少しは歌謡曲の話でも【四畳半・ナイトクラブ】 [無断転載禁止]©2ch.net
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歌謡曲なんて何で聴いても同じだろ!
そう思ってるアナタ。
アナログ・レコードがハイレゾ音源だったことをご存知か?
前スレ:
少しは歌謡曲の話でも【御三家・三人娘】
ttp://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1478948029/
少しは歌謡曲の話でも(プレイバックPart2)
ttp://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1472355982/
少しは歌謡曲の話でも
ttp://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1465126238 岩崎宏美の童謡アルバムLPは素晴らしい。静けさ&透明感が凄い! >>1乙
美空ひばりの童謡アルバムも素晴らしい
狸御殿風のご陽気でゴージャスなアレンジの童謡など実に素晴らしい
童謡を上手く正確に歌う歌手は数多おっても、スイングして歌えるのはひばりちゃんだけ?
いや、案外きゃりーぱみゅぱみゅが歌うとスゴイコトになりそうだw アニソン歌手も結構歌謡曲唄ってるな
水木一郎やささきいさお、堀江美都子
ささきいさおは今も歌謡曲カバーしている 佐々木功の宇宙戦艦ヤマト大音響で聴きたくなるな。宇宙戦艦ヤマトは歌謡曲歌手を起用した先駆けだと思う。
沢田研二や布施明、岩崎宏美、八神純子、島倉千代子まで超豪華なメンバー。
最初お千代さんとヤマト?って思ったけど流石に聴かせる歌声で感激。レコード買ったらちゃんとオレンジ(アニメ用)だった。
あと意外に侮れないのが映画ドラえもんの主題歌。武田鉄矢がずっと担当してたけど名曲揃い。
わけても宇宙開拓史のエンディングは出色。 市場規模は今やアニソンが演歌歌謡曲を大きく逆転している。ヤマトは先見の明があったということか
アニソン好きは歌謡曲好きと比較にならないほど金を使うから当然オーディオ機器も高級機を揃えてる人が多い
翻って歌謡曲好きはラジカセでダビングしたりとにかく金を使わない。高級オーディオで聴こうという発想すら無い感じがする >>佐々木功の宇宙戦艦ヤマト大音響で聴きたくなるな。
宮川泰のアレンジもよかった。
ドラマ見終わった気分で「真っ赤なスカーフ」も聞いて
それから。沢田研二のLPに変えて
「大和より愛をこめて」
ガミラスに突っ込む大和
実写版のシーンかなんか思い出しながら オレはアニソン好きだし、アニソンも流行り歌で歌謡曲だとも思うが
アニソンはアニソンの専門スレでやった方が良くはないか?
やはりこのスレは、アタマに新の付かない御三家や三人娘の時代の歌謡曲スレだろう 歌謡曲の定義がはっきりしてないんだから一口に歌謡曲と言っても
戦時歌謡もあれば青春歌謡もあればアイドル歌謡もある
歌謡曲歌手がアニソンや童謡を歌うことだってあるんだからそれもややこしい
人によって歌謡曲の抱くイメージが違う以上話が広がるのは仕方ないだろう 昭和30年代までは流行歌全般が歌謡曲と呼ばれていて日本調歌謡とかジャズ調歌謡などと区別されていたが
次第に日本調歌謡は演歌と呼ばれ歌謡曲から分離、ポップス調が主に歌謡曲と呼ばれるようになった
近年、昭和歌謡と呼ばれる曲は昭和50年代以降の歌謡曲、ニューミュージック、アイドル歌謡を指す場合が多い 昭和歌謡って昭和50年代だけじゃなくてもっと広い年代で使われてるぞ。
ニューミュージック系のシンガーソングライターがヒットチャートに登るようになったのがだいたい昭和50年代前後くらいかな? 昭和歌謡ブームとか言っても80年代アイドルとか昭和50年代以降が主だよ
それ以前はリアルタイム世代がリタイアしてるし映像も残ってないからほぼ含まれない 批評家を気取って大筋を語るより、個別に楽曲を挙げたほうが有意義だ。
ペドロ&カプリシャスを聞いてると、これだけのラテン・ロック・バンドが
日本に居たことを不思議に思う。そしてアルバムがない。これも不思議だ。 >>12
昭和40年代にグループサウンズをやっていた人達がソロになって継続しているんで、
少なくとも50年代前半までは世代はそんなに変わってないよ。
堺正章、萩原健一、沢田研二などの男性歌手はこの系譜で、女性アイドル歌手が出てくるのがこの後。 昭和歌謡といえば戦前歌謡だった時代もあるし、昭和30年代を昭和歌謡黄金期といった時代もあったが
時代とともに世代が移り変わり、今の時代昭和歌謡といったら昭和の終わり頃の曲を指す人が多い
だから歌謡曲の定義を昭和30年代辺りの曲に限定するのは無理がある 昭和初期から現在まで歌謡曲の聞き方や設備、録音の話ならなんでもいいが、
個別の歌手の話は邦楽スレでやってくれ 昭和30年代後半から40年代ぐらいまでの歌謡曲はリバーブかけ過ぎてがっかりな曲が多い
あんなぼやけた音が好まれたのだろうか いいか悪いかを言うよりも、率先してしたい話をしてみたらどうよ? そうそう、ナイトクラブというのはあくまで曲のイメージで、
実際にはナイトクラブで歌謡曲は生まれないと思うw ブログとか見てもピュアオーディオで歌謡曲を聴いてる人なんて殆どいないわけだが
やはり恥ずかしいとか馬鹿にされるとか思っているんだろう レコードマニアはオーディオマニアを差別用語と受け止めてる。
あちらの世界じゃ、オーディオマニアと知られた瞬間に仲間はずれ。
でもそれはポップスの世界だけのこと。
クラシックやジャズのコレクターは、オーディオにも金を使う。
ゴージャスな機器のほうが音も良いからだ。
しかし、歌謡曲のコレクターは、その庶民性も含めて
ゴージャスな機器で聴いていることを恥ずかしがる。
ライフスタイルとすごく密接なんだと思うな。 前スレのpart3をパロったサブタイトルのせいで
御三家時代三人娘時代の歌謡曲を扱うスレという変な誤解が定着しているが
そもそも過去スレみるとそんな限定的なスレじゃないぞ
四畳半は歌謡曲というよりフォークの代名詞だし
次は普通にpart5にしてくれ >17
当時はリバーブじゃなくてエコー。
リバーブは中高域に効くけど、エコーは低域まで伸びてる。
平行面のないコンクリ部屋でスピーカーを鳴らし
それをマイクで拾って混ぜていた。
出張録音のときは、ホールのトイレを使ったことも。
最近判ったのは、このエコーはトランス類を噛ませた
当時の真空管回路のせいと見るのが妥当かと。
安っちいトランスを通すと余韻が出難いんだよね。
今の機器は、アンプ、スピーカー共に
過剰なほど余韻を拾い上げる。
ツイーターがエコーで撹乱されたうえ
低域まで残響が残ると、すごく音がボヤける。 エコーがリバーブに変わった理由は
オーディオ機器の進歩ではなく
12chを超えるマルチトラックのレコーダーと
ミキサー卓が出現したから。
低域にまで残響が伸びるとゴチャゴチャになる一方で
高域にリバーブを掛けてあげることで
各チャンネルの音が馴染みやすくなる。
マルチトラックの利点は、各パートを別録り出来て
効率よくレコーディングを進められるから。
それまでが、4〜8chでオーバーダブを繰り返すと
音質が犠牲になるので、ミュージシャン一堂に会して同時収録。
スケジュールを合わせるだけで大変そうだけど
それだけ時間の余裕もあった。 >23
四畳半がナイトクラブに変わる
という視点もお忘れなく。
ttps://pbs.twimg.com/media/CIG-0cdUEAACTnw.jpg
次はフィンガー5かな。堀越学園天国みたいな。 スケジュールを合わせる、というので思い出したけど
時代にあらがって特異性のあるのがホソノハウス。
細野さんの自宅にバンドメンバーが合宿して録音された。
そういえば、GSのタイガースがメジャーデビュー時に
合宿という名目でアパートでメンバーで共同生活させられた。
基本的にロック野郎なんで、喧嘩も絶えなかったらしいが。 このGSブームの辺りが、真空管かトランジスターか悩む感じ。
収録は真空管の機器で行われていたが
ラジオ、テレビ、共にトランジスター化が進んでいて
ソニーなどは名作TA-1120を発売している。
当時としては最高級のプリメインアンプだった。
このトランジスターアンプを市販する前年1964年に
ソニー試聴室を長岡鉄男が訪問している。
話題はテレコのことが中心だが
大賀氏の自宅では既に自家製トランジスターアンプを使っていて
ジムランのミニゴン、パイオニアCS203、三菱610Aなど。
会社の試聴室では、三菱2S-305、クォードESL。
クォードはほとんど間隔を開けずに聴いてた。
「無響室で測定して、フラットな特性だとしても
一般家庭に持ち込んだら、どんな音になるかわかりません。
音には細工が必要だと思うんですよ。
音楽家は耳がいいと思いますが
ハイファイ・マニアが喜ぶような音は好みませんね。
音楽家の使ってるステレオを見ると
たいていバスを上げ、トレブルを落として聞いてます。
これが自然な聞き方だと思います。」 仕事で楽器を弾く人は音を聴く機械にこだわりは持たない。
そんなことにコストかけるくらいなら自分の楽器にコストをかける。 GSの再生で、真空管かトランジスターの問題だけど
真空管で色艶を増やしたほうが良いか
トランジスターでパリッと乾いた感じで鳴らしたほうが良いか。
中間を取ると、EL34のようにクールな音のする球なんだけど
それだと他の録音に足を運ぶのが難しくなるので、追い込みすぎない。
当時の流儀だとEL84なんだけど、今だと選択肢が色々ある。
低音のバランスは、部屋の残響の問題もあって
一度出た低音は響きが残って引っ込まない。
曲によって、タイトな低音が良いか、ドーンと響いたほうが良いか。
ある種の軽さがあったほうが、若者の音楽という感じが出るけど
ギスギスし過ぎると聴いてて疲れる。
鍵は100〜200Hzの出方で、ここが巧く弾んで
ボーカルと分離できれば、土台が仕上がる。
次は中高域のキャラクターだ。 テレビで良くやるような天の声みたいな残響音は今となっては邪魔でしかない。余計なことしてくれたなと思う。 当時の流儀だとEL84というのは、結構侮れなくて
中高域の艶やかさと、低域のシャープさが共存していて
なかなかの名球だ。1960年代のポップスには欠かせない。
一方で、低能率のスピーカーだと、低音がスカスカになりやすい。
最近のスピーカーでだと、KT88のほうが使いやすいかもしれない。
しかし、低音がガッツリ出過ぎると、GSの音楽が貫禄負けしてしまう。
結局、この方向性だと、1970年代以降の録音が最高という
シナリオが既に引かれていて、そこから逃れられなくなる。
スピーカーの選択には、2段階あって
最初はフルレンジ、次にマルチウェイという順番に進むと
バランスがとりやすい。そして録音の癖も判りやすい。
フルレンジで悩むのが、フォステクス FE103の存在だ。
これも1960年代半ばに開発された、この時代のビンテージで
中高域のアカ抜けたキャラクターは、GSにはうってつけなのだ。
ますは、EL84のアンプ、FE103のバスレフ、と抑えておこう。 次の段階が20cmフルレンジで
フォステクス FE206があるけど、Qが低くバックロードホーン向けなので
箱の準備が大変だ。SICA製のものが使いやすいと思う。
これにツイーターを足していくのが、2wayへの足掛かりになる。
個人的にはホーンドライバーが好きで、1.2kHzクロスではなく
2.5kHzクロス辺りで贅沢に使うと、その下の帯域まで足が保証されるし
フルレンジ側のボーカルの音色に一貫性が出て聴きやすい。
少し分割振動で荒れたくらいが、音にパンチがあっていい。
ドライバーは、今はJBLもブラジル製だったり、かなり安い価格で抑えられてる。
エンプラ製のチープなホーンで十分だろう。
エージングされたビンテージより、卸し立ての新品のほうが
GSには向いているような気がする。
最初からツイーターを足すことが前提なら
古いエクステンデッドレンジも良い。
JBL D130、D123、ジェンセン P12Rなど色々ある。
こっちは1950年代のロカビリーとの繋がりが出て
GSのルーツを探るのに、色々と聞き比べができる。 最近よく見る球プリ石パワーアンプとか馬鹿馬鹿しいとか思ってたけど、
音量に左右されずに一定のキャラクタが維持されるのは便利だな このスレで扱うオーディオってどう呼べばいいんだろうな
決してピュアオーディオではないし、かといってローファイオーディオでは語弊があるし、
ヴィンテージオーディオと呼ぶにも路線が違う
個人的には「再生」オーディオなんだけど、ハム小僧にしか通じないし 昔は知らんが、今はタイガースは仲がええわな
スパイダースも仲は良かったが、次第に音楽的に高度になっていくメンバーの中で
唯一ドラマーだけがメンバーの音楽的要求についてこれなかったのが、解散の本当の理由だと巨匠がTVで言っていた
じゃあドラマーだけ替えれば? と思うのが普通だが、なんせドラマーは・・・
結局解散しても事務所は田辺エージェンシーか、その傘下プロダクションなので、ケンカ別れとは違うんだそうだ これはGSに限らず、1960年代の歌謡曲全般なんだけど
ジェンセン C6Vを小さなバスレフ箱に入れたのはどうかと。
モノラルのサブシステムとして、ディスクトップで使うと面白そう。
これと合わせたツイーターが難しいけど
安いコーンツイーターで様子見とうのでどうかと。 >36
最高じゃなく、最適化なんだよね。
適度にハイファイ、適度にローファイ。
盆栽のように、音の切り詰め方が面白いんだ。 あれ? スレの引用相手を間違えた。。。
>36について言うと
当時は業界の歌謡曲路線とロックバンドとしてのステータスの間で
奮闘してたバンドがほとんどで、フォークルがやりたい放題やったら
一気に業界の方向性が変わった感じ。
もうひとつの方向性は、はっぴいえんど、じゃなく、村八分。
フォークルと村八分で、アングラシーンがほぼ満喫できるかもしれないな。
あとは任侠映画とルパン三世1stシーズンでほぼまとまる。 で、結局、トランジスターか真空管の件なんだけど
EL84プッシュとMOS-FETアンプ、どっちも面白いので、2つ持ってれば良いかと。
でも10万前後の中級品で十分。スピーカーの選択のほうがずっと効く。
中庸なのは、SICAのフルレンジ。これも中級品で、永遠の入門機だろう。
GSサウンドが、ずっと若いときの印象で鳴り続ける。これが目的だ。 メジャー化し、商業化される前のフォークシーンについてはなぎらけんいちが詳しいなあ
今TVで酒飲んでるけどw
ケメはエレックがむりくりアイドル路線で売り出そうとした為に、結果消えることになったとNHKで言っていた
あと三上寛は本当に凄かったらしい
音楽もそうだが、なによりも性欲が。。。 前スレにあったエコーを足すってのは個人的にはちょっとなあ
たしかに民生オーディオ用のスプリングリバーブはあるにはあったんだけど、
基本的には8トラカラオケの延長にあった物だしなあ あと佐々木功ってえとヤマトより999TV版が好きだなあ
https://www.youtube.com/watch?v=ZR_CoCTNV9Y
この頃はランボーでドンパチにぎやかになるとは思ってもいなかった モノラルの再生言語と再生音楽に対しては、聴取者は制限された周波数範囲を好むことがわかる。
(中略)
1.何年もの間、ラジオや蓄音器の音を聴いてきた一般の聴取者は、ある限られた周波数域に慣らされていて、
それが自然の状態であると感じている。
(2)楽器が正しく設計されていないことと、高調波範囲の基本音や倍音が抑圧されているほうが、より心地よくまた好ましいのであろう
(3)元音響の真の再生からの歪と偏倚は、周波数範囲が限られている方が、不愉快な感じを与えない。
-H・F・オルソン著、平岡正徳訳『音楽工学』から
このスレでよく言われてること、生々しく聴くには、必ずしも広い周波数が必要じゃない、
って事とも重なると思う 各レコードカセットCDプレイヤー、アンプ全て10万ぐらいの中級機だけど
歌謡曲を聴いてる中ではこれでも高級な方じゃないかと思う >42
1964年のビクター・ステレオ。
ttp://www.ne.jp/asahi/radiomuseum/japan/images/victor-cat.jpg
この手の初号機ST-37は1961年発売で、エコー付きステレオがブームになったらしい。
おそらく、モノラル、ラジオ、全てにエコーを掛けてた可能性がある。 あと、元音源にエコーが加わったやつは消すことができないので
ライントランスを噛ませるのが一番の緩和策だと思う。
でも、ハイ落ちしたトランスってなかなか見つからないんだよね。
ちなみにビンテージのライントランスは以下のとおり。
ttp://www.pandcamp.com/imada/line_amp.htm
思ってるほどナローレンジじゃないけど、微細電流で反応が落ちてるとみた。
というか、ノイズとしてカットされてるかも。
戦前の電蓄なら、電源トランスでも用が足りたらしいけど。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~cn3h-kkc/claft/ht_opt.htm
このままで良いか悪いかは試してみないとね。 佐々木功はガッチャマンの忘年会で、子門正人の歌った主題歌を余興で歌ったところ
同席していたレコード会社の人がその歌唱力の高さを評価して、アニソン歌手の仕事が来るようになったそうだ
そしてヤマトで紅白にも出場したのだから人の運命は分からない
そのヤマトだが、実は佐々木功の前に子門正人も呼ばれていたそうだ
子門板のヤマトも是非聴いてみたいものだが、西崎さんはテープを持っていたのかねえ
ちな、ヤマトのキャラデザも松本零士の他にも何人かの漫画家に依頼していたそうで
あのゴルゴのさいとうたかおもキャラの絵を描いており
ゴリラの様にゴリマッチョな古代くんのキャラ画が当時のOUTに載っていた
さいとうたかおもグレートな漫画家だが、あのキャラだったらヤマトはあんなに人気は出なかったのではないだろうか
実写版のヤマトはCGによる戦闘シーンがまるでダメで、パチンコのヤマトの大当たりした時に流れるCGアニメの方が格段にセンスがよくて素晴らしいものであった
ガトランティスの大戦艦の頭上にスッと滑る様に画面に入って来たコスモタイガーが、機体を捻るやいなやアフターバーナー吹かして急降下爆撃を敢行するところなどシビレル程のカッコ良さ!
宇宙に上下はないとか、真空中でアフターバーナーはおかしいとか、ちっちゃいコトはどーでもいいのである
ヤマトはエスエフではなくエセエフなのでカッコ良ければ全てが許されるのである GSブームの発端はビートルズだが、バラエティー性だけが先行して
英国ではブルース、R&Bの系譜と並べられたのとは対照的だ。
オーディオ・マニアとしては、いわゆるマージー・ビートの録音と
GSサウンドがどういう関係があったのか? というのが気になる。
そもそも、ビートルズのサウンドというのが一番不可解なのだが
特に来日前後のラバー・ソウル、リボルバーのロック路線が
日本ではまだ未消化のまま、GS路線が敷かれたことが
やや腰砕けな感じがするのと、
BBCでのR&Bカバーバンドとしてのビートルズの活躍が
日本ではほとんど無視されてきたことが関係しているような気がする。
つまり、英国でのR&Bの受容と、日本でのものとの温度差が
GSサウンドの印象を作り出しているように思える。
ビートルズ−R&B=GSブーム、と言うことができるかもしれない。 しかしながら、私自身がGSサウンドの面白さに気付いたのは
実は、R&Bの泥臭いテイストが、演歌と別の支流から流れて
歌謡曲というジャンルのなかに入れ混じった状態である。
演歌が演歌と呼ばれる以前は、ジャズ・ブルースが入り込んでた。
少し知ってる人なら、流行歌にドゥーワップ・スタイルが
1960年代初頭に入り込んでいることが判るだろう。
それとGSは別物ではなく、異母兄弟のようなものである。
「ブルー・シャトウ」「花の指飾り」「亜麻色の髪の乙女」など
GSバラードの名曲は、当時としては洗練された曲調だったが
その甘い思い出の影に潜んでいる、暗い影が差し込むと
どこか不安気でナイーブな、昭和の世情を感じさせる。 GSサウンドのもうひとつの切り口は
昭和40年という未来形と1960年代という過去形との
不思議なミスマッチである。
大阪万博で技術大国として目覚めた日本の産業構造からみて
1960年代は古臭い、ど根性の世界であり
昭和30年が終わり、もはや戦後復興が一段落した安堵感からは
東京五輪でテレビがモノクロがカラーに変わった印象と重なる。
これをオーディオ的にどう判断するかである。
倍音を目一杯含んで、瞳の奥まで輝かせることもできるし
逆にレンジを狭めて、セピア色に染めることも可能だ。
そこに1960年代後半の不思議な年齢がある。 昭和40年前後の歌謡曲ってやたらコーラスが多いけどあれはどうすればいいんだ 1960年代後半の不思議な年齢は
プロデュースしてた30代のサラリーマンと
実演してた10代のバンドとの協働作業から由来するともいえる。
企業体としてのグループであり、バンド活動だった。
ビートルズを売り出し、フォークルをプロデュースした高嶋弘之氏の本を読むと
そういう企業体質が、単なる市場支配ではなく
若手ディレクター自身の自己実現の物語が存在し
それが旧態依然のレコード会社に10代の発言権を与えていたと判る。
何よりも、若者音楽というジャンル形成にも、結び付いていた。 >>51
「GSサウンド」だと「頭痛が痛い」になるよw 若者音楽の底力は、ファンクラブの形成にある。
ビートルズの最初のファンクラブは女の子だったが
それがラバー・ソウル辺りから引いていったらしい。
ライブ活動もやめると、当然次に出てくる解散の噂もあり
いわゆるビートルズ・ロスト現象になり
代りとなるGSバンドが現れたと言えるのかもしれない。
タイガースの前身だった1966年のファニーズについて、ファンクラブの女の子は
「(プールサイドで)パチャパチャしながらビートルズ・ナンバーなんか聞いてるうち
ハートにピーンときちゃったのね。上品で清潔で、抱きしめたいほど可愛かったわ」
こういう聴き方はなかなかできない。
昭和40年代の女の子に「抱きしめたいほど可愛い」と思わせるサウンドって何だろう?
おじさんはふと考えるわけである。 >>55
そりゃサウンドではなく、ジュリーにシビレてただけやろw >56
問題はそこにあって、アイドル歌謡、アニソンも一緒の部類だと思うけど
ビジュアルと楽曲が一体化して、はじめて感動にいたる要素ってあるんだよね。
でも、音の印象ってやつは、技術革新と共に段々と劣化していく。
そこを翻して、あのときのトキメキも一緒に再生したい。
そこをオーディオ・マニアとして真摯に受け止めるわけ。
少なくとも、ビートルズ・マニアがやってる
初期プレス盤、イギリス製オーディオでは解決の糸口はなさそう。
かといって、和製ロクハンでもまじめすぎる。
では、どういう手があるのか? 見方によっては、ブームというのは、一過性の消費傾向に過ぎないので
そこに何か深淵な意味を読み過ぎると、別のカルトが生まれる
という感じもしないわけでもない。カルト・ムービーという言葉もあるように
GSにも昭和カルトの一翼を担う素質は十分にある。
その一方で、歌謡曲一般が、ある種の商業目的の強い音楽作品なので
それを言ったら、これまでの歌謡曲とオーディオの関係のように、なし崩しになる。
ここは、GSも文化遺産としてマジメに付き合わなきゃと思う。 GSを昭和カルトに落とし込むと、一種のステレオタイプになりやすい。
それは実はキャーキャー歓声を上げてた女の子の視点にも結び付いて
バンドの個性ではなく「上品で清潔で、可愛い男の子」という商品に過ぎない。
リカちゃん人形の家族構成をみれば一目瞭然だが
「きれいなママ」と「やさしいパパ」である。
歌謡曲でさえ、そんな嘘は許容できない。
で、GSの語る恋心は、どこに真実があるのか?
所詮、少女マンガの前振りだったのか?
実は、少女マンガのほうが、もっとストーリー性がある。
実に、その軽薄な企業体質というか
若手サラリーマンの企画力のなさが、GSの本質なのである。
翻って、1970年代に活躍した中身の人は、実に立派な芸能人だ。
GSを一流の役者が演じた音楽エンターテインメントと考えれば
その再生の糸口がみえてくるのである。
けして、大衆の欲望が生んだカルトではない。 大衆の欲望がブームを生む、という方程式は
歌謡曲とオーディオとの関係に根強く影を落としている。
それは、歌謡曲は大衆文化=大衆の持ち物であり
そこを再生機器の良し悪しで評価することは、ゲスな行為なのである。
見方をかえれば、金で解決しようとする拝金主義につながる。
しかし、一流のエンターテインメントは、磨けば磨くほど輝いてくる。
その価値観を大切にすることこそ、オーディオの本質だと思う。
要はその磨き方が肝心なのである。
ダイヤモンドは高価だが、何でもダイヤモンドのように磨けば良いものじゃない。
その宝石に合ったカットの仕方が、本来の輝きをとどめる。 もうひとつ、GSの録音に影響を与えていると考えられるのが
フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドである。
とはいえ、GSの深いエコーは、むしろロカビリー時代のものを想起させ
スペクターのような緻密なオーバーダブによるものではない。
むしろ、カバー・ポップス時代の録音の延長線上にあるのだが
違うのはリボンマイクから耐圧性の強いコンデンサーマイクに変わった点である。
同じエコーに包まれても、少しエッジの立った音が特徴であり
クルーン唱法の名残があったロカビリー時代に比べて
がなり声をたてても十分に許容できる耐圧性をもっていた。
では、なぜエコーが多いのかというと
多くの原因が、テレビやラジオに付属していた
フィックスドエッジ・スピーカーによるものと思って差し支えない。
狭い筐体でダンピングを得るためにQが高く
タイトでメリハリのある音は出しやすいのだが
そのかわり、エコー成分を急激に減衰させる。
さらにモノラル音声にライブ風の広がりをもたせる効果もある。
この辺はフィル・スペクターの「ティーンズのためのシンフォニー」という
思想に沿ったものだといえる。 おそらくこうした過大なエコーが有効だった時代は
高性能ヘッドホンでの試聴がはじまる1970年代に消えたと思える。
FMをステレオで試聴できるレシーバーには、いち早くヘッドホンジャックが付いたが
ヘッドホンでは強いエコーが丸判りである。ついでにピンポン・ステレオも。
急速に過去の録音が市場から消えていった。
消費社会の栄光も悲劇も、短い5年程度の期間で燃え尽きたといえる。
しかし、個々の歌手の5年単位の浮き沈みは当たり前のことなのに
GSだけが際立ってみえるのは、その人気ぶりと凋落の落差が大きいからである。
そして1960年代という不思議が沢山詰まっている。
GSの謎が解ければ、1960年代の録音の様々な疑問もとける。 では、GSという原石を磨くとしよう。
まず、最大の難所がエコーとバランスの取れるフィックスドエッジ・スピーカーであるが
実は品質グレードも伴ったものを探すのは、今では結構難しい。
今では貴重な16cmは、ダイトーボイス DS-16II、ジェンセン C6V、P6Vである。
箱はそれほど大きなものに詰めず、10L前後に盆栽のように詰め込む。
そこで、少しグレードの高いラジカセの音、というコンセプトで、録音の特徴を知る。
録音の特徴を知るミニモニターは、使いようが他にも色々あるだろう。
そこでバランス感覚が判れば、次のステップアップとして20cm以上になるが
SICAのダブルコーンのシリーズが高域まで伸びて、バスレフ向けで使いやすい。
基本的にフリーエッジだが、エコーに負けない中高域の腰の強さが身の上である。
ステレオ試聴をする前提なら、中型ブックシェルフに収めることができるので
汎用性が高いかもしれない。
ジェンセンのギターアンプ用20cm、30cmなどは、ツイーターとの組合せが望ましいが
平面バッフル、後面解放箱での使用も可能であり、躍動感が非常に強い。
音響的にも簡易PA、ジュークボックスの規模にまでグレードアップできる。
続きはアンプの選択で。 >>リバーブ
>>GS
リバーブを効果的につかっていたのは、歌謡ポップスだよ
由紀さおりの夜明けのスキャットのエコーを思い出す
「手紙」とか「生きがい」の演歌から離れた作り方が好きな小学生がいましたわ。
トワエモアのドラムに短いエコーかけたのは、とても好き
あの頃のセパレートステレオは、25-30cmのウーファーで
ドスドスの低音がでた。
1つには、出力コンデンサーを詰め込んだあまーくて伸びる低音だったことで
今の締まり切ったDCアンプ系のTRアンプとは、異なる事だ
高域は、キンキンの硬い光沢の表現ができた ボーカルの声をもっとハッキリ聴きたいから加工されたのが丸わかりのエコーは好きになれない
由紀さおりの他に坂本九や欧陽菲菲などが所属した東芝は特にエコーが強い >>64
松本英彦クインテットがコロムビアから出した『これぞブルース』(1968年の発売)、
聴いてみたら、明らかにその頃のセパレートステレオで聴く人に向けた音作りだった
http://audiosharing.com/review/wp-content/uploads/2014/06/Frontier.jpg(こういうタイプの物)
中低域がボンボンと鳴る一歩手前・・・
歌謡曲もムード音楽も、その手の物の方が多かったんだろうか
収録曲は「別れのブルース」が特に良かったな
堅苦しく聴かないで、部屋のBGMとして楽しむのに極上の雰囲気があった で、GSに合ったアンプだけど
低音がドンヨリ出るタイプは控えたほうが良いと思ってる。
真空管でいうと、300BとかKT88とかよりは、EL84、6V6がいい。
それに合わせて出力トランスも小物のほうが、音の小回りが利いていい。
というのは、低音の出にくいラジオや卓上プレーヤーに向けて
低音をブーストした録音も多く、これが明瞭度を下げるからである。
トーンコントロールがあるなら、100Hzを-3dBくらい下げると
音楽のノリとか、ボーカルのニュアンスとか、バランスが改善することがある。
高域のエネルギー感は、これも10kHz以上はオマケなので
あまり強力に出るツイーターがあると、録音の粗が出やすくなる。
これも真空管が合ってるように思うが、むしろライントランスで整えたほうがいい。
真空管アンプの音は、真空管そのものより、トランスの音色の影響が大きく
出力トランスで整えるよりも、ライントランスのほうが安上りである。
ライントランスにはもうひとつの効用があって
磁気歪みからくる高次倍音で、この倍音がとてもシルキーで
やんちゃなGSの過入力時の歪みを、少し和らげてくれる。
これは、トランジスター・アンプを使ってるときにも同じ利点がある。 >67
おそらく話が逆なのではないかと。
当時の音の基準は、クラシックにあったので、海外で録音された交響曲を
残響のほとんどない和室で聴いて、コントラバスの倍音がゆったり鳴る
というバランスなので、録音自体のバランスをいじってるのは卓上プレーヤー用。 話がアチコチだが、個人的にはMOS-FETアンプは低域がタイトで
GS特有のドンヨリ低音を、自然に制御できるように感じてる。
むしろ50Hzまでがんばって出していることで弊害があるくらい。
この辺を割り切った特性をあえて選ぶことが肝要である。
むしろ高域の出方をケアしたほうがよく、1〜3kHzのつながりが悪いと
声の抜けが悪いのにキンキンして、堂々巡りの結果になる。
これはアンプのせいではなく、スピーカーで押さえておくべき基本性能だ。
そんな当たり前のこと、と思うだろうが、意外にウーハーの特性が1.5kHzまで
というのが多く、ツイーターも下限域で音が曇ってるものが多い。
1〜3kHzが落ち込んだほうが、全体に上品に聞こえるのだが
GSは元気がまったく削がれる。全部が遠鳴りのエコーにまみれる。
これを避けるために、中高域でも低めの帯域の艶やかさが必要になる。
結局、低音の制御と、中高域の繋がり。
システムを大型化する際に、その両翼の周波数を欲張ってしまい
要らない情報というか、元の録音でケアしてない余分な音を重ねてしまう。
結果、悪い音だと判断するなら、それはシステムを組むセンスの問題かもしれない。 GSの録音で、ドンシャリという言葉を思い浮かべるなら
少し考えてみる必要があると思う。
例えば、以下の特性はBBCで1930〜47年に使ってたスピーカーの特性である。
ttp://quwa.fc2web.com/1950/BBC/RK-GEC1930s.jpg
これが何を示しているかというと、欧米言語のアナウンスの中核周波数が
母音と子音にキッチリ分かれていることである。
音楽プログラムの忠実性よりも、アナウンスの明瞭性を優先したのだ。
ところが、ラジオが音楽業界に与えた影響は計り知れず
このアナウンス向けの特性に合わせて、より効果的なサウンドを目論んできた。
一方で、アジア系言語は、喉音によるニュアンスの伝達が豊富で
800〜1500Hzが沈むと、とても都合が悪い。
このため、ラジオ音声は電話の声に近い3kHzまでの帯域でも
十分に意思疎通できるようになってる。
欧米型のスピーカーとは、特性的に逆の傾向を示している。
GSの録音がドンシャリなのは、この電話並みの狭い帯域に
洋楽ロックのニュアンスをデフォルメして伝えようとしたからで
これに、もともと洋楽にフィットしたシステムを充てるとおかしなことになる。 では、GSだけがサウンド・バランスがおかしいかというと
1960年代の録音が押し並べて似たような状況にあると言えよう。
これはレコードの売り上げが、SP盤の頃に比べ3倍に伸びたのに
依然として電蓄時代と変わりないスペックの機器で聴いてたことによる。
150〜3000Hzのスペックを改善せずに広帯域化しても音は良くならない。
逆に、電話の声の150〜3000Hzの再現性の良いJBL D130などのほうが
例えツイーターの帯域が狭くても良い結果が出るのである。 色々と感慨深いのは、GSを通じて女の子のレコード市場が本格的に登場したことである。
女心と秋の空、熱しやすく冷めやすい、そういう当てにならなそうな気分のようなものを
GSがはじめて具現化した。それがそのまま60年代の空気を感じさせる。
オーディオ的にはスペックダウンしたのかもしれないが
そこから見えてくる和製ポップスの本質についても、色々と考えることができるだろう。
GSの再生音は、ドンヨリ曇った音ではなく、上品で清潔、可愛くなくちゃ。 当時中学の同級生の女子に1まとまりのGSのEPレコードを借りたが
シャリシャリのスリスリレコードで開口した事があります。
そんなりっぱなプレーヤーでは掛けなかったのでしょう
その印象が強いのですが、GSの人たちが
「タイガースメモリアルバンド」で1990年代に再活動していました
今風の音色のベストのCDもあります
http://www.geocities.jp/return_youth/groupsounds/tigers/tigers_memorial.html >74
GSブームをバンド中心で語るのと、ファンの女の子の視点で語るのとでは
全く違うんでしょうね。そういうクロニクルが本としてないのが残念な限りです。
明治の女学生、大正のモダン・ガールとかは豊富にあるのに
昭和40年代が無いのはおかしいです。 手元にある本では「明星 50年 601枚の表紙」をみていると
少女の憧れのスターが色々と出てくるのですが
何を基準にスターが選ばれているか? という大雑把な解説がある程度。
買い手はマスメディアに対して受け身の存在としてしか描かれていない。
ザ・タイガースの評伝のなかの肉食系女子のようなバイタリティは感じられない。
そのなかに集団就職した女性たちのことが、少し書いてあるんだけど
例えば1970年代に神田川で書かれた行き場のない哀愁なんてものじゃなく
プールサイドで聴いたバンドについて「ハートにピーンできちゃった」というのは
もっとブームの立役者として積極的に評価してもいいんじゃないかと。 でも、ジュリーやマチャキなんて、その後も活躍した人のことは話題に上っても
GSそのものが懐かしいと思う元女の子はあんまり居ない。
この辺は、1970年代の新御三家やジャニーズ系の男子アイドルと大違い。
個人的には、あんまり巧く再生できていないんじゃないかと勘繰っておるわけです。
老人ホームの婆さんが好きなのが演歌となっているけど
いや、GSでしょう、といえる時代にはならないんだろね。 ザ・タイガースの赤盤にライブ音源が混ざっていて、往時の黄色い歓声が聴けるけど
実は1968年 フォークルの「当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)」にも
同じ歓声が聴ける。しかし歓声の質が違う。ちゃんと音楽と一体化している。
1970年の藤圭子、1971年のちあきなおみおのリサイタルは、今と同じ観賞会。
若者だけというわけではない、というのが一番の理由だからだろう。 青春歌謡世代とGS世代は数年しか差がないけど、日本歌謡史最大のターニングポイントだと思う
GSブーム以降今に至るまでポップス調が流行歌の主流になった
だから青春歌謡世代は演歌を受け付けてもGS世代受け付けない 野口五郎は自分は最後のスターで最初のアイドルだ、と言っていた
ジュリーもショーケンも当時はスターと呼ばれていたんだっけかな?
ん〜、記憶にないw
しかし中三トリオが出て来たのはスター誕生だから、アイドルって言葉が普及したのはその後かねえ
まあ「アイドルを探せ」なんてシャア・アズナブルも出ていた映画もあったけど 1969年頃は、もうビートルズは、LET IT BEで解散する直前で
エリック・クリプトンがCreamをやっていて、それに詳しいとか
ジャニーズ系のフォーリーブスとかそっちに行っていて、GS凝っているのは
お姉さんの影響とかいう人で、あれは、10年続いたのだろうが
カッコだけの男子のアイドルは、スタレルのは、早いのではないかな。
男の子は、GSかっこいいと言うよりS&G(サイモンとガーファンクル)聴いて
ギターを弾いてた、拓郎とか泉谷聴いてたような気がする
中学生の話しだけど GSは不良の音楽ってレッテルを貼られてしまったから急速に消滅したんだな。
不良上等でやるのは勝手だが、品行方正な女の子が聞く音楽ではないとされてしまった。
マンガで言えばハレンチ学園みたいなものかなw かまやつひろしは50年代からカントリー&ウエスタンのバンドを組んで米軍キャンプを回ってたらしいから、
GSの下地はそのころに出来てたんだろうね。
その後チャック・ベリーが出てきてそのままロックに方向転換していったと。
一般に人気が出るきっかけになったのはビートルズかも知れないが。 GSが世の中から煙たがられる存在になってしまったのは失神バンド、オックスのステージが要因といわれてる。
自分はテレビで真木ひでとを見てオックスってバンドがいたんだって知ったんだけどね。 オックスの失神は過労による貧血だったそうだから
今なら完全にブラック事務所でアウトだなあ
そういや五郎ちゃんも人気絶頂時の当時のアイドルは、事務所がダブルブッキングとか無茶なスケジュール入れてくるのが当たり前なので
とにかく現場に着いたらまず「遅れてごめんなさい」と頭を下げるのが日常だったそうだ
その為どんなに人気があっても天狗になりようがなかったので、昔の人気アイドルは皆腰が低かった、とラジオで言っていたなあ >82
そういえば、コンサートに行ったのがバレたら停学とか
どっかの本に書いてあったな。
ロック=不良という括りだと、60年代末のアングラと並ぶのかもね。
でも、ビートルズと同様にお茶の間のアイドルというのも目指してた。
歌詞の内容も、演歌やムード歌謡に比べると、全然清純だし。 GSの誕生とファンクラブの低年齢化の関係は
微妙な年頃をターゲットにしたもんだなと思う。
最初が男子向けじゃなくて、女子向けというのも意外だ。
当時はフランスのアイドル系歌手も大勢来日してるけど
今見てもずっとセクシーだし、小悪魔的なところもチラホラ。
園まり、伊東ゆかりが歌ったムード歌謡、喪失ソングも
男子の憧れ、というわけにはいかないな。
同じ世代の子を、おやじ目線でみてるのがすぐ判るしね。
黛ジュンが一人GSとか、美空ひばりもがんばってミニスカ履いたり
そういうのも男子は萌えなかったんだろな。
それぞれ、楽曲としては完成度が高いのに
それ自体がブームを生むことがなかったのが不思議だ。 おやじ目線というと、オーディオの価値感も少し似ていて
ある種の完成した状態から、楽曲を見渡す感覚は残ってる。
成長を見守る、熟していくのを待つ、そんな感じ。
あるいは、いつまでも現役で、ファイト満々の状況。
一方で、ティーンズ終焉の微妙な年頃をあまり表現できてないな。
崩壊寸前なんだけど、新たに突き抜けるような感覚。
少し不安気なんだけど、元気だけは有り余ってる。
性能の良くない機器に、無理させて叫ばせる、ということか。
アイドル歌謡になると、熟練したバンドマンがバックに付いて
演奏の品質は、歌手のタレントに比較して、すごく安定してる。
背景が安定してるので、成長の度合いも明瞭。
これはオーディオの尺度にハマりやすい。 ティーンズ終焉の美学は、「高校三年生」のような青春歌謡にも根強くあって
そっちはいつまでも純粋でいようね、という合言葉で、爽やかに語り掛ける。
例えば、ユーミンの「卒業写真」にも現れるテーマでもあり
記憶のなかで止まってる永遠の時間という感覚さえ引き起こす。
レコードという媒体にすごくマッチしたテーマだと思う。
ティーンズ終焉を、喪失ソングで表現するときもあって
こっちは完全にオヤジ目線。でも、ウブなところが残ってて
変に色仕掛けされるよりも、男心に響くところもあって侮れない。
なにカマトトぶって、なんて一蹴する女とは遊ばない。
でも、そんな純な女の子なんて現実にあり得ないので
レコードで聴いて何となく想像してるだけ。
ティーンズの終焉を、ロックで表現することも可能だろう。
それと、おセンチな少女趣味。どちらにも揺れ動くGSバンド。
どっち付かずというのが、リアルなティーンズの心象だったのか? GSの再生が難しいのは
少女趣味とロック魂が交互に入れ混じっていて
そのスケール感が判らないまま再生してるからだと思う。
フルレンジだけで十分な少女趣味のサウンド。
ステージを揺るがすロックのサウンド。
この間を瞬間移動で行き来する、やや分裂症気味の采配が
オーディオにとってすごく難しい。
曲調に合わせて、スピーカーを切り替える、というのも必要か?
全ては演出。エンターテインメントとして、最大の効果を求める。 ジャズ的な音作りからロック的な音作りへの切り替わりが大きいのでは?
今月のギターマガジンが歌謡曲特集で70、80年代を代表する数人のギタリストのインタビューが載っており
70年代初期レコーディング現場がガラッと変わったのがわかる
筒美、馬飼野、穂口あたりの作曲家もGS経由だしね レコーディング現場がガラッと変わった=マルチトラック収録(ブースで別録り)
ということで、よろしいでしょうか? GSが奏でるロックは、アメリカンかブリティッシュか?
ややこしいのは、ビートルズ、ストーンズも共に
1950年代のロカビリーよちも黒人ブルースをトリビュートしてることだ。
実際は、黒人ミュージシャンからプラスチック・ソウルと馬鹿にされてたけど
ストーンズのようにブルースそのものを目指していたのはともかく
ビートルズもBBCの歌番で、R&Bのカバーを積極的に紹介してた。
そういう意味でも、ブリティッシュらしさ、という形容はあまり正確ではない。
逆にいえば、黒人に対する差別的なものを捨てて
むしろ尊敬の念をもって接した、共感する姿勢のほうが大きく
そこがアメリカ的ではない。つまりネガティブで陰鬱なものがない。
その意味で、ブルースから陰鬱なパッションを抜いたら
ブリティッシュのようになるのかもしれない。
そこからさらに、R&Bのテイストを抜いたら
GSのスタイルに近づくのだと思う。
では、モータウンと似ているかといえば、全く似てない。
できるだけ、和製〜という魔法の言葉を使わずに考える。 GSもモップスみたいな全く少女受けしないバンドもあった。
リードボーカルが鈴木ヒロミツだからしかたない。
モップスの生演奏は面白かったよ観客殆ど男性客でヒロミツと客のやり取りも面白かった。
おいこの曲出来るかと客がリクエストすると結構演奏出来た。
モップスはボーカル音声にエコーチェンバー殆どかけずにそのまんまヴォーカル用スピーカーから
音だししていたな。 R&Bのテイストをもっていたのは、ハーフの歌手に多く
りりィ、カルメン・マキ、チャーリー・コーセイなど、1970年代に広がった。
それより前は青山ミチが、そういう歌い方のできた人だった。
あと、1960年代初頭に、ロカビリーの影響で
ドゥーワップのこぶしを入れた歌い方が試みられた。
「上を向いて歩こう」なんかが、それに当たる。
実は、GSのボーカルスタイルは、意外にフォーク調で
ストレートに言葉を発して、余計な装飾をしない。
裏のない、行間もない、単純明快なメッセージ。
ティーンズが直感だけで話すおしゃべりに似ている。 >>93
ブルースって陰鬱じゃなくてもっと陽性の音楽だと思うけどね。
陰鬱なパッションってむしろ当時のイギリスのバントの特色だと思う。
そしてそこからサイケデリック・ロックになって、GSブーム後期のスタイルはだいたいこの辺りかな? >94
ポンキッキのムックを思い浮かべる鈴木ヒロミツさん。
すごいバンドですね。GSとは時期がかぶっているだけだろ。 >>95
ロカビリーはカントリーと繋がってはいるけど、ドゥー・ワップは別じゃないかな?
R&Bの歌い方を真似たんじゃなくて、もともとカントリーと黒人音楽はつながっているから歌い方も似通っていたということじゃないだろうか。
カントリーの歌い方はまねただろうけど、日本にドゥー・ワップの影響って殆どなかったと思う。 >98
例えば、西田佐知子「信じていればこそ」
青山ミチ「ひとりぼっちで想うこと」なんかを聴いて
こういう歌い方も試してたんだ、と思った。
あとで演歌のこぶしになっていくものだけどね。
まだ、バタ臭さが残ってる。 と思ったら、どっちも作曲:中島安敏。
涙の太陽の作曲家だけど、1953年に渡米して
Westlake College of Musicの編曲学科を卒業。
ここは、ジャズを教科として教えていた草分け的存在だった。 >>99
レスアンカーするなら「>>」にしないとリンクしないぞ なーんだ
>>橋本淳
すでに2,000曲を超える楽曲を発表し、
『ブルー・シャトウ』、『ブルー・ライト・ヨコハマ』、『亜麻色の髪の乙女』
のほかグループ・サウンズ(GS)の作詞を多く手がけ、
オリコンチャート解析において「GS関連で最も売れた作詞家」
としても知られる
そんなに偉い先生だったとは、しらなんだ
スワンの涙、ぼくのマリー、銀河のロマンスとか
平気で書けるのは、すごい人です。 モップス自体の音楽は知らんけど、星勝さんがアレンジ手掛けた初期井上陽水のアルバムは本当に凄いと思う
日本のドゥー・ワップならシャネルズを忘れてはいけないと思う
ムード歌謡もそうだけど、コーラスグループっていなくなったねえ
スマップも5人いてもユニゾンだし、カラオケでも一人一人がマイクを持って、みんなでハモるってことはない
国民性なのかねえ >>100
外貨が自由化されてない時代だから西海岸止まり。
高等音楽教育にジャズを持ち込んだ草分けを言うなら戦前のドイツに目を向けるべきだろうけど…
アメリカに限定するなら終戦直後の1945年にウエストレイクと同じタイミングでバークもボストンで音楽教育を開始してる(後のバークレー校ね)し、ニューイングランド音楽院の影響も無視できない。
Jazzの発生と発展、理論化の歴史を紐解いてからここに書き込んでも遅くはないと思うが。 >>100
つかさ、前々から思うんだけど消化不良のゲロ見せられてるみたいで気持ち悪いんだけど? >>98
日本でコーラスグループといったら、紅白歌合戦にも出場してるのは
ダークダックス、デュークエイセス、スリーグレイセス、ボニージャックス、
少し時代が下って「グッド・ナイト・ベイビー」のキングトーンズ、あたりかな
キングトーンズは大瀧詠一さんとの繋がりで名前が出てくるのも、近年になって知った
紅白には出てないけど、コンピレーションCDや当時のテレビ・ラジオ番組、CMソングで名前を見る人達だと
伊藤素道とリリオ・リズムエアーズ、ボーカルショップ、フォーコインズ、って風に思い浮かぶ
CMソングも、作曲家で調べてみると、意外と歌謡曲や日本のジャズと繋がりが深いよね >105-106
ジャズそのものなら、米軍キャンプで修行できたわけで
中島安敏の場合は、むしろヴォイストレーナーとしての手腕のほうが際立ってる。
それもジャズではなく、R&Bのスタイルを日本語歌唱にいち早くもってきた点で。
でも、バタ臭い歌い方はあんまり売れなかったね。 >107
日本でコーラスグループというと、プロの男声合唱団という感じで
曲そのものを歌でいじらない、という感じもあったな。
以前にスレで出てきたキングトーンズのB面というのが
全く本格的なドゥーワップ。異色だったんだろうな。 あと大瀧詠一さんとキングトーンズのアルバムは
昔の方法ということで、テープを介さずダイレクトカットで録音したもの。
アメリカン・ポップスの勢いの良さは、ダイレクトカットにあり、という見込みだったけど
ほとんど注目されなかった。今のCDは、並行して録られたテープを元にしてる。
何が違うかというと、プレスト社のアセテート盤用カッターレースと
ノイマン社のカッターレースの違いが大きいような気がする。
プレスト社の場合は、1940年代には内周補正の自動イコライザーをもってて
基本的にはメリハリのあるラジオ向けの音調に仕上がる。
1946年にも6N型が進駐軍からNHKに贈与された。
1950年代は、テープもまだ高価だったので、アセテート盤での対応も多く
例えば、プレスリーのデビューしたサン・レコードでは
録りたてのアセテート盤をラジオ局で流してリスナーの反応をみてた。
大瀧詠一さんは、1960年前後のビンテージのジュークボックスを持ってて
古いドーナッツ盤のアメリカン・ポップスを自分で選曲して収めてた。
最近、ドーナッツ盤でナイアガラ関連のシングルBOXが出たけど
元ネタと一緒に出すと、もっと面白かったかもしれない。 >>110
久々に普通のブラウザでみると、リンクできてないな。
昔はこれでOKだったけど、運営会社が変わったせいか。
専用ブラウザだと全く問題ない。
悪口たたくにはこっちのほうがいいかな。 録りたてのアセテート盤をラジオ局で流すという手法は
1960年代末にドアーズのエンジニアがロスでやってた。
テストカットしたラッカーを放送局に持ち込んで
深夜放送で何のアナウンスもなく流して
追加のリクエストで反応をみるのが楽しみだったらしい。
カーステが最良のモニターシステムだったそうで
大手のコロムビア、RCAなどの録音と一緒に流れると
録音の出来も客観的に聴けて良かったそうだ。 そのドアーズのエンジニアが言ってたのが
ミキサー卓が真空管からソリッドステートに入れ替わって
パンチも天井の高さも全て失われたという現象。
真空管なんてノスタルジックなカマボコ音を思い浮かべるけど
実はその反対のことを言ってる。
このときの真空管ミキサーがパットナムのカスタムメイド。
新しく入ってきたのが、おそらくニーヴの初期型。
鉄板リバーブが導入されるのが、もう4〜5年後なので
使いこなしがまだできない状態だったのだろう。
同じことは、はっぴいえんどのゆで麺と風街の間にもあったらしく
鈴木茂さんが、最近のリマスターで、ゆで麺にロックのテイストが色濃いのは
真空管の倍音が中域にタップリ残ってたからだとコメントしてた。
ちなみに、ゆで麺がアンペックスのヘッドアンプそのまま、風街がクワッド8。 この真空管からトランジスターへの移行が
1960年代以前の録音に影を落としてると思うフシがあって
真空管のリンギング、トランスの高次歪み、スピーカーの分割振動
オーディオ的には排除されてきたものが、背後霊のように付きまとう。
私個人はMOS-FETアンプで聴いてるけど、分割振動とライントランスは外せない。
ブレンドの違いだろうね。 ブレンドの加減でいうと
分割振動の少ないスピーカーでは、真空管のリンギングは不快だし
元録音にある音割れも、ただの雑音になる。
CDに入りこんだ音割れは、ザザッとうるさい音になりやすい。
トランスた真空管の倍音が加わると少し和らぐし
おそらく1968年以前の真空管のカッターレースにも同じ効用があっただろう。
私のギター用スピーカーは分割振動のほうが勝っていて、もともと目立たない。
なのでMOS-FETで中低音を引き締めてあげた効果のほうが高い。
一種のパズルのように、あれこれ試してみると、バランスが見えてくる。 実に歌謡曲演奏家
オデオも機械で道具なんだから、使いこなしてナンボ
皆さんも見習えw CD化する際は真空管で聴くことなんて全く想定してないんだから、音割れとかそういうのは修正してほしい >>118
ん? 真空管だろうが石だろうが
電気信号の増幅理論そのものは一緒だぞ
石で割れて聴こえる音は真空管でも割れて聴こえる・・・
まさかハードディストーションとソフトディストーションの違いのコトを言ってるんじゃないよな? 同じ曲なのにアナログレコードとCDの再生スピードが違う曲がたまにあるけど
マスターテープの問題なのかデジタル化したときの再生機器の問題なのかどうなんだろう >>120
自分ちのプレーヤーのスピードは合っているのかな? レコード会社もメンテナンスしているとはいえ当時のテープデッキで再生しているらしいからテープ速度が狂うこともありそう >>122
マスターテープってキャリブレーション用の信号って入ってないのか?
