今年もイチゴの季節がやってきた。

 上海で売られるイチゴで一番多いのは「?油草莓」という名前のイチゴだ。ただ、ここ数年で中国市場に出回り始めたこのイチゴが、静岡生まれの品種「章姫」(あきひめ)であることは、あまり知られていない。

 ?油草莓は粒が揃っており、色も鮮やかで、筆者は何となく「日本のイチゴに似ている」と思っていた。しかし日本の品種だとは知らなかった。

 ネットで検索してみると「『?油草莓』は『章姫』の別名である」「『?油草莓』は『章姫』を指す」などと書かれている。店頭の商品パッケージに「章姫?油草莓」と「章姫」の文字が入っているものもあった。

 しかし、産地には中国の地名が記載されているため、中国人はこの名前を見ても日本の品種だと分からないだろう。実際、果物屋の店員に聞いてみたが、「日本の品種? 違うよ」と一蹴されてしまった。

■中国側は「日本から導入した」

 ここ数年、日本では農作物の品種の海外流出がたびたび取り沙汰されている。「章姫」も、1990年代に韓国に“流出”したとされる日本の農作物である(参考「国内育成品種の海外への流出状況について」農林水産省)。

 中国で流通している「?油草莓」も、日本から流出したイチゴなのだろうか。

 中国のある書籍には「?油草莓は章姫である」と明記されているが、それに続いて「1996年に日本から“導入”した」と書かれていた。

 この書籍は「中国第一のイチゴ産地」とされる遼寧省東港市(当時は東溝県)のイチゴ産業の歴史を綴ったものである。同書によると、東溝県で最初にイチゴの品種が導入・栽培されたのは1924年。その後20年ほどの間に個人によるイチゴの栽培が試みられたが、1945年には複数の品種を導入して、県内で栽培を規模化している。

 1982年、東溝県のモデル農場がオランダの品種を開発し、全県での商品化、規模化に向けて動きだした。92年に東溝県イチゴ研究所(現在の東港イチゴ研究所)が設立。93年には中国初のイチゴの栽培に向けた工場が建設された。

 そして96年、イチゴ研究所の所長が視察で日本を訪れ、中国のために「章姫」を“導入”したという。99年には日本のイチゴの専門家とその夫人を東港市のイチゴ研究所に招待し、技術面での交流を行っている。その際に、この専門家から「紅ほっぺ」などの品種が贈呈されたという。

「このうち紅ほっぺは、東港イチゴ研究所が初めて中国に導入した」という表現から、贈呈された紅ほっぺの栽培が試みられたことが分かるだろう。品種の導入番号も記されている。

 2000年には東港市イチゴ研究センターが落成。組織培養によるウイルスフリー苗の増殖工場、科学実験室、種苗の保冷庫、研修室などが併設された。その後、東港市のイチゴ産業は省を挙げて推進されることになる。

 東港市はその後もたびたび欧州や日本などから専門家を招いて、栽培技術を伝授してもらっている。また、日本や欧州への視察も行いながら、イチゴ栽培の技術養成クラスなどを設け、栽培技術を次々に広めて行ったようだ。

■日本品種が産業の発展を推進?

 東港市のイチゴ産業の歩みをみると、「章姫」と「紅ほっぺ」が同市のイチゴ産業の発展を大きく促していることが分かる。

 ただし「章姫」については、“導入”の詳細が明記されていない。そのため、同所長が視察の際に何らかの形で苗を手に入れて、中国に持ち帰った可能性も考えられる。

 東港市に度々招かれた国外の専門家たちが、当時どのような経緯で中国に足を運び、栽培技術を伝授したのかは分からない。どの品種をどのように中国に持ち込んだのか、何を意図して贈呈したのかなどもまた不明である。

 分かっていることは、日本のイチゴの品種が中国に持ち込まれ、中国で栽培され、現在、広く普及しているという事実のみだ。

 いずれにせよこれらの行為は、育成者保護の観点からみると批判されてもおかしくない。が、今となってはすべて闇の中である。こう言っては身もふたもないが、日本政府ですら海外での知的財産権保護について意識していない時代だったのだ。

以下全文はソース先で

■イチゴの収穫量は日本の22倍!
■ことはすでに起こってしまった

2023年4月4日 6時0分 JBpress (山田 珠世:中国・上海在住コラムニスト)
https://news.livedoor.com/article/detail/23992514/