【ドラゴン怒りの鉄拳】 柔道場の館長役は「大魔神」、ブルースは勝新太郎と直接交渉 アジア圏で大ヒット [9/5] [仮面ウニダー★]
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ブルース・リーは、中国系の父と、イギリス人と中国人のハーフである母との間にサンフランシスコで5人兄弟の次男として生まれている。
父の仕事の関係で香港に一時帰国。リーは生後3カ月で広東語映画「金門女」という映画に出演したというから映画の申し子だったのかも。
北派少林拳を習いながら成長したが、折悪く第二次世界大戦が勃発し一家はアメリカに帰れなくなってしまった。
その間も子役として映画に出演している。
18歳で渡米し、ワシントン大学では哲学を専攻した。医学生だったスウェーデン系イギリス人のリンダ・エメリーと出会い結婚。
すでに武術道場で生計を立てていたので大学を中退し、道場に専念することになる。
最初にテレビプロデューサーの目に留まったのは1966年に国際空手選手権大会で見せた「演武」。
観客は切れのいい演技と彫刻のような見事な肉体に酔いしれたそうだ。
それがきっかけでテレビドラマ「グリーン・ホーネット」への出演が決まったが準主演扱い。
続く「燃えよ!カンフー」でも主演はデヴィット・キャラダイン。ブルースは東洋人という理由で主演になれなかった。
主演になれない無念の意識が「ドラゴン危機一発」での猛烈な主演アピールとなって表れたのだ。
さてゴールデン・ハーベストでは「ドラゴン危機一発」の大ヒットを受けて、主演第2弾の「ドラゴン怒りの鉄拳」(72年)が完成する。
この作品で初めてヌンチャクが登場する。
前作からわずか4カ月後に公開されたが、たちまち前作の興行収入を抜き、香港だけでなくアジア圏で大ヒット。
しかし日本を悪役に仕立てる大向こう(大衆)のウケを狙ったストーリーだったので、日本公開は危ぶまれた。
柔道場の館長役の橋本力は勝プロの所属俳優で「大魔神」役といえば分かるだろうか。
ブルースは来日して勝新太郎に直接出演を依頼。すると勝は橋本に「香港へ行け」とだけ言った。
橋本は訳が分からなかったという。橋本が蹴りを受けて障子を破るシーンは、ジャッキー・チェンがスタントを演じている。
この作品からブルースが製作にも口を出すようになり、残念にも監督との関係が悪化。
次作も予定されていたが、陽の目を見ることはなかった。 (望月苑巳)
■ブルース・リー(李小龍) 1940年11月27日〜73年7月20日、32歳没。本名は李振藩。
■ドラゴン怒りの鉄拳 日本公開は74年7月20日。前作に続きヒロインでノラ・ミャオが共演。
夕刊フジ 2023.9/5 06:30
https://www.zakzak.co.jp/article/20230905-IAVXQ4L73JPQPG4VWBJYUBLQCQ/ 日本で公開された時にブルースリー本人は死んでるのか ブルースの映画は健さんの映画に影響を受けてるんだな
クライマックスで上半身が露になる場面などアクションから
カット割りまで似てるなと思った >>3
ドーピングしてたの?
証拠あったら出して。 初期のジャッキー映画で唯一見てないのが新精武門
近所のレンタル店にも置いてない
ブルースの怒りの鉄拳は何回も見たんだけど 未だに分からないのはどうしてリーは相手の乳首見ただけで悪い日本人だと見抜いたのか >>11
ジャッキーは家族が人質に取られてるからしょうが無い、香港が中国に返還後、日本政府は何が何でもジャッキーを日本に亡命させるべきだった。本人も日本へ移住すると言ってたのに、マスコミが色々と掻き回して頓挫した ごめん萌えよドラゴンよりジャッキーチェンのドランクモンキー酔拳の方が面白かった >>22
オーバードーズで亡くなった
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC#:~:text=%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%81%AA%E6%AD%BB%E5%9B%A0%E3%81%AF%E8%84%B3,%E3%81%9F%E3%81%A8%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82
死因
公式な死因は脳浮腫である。司法解剖の結果、微量の大麻が検出された。検死報告によると、リーの脳は1,400gから1,575g(13%の増加)まで膨らんでおり、頭蓋内圧の亢進により脳幹が圧迫されて死に至ったと考えられている。 >>29
あなたの書いた「ドーピングで身体強化」という文章からステロイドでも使ったのかと思ったけど、
>>29を読むと大麻とある。
大麻で身体強化できるの?
