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ガラスの間でのハンとの死闘も印象的だ(ゲッティ=共同)

香港で大スターになったブルース・リーにハリウッドから声がかかる。かつて準主役ながらドラマ「グリーン・ホーネット」で人気者になった彼が、
アジア圏で特大ホームランを放っているのだから無視はできないというわけだ。

ワーナーから「燃えよドラゴン」(邦題)の主役でコンタクトがあった。ブルースにしてみれば、鼻を明かした気分だっただろう。
どんなに頑張っても主役になれない東洋人への差別を自らの力で粉砕したのだから。

当時、香港では次作「死亡遊戯」の製作が始まっていたが、ゴールデン・ハーベストを説得して中止させると、
ブルースが主宰するコンコルド・プロとの合作という方向で合意した。

小柄なアジア人が屈強の大男たちを、ダンスをしているように圧倒的な強さでなぎ倒していく、という姿は痛快そのものだった。

「燃えよドラゴン」の撮影中、セットを裸で歩き回るブルースを見たロバート・クローズ監督の妻は、筋肉に触らせてもらい
「まるで温かい大理石のようだった」と述懐している。「世界が憧れたアジア人」とは最高の誉め言葉だろう。

シンプルな勧善懲悪の物語だが、劇中で弟子に武道の極意を教えるときの「考えるな、感じろ」というセリフは、
ブルースの生き方そのものを示し、まさに「ブルース・リー学校」の感がある。

撮影担当は、ギルバート・ハッブスというカメラマンだが、彼は本来ドキュメンタリー専門で、
パナビジョンや35ミリカメラなどは使ったことがなくブルースも心配した。
しかし出来上がると、得意の手持ちカメラでの撮影が、迫真の大乱闘シーンで力を発揮していて大正解だった。

この作品が初めての全編テクニカラー、パナビジョン。香港公開版とワーナー版ではオープニングが異なっているので見比べるのも面白いかも。

邦題の「燃えよドラゴン」は司馬遼太郎の「燃えよ剣」をヒントにワーナーの宣伝部長がつけたそうだ。

しかし公開1カ月前の1973年7月20日、ブルースは帰らぬ人となった。
マスコミは32歳という若さでの急死に、自殺説や薬物か過剰摂取説、はたまた謀殺説まで書き立てたのだった。(望月苑巳)

夕刊フジ 2023.9/7 06:30
https://www.zakzak.co.jp/article/20230901-QDEGDVBUJNNEDCGQEUSFXZ72JI/