韓国南西部の全羅南道(チョルラナムド)・木浦(モッポ)にある国立海洋文化財研究所。
海に面したこの研究所には、時代をタイムスリップしたかのような1隻の木造船が係留されている。

 長さは34.5メートル、幅は9.3メートルで「朝鮮通信使船」という看板が掲げられている。
同研究所が21億4000万ウォン(約2億3500万円)を投じて2018年に復元したものだ。

 朝鮮通信使は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で途絶えた国交を回復する目的で始まった外交使節団。
1607年から1811年までに計12回派遣された。江戸時代における日韓の友好関係を示すシンボルとなっている。
17年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)が、日韓の団体が共同で申請した朝鮮通信使に関する歴史資料を
「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録した。

 船へと案内してくれたのは、同研究所の洪淳在(ホン・スンジェ)学芸研究士(51)。洪さんは「3年がかりの作業でした。
残された文献や絵画をもとに設計し、造船工学的な分析を地道に重ねました。
実際の模型や3Dモデルを作り、材料となる木材にもこだわって、ほとんど当時と同じ姿に再現しました」と笑顔で振り返った。

 船内は、思っていたよりも小さかった。朝鮮通信使の歴史やその経路、船を再現した経緯が書かれたパネルが展示されている。
洪さんは「普段は船上博物館。一方でエンジンもしっかりと装備しているので、市民を乗せる遊覧ツアーも実施しています」と語っていた。

 木浦で若き日々を過ごした金大中(キム・デジュン)元大統領(1924〜2009年)。
その人生に触れる取材を終えて、少し足を伸ばしたのは、この船が8月に釜山から長崎県対馬へと渡ったからだ。
直線距離だと約50キロ。現地では、通信使の「正使」が「国書」を日本側に手渡す行事も行われ、
「1811年から212年ぶりに朝鮮通信使船が日本に入った」と報じられた。
ー中略ー

 鄭さんは、昨年5月に就任した尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が日韓関係の改善を積極的に進めた決断も率直に評価していた
。そして、こう言葉を継いだ。「両国が歴史和解を成し遂げて、信頼を深めながら、
互いの繁栄と東アジアの平和的発展を引っ張っていけばよい。
両国の国力に差がある垂直的な関係から、国力が均衡した水平的な関係に変わった今ならできるのではないか。
こんなチャンスは二度とないよ」

 最後に歴史を正しく読み解くために大切な視点や手法についても尋ねた。
「やはり、自分たちの歴史だけではなく、相手の歴史も知ることが大切。そうした作業を重ねながら、客観的に自分と相手を見つめる。
だから私は、日本人には韓国の歴史を、韓国人には日本の歴史を話すようにしている。両国にまたがる話もしますね」。
日韓の歴史共同研究などで中心的な役割を果たし、日本の駐在員たちへの歴史講座も長年、
地道に続けてきた鄭さんの発言にはうなずくところが多かった。

 先月22日、ソウル市内で開かれた日韓交流おまつり2023で、「劇団静岡県史」が披露した「徳川家康公と朝鮮通信使」
という演劇を鑑賞した。朝鮮通信使の道のりが、スクリーンに映し出される。
ソウル、釜山、対馬、下関、神戸、大阪、京都、彦根、名古屋、静岡、小田原、東京(江戸)。
歴史の奥深さに加えて、空間的な広がりを力にできるのではと感じた。

 鄭さんが「両国には朝鮮通信使に関する資料が、各地に多く残されている。
日韓国交正常化60周年となる25年に大規模な展示会を両国で開き、
そこに両国首脳が訪問すれば互いの友好を実感できる機会となるはずだ」と話していたのも思い出した。

 日本では衆院解散・総選挙が視野に入り、韓国では来年4月に総選挙がある。
その結果は日韓関係にも影響を与えるだろうが、朝鮮通信使をめぐる交流が、政治の変化に左右されることなく
「善隣友好」を支えていくことに期待したい。【ソウル支局長・坂口裕彦】

11/11(土) 10:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/6c423c70b53db1b3db46b6655c33c0405e336dfb