戦後の日本に突如として現れたプロレス界最大のスーパースター、力道山。その奥さまの田中敬子さんがラジオのゲストにいらしてくれました。

海外に渡航する力道山が、当時日本航空のCA(客室乗務員)だった敬子さんに一目ぼれして結婚を申し込んだと言われています。敬子さんがプロポーズを受けると、鬼の力道山が涙したと語ってくれました。

結婚後の力道山はそれまでの派手な女性関係を清算し、敬子さん一筋。結婚生活は半年間と短かったのですが、「過去の付き合ってた女性のことを私に話すんですけども、そんな女性たちとお付き合いしていたんだとびっくりでした」とほほえみます。

私は後追いで力道山の壮絶な人生を本や資料で知りました。それは、朝鮮半島から渡ってきて角界入り、そして相撲廃業から日本プロレスを立ち上げてヒーローになった表の姿。そしてダークな人脈を持っていた暴君としての裏の姿です。

そんな「知ってるつもり?」状態だった私に、ゲストに来てくださった敬子さんは思い出を語ってくれました。

力道山が弟子のアントニオ猪木に厳しくしていたことはご存じの通り。「あるとき、『おいアゴを呼べ!』と猪木さんを呼んだんです」と敬子さん。呼ばれた猪木が力道山のもとに行くと「同席していた高砂親方(元横綱前田山)は猪木さんの顔を見て、力道山に『リキさん、こいつ、いい顔してるね』と言われ『そうだろ』と言ったそうなんです」。それまでつらかった日々が続いていた猪木は、力道山の「そうだろ」の一言に救われ、プロレスを続けることができたと言います。

その日のことを敬子さんは涙を流しながら語ってくれました。その夜は力道山が東京・赤坂のクラブで暴漢に刺された運命の日だったのです。私も「闘魂伝承」の出来事に胸が熱くなりました。

生前、赤坂に土地と建物を持っていた力道山。そして暴漢に刺されたのも赤坂。時を経て、敬子さんが赤坂のラジオ放送局で当時の思いを語ってくださり、私は「ごっつあんでした」の気持ちとなったのです。

■玉袋筋太郎
https://www.zakzak.co.jp/article/20240217-CS5EUUC7WJLRPAZIQR7AINJQGE/