あなたの事を批判してるのではないので悪しからず。 ブルー・スリーの死因は腹上死って聞いたが、嘘っぱちだったんだな。 >>31
テコンドーの達人とけんかして後ろ回し蹴りをまともに食らったんだよ、この説が一番しっくりくる
リーはチャレンジに来る武術家とよく闘っていたとダンやタカギなんかの証言もあるからね、マリファナぐらいで脳浮腫とか絶対ならないと思う ブルース・リとかブルース・ライとかバッタモンも数多く生み出したカリスマなのは間違いない >北派少林拳を習いながら成長したが
ちがう。太極拳と南派少林拳。 >>37
太極拳もやってたのか
詠春拳が有名だけど >>28
中国人といえばブルース・リーだったのが酔拳で一気に塗り変わったからな
ブルースリーは強そうでカッコいいんだけど映画の武術が空手やキックボクシングとどう違うってのが分かりにくかった
ジャッキーのは蛇拳も酔拳も空手と違うなって子供にもわかりやすかった >>39
一番最初に習ったのは意外にも太極拳。
でも熱心にはやってなかったらしい。
有名なのは南派少林拳の詠春拳だね。 >>38
空手の説明がむずかしいな。沖縄で手って言われてた古式空手と本土に渡ってから他の格闘技の技術取り入れた空手とはまた違うし。
太極拳と少林寺拳法はざっくり言うと少林寺て寺でやってた武術から派生した物で日本の古式柔術っぽい 今の少林拳は昔の中国の少林寺の拳法の資料が全く残ってないから想像の産物
そして日本の少林寺拳法もインド武術がベースで捏造
そもそも少林寺って弾圧されてたからな >>36
初期のK1にジャッキードラゴンリーってのがいたな >>44
少林寺拳法の人が少林寺で習ってて文革後に教えられるのだけは教えてその功績で石碑建てられてなかった? あの日本人の袴が全員後ろ前に着てるってやつか?
日本人が参加していたんなら何で注意してやらないんだよ
真田広之なんか、ラストサムライの撮影で相当監督にクレームつけて所作を変えさせたって聞くけど >>47
>少林寺拳法の人が少林寺で習ってて
少林寺では習ってないよ。習ったのは満州。少林寺には義和拳を習得しましたって報告に行ったの
そもそも少林拳って何って言われたら少林寺拳法と違って何をもって少林拳って言うかがむずかしい
文革後少林寺から消失した拳法を少林寺でやってたと言われる物をかき集めて再編集して80年代辺りに作ったやつやら
消失以前にそもそもその流派って少林寺で作られた物じゃなくね?ってやつも少林寺の近隣でやってたから少林拳とか
あれこれ疑わしい物もありすぎて厳密にこういう物って言うのが難しく
たぶん少林寺(または少林寺の近辺)で行われてたっぽい武術の総称って曖昧な物になってしまう。 東映の邦画系で怒りの鉄拳と危機一髪の2本立てがリバイバル上映された時は英語版の方だった いまの少林寺は営利目的の観光地になってしまい
カンフー好きの無知な白人観光客を世界中から集めて
ドラゴンボールの亀仙人の弟子が着るような
オレンジの道着を着せて、なんちゃってカンフーを教える
金儲け施設になっている >武道の達人でもあるアジア人
(誕生当初は日本人という設定だったが、
戦前の日米関係悪化に伴い、韓国人、フィリピン人と設定を変え、
TVシリーズ以降は中国系のカンフーマスターという設定に落ち着く)
の助手カトーと共に
1936年のアメリカで、「武道の達人でアジア人」というと、日本人が真っ先にイメージされたのか?
大山倍達の渡米は1952年だから、それ以前に誰かいたの? 柔道家や古流柔術家はそれ以前から海外進出・渡米している
講道館四天王の山下義韶は1902年(明治35年)に渡米して、合衆国海軍兵学校の教官やってる
1904年(明治35年)には同じく講道館四天王の富田常次郎と、それに伴われた前田光世が渡米している
海外四天王は、上記の前田光世、佐竹信四郎(1907年に渡米)、伊藤徳五郎(1908年に渡米)、大野秋太郎(1905年に渡米か)
三宅多留次は1904年にイギリスに渡英し、1914年に渡米している
アメリカ以外にもヨーロッパに行った谷幸雄や上西貞一、小泉軍治、川石酒造之助など
有名どころ以外にも進出者あり >>55
方丈(寺の最高責任者)がCEOの肩書きだったり
映画がヒットしてから少林サッカー教室をやりだしたり
もう無茶苦茶
中国拳法は除いてもダルマさんとか禅とか日本にも馴染みのある物に所縁のある場所なのになんか悲しい >>57
おお
詳細な情報ありがとう!
とりあえず山下義韶のだけウィキを見てみたが、
セオドアルーズベルトの前で技を見せたんだな。
明治じゃまだまだ食えるかどうかわからんかっただろうに、
外国に渡るのは武道家の本能なのかねえ >>59
それ以前の1889年(明治22年)から嘉納治五郎が教育機関の欧州視察を経験していて
国際関係の感覚が磨かれている
嘉納的には日本発祥の武道がこれからの国際社会での外向関係上での
日本の強みになることを見越していた感じ
それで講道館四天王等の信頼できる実力者を海外に派遣する活動を行った
勿論それ以外の意図を持って海外に渡った柔道家・古流柔術家も多数いたけど >>30
亡くなった当時のテレビの報道番組で、「見た目は健康そうな身体だが
血管はボロボロだと医者に言われていた」ということと、薬物を多用していたことも
言ってた記憶がある。 どこのどいつだ
ヌンチャクなんて使いにくい武器を考え出したやつは で、ブルース・リーの後継者であるジャキー・チェンは中国共産党の飼い犬になり果てた、と ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています