【ハンギョレ】 広開土王碑に石灰を塗った…日本の調査記録を公開 [5/10] [仮面ウニダー★]
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
1913年、日本による高句麗遺跡の調査原本 碑石に手を付けた中国の拓本業者との面談に注目 「1900年代から文字を自由に刻み込んだ」
https://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2023/0510/168366769800_20230510.JPG
5世紀の東アジアの歴史を揺るがした高句麗の征服君主、広開土大王(374~412)。彼の実体を近代の時代に再び知らしめたのは、日本の学者たちだった。
高さ6メートルを超える大王の碑石を彼らは初めて隅々まで調べて観察し、写真を撮り文字を判読した。
だが、公式の調査記録はまったく残すことなく去ってしまった。なぜ、そのようなことをしたのだろうか。
ー中略ー
https://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2023/0510/168366769853_20230510.JPG
ー中略ー
公開したのは、20世紀初頭に日帝が初めて基礎を築いた朝鮮半島の遺跡調査の実状を追跡してきた嶺南大学文化人類学科のチョン・インソン教授だ。
ー中略ー
https://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2023/0510/168366769958_20230510.JPG
公開された資料は、日本人学者たちが広開土王碑を初めて学術調査した記録の原本が出てきたという点で、重要な学術史的な意味と価値を持つ。
何より注目される資料は、広開土王碑の碑石の表面に石灰を塗り文字を任意に刻み込んだという当時の中国人拓本業者と、調査員の谷井が面談した記録だ。
これは、現地に住んでいた拓本業者の初鵬度に会って憲兵補助員の通訳で対話したものであり、風化によって碑石の表面が摩耗すると、1900年代から石灰を塗り続け、
既存の拓本から考えた文章の文字を任意に刻み込んだという内容だ。
広開土王碑の碑石を19世紀末の段階で日本軍などが介入し石灰を塗って内容を改ざんしたという疑惑を、
1970年代に歴史学者の李進煕(イ・ジンヒ)が提起したことはあるが、この面談資料はこれまでまったく知られていなかった。
1980年代初め、中国の学者の王健群が、拓本を行った業者の子孫に会い、碑石を保存し金を儲けるために石灰を塗り文字を改めて書き込んだことを先祖から聞いたという伝聞を入手し、
論文で紹介したことはあるが、110年前に拓本を取った当事者にインタビューした面談記録の実物は初めて出てきたものであるため、学界に波紋を広げるものとみられる。
もちろん、この面談メモは、日本軍が直接碑石を改ざんしたという決定的な物証ではない。
谷井と踏査を共に行った関野や今西が、数年後に自身の個人的な論文で、一部は伝聞形式で拓本業者の陳述を引用した記録もあるが、
1900年代初期から石灰を塗り続け碑石の表面を補強し、誰が提供した文字テキストを基準にしたのかは不明だが、
新たに字を書きこみ続けたという当事者の直接証言が記録された資料が確保されたという点で、李進煕の碑文改ざん説の再検討の必要性を喚起させる意味があるとチョン教授は分析した。
https://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2023/0510/168366769998_20230510.JPG
さらに、一つ特異な点は、現在の広開土王碑の碑文について韓日学界の間で激しい論議が起きている辛卯年条に該当する内容がまったくないという点だ。
辛卯年条は、広開土王の在位期である391年の辛卯年に、倭の勢力が海を渡り新羅と百済を破り臣民としたという一節、
いわゆる「来渡海破」の一節だが、当時、古代日本の大陸進出の歴史を見つけるために血眼になっていた総督府と日帝の植民史学界の立場で考えると、
この一節を写真にまったく撮らないのは、きわめて異例なことだ。
チョン教授は「当時の石灰が塗られた碑石の状態が、自分たちが解釈した来渡海破の一節を示すことができないコンディションだったので、
大きく取りあげなかった可能性が高い」とする分析を出した。
ー後略ー
ノ・ヒョンソク記者、図版資料:チョン・インソン教授提供
全文はソースから
登録:2023-05-10 06:37 修正:2023-05-10 10:44
https://japan.hani.co.kr/arti/culture/46690.html >>913
農業生産性がある程度高くないと軍を支えられないから? >>768
「日本」という国号が正式に中国や半島に認識されたのは西暦700年前後の事でそれ以前は「倭」と言われた
「日本書紀」の「仲哀」も「倭の五王(讃、珍、済、興、武)」は百済王族で
「筑紫君磐井」,「隋に使者を派遣した阿毎多利思北孤」「欽明」「舒明」「筑紫君薩野馬(日本書紀が天武と言っている人物)」等も彼ら(百済王族)の末裔だが
この時期はまだ日本列島に支配的な王権だったとは考えにくい
はっきりしているのは642年に百済義慈王により国外追放を受けて列島に亡命してきた百済武王集団の中の「翹岐王」が
「日本書紀の言う中大兄(後の天智)」で彼の血統が現在の天皇家に継続している
だが彼の没後、後継者である大友皇子が新羅の皇子である金多遂に破れ金が天武天皇を名乗り
中央集権的な王朝を作った時が実質的に日本国が誕生したときと言って良いだろう >>929
7世紀以前は朝鮮半島の鉄鉱石が必要だった
鉄鉱石運ぶ船は無いから半製品の形で輸入した
金銀も朝鮮半島からの輸入に頼っていた 韓国人って
製鉄に何が必要か理解出来てない
その素材はどこから?
禿山に材料ねぇぞ ハワイかどっかでは、日本が寄贈した校舎の一部が台風被害で損壊したのを修復しただけで
校舎に描かれた日の丸を消して旭日旗で上書きしてたな。 >>947
冫(゚Д゚) POSCOも新日鉄が作った!! >>946
でさ?
それって属国だからじゃね?
朝鮮半島で作れないから 鉄を使っていたはずの朝鮮半島の国々は倭の国に征伐される
中国の秦の国が青銅で他の6カ国を滅ぼしたように >>942
確かに飯食わなきゃやってられませんね。
・・・と言うか、輸出して儲ける事も
可能だったのに。
当時からケンモーだった?! >>946
半製品っていうのが具体的にどういう状態をいうのか知らんが
鉄を鋳つぶせる温度出せる炉を持ってる時点で製鉄設備あるやんけ >>947
韓国にはステンレス鉱山があるニダ
これは万能壁画にも描かれてるニダ >>946
その半製品の状態にどうやって仕上げた?
物資無いのに?
知的障害者はコレだから・・・ >>955
フッ化水素の源泉もあると聞いたニダ
半製品だった >>946
その半製品とやらでも運ぶには船が必要なのだが。 >>913
<ヽ`∀´> <平和を愛するウリナラは争うよりも隷属を選んだニダ 古代の日本では朝鮮半島の鉄鉱石と金銀が必要だったから積極的に政治介入した
それは武力による恫喝の場合もあったし婚姻政策の場合もあった
7世紀になると日本の砂鉄から鉄が作れるようになる
金銀の鉱山開発も進んだ
白村江で負けて日本は朝鮮半島に興味を無くした
以後朝鮮半島の文明は1000年停滞した
20世紀初頭の朝鮮半島のGDPはアフリカと同じだった >>957
(Dr. stoneで硫化水素だったか取り込むのに命がけの描写があったけど、朝鮮人は
どうしたんだろうなぁ?ww) >>960
白村江で当時の天皇陛下までもが出兵したのは
結局朝鮮半島南部が倭の国の領土だったからだな
まさに外敵に自国の領土を奪われる戦いだったが
唐に負けた
これで国の形が今の日本のようになったが
それ以前は朝鮮半島南部も日本だった >>960
でさ?
なんで韓国に方墳無いの?(笑)
方墳が無いということは朝鮮半島は遅れてるという証拠だぞ? >>959
(製品売れば良かったのになってww
優位に立てただろうとhahaha) >>879
定説なのだって、どこかのキチガイ新興宗教家が言ってたな
お前と同じ部類だろ 基本的なことが分かってない馬鹿が多い
古代の日本が朝鮮半島に介入したのは鉄鉱石と金銀の利権を確保するため
土地自体は占領しても意味ない
ろくな米が出来ない
昔から絶望的に貧しい
だから日本人は日本列島に入植した >>725
やってたのは中国だよw
これそういう記事だよ、しかも日本の手が入る前からやってるのw 半製品って、鉄鉱石を溶解した状態で運んできてたとでも言うのか?w >>963
新羅が上手く立ち回った
中大兄皇子は古い豪族を潰すためにわざと負け戦をやらせたという説もある >>966
(ぁー、強殖装甲ガイバーでも、改造人間
使って宇宙船から無理やり装甲を奪取して
いたな。) >>969
おいおい、すべての文化を伝えた(稲作含む)豊かな国だったと言う韓国の設定を否定してやるなよw >>3
チョンコは自国の文化保存、解析など全くやってこなかった >>973
新羅建国には倭人が大きく関わったのにな >>972
鉄の延べ棒みたいな形で輸入した
日本で最終製品に作り直した >>969
?