例えばA音で合わせれば、スピードが違うなつてことはないだろ >>118-119
1950年代から60年代前半の元テープや原盤に
過入力で音が割れて入ってるのが時折あって
アナログ盤ではスクラッチの勢いでそれほど耳ざわりじゃないんだけど
CDだとビリッと紙を破ったような音になりやすい。
そんなとこまで正確に出す必要はないので、トラップを設けるわけ。 あまり歌謡曲やオーディオとは関係ない話なんだけど
長大作氏が1950年代にデザインした木椅子が好きで
低座椅子、中座椅子など、いつかはそれに合う家具を
揃えてやろうと思っていながら、なかなか踏ん切りが付かない。
その前にオーディオの見栄えを整えるほうが先なんだけどね。 >>95
>>ドゥーワップのこぶしを入れた歌い方が試みられた。
「上を向いて歩こう」なんかが、それに当たる。
前にNHKでやってたコッコTVで坂本九が「上を向いて歩こう」を
歌うのに最後の「こーおおおーっ」て伸ばすと永禄輔が
「こーおおおーっ」じゃ無いだろって、叱りとばすシーンがあった
永禄輔は、日本語がどうたらでうるさい人だったからありうるなあと
思ったが坂本九が伸ばした根拠がわからなかった。
ドゥーワップが根拠だったとわからなかった
ブルースってこうかな?と思った >>126
逆の話もあって、九ちゃんの母君が、ロカビリーの歌い方を真似たと言われているけど
という前提で「アレは小唄なんですよ」てな感じのことを言ってたらしい。
こっちのほうが流行歌ファンにとっては好まれるかな。 そういえば名古屋テレビ塔が長期の補修工事に入ると言ってたな。
1954年の竣工で、東京タワーに先駆けてテレビ放送の高品質化に先鞭をつけた。
同じ頃にマスプロ電工も創業し、おなじみの八木アンテナが標準化された。
名古屋といえば、民放のFM局もここが発祥で
1958年から東海大学の試験放送がはじまっていた。
ちょうどNHKがAM2波で立体放送の実験を開始した頃。
FM東京に移管された後も、アンテナは大学の屋上に残ってる。 オーディオ・ケーブルについていうと、高純度銅、銀など色々あるけど
モガミや古いオーテクなんて、なんてことないケーブルのほうが自然に聞こえる。
スピーカー用はDIYショップで売ってる安い赤黒銅線かな。
銅線の音に慣れてる、というのもあるかもしれないけど
少し高域に延滞のあったほうが自然な感じがする。
その代わり、中域がぼやけたスピーカーはどうしようもなくなる。
この辺のバランスがとれるかで、歌謡曲向けかどうか、判断するのもアリかな。 TBSラジオの美空ひばりアワー(1958年)を聞いてると
美空ひばりの生声とレコード演奏とが交互に現れるのだが
その音質の違いが少し気になった。
生声は鮮明なのに、レコードはやや曇った音。
当時のピックアップは、NHKだとデンオンのMC型が使われてたが
民放だとどうだったのかが気になる。
今のDL-102とも違うようだが、SP盤なのでフィルターを掛けたか。 >>127
坂本九は、確か花街の生まれと聞いたことがあるから
小唄の話も、さもありなんかと、思うよ。 花街といえば、桂歌丸師匠も花街生まれやな
三善英史は違うと思う 歌謡曲はオペラのように大ホールで歌う雰囲気より、小唄のようにお座敷で間近に唄う雰囲気を味わいたい
だから残響音は馴染まない >>後半がちょっとよくわからない
東海大学は代々木の校舎で試験放送していたのではなかったっけ
何故名古屋? ごめんミスった
>>128
後半がちょっとよくわからない
東海大学は代々木の校舎で試験放送していたのではなかったっけ
何故名古屋? >>128
>>135
FM東海の「東海」を、東海地方の東海と混同してるんじゃないかな
東海大学に由来するから、東海地方とはまったく無関係だよ
母体になってる東海大学の所在地、FM東海の最初のスタジオは代々木(渋谷区富ヶ谷)で合ってるよ
FM東海のスタジオはその後虎ノ門の発明会館ビルに移って、FM東京になってからも1974年まで使ってた
今でもTOKYO FMの関連企業(制作会社とアナウンススクール)が入ってる FM東海の頃は出力低くて当時横浜からだとアンテナ立てないと
マトモに受信出来なかった。
唯一の民間FM放送なのでどうしても聴きたくて5素子のFMアンテナ立てたな
近所の今だったらクレマーの勘違いオヤジがお前んとこのハム用アンテナのせいで
俺んとこのTVが妨害電波で映らんと難癖つけられた。
NHKまで呼んで大騒ぎになったが結果オヤジの14インチ白黒TVが古すぎてアボーンして
いたのが原因だった。
残念だったのは一番いい時間帯(ゴールデンタイム)は望星高校通信講座の番組が
独占して事かな、午後6時半から11時までが通信講座だった。 >>135-137
あたぁー。痛い勘違いをしましたね。
丁寧な解説ありがとうございました。
古本で松下電器のハイファイラジオの技報(1956)をゲットしました。
届いたら報告します。(あんまり興味ないかもしれないけど。。。) >>137
FM東海の当時の番組表だと、朝〜日中と深夜は音楽中心で、夜の6時から9時までが
望星高校通信講座になってるね
このスレには不適当な話題だけど、ポピュラー音楽でもジャズ(ディキシー、スイング)中心で
歌謡曲はほとんど流れなかったとか
>>139
ハイファイラジオの技報はぜひ見たい
AMは特に雑音の影響を受けやすい電波だから、どういう風に回避してたのかも気になる
今のチューナーについてる小型ループアンテナだけだと、AMの良品質受信はなかなか難しい >>140
1955年頃というと、蛍光灯、冷蔵庫、テレビなど
AM受信のジャマになるものが、まだ少なかった時期。
こうした要素も広帯域放送がFMに移行した原因かもしれません。
そういえば、FM東海への許可の条件が教育放送にあったので
ゴールデンタイムでの娯楽は厳禁、資金難でCM流せば国会で突かれる
色々と鞘当てがあったようですね。 BCLやってたからAMは大型ループアンテナ、短波はソニーのロッドアンテナで聴いてたけどよく北朝鮮の歌謡曲が入ってきた >>141
http://www.video-koubou-topaz.jp/National-1956.html
過去スレにもあったナショナルのカタログでも、蛍光灯の欄の下に
雑音防止器がいくつか載ってるね
白黒テレビが電蓄、ハイファイ装置(オーディオ)より高かった頃・・・
FM東海実用化実験局1969年7月22日放送分
https://youtu.be/2P24D1OPneA
当時のFM東海「ジェットストリーム」をステレオ録音したもの
(歪みはあるけど、しっかりステレオ音声)
個人録音でも、良い状態でテープをデジタルデータにして、
残しておける時代なのが有難いよ
>>142
北朝鮮の放送が混信する周波数は、今でも変わらないようで・・・ >>143
おお!ちょうど良いのがみつかった。
ハイファイラジオ、ゲンコツ、まさにこの時代の資料を探し回っているところ。
日本コロムビアのポピュラーソング集など聴くと、1954年から急激にハイファイになり
通常の流行歌より早めにドーナッツ盤用の音源を作ってた感じがする。
歌声のリアリティは、その数年前でも十分にあるんだけど
聞き比べると、何を強調したいか、するべきかの道筋がみえてくる。 1956年は松下電器がフィリップスと提携していたこともあって
ハイファイ用は、6BQ5、6CA7のヨーロッパ球があてられ
ラジオ用に6V6-GT、6Z-P1、特殊用が2A3、807など。
今は、むしろ逆のほうが真空管らしいと思われてる。
自作用の出力トランスに大容量のものが増えたことも一因かな。 あと、高周波キットという可変型IFTとバリコンのセットも見受けられる。
可変型IFTは、455Hz近傍の選択度を広帯域、狭帯域に切り替えられるもので
トリオのものだと狭帯域 3kHz (-3dB) 広帯域 12kHz (-3dB)という感じ。
少し気になったのは、減衰特性を10kHzのイニシャルで取ってること。
例えば、選択度 (±10kHz) A1-12dB D5-12dB B1-6dBというもの。
これってトーンコントロールの考え方に似ていて面白いと思った。
個人的には、アンプのトーンコントロールは、EQカーブの補正を兼ねてたと
思っているけど、同じ聴覚の基準としてラジオでも有効だったことが判った。
高周波キットだけなら1,900円、製品になると19,800円ということで
改造、自作に走る人の気持ちも判るもの。 少し思い立って、ヤマハの卓上ミキサーに付属している
デジタルエフェクターに「RADIO VOICE」というのがあって
これを800Hz近傍を中心に±1オクターブに合わせて
元の信号との混ぜ具合を変えていくと
広帯域〜狭帯域の可変ができて面白い。
普通のフィルターと違うのは、特定の周波数でバッサリ切るのではなく
元信号で残りを補完して緩やかにできること。
これでやると、おっとりして柔らかい昔のラジオの音に仕上がる。
広帯域以前の「日曜娯楽版」、広帯域以降の「美空ひばりアワー」
SP盤からドーナッツ盤という変化への対処が判りやすくなる。 東海林太郎は晩年フリー歌手になったからポリドール、キング、ビクター、コロムビア、テイチク、クラウン、アポロン他
同時期に多数のレコード会社で吹き込んでるから各社の録音が聞き比べられて面白い
キングのステレオLPは発売当時のLP売上記録を作った 美空ひばりと島倉千代子とちあきなおみがいいなぁ... ちあきなおみさん、なにしてんだろうな。
地方の場末のスナックやってたりしたらウケるんだがw >>149
島倉千代子なら自分もよく聴くんだけど、大全集をリリース順に聴いていると
昭和43年に入った途端に、演奏の楽器一つ一つの音が明瞭になったり、
昭和37年頃からはコーラス隊が入る曲が多くなったりして、流行や進化が判って楽しい。 島倉千代子のモノラル録音が聞きたくて、ツイン・パックのベスト盤を購入したんだけど
すごく高域が張ってて、同じコロムビアの美空ひばりの船村徹曲集とは雰囲気が違う。
大全集でも同じ感じでしょうか? 美空ひばりの2枚組みを買ったら
バックが原信夫とシャープ&フラッツだったよ
1970年台ですかね
CDの美空ひばりの2枚組みは、よくみたら1枚目がMONOの録音だったが
まったく違いました 昨日に松下電器の1956年の冊子が届いて
National Parts Fan Circleという自作派のための情報誌だった。
ちょうど1955年にAM広帯域放送が通常放送となり
メーカー側の体制も整った頃のハイファイ機器を幅広く扱ってる。
アンテナなどの使いこなしの関係は書いてなかった。
(目次)
音響工場の新設
高級ハイファイラジオ CF-745型の紹介(6BQ5シングルでゲンコツを駆動)
旧来のラジオをハイファイラジオに改造(可変IFT、6P-W1使用)
8P-W1を使った製作応募作品の紹介
6CA7プッシュ ウルトラリニア・アンプの製作
松下電器のハイファイ・アンプの評価
オートストッパー、ターンテーブルの紹介
電解コンデンサー作業場見学
テレビ自作の可能性
研究室、会員質問室、アマチュア無線家の紹介
新商品紹介
とりあえずラジオ改造の記事だけチラ見。
ttp://quwa.fc2web.com/008.jpg
ttp://quwa.fc2web.com/009.jpg
ttp://quwa.fc2web.com/010.jpg
ttp://quwa.fc2web.com/011.jpg 1955年前後のハイファイ化のステップとして
ラジオ受信側のIFTの交換(1,900円)
ピックアップをハイファイ対応品に交換(1,250円)
スピーカーをハイファイ対応品に交換(1,850円)
アンプをウルトラリニアに改造(トランス1,150円+真空管etc)
スピーカーを専用箱に入れる(完成品6,000円、自作だと格安)
など色んなルートがあった。
いずれの改造もパーツ代2,000円を切るように設定されたのは
LPが1枚2,300円というのと関係がありそうだ。
そのうち立体放送、FM試験放送と技術進展するとは誰が知る。。。 こうした庶民の自作ブームと比べれば
ダイヤトーン 2S-305、デンオン DL-102、ソニーのテレコなど
当時の最新技術がずっと先の技術を目指していたことが判る。
流行歌は、SP盤〜ハイファイラジオ〜ドーナッツ盤をさまよっていて
価値観を熟成させたんだと思う。
10kHzまでしっかり出る機器で聴くと、それ以上はあんまり要らなく感じる。
1960年代までの歌謡曲だと、むしろ削るほうを考えてしまう。 今回のラジオ少年の知見で、耳で合わせて作り込んだのが以下の特性。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-31509.png
ジェンセン2wayにラジオボイス・エフェクターをからめて最適化した。
比較に松下電器のラジオ用スピーカー
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-28275.png
オーラトーン5c(細線)
ttp://quwa.fc2web.com/aura5c-ns10.jpg
30cmフルレンジ‘+ホーンドライバーなのにローファイ・リッチな昭和の音。
ハイファイ・ドーナッツ盤を、AMラジオとの下位互換という見立てにした。
こういう無茶をしても破綻しないので、ジェンセンは好きだ。 TVは、FM帯域で生放送やってたしラジオのAMは、広帯域化しても
勝ち目はなかったのではないか?
まあ、使い道ちがうので勝った負けたではないが >>158
バイオリンの倍音が強いので、4〜6kHzあたりにピークがありそう。
音が張ってるというのは、リミッターぎりぎりで入れて減衰しない感じ。
下の音階から倍音が伸びると、楽音と一緒に引くんだけどね。
歌が抑揚をもって歌ってるのに、高域は出っ放しで引かない。 >>159
時代の趨勢からみれば広帯域AMラジオは暫定的な感じになったけど
受信機を持ってる人の数がテレビと圧倒的に違うのが当時の事情。
そのスキマに入り込んだ流行歌の命運を拾い上げようとする意図です。
サウンドの志向からすると、録音史の年表よりも10年遅れているとみるのが
おそらく正確だと思う。これは洋楽のポップスでも同じかな。 >>154-155
おお、ありがとう
CF-745は「パナソニック」の名前が、ラジオの愛称として使われた最初の物だね
一通り読むと、当時の『ラジオ技術』に載ってるような内容とかなり近い
試聴だけで画像はメーカーHPのコピー、というような個人ブログの多い今と、
メーカー自身がアマチュアの先頭になってるこの当時では、情報の質が違うのかと思った
立体放送と中波の広帯域放送は、ほとんど同じ頃(1950年代半ば)で
それらがFMに移行して、1960年代から70年代に大衆化していったんだと思う >>162
戦後復興のなかで、新技術の導入が遅れたせいで
テレビ、ハイファイ、ステレオが1953〜58年の期間に
矢継ぎ早に販売されたんだけど
テレビ、洗濯機、冷蔵庫と買い揃えるなかで
ハイファイとステレオは、まだ贅沢な品物だったかと思う。
こうしたピュアオーディオ=嗜好品の感覚は、今でも変わりないかも。
デンオンもダイヤトーンも一般市場への販売はしてなかったしね。
ダイヤトーン銘柄のスピーカーが付いた真空管ラジオがあったけど
P-610Aとは全くの別物で、AMラジオ用帯域のもの。
磁石代がほとんどなので、松下電器のロクハンでも
ラジオ用1,450円、ハイファイ用1,850円とほとんど差がない。
そのためスピーカーだけ交換して、ハイファイになったと思ってた人もいたらしく
ラジオ改造記事でも、広帯域IFTを付けなければハイファイ受信はできない
という趣旨のことが書いてある。これはピックアップも同様だと思う。 ただ何でもハイファイなら良いかというと、個人的にはそうでもないかと。
AMラジオの200〜5,000Hzのクオリティが、結局は最後の切り札になってると思う。
狭帯域のSP盤でも真に迫る音が出せるのは、その辺に秘訣があると思う。
何か違いを示すパラメータがあれば便利なんだけど、まだ見つからない。 >>163
松本市の日本ラジオ博物館に所蔵がある、三菱の7H-456(FM付3バンド、6球スーパー)
これにはP-610Aが使ってあると解説があったよ
写真で見る限り、1960年代のラジオの中でも高級品の1つだね
http://oomaguro.eco.coocan.jp/radio/radio281.htm
>>164
状態のいいクレデンザやHMV163でSP盤を聴く機会があった時に、大事なのは周波数の広さ、
広い音域だけじゃないんだと心底思ったよ
装置(スピーカーとアンプ、プレーヤー、聴く場所)のバランスが十分に取れていると、
狭い帯域の音源、圧縮音源でも、瀬川冬樹の言葉でいえば「本ものの音楽体験」ができるものと思ってる
まだまだ足りてないけれど >>165
1963年の製品なので、P610Aが市販された後ですね。
P610Aの前身のフルレンジは
局用テープレコーダーの音声モニターに使われましたが
このタイプは1953年の電音ST14型テープレコーダーに遡ります。
最初期のP62Fが博物館所蔵でよく知られますが
この頃の名称はP65F。続いてP60Fになります。
ttp://triodeamp.web5.jp/adv/m/p610_m.html
ttp://triodeamp.web5.jp/adv/m/P60F_1.JPG
ttp://triodeamp.web5.jp/adv/m/P60F_2.JPG
ttp://www.jas-audio.or.jp/jas_cms/wp-content/uploads/2016/06/201605-085-089.pdf
ttp://www.zc.ztv.ne.jp/shin/00/josf/KTB/ktbtape.jpg (1956年のラジオ局)
初期の1951年頃の国産テープレコーダーの音と比べると
1953年頃から音質改善があったようで「日曜娯楽版」でも確認できます。
LP発売の年とあって、ラジオでも音質の向上に努めたのでしょう。
その翌年1954年末にAMハイファイ、AM2波ステレオ放送が定時番組となったわけで
両者は連動してたと思われるわけです。AMラジオだってハイファイを狙ってたのですが
FMステレオに移行する1964年までの10年間の録音品質が曖昧なまま残されます。 >>161
>>受信機を持ってる人の数がテレビと圧倒的に違うのが当時の事情。
これは、昭和31年代でした。月給が30776円、
http://shouwashi.com/transition-salary.html
TVの安いのが78800円で、冷蔵庫が74000円、洗濯機23000円
フィリップス製のオートチェンジャー付き電蓄198000円
日本人の年収が低い頃の価格で2ヶ月分でTV1台に相当という頃の話しで
TVなんて、あまり普通の家に無い時期なのですね
自分の昭和の白黒TV受信機のイメージは、
まだ映る管球TVが廃棄されてた昭和40年代末の河川敷のTVとかです
その頃のLPをTVで流す?(ではないか)と、結構恐ろしく良い音がたまにしてた
覚えがあって、音楽ソースも全部は、良くなかったのでしょうが とはいえ、1955年のソニー製6chマルチレコーダーとか
1956年の長時間テープ録音機(2ch、10時間)とかが既にあって
1958年のダイヤトーン 2S-305でステレオ録音対応が本格化するわけで
さらに絞り込めば1953〜58年が、SP盤でもドーナッツ盤でもない
ハイファイラジオの時代になるわけです。
この頃の録音といえば、島倉千代子、美空ひばり、フランク永井、石原裕次郎など
戦後のスターが揃い踏みする頃で、映画との関係が深いながら
流行歌の再生には欠かせないわけです。 >>168
昭和 TVでぐぐると 30年の金属ケースの14インチの正方形TVしかないですね
それより後の時代で
家具調木製の大振りで20インチで
広偏向ブラウン管で奥行きが狭いやつがでてこない。
あの種だとラジオよりゆったり調で歌番組が聴けたですけどね >>170
あの手のTVのある部屋で、チェックCDのスイープトーンを鳴らすと、低域で盛大にボーッという共鳴音がするw >>170
>家具調木製の大振りで20インチ
何故か半端な数字の19インチだったよ。 たまたま日本でのジュークボックスのことを調べてみると
なんとなく米軍基地との関係で1950年代からあるもんだと思ったら
一般の人が聞けたのはそんなに古いことではなく、1965年頃からだと判った。
セガが米ローゼンと合併、ヒビノが輸入開始などしたのがこの時期で
輸入の代理契約にもかなり厳しい審査があったらしい。
ttp://www.onionsoft.net/wp/archives/1154
ttp://www.hibino.co.jp/50th/history/foundation/chronicle/1-5.html
そういえば、ビートルズを歌えて、ゴーゴーも踊れる、という触れ込みで
黛ジュンが売り出したのは1967年のこと。
大瀧詠一が、中学の修学旅行でジュークボックスに出会ったのが1963年
米軍が払い下げた1959年製 AMI JBJ-120を引き取ったのは1970年で
モノラル仕様なので格安だったという。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:33957319a8699e549898cdf7a4d5a410) 1962年(昭和37年)のザ・ピーナッツのステレオ録音現場の取材
ttp://peanutsfan.net/StHiFi3705.html
こういう雑誌にポピュラー歌手が取り上げられるのは異例なような気がするけど
「ザ・ピーナッツはステレオマイクで録音」というくだりが妙に気に入った。
表紙絵で手に持ってるのはPCL82などの複合管のシングルか。 >>155
1955年の国家公務員の大卒初任給は1万円に届かない時代。
その価格を20倍したら現代のいくらくらいの感覚なのかわかりやすい。
ラジオIFTの交換 \1900 → \38000
Hi-Fi対応ピックアップ \1250 → \25000
Hi-Fi対応スピーカー \1850 → \37000
アンプ改造 トランス\1150 → \23000
スピーカー専用箱完成品 \6000 → \120000
LP \2300 → \46000
>>167
そのページはボーナス含めた平均月収であることに注意。
なので家庭持ちのサラリーマンの月給ベースで考えるとTVは月給半年分、洗濯機でようやく月給の2ヶ月分。フィリップスのそれに至っては月給一年分とかの世界。 >>175
いい記事をありがとう
「ホーン・スピーカーがハイファイへの近道」とあるのが当時らしいね
今は市販2ウェイスピーカーの音圧レベルが80db〜90dbの間だけど、
この当時は真空管アンプだから、音圧レベルの高いスピーカーで補う必要があったのか
言うまでもないけど、ホールを借り切って、演奏と歌の同時録音・・・
今からしたらものすごく贅沢に感じるなぁ
演奏と歌は別録りが当たり前だと思ってると尚更 >>180
ヒッチコックならまだしも、あのモノクロ・テレビドラマを1980年代でも見れたからね。
1971年で自作=真空管中心というのも、ちょうど時代感覚が合ってる。 >>181
これをみると2way。色々ありそうだね。
ttp://yonedenblog.blog.fc2.com/blog-entry-302.html >>175
これの翌年昭和38(1963)年に発売になった梓みちよの
こんにちわ赤ちゃん、途中でスプライシングテープの処か
かなり低域のノイズが入っている。
個人的には、このノイズの聞こえ方でスピーカーの低域
特性の判断材料に用いていた程だが、その写真と同じ
小型モニタースピーカーでこんにちわ赤ちゃんの収録を
実施していたなら、当時ノイズに気付かなかった為、その
まま商品化した可能性は有るかも・・・。 モニタースピーカーはアンぺックス620というアンプ付スピーカーで
6V6プッシュ、JBLのOEM 8インチ・フルレンジが入ってました。
おそらくD216の改良品で、センターキャップを樹脂でダンピングしてます。
ttp://www.skyelabs.com/_Media/ampex_620_amp_spkr1.jpeg
これをみると65〜10,000Hzを保証していて、内部でイコライザーを掛けてるらしく
内部スピーカー端子に別のスピーカーを繋げるなと注意している。
ttp://audiophool.com/Schem_A/Ampex_620-3.gif
一種のインピーダンス補正回路だけど、中高域が引っ込むようにしてるかも。
ttp://www.ilk.org/~ppk/Manuals/Ampex_Speakers/Ampex_620_Sams.pdf
次期バージョンのJBL D260では、ガチガチにセンターキャップを埋め立ててる。 日本のロカビリーの前身がカントリーと聞いて「?」と思ったら
小坂一也のカバー曲を聴いて納得。サン・レコードのレパートリーだ。
ニューヨークでR&B、シカゴでブルースというジャンル分けをされるが
メンフィスだからカントリーと言ってただけかな。
実際には、ブルースもカントリーもロカビリーも全部ごちゃ混ぜだったし
サム・フィリップスの彗眼は、ジャンルを破壊する個性的歌手の発掘にあった。
こういうパッションは、歌謡曲のノンジャンル的な模様と関係が深そう。 >>186
小坂一也の紅白歌合戦初出場曲が「ハートブレイク・ホテル」だもんね
他にも雪村いづみの「ビーバップ・ア・ルーラ」、バナナボートが男声コーラスの関係で歌えなかった
浜村美智子の「監獄ロック」もあるから、ロカビリーも初期のロックンロールも全部ごちゃ混ぜだったと思う
紅白歌合戦の音声で聴けるのがとても貴重だよ
ザ・ピーナッツも、1965年の紅白で「ロック・アンド・ロール・ミュージック」を歌ってるけど、
これも紅白の映像しかないのが残念・・・ >>186
カントリー・ミュージック自体が黒人音楽とミックスされた音楽性だったっということだね。
カントリーといえばジョージア州、ジェイムズ・ブラウンが育ったところ。
JBの初期の頃はまんまロカビリーだもんね。
そもそも昔のことだからそもそも音楽ジャンルという概念がないんだけど。 >>183
ありがとうございます
こういうテレビをさがしてました。
平面バッフルとしての大きさが効いてゆったりした音だったりして
でもこういうTVのオーディオ回路は、シングル段しかなくて
プッシュプルで10W以上とかは、みたことなかったですね。
そこら辺が貧しいですね
戦前のアメリカのラジオなら、
平気で45や50、2A3のプッシュプルとかあるでしょうに >>189
戦前で最高級のラジオ電蓄は$5000。5スピーカー、2A3×8でした。
ttp://www.campx.ca/dubois.html アメリカの常で$2500で買えたようですが…当時の為替レートが$1=\2としても\1250。
今の価格にしたら250万から300万くらいでしょうか。
戦前期のアメリカのメーカーは最上位モデルはフラグシップとして売れなくて上等、買えるもんなら買ってみやがれ的な価格設定にするのが常でしたから、最多販売価格帯は実勢$50程度のモデルだったのでしょう。 >>188
黒人音楽で特徴的なモード奏法のルーツはアフリカ起源ではなく
イギリスの聖歌唱法でLine-outというのが大元。17世紀まで遡る。
ttps://www.youtube.com/watch?v=VQmfHLpCQcU
ドラムを主体にしたビートのほうはアフリカ起源かな。
アイリッシュのフィドル、セネガルのバンジョー、イタリアのマンドリン。。。
色んな国の楽器がアパラチア地方に押し寄せたのか? ん?
黒人音楽に特徴的なモード奏法?
意味不明も甚だしくないか? ttp://market-uploader.x0.com/neo/src/1491483900117.jpg アパラチアの下りはマウンテンミュージックとかオールドタイムミュージックで調べてみ。
出身は雑多なそれぞれのコミュニティで共通した地域娯楽がダンスだったこと。多人数で行うダンスの伴奏のリード楽器にはフィドルが定着したこと。リズム楽器はあり合わせの弦楽器。地域ごとに民謡の独自スタイルがあるようなもの。
アイリッシュでバンジョーは使うけど…
1910年台半ばからジャズ方面と地域のバンジョーオーケストラで大流行したテナーバンジョーブームが大恐慌で一気に終わりブーム時に作られた楽器が中古で安く出回った1920年代にアイリッシュやってる連中が使うようになって定着したもの。
つまりアイリッシュで使うバンジョーは4弦。もともとアイルランド系の連中が使っていた楽器は単音楽器も多くテナーバンジョーの奏法がハマったのもあるかも。
マウンテンミュージックで使うのは5弦バンジョーで、話は18世紀に遡るけど白人連中にバンジョーが定着したのはミンストレルショウの影響。(ミンストレルショウ自体、白人が黒人に扮して松竹新喜劇やるようなものなので、今やったら大炎上なんだろうけどね。)
マンドリンはテナーバンジョーブームの少し前1910年代にマンドリンオーケストラブームみたいなのがあって、ギブソンのフラットマンドリンなどはこの時期の発祥。
ギターに関してはドイツ出身の家具職人のマーチンさんが19世紀にスチール弦を使えるギターの表板の補強方法にXブレイジングを編み出してギター方面で主導権を握る。
フィドル以外はアメリカで改良発展を遂げた楽器が定着したわけだから、楽器の名前に惑わされてはいけない。 >>192
アパラチアは日本でイメージするなら岐阜の山奥かな。地域は貧しくそして集落ごとに出身国が違う。それぞれの集落でできたスタイルが19世紀から20世紀にかけて融合してマウンテンミュージックとかオールドタイムミュージックと呼ばれる形に。
共通するのはキリスト教がベースという部分で日曜日には教会に…物心ついた時からヒム(そのYouTubeのやつね)やらセイクレッドやら説教師の口上に慣れ親しんでるから、現代でも南部のミュージシャンのアルバムにはセイクレッドアルバムが混じってたりする。 >>193
モードは世界中にあるから
ヨナ抜きの歌謡曲もジャパニッシュモード? >>196
あ、そっか。同化じゃなくて孤立。言葉が通じないならダンスでも。そんな感じかな。 集まるとダンスというのは映画タイタニックの3等船室の様子が雰囲気近いかも。 ここ数か月間、自分はいったい何を求めているんだろうと思ってたら
「演歌オヤジのオーディオ指南」という言葉が思い浮かんだ。
演歌聴くのに豪勢なオーディオ装置などいらない。そう言う人は多い。
しかし、舟唄で「肴はあぶった烏賊でいい」と唄ってるように
しみじみ聴くにも流儀というものがあってもよかろうかと。
おちょこ一杯、フルレンジ一個、という具合である。
灯りはぼんやり、真空管がいい。。。
何だか調子に乗ってきたわいな。 純粋チャーチ・モードの話をしたいのか、モーダルジャズをもって"黒人音楽で特徴的なモード奏法"と言っているのかが今いち判らん
https://m.youtube.com/watch?v=giRayK4fQkg
スケールはスケールであって、意図的な演奏もあれば後からの解釈もある
「当てはめる」場合もあれば、単に「当てはまった」場合もある
「遡れば」と言う話なら、非常に限定的かつ、演奏にも聴取にも役に立つかどうか判らない薀蓄の一種でしかないような気がする
演奏者が起源を意識している事もあればそれが結果、解釈としてモーダルな事もある位に考えていたが
チャーチモードからフリージャズまで論ずるつもりがあるかどうかも解らないし、それがこのスレに適切だとは尚更全く思わない 例えば、1955年の松下ゲンコツのカタログをみる。
ttp://wiki.nothing.sh/page/Vintage%20Technics%20%B0%A6%B9%A5%B2%F1/Technics%A5%AB%A5%BF%A5%ED%A5%B0%C7%EE%CA%AA%B4%DB/8P-W1
アンプには6V6プッシュが望ましいが、コストを下げたい人は6AR5でよい。
この文章を読んで、演歌オヤジは何を選ぶかというと、6AR5のほうである。
さらに絞り込むために以下のカタログを眺める。、
ttps://blogs.yahoo.co.jp/chitoseame28/GALLERY/show_image.html?id=67559985&no=3
周波数レンジをみてJP-704楕円フルレンジで十分だと見極める。
実際にはJPシリーズのほうが中高域が張って声が通るし、箱の容積も小さくできる。
そのかわり、音量を上げ過ぎると音割れするので、6AR5でいいと納得する。
かように、しみじみにも流儀が必要なのである。 もうひとつのモチーフは「別にたいしたもんじゃ。。。」と
言い訳できるように見せかけるテクニックである。
シングルアンプでも300B、さらには50などは本当に高い。
しかし、6V6や6BQ5のプッシュなら、見た目も質素である。
昔のように戸棚に隠しておいてもかまわないくらいだ。
そこで高性能な20cmフルレンジを壁掛箱に入れて鳴らそう。
かつてのラジオ局で使ったモニター方式だが
ちょっとした大画面テレビよりも、ずっと高音質で鳴ってることに
さりげなく気付かせることくらいなら簡単にできる。
鼻高々に「演歌はこのくらいがちょうどいいんだ」と言おう。
けして20万円掛かったなんて言ってはだめだ。 演歌オヤジのもっとも居ついた場所のことを想定すると
居酒屋の有線放送、8トラカセットのカラオケマシーンがある。
有線放送はロクハンの壁掛けスピーカー、またはモノラルラジカセ
カラオケマシーンは8インチで金属センターキャップについたウーハー。
しかし、いずれも高度成長期の1970年代末の思い出だ。
ゼンマイのねじを少し巻き戻そう。 演歌オヤジの時間のねじを巻き戻すと、厄介な問題があって
それは少年時代の記憶との邂逅である。
つまり、オトナ目線で聴くべき演歌を、幼児化した記憶で補うことになり
途端に想像力がしぼんでいく。
おそらく、流行歌を口ずさむことさえ学校で禁止された時代のこと
子どもが窺い知れないオトナの世界が広がっていたはずである。
記憶のなかでは、演歌オヤジの花は夜に開かない。
このため、演歌オヤジにオーディオ指南をするときは
オトナ目線で記憶を再構築する必要がある。 大人と子供の目線で重要なのが、物のスケール感である。
10円の駄菓子で満たされると思うのは、極端な精神論だ。
昔歩いた学校の道も、大人になって歩くと、狭くて何もかも小さい。
おもちゃかリアルな大きさかの違いがあるだけでも、音楽の目線が変わる。
個人的に感じているのは、時代が遡るに従い、音のパースフェクティブが拡大し
スピーカーの口径に喩えると、1970年代で16cmだったら、1960年代は20cm
1950年代より昔は30cmである。普通は逆にする人が多いが間違ってる。
逆に能率が良くなるので、アンプの出力は、50W→30W→10Wと減る。 ここで再び、しみじみ感について考えると、「いい加減」という感覚も思い浮かぶ。
ようするに、オトナ目線も幼児体験も一緒に包み込もうというわけ。
演歌オヤジは、哀愁もあるが、どこか愛嬌もある寅さんのようなところがある。
どういうオトナになりたかったのか、古い流行歌を聴きながら、感じ入るわけだ。 なんで学校で流行歌を歌うと叱られ、映画館が校則で禁止されてたのか。
大人の恋愛観が酸いも甘いもストレートに表現されているので
子供にはマネしてほしくないし、茶化されたくない大人心の現れであろう。
伊勢佐木町ブルースは、カトちゃんの「ちょっとだけよ〜ん」に化ける。
この辺の敷居をオーディオで作る必要があって、私は音のスケール感だと思ってる。
ほどほどに立派に鳴らさないと、まじめに受け取ってもらえないのである。 ということで、今日のシルヴィ・バルタンはとても色っぽい。
二十歳前後の美空ひばりと聞き比べて、女の年頃についてふと思った。 はしだのりひことシューベルツのすべて
って、LPがみつかって、歌謡曲じゃないかもしれんが
これの「風」だけMONOだよ
中学生がAMラジオで聴いてたので知らんかったわけだ 戦前から流行歌はバカにされてたからな。浪曲の方が上。 >>211
そういえば、昭和30年代に素人の浪曲のど自慢のようなものがラジオ番組にあったそうな。
題して「浪曲天狗道場」。勝ち残って段が上がると賞金が増えて結構盛り上がったらしい。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AA%E6%9B%B2%E5%A4%A9%E7%8B%97%E9%81%93%E5%A0%B4
さすがにこれの音源はないだろうな。。。と思ったら、最終回に近い音源があった。
ttp://www.bpcj.or.jp/search/show_detail.php?program=133363 あと、三波春夫と村田英雄は浪曲師出身で
戦後に文芸浪曲から歌謡浪曲へ転身したとのこと。
女性でも、美空ひばり、島倉千代子など
このジャンルが歌えるかで、歌手生命の長さがあったような。
語り掛けが古びないという意味かな。 昭和30年代頃の浪曲を探してたら、ラジオ演芸会なるものが出てきたぞい。 >>212
迷曲w
ジャズ好きならアドリブとかアンダートーン、ヨコハマに浸りたいならモンサンミッシェルの孤独とかヨコハマノクターンとか。
雰囲気あって好きな歌い手さん。 何となくアイディアとして持ってるのが、歴史的な音源のエキシビションである。
音源そのものを所有するだけでなく、その展示方法(再生方法)も提案する。
例えば、CDを買って、CDプレーヤーで聴けば、それで本当に味わったことになるだろうか?
逆に、古い音源は、最高の機器で聴けば、最高の音とみなせるだろうか?
答えは「NO」で、快適な音で聴くためには、再生のノウハウが必要である。
今は個人的な興味で、昭和30年代の音文化の再構築を目論んでいるが
ラジオ、映画、演芸場。。。これだけでも、多様な切り口があって
それぞれの専門家と前後の時代との発展史とで、縦割りに構成される。
これを、家庭でひとつのエキシビション、アーカイヴとして形成する試みである。 当時の技術ではマスター音源を忠実に再生できなかっただけだろう 佐伯多門さんの記事を読むと、ソースと再生の関係が見えてくる。
ttp://www.jas-audio.or.jp/jas_cms/wp-content/uploads/2015/12/201511-076-080.pdf
つまり、送信機に入る前の音は、1952年(昭和27年)で十分にハイファイだったし
そこでモニターに使用してたP-65Fも、ラジオ少年が手にしてみれる状況にあった。
一方で、SP盤、中継所の音質は、まだ旧規格のままだった。
松山市にすでにこうした音響システムが導入されていたが、音源は生音声であり
高性能なテープレコーダーの導入は、東京でST-11型が試作されたばかりで
1953年のST-151型まで待たなければならない。
1956年の三重県では、この録音機が複数台稼働していた。
ttp://www.zc.ztv.ne.jp/shin/00/josf/KTB/ktbtape.jpg
2wayの2S-660は完成したばかりで、1958年の2S-305まで待つことになる。
「当時の技術」は十分にあり
「マスター音源」は一般の人は手に取ることができず
結果として「再生できなかった」。
では、マスター音源を手にすることができたらどうか?
当時の人が、どういう音を聞いて感動したか? という原体験なのか
マスター音源の性能を十二分に引き出すようなシステム構築か。
まだ円盤式のアセテート収録もあったことも考慮して、考えなければならない。 あきらかにリソース不足。性能云々を語る以前の問題。 今日、手にいれたのは、EP盤の「勝手にしやがれ」 沢田研二 なのだけど
CDでもLPでもなんかつまんないなと思っていたが
当時のD130使っていた頃の感激が無いなと思っていた部分を埋めるのが
このEP盤の「勝手にしやがれ」なのでした。
全く録音がちがうか、マスタリングのちがいかわからないが
あの頃、LPで聴いたのではなかったEPだったというオチでした またかよ。
結局、自分が聴きたい音で聴いて能書き垂れたいだけではありませんか。 昭和30年を前後して、ハイファイに切れ変わるときに
ダイヤトーン 2S-305が現れたのは、ある意味、先進的なことだったと思う。
一方で、開発に携わった佐伯多門氏は
「クラシック音楽、ジャズ・ポップス音楽、邦楽、朗読、コーラスなど
幅広いプログラムソースに対し忠実な再生をして、
音質として高い評価を得ることが重要」
という言葉通り、徹底的にフラット&低歪みを目指したため
それに追いついた国内録音が、1950年代にはそれほど無かったという
トラウマになることもある。おそらく、2S-305の登場を前後して歌謡曲の録音も
ハイファイへと舵取りをしはじめたように思うのだ。
このため「個性の強い音質のスピーカーでは対応できない」というとき
当時のPA音響機器がもつ、中高域を持ち上げたアザトイ音への一瞥であろう。 一方で、それを計測するための機器は、昭和30年頃はそれほど充実してなかった。
何となく推測するに、NHK技研の計測室で育てられたように思える2S-305は
ほとんどの耳で判断され、量産体制に入る段階での品質管理のために
その後の計測技術の開発という、別の難問を導いた。まさに禅問答である。
ttp://www.jas-audio.or.jp/jas_cms/wp-content/uploads/2015/12/201511-076-080.pdf
個人的に思うもうひとつの課題は、ラジオを中心とするオーディオ市場が
もっと後進的であったことで、昭和30年のシングル盤の9割9分はSP盤である。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-22697.png
この時点で、ハイファイを再生する基本はフラットで広帯域な装置だとすると
当時の9割以上を占めた旧規格の録音を再生するのに最適なのは?
この課題は、流行歌=懐メロというジャンル分けに大きく影響されるので
丁寧に扱わないと、芸能史の連続性が失われることになりかねない。 ハイファイ規格以前の録音についていうと、家庭で個人的に鑑賞する以外に
レコード・コンサート、ダンス・ホールというPA機器の性能と連動している一面がある。
映画に詳しい人なら判るが、どんなフラットなスピーカーでもホールでは高域が減衰し
旧規格の録音特性はこれと連動していた。
ttp://quwa.fc2web.com/Academy-Curve.gif
ラジオの音もそれに準拠していたと思われる。
ttp://quwa.fc2web.com/009.jpg (図3Cを参照)
この特性に合わせて、PA機器では落ち込みやすい中高域を持ち上げた
スピーカーが増えていくようになる。1950年前後のエクステンデッドレンジである。
ttp://www.lansingheritage.org/images/jbl/specs/pro-comp/2135/page2.jpg
ttps://www.jensentone.com/vintage_ceramic/c12r
これがマイクの生音をそのままホールで鳴らすときに最適な特性である。
1955年の流行歌の録音のクロニクルを考えると
庶民感覚で横並びになって、オーデイィオ特性を最適化する必要がある。 蓄音機やAMラジオの時代の、中高域を持ち上げる特性は
ラウドネス曲線での聴覚と連動した、人間工学的なデザインだ。
ただ最適なデフォルメには、メーカーなりの意見や個人差があるので、
フラットな特性という、一種の定規のようなもので規定しましょう
というルールの敷き方のように思う。これは電気工学的なデザインである。
実際は、録音された音そのものはフラットな特性ではないし
聞いてる人間の感性もフラットではない。
ジェンセンやJBLは、実にアザトイ音だが、ステージでの説得力について
伝統的なツボを押さえているように思う。
結局、私は音楽の説得力を感性で聴いてることになる。
当り前のことだが、オーディオではこれ以外のことを気に掛け過ぎのように感じる。 ダイナミックスピーカーの諸特性
http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/MyRoom/9722dynamicspeaker.pdf
スピーカー自作スレに貼ってあったので、こちらにも
低域の共振周波数の変化は、バスレフポートが後ろにあるか前にあるか、
置き場所の変化(インシュレーターやスタンドの素材)でも違ってくる
バスレフポートが後ろにあると、壁との距離を上手く使えば、低域の質が変わって
それが人の声(歌やラジオのニュースの声)にも効いてくる・・・
自分なりに理解しているのはこれくらい
>>229
ここで言われてる歌謡曲だと、低域の共振周波数の変化はあまり重要ではないのかな?
低域次第で、中高域の出方も変わると理解しているけど、どうなんだろうか ジェンセン C12R、JBL D130などの、大口径エクステンデッドレンジは
中規模のPA用として活躍したが、ギターアンプというのは、その一部である。
面白いことに、この時代のユニットは、正面はアグレッシブだが、
斜め45度くらいから聴くと、r中高域の山はフラットになる。
正面: ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-8642.png
斜め: ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-8168.png
ところが、パルス波で倍音特性をみると、斜めから測ってもアグレッシブである。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-6178.png
この歪み成分によって、立ち上がりの音に輝きが加わりビビット
持続する音はフラットでクリーミー、という相反したサウンドが得られる。
特に古い録音は、こうした歪み成分がないと、高域の明瞭度が落ちる。
単純にテープの劣化というのもあるが、リバーブを使った音に慣れた
1970年代以降の録音に行き着くまでに、こういうことをやっていた。
1960年代の深いエコーも、倍音がないと音が沈むし
1950年代のSP復刻も、倍音があると発音が明瞭になる。
正確、忠実だけでは解決できない、音楽再生の基本があると思ってる。 >>230
録音側で100Hz近傍をブーストしてあることが多いので
200Hzから-6dB/octでロールオフしても大丈夫だと思ってます。
逆に100Hz以下が伸びてると、ブーストされた低音が暴れて
バスレフだと引っ込みが付かなくなってしまう。
当然、中高域の明瞭度も下がると思います。
1960年代後半の国産アンサンブルステレオは
機器のほうでも低域を持ち上げていて
アナウンサーの声がこもっている、と長岡鉄男氏がコメントしてました。
無響室で測ればフラットでも、一般家屋では低域が残る算段です。
BBCのLS3/5aは100Hzでロールオフしますが
部屋の響きを勘定すると、低音が回り込んでバランスが取れます。 >>232
歌謡曲ではないけど『ベニー・グッドマン物語』のキャピトル盤(1954年-55年録音)
アンプ側のトーンコントロールで200Hz以下と10kHz以上を下げた設定だと、ずいぶん相性が良く感じるね
この頃のポピュラー音楽は、だいたいそういう設定の録音が多かったのかも
スピーカー側は現代の物だから、このスレで度々出てくるジェンセンのスピーカーのようなバランスとはいかないけれど 現在も容易に入手できる機材で最適な再生方法を教えて欲しい >>234
スレ主ではないけど、アンプなら、トーンコントロールの調整範囲が細かい物がいいよ
現行品ならマランツのPM8005、中古も含めればケンウッドのR-K711/K801(CDレシーバー)、R-K1000あたり
音源に合わせて低域や高域を抑えたり、中域を上げたりできるから、古い時代の録音とも相性がいい
PC再生だと、foobar2000のプラグインでグラフィックイコライザーを使って、同じように調整すると良いと思う 何に最適化するかで変わってきて
1955年辺りにあるSP盤〜ドーナッツ盤の移行期
1965年辺りにあるモノラル〜ステレオの移行期
大体この辺でつまづく。
どの辺まで深く潜るか? あと、1985年辺りのアナログ〜デジタルの移行期もあったな。
こっちはまだ地中に埋もれていないと思うけど
1970年前後と1980年前後では、やっぱり雰囲気が違う。
同じジーンズでも、パンタロンとホットパンツぐらいの違いかな。 1970年代以降から考えると
歌謡曲なので日本製と考えがちだけど、今の日本のメーカーでは
この時代のスタイルで続けているところがない。
スピーカーで一番コスパが高いのは
JBL 4312Eで、なんだかんだ言ってバランスがいい。
アナログ時代の低音、高音というデフォルメ具合がツボを得てる。
高価なものでは、BBC LS5/9、スペンドール SP2/3Rが
アナログ時代の中域の艶っぽさがあって、JBLが下品だと思う向きにはいい。
アンプは、ラックスマンのA級アンプを充てると、和風の柔らかさが出ていいけど
コストを下げたければ、真空管でもKT88プッシュくらいで鳴りっぷりが良くなる。
入り口は、アナログだとDL-103が一番無難で、CDPはCECのベルトドライブ式。
これは永久定番だと自分では思ってる。 スピーカーの上品、下品の切れ目は、艶っぽさの出し方で
JBLはメッキのように高域でツヤを加えるけど
BBC系は樹脂コーンの中域で倍音を加えてくる。
一方で、JBLは中域がシルキー、BBC系は高域がシルキー。
この辺は、アグレッシブなボーカルの多いアメリカと
クラシカルなインストを重視するヨーロッパのトーンの違いがあると思う。
しかし、4312E、LS5/9は、共に中域に十分な厚みがあって
ボーカルを中心に周辺帯域を広げていく、古典的なバランスが残ってる。
では日本はどうか?というと、当時はB&Kスピーカーと言われてた通り
無響室での特性を重視して、モニター調の性能を競ってた部分があって
特に中域のポテンシャルが低くて、歌モノに難を感じる。
TAD、ダイヤトーン、ビクター辺りが、新品同様のコンディションで手に入るなら
今でも十分に通用するものになると思う。 アンプは日本製の電子部品が世界標準だったけど
DCアンプ、MOS-FETアンプの登場前後で
今の技術水準に達していたと思う。
超低域から超高域まで、フラットに大出力を出すことが
アンプの要件になって久しい。
この付近の前後で、歌謡曲の録音のテイストも変わって
ステレオに空気感というか、サウンドステージが現れた感じ。
一方で、アイドル、演歌は、昔のまんまのラジオ向きバランス。
DCアンプ以前は、トランスの影が付きまとって
周波数は伸びていても、磁気歪みでリニアニティが低下してたが
今は逆に味わいがあって良いかもしれない。
ボーカルを中心にしたフォーカス具合が心地いい。
ラックスマンの古い真空管アンプに人気が集中してるけど
橋本トランスは、旧サンスイの仕様を引き継いでいて
自作も含め良質な真空管アンプの選択肢に入ると思う。 一方で、歌謡曲の再生には、ラジオ、テレビという庶民感覚が根強くて
頂上決戦を究めるというよりも、いい加減、お気軽、という選択肢もある。
いい湯加減、リラックスできる音、と言えば、もう少し判りやすいだろうか。
鼻歌のように、軽く歌う雰囲気が出ないと、なぜかすぐに飽きる。
これとオーディオ的な快楽とが、噛みあう瞬間があって、
ふと自分でも気づかなかった心の奥底にある真実にズバッと突き刺さる。
それが歌手の個性、楽曲のアレンジごとに、ツボが違う。
このオーディオのツボを聴き込んで探すのが、本当に楽しい。
いい湯加減とは言いながら
上質な温泉が、お湯の成分、温度が合ってれば良いだけでなく
岩風呂か檜風呂か、露天風呂か家族風呂か、リラックスの基準も違う。
こうした水準の考え方が、オーディオでは技術的な進化という言葉で
ツボを押さえる機会を失っているような気がする。 昔だったら放送規格のフルレンジがあって
いい加減にも基準があった。
それを中心にバランスを取りながら
周波数レンジ、音響出力など
グレードアップに思いをはせることができた。
ロクハンが製造中止になる1970年代末は
デジタル録音への対応に追われていたが
それより以前にロック・テイストのアレンジで
役不足になりがちな側面があったものの
ロックそのものがアンチ・オーディオの先兵のように
見なされることで、寿命が延びていたのだ。
ただ、今思い返せば、オーディオが糸の切れた凧のように
自由なようで、結局はバランスを崩して、墜落する。
ビギナーにありがちな、ドンシャリ音が蔓延した感じもする。
実は、その影響を一番受けてたのが放送業界だったんだと
言えるんじゃないか。 >>239
去年、国際フォーラムのインターナショナルオーディオショウで、TADの新型スピーカーが展示されてたけど、
音の響きが硬くて硬くて、柔らかさのない音としか思えなかった
(>>241で言われている、いい湯加減のリラックスできる音とは程遠い雰囲気)
国際フォーラムの場所の悪さが大きいだろうし、試聴の感想だけで決めつけてしまうのは良くないと
頭ではわかってるんだけど >>243
今のじゃなくて、1980年代初頭のやつ。レイ・オーディオの木下さんが
パイオニア在籍中に元JBLのBart Locanthiの指導のもと開発したもの。
ttp://www.audio-heritage.jp/PIONEER-EXCLUSIVE/speaker/model2402.html
ユニットもいちよ現役なんだけど、ホーンとエンクロージャー、ネットワークは
別途揃えなきゃいけない。
ttp://dp00000116.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=698&csid=12
見た目はアルテック、ウェストレイクとかの延長線だけど
ずっと精緻でパワーのある音が出る。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:fc5433912aa55592f73f2dda4d43bdf8) ピュア・オーディオはどうしてもピンキリのピンのみで議論しがちだけど
歌謡曲には少し精度を下げたほうが良い部分があって
JBL L101、4211くらいのほうが、小音量でも鳴るし
録音に対する相性も幅広い。現在も作ってるとなると4312Eになる。
ネットワークを見直した4312SEが出てるけど、4312は本当に非論理的で
スコーカーはボーカル域に引っ掛からず、しかも逆相つなぎ。
当時のPA技術のように空間で音を折り重ねる方法で組まれてる。
例えば、D130と130A、2420と2440を一緒に使うのと似てる。
でも、ボーカル域の抜けの良さや、中高域の腰の強さを確保してる。
実にアメリカンでいい加減なんだけど、ポップスには合ってる。 JBL L101、4311が、いわゆる4330や4343のようなモニターと違うのは
ウーハーにダンプ材を塗った民生用のものを使ってる点で
1960年代のLEシリーズがもつ少し緩めのホームソング向けのバランスをもっている。
プロ用はタイトでローエンドが伸びる一方で、パワーが入らないと鳴り切らない。
これで、何が困るかというと、歌謡曲はダイナミックレンジが狭いため
パワーが入る段階で、ちょっとしたディスコ並にガンガンに鳴ることになる。
これがロックや演歌歌手なら濃密で良いが、可愛らしいアイドルは。。。
録音のアンバランス、粗ばかり目立って、空振りになる。 昭和の歌謡曲の面白さを知る切っ掛けに
新品で揃えるには、どういうシステムが良いか?
