少しは歌謡曲の話でも【四畳半・ナイトクラブ】 [無断転載禁止]©2ch.net
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歌謡曲なんて何で聴いても同じだろ!
そう思ってるアナタ。
アナログ・レコードがハイレゾ音源だったことをご存知か?
前スレ:
少しは歌謡曲の話でも【御三家・三人娘】
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少しは歌謡曲の話でも(プレイバックPart2)
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少しは歌謡曲の話でも
ttp://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1465126238 日本語のニュアンスに必要な800〜2,000Hzのグレードを維持するのに
じゃまなのが高域のパルス性の音だ。
ウーハーより反応の良いツイーターがパルス音をまず最初に出すため
そのマスキング効果で中域の音色の判断を鈍らせる。
悪いことにパルス波のマスキング効果はステレオの定位感と関連していて
どの音波にも存在するパルス波を前面に出すことで楽音の配置が明瞭になる。
同じ効果は、良質なスーパーツイーターを被せると、
それ自体の音はほとんどないのに、音色が滑らかになったように聞こえる。
例えばクラシック系のデンオン・レーベルは無指向性のB&Kマイクを
耳に近い距離で配置するワンポイントステレオでの収録だが
出たての頃は音がスレンダーでクラシックらしくない潤いのない感じだったが
スピーカーのタイムアライメントが改善された1990年代以降は
むしろ安定した音場で聴ける安心材料になったように思う。
逆に1970年代までの歌謡曲は、この辺のミックスバランスがいい加減で
今の反応のいいツイーターで聴くと、やたらにエコーが強かったり
歌手の位置がバックスクリーンのように広がったりと、怪奇現象がおきる。
おそらく10kHz以上の領域を過度にして、十把一絡げでまとめる策もあるが
歌手のもつエネルギー感が後退してしまう傾向にあると思う。
やはり中域の応答性に優れたシステムの構築が必要である。 もうひとつは胸声がスムーズに出るかということだが
バスレフ型で100Hz前後に共振が広がっていると
胸声がズドーンと鳴ったままで押し引きが曖昧になる。
例えば、トワエモアの芥川澄夫は、ハーモニーの維持のため
この帯域をずっと出すような歌い方だけど、多くのスピーカーはボワッと鳴る。
逆に、白鳥英美子の胸声から喉音に滑らかに移動する声の
喉音のコントロールだけに耳が入ってしまう。
1990年代以降の歌手は、この辺をキッパリやめた人と
ずっと出しっぱなしの人とに大きく峻別されるようになったと思う。
演歌の衰退とも時期が重なっていて
バブルがはじけてオジさんがスナックで歌う元気がなくなったとか
そういう理由ばかりではないように思う。
胸声の被りの回避に効果的だったのは、テレビやラジオのオープンバッフルで
安いから重低音が出ないというよりも、人声の再生に合理的な構造なのだ。
長岡鉄男も1960年代に、アンサンブルステレオで胸声が被ってモゴモゴするよりも
テレビの音響設計のほうが人の声をリアルに再生すると言っていた。
個人的にはオープンバッフルが一番使い勝手がいいが
バックロードホーンも150Hzくらいで前面と背面を分けているので
同じような効果があると思う。 800〜2,000Hzのグレードを確保すること
100〜200Hzの胸声がスムーズに押し引きすること
このふたつの問題を解決するのに、いくつか方法がある。
王道は、800Hz以下を正確に再生する大型ホーンを使い
バスレフの共振点を50Hz以下にもつ大型ウーハーを備えること。
ついでに10kHz以上の帯域を我慢してバランスを維持できればもっといい。
JBLのアイコニックからの正統性はキノシタにあるが、それ以降が続かない。
次点が、良質なスコーカーをもつ3wayだが
ワイドレンジを標榜するため、高域のパルス波を強調しないタイプというのが難しい。
モニター系のB&W、Generecは基本性能がいいけど、この点で引っ掛かる。
ATCなどはこのバランスを保っているが、低域の反応が重たいので胸声で引っ掛かる。
Dynaudio、PMCをスコーカーで選ぶ人は特異な人だろう。
TAD、Piegaのほうが、中域中心のルールがしっかり貫き通していると思う。
