央日報/中央日報日本語版2023.10.26 09:40
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「もうゆっくり休んで。私ももう君のことは考えないようになったから…」。仙甘(ソンガム)学園の被害者であるイさん(63)は、
京畿道安山市(キョンギド・アンサンシ)の仙甘島の暗埋葬地で嗚咽した。
ここでは25日、第2期真実・和解のための過去史整理委員会(真実和解委)の仙岩学園遺跡発掘現場で説明会が開かれた。
イさんは10歳だった1970年から5年間、仙岩学園に収容された被害者だ。
イさんは、埋葬地のくぼみから見つけた金具を見るやいなや、50年前の友人の物であることを確信した。
飢えた末に拾ったカキを食べようと鉄をすりおろして作った刀だったという。
イさんは「脱出して3日後に死んだまま海に押し流されてきた友人を私が埋めたが、幼い時だったのでどこに埋めたのか思い出せない」
として話を続けることができなかった。

真実和解委は先月21日から仙甘島遺骨埋葬推定地でお墓40基を試験発掘し、
園児のものとみられる210本の歯やボタンなど遺品27点を収拾した。
該当場所は、日本による植民地時代から1982年まで児童人権を蹂躙した仙甘学園近くの暗埋葬地で、
脱出中に溺死したり栄養失調などで亡くなったりした子どもたちが埋められたところだ。40年以上経って遺体は発見されなかった。
発掘作業を引き受けた韓国先史文化研究院のウ・ジョンユン院長は
「約2400平方メートルの山に少なくとも150人の遺骨が埋められたと推定される」として
「歯の鑑識結果、12〜15歳で埋葬されたとみられる」と話した。

仙甘学園は日本による植民地時代に朝鮮総督府が1942年に「太平洋戦争の戦士を確保する」として設立した児童強制収容所だ。
解放後も京畿道が1982年まで「浮浪児の教化」という名分で運営した。
園児たちは強制労働に動員され、暴力などの人権侵害を受けた。
その過程で大勢の子どもが殴打と栄養失調で死亡し、脱出を試みた834人のうちほとんどは海に溺れて死亡した。
被害者のイさんは「1972年に脱出を試みて発覚し、一週間真っ暗な倉庫に閉じ込められていた」とし、
「その記憶のために今も電気をつけないと眠れない」と話した。

京畿道が提出した園児台帳によると、仙甘学園の収容児童数は計4689人だが、
1982年7月京畿道庁婦女児童課が作成した資料には5759人と記されている。
真実和解委は昨年10月、収容者全員を被害者と認めた。真実和解委が一時的な機関であるため、発掘作業はここまでだ。
真実和解委は、作業権限のある京畿道と行政安全部が遺骨発掘勧告を1年以上履行していないと指摘した。
真実和解委のキム・ジンヒ調査官は「誰が暗埋葬を指揮し、命令したのか責任者を突き止める」と話した。

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