JBL 4312Eを中核にして、とりあえずデノン PMA-390REを充てて
アナログ・プレーヤー、CDプレーヤーを揃えればどうかと。
PMA-390REは、懐かしのラウドネススイッチもあって、まさに1970年代風。
ただMCカートリッジには対応してないので、DL-103という神器を狙う人は
MC用ステップアップトランスで対応すれば大丈夫。
あとあとアンプをグレードアップすれば、4312E側のポテンシャルが応えてくれる。
CDPは難しくて、何でも同じように思えて、余韻の方向で価格が効いてくる。
新しいDSD配信などの方向性も考えれば、パソコン用の汎用DACを買い
CD専用として、CECのベルトドライブ式トランスポートTL-5が買い得。 >>248
PMA-390REもそうだし、ヤマハのA-S501も、40年前なら
ラック込みのシステムコンポとして売ってそうな雰囲気があるね
ttp://www.video-koubou-topaz.jp/Technics-AUDIO-1976.html こんな感じで >>249
ヤマハ・ビューティという言葉が昔からあって
ニューミュージック系を中心としたポップスには合ってるね。
最近のヤマハのアンプは、高級機になると力強さも加わって
良いポジションを保ってると思う。
アンプは地味な存在なので、価格設定に理解を得にくいけど
企業としての力の入れようが本当によく分かる。
おそらく、こっちの方向はスピーカーも現在のもので良い結果が得られて
欧州系のスピーカーをあてがうと、スッキリ感に磨きがかかると思う。 で、何でデノンのアンプかというと
最近PMA-1500REを使ってみて判ったのが、まさに NHKの音。
評判では、低音ブリブリとか、ロック向けとか、あれこれあるけど
自分のなかでは、100〜1000Hzを位相変化なく鳴らす職人だ。
普通なら100〜300Hzで緩めて量感を出したり
800〜2000Hzで艶を出してみたり、聴きやすくする傾向がある。
おそらく、PMA-390REには低音側にそういう遊びが
PMA-1600NEには中高域に艶が、それぞれ加わってるかもしれない。
しかし、その基調にあるのは、DL-103にみられる
機械的な運動性能を均一化する姿勢。
この辺の雰囲気がどうも、NHKを連想させるのかもしれない。 なんでまた NHKなのかというと
昭和の歌には、何というか窮屈さがないと、人間味が出ない。
これは自分の思い込みかもしれないけど。
どうもスーツ姿の石原裕次郎、タイトドレスの八代亜紀がイメージにあって
音楽のもつ欲情的なところを、うまい具合に押し殺して立ち振る舞う。
オーディオ的には難しい表現だけど、どこかその辺のバランスを取らないと。 一方で、スーツ、ドレスで身を固めた大人から
心のなにかが溢れ出す瞬間があって
その演出がどこかにないと面白くない。
これは、部屋の広さ、普段聴く音量で変わってくるので
ユーザー側でコントロールすべきだと思ってる。
自分のやり方だと、ライントランスに過入力して歪ませる
スピーカー側で分割振動を起こすポイントを設定するので
アンプ側では歪ませない方向にしてる。
真空管アンプで、リンギングを織り交ぜる方法もあるけど
こっちはスピーカーで歪ませないスタイル向き。
昨今のスピーカーでは、ブレークポイントの設定は難しく
なんぼ突っ込んでも、スポンジのように吸い込んでしまう。
これだと完全無欠のハリウッドスターのようなもので
義理も人情もあったもんじゃない。 完全無欠で思い出したのが
最近のカラオケマシーンの点数で競う歌ウマ番組。
口パクの多い歌番組とは違って、真剣勝負が伝わって面白い反面
どういうわけか、ご本人が出てきても、そんなに高得点取れない。
歌い崩しというのが、歌手の技量とも考えられていた時代だと
今更ながら思い出させてくれる。 まぁ、こうして揃えたステレオ機器で養った価値観を一度捨てて
1968年頃のGSブーム、1958年頃のハイファイ移行期に
ダイブするのに勇気が要って難しいんだな。
底なし沼か、真珠とりか。まぁ、どっちでもええがな。 イメージとしてこうかな。
SP盤時代:ほの暗い照明を使ったメリハリのある画
ttp://blog-imgs-90.fc2.com/a/3/0/a30041/fc2blog_20160315061643d96.jpg
ハイファイ初期:ハレーションを使ったキラキラ感がある画
ttps://wing-auctions.c.yimg.jp/sim?furl=auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr203/auc0303/users/3/9/3/9/gonzaleznippon2-img424x600-1384684372i4waxr6311.jpg&dc=1&sr.fs=20000
ステレオ初期:白いレース地、ワインの透明感を強調した画
ttps://wing-auctions.c.yimg.jp/sim?furl=auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr113/auc0211/users/4/0/0/2/retoro_r-img380x512-1412568006kj4wza3485.jpg&dc=1&sr.fs=20000 ここ一週間のところ、ジェンセン1発でローファイ&モノラル試聴している。
最初の目的は、昭和30年代の流行歌の再生にあったわけだけど
ようやく試聴&調整も一巡して、ローファイに耳も慣れたところで
1970年前後の歌謡曲を流している。
所詮、AMラジオの音で全ての音源をねじ伏せてるわけだが
ボーカルにフォーカスを絞った、くつろいだ感じが心地いい。 ボーカルに焦点を絞るというのは、昔コニカミノルタの一眼レフがあって
周辺のボケが柔らかく出ることで、人間の顔の輪郭を自然にフェードアウトする。
よく構図もへったくれもない、お花畑ピンナップなんて揶揄されたけど
オートフォーカスも手伝って、素人でもきれいなポートレート写真が撮れた。
歌謡曲を再生するときも、解像度を上げてまつ毛の付け根までクッキリ
というのが一番いいわけではなく、ピントとボケの自然な諧調が欲しい。 もう少しジャンル別に切り込んでいくと
渚ゆう子、藤圭子、ちあきなおみ。。。
1970年代前半に活躍した戦後生まれの演歌歌手の録音は
ローファイで鳴らしてもOK。むしろ歌い口の濃さがよく分かっていい。
これと並行して、荒井由実、トワエモア、井上陽水、あがた森魚など
フォークからスピンアウトした楽曲も、詩の世界にどっぷり浸かる。
深夜放送の淫靡な笑いがこみ上げてくるのは、本質を外していないから。
一種の懐古趣味、原体験といえばそれまでだが
どうも最近のオーディオは露出狂になっていないか? と思うフシもある。 逆に、アイドル系はドンシャリが一番。
重低音と超高域なんて高尚なスペックではなく
100Hz近傍のボン付きと、4〜6kHzのピーキーを
音量に合わせてコントロールできればいい。
中低音のキレと中域のアカ抜けた感じが備われば怖いものなし。 参考までに、ジェンセン C12R単発+後面解放箱の特性は以下のとおり。
(45度斜めから計測)
サインスイープ: 200〜6000Hzフラット(90〜8000Hz)
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-5841.png
パルス応答: 強い分割振動が12kHzまで立ち並ぶ
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-6178.png
ボーカルのフォーカス感は、200〜900Hzの音圧にあるかも。
あとはそこから広がる倍音との混ざり具合。 >>260
ワシ写真もやっているから、その表現とても
良く分かるよ。
ところで、一部でお姉ちゃんレンズと呼ばれ
ポートレートの写真撮影に最適な85ミリf1.4
レンズみたいな、少し小ぶりのスピーカーは
ないかなぁ、フルレンジかせいぜい20センチ
2ウエイ位で。 85F1.4Gのキレまで求めると、BBC LS5/9あたりが思い浮かぶけど
60万円というのは敷居が高いので、ローファイ・ユニットを2種。
箱が自作できるんだったらこの辺り。
ttp://dp00000116.shop-pro.jp/?pid=34746561
ttp://www.toptone.co.jp/products/full/F120C85-1.html
ジェンセン C6Vも一度試してみたいと思ってて
こっちはコイズミ無線オリジナル箱でも入る。
ttp://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/234083/
ttps://www.jensentone.com/vintage_ceramic/c6v
気に入らなかったら、SICA Z004002でもTangbang W6-214でも付け替えて。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:fc5433912aa55592f73f2dda4d43bdf8) 星野みちるのニューアルバムがいよいよ6月にリリース。
歌謡曲ファンなら買いだろう。
作曲に杉真理が参加というのも興味深い。
https://www.barks.jp/news/?id=1000141053 >>264
>>266の続きだけど
私のローファイ修行はモノラルが基本。当然ステレオ音源もモノラルで聴く。
モノラルだから、ボーカルのフォーカスを絞ることができる。
あと、ステレオだと仮想の音像が出るので、小口径でもOKだけど
モノラルはスピーカーの口径がそのまま声のスケールになる。
10cmで唇、20cmで顔面、30cmで胸像。
胸像になると、えぐるような胸声の響きがグングンくる。 歌謡曲の再生で一番の課題は、録音そのものへの謙遜だと思う。
今の技術からみれば、という上から目線でみても上手くいかない。
かといって、無闇に金を継ぎ込んでも、袋小路に入り込む。
録音と機器には、必ず相性があって、歌謡曲はその振れ幅が広い。
再生技術は、録音に合わせた方法に最適化しなければならない。
個人的には、歌謡曲は誰もが耳にする放送メディアの影響が強いと思っていて
1950年代はAMラジオ、1960年代はテレビ、1970年代はFMステレオと
録音技術の発展史よりも5〜10年遅れて進んでいるように思う。
そのうえ、1970年代からは聴く年齢層によっても、サウンドを変えていて
その年代が所有するオーディオ機器のグレードに合わせている面もある。
アイドルは豪華な伴奏陣とは裏腹に、ラジオ向けのバランスだったり
演歌のように、1970年代初頭はゴージャスでも、1970年代末には貧相になる。
シングル盤とアルバムバージョンで、ステレオ感の違うのは当たり前で
最初からアルバム制作に力を入れていた、ロックやニューミュージックは
その時代の最新の音響に、興味を抱かせるように感じる。 歌謡曲に合わせたオーディオ機器の選択で、もうひとつ重要なのが
時代感覚に合わせた立ち位置で、ビンテージ感のある選択である。
私自身は、大口径エクステンデッドレンジで1948年のエリア
それにホーンドライバーを追加して1958年のエリアを占めている。
モノラルのラジオ電蓄からジュークボックスという感じだ。
これで、歌謡曲の10年遅れの技術に照らし合わせると
1968年くらいまでのエリアを網羅できる立ち位置に居る。
ところが、1970年代末でもラジオ試聴が多かった
演歌、アイドルの分野では、まだこの方法が通用する。
むしろ、かつての高級電蓄の威力は、ラジオ風の録音でも
表情の奥までスケールアップしてくれる。 では、ラジオ風の録音というのは、ただ古いだけかというと
けしてそうではなく、むしろローコストでも効率的に聞こえるように
人間工学的なラウドネスを効かせてある。
むしろ高音質と言われる録音のほうが、電気工学的な特徴をもっていて
フラットに聞く耳をもつまで、人間のほうが遥かにローファイにできている。
だから無闇に高級オーディオをあてがっても、バランスが崩れるので
録音が悪いと勘違いされやすい。これでは本末転倒である。 まさしく
当時のエンジニアが当時の機材でモニタリングしながら、出そうと考えたところは出し、押さえ込むべきところは抑えこみ、そうやって設えた録音の「出すべきではない部分」を、忠実再生とピュアオーディオの名の元に白日の元に晒す道を自分は取らない
エンジニアがミックスで「抑え込んだ」ところ、当時の機材では「抑え込めたと思った」ところを「白日の元に晒す」機材で当時のマルチトラック録音を判断するのは自分は避けたいと考えている
4320では粗は聴こえず、完パケと判断された録音、10Mでエンドユーザー向けの確認をし、当時の機材で聴く事を前提として作り込んだ音源を顕微鏡で拡大して粗を見ても、自分は楽しくない
同様に、いいところ80年代中頃までの音源を楽しく聴けるように設えた自分のメインシステムで椎名林檎は聴かない
椎名林檎の時代の音楽を、最終的にエンドユーザー向けに設えているであろうアクティブモニターで聴く
この考えは、単純や無加工を旨とするジャンルの音楽には必ずしも当てはまらないかもしれないし、ある年代の幅のマルチトラック/ミックス録音限定の話だと考えていただけたら有り難い 4331から4343に移ったとき、何かが変わったんだと思うな。
旧来の家庭用JBLの大らかさは、歌謡曲に合ってるよ。 >>270の
>歌謡曲の再生で一番の課題は、録音そのものへの謙遜だと思う。
>今の技術からみれば、という上から目線でみても上手くいかない。
>録音と機器には、必ず相性があって、歌謡曲はその振れ幅が広い。
>再生技術は、録音に合わせた方法に最適化しなければならない。
この記述に全面的な賛意を表す ローファイの話を続けると
例えば、AMラジオのレンジが100〜6000Hzなら
その帯域だけで再生能力のグレードを上げていく
というような方法は、あまり想像がつかない。
しかし、ホーンドライバーでもアルテック288、JBL 375は
中域の魅力で押し切るタイプだ。
映画のサウンドトラックというと、それほど高域が張ってないし
セリフを中心とした地味な音声でもちゃんと鳴る。
ウーハーはもっと評価が難しく、古いものほどコーン紙が軽く
張りのある音を叩きだす。そのかわり重低音は出ない。
どっちを取るかぐらいの選択肢はあってもいいだろう。 >例えば、AMラジオのレンジが100〜6000Hzならその帯域だけで再生能力のグレードを上げていくというような方法は、あまり想像がつかない。
分割振動排除したり、様々な手はあるんだろうが、一番の問題はそれをやっても「作った時の機材がやった事と違う」だと思うんだ
作った時の機材の歪込みで、一番リーズナブルな音になるように設えたはずの音源から、良かれとばかりに取り去ってしまってはいけない「ピュアオーディオ的害悪」があると思う
作った時の機材の歪や、ローテクノロジーは全て込みで作られた音から勝手に、作られた時代を無視した、勝手に害悪だと思っている要素を取り去るのはそれこそピュアオーディオに逆行する行為だと俺は考えてしまう 話が逆で、古い設計の4インチドライバーなんて高次倍音だらけで
むしろ歪みのブレークポイントを聞きたくて大音響で聴いてる人もチラホラ。
低い出力で歪ませるならジェンセンのギターアンプ用だな。
いずれも3〜10Wクラスのアンプで十分ドライブできるので
そこでの質感を磨くのもローファイのセンスだな。 ベースアンプ、ギターアンプで慣れてるw
糞音と言われるSRにもスタジオモニターにも慣れてる
親和性があると言ってもらってもいいw
それ以降で変えてしまった音を美音と言う層はそれはそれで好きにすれば良い
こう考えているんだなw >>270
ウチのスピーカーは、いわゆるハイファイタイプで
録音の微妙な差を明快に描き出すけれど、例えば
昭和30年代の古い歌謡曲であっても、当時の歌手を
含めた制作側の意図が伝わって来るから、それは
決して否定しないよ。
耳障りだ、聴き辛いと思う事は有っても、当時の
人達の息吹きが伝わって来るから、大切なものと
考えて、少し音量を絞って聴いている。 どうもはじめにビンテージありきで歌謡曲を括ってしまってるように思うんだがw ビンテージの定義が何年代までなのか解らんし、現代歌謡がAKBを指しているのかジャニーズを指しているのか、それとも別なものを指しているのかが解らん いままでの流れで70年代までしか出てこないのでそれで定義してるんだが? というのは、上でかいている人は誰も「ビンテージありき」とは書いていないように思えるんだな
それどころか、かなり年代別に差異を分析、認識しているように思える
その「ビンテージありき」という発言にはビンテージの定義含めてやや疑問を感じたんだな もともとビンテージ機器と旧い録音が好きでその流れで歌謡曲を題材にしているんじゃってことだけど?
歌謡曲が好きでそれをどう再生するのかじゃなくてね。 >>283
「70年代まではビンテージ」という押さえなの?
あと俺は、椎名林檎含む2000年代の音楽にも上の論者に賛同する形で触れさせてもらってるよ >>286
話の流れがそうなっているって感じただけだよ。
2000年代以降の話をすると荒らしになるらしいぞw >>285
>もともとビンテージ機器と旧い録音が好きで
それも誰も言っていないんじゃないかな?
録音の振れ幅と再生機器の相性については聞いたけど
それは現代の録音と機器にも全く同様に当てはまる事だと俺は受け止めたけどな >2000年代以降の話をすると荒らしになるらしいぞw
誰かそんな事言ったのかね?
スレタイに沿わない話の連投をするのは勘弁だなと思った書き込みは何回かあったな
歌謡の定義に関してはスレ主さんのものだと思うし、ビンテージの定義はあなたのものだしな
俺は単に>>270に対していたく賛同した者であるのみなので、これ以上はスレ汚しになるのでレスは打ち切らせてもらうよ
すまんね ジェンセンおやじの意見を言わせてもらうと
ビンテージの定義は、1970年代前後にミキシングコンソールが
ソリッドステート化された頃が境界領域だと思ってる。
それ以前と以後で、再生するノウハウが変わってくる。
しかし、今の基準でいうと、その頃のNEVEやAPIなどは
高額で取引されるビンテージ扱いになってる。
考えてみれば、50年近く時間が経っているわけで
録音環境がデジタル化される前のアナログ技術全般を
ビンテージと呼んでもよいような時代に差し掛かっている。 ビンテージ=旧い物というイメージがあるかもしれないけど
家具に喩えると、イームズやウェグナーのようなミッドセンチュリー風が
今も人気があるのと同じ感覚。その前のビクトリアン調と比べると
明らかにモダン・エイジに属するから、今でも現役で製造される。
イームズなんか、同じ形をした駅のベンチとは、やはり座り心地が違う。
一方で、オーディオのほうはというと、音源こそ旧いものが再発されてるけど
再生する側の準備がほとんどできていない。
おそらく、レコードマニアとオーディオマニアのそれぞれの思惑がずれてたままで
進行しているからだと思っている。
このことが問題だと思うのは、例えば1970年代にJBLが流行ったお陰で
1950年代のモダンジャズが見直されたのと、同じ轍を踏むんじゃないかと。
同じ時代の他の音源が、かなり歪んだ形で紹介されてしまった。
おそらく昭和30年代は、マイルスよりも裕次郎のほうを皆知っていた。
でも、裕次郎の魅力をオーディオ的に説明できる機材は?
これがビンテージのセンスが必要な理由なんだ。 古い録音の魅力は色々あるけど
例えば、人が叩くドラムなんかは、その入り口で
シケンサーまかせでは絶対に出ない味がある。
あとはボーカルの柔らかい表情かな。
良質なモノクロ写真から出る陰影のようなものは
今の録音ではなかなか出ない。
こうした魅力を引き出すのに
フィックスドエッジのように機械的なバネで押し返すとか
真空管のように高次歪みで輪郭を滲ませるとか
同じ電気信号にも、オーディオ的なセンスが必要だ。 >>292
昭和30年代も、ラジオの音楽、テレビのミュージカルバラエティ番組、歌番組の生演奏やCMソングを通じて
「ジャズ」はかなり身近にあったと思うけど、同じ時代のモダンジャズとはだいぶ切り離されてるね
今は後者の方が大きくクローズアップされてて、ジャズ初心者向けのおすすめにもそういうのが出るのに
同じ頃にラジオやテレビから流れていたジャズ歌手は、だいたいが「昭和歌謡」で一括りにされてる気がする
「おそらく昭和30年代は、マイルスよりも裕次郎のほうを皆知っていた」ってのはいい喩えだと思った >>294
基本的にスウィング・ジャズの延長線にあるからね。
物腰の柔らかいリボンマイクというのも手伝って
中域から高域にかけて綺麗に減衰するグラデーションが
高域偏重のバランスだと、音が沈みこみやすいのと
今どきの重いウーハーだと、スイング感を出すのが難しい。
コンデンサーマイクで音圧いっぱいに入れたモダン・ジャズとは
違う魅力があると思う。 あと古いにしても、同じ時代の音楽を、隔たりなく再生することで
その音楽がもつ本来の魅力が、相対的に聞こえやすくなる傾向がある。
録音を比較することで、ミュージシャン間の競合性とか個性とか
当時を沸かせたミュージック・シーンが蘇える感じがする。 高域偏重のバランスというのは
1970年代中頃にスピーカーの箱鳴りが原音再生にじゃまだということで
インパルス応答をできるだけ鋭く出すスピーカーが増えてきた。
おそらくその初期の作品が BBC LS3/5aで
元はサウンドステージの縮小モデルの研究から始まってたようだが
ここでは残響時間の周波数分布を正確に出すことが目的だった。
ttp://international.kef.com/explore-kef/about-kef/kef-bbc-and-ls35a
ttp://downloads.bbc.co.uk/rd/pubs/reports/1970-13.pdf
ttp://downloads.bbc.co.uk/rd/pubs/reports/1974-27.pdf
これは、ブルムライン方式のワンポイントマイクで収録された音源で
最高度の性能を発揮するように設計されている。
インパルス応答はステレオの定位感とも関係が深く
今のスピーカーは、この辺は本当にクリーンで見通しがいい。
一方で、パルス波への過剰な反応も際立っていて
そういう録音の管理をしていない1970年代前半までの録音は
音像の前後が逆転したり、音場と関係ない歪みが浮き上がって耳に付く。
個人的には、これは技術の発展ではなく、ただの流儀の違いだと思ってる。 >>290
やれやれだな
旧い機材をビンテージと言っただけなのに定義はあなたのものとかどうでもいいことをw >>274
ミッドバス2121が、音楽の再生で一番重要と思われる
300〜1250Hzの帯域を受け持っているからかな。
良くも悪くも、4ウエイ4343〜4348或は4350の最大の
特徴はミッドバスの存在だろうな。 >>294
ロックが出て来る前の洋楽を日本ではジャズと言ってたんだよ。
ブルースもジャズの一種として括られてた。 いまに続く歌謡曲の系譜と昔の音楽とは区別はしてもあまり切り離さないで欲しいんだな。
オーディオにしてもビンテージと現代のものをどうミックスしていくかがポイントだと思うんだけどね。
再生するのはデジタルデータだし。
https://www.youtube.com/watch?v=VbphMQ58YI4 テツandトモは昔で言うとぴんから兄弟みたいなもんだねw もうひとつの変化はDCアンプの登場で
当初の目的はカップリング・コンデンサーの排除にあったらしいが
本当の意味での広帯域増幅が可能になったのが1970年代。
ttp://www.fidelix.jp/others/classA.html
これに追従するかたちで、以後メーカー製のアンプは。。。
とはいえ、私自身はジェンセンの古レンジに、デノンの最新アンプを充ててるわけで
別にアンプのせいで音がカチコチになってるわけではないと思ってる。 >>299
俺はどうしても2wayから離れられないんだよね
多分4320アタマから来る物なんだろうなあ…w >>303
なんか悪い方に追従しちゃったみたいだが、それでも俺はDC-300a2をこよなく愛しちゃってるんだな
聴いてる音楽がアナログーCD過渡期以降まで含んでるからかもしれませんがw >>301
デジタルデータは、単純に低域から高域までのダイナミックレンジが均一。
逆に、アナログは音源の製作途中のプロセスで変わる要素をもってて
それをデジタル化しても、精々ガラス越しに物を見てる程度の違いで
アナログで練られたプロセスの影響のほうが強いと思う。
アナログ盤が良いと言ってる人は、原盤をカットしてたオジサン以上の腕がない
と思ったほうが良いような感じがするけど、おそらく反発する人も多いだろうな。 >>299
ミッドバスによるサウンドの変化もあるけど
むしろワイドレンジかつダイナミックであることの魅力を
スピーカーだけで体現したことだろうな。
デフォルメの仕方が巧妙で
ミッドバスとミッドハイのパワーレスポンスを基軸に
重低音と超高域に音楽的な意味を付け加えた。
それに追従するかしないかで
高音質の基準が変わったように思う。 >>300
雪村いづみ、原信夫、北村英治、前田憲男・・・
ロックが出てくる前、クラシック以外の洋楽をジャズと言ってた頃から、
今でもご健在なのはこの人たちくらいかな
(ペギー葉山さんも先日亡くなられたし)
>>295の話題とも被るけど、この時代の日本のジャズが楽しめるように調整していったら
SP盤時代のスイングジャズも、録音の古さが気にならなくなってきた >>304
それって、いわゆる良し悪しを越えた原体験みたいな
ものかも。
オーディオ評論家の故山中氏は、親爺さんが所有して
いたクレデンザの音を、ずっと追い求めていたそうだ
けど、それに近いものかな?
>>307
確かに、ミッドバスの追加によってウーハーは
スーパーウーハーとしての働きを務め出し、更に
2405の投入は、スーパーツィーター追加と同等
だから、再生周波数特性のワイドレンジ化及び
平坦化に大きく舵を切っただろうな。
好き嫌いは別として。 434Xシリーズは、ミッドローの300Hzからミッドハイの9500Hzっまでで
ほとんどの骨格はできているという側面が忘れられている。
そこを抜かしてワイドレンジ化しても腑抜けのまま。 >>292
>おそらく昭和30年代は、マイルスよりも裕次郎のほうを皆知っていた。
マイルスの名前は認知されていなかっただろうけどマイルス独特のミュートを効かした
クールなサウンドは昭和33年公開の映画「死刑台のエレベーター」で結構知っていたかもよ。 サントラで一番売れたのは「禁じられた遊び」かな。
映画のストーリーは知らなくても曲だけは知ってる。
日本のギター文化の最大の功労者かもしれない。
実はオリジナルのサントラはほとんどの人が聞いてなくて
イエペス初来日時のステレオLPで知られている。 ジャズ嫌いだから昭和20年代の舶来音楽の影響を受けた歌手はどうにも受け付けない >>266
レスが遅くなってしまったが、情報有難う。
やっぱ目的に適うのは、英国のBBCモニター辺りか
16センチフルレンジ位だろうなぁ。。
ところで、ウチは85F1.4Gでなくて、一つ前の85F1.4Dを
愛用しているよ(ボディはD4)。
もう旧製品になってしまったが、女性のポートレイトや
夜景、特に夜桜なんか最高だよ。 >>314
ジェンセンは30cmでも7,000円くらいなので、価格面での敷居はすごく低い。
それと高価なP12Nじゃなく、安いC12Rのほうがジュークボックスに実装されたなど
電蓄の音に近い感じもする。これにホーンドライバーを付ければ汎用性が出る。
この価格で、ドラムがドカッと蹴りだして弾むのだから、本当に恐れ入る。
問題は箱が大振りになりやすいことだけど、低音は70Hzまでなので、
Altec 618相当の後面解放箱のほうが音のキレがよくて実用的。 >>315
三橋美智也は昭和30年代、田端義夫は昭和10年代デビューだから良いんだよ
昭和30年代になってGHQに禁止されていた股旅歌謡などが解禁されて日本回帰した >>317
美空ひばりに絡んで、米山正夫の楽曲とかは?
来月のお買い物リストに生誕100周年記念CD上巻があったりする。 笠置シヅ子とか美空ひばりは明らかに舶来音楽の影響を受けてるからあんまり好みではない
米山作品は美空ひばりに偏り過ぎ同じ歌手ばかりで飽きる 昭和30年代の望郷歌謡のような舶来音楽の影響を受けていない日本人ならではの郷愁を誘う歌唱で歌謡曲は聴きたいが
不思議なのは所謂演歌歌手にはその日本の郷愁のようなものが感じられない
洋楽のようにリズム重視になってアクセントを強調するように歌うからではと勝手に分析している >>316
ジェンセンのユニットはフィールド型もあるのかな?
ttp://www.vintagejoin.com/Field.html
この店で聴いた、ドイツ製のフィールド型スピーカーの音が好みだったなぁ
電圧可変タイプの電源が要るそうだけど >>321
あるけど戦前の製造がほとんどなので、コンディションも気になるし
上はWEのトーキー用から、下は電蓄用までほんとに色々。
ドイツ製が気に入ったのなら、それこそ戦後のラジオ用をお勧めします。 ドイツ製のフルレンジは、基本的にオープンバッフルか後面解放型に適していて
ガッチリした板に固定するよりも、少し箱鳴りを活かしたほうがバランスが取れます。
場合によっては、薄目のパーチクルボードのサブバッフルで固定して
それを箱で包んであげるという構造のものもあります。
それでも負けない中高域の腰の強さがあるので、音がこもることはありません。
昔はどの国にも、この手の辛目のトーンのラジオ&テレビ用スピーカーがあったのですが
今となっては新品で見つけるのが難しいです。 ドイツ製フルレンジに合うアンプは、EL84のようなMT管が相性がよく
ECL82、ECL86のような複合管も良く使われていました。
これらの特徴は、少し艶があって澄んだ高域で
逆にドンスカ低音が出るような感じではありません。
ターゲットは、1965年の前後7〜8年くらいの録音です。 個人的に興味をもってるのが
橋本トランスがサンスイブランドで作ってるラジオ〜電話用のSTシリーズで
今のUTC C2080の代りにならないかと色々妄想してる。
ttp://www.hashimoto-trans.co.jp/ AMラジオのぼやけた音も別に嫌いじゃないけど原音のクッキリハッキリした音で聴きたいという願望は当時もあっただろう 先週のジェンセン1発での修行を終えて悟ったのは
確かに高域が減衰しているが、中域と連動した躍動感があって
昔の上方漫才なんか聴くと、早口が聞き取りやすくなる。
従来のように3kHzで切ってしまうと、高域は張り付いた感じになって
声の流れが止まっていることにに気付いたわけ。
ここで、下はNWをスルーして、ツイーターを5kHzから被せてあげると
躍動感を保ったまま高域がスッと伸びる感じになった。 高域の躍動感で一番効いてくるのがブラス・セクションで
中域から土台が繋がっていると、筋肉がブルッと震えるような感じになる。
ソロのときの哀愁みたいなものも、このマッチョな肌合いがあってこそ
男泣きのような抑圧感と溢れ出る感情のバランスが出せる。 >中域から土台が繋がってると
だから昔からラッパを鳴らすなら、500Hzから使えるアルテックやJBLのコンプレッションドライバーなのか? >>329
そうね。ホーンを中心に考えればそうなるんだけど
合わせるウーハーも必然的に大口径&高能率になるので
何から何まで豪勢なスペックになりがちなんだよね。
そうなると録音のほうも、貧相なものは聞かなくなる。
結局サブシステムを構築しはじめる。。。無限ループなのよ。 953 名前:アンバランス転送 ◆VppUdchn86 [sage] :2017/04/25(火) 21:55:36.44 ID:ghsCzHTv
今日はハエの本音が聞けて良かったよw
>俺はお前が嫌いなんだよw
>個人の問題(好き嫌い等)を、誰に公正に扱うんだよ?w
「嫌いな奴は、公正に扱わない。それが個人の問題(個人への攻撃)であれば」
お前はまだ自治「みたいなシロモノ」しとるみたいだけどなw
だからコピペ爆撃も気になる訳はないのなw
「俺が嫌いな、公正になれない個人の問題」な訳だからw
さすがにそれ、自治じゃないわなw
嫌いな奴に対しても、好きな奴に対しても、スレや板に対する問題に「公正に対処する」
これを放棄したら自治なんぞ出来んわなw
だから俺は自治から降りたんだよw
お前さんも降りなさいw
「スレッドルール」とか振り回すのはいささかアレなんじゃねえのかい?w
960 名前:アンバランス転送 ◆VppUdchn86 [sage] :2017/04/25(火) 22:03:42.78 ID:ghsCzHTv
>>956
>じゃあお前は今後自治スレを立てるなよ
>交わした約束は必ず破るアンバランス転送のことだからお前のことは一切信用してないけどな
>公正とか笑わせるなよ
いや、俺公正じゃないからw
馬鹿には辛く当たるわw
信用されてないのはラッキーw
だって次も自治スレ立てるからなw
自治スレと言う名の「怨嗟と好き嫌いで伸びる人気スレ」なw
962 名前:アンバランス転送 ◆VppUdchn86 [sage] :2017/04/25(火) 22:04:57.30 ID:ghsCzHTv
ほれ、有言実行w
ピュアオーディオ自治スレ12 [無断転載禁止]©2ch.net
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1493125451/ 100〜6000HzのSP盤規格には女王がいまして
米ビクトローラがWEと協力して開発したクレデンザでおわします。
美空ひばりのファンだった池田圭氏のシステムに従えば
15Aとまでいかずとも、22Aホーン1発で懐メロ三昧してみたいなど思うもの。 歌謡曲なんて昔のジャニーズには適用しても現代のAKBには適切ではないだろ
テクノ(狭義ではデトロイトテクノからミニマルテクノあたりまで)ってどんなの?っつってYMOを例に出すくらいの時代錯誤
そら広義にゃどちらも当てはまるが時代によって区別されてるよ しかしなんちゃら歌謡ショーみたいののシメって、
なんでいつまでたってもフランクザッパの悪口なんだろうな WEvs美空ひばりで思い付いたけど
WE 753という中型システムがあって
これのウーハー部分がジェンセンのPM15という
現在だとP15Nというユニットに相当することが判った。
ttps://www.jensentone.com/vintage_alnico/p15n_no_bell
これと32Aホーンを組み合わせると面白そうと思った次第。
ttps://electravolt.blogspot.jp/2017/01/horn-loudspeaker-exporations.html
アルテックだとA-8相当なんだけど
ウーハーをラディカルにすると面白いかも。 フランク永井のような低音歌手は昔のスピーカーだと魅力を引き出せないと聞いたことがあるが事実だろうか おそらく、以下のP.31に出てくる内容のことかな。
ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jaspmpms1997/3/0/3_0_30/_pdf
1954年にシングル(EP)盤 が発売 され、録音技術の向上 もあいまって
フランクの「低音の魅力」を引 き出 した
実際にはバリトン系の歌手はビング・クロスビーなど昔のほうが多かったし
昔のフィックスドエッジのほうが低音の躍動感が良いので
胸声をえぐったときの色気が出やすい。
おそらくSP盤を並四ラジオのマグネチックスピーカーの組合せでしか
想像力が働かない人の文章のように思う。
むしろ新しめのスピーカーのほうがフランク永井の声がこもりやすいよ。
オーディオチェックにも適してると思う。 歌謡曲のオーディオ的な評価の低さの原因は
オーディオ批評の洋楽偏重という体質だけではなく
ヒット曲の原体験を語る人たちの経験の浅さとも関連してそうだ。 ただ問題なのは、原体験の拙さを超えてなお伝わる
楽曲の魅力のあることも確かで
レコードが歌手の人格のように感じてる人も多いと思う。
ここで、オーディオの良し悪しで感動の質が違う、なんて言うと
本質を理解していない、シャラ臭い感じがする。
レコードマニアがオーディオマニアを嫌う理由がここにある。
でも、同じ100〜6000Hzでも、ペナペナのマグネチックスピーカーと
蓄音機の女王クレデンザとでは、出てくる音に雲泥の差がある。
その間に偏在する、オーディオのグレードを議論するのは良いことだと思う。 これまで考えてきたのは、歌謡曲の原体験の輪郭をなぞりスケッチしつつ
当時のオーディオ的手法で、グレードアップを図っていこう、という手法だった。
例えば、周波数レンジを絞って、そのなかで質感を高めるために
真空管やトランスの高次歪み、コーン紙の分割振動、機械的なバネなど
従来は原音再生に邪魔だと思われていたものを再評価して
ビンテージ感のあるシステム構築のために意見を出してきた。
原体験のスケッチをするなかで、歌謡曲の録音の問題性も浮上し
低音のデフォルメ、深いエコー、ピンポンステレオ等々の諸問題を
電気的にフラットな特性をもつ原音再生で評価するのは間違いであり
オーディオ機器の側から録音に寄り添うべき方向性も指摘してきた。 あと、CD化する際のプロセスの問題もあって
元テープをただAD変換しただけのものから
適度に音をいじった(リマスタリングした)ものまで
アナログ盤に存在したプロセスを補完しながら
逆にデフォルメして試聴する方法も模索してきた。
ヤマハの卓上ミキサーに付属しているデジタルエフェクターで
有効だと思われるものは以下のとおり。
ラジオボイス:ボーカル域を持ち上げてクッキリさせる
ルームエコー:フラッターエコーの累加で楽音と連動した倍音を増やす
フランジャー:LPレコード特有のワウ感を出す ビンテージ・オーディオというと、WE〜ランシングの系譜が幅を利かせていて
価格も評価もハイエンドになりがちなんだけど
歌謡曲の場合は、ロクハン、DL-103などBTS規格のものが基礎にあって
国産機器のオーディオ史も踏まえてビンテージ感を考察しなければならない。
個人的には、ジェンセンにはじまりオーラトーンに終わる、と思っているが
入門用に最適で、録音への評価が下しやすいという以上の理由はない。
基本的には、電子楽器の出現からマスメディア向けの商業録音の完成までの
サクセスストーリーを思い描くのに、必要十分なスペックの割り当てである。
そこから更に踏み込んで、更なる高みをねらっていく、という道筋もあるが
意外に高価な機器で聴いたというだけで満足する人も多いので
やはりオーディオマニアは嫌な奴が多いということになりかねない。
録音ソースに最高のおもてなしをしたい気持ちは判るが
裏町の居酒屋のほうが居心地のいい場合もある。 サン・レコードのサム・フィリップスは、黒人ブルースをラジオで流すときに
強いシンパシーを感じていた。
ブルースとは、白人黒人問わず
人生はいかに難しいか
そしていかに素晴らしいかを考えさせる。
ブルースは音楽でありながら、祈り、諭す。
毎日毎日やって来る困難を取り除く
こうしたことを、歌謡曲に言い換えるのは、とても簡単だ。
逆に難しいのは、いかに凡人であることの幸せを味わい尽くすかだ。
オーディオに特別な体験を求めすぎると、道を外しやすい気がするのは
日常のなかにある言葉や思いを見失ってまで聞くべきものがあるのか?
という別な疑問が浮かび上がるからだ。
時代という現実と、取り戻せない過去という非現実の間で
歌謡曲はあてどもなく流れていくように感じる。
私の考えるオーディオは、そういう時間軸を今に合わせる作業のように思う。 2本のスピーカーで、モノラル録音時代のポピュラー音楽を聴く時
12cm+2.5cmの2ウェイなら、左右の感覚や角度を揃えて、
11〜12インチのスピーカー1本と仮想して聴くようにしてる
(仮想するといっても、頭でイメージするだけなんだけどw)
ここのスレ主みたいに、ステレオ録音もモノラルで、って潔さは、
なかなかできることじゃない モノラル・カミングアウト直前だな。(ΦωΦ)フフフ… 昔の話をすると、FMステレオ放送をモノラル・ラジカセで試聴する機会が多くて
16cmくらいの付属スピーカーでも、AM放送との音の違いは判った。
一方で、ステレオ装置で聴くAM放送は本当にヒドイもので
ラジカセで聴いたほうが音が良かった。
その頃は理由なんて考えなかったけどね。 あと、テレビの音というのもあって、これもモノラル。
ただ映像の印象のほうが大きくて、たとえエアチェックできても音はションボリ。
初期のラジカセには、外部録音端子がなくて、付属マイクでの入力のみ。
テレビの前にラジカセを置いて、誰かがしゃべらないか監視してなきゃだめだった。 過去の痛い思い出を引きずって大人になって「昔の歌謡曲でも」と思っても
50年以上昔の記憶の底に眠っているものと大分印象が違う。
例えばテレビ歌番をYoutubeで観ても、元が家庭用ビデオだったりすると
音声がこんもりローファイになっている。今どきのPVとは演出も天地の差。
それならとCDを買い込んでも「なんじゃこりゃ?」という音。
化粧のひび割れが見えるんじゃないかと思うくらいドギツイ。
何かが違う。 1990年代の再販CDの疑問を抱えたまま10年くらいは過ぎて
その間はこの件は放置したままだったのだけど
1960年代のロックの再生方法と格闘してたときのノウハウを
そのまま歌謡曲に転じると、これまで開かずの扉が開陳したわけ。
きっと蜘蛛の巣だらけの骨董ばかりかと思いきや
みんな新品同様に光輝いてた。昔の記憶は間違ってなかった。 ではなぜ、1960年代のロックと昭和の歌謡曲がリンクしたか?
欧米でのロックの試聴層は、イギリスだと低所得層に属していて
AMラジオ(海賊ラジオ)と卓上プレーヤーのモノラル試聴が基本だった。
このためにサウンドのデフォルメをしたのが出回っていた。
その元ネタは、アメリカのR&Bで、やはり状況は一緒。
モータウンのエンジニアは、当時は90%がモノラル試聴だと確信してた。
つまりローファイ伝送でも音楽の魅力が伝わることが大前提だった。
そのローファイ伝送の世界で培ったノウハウが
50年前の歌謡曲の録音の劣化程度と上手くマッチしてるんだと思ってる。
悪い録音に耐性がないオーディオ機器で聴く歌謡曲は80%がNGだが
ローファイから再生能力を磨いていくと95%はOK。
一般的なオーディオ機器からみた歌謡曲の利用価値は1/5だが
整備すればソフト側からみた資産価値は4倍以上になる。 歌謡曲の魅力について、よく経済成長との関連性を掲げる人もいて
経済が上向きで希望に満ちていた雰囲気ともとれるだろう。
しかし一方で、過去のしきたりや貧困の閉塞感も大きかったように思う。
私個人は、時代の閉塞感と向き合っていた歌謡曲が好きだ。
こんなことを言うと、演歌を思い浮かべるかもしれないが
二十才前後の美空ひばりや島村千代子の声をきくと
哀愁と希望のバランスが実に清楚で庶民的だ。
媚びることなく自然に美しい。 >>352
島村じゃなくて島倉だろう?
50年以上前にラジオからオープンリールで録音したからたち日記なんかたまに聴くともうたまらんね
こんな日本女性は絶滅してしまったんだろうかという気持ちになる
あの時代に現在の最新機材持ち込んで録音したい >>354
ああ、また大変な失態を。。。絶滅というのはその通りですね。
肩肘張らずに生きやすくなった分だけ欲望も丸出し。
なんて言ったら、また嫌われるタネを蒔いてんだろうな。 う〜ん、ビートルズを聴いても、美空ひばりを聴いても
サム・クックも、フランス・ギャルも、みんな仲良く歌っている。
何かのアトラクションにでも入ったよう。 デュークエイセスやボニージャックスなどのコーラスグループはなかなか難しい お・さん・な・なじみの、を、?いで、うわ〜!
