証言
慰安所というところで兵隊さんを慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、こんなことをさせられるとは知らなかった。

『憲兵下士官(鈴木卓四郎)』→憲兵の証言
だが彼の考えていた慰安所と現実の慰安所はあまりにも差があったことだ。彼の想像していた、いや渡支の際の契約は、陸軍直轄の喫茶店、食堂、或いは将兵の集会所となっていた。それが陸軍慰安所、すなわち売春業であることを知った。

『ある日、赤紙が来て-応召兵の見た帝国陸軍の最後(真鍋元之)』→官憲の関与
ある日突然村長がやってきて「軍の命令だ。お国へのご奉公に、娘を差し出せ」という。村長の背後では、佩刀を吊った日本人の巡査が、肩をそびやかせている。

『戦場と記者-日華事変・太平洋戦争従軍記(小俣行男)』→舟は軍用艦
東京の軍需工場へ行くという話で募集がありました。私は東京に行ってみたかったので、応募しました。仁川沖に泊まっていた舟に乗り込んだところ、東京に行かず南へ南へとやってきて、着いたところはシンガポールでした。

『マレー半島における日本軍慰安所について(林博史)』→当時の軍通訳の証言
朝鮮人慰安婦たちに日本語を教えるように部隊長から命じられたので、その教育にあたった。彼女らと話をしていた時に、「通訳さん、聞いてください。私たちはシンガポールのレストラン・ガールということで100円の支度金をもらってきたが、来てみたら慰安婦にされてしまった」と泣きながら訴えたという。

『シンガポールへの道(下)-ある近衛兵の記録(土金富之助)』→当時の憲兵軍曹の証言
私達は朝鮮で従軍看護婦、女子挺身隊、女子勤労奉仕隊という名目で狩り出されたのです。だからまさか慰安婦になんかさせられるとは、誰も思っていなかった。外地へ輸送されてから、初めて慰安婦であることを聞かされた。