《乱闘は日常茶飯事?!》
ー中略ー

1年目(昭和59年)、夏場にOB(現斗山(トゥサン)ベアーズ)の本拠地だった大田(テジョン)に遠征したときです。
所属していた三星ライオンズはOBと優勝を争っていた。私は1戦目に先発した。
上位にいるチーム(その時点はOB)が下位と戦うとき、相手の戦力を落とすことを考えるんです。
いきなりOBが1、3番打者に死球です。ぶつけてきたんです。

OBとは以前から小競り合いがあった。それにしてもぶつけ方、ぶつけられ方も下手なんです。
すると首位打者を4度取って、いつも一緒にいた張孝祚(チャンヒョジョ)が、
「金さん(新浦さんの韓国名は「金日融(キムイルユン)」)、ぶつけてくれないか」って。
報復って? ま、チームの流れですね。

ぶつけることはできるが、私にも美学がある。頭や背中はぶつけない。1球目からもいけない。右打者の捕手が打席に入った。
「ぶつけろ!」って。でもチームのみんなは「本当にできるの?」という目で私を見ていた。

自分の中に構想があった。アウトコースの際どいボールから入って、2球目にインサイドの懐を狙ってカウント1―1にする。
外のカーブでストライクを取って、1―2からの勝負球でぶつけようって。捕手の石山一秀には話した。
そうしたら2球目を自分から足をグイっと出して見え見えでぶつかってきた。

あとは大乱闘です。相手ベンチからバットを持って、飛び出してきた選手がいた。
まるで当たるのを予測していたかのようにダーっときた。大変なことになるぞって思っていたら、
「ぶつけてください」と言った張が私を守るためにそばにいた。「お前、速いな」って。両者が入り乱れました。
催涙弾が撃ち込まれ、グラウンドは煙で真っ白になった。警備員が制してもファンが紛れて入ってきた。
収拾がつかない状態でしたよ。

OBは初代チャンピオンですよ(57年)。そんな球団が…。宿舎のホテルに戻ると警察が来ました。事情聴取です。
「バットを持って乱闘なんて…。そんな行為は絶対にいけない」ってきっちり主張しました。この年の前期はウチが優勝しました。

巨人時代も広島球場で乱入したファンが、張本勲さんを襲撃するという事件がありましたけどね(51年4月16日)。

《観客も過激?! 報復にバスに放火…》
3年目(61年)にヘテ・タイガースと韓国シリーズがありました。ヘテの本拠地・光州での第1戦、
うちは右のアンダースローが先発した。ヘテが点を取れないまま、五回くらいまで進んだころ、
ヘテのファンがフェンス越しに焼酎の瓶をグラウンドに投げ入れたんです。それがうちの投手にたまたま当たった。
テレビ放映もされていた。

場所が三星の本拠地の大邱(テグ)に移った。テレビを見ていた大邱ファンの人たちがヘテのバスに火を付けて燃やしてしまった。
日本から来ていた知人がビックリしてました。ファンの乱入、選手と観客とのケンカ、小競り合いは頻繁にありました。
熱くなりやすい国民性ですかね。

《政治的な忖度(そんたく)?!》
シリーズは1勝3敗でソウルの蚕室(チャムシル)球場(当時は2戦ずつ本拠地で消化、第5戦以降は蚕室で3戦)に移りました。
ヘテは球場で練習している。なのに三星は球場近くの高校のグラウンドの狭い場所で、
トスバッティング、キャッチボールだけしかできなかった。抗議したら翌日から球場でどうぞ! って。

ヘテの本拠地・光州では、〝光州事件〟(55年5月18日から始まった軍事政権に対する民主化運動と弾圧)があった。
ソウルにも関係者が多いらしく、「優先的に練習させないとまずい」という内情だったようです。
野球は関係ないでしょ、って思ったけど。シリーズは1勝4敗で負け。〝翌日〟(6戦目)はなかった(笑)。

2024/3/25 10:00
https://www.sankei.com/article/20240325-34VRTPPNBBJARD3JLUFBNDWQMI/?outputType=theme_portrait