たしかに難しい。 昭和の歌謡曲の魅力を伝えるオーディオ装置を整備するのに
もうちょっと分かりやすい言葉がないかと思ってたら
昭和歌謡のサウンド・アトラクション、というのが浮かんできた。
50年以上前の録音でも
マイクを通じて今歌ってるくらいのクオリティで聴ける
体験型のオーディオ装置。 こういうことを書くと、録音のクオリティのことで文句を言う人も多いけど
そういう輩を跳ね飛ばすくらい音に勢いがないとダメだ。 昔の感覚だと、ロクハンを2A3シングルで、という感じで
それを超えるバランスや質感を超えるものをなかなか作れない。
コストまで考えると完全にお手上げである。
国民的なオーディオのレベルを上げたことは、ほぼ間違いないだろう。
一方で、ロクハンを超えようとしたとき
重低音の迫力、高域のフラットネス、大音響などの方向に進みやすい。
ロクハンそのものは、ラジオ音声の品質を保つモニターで
音楽専用のものではないので、消去法で足らないものを数え上げると
どうしてもこうなる。そして、何かを失う。 改めてP610Aの特性をみると、規格は80〜13,000Hzだが
30度で3kHzフラットという感じになる。
ttp://www.leyun-music.com/news/images/2010624152916177.jpg
この特性は70年代後半に少し変わっていて
30度で8kHzフラット、60度で2.5kHzフラットとなる。
ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis/5053/sp/P610a.jpg
低音は標準箱で目一杯伸ばして70Hzまでフラットだが
今時の響きの強い洋間だとボン付くようなバランスだろう。
帯域は3つに分かれて
70〜200Hzの箱やバスレフ共振の領域
200〜2500Hzのコーン紙でダイレクトに鳴らす領域
2500〜13000Hzの分割振動の領域
実際には中域は800Hzのエッジの共振点で分割されていて
この800〜2500Hzの歪みの少なさが血統の証だった。 >>361
著者は高城氏だったと思うが、昔の音楽雑誌で
ロクハンはスコーカーとしても優れているから
これをスコーカーに使い、上と下をウーハーと
ツィーターで固めた3ウエイ機を、との記事が
載っていたよなぁ。
その記事の終わりに、販売店がロクハンを余り
勧めないのは、利幅が少ないせいかとの指摘も。 コーンスピーカーのエッジの共振は、1.5kHz周辺で起きるものが多く
1〜2kHz辺りで凹むものも少なくない。
実はこの辺が日本語をはじめアジア系言語のように喉音でニュアンスの多い言語で
乗り越えなきゃいけない問題となっている。
ヨーロッパ系言語では、子音でのニュアンスが重要で
音程を司る中域と、言語のニュアンスを伝える中高域とは分かれて問題ない。
1970年代の録音から、この件が緩和されているのは
プレートリバーブが用いられるようになったからと思っていて
この領域の位相を乱して拡散することで、スピーカーの癖を克服している。
それ以前の録音で、声がくぐもったり、伸びがないように聞こえるなら
800〜2500Hzの繋がりの滑らかさを見直すべきである。
勘違いしてはいけないのは、高域の不足ではないこと。
高域を増やしても、ザラザラ感が増すだけで、良いことは何もない。 >>363
200〜2000Hzが素直というのは、高城氏のようなオールホーン派からすれば
大変な魅力だったのかもしれないね。
ネルソン・パスが原理主義的なオーディオを展開してて面白い。
ttp://www.6moons.com/audioreviews/firstwatt10/j2.html
初期の巨大バックロードホーンに比べて寄り付きやすいのもいい。
ttps://www.passdiy.com/projects/images/content/cs_amps11.png
平面バッフルで抑えてあるのが、鳴らしやすさに結びついてるように感じる。 それと、どうせツイーターを足すんだったら20cm、30cm。。。と
スケベ根性が出てしまうんだよね。
さらにウーハーを足すのが本当に無駄に思えてくる。
おそらく、16cmのロクハンより、38cmのほうが良い音出してそうにみえるけど
中域の質感と繋がりをどう聞き込むかで、答えが違うと思う。 ロクハンが日本の標準的なハイファイを牽引してきたとすると
ドイツだとジーメンスやサバの20cmフルレンジが挙げられるだろう。
互いにOEM生産していたので、どのメーカーも仕様が似通っており
アメリカほどメーカー毎の個性が強くない。
いずれも高域が明瞭で、小音量でも聴き映えのする音である。
逆にアメリカ製で標準的なフルレンジと言われると少し悩ましい。
例えば、WE 755Aは最初に放送用として売り出したが
ずっと後のAltec 755EはPA用と言ったほうがいい。
おそらくGE製 RCAブランドのほうをずっと多くの人が聞いていたし
シナトラ、ナット・キング・コールなどはこれがベストだと思う。
JBL LE8T、トゥルーソニック 80FR、エレボイ SP8Bはハイファイ組
JBL 208D、Jensen P8R、Altec 400Bはローファイ組になる。
もうひとつ米国製で悩ましいのが、そもそも20cmが標準だったか?という問題で
弾数からいうと30cmのほうが多いという現実がある。
では、20cmと30cmとで低音に違いがあるかというと、ほとんどない。
それなのに、口径が大きい分だけでも箱を大きく構えなければならない。
なので日本では人気がないだけなのだ。
では何が違うかとういうと、中低域のふくよかさ、歯切れのよさ、などで差が出てくる。
実にアメリカンなグラマラスなプロポーションは、この口径から出てくる。 >>364
100Hzと7kHz以降をそれぞれ下げて、1kHz〜3kHz付近はそのままで、って設定でイコライザーを調整すると、
1950年代の録音に限れば、中音域がキンキンと煩くならないバランスになった
(キャピトルのような海外録音でも、日本の録音でもそう変わらない気がする)
最近のスピーカーだと、エッジの共振はあまり話題にならないね
ttp://www.roktal.com/unit/20pw09.html
8P-W1(EAS-20PW09)についてのインプレッション
ゲンコツ(イコライザ)があるとないとでは、高域がだいぶ違う模様 古レンジの美質をもとに、1960年代以前の歌謡曲の録音について考えてみると
フラットという電気的な優秀性よりも、各帯域のプロポーションが大事だと思う。
200Hz以下の低音、200〜2500Hzの中域、2500〜8000Hzの中高域
それぞれのキャラクターを繋ぎ合わせることでバランスを取っている。
フラットなのが良いのは、F1レースのような、音質を競う録音に対してであり
そういう録音は歌謡曲には少ないと考えていいと思う。
むしろ、絶対に外していないのが、200〜2500Hzの中域の品質で
この領域の反応が重いオーディオ装置は、声が死んでしまう。
古レンジはこの領域に関しては、本当に考えて造られている。 >>368
ゲンコツのは、ボイスコイル周辺の共振や干渉を避ける目的で
実際にはサブコーンにも似たような役割があります。
ボイスコイルの共振はセンターキャップで抑えたり
逆に金属ドームで増やしたりと、各メーカーそれぞれ工夫していて
その辺が個性として出ています。
古いエクステンデッドレンジは、この領域を持ち上げることで
指向性が振れてもデイップに負けないようにできています。
PA用といわれる理由がそこにあります。
今のウーハーのほとんどは、この共振を抑える傾向があるので
暴れが少ない一方で、声に伸びやかさが不足しやすい感じがします。 >>367の続きなんだけど
自分が30cmのフィックスドエッジが良いと思ってるのは
200Hz付近の中低域のキレ味と
1kHz付近の倍音の吹き抜け感とのバランスが良いことで
結局のところモゴモゴしやすい古い録音を良く再生するから。
逆に20cm以下のほうが、500〜2000Hzを暴れを抑えられるので
女性ボーカルをクリーンに再生したいのに向いている。
これに、ある種の力強さやアクの強さを加えたのが30cmだ。
きれいごとですませない、情念のようなものや
かわいらしい声にも、芯の強さがあるという、二面性が出てくる。
昔の日本人の歌が、能面のようで表情が乏しい、と思う人は
この辺を見直すと全然違ってくると思う。 今日はTVで懐かしの歌謡曲をやっていたけど、容色の衰えは致し方ないけど
声も衰えているのは切ないねえ
チェリッシュの悦ちゃんなんて、昔は声がツヤッツヤで実に良かったんだけど
旦那の方が衰えていない気ガスw
これもメリケンのフルレンジで聴くと、ええ塩梅で聴けるのかのう? 10代デビューのアイドルは25で別人になっていたからなあ 50代に入ってからの声の維持は大変だよ。
>>363
6.5inというサイズは昔から内外問わずいいユニットが多いけど、上下を追加しなくても完結しちゃうから商売として見たらつまらんと思う。
TwとWoで色々遊べるだろーがよとは思うけど。 昨日は、「蘇える!キングSP原盤再録名曲集」というのを購入した。
岡晴夫あたりから春日八郎、三橋美智也のデビューあたりまでを
金属マスターの復刻で5枚組50曲で綴るというもの。
洋楽カバー、演歌と万遍無く収録しているのと
同じSP盤でも録音技法の遍歴が判って面白い。
漫画でいえば紙芝居から貸本に変わるくらいの違いかな。
1枚10曲というのも、CDだともったいない感じもするが
意外に飽きずに聴けるということも発見した。 こういうのもあったんだな。FE103を600〜5000Hz。
ttps://lh6.googleusercontent.com/-NcZ8GFLlTwc/VRpRV4S8hoI/AAAAAAAALQE/Qw0NvoQE8Y0/s800/FOSTER%2520FCS300.jpg
切っ掛けは長岡鉄男の自作記事だったらしい。
もしかすると、JBLがパクったとか。。。
あとパイオニアも。
ttp://www.audio-heritage.jp/PIONEER-EXCLUSIVE/speaker/cs-100.html
ttps://www.youtube.com/watch?v=uxw710B6Koc
こういう仕様も復活させてもいいかな。 ネットで聴いて素人がバカにしてふざけたエフェクトをかけたのかと思ったら
同じ状態で売っていたのには驚いた
ハンバーグにカスタードクリームをかけて生姜を載せた様な味付けはどうにかならんのか >>377
敏感なツイーターで聴いちゃダメよ〜ん。
それこそメリケンのパンパンに張ったコーン紙の古レンジで聴かなきゃね。 >>372
昔、松崎君は喧嘩っ早かったってホント? そういやフルレンジにウーハーとツイーターを追加する、というスピーカーもあったな
エルグストン・ワークスとかアバンギャルドとか >>376
ドームとホーンをパラって鳴らすのは変態でしょう。 もっと変態。
ttp://www.audio-heritage.jp/WESTLAKEAUDIO/speaker/tm-2.html フルレンジ+ウーハーならBOSE363
BOSEは音楽を気楽に聞くのに最適な選択肢だよ
101とか一時期流行ったから中古で安く出回ってるし
http://audio-heritage.jp/BOSE/speaker/363westborough.html 今日は千葉県松戸市の博物館に行ってきた。
メインは3階建て公団団地のモックアップで
2DKの内装も含めて昭和30年代を復元したもの。
中身の解説としては以下にまとまってる。
ttp://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309727097/
すぐ近くに現物の常盤台団地があるわけなんだけど
当時は新婚家庭が生活をスタートするのに最適とされた。
最近の流行りはリノベーションで
副都心でも一等地にあって、その資産価値を保ちたいとの試み。
例えば、無印良品などが手掛けると、あっという間に応募が埋まる。
少し考えたのは、自分の最終目標が、歌謡曲を取り巻く文化の再現なのか
一種のリノベーションのようなものなのか、どうも整理がついてないと。
少なくとも、昭和30年代の録音が貧しく前近代的という感覚からは脱却できているが
その先にあるものを思案する時期にきている。 >>380
エグルストンワークスなw
最初のアンドラでブランドネームが出来た瞬間に会社売り飛ばすんだもんなwww
モレルの16cmをバーチカルツインでスラントマウント、後面開放で据えて、ディナウディオ製のエソターとWo。Woは30cmのタンデムツイン、ネットワークはTwがコンデンサ一発、Woはコイル一発。鳴らない箱の功績が大なスピーカーという印象。 1950年代のアメリカはジャポニズムが流行してたのか?
(Altec Lansing 1959年カタログより)
ttp://www.hifilit.com/Altec/1959-m.jpg
ttp://www.hifilit.com/Altec/1959-c.jpg
しかし、なぜヤカン?
中途半端な和洋折衷は、視覚化すると変だとわかるが
音の世界では抽象的で分かりづらい。 流行歌の和洋折衷というと、ジャズと演歌のように思われるが
オリエタリズムというか、汎アジア的な雰囲気もある。
イサムノグチと山口淑子が短い結婚生活を送っていたような感じだが
両者はジャポニズムという陳腐な単語では到底表現できない。
さりとて日本的という視点からは異質な感じもする。
イサムノグチは柳宗理ではないし、山口淑子は原節子ではない。
欧米から見れば、どっちも東洋的なんだけども。 こんなどうでもいいようなことを考えているのは
流行歌をメリケンの古レンジで聴くと、なぜ古風なクルーン唱法が
藤山一郎や淡谷のり子のように、クラシックの声楽をマスターした人から
生まれてきたのか、理由がハッキリするのだ。
間の取り方を含めた息の流れが、口先ではない、芯というか深さがある。
これが、日本風のフラットな特性のスピーカーだと、能面のように聞こえる。
少しリアクションの多い、バタ臭い表現のほうが、見得を切った感じが出る。
これが、低音の迫力、高音の伸びというような、ベタなスペックではなく
浸透力のある中域という、差が見えにくい性能によるのだから表現に困る。 見得を切る、バタ臭いというと、荒っぽいドタバタと感じるかもしれないが
話は逆で、レガートの中にある抑揚の波や、緊張の弛緩が明瞭になる。
むしろ、低音や高音で覆い被せて、誤魔化したオーディオのほうが多く
表面的には、迫力があり、輝かしいのだが、肝心の歌が奥に引っ込む。 ここで出てくる1950年代-60年代のマスター音源について
・SP盤からの復刻のCD化
・CD初期ならPCMプロセッサーやDAT、近年ならハイサンプリングのAD変換で、マスターテープをデジタル化したもの
だいたいはこの2つに分かれると思うけど、管理はどうなってるんだろう
80年代のデジタル化の初期に作られたマスター音源のように、使い物にならないって話は
あまり聞かないから、それらよりは良い状態で保存されてるとは思うけれど むつかしいコトはようわーらんが、アメリカのユーザー様は唄には小うるさいらしい
なのでメーカーは神経質なくらいボーカルの再生にはこだわって、スピーカーを作るそうな
しかしメリケンメーカーが、オペラやシナトラ、エラやカーメン、ドリス・デイで試聴しても
歌謡曲を試聴して音決めはしてないだろう
なのに国産スピーカーより歌謡曲が塩梅良く鳴るのは何故だろう? 何故かしら? >>391
80年代のバックコートが施してあるテープの方がべたつきなどがあって劣化が激しいらしい
だから熱処理をしてから再生しないと磁気面が剥がれてしまうそう >>391
原盤管理という点ではとても気になっていることで
1960年代までは全ての利権がレコード会社専属だったけど
1970年代から少しずつ崩れていって、原盤管理のみの事務所や
歌手自身もレコード会社を移籍したりと、利権の所在が分散していて
いつまでもリマスターされない音源は、マスターテープの所在が本当に疑問に思う。
ベスト盤が乱発される演歌歌手のほうがずっと危険な状態にある感じがしてる。 >>392
国産オーディオって元々壊滅的じゃないですか。
アメリカさんなんかWEとそこ出身者の設計した製品で百科事典ができるくらいだし、BOSEも然り。
国産に見るべき製品は稀くらいに思っててちょうどいいでしょ。 >>395
難しいのは、三菱 P610A、2S-305のようなスピーカーに対し
それ以前のオーディオ機器があまりにもチープなこと。
これに加えて、ダイヤトーンのスピーカーが
旧規格のSP盤(復刻を含む)をあまり上手に再生しないし
それが正しい評価だと考えるようになった。
アンプに関してはほとんどが自作なのでメーカー製はないし
カートリッジも消費物なのでほとんど残っていない。
残ったのは録音だけ。 >>394
8トラのテープからリマスター出来るかも 8トラやカセットのみを販売した会社も多いからな。
そういう所は倒産した会社が多いし廃棄されてる音源も少なくない。 >>394
>1960年代までは全ての利権がレコード会社専属だった
この年代までの人たちが、ステレオ再録音の全曲集とか、よくある昭和歌謡のコンピCDで乱発されてるかと思えば、
SP盤からの盤起こしや、最新リマスターのテープから良質なCDが作られたりするのは、レコード会社専属ってのが大きいのかな
時代が新しくなるほど、原盤の問題がやっかいなことになってる場合も多いはず 80年代の音源でもCDがコンスタントに再販されてないと探すのにとんでもなく苦労する。 どうも歌謡曲というと、国産オーディオに話題が隔たりやすいのだが
NHK技研が昭和30年代に先進的にオーディオ技術を牽引してきた
という一面が大きいように思う。
イギリスのBBCの場合は、一般の人が所有できる機器が販売されたのが
1970年代中頃からで、ステレオ放送が本格化してからのことである。
アメリカの場合は、RCAが1930年代にオルソン式の20cmモニターを製作したが
ダブル・ボイスコイルとラビリンス型エンクロージャーの特別な仕様で
一般にはほとんど出回らなかった。
あえて同じと言えるのはドイツの状況で、大手がOEM生産で結ばれ
1960年代まで船団方式で品質を保っていた。
歌謡曲を考えるときに、オーディオ技術のダウンサイズが
大きくのしかかっているように思う。 ただ問題はあって、1970年代にFMステレオ放送がはじまった時点で
NHKでは新しいオーディオ機器への更新を行わなかった。
むしろNHKホールの建て替え、テレビカラー放送(全放送は1971年)に
興味が集中していたといえる。
オーディオ機器にとって1970年代の状況は
百花繚乱と戦国時代の二面性を呈したことになる。 NHKの放送技術のもうひとつの山場は衛星放送で
1969年から開発を本格化させ、1978年にようやく試験衛星が完成した。
ttp://www.hummingheads.co.jp/reports/series/ser04/140626.html
放送技術の宇宙開発の提言が1965年というから、なんとも時間のかかる話である。
それでも新幹線同様に支えられた経済成長があった。 >>402
>NHKホールの建て替え
内幸町の旧NHKホールについても情報があったよ
ttp://www.nagata.co.jp/news/news9509.htm
今のNHKホールを作る時に、小ホールとして残しておけなかったものかな
美空ひばりが「真赤な太陽」を歌った『歌のグランド・ショー』(1968年1月7日)の映像があるだけで
あとはNHK交響楽団の演奏しか、このホールでの録音は残ってないみたいだね
紅白歌合戦はNHKホールが小さくて、東京宝塚劇場を使ってた時代 単純にモニタースピーカーという比較から言うと
アルテック、タンノイなどの同軸型は開発が1940年代まで遡り
保守性の意味からはNHKの比ではない。
一方で、ポップスに限定すれば、アルテック、タンノイ一辺倒では済まない
パラレルワールドが存在して、黒人ブルースのエスニックな嗜好が
大きく浸食していて、オーディオ的には蔑まれる存在だ。
1970年代のBBCが凄いのは、ステレオ・イメージのダウンサイズを
1975年頃になって改めて体系付けたことで
BBCモニターの系列で説明がつくことである。
最終的にはヤマハのテンモニで、ステレオ・ミックスの技量は一気に変わった。
ステレオ・イメージが奥行き方向にも展開する方向に向かったのである。
一方で、歌手をクローズアップするミックスバランスは古臭くなり
テレビのキャンペーンと連動したものに限定されるようになったと思う。 奥行き感のない2次元ステレオ
テレビ放送と連動した歌手中心のミックスバランス
これらが歌謡曲の再生を究める障壁になってると思う。
1980年代からのスピーカーでは切り貼り、前後がアベコベに聞こえる。
ただし、この手法にもルーツがあり
歌謡映画、ラジオ、ドーナッツ盤が横並びになっていた時代の成功体験が
その後の芸能界全体を覆いつくしていると思う。
つまり、そこに鍵があるような気がしてならない。
例えば、1950年代の広告デザインをみると、印刷技術の限界から
単色系の色使いが中心である一方で、デザインとしては洗練されている。
同じことは100〜8,000HzというAMラジオ、トーキー、SP盤の規格から
できることの限界とすごく関連があるように思う。 美しさの基準というのは難しくて
今どきのグラドルと昭和の映画スターの写真集を比べて
それぞれに求めているものの違いが歴然としている。
同じように歌手の内面性にアプローチする気もないのに
歌謡曲もへったくれもない感じもする。 モノラル&モノクロに想い入れがあって、液晶テレビを白黒にしてみた。
調整は簡単。色調を最低にして、シャープネスも落とす。
これでとぼけた味のあるモノクローム画質の出来上がり。
改めてモノクロ映画のDVDを掻き出して見直してみると
これが案外面白い。
幕末太陽傳 1957年
二十四時間の情事 1959年
豚と軍艦 1961年
殺しの烙印 1967年
薔薇の葬列 1969年
この時代のサウンドトラックは映像に対するオマケのように思われてるが
ジェンセンの古レンジ1発の100〜8000Hzで十分にカバーできるし
セリフのダイナミックレンジが広い。 >>408
>とぼけた味のあるモノクローム画質
2インチVTRじゃなくて、キネコ(フィルム)に録画された1960年代までのテレビ番組は
どれもそんな感じの画質だよね
音楽(歌謡曲やジャズ)もそういうイメージで触れてしまうけど、録音品質はずっと高い >>409
640×480pixだけど走査線のモアレで滑らかさを出してた。
液晶テレビだとデジタル化のディザが目立つ場合もあるので
フィルムっぽい滑らかさを出すのが良いと思うし
かつてのテレビ放送よりはずっと高画質で見れると思った。
サウンドトラックの音質は、SP盤よりも悪い。
画質優先なので、こればかりはどうしようもないかな。 レコード、放送、映画と
メディアを縦断してソフトを蒐集すると
1950年代には横並びの音質だったのが
1970年代になると、てんでバラバラ。
5.1chなんてみてると、昭和の映画は全部アウト。
普段の映画ファンはどう考えてんだか
レコードマニアよりもひどい状況に感じる。 例えば「バカヤロー!」という怒号が、映画館内の音響を正確に再現すると
5〜10m離れて定位するのが正しい。
しかし、映画の意図は1mすぐそばで怒鳴っている。
実際の収録も釣り竿で集音していたりする。
この迫力は、しっかりしたモノラル機材でないと出ない。 正直黒澤映画だって字幕付じゃないと何言ってんのかわからん 今のテレビの実装だと、大型液晶でも
10xmウーハー、1Lの専用バスレフ箱とか
不思議な宣伝文句が溢れてる。
それでいて500〜1000Hzがモゴモゴして
これを回避しようと、通常の音声がカリカリの音。
重低音の沼にはまって悪循環を繰り返してる。 一方で、乗り越えるべきハードルは低くて
低音が被らないようにしてやるとか
中高域は大人しめにしてやるとか
実際にはAMラジオ並のスペックに戻っていく。
むしろAMラジオ並みのスペックの枠内で
音響をグレードアップさせる方向が難しい。 TVから音声信号引っ張り出して好きな再生装置を組めばいいだけの話。 そんな夢のないことを。
立派な3wayなんかで聴いたって
音悪いでしょ。 >>420
いや、テレビの音声信号って、意外と侮れないぞ。
テレビ放送をベースにしたヨウツベでも、中には
アッと驚く位の高音質のソースがあるからな。 監獄ロックを久々に視聴してみると
業界が抱える色んな偏見だらけで意外に面白かったな。
歌い方までそのままコピーしたレコード
ジャズ好きの鼻持ちならない会話
零落れたカントリー歌手
テレビ出演の宣伝効果
ハリウッドの浮かれたグルーピー
ロカビリーの先進性を取り巻くほんの一時の事件が
ここに凍結されているように思った。
この後は石が転がるように音楽シーンが移ろうんだな。 この逆の価値観をもつことは意外に重要で
録音の新旧を問わず通用するように感じる。
他に真似できない個性を尊重する
難しい論評で誤魔化されない
流行に左右されない価値観をもつ
マスメディアの宣伝・戦略にのらない
高級だとか売れ筋だとかで迎合しない
オーディオ選びにも自分なりのポリシーが大切かも。 歌謡曲向けのオーディオでポリシーをもつというのは
言葉では簡単だが、実践は結構難しいかもしれない。
マスメディアに踊らされ、高級機種やベストバイに憧れ、
おまけに難解なオーディオ批評に囲まれては
通常の判断に困るというのが実際だ。
マスメディアから離れて、かつての歌謡曲をじっくり味わおう。
高級機器でなくても、今売れてる機器でなくても、別にかまわない。
機器のスペックなんて、自分の耳で確かめよう。 ステレオ初期(1960年代)の音源で、スピーカーの手前に歌声が、奥に演奏が明瞭に聴こえるようにしたいとき
1950年代の音源とは逆に、200Hzと3-5kHz付近を少し、+1上げるだけで、全然違うものだね
歌声がスピーカーの手前からせり出してきて、上手い具合にリアリティが増す
ザ・ピーナッツ辺りでこの設定が決まると、なんともいえず楽しくなる
>>424
1970年代に、接続も複雑で場所も取るプリメインアンプ+チューナーのシステムコンポーネントが若年層に売れたみたいに
単なる流行りでオーディオが売れていくのは、先を考えると恐ろしい・・・
今もそれは変わってないね 1960年代後半からスピーカーの高域特性が伸びた一方で
チャンネルセパレーションを高めるため指向性が鋭敏になった。
±30度はフラットだけど、それより外は5kHz以上がロールオフするのが多い。
困ったのがボーカルなど中央定位する音で
録音側でリバーブなどで補完してないボーカルはモッサリ聞こえる。
5kHzを持ち上げると、3〜8kHzも一緒に持ち上がるので改善する。 一方のステレオ録音のほうは、1960年代末期までバイノーラルしか理論的になく
ポップスの場合は2chモノラル、ピンポン・ステレオと呼ばれる左右分解型で
サウンドステージをシミュレーションして理論付けたのが1970年代半ば。
ステレオの奥行き方向の定位は、絵画の遠近法と一緒で、訓練が必要になる。
幼児の絵が並列的なのと一緒の感覚が、スレレオ理論からみた1960年代の録音にある。
面白いのが、近代絵画のモダニズムは遠近法と写実主義の解体にあったわけで
そういう意味でポップスの切り貼りしたような構図とみると、別な理解が可能かもしれない。 ハイエンド・オーディオの場合は、遠近法、写実主義が主流なので
これの解体が基調になってもおかしくない。 歌謡曲が単純な旋律と俗な言葉で描かれているのと
モダンデザインの単純な構図とは何となく符合しているように感じる。
モダニズムには、商業・工業デザインからファインアートまで様々だが
歌謡曲のデフォルメした描写を、コンサートホールというサウンドステージから
ラジオやテレビといったパッケージに収めて構築する音響デザインと考えると
モダニズムの流れと合わせて考えられるように感じる。 ラジオやテレビというと、音響機器として矮小化されやすいし
今も続く小型化・携帯化の流れもそのなかに入るだろう。
一方で、私個人が考えている歌謡曲の再生は
歌謡曲に色濃い人間本来のパーソナリティを際立たせるため
今一度、人間の等身大スケールに戻してあげることである。
単純には、モノラル、30cmのフルレンジというのが
形状的にも音響的にも、一人の人間のスケールに等しい。 等身大のパーソナリティを基準にして試聴すると
遠近法=サウンドステージ、写実主義=原音再生といった
二次元的なパレットでの描写ではなく
一種のヒト型ロボットのような造形になる。
モノラルは、音響的に一次元のように考えやすいが
部屋との関係でいえば、1点からの3π空間が広がる。
これが音源を固有のパーソナリティとして捉えるのに有効で
歌手と聴き手の関係が客観的に緊密に保たれる。 歌手と聴き手の緊密な関係ということでは
今のパーソナル・オーディオ、イヤホンでの試聴がある。
これも私個人の意見だが、イヤホンでの試聴は
音源との間に、他者との客観性を示す空間がない。
自分の脳内で音楽が鳴り響く。
これは個人の所有物であり、他者との対話はない。 考えてみれば、レコードそのものがHMVの犬のマークと同じように
19世紀の人が夢見たロボトミー技術のひとつに数えることができる。
それを20世紀のオーディオ文化と照らし合わせてみると
「コンサートホールを家に」の合言葉で始まったステレオ再生を
ミュージシャンのパーソナリティとして捉え直すことが必要である。
パーソナリティが歌謡曲にとって、一番重要なアイテムであり
人間の居住空間にフィットした、人間と等身大のモノラル・システムが
パーソナリティの音響的実体感を再生できる。 愛知住みなんだけど急な仕事で一関行った。
でもって仕事を終わらせたら12時過ぎだったので時間調整して愛すべきクソ不味くて高いコーヒーを飲みにベイシーへ。
店を開けた直後だったけど、菅原さんが特等席でまあまあの時間、聴いていた痕跡が残っててにんまり。ヴォリュームを抑え目から平常運転に持って行く現場に出くわしてラッキー。
貸し切りで小一時間音を浴びて、次のお客さんが来たので出たけれど、20年前に初めて行った時と同様に爆睡しそうになった。
爆音の類だけれど爆睡できる音ってすごいと思う。
歌謡曲もイケるシステムだよなと思ったのはナイショww モノラル・システムを一人称のオーディオと呼ぶことにしよう。
歌謡曲も基本的には、ラブソング=一人称の愛がテーマである。
歌謡曲をモノラルで味わう。歌手と一対一で対面して聴く。 80年代のステレオサウンドに居た宮崎さんが、
"日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く)"
ってタイトルで、いくつかブログを書いてた
(まだ続きがある模様)
ここの話題とも少し繋がるんじゃないかな
ttp://audiosharing.com/blog/?cat=832 英語もわからないのにジャズを歌う歌謡歌手がたまにいるけど
そういう歌手は歌詞なんてどうでもいいんだろうな
まあ日本語の歌詞すらまともに理解してないで歌ってる歌手も少なくないが >>437
アルテック604シリーズは、1970年代にはクラウン・レコードで使われてた。
同じ時期に、アメリカでJBLがブレークし出したので
新しく導入するところは押し並べてJBLかウェストレイク。
日本ビクターの小鐵氏は、今でも4331を愛用してる。
日本コロンビアがタンノイをずっと使っていて、石川さゆりさんもご愛用だな。
あとピーナッツの録音現場にも出てきた出張録音用のAMPEXフルレンジ。
ttp://www.radiomic.org/activity/backnumber/No82/MeMic.htm
意外なのはアルテックA7だけど、日本では劇場用でも
アメリカでは録音したあとのプレイバック・モニターに使われてた。
いわゆるミキシングルームじゃなく、演奏ブースで鳴らすモニターで
実物大の生音で演奏の出来、不出来を判断するモニターだ。
ttps://www.mprnews.org/story/2016/03/07/phil-spector-wall-of-sound
新しいヤマハのNS5000について言及しているけど
試聴会場で歌謡曲を積極的に掛けてたのは
この手の試聴会では異例のことで、意気込みだけでも買える。
おそらく、今のメーカーはどこも歌謡曲は全滅だと思う。 小鐵さんのことをググったら面白い記事があった。
ttp://www.musicman-net.com/focus/60-2.html
当時のカッティング屋さんからマスタリングへの道筋が判りやすく紹介されてる。
この続きのCD化の問題点が見どころかな。
生テープ=原音というのが、当時の主流だったことが書かれてる。
この辺が、アナログvsデジタルの無益な論争と
歌謡曲再生の不味さを物語ってるように思うんだな。
アナログ時代だって手を入れないとダメだった。
機材の差じゃなくて、ノウハウ(=技)の差。 >>439
ねえねえ、70年代にJBLがブレイクってどんな歴史認識してるんですか?
中途半端なアタマでっかちは堪忍して欲しいんだが。 >>435
ベイシーのスピーカーシステムで重要なのはJBL 375で
500〜4000Hzの浸透力は、歌謡曲にもとても重要だと思う。
同じことは佐久間氏のAltec 288にも言えてるかも。
シアター用だけあって、過入力でも周波数バランス、歪みが一定というのが
本来の強みという感じ。 >>441
狭義での録音スタジオのモニターのことなんよ。
英EMIが目を付けた後は、それこそオセロゲームのような感じ。
それ以前のJBLは、ウェストレックス、アンペックスのOEM製品が
辛うじてプロ市場にあった程度。
それ以前は。。。これも偏見かな。
ttp://www.audiosharing.com/people/segawa/keifu/keifu_74_1.htm 既成の音源をオープンリールで録音する意味がさっぱりわからない ちなみにJBLはスタジオモニターばっかり持てはやされるけど
歌謡曲に合ってるのは、それ以前のLEシリーズ。
世界的に出荷台数が少ないのと、ゴムエッジの硬化が重なり
ちゃんとしたものはほとんど聴けないのが残念な感じ。 逆にアルテック604シリーズで言うと
604Eのような強力な高域のものより
604-8Gとかのほうが歌謡曲に向いてる。
というより、トランジスター時代に合ってると言うべきか。 アンプは、真空管ならダイナコ、石ならサンスイ。
いきなりマッキンに注ぎ込むより
少しプアマンズ〜と言われるくらいが丁度良い。 今どき、古い物ばかりと言われそうだけど
アルテック、ダイナコは今も製造されている。
ttp://www.greatplainsaudio.com/
ttp://www.dynakitparts.com/index.php?route=common/home ただ自宅で鳴らすとなると、小音量での使用が多くなるので
タンノイの25〜30cmクラス、JBL 4312Eくらいが鳴らしやすい。
アンプはラックスのA級アンプ、トライオードの真空管アンプあたりか。 自分の好みの曲も所有システムも棚上げで、日付ID変わって上から目線。 昨日の外国人のど自慢はおもろかった。
演歌のふるさとはペルーなのか!と思う感じ。
白黒テレビ&モノラル・ジェンセンで堪能させていただきました。 ジェンセン30cm(ギター用8,000円)でシステム構築すると
古いフィックスドエッジに特有の中域ファーストの鳴りっぷりで
テレビ音声もなんのその、一点の曇りもなくドライブしてくれる。
今のチャンデバ設定は、ジェンセンはスルー、ツイーターは5kHzカットで被せてる。
両者を3kHzクロスでやると、高域に滲みのないストレートな音になるが
中域の躍動感に対し、高域がずっとフル稼働で張りっぱなしに感じる。 古い大口径エクステンデッドレンジ・スピーカーは
帯域こそ100〜6,000Hzに少し上下を足しただけだが
ラジオ〜テレビに使われてた16cmクラスの+6dBの能率がある。
これは単純に音が大きくなるだけでなく
音の躍動感や彫りの深さも倍以上に拡大される。
強いドライブ感だけに留まらず、間の取り方、アクセントの強弱が明瞭になる。
中域ファーストの鳴りっぷりというのは
基音がポンと鳴れば共鳴する倍音がそれに続くタイミングが正確になる。
声だと、横隔膜から息を押し出すときの力感が出るので
張り上げた声もため息も、重さが一緒に感じる。 最近の広帯域ありきで設計されたスピーカーと比較したとき
こうした音の共鳴、ブレスの躍動感というのが一番違いが出るのが
古い録音に当たったときだ。
新しい録音は、ため息をリアルに抽出するのに
喉をかすれる中高域の雑音をピックアップするけど
これは高域ファーストで息遣いを感じるやり方で
耳元でささやくように、外耳の共鳴域に響きやすい領域を
特別に強調して収録する。
一方で、古い録音は地声とため息のコントラストで収録するので
特に中高域を強調しては収録していない。
タイミングとして遅れて収録されているというのが正確かもしれない。
高域を強調した録音を前提にしたシステムで聴くと
モゴモゴしたカマボコ型のバランスに聞こえる。
一般的にはラジオ声と言われてきた音だが
1955年以降の録音では、単純に帯域が狭いということはなく
スピーカーの再生能力が、高域のパルス成分が抜けると
急激にリアリティを消失するくらい、反応が鈍いことが原因である。
中域ファーストの構成だと、音に不自然さはない。 現在も製造しているスピーカーメーカーで
タンノイやJBLを薦めるのは、SP時代からハイファイに移る時期の
中域のみでもリアリティを保てる伝統をもっているから。
ラックスマンのアンプも、真空管からトランジスターの移行期を投影して
オーディオに必要な倍音の心地よさを追求してる。
重低音&超高域、DCアンプありきでスタートしたメーカーは
プラスアルファの部分だけに注意がいくように設計して
中域の反応が鈍いものが多い。 >>456
そういえば、国際フォーラムの音展(オーディオフェア)で鳴ってたB&Wは
古い録音向きって感じではなかったな・・・
システム全体が超ハイエンドなのに、接続が逆相になってて、それを治す一幕まであったw >>458
B&Wも20年前に比べると少しづつキャラクターを変えてきてて
1990年代はともかく20kHzで共振が強くて、その領域のマスキングが支配的で
ピンと張った空気感のサウンドステージが部屋を支配する感じだったけど
最近は6kHz辺りにピントを移した古典的なバランスになっている。(Fig.4参照)
ttp://www.stereophile.com/content/bowers-wilkins-802-d3-diamond-loudspeaker-measurements
この傾向がホームシアター向けの600シリーズのほうが顕著なのは
よくユーザーの状況を分かっているという感じもする。(Fig.5参照)
ttp://www.stereophile.com/content/bowers-wilkins-683-s2-loudspeaker-measurements
ただし両者共に共通なのが1〜3kHzのディップで
この帯域でのチャンネルセパレーションを狙っていることが判るが
アジア系言語の喉音のニュアンスは沈みがちになると思う。 古典的なバランスと言ったのは、それが外耳の共振峰を意識したバランスであり
おそらくヘッドホンでの試聴を日常としている人へ歩み寄った結果と思う。
それも見掛けはフラットだが、エネルギーバランスとして隠し味になってるのが実に巧妙。 B&Wのように錨型(肩パッド入り)の指向性パターンに対し
なで肩の指向性パターンも最近の流行りで
KEF、TADなど同軸型フルレンジ+サブウーハーのタイプは
癖のなさという点では良識的にできている。
ttp://www.stereophile.com/content/kef-r700-loudspeaker-measurements
ttp://www.stereophile.com/content/tad-evolution-one-loudspeaker-measurements
従来はクラシック向けと言われていた特性だが
1970年代後半から1980年代前半のアナログ最盛期の録音で
低域の被りを抑えるとポップスでもいけそうな感じである。
ただし、2.5〜4kHz以上のツイーターは今風に鋭敏なので
そこに癖のある古い録音は、違和感もそのまま出すだろう。
これはそのまま、歌謡曲は録音がよくない、という意見につながっている。 昭和の歌謡曲の録音で、4kHz以上のツイーターの領域で癖があるというのは
AMラジオ、テレビ等の低価格な音響機器でのプロモーションが必須だったからで
ローエンドの100Hz付近とハイエンドの6〜8kHzの付近に
ドンシャリでエコーの強い化粧が掛かっていることが多い。
この時代掛かった厚化粧が気になって、肝心の表情や仕草に耳がいかない。
じゃあ、録音の厚化粧は、歌の表情を隠すためにやったのかというと
話は全く逆で、昭和の歌謡曲ほど歌だけで表情を磨き込んだ時代も少ない。
この繊細な内実性のほうを引き出して、味わうことがオーディオ装置の目的になる。
これの対策が、100〜6.000Hzだけでサウンドグレードを維持できること。
100Hz以下はロールオフ、6kHz以上は位相をグチャグチャにすること。
低音はQの高い古い設計のユニットに合わせてあって
6kHz以上は分割振動、真空管、トランスの高次歪みが伴っていた。
ピュア・オーディオの技術の方向性とは大分違うけど
録音ソースの魅力を引き出すという目的をしっかりもつべきだ。 >>462
ここって歌謡曲を聴くための機器のスレじゃないのよね。
歌謡曲について語る気ないなら…つか歌謡曲が理解できないのなら、人様に読んでいただくレベルにない書き込み持って自分のブログに帰りなよ。 >>463 >>464
ここはピュアAU板ですが、何か? SP盤時代の録音から、最近の物まで、人の声、木管楽器やギターを中心に楽しく聴ける
(もちろんここで挙がってる歌謡曲も含めて)
その前提で16cm-20cmまでのフルレンジユニットを探そうと思ってる
定格入力が大きい物を選ぶ以外は、特に気をつける部分はなさそうかな >>467
フルレンジも昔のように初心者なら誰でも買ったというものではなく
むしろ嗜好の強いものになったように思うのです。
SP盤時代のエクステンデッドレンジは、現役はJensen P6V、P8Rくらいしかありません。
ttps://www.jensentone.com/vintage_alnico/p8r
特性は中高域がきつく見えますが、45度くらい斜めから聴くとフラットになり
これにツイーターを足せばハイファイ仕様になります。
1本でハイファイ仕様であれば、フォステクス FF165WK、SICA Z004950
TangBand W6-2144あたりがバスレフ向け
あとはバックロードホーン用の強力なやつでしょうか。 ちなみにJensen P8Rは、今はギター用アンプとして使われていますが
1948年にラジオ、電蓄など汎用に開発されたものです。
ttp://www.alliedcatalogs.com/html/1948-115/hr101.html
1960年代前後まではジュークボックスにも使われていました。
ttp://www.jukebox-world.de/Forum/Archiv/Rock-Ola/R.O.Wandboxen.htm
ttps://www.youtube.com/watch?v=nUtCjAxGFVc このJensenが単体で1955年頃まで、ツイーター追加で1975年頃までカバーします。
フォステクス、SICA、Tangbandは、単体で1960〜80年頃までをカバーします。
これにスーパーツイーターを被せるとかなり汎用性が増すでしょう。
どのメーカーも16cm、20cmを出しているので
口径をどちらかに絞って、色んなユニットを入れ替えてみると面白いかもしれません。 Jensenのような古レンジをなぜ1975年頃で区切るかというと
この頃の録音からサウンドステージを意識した空間表現が加わるのだが
Jensenの頃の設計は分割振動を積極的に出す方向にあるので
高域が濁ってしまって奥行き感のない平面的な音場になる。
特にシンセの宇宙空間のような音場には全く付いていけません。
逆にそういう無駄を削ぎ落して、中域の演奏行為に集中したいならば
古レンジでも21世紀の録音はOKです。
ちなみに音場表現でいえば
Tangband>フォステクス>SICAの順ですが
中域の厚み、ボーカルが前に出るという点では
SICA>フォステクス>Tangbandです。
音場表現だけを意識すればMarkAudioがあり
1975年以降にオールマイティに使えますが
それ以前は、切り貼りしたようなミックスに閉口するでしょう。
古い録音はちょっと濁ってたほうが融通が利くんです。 >>468-471
ダリのZENSORシリーズ、ヤマハのNS-B330とか、売れ筋の小型2ウェイを普通に買うよりは、
ユニットと箱を分けて買う方が勉強になるし、当月にユニット、1か月後に箱用のMDF・・・
といった感じで買えば、財布にも優しいかなと思ったもので
(>>154-155の時代の愛好家と同じような魂胆だけど、今でも通用するはず)
FM放送の帯域が臨場感を持って聴ければ充分だけど、スーパーツィーターも検討してみるかな 個人的には歌謡曲をはじめポップス全般は
原音再生=写実主義ではなく
デフォルメを前提にしたモダンアートであるべきと思っている。
アメリカン・ポップアートの流儀に従えば
金髪と唇を強調したマリリン、アメコミを点描まで拡大した油絵
部分写真をキュビズム風にコラージュした作品
デスマスクを使った等身大の石膏像
どれも人間がリアルに感じることの限界を示していて
見る人の感性そのものを問いかけている。
ポップス音楽に関して、再生に関するバロメータが原音再生しかないなら
聴く人の感性に迫る彼岸に辿り着くにはほど遠い感じがする。 >>472
スピーカーの原理とオーディオの関係を勉強するなら
最終ゴールを三菱 P-610、JBL LE8Tの
どちらにするかで口径を決めてスタートすれば良いかと。
どちらも名機であり、長らく基準にされてきたもので
今の基準からすれば渋い音ですが、20世紀を代表するユニットです。
スーパーツイーターの追加はステレオ空間の表現に効くのと
可聴域をマスキングして癖を整える効果もあります。
マスキングすると、可聴域のダイナミックレンジも平坦に感じるので
FM放送の帯域だけで聴き込むのであれば邪魔で
むしろ耳の訓練のためにもフルレンジの帯域に絞ることが有効です。
あとは録音年代ごとのステレオ音場の癖とどう立ち向かうか。
これによって高域の過不足が決まってくるんです。
困ったことに、歌謡曲のレベルになると、ステレオ音場そのものがいい加減で
正確であることの意味がよく分からなくなります。
私はとうに諦めてモノラル再生にして、演奏行為のみに特化して視聴してます。
でもその前までは試行錯誤していて、それが経験として生きてきます。 あと、フルレンジにはビギナー向けの安物というイメージがありますが
造り手のサウンドポリシーがダイレクトに出る傾向もあって
それが茶道の茶碗のようで、結構面白い世界でもあります。
例えば、MarkAudioの設計者がBBC音域に特化した
10cmパルプコーンを製品化しましたが、これがラジオ向けという意味。
MarkAudio自身は超Hi-Fiのフルレンジの設計方針があっての提言です。
Jensen P6VもAMラジオ向けとして最高に相性の良いユニットだし
三菱P610AもFMに向かうラジオ・テレビの音声チェック用に開発されています。
実はこうしたサウンドポリシーと向き合いながら
自分のオーディオ的嗜好を磨くのが結構勉強になるんです。 >>474
P-610、ヤフオクだと2980円からあるね、しかも新品デッドストック品
思った以上に安くて驚いたよ(LE8Tは39000円もする!)
P-610の方が、程度がいい割に安く手に入る個体が多そうだから、
コイズミ無線のDS-200FU、GRS 8FR-8辺りの20pフルレンジと合わせて
候補に入れることにした >>476
方針が、良質なフルレンジなのか、できるだけ安価なのか
それなりに絞らないと、結果が出せないまま飽きると思うよ。 >>478
方針は良質なフルレンジで、今使ってるスピーカーの好みから、既に出したい音がイメージできてる
焦らないで探そうと思う
ttp://bluegourd.jugem.jp/?eid=167
今手元にあるスピーカーは、このレビュー通りの「聴きやすくて素っ気ない音」
良質なフルレンジを使って、1段上を狙ってる >>479
LS-K711から20cmフルレンジにしても、単純には低域も高域も伸びない。
違いはクロスオーバー付近の吹き抜けで、1〜2kHzの表情が変わる。
もうひとつは、無伴奏チェロなんか聴くと判りやすいが、ボーイングの強さが違う。
こうした違いは、ウーハー領域の反応の違いに起因しています。
聴きやすさというのは、中高域の反応を抑えていることにも原因があって
フルレンジはどうしても分割振動がキャラクターとして乗ってきます。
この辺にうるさいオーディオマニアは多くて、代りに表情の大人しいのを好みます。
この方向性ならMarkAudioがイチオシで、次点がフォステクスのFFシリーズです。
ただ、SP盤の時代となると話は別で、逆に分割振動がないと
高域が凹んで聞こえて、表情が沈んでいきます。
古い設計のユニットだと、舟木一夫が表情豊かに歌うのですが
歪みを落とすと、わざと無表情に歌ってるのかと思うくらいで
これが昔の流行歌への一般的な評価です。
この辺がウーハーの受け持つ中域のパワーの違いです。 今日はサンスイのラジオ用トランスが届く予定。
ttp://www.hashimoto-trans.co.jp/frame/sansuitr.html
モノタロウで1個1000円もしないのに500円の送料。田舎暮らしも楽じゃない。
高域の伸びたST-78とカマボコ型のST-17Aを頼んだが
低域のほうは200Hzから少しづつ低下していく。
コアボリュームの関係もあって磁気飽和しやすいらしい。
そういう意味ではオーディオ用でもなんでもないのだが
個人的に興味をもったのが、昭和32年から製造し続けてる
トランジスター初期からの伝統をなんとなく感じたから。
そういえばアキバのトランス屋で
マイク用トランスを購入する若いお客さんが
「どうして低音の伸びたやつはないんですか?」
と言うのに対し、店のオヤジの答えが
「ステージの足音まで拾ってもしょうがないでしょ?」 サンスイ・トランスは、先にST-78が届いたので試聴してみた。
トランジスター・ラジオに実装するタイプなので本当に小さい。
繋げてみるまでは半信半疑だったが、百恵さんの声を聴いて一安心。
安心のメイド・イン・ジャパンです。
低域は被りがなくなってスッキリして、ボーカルが前に出る
中域のリズム感が粒立ちよくなる、などの効用があって
まずはそれだけで満足。
八代亜紀、キャンディーズなどは、しっかりハマってた。
トワエモアの芥川さんの声もアゴ髭がなくなって好青年に。
逆にドラムが本格的にビシバシ入ってる録音ソースだと
磁気飽和でこんもりしてくる感じ。
吉田美奈子「ケッペキにいさん」辺りでモタモタする。
高域は10kHz以上までしっかり伸びてるんだけど
余韻というかシュワシュワした感じが削がれて、少し線が細くなる。
その分、中域に表情が寄ってくるので、歌謡曲には合ってる。
声をしゃくるときに、大抵楽器が被って、息の途切れる瞬間までは
普段はあんまり気にならないんだけど、この辺りの表情が明瞭。
帯域はそれほど狭めず、中域を太くふんわり押し出す
昭和のライントランスでした。 サンスイ・トランスで意外にハマるのが、1980年前後の演歌。
八代亜紀、石川さゆり、テレサテン。。。
有線、レコード大賞の常連である。
この頃のアレンジで高域も低域も伸びた分、歌声が沈みがちで
なかなか味のある雰囲気が出し切れない。
紅茶だと熱湯、緑茶だと80度くらい、という湯加減が判り辛くて
アナログ盛期の録音にしては高域がチープにキラキラしてるし
かといって高域を丸めると物足りない、という試行錯誤の連続。
そこにサンスイ・トランスを投入すると、不思議に味がまとまる。
味の素のように、ボーカルの旨み成分をよく引き出してくれる。
思うに、ラジオ=放送規格という枠のなかで生き残ってきた
老舗の手際のよさを感じる。
個人的には、ロクハンと同じくらいのビンテージ品である。 サンスイ・トランスの音で何か懐かしい感じがしたのは
カセットテープの音と似通った感じがしたから。
見てみると、テープヘッドの大きさと瓜二つ。
高域の力感の薄さ、低域の割り切り、などのサウンド・バランスは
スペックで考えるより、音声チェックして決まった感じがする。 歌謡曲を再生するのに、日本のハイファイ・ステレオ機材に憧れはあるものの
ことごとく裏切り続けている。
モノラル再生、ギター用スピーカー、ラジオ用ドライバートランス
100Hz以下はいらない、高域は10kHzまで
分割振動、高次歪み、エコー装置
実際には、最初期のハイファイ技術の境界線をグルグル徘徊してるんだが
ラジオ電蓄〜ハイファイ〜ステレオの違いを出すのではなく
みんな仲良く鳴らせる機器を検討した結果だ。 20年程前に一度組んだビモノラルシステムがあって
CDPはCECベルトドライブ式のままだけど
スピーカーは JBL D130+Altec 802C・511B、N/W:JBL 3120
アンプは1980年代の英国製 EL84トリプルプッシュ
この頃は安い卓上ミキサーが少なくてベリンガー製
あとはUTC製のマイク用トランス
現状は新品で製造していて、価格も手ごろな製品で固めている。
ttp://quwa.fc2web.com/monoralsystem17.jpg >>487-488
その「最初期のハイファイ・ステレオ機材」の頃、S/N比が50db〜60db前後を確保できれば優秀とあった
(NHK放送博物館の図書室とか、国会図書館でないと読めない物が多いけど)
今のほとんどの装置なら、何も考えずに60dbを超えるS/N比と低歪みで音楽が聴けてしまうからこそ、
敢えてそういう方向にもっていくのも、また楽しいのかもなぁ >>489
高次倍音はクリップ歪みとは別物で、ハードディストーションとも違うし
音楽に寄り添って発生するので、S/N比ともほとんど関係ない。
むしろ高域に色んな楽音が混雑すると、倍音同士が邪魔して濁りはじめる。
逆に言えば、今の録音は、低歪みのオーディオ装置でも心地よく聴けるように
色んな歪み成分を混ぜ込んで、段々と音が悪くなっている。
すぐそばで演奏してるようにパルス性のパチパチしたノイズを混ぜたり
リバーブ、ハーモナイザーで音の輪郭を太くしたり。
真空管で艶ややかにしたり、トランスで粒立ちよくするのは、ほんの序の口。
そういうことを昔の録音はしなかったので、素のままで鳴らすと何か物足りない。
古いから性能が悪いというよりは、人間が聞いて心地よい音を
オーディオ装置そのものが持つことを要求している。
再生する側の責任&センスが問われているんだけど
オーディオマニアの大半は古いという理由だけでソフトに責任を被せる。
人間の感性はほとんど進化も発展もしてない。 再生系の歪みや周波数特性の問題について言えば
クラシックの方面で、1980年代から古楽器の録音が増えたが
従来のレーベル毎に違うサウンドポリシーに異を唱えて
製造方法の違う古楽器の音色に正確を期した録音を目指すために
モニターにスタックス製のコンデンサーヘッドホンを挙げるエンジニアが増えた。
つまり通常のスタジオモニターでは、古楽器の倍音を正確に出せる機種はなく
スピーカーのキャラクターによって大きく判断が変わるため
カラーレーションの最も少ないと思われるスタックス社のヘッドホンを選んだことになる。
こんなことを歌謡曲の録音に適用しようとしたとき、単なる笑い話になるのは
広範なメディアに対応するため、どのような音で鳴るかに正解はなく
再生機器と音楽の内容とは、切り離して批評することが常態化したからだと思う。 一方で、誰もがその楽曲に感じる標準的なサウンドというのがあって
それがハイエンド・オーディオで持て囃されるスペックとはズレている。
重低音が有効に効く楽曲は? 超高域の入った録音は?
