当時の日本人の軍が朝鮮の女性を強制連行した記録が残ってるんですよね(´・ω・`)

当時の上川口村に小谷与十郎と言う豪族がいた小谷与十郎はもとから上川口村にいたわけではなく、長曾我部元親の命により高知の安芸からやって来た
豊臣秀吉による朝鮮侵略の文禄慶長の役に出陣した、土佐国の大名長曾我部元親に従って、朝鮮国に渡った小谷与十郎は,帰国にあたって2人の若い機織りの女を連行してきた
その1人は帰してほしい願いも叶わず船から身を投げて亡くなったいう
残された一人は国の親兄弟に思いをはせながらも、朝鮮の進んだ機織りの技術を教え広めていった。その機織技術は四国一円に広がり、その技術を習得するため、彼女のもとに習いにやって来たいわれる。そんな献身的で美しく優しい彼女は土地の人々に愛され慕われたと言い伝えられている

強制連行した日本人よりも朝鮮の機織技術が劣っていたらこんな不幸は起きなかったのかな(´・ω・`)