むしろウーハー側に中高域の性能を担保した2wayのほうが扱いやすく
BBC LS5/9、JBL 4312Eのウーハーはボーカル域の再生が良好である。
こうしたボーカル域でのアクティビティの保持は、古いメーカーのほうが強い。 ただ自分の嗜好としては、高い投資で振り切るよりは
ビギナーでも歌謡曲の歌そのものの魅力に気軽に接することができる
システムのほうが良いように思っている。
そこで辿り着いたのが、ラジオで標準的だったロクハンで
今でもTOAなどの壁掛型スピーカーをみると判るが
オープンバッフルに近い構造で低域は120Hzから
フィックスドエッジで高域も12kHz程度までしか出ない。
このJIS規格での音声を標準にして
30cmエクステンデッドレンジを後面解放箱に取り付け
コーンツイーターで高域の過度反応を抑えたのが現状のシステムなる。
私自身はモノラル試聴なのでユニット代が15,000円と格安に収まった。 歌謡曲を聴くのにモノラルかステレオかという問題があって
オリジナルの録音がステレオならステレオ再生と思うだろうが
自分としては、基本はモノラル試聴だと思っている。
理由は、1960〜70年代ステレオのミックスバランスの時代変遷が激しく
時代毎の癖が強くて、その時代々々に合わせてシステム構築するのが面倒くさいから。
例えば、ある歌手のベスト盤CDを聴くときに、この問題が顕著に浮かび上がる。
このため時代毎に区切ったアルバムを選ぶ傾向があるのだが
アルバム制作にこぎつけることができる歌手はほんの一握りで
シングル盤とアルバムでミックス違いというのもあって、問題の根は深い。
あれやこれや考えて、結局ラジオで聴くように直感的に判断するほうが
歌だけに集中する試聴方法として確実だと思ったからだ。
ハイファイの要件は残して、ステレオに関する時代変遷をキャンセルすると
モノラル試聴という手段が残った。 オープンバッフルのスピーカーでモノラル試聴ということで
グレードに効いてくるのは、スピーカーの大きさと思ってる。
単純にオープンバッフルの低域限界の計算式をたどると
確かに大きいほど、前面と後面の波のキャンセルを阻むのだが
それがアクティブかどうかは、全く別の問題である。
コーン紙をアクティブなバッフル板と考えると
16cm=530Hz、20cm=425Hzで、第二フォルマントが充実する。
これを胸声まで下ろすのに、30cm=280Hz、38cm=225Hzとなる。
ドライブのしやすさからみると、30cmが使いやすい。
オープンバッフルで胸声まで下ろしてアィティブにすると
実物大の人間のスケールになって再生される。 歌謡曲の録音について難しく思っているのは
従来のオーディオ理論で説明しようとしても空回りすることで
アブソリュートという言葉がほとんど当てはまらない。
でも何等かの基準というものはあるもので
それがテレビやラジオという放送機器での再生を前提として
そのパッケージ箱に収まるのが量販の鉄則だった。
だから無闇にレンジを広げると粗が目立つし
大音量で聴くとドンシャリなデフォルメが気になる。
「明るくてポップス向け」という間違った認識も広がる。
小音量でも効果的な音響を得るための工夫を
オーケストラでも聞くような大音量で聴くとどうなるかくらい
ラウドネス曲線をみれば明らかなのを見落としている。
だいたい若者が希望しかないなんて大人の押し付けである。
同じ指向で、演歌の録音がドンシャリでリマスターされて閉口する。
金ぴかに磨けば綺麗なんて、明らかに発想が幼稚だ。
歌謡曲が背負ったデフォルメを掻い潜って、迫力ある再生を目指すのだが
100〜8,000HzというAMラジオの規格にフルスイングで対抗する手段を
多くのオーディオマニアは知らないというのが実際だと思う。
重低音、超高域という表面的なスペックに踊らされて
歌声そのものに集中できないでいる。 要は、Fレンジが狭いあまり良い録音でない音源だから、再生機器もナローレンジ、ローファイでって事でOK? ただナローレンジなだけでなく、ダイナミックでしなやかに。(柳の下のドジョウともいう) ローファイという意味では、歌謡曲を試聴する機会の大半だった
テレビやラジカセで聴いていた音を正当に評価しようということ。
AM放送の規格内でなしえる限界を究める、というほうが良いかも。 ちなみにAM放送は、ステレオで聴くと音質が最悪だが
ラジオで聴くとそれなりにバランスがとれる。
これはウーハーの実力がツイーターのパルス音抜きだとプアな証拠。
この中域の艶のなさを改善するだけでもグレードが変わる。
例えば、真空管、ライントランスで倍音(高次歪み)を増やすというのでも良い。