答は、100Hz付近をブーストした録音が多くて
重低音が伸びていると、ボーカルに被りやすい。
超高域のパルス波でマスキングすると、中高域の癖が抑えられるが
逆にリズム感は平坦になりやすい。
つまり、再生に必要な周波数レンジは狭いのだが
生ドラムのキレ、離れたマイクで歌うボーカルの躍動感まで出し切るのに
限られたなかでのスペックは、むしろ高いレスポンスを要する。
例えば、長岡鉄男は、フルレンジと大口径ウーハーとを比べると
フルレンジのほうが低音のダイナミックレンジは大きいと言っていた。
そのココロは、低出力の信号への過敏さで
大型ウーハーは一定以上のパワーが入らないと動かない。
量感はあるが単調なリズム表現の低音が連続する。
テヌート、アクセント、スタッカートの表情など論外だ。
50〜100Hzのために、500〜1000Hzの反応を犠牲にするような
ウーハーが本当に多い。 手元にある1970年の『電波科学』に、当時の国産市販スピーカーの実測とヒアリング記事があった
ttp://audio-heritage.jp/DIATONE/diatoneds/ds-33b.html
ttp://audio-heritage.jp/CORAL/speaker/bx-1200e.html
(この2つも載ってる)
単品スピーカーというより、当時のセパレートステレオのスピーカー部分を単品にしただけのような、
野暮なデザインなのがずいぶん多かったw
こういうスピーカーで歌謡曲(ポピュラー)を聴いてた人は、それなりにいたはず
この頃の日本のスピーカーと、ジェンセンのC12R-8あたりは、特性上はそう差はないものかな? >>493
1970年代初頭が、1960年代の技術で製造していたとすると
ジェンセンのギターアンプ用スピーカーは、これより2世代前のスペックです。
開発が1947年で、ちょうどSP盤の電蓄の最後の頃になりますが
ツイーターを追加するなどで、ジュークボックス用に1960年頃まで使われました。
1950年代のポップスは、アメリカでもSP盤が優勢だったという背景もあります。
サン・レコードのエルヴィスも初盤はSP盤でしたし
不況の長引いたイギリスでは、ビートルズのSP盤も存在します。
この頃の設計は、正面特性は中高域が10dB以上持ち上がって
45度首を振るとフラットになるような設計です。一般にはPA用と言われます。
ttps://www.jensentone.com/vintage_ceramic/c12r
現状で5kHzカットでツイーターを加えた特性は以下のようになります。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-29942.png
ところが、パルス波を入力すると、強い分割振動で正面特性に近い反応をします。
ただし、きちんと整数倍に揃った倍音なので、クリーンな感じです。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-30223.png
この辺が、伸びている音はシルキーで、アタック音がビビッドという
相反した組合せが成り立ちます。
1970年代初頭のスピーカーは、伸ばす音もアタック音もソフト。
低音がドーンと広がるピラミッドバランスです。
今のバランスとは真逆かもしれません。 1970年代初頭の国産スピーカーは
モダンジャズは既に終焉、ハードロックはまだ上陸してない
じゃ、何が似合うかというと、GSとムード音楽です。
よくビートルズ後期アルバムに言及する人もいますが
ラバー・ソウル辺りから女性ファンが一気に減ったと言われます。
熱狂の行方はGSバンドに向けられました。
GSの本当の実力は、ソフト指向ではないのですが
歌謡曲もよく歌っていたのと符合しています。
あとはフレンチ・ポップスも合うかもしれません。
ムード音楽は、ポール・モーリアがデビューして
ヘンリー・マンシーニがステレオ再録してた頃で
それを追うようにムード歌謡、演歌が続いていきます。
奥村チヨ、渚ゆう子、青江美奈など、選り取り見取りです。
国産のステレオ・レシーバーは、国外への輸出も盛んで
物品税の掛からない米軍キャンプでは、本当に飛ぶように売れたようです。
案外、この時代の甘茶ソウルというのも、ムード歌謡とリンクしてそうです。 >>494
世界史とJencenの歴史と電気楽器発達史くらい調べてから書こうよ。
肝心要の視点が欠落してるから即あぼんされるんだよ。 ジェンセンは全米のほとんどの電化製品にOEMしてたから
ちゃんと的を絞らないと、トンデモない期待をもたせることになる。
特にWE信者の話を聞いて、同じブランドと思ったら大間違い。
結構、間違った情報を鵜呑みにしてる輩が多いのは、ただただ迷惑なだけ。
今回のP12Rは、普通に電蓄、PAなどに用いられたもので
上位機種のP12Nのコスパ重視にしたもの。
このP12Nが、A12、PM12、と続くコンサートシリーズの直系で
よく言われるフェンダー ツインリバーブはP12Nを使ってた。
P12Rのほうは、シルバートーンという格安のギターアンプ。
あとオーディオ用にP12NLというのがあって、これはウーハー用にカスタマイズしてる。
ところが、大音量で長時間使うジュークボックスには、コストの問題が大きく
P12NじゃなくてP12Rが使われた。
もう少し上品なマグナボックス名義の15インチもあったけど
ジュークボックスの代名詞になるロック・オーラはP12Rが標準だった。
その他にP12Rは、8mm映写機やアセテート盤レコーダーの簡易モニターに使われたり
ともかくアマチュア用途には、一番人気のあったユニットだ。 スレの内容に戻ると、1950年代の国産オーディオはハイファイ創生期で
三菱ロクハン、松下ゲンコツなどの高性能ユニットが生産されるなか
旧規格のラジオ用フルレンジもパーツ屋で売られていた。
ttp://quwa.fc2web.com/009.jpg
高性能な6P-W1をJIS箱に入れた特性
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-28674.png
低価格の6P-71をラジオ箱に入れた特性
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-28275.png
残念なことに、ほとんどの人が当時の記憶として思い浮かべるのが
後者の音ということになる。少しはイメージアップを図るべきだが
かと言って、いきなり最新鋭のハイエンドを充てては、うまくいかない。
当時の音響機器を考えると、ジュークボックスというのは
ラジオ以上ステレオ未満というグレードをキープできる逸材になる。
一番の魅力は、ユニット代8,000円というコスパの高さ。 あとジェンセンのような古レンジは、モノラルは音が前面に出て良いが
ステレオで使うとベッタリ壁に貼り付いたような音像になるので、相性が判れる。
ただ、歌謡曲の場合は、録音側でサウンドステージが整備されるのが1980年前後で
それ以前の録音だと、ボーカルが奥のスクリーンに広がって、ドラムが右前面に出るとか
今のステレオ定位感の法則から考えると、ともかく変な音像になりやすい。
JBL 4312のように古レンジをベースにまとめてみるのも、それほど悪くないように思う。 タンノイのイートンが復活するらしい。
1970年代のポップスの再生にはとても適した機種で
JBL 4312E、BBC LS5/9に続いて
歌謡曲の再生に向いてるスピーカーがまた増えたことを
素直に喜ぼう。
問題は価格かな。。。1本15万円でJBL 4312Eの好敵手
25万円を超えるとLS5/9に負けそう。 菅野沖彦氏が、プアマンズ〜という名称を好んでいて
プアマンズ・マッキン、プアマンズ・ポルシェ、プアマンズ・ライカと
いわくコスパの高い銘品について、その分野の最高ブランド名を冠したわけだが
前置きのプアマンズ=貧乏人の、という言葉が引っ掛かって結局流行らなかった。
歌謡曲の場合、このプアマンズを冠する機器は、相性がいいように感じる。
何かが抜けているというのが、一種のゆとりを生み出すような気がするのだ。
何が何でも最高という緊張感ではなく、みんなと一緒という分かち合いの精神である。
一方で、共に分かち合った時間が、流行とともに過ぎ去ると
情熱を保持するのに相当なエネルギーを必要とする。
歌謡曲はマスメディアへの露出とともに
家電レベルの機器で貧富の差なく、横並びに聴いていrたが
今こそ財力を出動して、最高の体験をしてみたい欲望にかられる。
オーディオ機器の評価もまた、情熱と欲望でごちゃ混ぜになってしまうのだ。
プアマンズ=清貧という言葉にしたほうが、すんなりいくかもしれない。 私の場合の清貧オーディオは、1段以上の2段落ちで
アンプなら、マッキン→ラックスマン→デノン
スピーカーは、WEレプリカ→JBL→ジェンセン
ミキサーは、EMIカスタム→UREI→ヤマハ
ライントランスは、WE→UTC→サンスイ
という具合。
ただCDプレイヤーだけは、スチューダー→CECの1段落ちと自負してる。
CECのベルトドライブ式のなかでも、一番安い機種に属するので
にわかに2段落ちなのだが。
こうなるとリアル・プアマンズ、下剋上オーディオである。 >>502
スピーカーの序列がバカっぽい。
やっぱ歴史認識皆無だよね。 全然関係ないんだけど、ツインリバーブとシルバートーンの1484を一緒に鳴らしてるんだ。アメリカだ。
https://www.youtube.com/watch?v=6fuuDg1HOoE サンスイ・トランスのローファイ型ST-17Aが届いた。
ST-71に比べて、音色が甘いのなんの。。。スゴイ好み。
喩えが悪いけど、Altecの802を288に変えた感じ。
中域のジュワ〜とした旨みが、どこまでも溢れ出る。
高域がどうのなんてどうでもエエわ。 サンスイ・トランス ST-17Aは、トランジスターラジオ、テープレコーダーなどの
終段プッシュプルの手前で位相反転・分割するためのトランス。
ttp://www.geocities.jp/jnkei/victor_tr-403_ckt.jpg
特性は以下のようなもので、AMラジオ用であったと思われる。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-4328.png
低域は500Hzから、高域は4kHzから、それぞれ低下しはじめる。
トランスの特性だけみると、さぞかしカマボコ型になってるだろうと思ったが
システム全体で測ってみると、中域が持ち上がってる以外は、それほど減衰はない。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-6695.png
パルス波を測ると、ロールオフした高域は、高次歪みに変わってるらしい。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-6816.png
高域の直接音は減衰するのに、代りに中域からの倍音で埋めてしまう算段だ。
これをライントランスに使って聴く1950年代の録音は
本当に甘酸っぱいセピア色の世界。
輪郭は甘くボケているのに、瞳が潤んでキラッと光るような感じ。 キャラメル一粒大のトランスから溢れる甘美な音。
昭和のラジオの心臓部がサンスイ ST-17Aに詰まっている。 昭和のラジオなんて書くと、木製の並四ラジオを思い浮かべる人が多いと思うけど
1970年代のラジカセの音に思い入れのある人には是非試してほしい。
キャンディーズがカエル声に聞こえずに、ちゃんと艶めかしい声になります。
NAVレコードの岡田奈々は、まるで恋文をそのまま読んでるよう。
当り前のあるべき姿がそのまま出てくる。
サウンドの構図を絞るのに、トランスがもつ役割はほんとに大きいと思った。 どうも自分のなかでは、歌謡曲にはサウンドステージが不用という思いがあるらしく
今回のラジオ用トランスというのも、よりボーカル再生の本質にアプローチできたことを
素直に喜んでいる。もちろん、モノラル、古レンジ+ツイーターという方法も
すべてはボーカル再生のためである。
今となれば、ステレオ空間にポッカリ浮かぶ仮想定位など、ゾッとするばかり。
ヘッドホンで頭内定位するのは、憑依されたようで、もっと気持ち悪い。
モノラルで歌い手の確かな存在を感じられれば、それだけでいい。 ttp://stylus-groove.com/
ここの店に手持ちのCDを持っていって、EARのプリアンプ+パワーアンプに繋がれたハーベスのスピーカーで
江利チエミの「スターダスト」(1956年のライブ録音)を聴いたら、雰囲気が上手く出てたよ
どの時代の録音でも、雰囲気が上手く出るように調整するには、だいぶ参考になった場所だった 後に置いてあるタンノイ SRM12Bで聴くと、もっと感動したと思うよ。 >>511
アンプ類のパネルの映り込みが凄いね。
鏡面になってるのかな? EARはオーディオメーカーとしては、ロックにガチでタイアップしてる数少ないメーカー。
同じ傾向の真空管アンプのメーカーは、MANLEY、A&Mくらいかな。 どれも高価なので、そこまで入れ込むには、それ相応の理由がいる。
女にダマされるよりマシとか。。。 >>437のつづきが載ってたので
ttp://audiosharing.com/blog/?p=22798
日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その9)
アルテック+グッドマンのツィーターは、
普通の小口径2ウェイだと絶対に聴けない、大きくて締まった音だった グラシェラ・スサーナは、歌謡曲の部類では超優秀録音になるからな。
どこにこだわるかで、出来、不出来の評価も大分違う。 どういうスピーカーか気になったので調べてみたら
1970年代のアルテックA7のユニット、416-8Cをオンケン箱に入れて
Symbiotikの807-8A+811B、グッドマンズ DLM 2を2機を加えたもの。
ttp://www.audio-heritage.jp/GOODMANS/unit/dlm-2.html
アンプはマッキンらしいけど、大きな送信管のアンプもあったり色々。 >>519
そう、マッキントッシュだった
最初に行った時は真空管のMA2275だったのが、今年の春から
MA7900に替わってたね
CDプレーヤはラックスマンの真空管タイプ(D-38uだったと思うけど失念) アルテック VOTTは歴史が長いのと、出荷された台数が多い
頑丈で壊れにくいの三拍子で、やはり外せない存在。
家庭用では604シリーズのほうが好まれる傾向があるけど
iconicのブランドで、VOTTのユニットを使用した家庭用システムもあって
こっちのほうがゆったりとして、鳴らしやすい傾向がある。
歌謡曲に1970年代初頭のアルテックのユニットを宛がうのは
偶然だと思うけど、ジャズでもロックでもクラシックでもない
という消去法で考えると、最高のビンテージに挙げられるもの。
JBL 4320、タンノイ モニターゴールド、などと並ぶ存在で
しかも頑丈でコンディションも安定して、使いやすいのが特徴です。
これにマッキンを充てると、ジャズというより、ナイトクラブのムード歌謡。 瀬川冬樹氏の業界裏事情というか、1980年代初頭の国産スピーカーで
デパートの電気売り場に積まれるように展示してある中級機は
テレビやラジオでお馴染みの歌手が、それと同じような音で鳴るようにできていた。
その結果、クラシックやジャズは聞けたもんじゃない、という評価が下された。
この文章を咀嚼すると、和楽器のさわりのような音が鳴るんじゃないかと思った。
よく西洋人はさわりの出す不協和音を嫌うと言われるが
じゃあエレキの音に熱狂するのはどうか? 元になったドブロギターは?
スネアのスナッピー、シンバルのハンドハンマリングなども不協和音だ。
ハスキーボイスも一種の不協和音だが、ポップスではほぼデフォルト。
以前、WEのレプリカを最初に造った人の店に、買う気もないのにお邪魔したとき
アルミ合金の蘊蓄を述べたあとに、「高次歪みがひどいのに音は綺麗なんだよ」
と言うので、「それって倍音でしょ?」と返すと、「お兄ちゃん、うまいこと言うね」と
エラく感心してたのを思い出した。 テレビやラジオでお馴染み、という音とはどういうものか?
実は、現在のテレビもラジオも、そういうスピーカーを実装していない。
既にトゲが抜かれた音だ。ある意味では、瀬川氏の論法が勝利した。
一方では不幸なことに、1980年頃よりも、もっと歪みでいっぱいのJ-POPのほうが
トゲのない音のする家電で好まれる。単純に刺激が足りないのだ。
世の中とは不条理にできたもので、ポップスはその影響をダイレクトに反映する。 >>521とか、なんでVOTTの方が4320に並ばなきゃいけないんだ?
歴史的認識皆無な自慰は見てて恥ずかしいんだよ。 井上陽水のリマスター版ってのがFMでかかってたまたま聴いた
なんというか歌謡曲からJ-POPになった感じで曲趣も少し変わって聴こえる
夢の中へ、ってあんなに屈託なく明るい曲だったっけ?・・・w
陽水ファンの感想を聞いてみたいところ >>525
A7について言えば、日本じゃ押し並べて劇場用と紹介されてるけど
実際には録音スタジオでのプレイバックモニターとしての使用頻度が高かった。
それに加え、アイコニック名義の家庭用スピーカーはVOTTのユニットを奢ってる
というのが売り文句。そのままVOTTコンポーネントと呼んでることも多い。
そんなことくらいは知ってるよね? 逆にJBLは、同じ仕様ならスタジオシリーズのほうが出荷台数が多かった。
4320〜4331はユニット交換されてても中古で結構みるけどL200はまず見ない。
これも日本の特殊な市場環境だろうな。 >>526
これを聞いてる限り。。。
ttps://www.youtube.com/watch?v=iCtC_lU6dwE
そのうち陽水さんも拓郎さんみたいに
同年輩と話さないなんて言い出すんじゃ。。。 同じ感触は、ナイアガラ40thの再編集バージョンとか
シュガーベイブのほうは2枚目にリミックス版を加えたり。
それぞれの思惑があって出してるんだろうと思うね。
最近ライントランスを変えたら、シュガーベイブは旧盤のほうが音が良くなった。
バンドの一体感があるし、ちゃんと天井の高い音で鳴らせるようになったから。
ご本人はド根性、歪み、と悪ぶってるけど。 シュガーベイブと山下達郎のベスト版のリマスターもそうだけど、音が太いね。
もともとHBの鉛筆で書いた線を2Bで上書きしたような感じかな?
最初からリマスターを聴いていればいい音なのかもしれないけど、旧版と比べるとすごく違和感がある。 太くて甘〜い、おまんじゅうのようなのが、段々と良くなるんだな。 >>531
>シュガーベイブと山下達郎のベスト版のリマスターもそうだけど、音が太いね
達郎さんのBOMBER、ベースの太さに衝撃を受けたけど、リマスター前はもっと細かったのかな
(70-80年代の達郎さんが、自分の親世代が20代の頃の曲なもので、全然知らなかった)
シュガーベイブの2枚組SONGSは、2枚目のリミックス盤の方が明るい、スッキリした音調で好きだけど、
気分で1枚目のリマスター盤もよく聴いてる(リミックス盤より音の線が太い感じがする)
SONGSから、昔の録音の古さを感じさせずに今に甦らせる事の凄さを知って、そこから
60年代のキングレコード・SDSシリーズ、キングジャズシリーズ(50年代)も聴くようになった >>533
旧い録音は旧い音として鳴ってくれたほうが自然に聴けるんだよね。
別に今の音質と比べても遜色ない音が聞きたいわけじゃなくて、その時代の音楽にノスタルジー込みで浸りたいから。
シュガー・ベイブってやりたい音楽とやっている音楽との間にジレンマを抱えて悶々としていたようなバンドで、
それには変に力強くしないで繊細な音の方が合ってると思うんだ。 あ、リマスターとリミックスの比較じゃなくて、
シュガー・ベイブの1994年のリマスターと2015年のリマスターの比較ね。 東京キューバンボーイズのコンピレーション盤に、渡辺マリが歌うラテンの曲が2つ入ってた
「東京ドドンパ娘」の人かと思って聞いたら、湿っぽいを通り越して、ジメジメした声だと思った
こういう声を明るく聴かせるスピーカーは少ないのかな? american epicという音楽ドキュメンタリーが外国で放送されてるんですが、youtubeに公式の動画が上がってます。
それがカーボンマイク一本にダイレクトカッティングで録音されてるんですよ。これが案外綺麗に録れてて。
https://www.youtube.com/watch?v=YXfET5Zv3OM
https://www.youtube.com/watch?v=EXQVF9JIDag
きっとこういうのは興味があるんじゃないかと思って。個人的にはミュージシャン魂を感じる企画で好きだ。 最初のはwestern electric 394で最初のコンデンサーマイク。
ttp://www.coutant.org/we47/
ttp://contents.acoust.ias.sci.waseda.ac.jp/genron/genron-7-2.pdf (P.496)
2つ目は、Western Electric 1A ダブルボタンマイク。電気録音用の最初のもの。
ttp://www.aes.org/aeshc/docs/recording.technology.history/images2/89000.jpg
ttp://contents.acoust.ias.sci.waseda.ac.jp/genron/genron-7-1_101124.pdf (P.476)
いずれも8kHzまではきっちり収録できるが、コンディションでもレンジ感は異なる。 最初のがコンデンサーマイクとはわかりませんでした、自分で紹介しといてすいません。
でも最初期のコンデンサーマイクの録音とか面白いです。 Wharfedale Super 8RS/DDで美空ひばりの祇園小唄をときどき聴いてみるのだがやはり秀逸!
ハイエンドで聴くのも素晴らしいが、フルレンジもたいへん心地いい。 祇園小唄と言ったら藤本二三吉だわ
芸者がお座敷で唄ってる感じを再現してみたいな 藤本二三吉、市丸、小唄勝太郎、神楽坂はん子、赤坂小梅
芸者歌手達の唄を和室聴く場合はスピーカーも和室用に替えねば >>537
当時のミュージシャンや歌手を舐めてない?
ワンマイクできちっとしたアンサンブルにできるのが60年代までの連中のすごさだよ。
ジャズ方面とかだと初顔合わせでワンテイク→世紀の名盤、みたいなのが結構あるし。 >>546
歌手用のマイクと楽団用のマイクがあって、それぞれをクリアに録ったり、歌番組として電波に乗せても
ホールの残響や奥行が追加されて心地よくなる・・・
50年代から60年代の日本の録音は、こういう雰囲気の音がとっても多いよ レコード・コレクターズ読んでたら海道はじめのインタビューが載ってた。
海道はじめといえばスナッキー。
https://www.youtube.com/watch?v=sXv5xa5jMiM
ちなみにスナッキー・ガールズは小山ルミ、吉沢京子、羽太幸得子だが、
羽太幸得子は風吹ジュンとよく間違えられているらしい。
ジャケット見ると似てるもんね。 ちなみにその海道はじめ氏のインタビューで、
「今、民謡と言えば、みんな三味線の伴奏を付けて、スポットライトを当ててもらって、大会場で歌うイメージでしょ。
でも<ソーラン節>にしても<斎太郎節>にしても魚を獲るときに歌われた労働歌で、漁にはそもそも三味線も袴もない。
もっと原点に立ち返ったほうが、逆に若い人たちには入りやすいんじゃないかと。」
民謡の世界では異端児と呼ばれてるらしいけど、どんなジャンルでも異端児のほうが「分かっている」気がするよね。 伴奏はあった方がええよな
金にならないからやらないだけで、ジャズマンだってビッグバンドは大好き
ピアノソロなんて、よっぽどウデがないと聴いてて飽きるw
逆に急遽ステージに立ち、立派に務めたレイ・ブライアントは男をあげたがw 沢田研二主演のドラマ「悪魔のようなあいつ」を見てたらサンスイのステレオらしきものが映ってた。
多分AU9500とTU9500、スピーカーはLM033。
ジュリーの妹役は元祖「まちぶせ」女の三木聖子。このドラマがデビュー作だったんだね。 このものまね芸人は少しは知られてる人なの?
来賓は皆喜んでるし喋りも芸人ぽいから素人ではないみたいだけど
https://www.youtube.com/watch?v=ugzmfwQbDwA 歌謡曲の実況録音はいつ頃から発売されたんだろう
1963年ソノシートでフランク永井の実況録音が発売されたり、1964年弘田三枝子の実況録音が発売されたりしているが
1970年代のようにあまり各歌手挙って発売するほど人気は得られなかったのはなぜか知りたい >>555
60年代はラジオ向けの収録、70年代はテレビ向けの収録の違いじゃないのかな?
それにしても挙って発売というほど出てないと思うけど。 リサイタルのライブ盤は60年代から出してはいるが限られた歌手のみ
70年代は4chのライブ盤など結構盛んだったと思う 昔はテレビもラジオも実演も残して音源を残しておこうという意識が無かったんじゃないか 著作権法が厳密に守られていたという意見もありそうです。
第四十四条
3 前二項の規定により作成された録音物又は録画物は、
録音又は録画の後六月(その期間内に当該録音物又は録画物を用いてする
放送又は有線放送があつたときは、その放送又は有線放送の後六月)を超えて
保存することができない。
ただし、政令で定めるところにより公的な記録保存所において保存する場合は、
この限りでない。 NHKなんて一般からも映像や音声の提供を呼び掛けてるじゃないか かしまし娘のテーマ曲は英語には乗せられない日本語ならではのリズム感だよね。
このモダンな感覚が失われて久しいんだけど、ヒップホップを通過してまた蘇ってくるかもという気がしている。
https://www.youtube.com/watch?v=DescvFxPRok 時をかける少女がオバサンになっても・・・
やっぱりオバサンだなw 今日はTBSラジオで23時から星野みちるのスタジオライブ。
これは聞かなければいけない。
http://radiko.jp/#!/live/TBS あきれたぼういず - ハワイよいとこ
これが真珠湾攻撃の前年の録音w
日本が戦前の状況になりつつあると煽り立てるメディアがあるけど、音楽的には戦前の状況になってくれたら大歓迎だな。
まだまだ戦前の状況に追いついてない気もするし。
https://www.youtube.com/watch?v=hcyGOHypxyQ あきれたぼういず - 四人の突撃兵、スクラム組んで、空晴れて
1938年の作品だが、ポパイのモノマネを英語でやってる。
英語が敵性語、ジャズが敵性音楽になるのはまだ先の話。
https://www.youtube.com/watch?v=cM5xE1yzozw かしまし娘もそうだけど、このあたりはアメリカのカントリー(Hillbilly)のスタイルが元ネタ かしまし娘もあきれたぼういずも、カントリーじゃなくてジャイブミュージックだよ。
特にかしまし娘はジャイブ小唄って感じで日本語の歌をリズムに乗せてるので独特だということ。
戦前と戦後のアメリカノ音楽の入り方の違いは、戦前が映画やボードヴィル経由なのに対し、戦後は進駐軍ってとこじゃないかな?
日本のカントリーはおそらく戦後から入ってきたと思う。 え?
あきれたぼういずも横山ホットブラザーズの流れをくむかしまし娘もルーツは明治末から入ってきて定着拡散してたジャズですやん。
それをいきなしジャイヴと呼ばれると違和感が…
で、ジャズなんだけど、入り方は下記あたりを参考に。海経由で人間が最新流行を持ち込んでるんですわ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spkmas/sub10.html
カントリーミュージックは米南部の貧乏白人層発祥で商業的にはジャズよりはるかに後発(20年ほど)。ジャズが明治末には日本に紹介済みであったのに比して、カーターファミリーとかジミーロジャースなんかは昭和初期に日本に紹介されたのかどうか?
昭和18年に敵性音楽一掃のために出された情報局の週報のリストには「ジャズ音楽と、民謡調の歌曲」とあるのですが、それっぽい記載がないところを見ると入ってきていたとしてもジャンル視されるレベルには至っていない様子。
結局、敗戦後に進駐軍やFEN経由で入ってきたものに飛び付いてブームになり、ロカビリーで爆発したものの日本では収束してしまいましたね。
日本でカントリーを前面に押し出した最後の歌手は宮前ユキさんあたり? (2014年に亡くなられたようですが。)
アメリカ本国では一定の市場はある様子ですが、ジャズのような広がり方はしないままですね。 >>569
ジャイブミュージックってのは冗談音楽の総称でジャズと別個に存在するもんじゃないよ。
ジャズ至上主義の人達はなんでもジャズに結びつけるんだけど、
そもそもルーツは1つじゃなくて、いろんなルーツをミックスして新しい音楽を作っていることが重要なんだよ。 アメリカの音楽が戦前に入ってきたのは大都会で上映される映画と舞台が中心だったということは容易に想像できる。
カントリーが映画や舞台になって都市部で上映される音楽だったならカントリーも早い時期に日本に入ってきただろということ。
戦後に入ってきたというのは、進駐軍を通じてより生活に密着した音楽が入ってくるルートが出来たということだよ。 ちなみに
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spkmas/sub10.html
の捉え方はステレオタイプのジャズ史観がもとになっているので、
ジャズの中の黒人っぽいと呼ばれる部分をなんの批評性もなく盲信している感じだ。
ブルーノートは本当に黒人が作ったのか?
ジャズのリズム感は本当に黒人が発明したのか?
クレオールが持ち込んだとしたらそもそもフランスにジャズの源流があるんじゃないかとか考えないんだろうか?
とかいろいろとw で、戦後のデビュー当時の美空ひばりというのは、戦後の復興の願いと同時に、
音楽的にもまさにあきれたぼういずのような戦前の音楽の復興を目指してたんだなあって思うわけだよ。 >>571
あいも変わらず歴史の俯瞰不在で妄言を延々垂れ流してるから突っ込むわけですがw
そもそも明治期の始まりから欧州音楽、アメリカ音楽は官民様々なルートで日本に流れ込んで教育の現場にも浸透していた=文化的素地ができていたわけで、
歌謡曲を戦前にちょいと遡った時点だけをチラ見してそれが全てという書き方は変だろ?アホかいなw ということなんだけど、未だに理解もできてないみたいですね。
音楽のみならずアメリカの文化や生活の流入はアメリカと戦争をしていた4年弱の期間は途絶えたにせよ、それこそ黒船来航から現在まで続いてきたと見るべきでしょう。
美空ひばり?
戦前の音楽の復興?
美空ひばりは川田義雄(晴久)が発見したようなものだし、美空ひばり自身が川田を師と仰いでいたわけだけど、二人とも後ろを向いてたわけではないと思いますけど。 流行り歌とか芸能の世界に限らず、時系列に沿った縦の比較、同時期の横の比較で網をかけていけば様子は掴めるけれど、ジャンル単独で考察してそこから全体像を想像する行為は盲人vs象なんだよ。
演じて飯を食ってる方は新ネタを貪欲に取り入れてウケてなんぼなわけで、ネタのジャンルにはこだわらないのが不特定多数の一般向け音楽の傾向。
音楽を伝播する主力メディアが時代によって変化するから混ざり合う速度も変化するけれど。 流行歌は俗謡調が源流
後から民謡や浪曲が入ってきた ジンタのズンチャ、ズンチャのリズムが
馬が疾走するように鳴らせれば
それでしあわせ 葛飾区が生んだ偉人、なぎらけんいちは
世間的にはコミックシンガー、カメラを下げた酔っぱらいのぶらりおじさん、という認識だが
何気にカントリーギターが上手いのだ >>574
反論にしては漠然としすぎて呆れるけど、
まず官民様々なルートで日本に流れ込んでなんて誰でも分かる。
様々じゃなくて、官で何が入って民で何が入ったのかという考察がなければ反論になってないぞ。
文化的素地が出来たなら、あきれたぼういず以外にも他国の音楽をミクスチャーしたのが沢山残ってても良いはずなんだが、
それは資料として残っているのかどうかとか見解を聞きたいもんだね。 >>574
>歌謡曲を戦前にちょいと遡った時点だけをチラ見してそれが全てという書き方
どこをどう読んだらそれが全てという書き方に見えるのか?
あきれたぼうずは突出した特殊な事例なんだよ。
なんでそれが全てと勝手に思ったのか?解釈がずれすぎてる。 >>574
川田晴久は戦後に美空ひばりとタッグを組んで、戦前の楽しい音楽を取り戻そうとしたんだいうのが自分の見解。
後ろを向いていたというのは曲解も甚だしいな。
ただし、その後のモダンジャズを含むポピュラー音楽の流れからは取り残されたわけでもあるから、
戦前の音楽に固執していた側面もあるかもしれないけどね。 >>574
戦前音楽の一番の違いはアメリカ文化の流入以外に、シャンソン、タンゴ、ルンバと世界中の音楽が入ってきたことだろう。
アメリカの文化の流入が生活様式まで替えることになったのは戦後から。
入ってくる音楽もアメリカの音楽の流行に合わせて変わってきたのは戦後が顕著。
そういう意味では戦前と戦後はアメリカ文化との関わり方が違う。 >>575
どんなジャンルでも時系列に突き詰めていけば源流に遡ることを余儀なくされる。
ジャンル単独なんてありえないし、全体像を俯瞰してみるのにむしろ有効なんだな。
だいたいネタとかジャンルとかだけで括ってるわけじゃないのが理解できないとまともな反論も出来ないと思うぞ。 日本の音楽シーンを作ってきたのは「海外」と「都市」だった!明治時代から今までの音楽の流れを振り返ろう
https://"まとめ".naver.jp/m/odai/2145473315743821401
NGワードにつき"まとめ"をローマ字に打ち変えて 総力戦と音楽文化: 音と声の戦争
戶ノ下達也, 長木誠司 青弓社
https://books.google.co.jp/books/about/総力戦と音楽文化.html?id=Ua4pAQAAIAAJ&redir_esc=y 戦前だの戦後だの分けたがる奴は流行歌の連続性を無視してる。 流行歌を政治や経済のメタファーとして考えるのは限界があるな。
大衆=デモクラシーと言いたいんだろうけど
ラブソングにそういう前提は、単なる言い訳に過ぎないことくらい
中学生だって判るだろうに。 年代によって録音も違えば聴かれる場所や環境も違う
できるだけ当時の想定された環境で聴き、
可能であれば最近の録音も同列で聴けるエフェクティブな再生環境を考察するってのがこのスレの趣旨なんじゃねーの?
特に歌謡曲は色んなジャンルが輸入されては入り乱れたからこそ、
元のジャンルの聴かれてた、現代から見れば特異な再生環境の情報が必要なわけで、
そういうとこ無視して連続性がどうのってただの思考停止じゃねーの 歌謡曲にはブートレグないのか?
昔の実演とか聴いてみたい 美空ひばり&川田晴久のアメリカ興行
あがた森魚の世界史B
シュガーベイブ、大瀧詠一のアニバーサリーCDのボーナストラック
村八分のライブ数種
探せばまだ出てくると思うけど。 ブートではないが
"ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY"
山下達郎氏が19才の時(1972年)に友人たちと作った自主制作アルバム
"山下達郎作品集 Vol.1/THE WORKS OF TATSURO YAMASHITA Vol.1"
山下達郎が作曲家として他アーティストに提供した作品を集めたCD
フランク永井等
説明は以下
*メジャー・カンパニーからリリースされる昨今のコンピレーションCDは、各社ともマスター・テープの第三者への貸し出しを渋るため、ほとんどがDATコピーの使用を余儀なくされています。今回の企画にあたっては、山下達郎本人がテープ出庫に直接立ち会うことにより、全曲オリジナル・アナログ・マスター・テープからのデジタル・リマスタリングで制作されています。
http://www.tatsuro.co.jp/fan/
ファンクラブ会員でなくても買える >>595
忌野清志郎のライブなんかファンが録音していたカセットをオフィシャルブートレグでCD化したが
歌謡曲にはそういうオフィシャルブートレグは無いの >>586
リンクの内容は全部紋切り型でもあるし、一元的。
そもそもただで見れるものなんだから当然なんだけど、
それらを総合して、音楽を聞いた上で自分なりの考察がなければ面白くないんだよ。 >>594
ラジオ向けの録音が残っていて、復刻がCD化されることがたまにあるね。
去年美空ひばりのやつが出てたけど、他の歌手のやつもあるんじゃないかな? 岡晴夫の実演はテープレコーダーで録音した物を会員向けにLPにした
ファンや興行主、親族が音源を提供したらしい
http://www.geocities.jp/fujiskre/km41.html 演歌ってもっと評価されるべきだよな
圧倒的歌唱力は聞いてて気持ちいいぞ オカッパルはどのアルバムがオススメかな。江口夜詩はもっと評価されるべきだ。 >>592
そもそも今の目で見て特異な再生装置なんて必要なかろう。
当時モノと言えど所詮はン十年モノ。懐古厨以外は今の機器で無問題。 >>593
参考文献は参考文献で参考にすれば宜しい。
視野狭窄な状態で持論を展開されるのが困るわけだが。 大昔の真空管アンプが最高とか言ってる爺さんがいたなあ スピーカーだっているよ
ソフトだってSP最高って人もいる
クラの世界でもピリオド楽器で演奏せにゃダメだろ〜、つー一派もいる >>607
まぁ、どんな分野に関わらず、人の好みは十人十色
個人的には超ハイファイ党だけど、人によっては
六十年位昔のJBLオリジナルが最高という方も居る。
お互い文句を言わず共存共栄が一番だけど、現実は
厳しいコトもあるよなぁ。。。 カートリッジ交換式 安心・安全 日本製といえば。。。
脱毛予防リキッド 中島みゆきの初期のLP聴いてみたら
けっこう音がよかった。
ついでに大瀧詠一のa long vacationは久しぶりに聴いたら
なんかアレンジも曲も稚拙だし粗ばかり気になって、
たいしたことなかったんだなって感じた。 ロンバケに何を期待しているのだw
カーステで湘南の海岸辺りを窓全開の車で走っている時に快く聴けるようになっていると
本人が話していたと歌手の鈴木雅之さんがテレビの番組で言っていたよ。 夏の炎天下でカセット入れっぱなしにしてテープが伸びる悲劇が頻発してた忌まわしい記憶しかないなあ。 >>611
中島みゆきの初期録音、確かに彼女の微妙な音声が
よく捉えられていて、しかも(歌謡曲に多い)低音過多も
感じさせないバランスの良いのが多いよね。
(スピーカー パイオニアS955V)
制作スタッフがセンス優秀だったのも大きいのかな。
この年代だと、本田路津子のアルバムも良いよ。 >>555
日本で、洋楽ポップスやダンス音楽は全部ジャズと言われてた頃(1950年代半ばまで)、
その頃に出たLP「キング・ジャズシリーズ」は、実況録音が1枚のアルバムになってるのも多いよ
ただ、同じ時代の実況録音が当時は日の目を見ないで、最近になってCDで出てくる例の方が多いかもしれない 戦前の音楽について簡潔にまとまっているのがこれ。
ここに記載されているプレイリストを聴くと体系が分かったような気にしてくれる。
特に1930年代の曲に名曲名演が多い。
http://camp.ff.tku.ac.jp/yamada-ken/y-ken/ex-files/pmaj99s.html#0414 特に戦前の大衆音楽のバリエーションの豊富さは凄いねと。
それに比べると戦後の大衆音楽は画一化といっていいのではないか。
情報量がいくら多くても、多種多様な音楽があっても嗜好が画一化されていくので最後には殆ど残らず淘汰されていく。
おそらくピュアオーディオも然り。 >>616-617
戦前の大衆音楽といっても、電気(電燈)が行き渡っていた都市と、
そうでない僻地の農村や漁村だと、大衆音楽も相当な開きがあったんじゃないかな
俺の祖父母(いずれも大正生まれ)がそうだったけど、小学校を上がってすぐに奉公に出て、働きながら切羽詰まった生活のあった農村で、
民謡や俗曲は別にして、ジャズやラテン音楽に親しむ余裕があったとは、とても思えない
そういう文化がラジオ・テレビで行き渡ったのが戦後以降、って認識でいる
80歳近い親戚曰く、実家にラジオが入ったのも、戦後にNHKの鶴岡放送局が出来てからだと聞いたから、そこからの考えだけど >>619
その認識は多分正しいと思うよ。
昔は一部の好事家しか聴かないからこそ多様化したいったのかもしれない。
みんなが聴けるようになったから、みんなが聴けるような音楽になっていくんだろう。 あ、それと
http://camp.ff.tku.ac.jp/yamada-ken/y-ken/ex-files/pmaj99s.html#0414
で興味深いのは
昭和初年〜 大衆流行歌....歌謡曲の大量生産
昭和10年〜16年 J-Pops の誕生....服部良一、佐野金助、笠置シヅ子
としているところ。
歌謡曲もJ-POPも戦前から繋がるものだということ。 それから
日本帝国海軍軍楽隊「軍艦行進曲」1903 米コロンビア出張録音[1904発売]
作曲:瀬戸口藤吉(1868-1941)
『軍艦マーチのすべて』キング(1998)
初期出張録音盤の一例。洋楽の普及に軍隊の果たした役割は重要であった。
洋楽の普及においての軍隊の役割って以外と見逃しがちだなあと。 そもそも流行歌の地位は低かったから富裕層が聴いてたのはジャズか浪曲
庶民は青年団などで流行歌で舞踊会を開いたりしていた >>624
浪曲が富裕層向けなのかは分からないけど、
例えば三波春夫は浪曲師から流行歌手に転向する時に世俗の歌を歌う事にためらいがあったらしいから、
地位の違いはあったんだろうな。 >>626
戦前には縄文時代も含まれると言ってもいいか?
1903年のレコードによらずとも、明治初期から存在した軍楽隊を指導したのは明治24年まではフランス人、以後はドイツ人を招聘してる。
と言うと洋楽は海外すべての国が含まれるとか返ってきそうだがw
それよか文部省の音楽教育の歴史を紐解きなよ。なぜアメリカ音楽が気がつくと日本の隅々に浸透したのか、続いてすんなりジャズが流行ったのかの答えがある。 黒田節よりかつお節だな
てか落語の出囃子こそが、和の国の大衆音楽 和の国の大衆音楽らしいものといえば会津磐梯山かな
Wikiで調べたら1934年らしい そろそろ、相撲だ、外国人力士だと言いだしそうな悪寒
舶来だろうが、和製だろうが、リスペクトという文化を認めないとね リスペクトってヒップホップの連中が言い訳に使ってるだけじゃないの?
MCとかDJとかを名前の頭に付ける人のよりどころだから。
それが駄目だとは言わないけど。 相撲とか外国人力士の問題って慣習を変えないとこで伝統を守ろうとすることだろう。
そうじゃなくて常に創造性を発揮しないと伝統は続かないものだってことじゃないかな?
だから異端こそが歴史の中で一番価値のあるものなんだと。 昔なら誰でも歌えた同期の桜は最近の人間は知らないし、青い山脈も知らない
50年以上前の曲で若い世代にも知られてる流行歌は上を向いて歩こうくらいのものだ 山下達郎のCome Along2がリマスタリングで出ることになって、番組でマスターテープの話をしてた
「アナログマスターの子(コピーされたマスター)にナレーションを被せて2トラックに直した"孫"だから音が悪い」
「これはアナログマスターの限界で仕方がなかったけど、デジタルリマスタリングで随分改善されてる」
要約するとこんな感じ
歌謡曲やジャズのコンピレーション盤を、コピーされたマスターで作ったから、「昔の録音は良くない」
こういう風な先入観も、未だにあるんじゃないかなと思う
最近は俺も少しずつ、そういう先入観が無くなってきたけど デジタルリマスターって実際のところどの程度音質向上しているんだろう >>636
アナログ録音のマスターを、CD初期の16bitマスターじゃなくてもう一度アナログから24bitにマスタリングし直したのがもともと言われているリマスターだよね。
その後のリマスターは機材の発達で32bitだったりDSDだったり、クロック精度の向上とか変換精度を上げる技術だったりだけど、
もうアナログマスター自体が劣化しているからその復旧にデジタル技術を使っている要素の方が大きくて、
結局のところ、労力の割には初期のリマスターに及ばないものもあるんじゃないかと思う。 ピンキリということは初期のデジタルリマスター時代から言われていたこと。 オリジナルマスターにどこまで入ってるか次第じゃね? ちあきなおみのLP欲しいけど見かけないしあっても高杉。 昭和30年代あれだけ歌謡番組やってたんだからラジオのワンマンショーとか
個人でオープンリールに録音してた人がいてもおかしくないと思うんだけど
当時の歌謡曲ファンは録音していなかったのだろうかYoutubeにも全然上がらない
テープが残っていたとしても本人が他界したら子供世代は興味ないし再生もできないから捨てられているのかもしれないが 昭和30年代に20代だった人達は今80代でしょ
昭和30念生まれが60歳くらい
曲や歌手を知っている人があまり居ない いつもラジオをひねれば歌声が聴けるし、無関心だったこともあるかも。
関西漫才の実況録音もほんの一部の人しか持ってなかったというので
歌謡曲のほうも同じ運命にあったんじゃないかな。
あと放送局自身は、著作権法と資産税のダブルパンチで
良いこと何もないので、積極的に消去してた可能性がある。 著作権のうるさい音楽は世の中から消えていく
このままだと貴重な録音が残らない空白の時代ができるかもな
消さないで中古販売すると捕まりかねんし 1956 明星歌のパレード(NHK)60年前のテレビ音声
https://youtube.com/watch?v=vD7yFpDZJTc
こういうのがもっと聴きたい。
ラジオやテレビにテープ出力が付いたのはいつ頃だろうか。
S30年代の紅白を録音していた人もいたけどマイクをスピーカーの前に置いて録音したんだろうね。 テレビも自作してた人がいたらしいから
プリアウトの箇所くらいすぐ見つけたかも。。。 >>648
録音テープじゃなくてビデオテープだったかも。
事情は紅白のビデオテープが個人蔵だった件とか
色々調べてみると判る。 順番からしてスピーカーで鳴らす前にクリスタルイヤホンで聴いたんでないのか
今と違ってスピーカーを鳴らすのは面倒だっただろう >>651
いや固定資産税がかかるからってビデオを消去したって事例は知らなかったんだが。
単にビデオテープが高価だったから上書きで使っていたと言うだけで。
そもそもテープそのものを有形固定資産としていたのか、中身を無形固定資産として評価していたのかも分かんないし。 >>649
>S30年代の紅白を録音していた人もいたけどマイクをスピーカーの前に置いて録音したんだろうね。
S30年代の紅白を録音したよ。
小学生だったけど親父が英語勉強するんだと購入したが
三日坊主で放り出した東芝のカレッジエースというテレコ。
テープは探せばあるかもしれない。 >>648
1954年 キングアワーED (現ニッポン放送) 多分わが家最古の録音 https://youtu.be/pa-g0GDDwn8
今のAM放送より、ピアノや弦楽の音にリアリティがあるというか・・・驚いた
>>650
節税のためにブラウン管そのものを購入して自作、って例が1950年代半ばまであったみたいだね
ラジオや電蓄(オーディオ)と同じ >>644
親世代の歌手をその子供がファンになることは殆どない。普通は本人がいなくなれば処分。
良くてリサイクル店やオークションでまとめ売りでファンに渡ることは奇跡。
でもどうせ日本の流行歌手の昔の放送音源なんて発見されても見向きもされないだろう。
いままでもファンが録音した音源の商品化はほぼ無い。せいぜい視聴者提供の紅白音源ぐらいだ。
海外の有名アーティストのように1960年代ラジオで放送したライブの録音の商品化など皆無と言っていい。 美空ひばりの芸能生活10周年記念コンサートは面白かったぞ。 >>657
それはTBSで保管されてた音源じゃないか。ファンが録音していた訳ではない。 >>645
NHK黄金の椅子田端義夫回、昭和41年放送をアップしている人は80代だそう
放送局やレコード会社に音源提供したところで商品化は期待薄いしYouTubeにアップしてくれるのが一番有り難いが
80代で録音をもっててYouTubeにアップできる人なんて滅多にいないな >>656
80年代アイドルとかだと事情が全く異なる。
おそらく現役を続けてるかどうかだろうけど親子二代でファンというのが結構いたり、生まれる前から聴かせて刷り込みとかやってる。 熊本地震の炊き出しに来てた森高千里の画像で素直に射精した >>603
jorfが、100KWならば、相当聞く人増えてるのに、 >>649
80年代迄レックアウト有ったハズです。我が家は、最後迄TV東京の演歌の花道カセットにエアチェックしていました、長距離ドライブの時に皆で聞いてた、 >>664
聴きたいのはオリジナル音源ではなく放送音源 口あけて空眺めとけばいいんじゃね?
心配しなくても(いい意味で)「なんじゃこりゃあ」な音源なんか滅多に存在しないから。 関東なら、AM1422で平日夕方の夏木ゆたかの番組有るでしょ。 >>667
探してもなかなか無いから、AMトランスミッターで、飛ばして60年代の真空管ラジオか、70に年代のトランジスターラジオで聞くのはどうでしょうか? 都内や千葉のM市の骨董屋さんでやってるけど。 AMラジオ云々じゃなくてソフト化されてない当時の実況録音が聴きたいんだよ >>672
無理筋だろw
NHK辺りならありそうだけど権利関係で公開出来ないだろうし
民放は当時の録音された音源は殆ど現存していいないと思うよ
倉庫とかに運良くあったとしても権利関係で駄目だろうな。
個人が録音した物があるかもしれないが1950年代や1960年代中頃までは
テープレコーダーとテープは高価だし当時の個人で所有している人は極わずかだろう。
それに当時のラジオ局は今より電波の出力が低く又東西冷戦のさなかで
ソ連等の共産圏からの妨害電波や宣伝放送と混信してノイズが酷かった。
特に夜間は酷かった。
ラジオの送信所そばに住み電波状態がいい所で受信して録音している個人は
ホントに稀だろう、宝くじで一等に当たるほうがまだ確率が高い気がする。
若者向け深夜放送のオールナイトやパックが壷にアップされるのは
リスナー対象の学生の殆どが人口の多い団塊の世代で
ラジカセが普及し気軽に放送を録音出来るようになったからだろう。
ツイッターとかで呼びかけたらいいかもしれないな。
もしかしたら、、、。 テレビの録音なら50年以上前でもそこそこ音質良いんじゃない?
当時は人気歌手のワンマンショーが結構放送されてたし
著作隣接権は50年じゃなかったか。ワンマンショーなら商品化出来そうだが >>674
TV東京の演歌の花道なら、確かDVD化されていたハズ、それでも、最初の頃のは、無いと思うけど、 最近はNHKが特定の歌手の出演シーンだけ集めてDVD化してるな
近く河合奈保子のDVDが発売されるらしい 昭和30年代はトランジスタラジオのイヤホン端子に改造したイヤホンのケーブルを
テープレコーダーのマイク端子に繋げて録音してたからノイズが入って音質は良くなかった >>677
マイク端子なら、抵抗入りのケーブル使うの常識だよ、自分は、保育園時代にデパートの電気売り場で店員さんに教えてもらった、
AUXにつなぐなら大丈夫だけど。 昭和30年代のテレビにはイヤホンジャックや外部出力はなかったのだろうか
録音手段は本当にマイクをスピーカーに近づけるしかなかった? >>681
音声多重TVなら、ステレオです、又は、モノラルLとR独立になってるのも有る。 テレビのイヤホンジャックはモノラルだったよ
そもそも付属のイヤホンが片耳しか無いしw
イヤホンジャックがついたのは昭和30年代終わり頃じゃないかな? TVのイヤホンジャックといえば
なんでどれもこれも横の方の
見辛くて挿しにくいとこにあんだよ?
前面左下辺りに付けろや! 当時録音機持ってたのなんか相当なオーディオマニアか
金持ちの好事家ぐらいのもんだろう
家庭での録音需要が発生したのはカセット、ラジカセ登場以降では wikipediaの"オープンリール"によればこんな感じみたいっす
"また1960年代のコンパクトカセット普及以前には、家庭内における簡易な録音機として、2トラック1チャンネルモノラル機がある程度普及していた。" 金持ちといっても家一軒買えるような蓄音機買ってたような金持ちと言うより
いわゆる小金持ちね、なんにせよ庶民で買うようなヤツはいなかっただろ
恐らくほとんどは学校の備品需要かな、構内放送用
オーディオマニアの自作の話も無い訳ではないけど、相当珍しかったはず うちの父ちゃんと母ちゃんの結婚式の模様、モノラルオープンで録ってあったよヽ(´ー`)ノ
8mm映写機や幻灯機(リバーサルのプロジェクターやな)くらいの位置付けだったんでねえかな3丁目の夕日的にはw ちなみにその時代のポータブル機まだうちにあるw
ファンシーな赤と白の小型アタッシュケースみたいにパカッと開けてはみ出しオープンリールセットw 録音できないカメラ小僧はTV前に三脚を立ててキャプチャしてたし。 島倉千代子50周年全集に街頭アナウンスをしていた姉に頼んで録音してもらった
デビュー前の歌声が収録されている(昭和29年にテープレコーダーで録音) 「涙のグラス」試聴してみた。
昭和29年の個人録音でも高音がよく響いてるな。 昭和20年代にはテレビもテープレコーダーもレコードプレイヤーもあったのに
全然普及しなかったんだな。昔の日本どんだけ貧国だよw 戦争にコテンのパーンで負けたんだぞwww
戦後の復興こそが奇跡
未だに欧米以外の非白人国家で先進国となったのは日本のみ
他所のアジア諸国は貧富の差がテラデカいから、もんげー金持ちはぎょうさんおっても
国自体は未だにビンボーw >>695
機会があったらタイムトラベルしてみてくれwww 昔の歌謡曲が貧乏臭い歌ばっかなのは貧乏人が多かったからなんだな なんせ銀座のバーでさえぼっとん便所だったからなあ・・・
山口洋子の自伝によると
アレ?用をたす音が聞こえるだったかな?
いずれにせよ、銀座のバーですらショボかったw 明治から昭和初頭、中期の時代背景を描いてる、映画「わが町」がオススメ
たぶんまだ明治を知ってる人たちが作ってるから、背景美術もかなり正確だと思う
雰囲気が素晴らしい、南田洋子が美人 昭和30年代から製造しているというサンスイ・トランス(橋本電気ライセンス生産)。
ST-78という小型トランスをライントランスに使うと、1970年代のFMラジオの音が蘇る。
元はラジカセなどトランジスター回路に実装された15mm角の終段ドライバーだが
低音を少し落としてくれてボーカルがきれいに浮き上がる。
音調は安いオーテクのカートリッジに似てなくもない。ハイファイだけどちょっと懐かしい音。
ttp://www.hashimoto-trans.co.jp/frame/stcat.pdf オーテクのカートリッジといえば70年代アイドル。
勝手にそう思ってるのは、中高生がお小遣いで買えるラインナップが充実してたからで
甘酸っぱい気分とゴチャマゼになって、音調も少し華やいでいたような記憶がある。 1970年代の録音ソースは、カートリッジにせよ、カセットテープにせよ
あらゆるところで磁性体が関与していた。
磁性体そのものの音色は、伝送エネルギーの非直線性によって
ちょっとした粘りや、位相の遅れが生じて、それが癖になって残る。
1970年代は、DCアンプなどトランスレスの設計が進んで
段々と直線性の強い音になるわけだけど
肝心なところで磁性体のヒステリシスが味付けとして残ってたと思う。
もうひとつの要件は、ワウフラッターで、意外にグルーヴ感を出す。
33 1/3回転の魔法ともいうべきか、CDにフランジャーを織り交ぜると
グルグルと音楽が無限ループに入ってくる。 他でサンスイ・トランスを薦めている人がいたら紹介よろしく。 終戦後の東京の映像に東京ブギウギとか花を召しませとか流れてたけど
あれら全部ヨナ抜き音階なんだよな
東京シューシャインボーイもそう
今じゃヨナ抜き音階なんて全く使われないけど
いつ頃から使われなくなったのかねえ?
