ー前略ー
■日本もアメリカも「一つの中国」

「台湾有事」が起きた際、日本はアメリカとともに戦うべきだと論じる人々は台湾が独立国家であると思っている様子だ。

 1972年9月29日、田中角栄総理が中国の周恩来国務院総理と会談し、「日中共同声明」を発して署名し、
その中の(2)で「日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」、
(3)で「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。
日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」と定めた。

 その6年後の1978年8月12日、日本は園田直外務大臣が北京で中華人民共和国の黄華外交部長とともに
「日中平和友好条約」に署名調印した。
この条約は1972年の「日中共同声明」を再確認し「前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきこと」と定めている。

「日中共同声明」が出される前年の1971年7月、リチャード・ニクソン・アメリカ大統領の安全保障問題担当補佐官、
ヘンリー・キッシンジャー氏は秘密で訪中、周恩来首相と会談、ニクソン大統領訪中で合意した。
ー中略ー

 カーター政権は、ソ連に対抗上中国の抱き込みを図るとともに将来の中国の巨大市場確保のため、
中国との友好関係拡大を考えたようだ。
だが、日本やイギリスと違い議院内閣制でないアメリカでは、議会の多数派と大統領の見解が一致しないことがよくある。
また党による議員拘束もなく、予算と立法権は議会にあるから、ロビイスト(lobbyist)の影響は少なくない。
「台湾を見捨てるのか」との議員の声は強く、議会は1979年4月、「台湾関係法(Taiwan Relations Act)」を可決した。
ー中略ー

■アメリカも「異論を唱えない」
 ニクソン大統領は、1972年2月に訪中し、毛沢東主席と会談。「米中共同声明(上海コミュニケ)」を発表した。
その中には、「中国は一つであり、台湾は中国の一部である」との中国の主張をアメリカが「認識(Acknowledge)」し
「異論を唱えない」としている。アメリカの一部では後日、「これは承認(Recognize)とは異なる」との説も出たが、
「認識」であっても「承認」であっても、「異論を唱えない」ことに変わりはないであろう。
ー中略ー

 アメリカ政府は今日まで何度も「一つの中国」政策と台湾の「現状維持」を唱え、「台湾防衛の義務はない」と表明、
台湾独立支援に積極的ではないが、議会には反中国の強硬派で台湾独立を煽る議員もいるし、
中国側はそれに対抗する姿勢を示すから、中国の巨大化につれ米中関係は険悪になりつつある。

 日本が条約で認めたように台湾が中国領であり、北京の「中華人民共和国」が中国の唯一の合法政府であるとすれば、
台湾に残っている「中華民国」は蒋介石政府の残党の反政府集団ということになる。
それが分離独立を求めて蜂起すれば内乱であり、政府軍がそれを鎮定するのは合法だ。

「日中平和友好条約」がある以上、仮にアメリカが台湾独立を目指して中国と戦争になった場合、
日本がアメリカに協力して戦うことは「日中平和友好条約」違反で、
「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」
と定めている日本国憲法98条第2項にも反する。

 また、「国連憲章」は国連加盟国に対して、第51条により武力攻撃が発生した場合の一時的自衛権行使か、
第42条により国連安全保障理事会が必要と認めた場合にしか武力行使を許していない。

 台湾の「中華民国」は国連加盟国ではなく、日本は台湾を中国の一部であると認めているから、それを分離独立させようとして介入、
武力行使をするのは、国際法違反で、まさに今日のロシアがウクライナに対して行っているのと同様の侵略行為だ。

●田岡俊次
11/28(火) 7:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/212e5288429bf0ddb8eac14fed641548bd008bd9