派兵する船で、鉄鉱石持ち帰れば勝ちだな?
なぁ、知恵遅れhahaha >>979
その状態でも運ぶための船は必要なのだが。 >>979
鋳造技術無いのに?
在ザコって韓国帰って現実は見なよ 風はるか-ぐるっと韓国歴史紀行<8>鶏林に紡ぐ古代史の夢
https://www.mindan.org/news/mindan_news_view.php?cate=0&page=996&number=17961&keyfield=title&keyfield1=body&key=
西暦65年、新羅第4代王・脱解王の御世。宰相の瓠公は鶏の鳴く林の中、黄金の櫃が木にかかっているのを見つけた。王が蓋を開けると、中から輝く男子が出てきた。慶州金氏の祖となる金閼智であった。金閼智は聡明で重臣として活躍、7世孫が王になり、やがて新羅の王位を金氏が独占するようになる。王統の父祖の地として鶏林は崇められ、時には新羅を鶏林の名で呼ぶようにもなった。
さて鶏林で黄金の櫃を見つけた瓠公だが、驚くべきことに『三国史記』はもと倭人と伝えている。瓠を腰に下げ海を渡って来たので、その名がついたという。
脱解王は慶州昔氏の始祖とされるが、この王の出現神話にも瓠公は登場する。『三国史記』によれば、王は「倭国の東北一千里」にある「多婆那国」から流れ着いたという。「多婆那国」とは海の龍城国(竜宮)をいうとの説もあるが、丹波や但馬、玉名など、日本の土地を推定する学者も多い
これは民団の公式ホームページ
民団も新羅の宰相が倭人だと認識しており、王が倭人と言っている
朝鮮半島初の統一王朝である新羅には倭人の王がいた
そして建国の初代王も倭人である可能性がある
こういうのは韓国人は封殺する >>972
延べ棒、延べ板(インゴット)で輸送して
鍛冶屋が最終形態に加工
砂鉄の精製で内製化する事で
不毛な半島に駐屯しなくてコストカットで撤退って感じだと
言いたいんじゃね?w >>979
なぁ知ってる?
火が無いのに鋳造は出来んぞ? >>979
なんか朝鮮人が少しでも貢献してないと気が済まないタイプ?
「鉄鉱石運ぶ船がないから」からして意味不明だぞ >>986
インゴット作れるならその基となる型枠がある筈なんだがなぁ 古代の朝鮮半島南部は倭人の領土だし
初の朝鮮半島統一王朝である新羅の王や宰相には倭人がいたし
新羅や百済は倭に負けて朝貢するし
朝鮮人こういうのは無視する >>989
船がないならインゴットも運べないしな。 >>990
たたらとかだと粗鋼を割って延べ板とかなんで型枠とかなかった気がする >>993
それをやるにしても
道具が出てこないんだよな
韓国から 朝鮮半島南部から倭の国が鉄を取ってたのは事実だが
それも単に自国の領土から取ってただけだぞ >>994
まあ、俺も調べた範囲で当時の道具とか出てきてなかったw 製鉄のために禿山大量に作る時代にわざわざインゴット作ってからまた鋳潰すとか
信じられないぐらい豊かだな昔の日本w 拓本の改竄は何度も否定されてるのにまた出て来たのか?
日本(倭)に支配されていたことを受け入れればいいだけの話なんだよ 今日の、キチガイチョーセンジンのスレはここか???w
まーた五十日に、ひまな横領野郎がでてくるか、馬鹿田www このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 5時間 57分 31秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。