江利チエミのカモナマイハウスに、雪村いづみの思い出のサンフランシスコか
ジャズ自体が浸透してアメリカ文化の影響が支配的になったのか
原信夫も渡邊晋もクレイジーキャッツも、進駐軍御用達だったんだなあ 演歌以外の流行歌で消失、という前提かな?
となると、演歌の成立と並行してるよ。
逆にブギウギのような洋楽に和のテイストを加えた理由のほうが
もっと意味があるような気がするけど。 >>708
月がとっても青いから 、もそうだけど
ワシはヨナ抜き音階が好きだ。
古い所だと、中山晋平作品にも多いよ。 中森明菜の1984年のアルバム「ANNIVERSARY」は、LPとCDでジャケットが微妙に違う。
さあどこでしょう? >>709
なるほど、ヨナ抜き音階は演歌に収束してったのか
元々ブルース・スケールで演奏されてたのを、日本人に合わせて
同じペンタトニックスケールでもヨナ抜きにかえたんじゃないかな
つーか、ブルースにしろブギウギにしろ日本独特なものになっちゃってるよね
>>710
古い歌でもイイものはやっぱイイもんねw 日本でのブルースは、ベッシー・スミスを発端にするアーバン・ブルースで
南部デルタ〜シカゴのブルースとは系統が違うかもね。
後者は、カントリー、ロックという形で継承されてるけど
輸入された時期で呼び方が変わる。
でも、個人的には、こういう分類は、あまり意味がないと思ってる。
むしろ、ヨナ抜き=エスニック、ヨナ抜き=日本的、という感覚は
単に歌詞の違いで、印象が動いてるような気がする。
「月がとっても青いから」も発売当初は
扇情的な歌を少女に歌わせたと批判されたけど
今は大して騒ぐほどのものではない、という意見がほとんど。
でも、過去のこうした感覚をどう再生するか? と問われれば
結構、敷居が高いように思う。
女が月明りの下で遠回りするよう誘う、という文学的ニュアンスよりも
耳にしてピンとくるものがあったんだと思うんだが
結局、アップテンポにアレンジしたところで覆い隠せなかったのだろう。
それが何か? というのが、本当に悩ましい。 日本のブルースは、訳語の哀歌という言葉を見て、ああ哀しい歌なのかと、
いかにも哀しそうな歌を作っただけかとw んー反応がないのに答えを出すのはしゃくだが、
LPのジャケット
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51ERBCKVFCL.jpg
CDのジャケット
http://merurido.jp/dropbox/front_image/500pix/WPCL11726.jpg
右上の丸の中の日付がLPは1984.5.1、CDは1984.5.25。
LPとCDで発売日が違ったのだ。
ちなみにCD紙ジャケでは1984.5.1になってるらしい。 ヨナ抜き音階の曲が作られたのは明治以降。
てことはもともと西洋の民謡をもとに出来上がったんじゃないかな?
スコットランド民謡とかをもとにして洋楽を勉強していた作曲家がつくったんで、
もともと日本土着の音階じゃないのかもしれない。 >>714
エレジーって悲歌だっけ
ブルースが哀歌なら、どっちがどっちか区別つかんねw >>716
いや、ざくっとwikで見ただけだが、江戸時代から
日本国内に存在していたみたいだぞ。 同じくwiki見たら
雅楽の呂旋法(双調・壱越調)と同じって書いてるやんww
でもハーモニーまでヨナ抜き音階で出来てたら雅楽とは当然違うわけだけどな 昭和30年代頃迄のモノラル音声はAMラジオで聞くのが一番しっくりする TV東京の伝説の歌番組、演歌の花道、
エアチェックした、テープ、夜の高速で、聞くと最高だね、うちのお母さんが、沢山録ってた。 何だよ〜
歌謡曲と言うから、石川さゆりや美空ひばりが来るとオモタら・・・
詐欺じゃん 石川さゆりは結局、花供養のLPが最高傑作だよな
美空ひばりはしらん AMラジオでCD流す時って何か加工しているのだろうか
エコーがかかってる気がする >>725
民放AM局もFM局も、音や電波が規格を超えないように抑えるリミッターが必要な上に
放送局独自の音作りがあるから、それによる加工はあるよ
>>655にもある、ニッポン放送の「キングアワー」(1954年)を聴くと、
レンジが狭いのに、BGMが今よりも自然に感じる
https://youtu.be/pa-g0GDDwn8 >>727
民放ラジオは、プリエンファシスで、NHKは、サウンドイコライジングシステムを使ってる、NHKの方が、チューニング難しいのは、その為です、AFNが、自然な感じ、真空管ラジオにも合う、放送大学FMは、知らない。 >>724
吉幾三さんと、天童よしみさんも、良いです。 低能・低予算、落ちる一方のTVと違い
ラジオは相変わらず楽しめる。 >>730
おっしゃる通り。
昔ほどじゃなくても、
ラジオは確実に生きてますよね。 >>730-731
8月30日の「伊集院光とらじおと」でやってた松本隆との対談は面白かったよ
AMが入りづらい環境だからradikoで聴いたけど、タイムフリーでこの土日でも聴ける 山本耕史は思いがけないくらい上手いな、植木等の声真似
顔はまるっきり似てないけど声で楽しめそうだわ
ハイそれまでョが来るのが楽しみだw みのや雅彦 デビュー35周年記念リアルライブツアー2016明日をまだ信じてるPV
http://www.youtube.com/watch?v=hzdMaQTMDQg
昨年デビュー 35 周年を迎えたみのや雅彦。
デビュー35周年記念リアルライブツアー2016「明日をまだ信じてる」ツアーファイナル、
札幌市教育文化会館(2016 年11月27日)のライブDVDです。
今作品は自身初となる映像作品となっており、デビュー曲「白い嵐」をはじめ昨年リリースされた
自身第2弾ベストアルバム「みのや雅彦 THE BEST2~明日をまだ信じてる~」に収録されている
最新曲まで代表曲づくしのツアーファイナル、ライブ映像をそのまま収録。
また今回、みのや雅彦のライブといえば力強い歌の中にも心にそっと寄り添う優しい歌声は勿論。
今までラジオパーソナリティとして培ってきたTALKもほぼNOカットで収録。
みのや雅彦のライブに来たことがない方でも、また毎回ライブに足をお運び頂いている方でも十分に
「みのや雅彦」を感じ取れる映像作品となっています。 演歌は過去にしがみつき、フォークは明日への希望に賭ける。
今をありのままに生きる知恵は、アイドルだけにしかないのか。 答えを知らぬ君に出来るのは
今明けてゆくあの空に問いかける事 美空ひばりのむらさき小唄と祇園小唄が好きでLPでよく聴く。 日本語の表現は繊細・多彩。
控え目な言葉に秘めた想いの大きさに心震わせ。
自己中小学生の我がまま作文みたいな歌が多い昨今
昔のフォーク・歌謡曲が沁みる。 先週放送された、NHKのドラマ植木等の中で
鈴木愛理が唄った ごめんねジローが
凄かったな。
奥村チヨ以上に奥村チヨだった。 【エイトナイン+プラス】 2017.09.11放送分 MC 佐々木清次 関根奈緒
https://www.youtube.com/watch?v=Ll6wScPrKvQ
ゲスト みのや雅彦 島倉千代子の歌声に日本ならではのもののあはれを感じる ひっそりとBSフジでやってるドリフ大爆笑の再放送。
高田みずえが出てたのはある意味タイムリーか?
しかし元祖岡田奈々かわいいなw 【ディスりのボキャブラリーしか持ってないネットゴキブリ瀬戸公一朗】
●悪夢の早大高等学院(1留)-早稲田大学法学部卒業の55才爺・瀬戸公一朗
●卒業証書やネットパイロティング社の給与明細、自分の部屋の画像を繰り返しupして
「貧乏人www」「貧民www」「中卒wwww」「低偏差値www」を連呼
●公正や人権を学ぶべき法学部で、植松聖と並ぶヘイト脳を醸成
「池沼」「等質」「自閉症」「カナー」といった知的障害者差別用語を
書きまくったネットゴキブリ
東亜板にて、韓国ヘイトレスで暴れまくったと自慢
●怒ったギャラリーのトラップにより、それらの障害者ヘイトレス(一日200個越え)が
ネットパイロティング社内からの書き込みだと暴かれる
●現在もネットゴキブリ瀬戸エテ公一朗=1000ZXL子=アンバランス転送=ぽん として
良識派に徹底した侮蔑レスを書きまくって快楽を得ているサイコパスである
●付いたあだ名がバカアホニゲタクズセンコ、ミスター恥知らず、ミスター卑怯者
●貧困なボキャブラリーで嘘と中傷と煽りしか書けないからIDを20以上使用して自演する
も、バカレスに賛同賞賛するバカ自演ですぐに瀬戸公一朗とばれている
●Yahoo株のみずほインベスター証券で比内鶏、silverfd他の名前で荒らし
自らを一橋大学卒と偽っていたせいで中山康氏に多大な迷惑をかけて逃げた
●現在はコピペ荒らしとして各スレを爆撃中(必死連日1位以下独占状態再び1日200レス) 人生は、幸せが4割、不幸せが6割、それくらいのほうが頑張れる あ、高田みずえじゃなくて、高田みづえだったんだな。
みずえとみづえじゃ発音も全然違うしねw ド
ド
ドリフの大爆笑77を
ろ
ろ
録画で観ているのだが、
こ
こ
小柳ルミ子はこの時25歳ってことか。 ドリフの戦前戦時歌謡曲好きだ
隣組、ズンドコ節、ほんとにほんとに御苦労ね、酋長の娘等々 美空ひばりの祇園小唄、十三夜とか日本情緒いっぱいで素晴らしい。 >>753
ドドドリフの大爆笑は
トントントンカラリと隣組
の替え歌だな ド
ド
ドリフの大爆笑のゲストは研ナオコかよ。
見て損したw
セクハラでアイドルに敬遠されてゲストで出なくなってったんだろうなw 歌合戦という名前なのに
手抜きの下手なお芝居、つまらんバラエティ
歌っているようでクネクネ踊っているだけの人ばかり
そしてもどれも初めて聞く曲ばかりだよw 和田アキ子が出なくなったから少しは
マシになった。 基本生歌ってとこはきちんと評価すべき
(但しアイドル系は除く)
まあ俺は紅白より思い出のメロディー派だけどな 紅白なんて慌ただしくて騒がしいだけでじっくり音楽を聴く番組ではない
ビッグショーのような番組の方が断然良い 確かに今聴くと、こんな歌詞を歌ってたのかと驚くような曲がたくさんある
今の曲だってちゃんと聴けばそうなのかもしれないが、、、、 ピュアオーディオで昭和歌謡を聴いてみた。
音質抜群で驚いた曲
ペギー葉山の学生時代、とかいう曲。 >>767
ピュアオーディオ(+ドーナツ盤レコード)で昭和歌謡を聴いてみた。
音質抜群で驚いた曲
狩人のコスモス街道、とかいう曲。 ビクターのムード歌謡を艶やかに鳴らすには何が最適か? ↑ 多分、オーディオ機器の性能のこと以外の妄想でいっぱい。 今ではなかなか想像しがたいのは
ムード歌謡といえども、当時の大型スナックには
生ビッグバンドが常駐していたということ。
ゴージャスに鳴らし切らないと何もはじまらない。 「大型スナック」すら想像できないのに、
生ビッグバンドをバックに歌う歌謡曲が聴けるスナックなんてますます想像できないw 多分大型スナックは昔あった赤坂のニューラテンクォーターみたいな
ナイトクラブとか赤坂のキャバレーミカドとかの事かと。
そこまで豪華じゃないが各地にあった。
石原裕次郎の映画の舞台になった横浜のクリフサイドは
現存してる。
ビクターのムード歌謡のレコードは当時発売されていた
ビクターのアンサンブルステレオでエコーたっぷりきかせて
部屋の照明を赤とか青にして聴くといいかもだ。 1966年が山水電気がJBLの輸入代理店開始
1967年にヤマハがアルテックの輸入代理店
という流れで考えると、
ランサー101、バレンシアあたりでバタ臭い感じも悪くない。 1970年を前後してエロ・グロ・ナンセンスな歌が結構増えて
かつて「幻の名盤解放同盟」には、その手の録音が蒐集されていましたな。
青江美奈は、むしろボーダーラインぎりぎりのところを狙った感じで
歌唱力で真実味を補っていたように思うのです。
じゃあ、的を外してしまった歌、針を振り切ってしまった歌は
オーディオとしてどう評価してよいやら。 ちょうど若者のブームがGSからフォークに移りかけた時期だけど
もはやリーマン生活にどっぷり漬かったオジサンは一緒になれない。
でも気持ちだけは、何か時代の移り変わりを感じ取りたい。
そういう妙に春めいた感覚を、どう表現したらいいのだろうか? 最高に楽しむには7インチシングルを聴くわけじゃん
みんなはどう?アナログ?CD? >>772
マジレスすると
ヤマハのAVアンプ 3070で7.2.4chで
DTSのニューラルポジションかドルビーサラウンドに
DSPがベストだと思う。
SPはもちろんヤマハのね。
これぞジャパニーズサウンドを聴かせてくれる。 >>784
ヤマハ・ビューティーといえば、ポプコン、ニューミュージック系を思い浮かべるな。
サラウンド効果でラウンジ風というのは、ほろ酔い気分な感じだけど。
歌謡曲というと醤油味を思い浮かべるけど、日本ビクターは動物性脂肪たっぷり。
霜降り肉のできる前に、ハンバーグやビフテキにバター乗せてた感覚。 歌謡曲の「素材としての巧さ」を引き立てようと
シンプルな味付けで聴き込もうというのは何となく理解できる。
ポテトチップスでいえば、うすしお味のようなものだ。
ほたての貝柱の干物のように、噛めば噛むほど味が出る楽曲もある。
このようなものは、かえってソースを掛けないほうがいい。
一方で、味付けがないと、食べにくい食材もある。
例えば、昭和の男女関係。賞味期限も切れ、干からびてる。
アルコールに漬ければ、ふやけて食べやすくなるというものでもない。
ムード歌謡の再生をどう考えるかは、こうしたセンスと紙一重だ。 1月〜12月の各地を情緒豊かに唄った石川さゆり「花供養」LPが素晴らしい。
「春の雪」が一番好きだったがたまたま出逢ったこのLPはたいへん心地良い。 昔のシングル盤やLPのサウンドが最適なのはいいんだけど
結局それを再生する機材のことを語らないと不十分だな。
オーディオ板だしね。 ターンテーブルにしてもベルトドチイブなのかダイレクトドライブなのか
カートリッジはデンオンかオーテクか、シュアかオルトフォンか
歌謡曲のジャンル分けに従って使い分けるようなこともあってしかるべき。
あるいは、あの歌手にはこのカートリッジという、こだわりくらいあってもいいだろ。 78回転に対応してるターンテーブル探しているんだけどなかなかいいのが無い 78rpm用で良い物となると、ガラード、EMT、デンオンと
いずれも業務用中古だな。
アメリカ製も1950年代までの古いやつしかない。
ふつうに蓄音機のほうが良くねえか? なんでやねん
Technicsがありますやん昔から SP10のマーク2以降ね。これもガラードと一緒でほぼ業務用。
ナショナル/パナソニック時代の電蓄までさかのぼると
全てのメーカーが当てはまる。メンテに手間かかるけど。 しかし、今どきSP盤で懐メロとなると
希少なうえ、盤質も気になるし
文化遺産の命を削ってるようで気が咎める。 よほど稀少盤でもない限りSP盤は結構残ってるからそんなに神経質にならなくてもいい 俺はシングル盤専門だけど昭和30年代前半より前は音が古臭くてダメ。
逆に昭和60年代以降も音的にイマイチ、きれいだけど迫力が無くなる。
オーディオも中古で、その辺の年代で揃えてる。
プレーヤー: DUAL1019+シュア44
プリ: AGI511
メイン: T.AMP S-752台 ここだけ新しい(安いから)
スピーカー: アルテック 620A
一応ヴォーカルがリアルに再生できるってのを目指したんだけど、そこそこ
達成できてると思う。 もし俺と同じで、とにかくヴォーカル優先って人の
参考に、スピーカーの中央にマイク(スタンド設置)を置いて、スピーカーの
上に置いたスポットライトからマイクに照明を当てる。 部屋の照明はオフ。
人間、視覚の効果って凄いからこれやってからヴォーカルのリアルさが全然違う!
毎晩お気に入りの歌手が自分のためだけのコンサートで至福の時間。 昭和で言われると時代感があやふややw
1960年より前
1985年より後
このあたりはカートリッジを換えるべきかもな
DL-103ならもっとバーサタイルかな 第一はノイマン社のカッティングマシーンの差で
SX45とSX68で区分できる。
第二はテープレコーダーの差で
アンペックスかスチューダーか。
第三がミキシングコンソールで
アンペックスの真空管式か、ニーヴのような石か。
総じて、昭和40年から50年までの間で
これらが徐々に移行する。
昭和60年代以降はもはやデジタルだ。 あとはラジオ世代かテレビ世代か、AMかFMか、という区分もあるな。
ラジオ→テレビ:1960年代
AM→FM:1970年代
テレビを音楽媒体としてとらえると、庶民文化がスッキリと判る。 DL-103の開発された1965年は
FMステレオ放送が開始された1963年から
1966年に全国の地方局で聴けるようになった
橋渡しの時期にあたる。
このことが、ちょうど新旧の録音をまたぐような
中立的な立ち位置を保たせられている。
カートリッジでいえば
オルトフォンからシュアーへと世代交代する時期に
両極端な性格を取り持つように存在する。 凝りもせずに奥で一山いくらのシングルを・・・
せっせとクリーニングにはげみますわw JBLの70周年アニバーサリーの第一弾は
L100 Classicということらしい。
何のことはない4312のコンシュマーモデルで
アメリカでは4312は売ってないので新規性があるが
日本では今更感も少し漂う。
しかし、本当の目玉は
あのポップなネットカバーじゃないだろうか?
4312のいかにもロック魂というのに比べ
ミッドセンチュリー風なデザインとして風合いがある。
ニューミュージック、アイドル系に合うんじゃないかと。 JBL L100 Classicのデザインは、1970年代初頭にしては古い。
時代はアポロ月面着陸のようなスペースデザインが最先端だった。
そういう意味では、4312の漆黒のほうがデザインは合わせやすい。
日本だと家具調デザインのコンポが1960年代末に流行ったが
これがムードミュージックに最適なのは、それがこの時代のビンテージだからだ。
現在製造されていて木質をあしらったオーディオデザインだと
ラックスマンLX-380、デノンDP-500Mあたりが有力だろう。
いずれの機種も暖色系でかつパワフルという面白い組合せになりそうだ。
CDプレイヤーが難しくて、ラックスマンD-380があるが
かつてはヤマハGT-CD1のようなデアインもあった。
ttp://www.audio-heritage.jp/YAMAHA/player/gt-cd1.html
これはレコードプレーヤーのGT-1000やGT-2000をコンセプトに
デザインされたようだが、CDはどうも金ピカばかりでデザインが単調だ。 午前中7インチを12枚ほどクリーニングして昼から聴いてる 至福〜 日本の場合、ステレオ化が比較的早かったので
卓上プレーヤーとEP盤の関係がいまいちだけど
イギリスではDansetteなどのモノラル・レコードプレーヤーが
若者文化にしっかり食い込んでた。
モノラルのレコードプレーヤーは、日本だと電蓄という感覚だけど
ティーンズが高級なステレオ装置を買えなかったのと
レコードを放送で流すの禁止していた法律の壁があって
独特の英国内向けモノラル盤の文化を生み出していた。
日本の場合は、ラジカセのほうがしっくりくるかな。 昭和の歌謡曲番組
いままでBSだけだと思ってたらついに地上波でやるようになってしまったw 歌謡曲を聴くのに一番の課題はスピーカーのように思ってる。
例えば、カートリッジではデノンD-103があるし
アンプはラックスマンが1970年代初頭の味を残している。
旧サンスイの橋本トランスで真空管アンプというのもアリだろう。
じゃぁ、それでスピーカーは? と言われると
現在製造されているもので選ぶのは至難のわざ。
高域と低域が強く、中域が沈み込んでいる感じが多い。
そのため中古で状態の良いものを探す人が結構多い。
新品で思い浮かぶのは、LS5/9のレプリカ、JBL 4312E
あとはタンノイで30cm以上のクラスだろうか。
日本製では、クリプトンKX-3が旧ビクターのリファイン版だが
あえて昔を振り返らない感じもする。
オンキョウD-77NEは古いようで1985年開発のもので
CD対応の強調点がむしろ懐かしく感じるくらいだ。
実は、JBL、タンノイなどは欧米ではほとんど展開しておらず
日本製といってもいいくらい。メーカーで色分けしないほうがいい。 あとはフルレンジを選ぶのも昔からある方向のひとつで
エルシー電機 LC-12Sは昔のフルレンジの名残がある。
フォステクスFE103enは、1960年代からのロングセラーだが
明るい中高域のトーンが演歌を見落とすことになりそうだ。
もうすこし奮発してF120Aまでいくと艶やかさが別の魅力を引き出す。
ダイトーボイスのロクハン3種を挙げる人もいるが
かつてのロクハンのような微妙なふくよかさが足らないので
あまり過度な期待はしないほうが良いかもしれない。
むしろダイトーボイスならF120C85-1のほうが昔のバランスを維持してる。
エルシー電機 LC-12S、フォステクスF120A、ダイトーボイスF120C85-1
12〜13cmのフルレンジに集中したが、別途に箱が必要なのと
あまり高級アンプを充てるのが惜しい感じがするので
実際はちゃんとした性能を出し切っていないかもしれない。 手軽さという点では、CDも見逃せないのだが
CDプレイヤーの音がアナログ的な暖かみを出すのが難しく
歌謡曲の肉声の魅力が十分に伝わらない感じがする。
よく真空管アンプで暖かみを出すということが行われるが
真空管自体は、きれいな倍音は出ても、音はけして丸くない。
丸みを出しているのはトランスのほうである。
最近みつけたのが、トランジスター回路用のサンスイトランスで
ST-17Aなどは昔のラジカセの音そのものである。
1957年からのロングセラーで、これをライントランスに噛ませることで
不思議とEP盤の味わいが出る。あえていうとキャラメルの味か。
あとは、ECL82のお気軽アンプでフルレンジを鳴らすなどでも
結構おもしろい感じになりそうな気がする。 サンスイトランスST-17Aはトランジスター回路用に製造されているものだが
コアボリュームも小さいため、特性はナローレンジで
500〜4,000Hzがフラット、周囲は-1dB/octで減衰する。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-4328.png
トランスの場合、両端は単にレベルが落ちたというだけでなく
歪みとなって元信号に雑味が加わる。-1dBという以上に減衰感がある。
これだけみると、ハイファイ再生にはアウトなのだが
CD用のライントランスとしてみると、色々と良い作用がある。
ひとつは、低域の被りを回避できてボーカルがきれいに抜けよくなる。
多くのスピーカーは、重低音を出すためにウーハーの反応が鈍く重たくて
ボーカルの息遣いよりも胸声が強調されてしまうが、これを回避できる。
次に、超高域に溜まりやすいパルスノイズが鈍化して目立たなくなり
代りにボーカルから出る倍音のほうが増えていく。声がより濃密になる。
ST-17Aはボーカルを引き立たせるトランスということができるだろう。 ST-17Aの特性は、インターホンやラジオというノイズ源の多いソースに向いている。
風音、車音、電波状況、様々な要因からボーカルを抜き出す。
では、音質的に優れていると言われる、CDというパッケージの場合
何が問題かというと、あらゆる信号にパルスノイズが乗ってくることで
パチパチ=イライラに繋がっていく。それをうまく利用したアレンジが
J-POPのシャカシャカするデジタル・パーカッションの多用だと思ってる。
そういう意味では、ST-17Aの出番は歌謡曲に限定すべきで
全ての録音ソースに通じる処方箋というわけではないと思う。
一方で、こうしてレンジを区切ったときに
途端に音の悪くなるスピーカーもある。
全体にモゴモゴして、音が曇ってしまうのである。
原因は音色のつくり込みをツイーターに過度にもたせて
ウーハーだけでの再生能力が低いからだ。
その意味では、今聴いているスピーカーがボーカル向きか?
歌謡曲を聴くのに、ボーカルが十分に再生できないのは
システムとして問題があるように思う。 DAコンバーターのデジタルフィルターに、随分前からロールオフの緩急があって
歌謡曲に向いているのはスローロールオフだと思ってる。
一般的にはシャープロールオフで、44.1kHzに対し20kHzで鋭角的に切る。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-28317.png
そのかわり、音の立ち上がりの部分でパルスノイズが乗ってくる。
小さなうねりは、全ての帯域で位相の歪みとして累積することを意味する。
これは楽音とは関係なく、全部の音にある種の気配をチラチラさせる。
スローロールオフの場合は、14kHzからロールオフする。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-28369.png
ハイファイの基準は満たさないものの、パルスノイズ、位相の乱れが減退する。
ボーカル再生に関しては、滑らかに音が流れ、こちらのほうが好ましい。
むしろ歌手の意図した表情を優先して引き出しているように思える。
変に気をもたせるのがいいか、まっすぐこっちを向いて話してくれるのがいいか
どっちを選ぶのかは自由なんだけど。 ボーカルに再生を絞って考えすぎて
アレンジの多様性をオーディオ的に堪能できないのでは?
そういう疑問もあるかと思うけど、杞憂に過ぎないと思う。
歌伴の優れて歌謡的な部分を聴くのが、歌謡曲の醍醐味だ。
それは広帯域になったから聴けるというものではなく
むしろボーカルに寄り添うように滑らかに奏するテクニックであり
中域にギュッと詰め込まれた表情を読み取れないと判らない。
中域の分解能というのは判りにくくて、タイミングや緩急の違いだ。
分解能というと音色の違いで判断することが多いが落とし穴もある。
音色の違いはツイーターで占めていることが多く
そっちのレンジで分解能の判断を片付けている場合が多い。
しかしツイーターのダイナミックレンジは非常に狭く
そっちが支配的になると音楽全体のもつ躍動感をうまく聴き取れない。
ボーカル域でちゃんと分解能を担保しないと悪循環が起こる。 昔、学生時代に合唱をやってたことがあって
女子の間でユーミン、中島みゆき、竹内まりやの話題が尽きない。
どうもみんなCDラジカセで聴いているようなのだが
それなりのステレオで聴いてる自分よりも、多くの物を聴き取っているようなのだ。
そのときは感性の違いだな、と諦めていたのだが
最近は聴いているポイントの違いだということに気が付いた。
結論としては、中域しか出ないラジカセのほうが、歌謡曲の伝達力が優れていた。
それとバックを務めているバンドメンの凄さを、歌詞そのものとして聴いていた。
歌謡曲って、聴き方でこんなに変わるのだと、色々と考えさせられる。 ラジカセ以下のツッコミしかできないオーディオ機器は要らず
ラジカセより醜く歌謡曲を再生するオーディオ機器も要らない。
さっさとハードオフにでも売り払ってしまったほうがいい。 最近のオーディオの進化には、着いて行く気がほとんどおきない。
どうも進化の差分を強調するあまり、差分以外は退化しているようなのだ。
そして退化したのがボーカル域=200〜2,000Hzのような気がする。
そんなの電話音声レベルの帯域なのだが、その両脇のキャラクターに押されて
発音のスピードがアンバランスで、結果として分解能が落ちているように感じる。
おそらく、現在市販されているほとんどのオーディオ機器は
リバーブで処理していない1970年以前の歌謡曲を艶やかに再生できない。
逆に不要なエコーでいっぱいだと感じているのではないだろうか。
ツイーターでの音色の描き分けを重視するあまり、中域がおろそかになっている。
日本語の母音のニュアンスが集中する800〜2,500Hzが曇っている。 古いオーディオマニアには、単品コンポを吟味して選ぶというのが
一種の儀式のようになっているかもしれない。
レコード、チューナー、アンプ、スピーカーに分けて
グレードアップしていくのがオーディオの楽しみとなっている。
歌謡曲の場合、ほとんどの人はレコードマニアに属するので
そういう七面倒くさいことは嫌うし、音質をアレコレ批評するのも嫌う。
でも、チープな機材で聴き続けて何かを聞き落としていないか?
そういう疑問もあって、色々と工夫すべきだと思った。
とはいえ、安直なグレードアップは、かえってヤブヘビで
商業的な効率主義の真っ只中にあった歌謡曲の録音を
毛穴の底まで見てやろうというのは、何か違うと思う。 歌謡曲を文字通り再生するためには
グレードアップというより最適化というほうが合ってる。
オーディオを性能で測ると、微に入り細を穿つことが尊ばれるが
わざと色彩を落としたり、ピントをぼかしたほうが綺麗に写ることもある。
また何でもステレオで広大な風景が観覧できることが正しいのではなく
画角を削って絞りを浅くしたほうが人物が引き立つこともある。
写真では当たり前のことが、オーディオではできないでいる。
理由はハッキリしていて、カメラには撮る趣味が大半を占めるのに
オーディオには録音という行為が抜け落ちているからだ。 オーディオには、録音ソースを忠実に再生するというルールがある。
カメラも同じようにみえるが、交換レンズの広角〜望遠の違いで
被写体の写り方に違いのあることは良く知られる。
オーデイオでも、カートリッジ、アンプ、スピーカーの選び方で
聞こえ方の違いのあることは知られるが、目標を絞らないと
いくらお金があっても足らないし、いつまでも堂々巡りになる。
歌謡曲は人物写真に似ていて、肌合いの階調が取れないと
表情が読み取れないように思ってる。
目がキラキラしている、笑顔がカワイイ、なんていうのは初心者で
沈んだ表情、年輪のような皺、そういうことも対象になる。
日本人の場合は、心の裏の部分を表現していることも多く
何でも表沙汰にして話すことを避けているようにも思う。
この表情の中核が、オーディオでは中域と呼ばれる帯域で
母音の第2フォルマントで、喉音の変化で聴きとる。 昔からWE〜アルテックのトーキーシステムが大型ホーンを使い
500Hzのような低めのクロスオーバーをもつのは
人間の声の表情を的確に表現できることは知られているが
第二フォルマウントの反応が遅れないためだと思う。
逆にそれに対応するツイーターを見つけるのが難しくなってるくらいで
中域〜中高域の吹き上がりをマスキングしないように足すのが難しい。
これよりダウンサイズした方向で、大口径のエクステンドレンジ・ユニットが
もう少し汎用性のあった仕様だと思っている。
ようするに大型電蓄用のスピーカーなのだが
ジュークボックスから小型の映画館まで幅広く使われ
現在では舞台用の簡易PAの名残としてギターアンプ用として製造されてる。
昭和30年代に青春歌謡などを映画館で聴いたというなら
フェランティやハーク、調所電器の励磁型スピーカーが大半だっただろう。
英国の技術を導入し、すでにフリーエッジで低音まで伸ばしていた。
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~chosho/FIELD/fieldproducts.htm
歌謡曲のエッセンスは、こうした時代から根を下ろしていると思われる。 300Hz以上をホーンにするとよいよね 歌謡曲に限らず、だけど Altec 288〜299の類だよねー。館山の仙人とか愛用してるけど
資源の枯渇というか、良品に巡り合える機会がめっぽう減った。
巨大マルチセラーホーンが部屋にあるだけでもやる気満々な感じ。
憧れるけど、自分は12インチのフィックスドエッジで目一杯かな。 でも12インチ以上のエクステンドレンジって、やんちゃなところがあって
歌謡曲はよくても、クラシックやジャズではだめなのが多い。
キャパが狭いので、弦がささくれて、ペットがかしがましく鳴る。
でもボーカル域の艶やかさと肌触りは最高。 ちなみにJensen C12RにAltec 802C+511Bを乗せてもダメ。
ウーハーとしてのポテンシャルが低いから。
500〜1200Hzクロスで動かしても、ホーンに音が吸い込まれてしまう。
2.5kHzでようやくノーマルになり、中低域の力感が回復してくるけど
これだと802Cの使い方がとてももったいない。
JBL D130と802Cは大丈夫。1.2kHzクロスがオススメ。
よく075の2.5kHzクロスが、鮮烈な音で薦める人が多いけど
D130のパンチ力を800シリーズのモフモフした感触で包むことで
毛皮のコートを着た長身のモデルさんのような組合せになる。
ちなみに175DLHとの1.2kHzクロスは、D130のパンチ力が削がれる。
多分275のほうが、本来の持ち味が活かせると思う。
だからといって、これだけでD130のほうが優秀とは片づけられない。
単純には、ジェンセンのほうが組み合わせるツイーターを選ばないので
セットアップの苦労が半分以下に減る。 最近になって、日本のアンプなんて全部中国製だろ
なんて思ってたら、国内工場での組み立てが結構多いことに気付いた。
アキュフェーズ、エアータイトのようなクラフトマンシップ色の強いメーカーから
デノン白河工場、宮古マランツ、エルマー電器(ラックスマンOEM)など
量産品にもラインアップが豊富だ。
個人で使ってるのは、デノンPMA-1500REだけど
音の出方が律儀なのは、造りが丁寧だからだというのが判る。
色んな意味で「NHKの音」だと思っているんだけど
ちゃんと情熱的なポテンシャルも維持しているので気に入ってる。
気になるのは、フラッグシップ機ではなく、むしろビギナー向けのほうで
同じ価格帯では最高のパフォーマンスをもってると思う。
でも、ランクを上げていくに従い、表現の幅が広がるのだから罪つくりなものだ。 現在ではオーディオ用トランジスターの素子もバリエーションがなく
おしなべてMOS-FETアンプになるんだけど
価格に反映するのは電源部で
これだけで音の押し引きが違ってくるのはよく知られる。
自分としては、音楽の彫りの深さは、フィックスドエッジスピーカーが第一条件で
メカニカルなバネが作用しているだけで、音のパンチ力が圧倒的に違う。
現在製造されているもので、イタリア製ジェンセンのギターアンプ用ユニットがあり
安価で安定して入手できるため、これを使い倒していく方向で考えてる。
意外に気付かないのは、多くがビンテージユニットなので
当然ながら真空管アンプを当てがう人が多いんだけど
現在のMOS-FETアンプは、低能率スピーカー用にドライブ力が高いので
カミソリのような切れ味で、フィックスドエッジのウーハーをドライブする。
カミソリのようというと、高域が強い印象があるかもしれないけど
低域と高域のスピードがピタリと合ってるということ。
胸声と喉音のバランスが自然で、アタックと流れる抑揚の入れ替えも早い。
ボーカルが滑らかで。。。なんてのは聞いていないと同じだと思う。 ボーカルの再生に焦点を絞ったシステム構築の例として
1970年代にスタジオモニターとして活躍したオーラトーン 5Cがある。
スタジオモニターだから、さぞかし立派なスペックだろうと思うだろうが
なんのことはない10cmフルレンジを小さな箱に入れたものである。
ttp://quwa.fc2web.com/A_5c.jpg
ttp://quwa.fc2web.com/image47.jpg
これが何のために使われたかというと
ラジオ視聴者でも気持ちよく聴けるように、音声チェックするモニターである。
JBL 4320やウエストレイクのモニターとクロスチェックしながら聴いてた。
実は私のシステム構築は
ジェンセンの30cmにコーンツイーターを足してなお
オーラトーンと同じスペックに絞ってある。
ttp://quwa.fc2web.com/DSC01969a.JPG
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-8399.png
聞こえてくる音は、ラジカセのような懐かしいトーンなのに
反応がずっとキビキビして、迫力のあるサウンドである。 このスレを始めた時点で気になっていたのは
歌謡曲の再生に、ちゃんとしたオーディオ批評のないことだった。
実際には1970年代にも存在せず、今もって混乱している。
クラシック、ジャズが中心で、洋楽ロックよりもさらに格下である。
こうした傾向には、レコードマニアにも問題があって
楽曲の価値観を再生機器で束縛しない暗黙の了解のもと
オーディオに関する話題を、精神論で克服する向きが否めない。
実際には、現在のリマスターでも判るように、音質と印象はリンクしている。
もちろん再生機器の違いだって、楽曲の印象に影響するのである。
かっては怪物がいて、銀座ヤマハでアルテックA2で美空ひばりを流したり
梓みちよで音質チェックをしてた真空管アンプ製造会社など
かなりしっかりした価値観を認められてなお、本当のオーディオ機器の魅力を
一般の人にも広めようと思ってたんだと想像する。
単純に草の根、ダウンサイズというのではなく
マイクからスピーカーまでの距離をできるだけ縮める努力の賜物でもある。 難しいのは、1970年から50年も経つ声について
マイクからスピーカーまでの距離が、歴史的、文化的なフィルターがかかり
的確な判断を一層曇らしているように思う点である。
歌謡曲を、いい音、悪い音で片づけると
楽曲の大半は、悪い音で判断されるだろう。
ダイヤトーンの大御所も、スピーカーの設計は当時の最新録音を元になされる
ということを言っている。一方で、ロクハンの素材から出発して音質を判断させる
普遍的な基準というのも存在していた。ただ新しいだけではダメなのだ。 最近になってビートルズ効果というか
モノラル録音への嫌悪感が大分減った感じがする。
クラシックとジャズは、この録音方式の違いで大きく変わった。
みんな平等のラブ&ピースじゃないけど
昭和30年代の流行歌の魅力が少しずつ判るようになった。
結構モノラルだということで、復刻の意味を見出されなかったものだ。
何が一番違うかというと、初盤での初々しさというか勢いの違いが大きい。
再録盤のほうが功成り名遂げた歌手の芸風を知ることができるが
売れる前の未来につなげる思いというのが、初吹き込みには感じられる。
それは希望だけではなく、不安だって一緒になっての未来だけど
あれもこれも一緒くたにしての人生観が歌声に現われている。
その心の震えというか、想いが溢れ出す瞬間というか
そういう瞬間の積み重ねをタイミング逃さず再生するのは
ボーカルを滑らかに再生するという単純なものではないと思う。 モノラルの流行歌の再生が難しいと感じるのは
その当時鳴っていた電蓄のグレードが低かったことが一番大きい。
セラミックカートリッジをラジオにつないだだけのようなもので
今でも校内放送用に使われている16cmが標準
高級電蓄でも20cmでというものだった。
アンプは6BM8/ECL82、6GW8/ECL86という1W前後の複合管のほか
トランスレス用の30A5も多用され
後のラジカセでも標準的な出力として受け継がれていった。
日本だけ貧しかったかというと、欧米の状況も一緒で
よく言うビンテージ機器は、選りすぐりの高級品である。 この昭和30年代の電蓄のグレードを上げるとどうなるか?
まず思い浮かべるのは、青春歌謡でお馴染みのトーキー用システムで
38cmウーハーに大型ホーンを構えたタイプである。
あと日本ではあまり流行らなかったが、ジュークボックスがあり
30cmフルレンジにツイーターを追加したタイプである。
日本で馴染みがないのは、ラジオやテレビという無料で聴けるメディアが主流で
お金をシェアして交流するということは、あまりしなかったからだと思う。
このジュークボックスというのが、ラジオ以上トーキー未満という
昭和の流行歌を再生するミッシングリンクだと思っている。
30cmフルレンジというと、JBLやアルテック、エレボイ、ステファンスなど
アメリカ製のハイファイ用高級スピーカーを思い浮かべるが
実際にはジェンセンP12Rという低価格な汎用品が使われていて
今ではギターアンプ用として製造し続けられている。
ttp://www.jukebox-world.de/Forum/Archiv/Rock-Ola/R.O.1455.htm
ttps://www.jensentone.com/vintage-alnico/p12r
中高域に大きな盛り上がりがあるが、1940年代にラウドネス曲線を元に
近くで音が鳴っているかのような錯覚をもたらす仕組みで
よく音がスピーカーから一歩前に出るというような聞こえ方がする。
これはJBL D130も一緒の設計思想になっていて
初期のジムランの特徴のように思われている。 録音年代に流行のトーンがあって、大きな区切りが
EP盤が日本で発売された1954年
NEVEコンソールがアメリカに進出した1968年
CDが発売された1982年
という感じになる。
1940年代末期に設計された大口径エクステンデッドレンジ・スピーカーは
これらより前の恐竜のような存在に思うかもしれないが
実際は、マイクの生音をそのまま拡声して、リアルに聞こえるように設計された
別な言い方をすれば、ジャズバンドの生音とガチンコ勝負して
クルーン唱法の歌声を拡声していた時代の技術となる。
ボーカル域の再生にかけては、生楽器に負けないポテンシャルをもっている。
JBL D130の場合は、開発が1948年なのに
1970年代に入ってロック用の巨大PA装置の中核に帰り咲いて
30年以上も製造し続けられた。
ttp://www.audioheritage.org/html/profiles/jbl/d130.htm
1950年代と1970年代では、出てくる音も大分違うが
1970年代のほうが、よりラウドネスを効かせた特性になっている。
ttp://www.lansingheritage.org/images/jbl/specs/pro-comp/2135/page2.jpg
ボーカル再生のノウハウが普遍的に詰まっているともいえる。 ジュークボックスというと、ロカビリー世代の代名詞のように思われているが
1955年のヒットチャートを見ていても、チェリー・ピンク・チャチャがNo.1
ロック・アラウンド・ザ・クロックがNo.2、テキサスの黄色いバラがNo.3である。
つまり、新手の音楽として後の世代に影響のあったものが
歴史観として残っているといえる。それは日本語でのカバー曲が
テネシー・ワルツなどのスタンダード曲中心だったことと、それほど遠い世界ではない。
流行歌を聴くのに、ラジオか映画かという二者択一の間に
ジュークボックスをもってくると面白いと思う。 ジュークボックスと電蓄と何が違うかというと
基本的にはディスク・チェンジャーが付いてる点だが、音響規模でも異なる。
電蓄の多くが20cmスピーカー1本を数Wで鳴らすのに
ジュークボックスは30cm×2本を10W代でも鳴らせる。
長岡鉄男が1960年代に書いてたコラムで
「パチンコ屋で鳴ってる電蓄の殺人的な音」がときどき引き合いに出されるが
クリップポイントを超えた歪みだらけの音だったと想像できる。
ジュークボックスの場合はシングル盤専用なので
音質評価で使用するLPとの比較試聴ができないのと
個人で所有するには高額なものだったので
オーディオの批評には載ってこない。 ジュークボックスのもうひとつの特質は
それがAMラジオと下位互換性のある音響特性を残している点である。
通常、オーディオマニアはラジオの音を毛嫌いする。
誰でも持っているような物ではない高い嗜好性を競う嫌いがある。
しかし歌謡曲の試聴は、ほとんどの場合がラジオ、テレビであり
そこでの下位互換性の担保というのは重要だと思う。
実際の録音スタジオで活躍したオーラトーンの仕様はともかく
瀬川氏がデパートで量販されてるステレオ装置の裏舞台では
1980年代に入ってなお、テレビの音で聴いた歌手の声を基準に
ステレオ装置を求める人が多くいた。
一方で、長岡鉄男は1960年代のアンサンブル型ステレオについて
アナウンサーの声を聴いて胸声が強く不自然だと評した。
かわりにオープンバッフルのテレビの音響装置のほうが合理的とした。
歌謡曲の再生に絞るなら、この意見には同意できる。 オーディオのグレードアップを、ラジオとの下位互換性を確保しながら遂行する。
こうした変な嗜好を辿っていくと、たまたまジュークボックスの仕様に行き当たった。
ジェンセンC12Rはギター小僧でも買えるように8千円程度に抑えてあるし
ツイーター代わりのエレボイ205-8Aも4千円
ライントランスのサンスイST-17Aに至っては800円程度である。
アンプは日本製の安いもので十分だし、真空管のシングルでも十分に鳴る。
再生帯域を絞るのと、フィックスドエッジの瞬発力とが相まって
ボーカル域のエネルギー感が一気に吹き出すように押し出せる。
10kHz以上が曖昧なので、入り口はデジタルでもアナログでも好きに選べる。
ラジオとの下位互換というのは、録音品質への耐性も十分にある。
しかしグレードアップする重点も見逃さない。 EQカーブというのは面白いもので、人間の聴覚にそって設計されている。
元をたどれば、蓄音機のラッパの特性をディスクに刻んだものだが
マイクを使った電気録音に移行してからは、差異的なコントロールが可能になった。
大きな転機は、Hi-Fi規格で8kHz以上の領域を確保するために
高域を持ち上げて収録するようになった点で、各社が提唱したカーブの違いで
聞こえ方の異なることは良く知られる。
一方で、元を辿れば低域と高域の定義は、依然として人間の聴覚を基準にして
EQカーブの中心周波数を1kHz前後にしてなされる。
この意味することは、ローエンド、ハイエンドの領域の再現性という以外に
イコライザーの立ち上がる周辺のキャラクターにも注目すべきだと思う。 例えば1kHzの±2オクターブの250Hz〜4kHzでの違いを考えると
ラウドネス曲線を見て判るように、中高域により注意が引きやすく
中低域について違いについては、あまり関心が向かない。
レコードのカッティングの物理的な制限のため
低域で定振幅、高域で定速度という方向になるが
さらにエネルギー感の圧縮が中低域にしわ寄せされて
より聞き取りにくくなる傾向にある。
ボーカルでいうと、1950年代に多くいたバリトンボイスの男性シンガー
フランク永井、シラトラ、エルヴィスなどが徐々に影を潜めていく。
胸声で深い表情を出しても、胴鳴りが足を引っ張って
声の押し引きのコントラストが墨塗りされてしまうからだ。 1940年代に設計されたフィックスドエッジスピーカーは
EQカーブの考え方が導入される前の音響理論に沿っているため
高域のコントロールが曖昧で、強い分割振動で塗りつぶされる。
一方で、中低域はエンクロージャーの助けを借りずに
ダイレクトに振動させるように出来ていて
むしろ中低域の押し引きのスピードの速さが目立ってくる。
しかし、これは生音ではとても自然なことである。
中低域の胸声のタイミングがピタリと合うと
例えば、中島みゆきの語り掛け、声の出だしで1オクターブ下を少しえぐる癖が
言葉の語幹と重なって深い陰影をもたらす。
それが女の強さと、どことなく男の影を引き摺っているように感じる。 歌のジャンルとしては演歌なのだが
ドスの効いた胸声を使わない歌手に島倉千代子、石川さゆりがいる。
可憐なのに情念も激しい、声色だけじゃ判らない不思議な魅力がある。
ときおり話題になるが、石川さゆりさんはオーディオマニアのひとりで
スレテオ誌でインタビューをうけたことがある。
家ではタンノイ、出歩くときはゼンハイザーと、音楽鑑賞にこだわりがある一方で
全ての人が自分の声をこういう装置で聴けるわけではないことも熟知していて
ラジオから聞こえる声でも、歌の良さが判るように留意しているとも語っていた。
ラジオのような小さなスピーカーで聴いても個性を失わない
誰が聴いても石川さゆりの声だと判るような歌を心掛けるということだと思う。
逆転して考えると、ラジオなみの帯域でも歌の情報は十分にある。
例えば、ボーカル用マイクのシュアーSM58は、150〜10,000Hzフラットだ。
ttp://quwa.fc2web.com/frequency-response_sm58.gif
低域は近接効果で膨れる傾向にあるが、高域のキャラクターは変わらない。
こうした特性は、ライブステージでのPAに効果的なもので
むしろスピーカーの側の開発のほうが先行していた。
Jensen、JBLなど、1940年代開発のエクステンデッドレンジはこの特性だった。
ttps://www.jensentone.com/vintage-ceramic/c12r
ttp://www.lansingheritage.org/images/jbl/specs/pro-comp/2135/page2.jpg
個人的には200〜8,000Hzで十分だと思っている。
むしろその帯域での再生能力がボーカル再生に大きく効いてくる。 昔からオーディオに40万の法則というのがあって
可聴域が20〜20,000Hzなら上下を掛け合わせると40万となり
下が50Hzなら上限は8kHz、100Hzなら4kHzが最適であり
それからはみ出ると、低域過多、高域寄りのバランスになるというもの。
もっともその説の根拠は、蓄音機クレデンザの音の良さにあって
その特性が100〜4,000Hzだったからだ。
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長岡鉄男は80万じゃないかと言っていて、そのほうが今にあっている。
50〜16,000Hzは今でもハイファイの基準のような感じがする。
あらためてクレデンザの100〜4,000Hzに注目すると
100〜2,000Hzと2,000〜4,000Hzでキャラクターが異なり
1000Hz以上の中高域は分割振動や高次ひずみで波打っている。
ttp://quwa.fc2web.com/plan-img036.jpg
こうした癖の元ネタは人間の発声機構にあって
100〜2,000Hz=母音、2,000〜4,000Hz=子音という
ボーカル域のキャラクターを反映している。
逆にいえば、この帯域をちゃんと再生すれば
ボーカルは自然に再生できることになる。 100〜4,000Hzをさらに絞って200〜2,000Hzにすると母音だけになり
200〜800Hzが音符に書かれる実声
800〜2,000Hzが母音のニュアンスを識別する第二フォルマントである。
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歌謡曲の場合、言葉のニュアンスを大事にするが
アジア系言語は、この帯域の喉音でのニュアンスが豊富で
行間を読むかのような感情のひだが多く存在する。
例えば、テレサ・テンのような歌手は、この領域のコントロールが完璧で
特に感情を込めずとも、テクニックだけで持っていってしまう。
歌謡曲には800〜2,000Hzの正確な表現が必要で
ウーハーの受け持つ帯域なので、ピュア・オーディオは意外に苦手とする。
一方で、もっと扱いの難しいのが、胸声である。
上記の音声学の範囲の外にあり
100〜200Hzという狭い帯域で、実声の5度下〜8度下に重なり
演歌歌手のこぶし、ソウル歌手の深い声質に貢献する。
ため息、嗚咽というような、深い表情も、この帯域に集中する。
美空ひばり、中島みゆきなど、七色の声をもつ歌手は
倍音成分のほうを真似されるが、胸声をえぐる陰影の深さまでは
なかなか真似できない。
難しいのは、この中低域がエンクロージャーの共振とかぶるので
息を吐き出すスピードと一緒に反応させることが、ほとんどできない。
むしろオープンバッフルのラジカセのような構造のほうが正確だ。 日本語のニュアンスに必要な800〜2,000Hzのグレードを維持するのに
じゃまなのが高域のパルス性の音だ。
ウーハーより反応の良いツイーターがパルス音をまず最初に出すため
そのマスキング効果で中域の音色の判断を鈍らせる。
悪いことにパルス波のマスキング効果はステレオの定位感と関連していて
どの音波にも存在するパルス波を前面に出すことで楽音の配置が明瞭になる。
同じ効果は、良質なスーパーツイーターを被せると、
それ自体の音はほとんどないのに、音色が滑らかになったように聞こえる。
例えばクラシック系のデンオン・レーベルは無指向性のB&Kマイクを
耳に近い距離で配置するワンポイントステレオでの収録だが
出たての頃は音がスレンダーでクラシックらしくない潤いのない感じだったが
スピーカーのタイムアライメントが改善された1990年代以降は
むしろ安定した音場で聴ける安心材料になったように思う。
逆に1970年代までの歌謡曲は、この辺のミックスバランスがいい加減で
今の反応のいいツイーターで聴くと、やたらにエコーが強かったり
歌手の位置がバックスクリーンのように広がったりと、怪奇現象がおきる。
おそらく10kHz以上の領域を過度にして、十把一絡げでまとめる策もあるが
歌手のもつエネルギー感が後退してしまう傾向にあると思う。
やはり中域の応答性に優れたシステムの構築が必要である。 もうひとつは胸声がスムーズに出るかということだが
バスレフ型で100Hz前後に共振が広がっていると
胸声がズドーンと鳴ったままで押し引きが曖昧になる。
例えば、トワエモアの芥川澄夫は、ハーモニーの維持のため
この帯域をずっと出すような歌い方だけど、多くのスピーカーはボワッと鳴る。
逆に、白鳥英美子の胸声から喉音に滑らかに移動する声の
喉音のコントロールだけに耳が入ってしまう。
1990年代以降の歌手は、この辺をキッパリやめた人と
ずっと出しっぱなしの人とに大きく峻別されるようになったと思う。
演歌の衰退とも時期が重なっていて
バブルがはじけてオジさんがスナックで歌う元気がなくなったとか
そういう理由ばかりではないように思う。
胸声の被りの回避に効果的だったのは、テレビやラジオのオープンバッフルで
安いから重低音が出ないというよりも、人声の再生に合理的な構造なのだ。
長岡鉄男も1960年代に、アンサンブルステレオで胸声が被ってモゴモゴするよりも
テレビの音響設計のほうが人の声をリアルに再生すると言っていた。
個人的にはオープンバッフルが一番使い勝手がいいが
バックロードホーンも150Hzくらいで前面と背面を分けているので
同じような効果があると思う。 800〜2,000Hzのグレードを確保すること
100〜200Hzの胸声がスムーズに押し引きすること
このふたつの問題を解決するのに、いくつか方法がある。
王道は、800Hz以下を正確に再生する大型ホーンを使い
バスレフの共振点を50Hz以下にもつ大型ウーハーを備えること。
ついでに10kHz以上の帯域を我慢してバランスを維持できればもっといい。
JBLのアイコニックからの正統性はキノシタにあるが、それ以降が続かない。
次点が、良質なスコーカーをもつ3wayだが
ワイドレンジを標榜するため、高域のパルス波を強調しないタイプというのが難しい。
モニター系のB&W、Generecは基本性能がいいけど、この点で引っ掛かる。
ATCなどはこのバランスを保っているが、低域の反応が重たいので胸声で引っ掛かる。
Dynaudio、PMCをスコーカーで選ぶ人は特異な人だろう。
TAD、Piegaのほうが、中域中心のルールがしっかり貫き通していると思う。
むしろウーハー側に中高域の性能を担保した2wayのほうが扱いやすく
BBC LS5/9、JBL 4312Eのウーハーはボーカル域の再生が良好である。
こうしたボーカル域でのアクティビティの保持は、古いメーカーのほうが強い。 ただ自分の嗜好としては、高い投資で振り切るよりは
ビギナーでも歌謡曲の歌そのものの魅力に気軽に接することができる
システムのほうが良いように思っている。
そこで辿り着いたのが、ラジオで標準的だったロクハンで
今でもTOAなどの壁掛型スピーカーをみると判るが
オープンバッフルに近い構造で低域は120Hzから
フィックスドエッジで高域も12kHz程度までしか出ない。
このJIS規格での音声を標準にして
30cmエクステンデッドレンジを後面解放箱に取り付け
コーンツイーターで高域の過度反応を抑えたのが現状のシステムなる。
私自身はモノラル試聴なのでユニット代が15,000円と格安に収まった。 歌謡曲を聴くのにモノラルかステレオかという問題があって
オリジナルの録音がステレオならステレオ再生と思うだろうが
自分としては、基本はモノラル試聴だと思っている。
理由は、1960〜70年代ステレオのミックスバランスの時代変遷が激しく
時代毎の癖が強くて、その時代々々に合わせてシステム構築するのが面倒くさいから。
例えば、ある歌手のベスト盤CDを聴くときに、この問題が顕著に浮かび上がる。
このため時代毎に区切ったアルバムを選ぶ傾向があるのだが
アルバム制作にこぎつけることができる歌手はほんの一握りで
シングル盤とアルバムでミックス違いというのもあって、問題の根は深い。
あれやこれや考えて、結局ラジオで聴くように直感的に判断するほうが
歌だけに集中する試聴方法として確実だと思ったからだ。
ハイファイの要件は残して、ステレオに関する時代変遷をキャンセルすると
モノラル試聴という手段が残った。 オープンバッフルのスピーカーでモノラル試聴ということで
グレードに効いてくるのは、スピーカーの大きさと思ってる。
単純にオープンバッフルの低域限界の計算式をたどると
確かに大きいほど、前面と後面の波のキャンセルを阻むのだが
それがアクティブかどうかは、全く別の問題である。
コーン紙をアクティブなバッフル板と考えると
16cm=530Hz、20cm=425Hzで、第二フォルマントが充実する。
これを胸声まで下ろすのに、30cm=280Hz、38cm=225Hzとなる。
ドライブのしやすさからみると、30cmが使いやすい。
オープンバッフルで胸声まで下ろしてアィティブにすると
実物大の人間のスケールになって再生される。 歌謡曲の録音について難しく思っているのは
従来のオーディオ理論で説明しようとしても空回りすることで
アブソリュートという言葉がほとんど当てはまらない。
でも何等かの基準というものはあるもので
それがテレビやラジオという放送機器での再生を前提として
そのパッケージ箱に収まるのが量販の鉄則だった。
だから無闇にレンジを広げると粗が目立つし
大音量で聴くとドンシャリなデフォルメが気になる。
「明るくてポップス向け」という間違った認識も広がる。
小音量でも効果的な音響を得るための工夫を
オーケストラでも聞くような大音量で聴くとどうなるかくらい
ラウドネス曲線をみれば明らかなのを見落としている。
だいたい若者が希望しかないなんて大人の押し付けである。
同じ指向で、演歌の録音がドンシャリでリマスターされて閉口する。
金ぴかに磨けば綺麗なんて、明らかに発想が幼稚だ。
歌謡曲が背負ったデフォルメを掻い潜って、迫力ある再生を目指すのだが
100〜8,000HzというAMラジオの規格にフルスイングで対抗する手段を
多くのオーディオマニアは知らないというのが実際だと思う。
重低音、超高域という表面的なスペックに踊らされて
歌声そのものに集中できないでいる。 要は、Fレンジが狭いあまり良い録音でない音源だから、再生機器もナローレンジ、ローファイでって事でOK? ただナローレンジなだけでなく、ダイナミックでしなやかに。(柳の下のドジョウともいう) ローファイという意味では、歌謡曲を試聴する機会の大半だった
テレビやラジカセで聴いていた音を正当に評価しようということ。
AM放送の規格内でなしえる限界を究める、というほうが良いかも。 ちなみにAM放送は、ステレオで聴くと音質が最悪だが
ラジオで聴くとそれなりにバランスがとれる。
これはウーハーの実力がツイーターのパルス音抜きだとプアな証拠。
この中域の艶のなさを改善するだけでもグレードが変わる。
例えば、真空管、ライントランスで倍音(高次歪み)を増やすというのでも良い。
私はそれでは不十分なので、分割振動の激しいギターアンプ用スピーカーを好む。 1980年の瀬川冬彦氏のコラムより
いわゆる量販店(大型家庭電器店、大量販売店)の店頭に積み上げたスピーカーを
聴きにくる人達の半数以上は、歌謡曲、艶歌、またはニューミュージックの、
つまり日本の歌の愛好家が多いという。
そして、スピーカーを聴きくらべるとき、その人たちが頭に浮かべるイメージは、
日頃コンサートやテレビやラジオで聴き馴れた、ごひいきの歌い手の声である。
そこで、店頭で鳴らされたとき、できるかぎり、テレビのスピーカーを通じて耳にしみこんだ
タレント歌手たちの声のイメージに近い音づくりをしたスピーカーがよく売れる、
というのである。 1967年の長岡鉄男氏のコラムより
ローコストで原音によく似た感じの音を出すにはどうればよいか、
実例としてテレビの音声を上げてみます。
家庭用の安直なアンサンブル型電蓄から出てくる声を、
ナマの人間の声と聞きちがえる人はまずいないでしょう。
ボソボソとした胴間声と相場はきまっているからです。
ところが、アンプ部分にしろ、スピーカーにしろ、
電蓄より一段も二段も下のはずのテレビ(卓上型で、
だ円スピーカー1本のもの)の音声は意外と肉声に近く、
となりの部屋で聞いていると、ナマの声とまちがえることがよくあります。 この1967年と1980年の間に流れた時間には
庶民が手にするオーディオ技術の発展があると思う。
1967年頃ではローコストなステレオはテレビより完成度が低く
1980年代にはテレビの音は過去の遺物に変わりつつあった。
ところが、歌謡曲の録音はローコストでも聴き映えのよい音を嗜好した。
ここからが問題なのだが、ラジカセからさらにグレードアップさせるのに
1980年からさらに40年近くたつ現在のオーディオ機器を取り巻く環境は
あまりに清廉潔白でつまらないか、逆に潔癖症で疲れるかのどちらかだ。
歌謡曲に土臭さとかワイルドな感覚を呼び覚ますまで頑張りたい。 よく海外メーカーのミドルクラスのアンプで「音楽的」という批評をきくが
過度特性で一種の歪みを発生するとき、こういう感覚がでる。
そのかわり、こういうアンプにサウンドステージとか奥行きとかを求めるのは無理。
もうひと皮むけるのに、見渡しもあって駆動力もあるアンプは倍額になる。
このグレードアップの方向性を進めると、歪みを許容しない方向に向いていき
歌謡曲でも優秀録音に属する、1割程度のものを愛でる傾向になる。
ここがオーディオマニアとレコードマニアを対立させる原因になる。
そこで歌謡曲の再生に方向性を修正すると
ライントランスで磁気歪みを少し累加するだけで「音楽的」になる。
あるいは真空管のリンギングで艶を出してみてもいい。
歪みというじゃじゃ馬を、うまく取り入れる方が、融通が利いていい。 よく「ヴェールを1枚取ったような」と解像度の高まる状態を言うけど
むしろ衣装でボディラインをうまくみせたほうが歌謡曲は引き立つと思う。
帯域が狭くても、押し出しがしっかりしたほうが、言葉も胸に響く。 CDが出始めた頃、正確な音響を意識しすぎて
再販ものがスッピン状態で出てきて「録音スタジオの音」と言ってた。
この時点で、このスッピンの音がCDの悪名を高めたわけだが
結果的に、市場の求めていたのは、カッティング屋さんの味付けだった。
それを20世紀末にリマスターという呼ばれて久しい。
ところが、最初の録音時に音決めをした要因まで遡ると
その時代々々のモニター機器をある程度知っていないと
ダメなような気がする。難しいのは、当のエンjジニア自身は
全てをスタジオで完成させたわけではない、という事実である。
アメリカの例では、1960年代後半においてビギナー化が顕著で
モータウンのエンジニアはAR-3を自宅に置いて最終チェックをしてたし
ドアーズの担当エンジニアは、録音仕立ての試聴盤をラジオDJに横流しして
自家用車のカーラジオで追加リクエストの反応をみていた。
こうなると、アルテック604Eが標準というのは簡単に崩れてしまう。
歌謡曲の録音が、AMラジオと下位互換にあるということを
正直にカミングアウトするときはいつくるのか?
