いま日本はどんな国なのか、私たちはどんな時代を生きているのか。

 日本という国や日本人の謎や難題に迫る新書『日本の死角』が8刷とヒット中、
普段本を読まない人も「意外と知らなかった日本の論点・視点」を知るべく、読みはじめている。

・中国の少数民族は集団的権利を認められている?
 「日本のエリート学生が『中国の論理』に染まっていたことへの危機感」という文章では、
日本と中国のエリート学生が参加する学生団体の討論会の様子が描かれる。

 そこで首をかしげる展開が起きたという。

 〈学生たちは、事例として沖縄と中国の少数民族を取り上げたのだが、
「高い同質性を求める日本社会は、沖縄の人たちを独立した民族として認めず、彼らの独自の言葉も文化も尊重せず、
日本の国民として同化する政策を行ってきた。
 それに対して、中国の少数民族は集団的権利を認められており、その独自の言葉、宗教、文化は尊重され、
教育や福祉において優遇政策がうまくいっている」と説明したのだ。

 そして最後に「日本は民族間の境界を曖昧にするが、中国ははっきりさせる。民族の分類が明確になれば、
民族アイデンティティを喪失することはない」と結論付けた。

 (中略)

 おそらく、学生のほとんどが沖縄に、中国の民族自治区に出向いて調査してはおらず、
間接的にでさえ、現地の状況を詳しく調べたり、関係する人々に話を聞いたりはしていないのだろう。

 学生たちが打ち出した極端に単純化されたロジックは、複雑な現実を反映しておらず、
そこからつくられた問題解決のためのモデルは、実際に使えるような代物ではなかった。

 特に、民族の分類や民族が重視する基本的関心事項を、「誰が、どのように決めているのか」という問いを、
学生たちは分析の中に入れていなかった。〉『日本の死角』より)

 中国では、党・政府が中心となって民族を規定し政策を実施しているため、基本的に、共産党政権が認める限られた少数民族のリーダー、
専門家、社会団体しか、政策の決定・実施のプロセスに関わることができない。そうしたことがまったく考慮されていない発表だったのだ。

・まるで中国政府のスポークスパーソン
 「まるで、中国政府のスポークスパーソンの説明かと錯覚するような学生たちの発表」はほかにもあったという。

 〈「日本では、中国の人々が厳しいサイバースペースの統制を不満に感じていると分析するが、そのような固定観念で見てはいけない。
 効率的に社会に悪影響を与えるサイトを遮断し、著作権法に違反する行為を取り締まるなど、中国は日本ができていないことをやっている」

 「日本のウェブサイトはポルノだらけで、ヘイトスピーチも効果的に取り締まっていない。
中国は、社会の安定を維持することに最大限の配慮をしている」〉『日本の死角』より)

 なぜこうした発言が生まれてしまうのか。
 メディアの影響もあると分析する。

 〈日本の一部の商業メディアは、中国や韓国の負の側面ばかりを取り上げ、見下すような視点から、面白おかしく書き立てる。
目も当てられないようなヘイトスピーチも横行している。良識を保ち、他者を理解しようとする学生たちの姿勢もあるのだろう。
 しかし、学生たちもレベルの低い商業メディア同様、「日本は」「中国は」と国単位で物を見すぎてしまうから、
このような議論に終始してしまうのではないか。〉『日本の死角』より)

 日本の学生は民主主義の価値をあまり理解していないということだろうか。

 『日本の死角』では、「日本のエリート学生が『中国の論理』に染まっていたことへの危機感」という文章を読んだ日本の学生たちが
研究室に来て……という後日談が描かれている。学生たちはどう変わったのか、ぜひ読んでみてほしい。

現代新書編集部
12/28(木) 6:33配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/1d9ca690a4661effdbf055cc58d2321cddd9fcb7