中央日報/中央日報日本語版2023.10.23 09:07

ー前略ー
◇ソナタの品質1位に「人が犬にかみついた」
このように品質で公認されたが、本社の空気は急に冷え込んだ。現代自動車グループの鄭夢九(チョン・モング)会長(現名誉会長)が
同年6月の月例会議で「危機経営」を宣言してだ。
当時ヒョンデは上半期に売り上げ13兆3906億ウォン、営業利益1兆1738億ウォンを記録するなど善戦する様相だった。

こうした中、鄭名誉会長の特命が下ったのだ。彼のメッセージはシンプルだった。いや、督促に近かった。
「うまくいっている時に危機に備えなければならない。トヨタに追いつこう。まずトヨタから学べ」。

当時トヨタの疾走はシンドロームのようだった。50年以上続いた黒字と無スト行進、
自ら改善することがなければ不安になる「カイゼン」文化、持続的なコスト節減が象徴だった。
トヨタは米国の看板産業だった自動車ビッグスリーのGM、フォード、ダイムラー・クライスラー(現ステランティス)まで抜いた。
ー中略ー

◇「ヒョンデの師匠」三菱自動車の没落
ヒョンデの技術の師匠はトヨタ以前にはフォードと三菱自動車だった。ヒョンデが「コルティナ」の後続作として
切歯腐心して出した後続車種の「ポニー」(1976年発売)開発の時だ。
鄭周永創業会長はエンジン、アクセラレータ、トランスミッションなど主要部品製作技術を導入する会社として三菱自動車を選択した。
「ポニー・チョン」と呼ばれた鄭世永(チョン・セヨンHDCグループ名誉会長が「小型車独自開発」の必要性を主張してだ。

こうして誕生したポニーは韓国初の固有モデルだが、「心臓」であるエンジンは三菱自動車の1238ccサターンエンジンが搭載された。
三菱自動車にロイヤルティーを支払って「ステラ」(1982年)、「エクセル」(1985年)など主要モデルのエンジンを作った。
1986年に発表した「グレンジャー」は三菱自動車の「デボネアV」であり、「エラントラ(アバンテ)」と
「ソナタ」などに使われたエンジンも三菱自動車のエンジンだ。

現在両社の地位は比較すらできないほど逆転した。品質をめぐる雑音を隠したことが三菱自動車の致命打になった。
2000年7月、三菱自動車は1992〜99年に生産された9モデルの乗用車とトラック51万台のリコールを発表した。
約10年間にわたり生産された自動車にさまざまな欠陥があったが会社側は隠蔽に汲々とした。

いつのまにか技術力も遅れをとった。1991年にヒョンデが最初に独自開発したアルファエンジンが反転の契機になった。
さらに2004年にはヒョンデが三菱自動車の看板モデルである「ランサー」に独自開発したシータエンジンを供給したりもした。
そして2016年に三菱自動車は独自路線を断念しルノー・日産アライアンスに吸収された。

◇トヨタ会長も「ヒョンデは気になる」
ヒョンデの変化は有意味だった。2005年にトヨタの渡辺捷昭社長(当時)は
「中国・天津工場でヒョンデを分解してみた」と明らかにした。
JDパワーの評価でヒョンデに押された時期である2000年代初めにはいわゆる「ヒョンデ警戒令」が下されたりもしたという。
鄭夢九名誉会長が「トヨタに学べ」と指示した時期と妙に重なる。

トヨタは社員教育用資料を通じ異例にも自社のカムリと競合するソナタを比較評価した。
トヨタの豊田章男会長は2011年に「良い自動車を作りたい」とし、
自動車業界の人間の立場でヒョンデの動向は気になると言及したりもした。
ー後略ー

全文はソースから
https://japanese.joins.com/JArticle/310449