少なくとも1980年代のオーラトーンの使い方が
モノラルミックスのチェックだったということは判っている。 AMラジオと下位互換にある、ということをカミングアウトしたとして
どうしたら良いのか? ラジオ用のフルレンジから修行すれば解決するのか?
もちろん、その音響的なアウトラインを知っておいて損はない。
TOAの影掛スピーカー、ダイトーボイスのDS-16(一番安いやつ)がそれだ。
ダイヤトーンでもラジオ用はP610(フリーエッジ)とは違い
フィックスドエッジでレンジの狭いものが使われていた。
あるいは再生産されたオーラトーン5Cを求めるのも一手だろう。
だが、ここが思案のしどころだ。
このAMラジオの黄金期、かつてラジオデイズと呼ばれた1940年代の音響機器が
その答えを導いてくれる。SP盤による録音ソースに限界のあった時代に
そこで最高のパフォーマンスを得られるように設計された機材で
エクステンデッドレンジと呼ばれたスピーカーの一群である。
ジェンセンP12シリーズ、セレッションG12、JBL D130は
この時代にPA機器としても使われた経緯もあって
現在ではギターアンプ用スピーカーとして重用されるが
AMラジオの黄金時代が生んだ名機でもある。 1970年代前半のラジカセ
ttp://www.video-koubou-topaz.jp/NATIONAL-RADIO-PHOTO/1972.7.1-CD.jpg
ttp://quwa.fc2web.com/RF-848-1972.jpg
ジェンセンP12R
ttps://www.jensentone.com/vintage-alnico/p12r
セレッションG12
ttps://celestion.com/product/13/celestion_blue/
つまり1940年代のAMラジオ規格は、1970年代においても健在だった。
さらにBBC LS5/9のウーハーの設計も、中高域の過度特性を重視している。
ttp://downloads.bbc.co.uk/rd/pubs/reports/1983-10.pdf
こうなると1940年代のラウドネス曲線に基づいた音響設計は
一種の普遍性をもっているともいえる。 BBCモニターについていうと、基本的に中高域のカリカリした感じを好んでいた。
最初期のGEC製フルレンジは以下ようなもの
ttp://quwa.fc2web.com/1950/BBC/RK-GEC1930s.jpg
次のパルメコ製同軸型は以下のとおり。
これにLorenz製スーパーツイーターを追加してハイファイ規格を保持した。
ttp://quwa.fc2web.com/1950/BBC/BBC-M008-12.jpg
1958年になってLS5/1が出てフラット志向に変更したが
このとき問題になったのが1.2kHz付近の大きなディップだった。
ttp://downloads.bbc.co.uk/rd/pubs/reports/1967-57.pdf
この時期もポップス系プログラムのAM放送ではパルメコは使用され
ビートルズ担当のBernie Andrewsと一緒に写真に納まっている。
ttp://www.bbc.co.uk/programmes/p04yt8kg
試行錯誤の後にKEF、ロジャースなどのモニターシリーズが1970年代に出て
これが一般にも市販されたため、BBC=フラットネスという印象が定着した。
このとき導入されたのが、コンサートホールの音響的スケールダウンと
インパルス応答の制御で、ステレオの定位感などの基本概念が明瞭になった。
その最終形態LS5/9はもちろんフラットなのだが
過度特性で中高域にアクセントがあるということは
分割振動による高次歪みがその周辺に累積していることも示す。
この若干の艶やかさがボーカル域にすごく効く。 日本の場合は三菱電機がNHKに提供したBTS規格のスピーカーがあり
1950年代から1970年代末まで一貫して使い続けられていた。
このモニター規格には3水準があり
16cmフルレンジのP610
20cm-2wayの2S-208
30cm-2wayの2S-308である。
P610は一般市販され馴染みの深いものだが
初代はフラットだったが、1960〜70年代は若干ドンシャリにラウドネスを効かせ
1980年代にまたフラットネスへと戻った経緯がある。
ttp://www.audio-romanesque.com/p610.htm
2S-308はステレオ放送準備のために開発されたもので
ハイファイのお手本のようなものである。
あまり知られないのが2S-208でバッフル一体型のユニットで
バッフルステップ効果で若干中高域が盛り上がっている。
ttp://www.audio-romanesque.com/2s208.htm
これはダイヤトーン・ブランドで一般市場に売り出したDS-21に使われた。
ttp://audio-heritage.jp/DIATONE/diatoneds/DS-21c.html
これを直したのがDS-22で、その後のダイヤトーンの方向性が決定した。
ttp://audio-heritage.jp/DIATONE/diatoneds/ds-22b.html
ttp://audio-heritage.jp/DIATONE/diatoneds/ds-25b.html この3水準のスピーカーがどういうかたちで使われたか?
この点について、2S-305型がメインで使われていたように言われるが
流行歌の場合は専用の音楽スタジオをもっていないケースもあり
音楽ホールでの出張録音が多かった。
ザ・ピーナッツの録音では、アンペックス製の簡易モニターが使われ
そこでバランス調整をしての一発録りだった。
アンペックスの付属スピーカーは、JBLがOEM生産した20cmフルレンジである。
ttp://peanutsfan.net/StHiFi3705.html
地方のラジオ局であれば、ほとんどの場合、ロクハンで音声チェックをしていた。
それでもマイクの生音を再生すれば、驚くような音だったという。
ttp://www.jas-audio.or.jp/jas_cms/wp-content/uploads/2015/12/201511-076-080.pdf
ttp://www.zc.ztv.ne.jp/shin/00/josf/
1950年代にはパイオニアがBTS規格のPE-8を製造していて
P610が市販される前は、こちらのほうが知られていた。
ttp://pioneer.jp/corp/70th/kaikotozenshin/10-2.html
こうしてみると1960年代中頃まで
ハイファイはまだローファイの延長上にあり
この頃が歌謡曲の録音の揺籃期でもあったと考える。 1960〜70年代のアンプについて考えるとき語弊があるのは
単品コンポとしてのアンプが注目されたのが
1970年代にステレオがアンサンブル型からセパレート型へ移行し
グレードアップする楽しみをストーリーとして展開してからだと思う。
それまでのアンプは電蓄、レシーバー、ラジカセに内蔵されたパーツであり
単品としてのアンプは、自作派と超高級品に峻別されていた。
逆にいえば、真空管やトランジスターの素子製造の地場を固めていた
東芝、松下電器、NEC、日立、ソニーのようなメーカーが圧倒的に強かった。
その意味では、アンプメーカーとしてステイタスを確立すること自体が
アンプの個性そのものとなっていたということもできる。
ラックスマンは甘く艶やかなラックストーンで知られ
現在でも純A級アンプのなかに引き継がれている。
サンスイはJBLの輸入代理を始めた頃から台頭し
芯のある力強さと正確さを持ち合わせた駆動力が光る。
ソニーはトランジスター型アンプのパイオニアであり
真空管とは違うスレンダーだが正確な低音を提供した。 こうした個性で語る単品アンプの物語がある一方で
庶民の手にしたステレオ機器は、家電として売られたものであり
1970年代の歌謡曲のステータスを知るときに欠かせない存在だ。
松下電器=テクニクス、東芝=オーレックス、日立=ローディと
新規に参入した自社ブランドのオーディオ製品は
むしろ基本性能の優秀性=ピュアリティの高さに繋がり
1980年代のバブル崩壊まで日本のオーディオ業界を牽引した。
当時の人にとっては、デパートで見かけた空気のような存在のため
ありきたりに見えるが、海外製でここまで価格を抑えて高い品質は
ドイツくらいしか見当たらない。 もうひとつの方向性は蓄音機時代から続く
日本コロムビアと日本ビクターの製品で
レコード製作と連動したサウンドを提供していた。
実は1960年代のオーデイオはステレオ化をテコにして
この二大巨頭を追いかける形で進行していたといえる。
同じことは、英国でのHMV、米国でのRCAビクター
ドイツのテレフンケン、オランダのフィリップスなど
いずれも家庭用オーディオの老舗として知られる。
このように達観すると、オーディオ用アンプの系譜には
レコード製作、素子製造、そしてアンプ専業メーカーという流れがあり
アンプそのものの性能を語る後者は、時代的な発展の末端にあり
特に1980年代前後のハイファイの価値観で批評しがちである。 歌謡曲のオーディオ的な立ち位置を考えると
その発展の可能性を一端リセットして
当時と同じ困惑のなかに再び身を置かなければならない。
つまり録音とセットにしたサウンドを提供するレコード会社
それを価格と機能性で追い落とす家電メーカー
独自の視点で個性をもつ専業メーカーの各視点を
もう一度睨み合わせて、落としどころを見つける。
個人的には1970年代初頭のラックス、サンスイは面白く感じる。
真空管からトランジスターへの移行期にあたり
それぞれのサウンドの嗜好を判りやすく描いているからだ。
むしろ、それに合わせるスピーカーについて悩ましく
ラックス+タンノイ、サンスイ+JBLという黄金の組合せに続き
ラックス+ビクター、サンスイ+ダイヤトーンという落としどころで
実際に保存状態の良いビクターとダイヤトーンのスピーカーが
どれくらい見つかるか?という心配のほうが先立つ。
もちろん、パイオニア、テクニクスのスピーカーを充てる
ということで選択肢を増やしても、問題の根っ子はあまり変わらないと思う。
こっちをちゃんと所有しているなら、アレンジはもっとたやすいと思うのだ。 ただ1970年代で難しいのは、モニター調と呼ばれる3wayスピーカーの台頭で
私自身これの扱いは苦手だ。スコーカーの設計が悪く中域の押し出しが弱いのだ。
もうひとつはワイドレンジ志向で、低域と高域のキャラが乖離していること。
よく測定結果は良いが要点を得ないためB&K製スピーカーと揶揄されたが
現在の駆動力のあるアンプで鳴らすと、どうなるか興味があっても躊躇する。
ちょっとしたフルレンジのほうが、歌謡曲は楽しめるだろう。 ちなみにラジカセのアンプは、ほとんどが無帰還のトランスドライブである。
終段をトランス分割→シングルプッシュ→トランス出力だ。
ttp://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/1123/448-67b.gif (松下電器 RQ-448)
だからレンジは狭く、出力オーバーすると急激に歪みが増す。
これは真空管時代から、電蓄、テレビ、ラジオに共通した仕様で
家電とオーディオ用のアンプを峻別することにもなっている。
一方で、無帰還アンプの良さは押し出しの良さである。
後面解放型のフィックスドエッジ・フルレンジと合わせると
音の明瞭感はグッと増すのだと思う。 1965年以前の歌謡曲の録音は、ボーカルの過入力の歪みに温和な面があって
ときおりわざとやってるのか? と思えるほど散発することがある。
CDで聴くとさらにパルス音が増強され
さらに現在の過敏なツイーターでは、ガサゴソと不快な音にしか聞こえないのだが
コーンツイーターで聴くとそれほどでもない。
ダイヤトーン TW-25、JBL LE-20など、システムとしてはウーハーの個性のほうが強いが
中域の引き立て役として意外に重宝する。
しかし現在は良質なコーンツイーターを製造しなくなり、ちょっとガッカリだ。 昭和のテレビ、ラジオという家電レベルのオーディオ性能について
フィックスドエッジ・スピーカー&オープンバッフルによる明瞭な反応
無帰還アンプによる素直な音の立ち上がり
などのメリットを挙げていた人に長岡鉄男がいた。>>863
歌謡曲の再生のため、このフルレンジからグレードアップするのに
一足飛びに大型ホーンを携えたトーキーシステムに進むのは
テレビと映画に共通の使命があったことだ。
それは人間の会話を自然に聴かせる技術が第一であり
大衆娯楽に寄り添って生産され続けたということに尽きる。 一方のオーディオ再生の基準は、7割方がクラシックのLPであり
残りがジャズだった。歌謡曲はテレビ、ラジオでいつも聴けたので
LPを買ってまで聴くのは、放送では取り上げない芸術音楽である。
この辻褄のなさが、歌謡曲とオーディオを結びつけることを拒んでいる。
歌謡曲が放送で流れなくなり、レコードでの鑑賞の対象となったとき
どうしてよいやら判らなくなっている。
1960〜70年代の20年間にオーディオは、歌を忘れたカナリアように
重低音、超高域の拡張に神経を注いでいたように思う。 ラジオからトーキーという両極端のシステム構成の間で揺れ動くなか
私自身は、大型ホーンに行く前に、大口径エクステンデッドレンジを
試してみることが良いように思っている。
現在製造されているハイファイ用では、JBL 4312Eがあり
そこで使われてるウーハーが、D123から続くエクステンデッドレンジだ。
ttp://www.lansingheritage.org/html/jbl/specs/home-comp/d123.htm
ttp://www.lansingheritage.org/html/jbl/specs/pro-speakers/1978-4311.htm
このD123の作られた時代には、SP盤再生用のエクステンデッドレンジが多く
簡易的なPA装置やジュークボックス用として幅広く使われた。
ttp://quwa.fc2web.com/1950/EV-630-1940-Alied-Radio.jpg
ttp://quwa.fc2web.com/image55.jpg
ジュークボックスに使われたユニットとしてジェンセンP12Rがあり
これは現在はイタリアのSICA社で、ギターアンプ用に製造されている。
ジェンセンの場合は、WEのトーキー用にもOEM生産してたが
P12Rのレベルは一番下のほうで、同じ土俵に乗せるのはおこがましい。
しかしポピュラー音楽の基準は、汎用品の音を基準に発展したのだ。 ジェンセン社は幅広くOEM生産してたので、その全貌を知るのは難しいが
自社ブランドの元では、G610という最高峰の同軸3wayがある一方で
Hシリーズのようにジャリジャリの高域で押し倒すものもある。
ttp://www.hifilit.com/Jensen/1955-1.jpg
そのなかでP12Rは低価格のローファイのグループに属する。
ジェンセンのエクステンデッドレンジ・スピーカーは
ラジオ、テレビ、電蓄のあまり価値のないスピーカーを
交換し改善するユニットとして理想的です。
低予算でより良い再生機器を得る賢い選択です。
この広告をみると、ビギナーのオーディオ事始めのようにみえるが
電蓄=レコード再生機器という括りとして目を付けたのが
プロ機器のジュークボックス・メーカーであった。
最も有名なのはRock-ola社で、ロカビリー時代のアイコンになってる。
ttp://www.jukebox-world.de/Forum/Archiv/Rock-Ola/R.O.TempoII.htm
オーディオ・ビギナーの音は、永遠の青春の音になった。 ジェンセンはシカゴの会社で
オーディオでいう西海岸、東海岸という区分では東側である。
東海岸のサウンドは、ボストンのくぐもった音が有名だが
ジェンセンは古くから西海岸のハリウッドとの繋がりもあり
明るく晴れやかなサウンドに特徴がある。
シカゴの特異性といえば、戦後のモダン・ブルースの発祥地で
そのギターアンプには、当然ながらジェンセン製が使われていた。
最高のというよりは、安くて丈夫というのが大きな理由だが
ブルース・ギターのサウンドが形作られていった。
この流れのなかで、フェンダーなどロック・サウンドが現れる。 一方で、ラジオ文化そのものになるとRCAの存在は欠かせず
有線のWEと並ぶ無線の帝王ともいえる存在だ。
どちらにも属さない映画業界では鍔迫り合いが激しく
光学サウンドトラックの方式が違うため
どちらの系列に属するかで上映する演目まで制限されていた。
そのサウンドの違いは、独禁法で解体され共同した後も健在で
その違いを緩和するイコライザーがパワーアンプに内蔵されていた。
ttp://quwa.fc2web.com/MOTIOMA7505A_21-22a.gif
この図の左がWE陣営、右がRCA陣営である。
再生機器の傾向としては、これと真逆になっている。
RCAは東海岸サウンドの家元であり、ノーブルで中庸な音だ。
日本の放送技術は、Bベロのリボンマイクでも知られるように
RCAを手本としている。 日本の放送技術が、RCA系のノーブルな音を基調としているので
再生機器の基本もかくあるべし、というのが今までの通説だ。
それはダイヤトーンの業務用スピーカー、デンオンのカートリッジにも
ずっと継承されてきたNHK技研の方針でもあった。
一方で、公共放送のサウンドに対し、それを凌駕しようと抗ってきたのも
歌謡曲のサウンドの歴史でもあったように思うのだ。 時代の制約を打ち破ろうとするアザとさという点では
以前に1960年代のロックの録音があまりに変で、色々と悩んだ。
特にビートルズの初期の録音は、どうやったら普通に鳴るのか
考えれば考えるだけ無駄なように思った。
これは売り出しを考えていた東芝EMIでも同じだったらしく
イギリスのロックというのは突然変異だと思ったらしい。
それもそのはずで、手本にした米国のブルース録音を
イギリス製の曇った電蓄の音で聴いたのを
さらにデフォルメして真似たためだと思われる。
しかし、それをジェンセンのような玉虫色のサウンドで聴くと
笑顔を絶やさないアイドルバンドというものとは
別の見方(聴き方)で魅力を感じるようになった。
単純には、この頃の英国の若者の鋭い目つきというか
影を背負って生きていることに、愛おしさを感じたから。
ブルースに共感したのも、実は切実な思いがあったのだと。 歌謡曲のあざとい部分をどのようにして引き出すか。
これは歌謡曲の個性的なサウンドを平等に聴くことと真逆なような気がする。
フラットで正しい音調をもって基準とすることで浮かびあがる個性もあるだろう。
一方でフラットな音調は、物事の平準化という一面も持ち合わせる。
つまり全てに渡ってまとまりがあり破綻もなく進行する。
おそらく現在のような情報量が膨大で、刺激の多い時代において
歌謡曲は内面的すぎて理解しがたいかもしれない。
ここでは平準化という方向とは別の仕方で
個性的なサウンドをより特徴をつかんで増幅することを考えたい。
見得を切った歌舞伎役者のように、大げさな身振りに仕立て直さないと
ラッシュアワーのなかで表情を読み取るようなことになりかねない。
大瀧詠一は1960年前後のAMIのジュークボックスを大切に持っていたが
アメリカン・グラフィティさながらの古いシングル盤を詰め込んであり
その楽曲を3枚のCDに分けて編集して売り出している。
そこに歌謡曲を突っ込んだとしたら、一体どういうことになるだろうか。
放送局の調整卓で聴くものとは、違う風景がみえてくるはずである。 大瀧詠一についてはあまり良く知らない、というほうが正しい。
色々な研究本をみても、どうやってこんな聴き方できるんだろう?
読んでる間に、普通に音楽聴いているほうが楽しいと思ってやめてしまう。
とはいっても、大瀧詠一が最高のポップスの聴き手だったことは判る。
好きが高じて自分でも歌って作って、ラブソングへのラブソングみたいな。
そこにJBL 4344と古いジュークボックスが一緒になっていた。
アメリカン・ポップスの再生術として、正統な考え方をもった最初の人だと思う。 大瀧詠一は1955〜65年というアメグラ世代のポップスをこよなく愛し
自分の生きている時代の最新のテクノロジーで再構築しようとした。
結局ロンバケでブレークして、現在の記憶に残っているが
ウォール・オブ・サウンドをリゾートの壁紙に見立てたとき
高度成長期の末期の時代感覚=ポストモダンに追いついた。
その振り切り方が、私自身、実はあまり気に入らない。
ナイアガラでもがいていた同志の泥臭い思いも置いてきたように思う。
ちょうど松本隆が松田聖子でブレークしたのと似ているのだ。
ピュアで澄んだ空気に包まれている。それだけでいい。 昭和40年代のポップスをオーディオ的に考えるとき
ちょうど日本でもJBLやタンノイを一般の人が購入できるようになって
その高度成長期の波に乗って歌謡曲の再発見を目論むことが思い浮かぶ。
一方で、このアプローチで聴くとき、好ましいと思われる楽曲は
昭和をコテコテにしたものよりも、どこか洗練されたものが選ばれる。
このため選曲をオーディオ機器のために行う本末転倒なことがおきる。
大瀧詠一で言えば、ナイアガラ・ムーンとロング・バケーションの違い
細野晴臣で言えば、ホソノハウスとソリッド・ステイト・サヴァイヴァー
山下達郎で言えば、SONGSとRIDE ON TIMEの違いになって現れる。
もちろん後者の作品の面白さは知ったうえで、それ以前も一緒に楽しみたい。
ちなみに山下達郎は、JBL K2+マッキンとソニーのラジカセの両刀使い。
理由はJBLだとFMの音が悪いということらしい。 昭和40年代と1970年代という呼び方は
東京五輪と大阪万博くらい印象が違う。
新幹線とアポロ月面着陸くらい離れているかも。
それだけこの時代の移ろい方は激しく
時代の雰囲気を留めておくことが難しい。
歌謡曲を中心に聴いてたオーディオマニアなら
中高生でも低価格でできる音質改善に目を輝かせて
FMレコパルやステレオ誌のほうを参照しただろう。
単純にはラジカセよりチューナー+カセットデッキのほうが
ステレオ&高音質でエアチェックできたわけで
そこがオーディオへの第一歩だった。
一方で、ラジカセからレシーバーに移行する時点で
失ったもの、足らないものの存在にも気が付いた。
なんというか、音楽だけに没頭してたラジカセから離れ
音質を気にしてたら、もっと上のあることが気になる。
音楽鑑賞からオーディオ批評に立場がかわることで
競争社会と連動した高度成長期にどっぷりはまっていたのだ。 歌謡曲を音楽鑑賞の対象と思うようになったのは
競争社会の枠組みから離れて、じっくり聞けるようになったから。
当時もヒットチャートが歴然とあって
歌手活動のバロメータになっていた。
しかし、歌の魅力は多数決で決まるものだけではない。
B面の面白さは、歌手の魅力の裏返しで本音が見え隠れするから。
そこに近づいてみたいから、オーディオがある。 オーディオが音楽鑑賞の道具となっているか?
答えは簡単なはずなのに
歌謡曲の場合は、その取り巻く環境が特異で
オーディオ的な文脈で読み解くのが難しい。
そもそも人の好き嫌いをカタチにするのは難しいのだが。 ラジカセの音は、たとえ2wayスピーカー搭載でも
ラジオ音声中心にチューニングしてある。
1970年代初頭のフルレンジ時代は以下のとおり。
ttp://quwa.fc2web.com/RF-848-1972.jpg
150〜6,000Hzフラットで、AM放送用のスペックである。
これが1977年に出た2wayは以下のとおり。
ttp://quwa.fc2web.com/h197709-01.JPG
さすがに低域はBOSE 101Mのように100Hzに膨らみをもたせて
AM放送用のフルレンジに7〜12kHzのツイーターを足しただけ。
FM放送、カセットテープで歌謡曲を聴くのに
このレンジ感のほうが安定して聴ける。 BOSEで思い出したが
古い洋楽ロックやブルースを中心に聴く人に
BOSEを好む人は結構多い。
低音が座って高域がうるさくならない
東海岸サウンドがうまくマッチしてるのだろう。
ヒップホップまで網羅的に聴く人には重宝するが
音楽自体の押しが強いことが前提となる。
一方で、1〜4kHzにある種の霞みがかった反応の悪さがあり
自作派に人気のあるフォステクスとは真逆の感じだ。
ジェンセン贔屓の私も、BOSEは無表情に感じるので
サウンドはやさしくても、袋小路のようで避けている。
同じ傾向は、少し前のKEFやDynaudioにも感じていて
万能選手のようでありながら、購入しようとは思わない。 とはいえ、最初にステレオを揃えようとする人には
KEF LS50やDynaudio BM6などは、標準的な音を出すという意味で
オーディオの基本的なことを習熟するのに役立つ。
例えば、アンプの違いのような一見判りにくいものも
素直に反応する傾向にある。価格の割に良心的なつくりだ。
同じことは録音品質の判断にもいえて、特徴を画く点では正確だ。
かといって、弱点を容赦なくさらけ出すようなゲスな真似はしない
紳士な良識がKEF、Dynaudioにはあるように思う。
私自身は、歌謡曲のきれいごとで終わらないとこが好きなので
ジェンセンで洗いざらいぶちまけることを目指すゲス野郎だ。
オーディオとは自分自身の嗜好を知ることが結局決め手になる。 アンプの個性とは、非常に微妙な感覚だと思うが
やっぱりメーカー毎の違いはある。
マッキントッシュのような油絵のような濃い口の表現はさておき
ラックスマン、アキュフェーズ、マランツ、ヤマハと並べてみても
その伝統が垣間見えるように思う。
ラックストーンのように真空管のような甘い艶の乗った音は艶歌向きだし
ヤマハビューティと呼ばれる透明感のある高域はニューミュージックに合う。
マランツの上品なきらびやかさはアイドル系で意外な色香を振りまくし
アキュフェーズでインストの魅力を最大限まで引き出すことも可能だろう。
高忠実度を前提にするアンプで、こうした味わいを話題にするのは
スピーカーにそれを表現できるポテンシャルがあるという裏付けが必要で
確固とした個性が支配的になるというわけではない。 アンプでサウンドを支配的にできないとは
例えばDynaudioでヤマハビューティを表現するのは難しく
ラックストーンで中域のくすみを補うというのはアリだと思う。
ただラックスマンのA級アンプをBM6に充てるのは価格的に釣り合わないので
真空管アンプにしたほうが普通である。
アンプの価格の違いは低域のドライブ感で、ボーカルの迫り寄る感じに違いが出る。
ただスピーカーをJBL 4312Eに変えただけで、この問題は違うステージに移るので
あらかじめオーディオに何を求めるかで選択肢が変わると思う。 もともとヤマハビューティの基本は、ハードドームツイーターから発する
8kHz付近にある共振で、夏の木漏れ日のように輝いている。
Dynaudioのようなソフトドームで出すのはそもそも難しい。
この点ではKEF LS50のほうが艶を出しやすく
マランツのアンプとの組み合わせも面白いと思う。
Dynaudioは、むしろローテル、エアータイトのような
堅実な駆動力のあるアンプでウーハーのダンピングを効かせたほうが
本来の魅力を出すように思う。 かつてD130をモノラルで使用していた頃があって
アルテック 802+511Bを載せて俄かビンテージを組んでた。
D130は1950年代のフィックスドエッジ型のもので
EL84プッシュのバイアンプで鳴らすと潤いのあるボーカルが鳴り渡った。
ただ、晴れの日は最高、雨の日は音が痩せる、というお天気屋さんだった。
結局、手放したのだが、後になって本当に後悔して
代替品としてジェンセンの30cmに目を付けた。
1950年代にはハイファイ創生期の青天井の名機が多いが
ジェンセンのそれはラジオ電蓄のグレードアップに良く知られた存在だった。
当時はユニットを個別に買って、箱を自作してというスタイルが主流で
適切な情報が現在ではウヤムヤになってしまって要領を得ない。
例えばD123の薄さは、家の壁や洋服箪笥のドアに取り付けるためだとか
一般家庭での販売戦略を真剣に考えていた時代だった。
そのD130には子供のようなD208があって
ベビーD130という別称のとおり、やんちゃな鳴りっぷりのユニットだ。
これと同じような感じでジェンセンP12Rでもできないかと思ってみると
P8R、P6Vと同じシリーズのベビーがいるではないか。
これより安いC6Vを使って、ちょっと遊んでみようと思ってる。 参考に考えているのは、ジェンセンのデュエットというシステムで
テレビを上に置いて使用するために考案されたものだ。
ttp://www.hifilit.com/Jensen/1955-4.jpg
ttp://www.federmann.cz/images/stories/Nf/hifi_1954.jpg
もうひとつの参考は、1970年代のモノラル・ラジカセで
ソニー CF-1980、ナショナル RQ-548のような感じ。
ttps://i.pinimg.com/originals/9f/52/bc/9f52bc6e4a03adce9602cc8e4284e185.jpg
ttp://i.imgur.com/zSs8u12.jpg
小さいのにパンチのあるサウンドを狙う。 歌謡曲の再生に最適なオーディオ機器を割り出すのに
ラジカセの特徴を以下のようにまとめてみた。
◆AM放送規格の100〜8,000Hzに下位互換性を保持している
→テレビ、ラジオの音声帯域に音がギッチリ詰まってる
◆スピーカーはフィックスドエッジ+オープンバッフル
→中低域のキレがよく中高域はドライで分割振動が強い
◆アンプはシングルプッシュB級+non-NFB+トランスドライブ方式
→トランスが小さく低域特性が悪く、高域はジャリジャリしてる
結果としては、再生音は狭い帯域であるにも関わらず
中低音のキレがよく、中高域に分割振動&リンギングを伴う。
持続音はキレイではないが、出音が明瞭というPA的な性格をもっている。
ちなみに現在のAMラジオの音声は4.5kHzまで狭められているとか。
これで判断すると1970年代は相当なローファイだと思うだろうが
もう少しましだったと思いたい。 ジェンセンのギターアンプ用スピーカーをオーディオ用に転用するとき
一番の欠点はfoが100Hz近傍でQoが1.0以上と高いことだ。
一般にバスレフ用はfoが60Hz前後でQ=0.3というのが使いやすく
ギターアンプ用はfo付近のQoの壁をなかなか超えられず下が伸びない。
実際に後面解放箱でも低音の特性はそれほど変化しないし
Qoの高いことが幸いして、コーン紙がプルプル震えない。
設計されたのが1940年代という時代の差がここに現れている。
その代りに得られるのが、フィックスドエッジならではの反応の速さで
ドラムなどの低音のスピード感は本当に気持ちいい。
そしてボーカルの腰からスイングする感覚も自然に出てくる。
開発期がスイングジャズ全盛時代で、生のビッグバンドと対等に渡り合った
PA機器としての機能性がそのまま受け継がれている。
オーディオでの使用範囲は、ギターでいうクリーントーンの範囲なので
リバーブ機能付きスピーカーという言い方のほうが適切だと思う。 ボーカルの腰からスイングする感覚というのは
呼吸に伴う胸声の押し出しが明瞭ということ。
そのため声を吐き出す瞬間に先行していく。
これが、100Hz付近にバスレフ共振が被っているスピーカーだと
重低音が伸びている一方で、胸声のタイミングは曖昧になる。
周波数バランスとしてはフラットでも、タイミングとしては
ツイーターにやじろべえのようにぶら下がっている。
逆にオープンバッフルだと周波数バランスは低域不足だが
タイミングとしてはピラミッド型という自然な現象になる。
そして歌謡曲の場合は、ノリのいいほうが楽しい。 ジェンセンの高域用をフォステクス FT28Dに変えてみた。
FT28Dは比較的安価で何の変哲もない感じだが
スタジオモニターのNF1に使用されてるユニットのベースモデルで
プロ用が60°でも10kHzまで落ちないのに対し
アマ用は5kHzから落ちてチャンネルセパレーションを稼いでいる。
ただし基本的なサウンドキャラは一緒で
何事にも動じない破たんのない音で一貫している。
ジェンセンC12Rと3.5kHzクロスで斜め45度から試聴するとほぼフラット。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-17091.png
ボーカルの肌合いが柔らかいのに運動性が高い、面白い組合せになった。
フォステクスのNF1の開発陣も、ウーファーがハイスピードなので
組合せとして柔らかい音のツイーターを選んだというけど
ジェンセンもスピードでは負けないので、方向性は一緒らしい。
ttp://www.miroc.co.jp/report/170426-fostex/
どこか懐かしい音で、何の音かと思ったら
FMラジオの三角ノイズの雰囲気そっくり。
シュガーベイブのソングズのような録音でも
ギスギスせずに普通に聞き流せるのは重宝する。 フォステクスのFT28Dを前にして思い浮かんだのは
現在の素材研究というものが、色々と進んでいるのが判る。
歪みに対する柔軟性、過度特性を内部で損失しているような感じで
それがボーカルの柔らかいタッチと、声の消え際の静謐さを両立させ
切々とした語り口が自然に浮き出てくる。
一方で、圧倒的なパワーで押しまくる方面が不向きなのは
アタック音が若干窪んでしまう感じに聞こえるからだろう。
オーディオ的快楽が肉食系女子を好んで取り上げるのとは反対に
物腰柔らかい大和撫子という絶滅危惧種を思い起こさせる。 ツイーターは、ウーハーに比べて耳に付きやすい帯域を占めるため
スピーカー全体のキャラクターを支配することが多い。
特に楽器の音色を聞き分けるのは、中高域に情報が集中する。
さらにステレオでの定位感は
1kHz以下でのチャンネルセパレーションが得られないため
出音に生じる8kHz以上のパルス信号で認識する。
楽器の音色、定位感というオーディオに必須の条件が
オーディオで中高域にぶら下がって音質の判断をする傾向を強めている。
一方で、ボーカルの声質の特徴は200〜2,500Hzに集中する。
特にアジア系の言語に特徴のある喉音は800〜2,500Hzにあり
この帯域が沈み込むと声の特徴が不明瞭になる。
欧米の言語は、もっと上の子音の帯域で情報を聴きとるため
2〜8kHzの表情が重要で、これはオーディオの基本設計に合致してる。
昔の海外製品には「サ行がきつい」ものが多かったが
クラシックやジャズを聴く分には、むしろ好ましい傾向であった。
ボーカル域の設計をしっかりしているスピーカーを選ぶのは
実は難しいと思っている。 ボーカル域の豊かな表現をオーディオで再現しようとするとき
200〜2,500Hzの質感を整えてあげることが重要で
古くから反応の速い大型ホーンの使用が相場となっている。
WEやAltec、クラングフィルムなど
トーキー用のスピーカーが好まれる傾向にある。
ただ、この方法はかなりの費用と広い部屋を用意しなければならず
現状では製造していないユニットの保存状態など困難が多い。
製造しているメーカーでも、キノシタ、ゴトウ、GIPなど
リプロデューサーとして最高ランクのものが思い浮かぶ。
もうひとつの方法は、昔のエクステンデッドレンジ・ユニットで
トーキーより規模の小さいPA用に開発されたもので
高域が8,000Hzくらいまでしか再生できない。
もともとはビッグバンドで歌うボーカルの拡声を目的にして
生楽器とガチンコ勝負しても声の埋もれない強靭さをもっている。
JBL D130がつとに有名で、1940年代の開発にも関わらず
1970年代ロックのライブステージまで生き残った名機だ。
もっと安価で現在も製造されているのが
ジェンセンやセレッションのギターアンプ用スピーカーだ。
これはギターの拡声もビッグバンドでは必要だったからで
もとはボーカルと共用していた。 ギターアンプ用スピーカーの欠点を挙げれば
強い分割振動と大口径でも関わらずfoが100Hz前後と高いことだ。
エレキの音を連想するため、分割振動=歪みと考える人が多いが
ジャズやブルースのクリーントーンを聴いて判るように
リバーブ機能付きのスピーカーと考えるのが妥当である。
さらに中高域に強いアクセントのあることで
ステージで拡散しやすい子音を強調する音調になっている。
これは斜め45度から聴いてフラットになるように設計されていて
昔のモノラル期の試聴方法は、押し並べて斜めから聴いていた。
もうひとつはもともと重低音まで再生することを目的にしてないのと
後面解放箱を前提に設計されてfo付近のQが1〜2までと高く
100Hz以下はストンと落ちる。バスレフ箱に入れても低域は伸びない。
しかし、ボーカル域の再生バランスは絶妙で
100〜300Hzの歯切れの良さはスィング感を楽々と出すし
500〜1,200の喉音の吹き上がりが心地よく迫ってくる。
音量を上げなくても、声のタッチが俊敏で自然なのだ。 エクステンデッドレンジの高域を補完するのにツイーターを足すが
これにはユニット毎の中高域の癖をどこで抑えるかの差があり
JBL D130なら2.5kHzクロス、Jensen C12Rなら3.5kHzクロスがいい。
それ以上高いと高域が荒れるし、低いと面白味が半減する。 ツイーターの音質がシステム全体の性格を豹変させる例として
D130+075というのがあって、とても攻撃的なサウンドになる。
これにアルテックのホーンを加えて1.2kHzでクロスさせると
低域はJBL特有のボクシーな反応、高域はふっくらしたアルテックという
普通のモニター調のサウンドにかわる。
ジェンセンの場合はRP103などの、樹脂ダイヤフラムのホーンが主流で
低域のパッツリした性格を包み込むようにバランスさせていた。
これも金属ダイヤフラムのツイーターを足すと
どこまでもプラス思考の明るいサウンドになる。
一般のジェンセンの印象はむしろこっちではないだろうか。 ポップス向けの音質改善ということになると
意外に録音スタジオで使用している機材が参考になったりする。
スタジオモニターというと正確無比の存在のように思われるが
その前段でNEVE系のマイクプリ、UREIのコンプレッサーなど
少し癖のあるサウンドをもつアウトボード類が使われ
デジタル時代になって、むしろ活況を呈しているように感じる。
製作者側からみれば、積極的にサウンドを作る方向性にあり
マイクの原音そのままというロジックから外れているかもしれない。
そのマイクそのものも、ノイマンの真空管式コンデンサーマイク
RCAのリボンマイクなど、ビンテージと呼ばれたものの復刻版など
それでしか得られないテイストを求めている。
もう少し下流にいくとリマスターの作業があり
そこでもイコライザー、コンプレッサーの類が使用され
使用するスピーカーも家庭用のものが持ち込まれたりする。
その意味では最大公約数と嗜好性の隙間を探っていると言えるかもしれない。 ポップスのサウンドそのものが嗜好性の強いコダワリの塊とすると
いわゆる原音再生とは万人がそう思うであろう最大公約数である
という相対的な価値観のなかに放り込まれる。
このカオス状態をどう受け止めるか?
