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25日、釜山(プサン)永楽(ヨンラク)公園第2永楽院。釜山施設公団が運営する公設墓地である永楽公園の地下には
「無縁故者室」が用意されている。死亡したものの身元が明らかでなかったり、家族・知人などが分からない人々が安置される場所だ。
「浮島丸沈没事件」の犠牲者12人の遺骸もここに眠っている。
強制徴用被害者を乗せた日本海軍輸送船が1945年に沈没した事件だ。
永楽公園側によると、1970年代に日本から引き渡された人々の犠牲者の遺骸は当時遺族と連絡がつかないなどの事情で
40年以上にわたってここに安置されている事実が最近新たに明らかになった。

◇沈没した船には徴用被害者8000人が乗っていた
日本の海軍輸送船である浮島丸は1945年8月22日、青森県大湊港を出港した。
この船には徴用によって労役に就いていた朝鮮人数千名が乗っていた。だが、
2日後の8月24日に浮島丸は京都府舞鶴湾で爆発し、海に沈んだ。

日本が公式死亡者として発表した数字だけで549人に達する。
3735人が乗船して沈没によって徴用された韓国人524人、日本海軍25人が亡くなったという説明だ。
だが、犠牲者の子孫などは当時「朝鮮行きの最後の船便」と知らされた浮島丸におよそ1万人が乗っていて、
最大8000人余りが亡くなったと主張している。浮島丸沈没原因を巡っても日本は「米軍の機雷による事故」と明らかにしたが、
遺族などは隠された原因があるのではないかと疑っている。

このような疑いは2016年8月浮島丸に爆発物が載っていたという内容が入った日本政府記録物が公開されて力を得た。
1945年8月22日、日本海軍運輸本部長が浮島丸船長に下した「航行禁止および爆発物処理」文書だ。
同年8月24日午後6時を基点に航行中だった船舶に対して、爆発物を海上に投機して停泊している船舶は
陸地の安全なところに爆発物を格納するように命じられる内容がこの文書に記録されている。
浮島丸爆沈韓国人犠牲者追慕協会のキム・ムンギル顧問が真相究明セミナーで公開したこの文書を通じて
日本側の責任論がさらに大きくなった。

◇日本訴訟、韓国憲法訴訟…法廷争いが続いた
法廷争いもあった。浮島丸生存者や犠牲者遺族80人は1992年日本政府を相手取って
28億円規模の損害賠償訴訟を起こした。
京都地裁は訴訟が提起されて10年近く経った2001年浮島丸乗船と被害が確認された原告15人だけに
300万円を支給するように判決を下した。
2003年大阪高裁は「(日本)政府は被害者に民法上不法行為責任を負わない」として1審判決を覆した。
翌年東京最高裁が上告を棄却して遺族は敗訴した。
2020年には市民団体が沈没の真相究明が必要だとして憲法訴訟を出したが、これもまた棄却された。

◇「追慕公園の造成、遺骸の返還必ず実現を」
韓国市民団体や遺族は追慕公園を作って浮島丸沈没を悼み、遺骸もまた返還されるべきだと声を高める。
北東アジア平和・浮島丸犠牲者追慕協会は7日、釜山市議会で記者会見を行って釜山港に釜山近代歴史平和公園を作るよう求めた。
キム・ヨンジュ会長(76)は中央日報の電話取材に対して「釜山港は日本強占期の時に強制動員された先祖がここから出発し、
そして帰ってきた港だ。浮島丸事件を含めて日帝強制動員の歴史を光を当てる近代遺跡になることができる場所」と説明した。
ー後略ー

全文はソースから
2023.09.29 13:52
https://japanese.joins.com/JArticle/309635