インドネシアの首都ジャカルタから車で1時間ほど郊外に「デンキ・エンジニアリング」という電気工事会社がある。

 会社の入り口には「HORENSO TRAINING」と書かれたのぼりが置かれていた。

 「ほう・れん・そう(報告・連絡・相談)は日本で学んだ仕事の基本。社員に徹底しています」。そう話すのは社長のウマル・ハムダンさん(46)。元技能実習生だ。

 出身はジャワ島北部の港町、チレボン。両親はミーアヤム(鶏肉麺)を売る屋台で長男のウマルさんを含む7人兄弟を養った。学生時代は午前3時に起床し、母親と麺の仕入れに向かった。放課後は宿題をしてから、夜まで屋台を引いた。

「九電工」で技術訓練

 高等専門学校を卒業し、日系自動車メーカーでエンジニアとして働き始めた。日本製の車に毎日触れつつ、「こんな機械を作る国は一体どんな国なんだろう」と思いをはせた。

 ある日、近所を歩いていると、施設の中で規則正しく体操する集団を見つけた。何をしているのか尋ねると、「日本に行く準備をしている」と答えた。

 ウマルさんもすぐにその研修施設で学ぶことに決めた。「日本の仕事のノウハウを学んでインドネシアに戻ってくれば、今よりもっと高いレベルの仕事に就けるはずだ」

 日本語を猛勉強し、1997年に福岡市に渡った。大手電気工事会社「九電工」での勤務が始まった。日本人社員と技術訓練を受け、吸収できるものは何でも学んだ。2年目には作業現場での仕事も任された。

起業→古巣と連携→大型案件も次々

 99年に帰国。インドネシア…

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朝日新聞 2023年4月17日 9時00分
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