そのルールが通常のオーディオ批評には存在しないが
録音スタジオでは製作者の意図として存在する。
逆に製作側に求められるのは、万人に受け容れられるサウンドであり
その万人たるものの実態に合わせることでもある。
肩肘張らずに言えば、電蓄、ラジカセ、ウォークマンがあれば
歌謡曲の各時代のサウンドの基本形は網羅できる。 歌謡曲の原風景は家電オーディオにある。
ここでさらに歌謡曲の再生で嗜好性を深めようと考えるのが
オーディオマニアとしての本分である。
ところがその価値観は極めて相対的であり、絶対的ではない。
つまり家電のもつサウンドバランスに対し
何をレベルアップすると、より好ましい感じになるか
自分自身の嗜好性に向き合わなければならない。
何がカオスかというと、自分の感性そのものが困惑している。
自分の困惑ぶりを楽しめるようになるといいかな。 家電オーディオからのグレードアップの方向性として
大音響、周波数レンジ、低歪みという機能性を持ち出しやすいが
違う観点で、パーソナライズの幅で考えてはどうだろうか。
電蓄→ラジカセ→ウォークマンという流れは
音楽のパーソナライズの進化の歴史でもあるわけだが
その逆の方向としてコミュニケーションの場の広がりがあり
球場コンサートなどの巨大化と実際には相反して進んでいる。
その中間で、音楽がコミュニケーションを日常的に促進する
そういうツールとしてオーディオを探るということも考えられる。
「喫茶ロック」というコンピレーション・アルバムがあったが
その解説本の冒頭で「音楽喫茶」というコミュニティが紹介され
その交流のなかで生まれた各テーマに進むよう展開している。 歌謡曲でシングル盤の面白さは
売れ行き=先行きの判らない状態での希望や不安の吐露だと思う。
1970年代までは、そうしたことが生き様そのもののように思えたし
単純に若かっただけではないように思う。
今の若者のほうが計算高く、ずっと安定志向のように思う感じがする。
そうさせたのは高度成長期の行き着く夢だったように思うのだが
そこが桃源郷でもないことは確かだ。
大切にしたいのは、録音時に歌手が抱いたパッションを
いかにその場に居たかのように、勢いよく再生することである。
その意味では、シングル盤には心の内をパブリケーションする
何等かの絆を求めようとする、前に進みだそうとする方向性が
常に秘められていると仮定することができるだろう。
オーディオでこの手の初々しさを後押しする方法はないだろうか。 現在が桃源郷でもないというのは
いじめっ子はいたがイジメはなかったとか
モーレツ社員はいたがブラック企業はないとか
教師がビンタしてもパワハラまでしつこくしなかったとか
人間の安定志向が負の方向に傾いた結果だと思う。 歌謡曲のもつメッセージを直感的に感じ取れる
そういうあからさまな表現が成り立つのだろうか。
よく「秘められた」という言葉を聞くが
歌にした時点で告白に近い心境の吐露があるわけで
そこをさらに押し殺しているのが切ないような感じがある。
この抑制された思いが、昭和の歌謡曲には必要な気がする。
グッと言葉を噛み殺したような瞬間は
出音の俊敏さとは逆のことなのだが
意外にオーディオは余韻の美しさにこだわり過ぎて
スッと音が引くような表現は苦手なような気がする。
大型システムになればなるほど、迫力のある表現は得意だが
逆の静謐さを緊張感をもって維持することが難しい。
最近のウーハーは小口径になった割に重たい振動板なので
出音が鈍く、引き際が長い。バランスが悪いように思う。 ウーハーの出音が鈍く、引き際が長いに対し
ツイーターの反応速度は高まるばかりである。
むしろインパルス応答を際立たせて定位感まで支配する。
その分、ウーハーの設計は重低音の伸びに向けられ
ボーカル域のタッチが鈍くなる傾向にある。
肉声を失って第二フォルマントを強調した
ボーカロイドのような音声も、そうした現象のひとつだ。
歌謡曲のもつ人肌の温もりは、中域に込められている。 アンプに強力なドライブ能力が求められるようになったのは
1980年代に能率80dBの小型スピーカー
特にセレッションのSL-600が出て以降で
当時はクレルの大型アンプでないと鳴らし切れない状態だった。
その後、電源の見直しにより多くのアンプがこの点を克服したが
代りにビギナー向けの代名詞だったブックシェルフが
むしろ上級者向けの製品に化けてしまった。
この頃からCDで新譜が出たため、ステレオで音楽を聴くより
ヘッドホンのほうが少ない投資で高音質で聴けることが判り
当然ながら電車でシャカシャカ鳴らす高校生が増えた。
歌謡曲をステレオで聴くという行為そのものが化石となったのだ。
1990年以降のことである。 歌謡曲の再生において200〜2,000Hzの重要なのだが
それを駆動するアンプのほうは
むしろ小口径で重たいウーハーの重低音をターゲットにしている。
何となく気になるのは、重低音と超高域の伸びばかりに注意が向いて
ちょうど高山に昇ったときのように、空に近く見渡しも良いのだが
ボーカル域の酸素濃度が低い感じがすることだ。
あるいは杉林のようにまっすぐに高くそびえる一方で
地面では太陽の光を遮ってしまい、草も生えないような感覚である。
個人的には制動の効かない低域が伸びてるよりは
むしろバッサリ切ってしまったほうが
ボーカル域の反応を聴き取りやすくするのに良いと思っている。
低音のタイトな切れ味についてこだわっているのは
ラックスマンからスピンアウトしたエアータイトで
手配線の真空管アンプで、ずっとモダンな音を追求している。
ラックスマンの中域に独特の艶のある音とは逆だが
エアータイトは真空管のもつ暖かみを保持しながら
音楽的な躍動感を引き出しているように感じる。 ただし躍動感を引き出すのに、アンプの支えは必要と考えながら
フィックスドエッジや励磁型のスピーカーに変えたほうが
遥かに効果は覿面に効いてくる。
ドラムのドカッと叩く迫力など、重たいウーハーでは出せないし
それはそのままボーカル域の見晴らしの良さにもつながる。
フィックスドエッジの難しいのは、低音があまり伸びないことと
エッジの共振が1.5kHzに大きなディップとして現れる点で
1960年代にはハイファイ用として製造されなくなった。
一方で、エッジ貼りの作業工程がない分、安価にできるため
家電のテレビやラジカセにはずっと使われ続けた。
重低音の薄さ、中域の反応の速さ、中高域の少し濁った分割振動など
昭和の歌謡曲に必須の味付けのように思える。 昭和の歌謡曲の住処が放送メディアを中心とした家電にあるとすれば
ラジオ、テレビの音の本質とはどういうものだろうか。
>>863において肯定的、>>862において否定的と両極端だ。
あまり自分でも考えなかったのが
オーディオメーカーとしての松下電器の立ち位置だ。
サン・トリ・パイのうちにも入らず
ソニーをリトマス試験紙に見立て、真似下電器と揶揄されるが
1960年代の中頃に小型ブックシェルフと共に
テクニクス・ブランドを立ち上げ
その後、ダイレクトドライブ・ターンテーブルSP-10など
独自技術も含め幅広く展開していた。
注目すべきは、パナソニック・ブランドとしての活動で
ゲンコツという異名をもつ20cmフルレンジスピーカーから始まり
同軸型2wayのPXシリーズは、安価な割にフラットな特性をもつことで
海外でも売れ行きの良かったものだ。
意外に忘れられがちなのが、小型真空管の信頼性で
今でも長寿命管として知られる。
国内でのナショナル製品があまりに日常的であったために
嗜好品としてのオーディオ製品と見なされなかったのが
今になって思うと残念な気がする。 嗜好品として見なされない音響機器は
造り手の顔が見えないノンデザイナー・ブランドで
昔は日本製オーディオを「お茶漬けの味」と揶揄していた。
酒の肴にもならず、酔い覚ましのシメの部分だろうか。
ここでお茶漬けの味をちゃんと考えると
ただご飯にお茶をかけただけではダメで
いい塩梅の薄い塩味、ほんのりとした海苔の香り
そして少々の魚介類の旨み成分が加わって
胃がもたれずにスルスル入る。
昭和の歌謡曲の味加減を考えるに
ある種のストレス社会との相反性も感じられ
「お茶漬けの味」を肯定的に見直すことが必要だと思う。 おそらくは、お茶漬けの味の代表格はNHKである。
NHKの音というのがあるのか?
そういう疑問もあるかもしれないが
民放のようにラウドネス競争に走らない
ニュースキャスターが皆揃って同じ口調
などの印象から、工業製品としての規格化の傾向が強い。
BTS規格から生まれたデンオン、ダイヤトーンの各製品は
ビギナーからベテランまで安心してお勧めできる高品質なものだ。
海外でこうした雰囲気をもったオーディオは
英HMV、米RCAなどが思い浮かぶ。 一方で、NHKの音は超えられない壁のような存在であり
ストレス社会を黙認するお役人のような感じもする。
規格化を意識させている時点で、すでに抑圧的なのだ。
では無意識に存在するお茶漬けの味とはどういうものか。
それがパナソニック製品の音なのである。
マネシタ電器の裏には、徹底した規格化と低コスト化という
技術的なバックボーンがなければけして成立しない。
規格化の背景には、必要ないところにはコストを掛けない
つまり不用の用の勘所をしっかり弁えていることが重要で
そこがサウンド造りに生かされていると言える。
例えば、音質の要となるスピーカー、真空管は自社製で
トランス、コンデンサーの類は無味無臭なもので統一して
調達コストを下げるという割り切り方が、サウンドに現れる。
出力トランス、カップリングコンデンサーなど
アンプの音決めをする要だのだが、意外にアッサリしている。
この点が、お茶漬けのように感じられる要因だと思う。 ここで、歌謡曲をお茶漬けの味に喩えて
その味にこだわるということについて考えると
いい塩梅、ほのかな香り、わずかな旨み成分と
薄味のなかに繊細な感性が生きていることに気が付く。
ご飯がふやけてしまうと味気なくなるし
海苔がベトベト絡みつく、鮭の脂が溶け出しすぎる等々
サッパリ感のバランスが崩れる要因は意外に多い。
つまり作り立てをササッと掻き込むのが美味しいのだ。
オーディオに喩えると、ピアノからメゾピアノの音量に
繊細な再生能力を傾けた仕様が好ましいことになる。
これは多くの日本人歌手の声量から考えても妥当で
1〜2Wのレベルで高品位ということを目指すことになる。 お茶漬けの味には、繊細な薄味の美学のほかに
様々な要素の混ざり具合というものもある。
いい塩梅、ほのかな香り、わずかな旨み成分は
塩、海苔、鮭と、どれを単味で取り上げても
サッパリ感は出てこない。
雑味として混ぜ合わさることで、各々の味が引き立つ。
一方で、それぞれの味がしっかりしてないとダメで
塩なら食塩ではなく、梅干しや塩鮭に含まれる粗塩
海苔も炙りたての焼きのり
逆に、ご飯は冷飯、お茶は二番煎じのほうが
加えた味が浮き出て美味くなる。
歌謡曲もリソースに忠実な再生だけではダメで
いい塩梅になる混ぜ具合を吟味することが大事だと感じる。 いい塩梅の要件は、塩梅の味がちゃんと判るようになってるかで
それは録音ソースを引き出す入り口が明瞭なほうがいい。
私は入り口のメインがCDなので、そもそも音がささくれやすく
出口に辛口のジェンセンを配置してるので、基本的に辛口嗜好である。
正確というわけではなく、ギミックな明瞭感を基調にしてる。
この反対に、塩梅を薄める冷や飯、二番煎じも必要で
オーディオのタガの外れた規格のものが入ると
少し気軽さが演出できて、家庭の雰囲気が出てくる。
2A3、300Bという三極管を好む人も多いだろう。
私はCDをベルトドライブ式&スローロールオフ・フィルターで和らげ
サンスイのラジオ用トランスで庶民的なレンジ感を演出してる。
言い方が悪いかもしれないが、デノン PMA-1500REは冷や飯の類で
造り込んだ音をレシピ通りに増幅してくれる無味無臭の存在である。
同じ無味無臭の存在は、フォステクスのツイーターで
ジェンセンのやんちゃ振りをモニター調に整えてくれる。
こうしてみると、入り口と出口の辛めの音を和らげるトラップを
色々と配置しているようだ。 デノン PMA-1500REの良いところを挙げると
音量の大小でのリニアニティが変化しないことで
ただ安いアンプだと、小音量に合わせて
低域や中高域に微妙にラウドネスが掛けてあるが
中堅機のPMA-1500REには、そのような甘さがなく
音がスッと引くときのバランスが崩れない。
低音がズドーンと残ったり、高音の出音だけが元気いい
そういう感じがなく、出た音と消失する音の表情に変化がない。
逆にこれより高価なアンプには、押し出しのほうが強くて
小音量のディテールが判りにくいものものあり
単純に残留ノイズのほうが盛大なものも多い。 70年代の放送局において、
歌謡曲の送り出しに重要な役割を占めてたと思われる
「テープデッキ」に関する考察や、
それを現代で再現するようなオーディオ的な見解を
書いていただけるとありがたい。
というか興味津々です。 アナログ・テープの音の特徴のひとつに磁気ヒステリシスがあり
テープコンプとも呼ばれる音量が飽和する感じが
ソフトディストーションの心地よさを出します。
デジタル機はこれと違って、ちょっとでも入力オーバーすると
バリバリと不快な歪みを出してしまう。
このため、アナログ・テープのほうがS/N比が低いのに
音量のフォルテ感が出しやすいという特徴があります。
デジタル機器でこのようなコンプレッション効果を出すのに
よく真空管のソフトディストーションのことが言われますが
音質で影響の大きいのはトランスのほうで
個人的にはライントランスに過入力を与えたほうが
真空管の過入力歪みよりもマイルドで好ましいと思っています。
あとは旧式のフォトカプラーを使ったリミッターがあり
例えば、UNIVERSAL AUDIO LA-2Aは自然な飽和感が得られますが
もとは生音を扱うためのものなので、既に処理してある録音に対して
ダイナミックレンジまでいじる必要性は低いと思います。
稀にミニワットの真空管アンプで、小さい音が聞こえにくいなどに
有効な場合もありますが、もっと安い製品で十分です。 アナログ・テープのもうひとつの特徴はヒスノイズで
一般にはアナログ録音の弱点とされてきたものです。
一方で、FM放送の三角ノイズが高域をソフトにして
高次歪みが曖昧になるため心地よく感じる人も多いらしく
ヒスノイズも一概に悪玉とはいえないように思います。
三角ノイズは、無信号時のテレビで聴かれた「砂の嵐」で
うるさく騒ぐ幼児に聴かせると、おとなしくなるなど
一説によれば、子宮内での音に似ているとのことです。
試しに信号を入れないアンプにツイーターを繋いで
フルレンジと一緒に鳴らしてみると
それだけで表情がほぐれたように感じます。
今どきのハイレゾも一緒の効果があるかもしれません。 ちなみに磁気飽和を狙ったライントランスは
高級なハイファイ用ではなく、小さいトランスのほうが出しやすいです。
そしてプリアンプとパワーアンプの間に挟んで
プリ側で過入力で送り出し、パワー側のボリュームを絞ることで
ちょうどいいポイントが見つかります。
例えば、初期のNEVEのコンソールにはトランスが多用されていましたが
磁気飽和を起こすと綺麗な高次倍音が乗るような設計になってました。
16chものマルチトラックになると、音が混濁してジャマなだけですが
ソロパートの収録に存在感を出したいときは、今でも有効な手段です。
トライデント社のライントランスなどは
廃棄されたコンソールからパーツ取りする場合もあります。
これと同じというわけではありませんが、安価で製造されているもので
サンスイトランスのST-78、ST-17Aが歌謡曲にはピッタリで
高域の伸びたST-78、それより暖色系のST-17Aと使い分けています。 放送用テープデッキについては、
一般の録音スタジオが8〜16chにいたるマルチトラックなのに対し
番組そのものを収録した2トラックの再生機器が主流になります。
ハイファイ規格のFM局の地方局との連携に必須だった一方で
何よりも大事なのが堅牢性で、絶対に止まらないことです。
このためスチューダーやアンペックスのように音質面での話題はない一方で
放送用のターンテーブルもそうなのですが
テープ速度の正確さはもとより、ワウフラッターの低さなど
メカニズムの安定性からくる腰の据わったサウンドが特徴としてあります。
個人的にはデジタル機器には、音程のブレはない代わりに
腰が据わったという感覚をあまり感じません。
腰が据わったというのは、聴感的に音がまっすぐ伸びた感覚なのですが
おそらくデジタルは微小信号のグランドノイズがパルス波でチラチラするので
どこか落ち着きのない感じがするようです。
この落ち着き感は、ライントランスを入れることで、スッと出てくるので
可聴領域を侵さない程度にアナログのフィルターを入れると解消します。
トランスとまでいかなくても、コイルでも十分なような気がしますが
既にトランスをひとつ噛ましているので、まだ試していません。 あとFM放送で多用されているOPTIMODというマルチバンド・プロセッサーがあって
可聴領域を5〜8バンドに分けて、個々に音質を最適化する機材です。
ラジオで聴く楽曲が、CDで聴くより音が前に出て聴きやすいと思うのは
このプロセッサーによるところが大きいのですが
この音質を好む人と好まない人とに分かれることも確かです。
個人的には、このプロセッサーの機能に頼り過ぎて
高域や低音が張り付いたままでダイナミックな変化に乏しくなるなど
総合的なまとまりに欠けた音で流すことも否めない感じがしており
やはり判断する人間の感性が反映されるのでしょう。
もちろん、元の録音がそういう傾向のものもありますが
パッケージメディアと聴き比べてあらためて気付くときがあります。 あとLPと比べて、CDの音が潤いに欠けるという意見も多く
これは逆にLPのカッティング時に行う、リミッターやエンハンスの作業を
CDに移し替えるときに省略しているためで、初期の再発CDに多くありました。
これはリマスタリング作業が間に入ることで解消していくのですが
オリジナル・テープからハイビット&広帯域で直接コピーという宣伝には
諸手を挙げて称賛せず、一呼吸おいてから鑑賞するほうが無難です。
これは稀なのですが、初期の再発CDのほうが、原音に近いという意見もあり
おそらくかなりの大音量派ではないかと推測します。
もともと歌謡曲は小出力の機材で聴き映えするように最適化されていて
適度な音量のほうがラウドネスの具合が合ってると思います。 ラウドネス機能には少し誤解されている部分があって
ラウドネス曲線をもとに小音量では低音と高音が聞こえにくくなるので
フラットなバランスで聴くためドンシャリに持ち上げる機能を指します。
ttp://www.zainea.com/loud3.gif
ttp://www.zainea.com/tempo7.gif
実際の大音量と小音量の聴感には逆の効果がみられ
中域から中高域に+3dB/octの盛り上がりがあると
音像が一歩前に出たような錯覚を感じます。
ttp://www.zainea.com/tempo15.gif
つまり遠くで鳴っていても、すぐ近くで鳴っているように感じ
いわゆる古いPA機器にみられた特性でもありました。
ただ歌謡曲の多くにはラウドネス機能が累加されているので
音量を上げて聴くときは、両端を少し落とした感じで
バランスがとれると思っています。
マイクの特性を含めた考察は以下のものがあります。
ttp://www.zainea.com/loudness%20related%20to%20mics.htm 以上をキーワードでまとめると
アナログテープの磁気ヒステリシス、ヒスノイズの模倣
デジタル音響機器のパルスノイズの除去
試聴時のダイナミックレンジとラウドネスの最適化
ということになります。
ちなみに磁気ヒステリシスは
高層ビルに使われる免振デバイスも同じ曲線で
粘り強く腰の据わった感覚となります。 LPとCDを比べたときに、音楽のノリがLPのほうが良い
という意見もよく聞くのですが
どうもLP盤特有のワウフラッターと関連があると思ってます。
単純な回転数の乱れ以外に、円溝の偏心による揺らぎもあります。
試しにフランジャーというエフェクトをゆっくり薄くかけると
バンド全員がリズムを取ってるようなノリが出てきます。
放送送り出しのテープデッキではこういうことは起きませんが
レコードを掛けてる場合は、クオーツロックでもワウは生じます。
逆にクオーツロックのダイレクトドライブについて
回転数の制御で音の伸びやかさが失なわれ、ぎこちなく感じる人もいます。
ぎこちなさの原因は、高域の線速度の乱れを感じ取るからで
これが安定してないと音の連続性が途切れたように感じるからだと思います。 CDにも一種のぎこちなさを感じるのですが
この原因は、音の立ち上がりにパルス波が乗ってくるからで
広帯域なのにインパルス特性に乱れのある機器では
ざわついた感じで耳につきます。
逆にロックでは鋭角的な立ち上がりが強調されて
好ましいと感じる人もいて、相性も関係すると思われます。
こうしたことは、アナログレコードではスクラッチノイズとして
よりエッジの効いたメカニカルな特性として現れます。
こうした現象は、デジタルだからアナログだからということではなく
それに合わせた対処とコントロールができるかの問題だと思います。
個人的に、歌謡曲のDACにはスローロールオフのフィルターが
肌合いの滑らかさが出て合っているように思っていて
そこでちゃんとウーハーから出音の応答速度も確保して
全体のポテンシャルを維持したほうが良いように思ってます。 あとデンオンの業務用機器の全般に言えることは
イコライザーの特性がとても素直だということです。
これはCD再生機の評価用フィルターをアナログ回路で組み上げ
20kHzでリンギングなしにストンと落とす技術にも現れます。
EMTやノイマンのイコライザーアンプは高価で取引されますが
デンオンのそれもあながち捨てたものではないと思います。 デンオンのテープデッキは1950年代からNHKに納品されていましたが
その音声チェック用に三菱のロクハンが使われていました。
P-610は初号機が10kHzまで、2号機が14kHzまでレンジを伸ばし
1983年のDA/DBの販売まで長く使用されました。
その2号機はフルレンジの周波数バランスのお手本として
今でも神話のように語られます。
一方で、大入力には弱い一面もあり
小音量でのラウドネスを補うために中高域を辛目にしています。
ttp://quwa.fc2web.com/P610-1.jpg
1979年の「魅力のフルレンジスピーカーその選び方使い方」では
2.1m×2.1mの平板バッフルに埋め込んでテストレポートしています。
菅野氏「16cmフルレンジという制約のなかで音を充実させ、
リアリティを感じさせようという作り方が意外になされているんだな
という感じです。今までどちらかというと、
モニター的な性格のスピーカーという印象をもっていたのですが、
意外に個性の強いスピーカーという印象です。」
瀬川氏「菅野さんがうまく作られたユニットだとおっしゃった点は、
高域の一種独特な音色、例えばピアノの右手で弾かれる音が
一見粒立ちがいいように聴こえるところに感じられます。
それと中低域がふくらんでいるように聴こえましたね。
それが、たとえばサックスをふくらます反面、
ナレーションをいくらか胴間声的に聴かせる傾向があります。」
岡氏「私が一番印象に残ったのは、中低域から低域にかけての出方ですね。
意識的にその辺にウェイトをかけて、音楽の量感を出そうとしているところがある。
それと高域もまたときどきビュンビュンとピークっぽく出てきて、
それが音の色艶をつける面白さになっている。
それから不思議に思ったのはナレーションの声なのですが、
暖かい感じなのに妙に明瞭度が出ているという一種独特な鳴り方をしましたね。」 こうした批評を受けてか、1983年に高域を20kHzまで伸ばした
P-610DA/DBを開発しました。D=デジタル対応ということもあり
もちろん特性はフラットに修正されています。
しかし世間一般の2号機への信頼性は留まることを知りません。
小さな6畳間で1Wレベルでの出力範囲では
このバランスが良いと言えるのです。 三菱ロクハンの特性が6畳間のような小さな空間に適していたのは
周波数レンジの指向性にも現れています。
ttp://quwa.fc2web.com/P610-1.jpg
正面ではやや辛口、30度逸れると2.5kHzからロールオフします。
これはステレオ再生に必須のチャンネルセパレーションを確保し
良好な定位感を生み出すのに役立ちます。
さらに60度までの特性を比較すると、きれいな同心円状に揃っています。
この減衰特性の癖まで揃えるのは大変なことです。
一方で、フルレンジ・スピーカーで生じやすいエッジの共振による
1〜2kHzのディップを抑えてスムーズに持ち上がります。
この領域はバッフルステップで持ち上がる一方で
エッジの共振と相まって濁ることが多いのです。
P-610のスポンジエッジは耐久性は悪かったのですが
ボーカル域に重要な帯域の品質を確保するために必要なことでした。
このように2kHz前後に生じる
ピストン領域と分割振動帯域との棲み分けは
機械的な癖というよりは、人間の聴覚に沿った設計が基本にあります。
この辺のセンスの秀逸さが三菱ロクハンの本当の凄さだと思います。 フォステクス FE103は1964年以来のロングセラー製品ですが
昔のFE103と今のFE103Enとでサウンドが異なるのに
気付いている人は少なくないと思います。
単純には昔のほうが、もっとキレよく尖ってたという感じで
Enになってコーン紙が変わって音質が大人びたという印象です。
これは周波数特性にも現れていて、旧FE103は30度で10kHzまでびっしり
ttp://www.audio-heritage.jp/FOSTEX/unit/fe103(1).jpg
現機種は2.5kHzからロールオフしています。
ttps://www.fostex.jp/wp/wp-content/uploads/2014/08/FE103En-F1.jpg
現状の設計思想は、三菱ロクハンと似てなくもないのですが
違いは10kHz付近にあるボイスコイルの共振で
この過度特性が高域のパルス波にエッジ感をもたせます。
パルス波の輪郭を強調することは、定位感の強調に繋がりますが
デジタル録音のように高域のエネルギーが落ちない場合には
高域をロールオフしたほうが、従来の録音とも馴染みやすいです。 最近になって、ツイーターにフォステクス FT28Dを付けてみたが
モニター調に音質が整っているのに、どんな録音ソースも柔軟にまとめる
物腰の柔らかさに驚いている。NHKの匂いがするツイーターだと思ってる。
このユニットの改良版がNF01Rニアフィールドモニターに使われているが
今どきのモニターに求められる中立性が巧く作用しているようだ。
これと似た感触は、素材と縫製にこだわったユニクロの服にも感じる。
自分はジェンセンC12Rという特異なユニットをベースに備えているため
これまで小型フルレンジやホーンドライバーで何となく満足していたが
ジェンセンの筋肉隆々なところをヴェルヴェットで包み込んだような
不思議な感触がそこにある。喩えて言えば、女性艶歌歌手のそれだ。
実際に、ちあきなおみ、八代亜紀、藤圭子など
1970年代の演歌歌手のライブ録音をかけてみると
ボーカルにクローズアップしたミックスバランスのため
一般にテレビ中継のように言われるレンジ感のなかでも
中低域の躍動感を物腰柔らかい高域で包み込むバランスが
言葉の出だしの素早さを保ちながら、キツく突き刺さらない
自然な口調を提供してくれる。 NHKっぽい標準的なサウンドを志向することができたとき
不思議と歌謡曲の録音に原音再生という文字が浮かんできた。
1968年以降、フェイクなアレンジで賑わってきた芸能界だが
おとぎ話を聞かされているようなところが魅力でもあった。
ところが、声だけは真実を語っているかのような
そういう錯覚に陥るほど、声がタイトに引き締まっている。
1970年代のユーミン、中島みゆきが、そこに居るかのよう。
現在も十分現役なのに「今なにをしてますか?」と
思わず訊きたくなってしまうような
それだけ地声のように据わって再生できている。 システム全体で聴いて、人声がタイトに引き締まるとは
声を発する瞬間と薄らいでいくときのタイミングがブレないこと。
よく高域に繊細な反応を示すツイーターをもつと
エコー成分に激しく反応して、古い録音が化粧臭くなる。
逆に重低音が共振で尾を引くウーハーだと
マイクの生音は胴間音が強くて声色が曇ってしまう。
オーディオにとって魅力的なサウンドとして進化した部分は
人声にとってはアンバランスな感覚をもっている。
お尻と胸のデッカイ女がやたらとヒラヒラのドレスを着て
結局着ぶくれしたように感じるアレである。
ボーカル域は、タイトに引き締まったボディを維持しないと。 ボーカルがリアルで等身大になってハッとしたのは
ユーミンや吉田美奈子のように、あどけなさの残った浅い声で
語り掛けるときの息遣いだ。
「卒業写真」「愛の彼方」の出だしがそれに当たる。
普通の16cmくらいだと、つぶやき声にきこえるが
30cmでフルレンジともなると、胸の奥から湧き出てくる
呻きのように聞こえるので不思議だ。
おそらく初盤の頃は、歌手のプライドを捨てた立ち位置が新鮮で
ラジカセから流れる、つぶやき声に耳を奪われたように思う。
今になって、もう一歩近づいてみると、色んな悩みのあったことに気付く。
それが失った恋心そのもののような気がして切ない。 ツイーターを正相にするか、逆相につなげるか
どうもレーベル毎に相性が違うように感じるときがある。
たまたまチャンデバのフェイズスイッチで切り替えができるので
色々ためしてみると
正相:日本コロムビア、テイチク、東芝EMI、CBSソニー
逆相だとボーカルが遠鳴りになる
逆相:日本ビクター、ポリドール
正相だとボーカルがくぐもって聞こえる
おそらくエコーのミックスと関係してそうなのだが
エコーそのものは左右chで逆相になるので
気のせいと言えば気のせいだと言える。
もちろんフルレンジ1本で聴く人にも関係ない。 ステレオの正相・逆相で思い出したのが疑似ステレオ。
クラシックの録音ではよくある話で、昔のモノラル録音を再発するとき
左右でディレイやエコー、高音と低音のバランスを変えるなどで
音場感を醸し出そうとしたものだ。
ポップスのステレオ化は比較的遅く1960年代後半からで
それも左右に楽器を振り分けただけのピンポン・ステレオ。
ほとんどの録音は流行とともに再録音されないので
ステレオそのものの意義も迷宮入りしたまま放置されてる。
私自身はモノラル試聴を基本にしているのであまり関係ないが
ステレオ録音をモノラルミックスするときに高域のバランスを逆転させ
さらに必要ならエコー、リバーブを掛けて聴いてる。
ttp://quwa.fc2web.com/image58.jpg
もともとステレオ感に時代の違いが大きいので正解もないので
自分の好みで聴いて問題ないんだと思う。 ピンポン・ステレオの由来は、左右で違う楽器が掛け合う状態で
ステレオにしたばかりに一体感を削ぐような録音になってること。
1965〜68年頃に集中して存在する、今では逆に懐かしいアイテムだ。
それ以前のステレオは、それほどのドギツさはなかった。
現況は当時のミックスの仕方にあって
例えばモータウンのエンジニアは基本的なバランスはモノラルで調整し
ステレオは左右に振り分けるだけだ、と冗談めかして言っている。
あるとき、社長がステレオ録音の状況を視察にきたとき
モノラルでしかミックスバランスがとれないことに気付かれ
あやうく解雇されかけたらしい。
アメリカの最前線での録音状況がそのような感じなので
それを真似ていた日本の状況は推して知るべしである。
今ではオリジナル・モノラルというのも箔が付くので
時代が変われば価値観も変わる。記録としてのレコードは大切にしたい。 ボーカルのつぶやきをリアルに引き締まって再生する効果だが
こうした反歌謡性を打ち出したのは、おそらくフォークの影響がある。
語呂の合わない歌詞を自由に入れ込んで、本音を引き出す手法は
むしろメロディーのない段階から、心が動いていたことを告白する。
ジェンセンで最初に気が付いたのは、ライブでのMCがリアルなことで
昔、江川爺がマイクで自分の声を再生するとシステムの癖が判ると言ってたが
MCのリアルさは演奏の迫力へとすぐ反映するように感じる。
マイクを使ったチェックは、エレボイの1970年代のカタログに載っていて
放送用マイクで鍛えられた再生技術に自信があってのことだろうが
自然なバランスが直感的に分かりやすい方法かもしれない。
これはよく言われるテレビ中継用のレンジが狭い録音でも
リアルさの担保ができている。歌謡曲の生命線かもしれない。 レンジの狭い放送用録音が歌謡曲の生命線というのは
昭和の歌謡曲をラジオやテレビで親しんだ原体験があるからだと思う。
ヤマハの簡易ミキサーに付属しているエフェクターに
オートワウ(AUTO WAH)という
ちりめん状にワウフラッターを加えるのがあって
これが短波放送をチューニングしているような感覚が出て
どういうわけだか、秘密を覗き見しているような気分になる。
ちょうど古いテレビで垂直同期が合わずに横筋が付く感じだ。
「ねえ、私達も愛し合うと いつかは汚れてしまうのかしら?」
百恵ちゃんが遠い記憶で叫んでるように感じるから不思議だ。 新聞の記事で、イケメンホストが恋愛小説をナビゲートするカフェがあって
中身が分かりやすいように色帯をつけて
ピンクが初恋、赤が情熱的な愛、黒が愛憎としてあるらしい。
ピンクのモーツァルト、赤い絆−レッドセンセーションは思い浮かんだが
黒がダイレクトに浮かび上がらない。
中島みゆき「うらみ・ます」は大学時代に話題になったが
どういうわけか思い浮かべたのは中森明菜「DESIRE -情熱-」。
いや、それって赤じゃないの?と突っ込まれそうだが
明菜さんが歌うと、もう黒焦げの煤だらけ。
フランス映画に「トリコロール」という三部作があったが
そっちはソフィスケートされすぎて途中で寝てしまう。
いまだにストーリーが判らないままだ。 そういえば「赤い」ではじまる歌もあって
リンゴの唄:赤いリンゴにくちびる寄せて
高校三年生:赤い夕日が校舎をそめて
淡い恋心がやがて情熱に変わることを暗に示していたんだと
今更ながら気付いている。
でもどっちも、さわやかな心で満たされる。
子どもからみても、大人からみても、思春期というのは
こうあってほしいと思う甘酸っぱいものなのか。 AM波の伝送ルートの差で起こるフェーディング
FM波に付随する三角ノイズなど
ラジオ受信に伴うノイズを賢く使う方法を模索してる。
一般的には、周波数レンジの狭さ、ノイズの多さという
アナログ技術の悪い面ばかりを指して「ラジオ並み」というが
フェーディングや三角ノイズを単独で取り出すと
浅く効く場合には、それほど悪い印象は受けない。
フェーディングは音楽のノリに結び付くし
三角ノイズは高域の柔らかさに繋がる。
太陽がまっすぐ照りつけるデジタル的なスペックは
陰影のない音という感じがする。 レコードコレクターズ、1968年特集
この時代の歌謡曲は最高だ オリコンチャートみたら、演歌とGS、洋楽(本家)とが混ざった感じで
特集の意図とは逆転しているように思った。
ゴーゴーの踊れる、ビートルズが歌える、ひとりGS。。。
宣伝コピーだけで独り歩きしだした時代だった。 一般には、レコードマニアもオーディオマニアも
海外のクラシックやジャズを日常では聴けないという理由が原点にあって
普段からラジオで流れている歌謡曲は、マニアの対象にならなかった。
レコードコレクターズの紙面の9割を占めるのは洋楽ロックの世界。
普段は巻末の再発盤の紹介をみる程度かもしれない。
最近では日本の楽曲を特集する機会が2割くらいに上がったけど
オーディオの世界ではまだまだ。アナログ誌が頑張ってるくらいかな。 オーディオでの歌謡曲の話題は、ハイレゾ音源とLP再発。
テクニクスのサイトで庄野真代さんや岩崎宏美さんがインタビューを受けている。
庄野真代さんはハイレゾでの気配の再現能力に注目しながらも
現在は家でゆっくり聞いていられるヒマがないとのこと。
岩崎宏美さんは、昔買いためたLPを納戸のプレーヤーと木の箱のJBLで聴くとか。
一緒にお揃いで買いにいった良美さんのほうは、大きすぎるので捨てたとのことだが
「木のスピーカーはいいのにね。私はまだ使っています。」とのこと。
聴いているのがアメリカの洋楽中心なので、そういうチョイスになりそう。
そういえばバカラック氏も、粗大ごみに捨ててあったJBLを拝借して愛用してるらしい。 JBLとマッキンという黄金の組合せがある一方で
JBLが本国ではプロシリーズの製造も販売もしていないなか
現在も売れ続けている要因のひとつに、アンプの選びやすさもある。
日本で言えば、サンスイが輸入代理をしていた頃は
4320などをリファレンスにして調整していたというのだから
意外に身近なところにあった。
1977年のミュージックライフ別冊「ロック・オーディオ&FM」には
ミキシング・エンジニアの自宅システムが紹介されているが
野口五郎、フィンガー5、森進一、佐良直美、小柳ルミ子、西岡恭蔵、南沙織
などなど担当歌手をあげればぞろぞろ出てくる。
JBL愛用者は12人中4人、そのうちマッキン2人、ラックス2人。
家ではジャズを聴いています、という人がほとんど。
スタジオでは米クラウン社のDCアンプが多かったので
少しリラックスした音に緩めておくのが良い塩梅なようだ。 そういうなかで国産スピーカーでの悟り系のエンジニアも4名居て
布施明、ゴダイゴ、内藤やす子、都はるみ、森昌子、千昌夫、由紀さおりが担当で
ビクターSX-7、フォステクスFE-103、テクニクス20PW1、コーラル自作3wayなど
庶民派の視線で聴いている様子。「部屋に限界があるので」が共通の言い訳。
機種の紹介には載っていないが、オープンリールは必須のようだが
やはり家では洋楽(ジャズ、ロックなど)を中心に聴くというので
これもステレオを買い揃える言い訳のように思える。 レココレの1968年特集が50年という年月を振り返るのに対し
その10年後の1977年のロック・オーディオというのは
この時代において未来主義が歴然として残っていたことを示す。
その時代、その日々に感じたことは、遥かな未来への伝言のように思える。
10年の間にカセットテープ、デジタル録音など
ソフト面で高音質が手軽に扱える技術が進展して
軽やかな80年代ポップスに移り変わっていく。
こういうときに50年前の録音=メッセージをどう聴き取るべきか。
小説のように思索する時間的な余裕のないオーディオのことなので
あの時代と同じテンポで感じなければいけないと思いながら
当時感じた未来主義まで修正できるはずもない。 先日にFountek NeoCD2.0というリボンツイーターが届いて
ジェンセンと抱き合わせてみた。
PeaveyのラインアレイPAシステムにOEM供給されていて
リボン=繊細というのとは大分違うタフさも兼ね備えている。
これで、コーン、ホーン、ソフトドーム、リボンと比較できるようになった。
リボンの特徴は、インパルス応答が俊敏でぶれないこと。
フィックスドエッジのジェンセンとはスピード対決となるが
こういう組合せは、1946年にデッカのリボンツイーターを使用した
HMVの電蓄Electrogram De Luxeまで遡ることができる。
SP盤の時代に高規格と驚くかもしれないが
この超高級電蓄のお披露目に使われた
ベートーヴェンのシュナーベルのP協奏曲(再録盤)の復刻版を聴くと
その理由ははっきりと判る。ピアノがボケず明瞭に鳴り渡る。
面白いのは、ブートレグのライブ盤の再現能力で
シュガーベイブのソングズでは、スタジオ版よりもライブのほうが
音の整合性高い。明らかにデンスケのような会場録音だが
そこに埋もれた音が骨格をもってうねっていく。
同じことは1950年代の美空ひばり、松尾和子のモノラル録音でも言えて
リボンマイクで収録していた時代の丁寧な音質が引き立つ。 リボンツイーターは1970年代にパイオニアが製造していて
こちらはスーパーツイーターとして使用する例がほとんどで
100kHzにおよぶアナログ技術の最高スペックを叩きだしていた。
個人的には、歌謡曲の再生にこうしたスペック競争は無意味だと思ってるが
今回のFountekは振動板が大きく2kHzから使用できるため
ジェンセンとは3.5kHzクロスで使用し、前段のライントランスと合わせて
14kHzまでフラットという控えめなスペックに留まっている。
前回のフォステクス FT28Dと好対照なのは
FT28Dが緩衝材のように高域の荒れを吸収して、和やかになだめるのに対し
NeoCD2.0はカミソリのようにスパッと何でも切り刻んでいく。
もともとジェンセンも攻撃的な前のめりサウンドなので、さらに速度感が増す。
特に1970年代のニューミュージック、アイドル系で躍動感が強調されるので
しばらくはこの速度感を楽しんでいようと思う。 音楽が前のめりに感じるというのは、オーディオ的に表現が難しいけど
昔に菅野氏がJBLのウーハーを「ボクシー」だと表現したことがある。
つまりボクシングのように鋭く連打するような感じで聴き手を圧倒する。
他のスピーカーに比べ、人工的な機動性をもたしているのだが
戦後の初号機であるD130から顕著だったJBLの個性でもある。
対するジェンセンは、ボクシング選手ほどの鍛えられ方はしていないが
1950年代のジュークボックス用ユニットの覇者ということもあって
ハッタリはお手の物という気配もありながら、スピードだけは随一だ。
密閉型のヘッドホンよりも低音の出音が早いと感じるときがある。
ただときおり、勢いにまかせて空振りに終わってる感じがあって
このスピードとかみ合ったツイーターを探すのが難しい。
ジェンセン純正もソフトドームのホーンツイーターという無難な組合せだ。
そこにデジタル精度のリボンツイーターの登場で様相が変わった。 Fountekのリボンツイーターは、インパルス応答で判るように反応がタイトだ。
反応の繊細なツイーターに多いエコーの強調がない。
そのうえで指向性が広いので、モノラルでも十分に使える。
逆に10kHz近傍にピークがあって、サ行、タ行の発音が気になるときもある。
これはジェンセンが4kHzに大きなピークをもっているので
その倍音が強調されて出てくる感じもある。
これだけ強力な切れ味のあるツイーターなので
組み合わせるウーハーによっては、頭でっかちなバランスになる。
フィックドエッジ、励磁型ウーハーなどと組み合わせると
反応スピードで別次元の世界になる。
理由は、録音側では反応の遅れたステレオ装置を想定して
通常より出音のパルス波を強調する傾向があるからだ。 こうしたカミソリ・サウンドは
さぞかしアナログ録音の歌謡曲に合わないだろうと思うかもしれない。
実際には、マスターテープの磁気劣化でおこるパルス成分の遅れが
前のめりで整えられる印象を受ける。
例えば、渚ゆう子、トワエモアのような東芝EMIのフォッギーなサウンドが
ただのお花畑ではなく、すごくロックしている感じに聞こえる。
それでいてボーカルは肌の色艶のいい、昭和風のピンナップに仕上がる。
逆に日本ビクターの肉付きの良いサウンドは、もう少しタメのあったほうが良い。
印象としては、脂身を落とすために、こんがり焼き過ぎた感じでもある。
中庸な日本コロムビアは、ゆったりと構えたアレンジの間合いが
モデルルームのレイアウトのようにキッチリとmm単位で整えられている感じだ。
しかしボーカル域での整合性は高いので、歌のうねりが浮かび上がる。
ポリドールの場合は、中域の艶が一層艶やかに演出される感じで
それでいて空気のようにフワリとした軽さが伴う。 CBSソニーの場合は、歌手ごとのサウンドの作り込みが違っていて
例えば、山口百恵、キャンディーズ、チューインガムなど
同じNEVE卓で録ったのかと思えるほど自由に吹き込んでる。
もともとCDの開発元だけあって、リマスターに対する考え方は一貫していて
中域の太さは維持しながら、すこしエッジを効かせたクールな印象になりやすい。
エッジの原因は、おそらくデジタル変換時のデジタルノイズだろうと思う。
一方で、後で累加されたデジタルノイズは少し遅れて出る傾向があって
リボンツイーターの反応のほうが早くて、元音の立ち上がりが浮かんでくる。
結果的には、デジタル臭さが後退して、アナログ的なうねりが前面に出る。
こうした傾向を作るために、DACをスローロールオフにする
ライントランスを噛ませるなど、デジタルノイズの対策を打ったうえであるが
通常なら音が鈍って鮮度が落ちるので嫌われるようなことも
難なくクリアしてしまうポテンシャルを保持できている。 難しいのは、ソニーミュージックと統合したビクター音源で
ソニーのマスタリング・スタジオでリマスターしたような感じのするCDが
徐々に増えている感じがする。もちろん発売元はソニーである。
藤圭子、吉田美奈子などがそうだが、艶やかで肉付きの良いサウンドが
カイロプラティックで骨格からボディを整えましたという印象で
別の魅力に接することのできることは、これはこれで良いような気もする。
サウンドが寒色系に変わっているので、第一印象は取っ付き難いが
モノクロ写真のように陰影の深さは逆に増しており
スッピンでもこんなに綺麗なんだと、思わずため息をつく瞬間がある。 なんで当時のアナログシングル聴かないかな
歌謡曲の醍醐味なのに アナログシングルの話をしだすと、盤集めだけでバラエティー盛りだくさんで
再生装置なんかどうでもよくなるから。
ビーオタの持ってる持ってないの自慢話をみて、ああはなりたくないと。 あと1000円のベスト盤CDを満足に再生できないオーディオシステムは
腕が悪いか、方向性を誤っているか、ともかくシステムの組み方が悪い。
昔は自分もリマスターの不出来を悪者にしてたが、今は全く逆の意見だ。 ↑おまわりさんこの人ですロリペド自爆した瀬戸公一朗です とは言いつつ、システムの組み方の方向性というのは
自分の場合は1970年代のモノラル・ラジカセが基本にあるので
普通のオーディオ誌の方向性とは異なると思う。
ほとんどのオーディオ誌はスペック競争で勝ち残った機器で
歌謡曲の音質を判断してるだけで、文化的な背景を無視している。
100〜8,000Hzフラットで両端がロールオフすること
→10kHz以上の帯域はかえって耳ざわりなときがある
100Hz以下は録音側でブーストしてあるので不要
ボーカル域の出音のタイミングがフラットに一致すること
→中低域がタイトに締まってないウーハーは胴間音が多く却下
倍音成分(分割振動、高次歪み)が豊かなこと
→これがないと天井の低い、こもった音になりやすい
小型トランスの磁気ヒステリシスで粘りを出すこと
→CD再生ではカートリッジ、テープヘッドの模擬が必要
あとはモノラル試聴の方法があって
基本は斜め45度のニアフィールド。
片耳は直接音、反対側で間接音を聞く。
右耳が情緒的、左耳が分析的
脳内で情報伝達をグルグル回すとドップリはまる。 オーディオ誌の多くは、優秀録音を最高に鳴らすためのもので
まず優秀録音であること、それを最高スペックの機器で迎えることが前提になる。
一方で、歌謡曲の録音は9割以上が、商業主義の流れ作業で作られ
じっくり時間を掛けて録音セッションを組めるのは稀。録音品質も出たとこ勝負。
そのイチかバチかの大勝負、火事場の馬鹿力が醍醐味でもある。
その9割のローファイ録音を愛でるか、機器のために1割の優秀録音を選別するかは
オーディオ装置の方向性を決める大きな岐路である。
単純には歌謡曲のために、クラシック、ジャズの優秀録音を諦め切れるか。 同じことは洋楽の世界にもあって、ロック、R&Bは同じ臭いがする。
ともかくハッタリをきかせることが全てのような録音ばかりなので
そもそも正常な音というものがない。オーディオ批評には不向きだ。
こうした場合、パフォーマンスの実体を再現する必要があって
色々と考えてみると、ラジオとライブのふたつに行き着く。
どちらもオーディオ批評では、ラジオ音、PA的と批判の対象になる。
基本的にステージ用PA装置で最高のパフォーマンスを出すが
家庭用オーディオに当てはめると、音響出力の関係で再生が難しくなる。
このパフォーマンスを小出力でまとめあげるのがキーポイントになる。
1w前後で歪みとコンプレッションがグッと掛かるような感覚だが
普通のオーディオの組み立て方では、欠陥品となる仕様である。
ここがクリアに鳴ってしまうと、録音ソースの歪みがジャリジャリ再生される。 入力キャパの小さいライントランスの場合
入力信号がキャパを超えると、周波数レンジが狭まる現象があり
計測すると2〜3dBのわずかな差でしかないが
減少した帯域は位相がシフトして奥に引っ込む感じになる。
これがコンプレッションが掛かったように感じる原因で
最高潮に達したときに高域の歪みが滑らかになり目立ちにくくなる。
個人的にはサンスイトランス ST-17Aがお勧めだ。
こうした現象をリニアリティが劣るとして、直線的に音響出力を保証したのが
いわゆるハイファイ機器であるが、これで問題になるのが人間の耳の非直線性だ。
一般にはラウドネス曲線と呼ばれているもので
家庭用オーディオのように、実際のステージより30dB以上低い出力では
フラットに感じる周波数バランスが異なる。
これを補正するために、昔のアンプにはラウドネススイッチがあったが
これがまた間違いの現況で、差分をみると、ややカマボコ型になる。
ttp://quwa.fc2web.com/Loudness-Curve2.gif
こうしたレンジの調整を、入力信号のレベルで自動的にこなしてくれるのが
小さいキャパのライントランスという感じになる。 フラットネスというのは、オーディオの基本のように思えて
実際に心地よい音響バランスは別のところにあるように思う。
少なくとも、歌謡曲は小音量でもダイナミックに聞こえるように
あらゆるところでデフォルメされていて、大音量で聴くと破綻するときがある。
強いエコー、キラキラ音の連続、ブカブカの低音、ピンポン・ステレオ。。。
大音量で聴くと、音楽のまとまりを崩す要因が沢山潜んでいる。
元の想定された音響機器が、ロクハンのラジカセ、テレビというものなので
バランスを保ったまま大型化するのが、実は大変難しい。
大音量にする前提として、ラウドネスの変化に合わせナローレンジに収めないとダメだし
ロクハンのペラペラのコーンと同じように、瞬発性を維持しないとボーカルが埋もれる。
最近感じているのが、出音の順序によるマスキング効果で
大体のマルチウェイは、超高音でのパルス音で定位感をコントロールするので
もともと高域の質感を細かく管理していない大半の歌謡曲は
フェイクな情報を表に出してくるので、音の遠近感が狂ったりする。
重低音まで伸びた重たいウーハーは、小音量では反応が十分に出きらないまま
音響のバランスを高域寄りに崩してしまう。
一番難しいのは、このバランスが音量によって動くのと、楽曲毎でも違うことだ。
そんな神経質にならずに済む状況を作り出すのも、本当の腕の見せ所である。 現在のJensen C12R(30cm)のミニチュアとしてC6V(16cm)を購入。
ttps://www.jensentone.com/vintage-ceramic/c6v
理由は、1970年代のラジカセの音のモックアップを製作するため。
目指すはFM放送のような音である。
ttp://quwa.fc2web.com/h197709-01.JPG
C6Vのセンターキャップは網目の埃除けで
ボイスコイルの共振で高域を伸ばすタイプ。
逆にコーン紙は、今風のメッシュ地のもので
リブ付きストレート紙のように強い共振は出ないので
3kHzクロスなんかで切るとダイナミックさが減退する。
C6Vは素のまま使い、7kHzでフォステクス FT28Dを被せてみた。
4kHz以上はガクッと10dB落ちるので
ツイーターを5kHzから被せればフラットになるのだが
ボーカル域を前に出すのに7kHzで-10dBで繋げた。
聞いてみて判ったのは、直接の振動域が600Hzからなので
第二フォルマントがマルっと浮き出てきて日本語の発音が明瞭。
その下の低域をエンクロージャーが補うような感じ。
メカニカルな3wayのような鳴り方で、ロクハンサイズの面白さを再確認。
歌謡曲が言葉のニュアンスに本当に心を配っていたと思うが
そのニュアンスは500〜1,000Hzくらいの狭い領域に集中している。 ロクハンサイズのユニットが、第二フォルマントを明瞭に鳴らす一方で
例えば1960年代の美空ひばりのように、この帯域を異常なほど使い切る歌手だと
あたかも声色のコントロールだけに神経を使っているかのように感じる。
美空ひばりの歌マネでデフォルメされる傾向が浮かび上がる。
これは30cmのエクステンドレンジ・ユニットだと
さらに腰からちゃんとブレスを支えて声を響かせていることが判る。
つまり声色を支える歌の躍動感を身体全体で表現している。
600Hzから1オクターヴ下まで、ダイレクトな振動域が繋がると
ほぼ等身大の再生が可能になる。 難しいのは、ロクハンの再生が流行歌〜歌謡曲の原体験だとすれば
その先にあるマイクの生音の再生という、さらに密接なサウンドもあるということ。
歌謡曲の録音は、辛うじてこのレベルの録音品質を保っている。
お茶の間のラジオでの原体験の保持と
ステージPAでのダイナミックな表現の2つの試聴方法で
メディアのなかの歌手像の比較、歌手自身のパフォーマンスの探求が
それぞれ行えるような気がしてきた。 こうした2つの性格のスピーカーセットだが
ユニット代だけで比べると、14,000円程度の差しかない。
Jensen C12R+Fountek NeoCD2.0 → 約27,000円/ch
Jensen C6V+Fostex FT28D → 約13,000円/ch
30cmというと、重低音が出て、ワイドレンジで。。。と色々と欲が蠢くが
ボーカル再生に目的を絞ると、意外な抜け道があるもんだと思う。 Jensen C12R+Fountek NeoCD2.0を測定ソフトを変えて測ってみた結果。
周波数特性は相変わらずカマボコだが、ステップ応答がフルレンジ並に綺麗に揃った。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-4409.png
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-4474.png
聴感でも出音の整合性が高いと感じていたが、データ的にも理解できた。
ただし分割振動は多めで、しかも神出鬼没。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-4592.png ギブソン破産、シュアーのカートリッジ撤退
アメリカの物づくりは風前の灯火だな。 アメリカは懐が深いからなぁ
本当にヤバヤバなのは日本だろ キャンディーズの春一番のアナログシングル、
よくこんなギターの音録音できたなー ちょっと感心した、というか感動した どうしてロリペドクソ野郎瀬戸公一朗がいまだに書いてんだ? ここで、CMです。
もはや巨大掲示板なんて、Twitterやインフルエンサーの足元にも及ばない。
そんな時代に歌謡曲を口笛にする、ひとりの熱血教師があらわれた。
少しは歌謡曲の話でも【5時から男のララバイ】
ttps://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1525384768/
乞うご期待。 ボオンカレーの辛口はけして辛くない。
本格的とは言い難いが家庭的な味だ。 チキンラーメンに卵を落とすのは
栄養バランスを本当に考えたのだろうか?
多分、独り暮らしでも、生鮮食品を買って
ちゃんとしたご飯を食えとのメッセージだろう。 グリコのキャラメル1粒で300m走れるか?
おそらくグリコのオマケのためなら300m走れただろう。
あのオマケの作者は誰だったのだろう?
押し型ひとつ作るのでも結構大変そうだ。
オーディオにも詠み人知らずの製品は多い。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 407日 23時間 53分 40秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
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