今年も繰り返される「王桜起源論争」集中究明に出る
-本紙取材チーム、今月9日から日本現地取材
-「日本王桜」実体など起源についての探求
キム・ジウン記者

日本の東京豊島区駒込の「西福寺」という寺の入口に、「染井吉野の里」という碑石が建てられている。今日、日本で「ソメイヨシノ」と呼ばれる王桜は、この寺が位置する村で初めて普及したと伝えられている。日本東京=カン・フィマン記者
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西福寺の中に植えられた王桜。樹齢が80年くらいになると伝えられている。日本東京=カン・フィマン記者
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[漢拏(ハンラ)日報]「染井吉野の里」。今月12日、漢拏日報の取材チームが訪れた日本の東京豊島区駒込。「西福寺」という寺の入口に入ると、このような文が彫られた碑石が目にとまった。寺の周辺と町の各所では、植えられたばかりのものから樹齢が80年くらいの王桜まで、一カ所で育っていた。

王桜の日本名「ソメイヨシノ(そめいよしの)」は、この町を外して語ることはできない。日本の江戸時代に植木匠人が集まって暮らしていた場所で、「染井村」と呼ばれた。諸説伝わっているが、この町で初めてソメイヨシノが普及し、日本全域に広がったという。

初めから「染井吉野」と呼ばれていたわけではなかった。現在の名前は1900年、東京国立博物館に勤務していた藤野博士が新たにつけた。「吉野桜」と呼ばれて販売されていたこの木が、吉野山の山桜とは異なるということを上野公園桜調査を通じて確認したからだ。変わった名前にも残った「吉野」は、日本の桜の花の名所である奈良県の吉野山を指す。

取材・写真記者で構成された本紙取材チームは、今月9日から5日間の日程で東京や、大阪、奈良などを訪れた。地域新聞発展基金の支援を受けて公開する企画「再び王桜を呼ぶ」取材の一環だ。

旅程の中心には「ソメイヨシノ」という名前がある。その由来を知ることが実体に近づく始発点という判断からだ。これは取材チームが、かつて染井村だった町と吉野山、上野公園などを訪問した理由でもある。

今年も繰り返された「桜論争」を解消していく上でも、きちんとした理解は必須になる。そういう意味で今回の取材は「日本王桜」、「ソメイヨシノ」などと呼ばれる栽培王桜に対する探求でもある。「日本産」の王桜がオルボンナム(※エドヒガンのこと)、大島桜の人為交雑種という主張のように、諸説に関する根拠の実在をもう一度探ってみる。

一方、本紙企画「再び王桜を語る」は、全10回にわたって連載される予定だ。国立樹木院が2018年に発表した済州自生王桜の遺伝体研究結果から触発された論難を振り返ることを始めとし、全世界唯一の王桜の自生地である済州の価値を照明することにつながっていく。日本東京=キム・ジウン記者

漢拏日報(韓国語)
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