私はそれでは不十分なので、分割振動の激しいギターアンプ用スピーカーを好む。 1980年の瀬川冬彦氏のコラムより
いわゆる量販店(大型家庭電器店、大量販売店)の店頭に積み上げたスピーカーを
聴きにくる人達の半数以上は、歌謡曲、艶歌、またはニューミュージックの、
つまり日本の歌の愛好家が多いという。
そして、スピーカーを聴きくらべるとき、その人たちが頭に浮かべるイメージは、
日頃コンサートやテレビやラジオで聴き馴れた、ごひいきの歌い手の声である。
そこで、店頭で鳴らされたとき、できるかぎり、テレビのスピーカーを通じて耳にしみこんだ
タレント歌手たちの声のイメージに近い音づくりをしたスピーカーがよく売れる、
というのである。 1967年の長岡鉄男氏のコラムより
ローコストで原音によく似た感じの音を出すにはどうればよいか、
実例としてテレビの音声を上げてみます。
家庭用の安直なアンサンブル型電蓄から出てくる声を、
ナマの人間の声と聞きちがえる人はまずいないでしょう。
ボソボソとした胴間声と相場はきまっているからです。
ところが、アンプ部分にしろ、スピーカーにしろ、
電蓄より一段も二段も下のはずのテレビ(卓上型で、
だ円スピーカー1本のもの)の音声は意外と肉声に近く、
となりの部屋で聞いていると、ナマの声とまちがえることがよくあります。 この1967年と1980年の間に流れた時間には
庶民が手にするオーディオ技術の発展があると思う。
1967年頃ではローコストなステレオはテレビより完成度が低く
1980年代にはテレビの音は過去の遺物に変わりつつあった。
ところが、歌謡曲の録音はローコストでも聴き映えのよい音を嗜好した。
ここからが問題なのだが、ラジカセからさらにグレードアップさせるのに
1980年からさらに40年近くたつ現在のオーディオ機器を取り巻く環境は
あまりに清廉潔白でつまらないか、逆に潔癖症で疲れるかのどちらかだ。
歌謡曲に土臭さとかワイルドな感覚を呼び覚ますまで頑張りたい。 よく海外メーカーのミドルクラスのアンプで「音楽的」という批評をきくが
過度特性で一種の歪みを発生するとき、こういう感覚がでる。
そのかわり、こういうアンプにサウンドステージとか奥行きとかを求めるのは無理。
もうひと皮むけるのに、見渡しもあって駆動力もあるアンプは倍額になる。
このグレードアップの方向性を進めると、歪みを許容しない方向に向いていき
歌謡曲でも優秀録音に属する、1割程度のものを愛でる傾向になる。
ここがオーディオマニアとレコードマニアを対立させる原因になる。
そこで歌謡曲の再生に方向性を修正すると
ライントランスで磁気歪みを少し累加するだけで「音楽的」になる。
あるいは真空管のリンギングで艶を出してみてもいい。
歪みというじゃじゃ馬を、うまく取り入れる方が、融通が利いていい。 よく「ヴェールを1枚取ったような」と解像度の高まる状態を言うけど
むしろ衣装でボディラインをうまくみせたほうが歌謡曲は引き立つと思う。
帯域が狭くても、押し出しがしっかりしたほうが、言葉も胸に響く。 CDが出始めた頃、正確な音響を意識しすぎて
再販ものがスッピン状態で出てきて「録音スタジオの音」と言ってた。
この時点で、このスッピンの音がCDの悪名を高めたわけだが
結果的に、市場の求めていたのは、カッティング屋さんの味付けだった。
それを20世紀末にリマスターという呼ばれて久しい。
ところが、最初の録音時に音決めをした要因まで遡ると
その時代々々のモニター機器をある程度知っていないと
ダメなような気がする。難しいのは、当のエンjジニア自身は
全てをスタジオで完成させたわけではない、という事実である。
アメリカの例では、1960年代後半においてビギナー化が顕著で
モータウンのエンジニアはAR-3を自宅に置いて最終チェックをしてたし
ドアーズの担当エンジニアは、録音仕立ての試聴盤をラジオDJに横流しして
自家用車のカーラジオで追加リクエストの反応をみていた。
こうなると、アルテック604Eが標準というのは簡単に崩れてしまう。
歌謡曲の録音が、AMラジオと下位互換にあるということを
正直にカミングアウトするときはいつくるのか?
少なくとも1980年代のオーラトーンの使い方が
モノラルミックスのチェックだったということは判っている。 AMラジオと下位互換にある、ということをカミングアウトしたとして
どうしたら良いのか? ラジオ用のフルレンジから修行すれば解決するのか?
もちろん、その音響的なアウトラインを知っておいて損はない。
TOAの影掛スピーカー、ダイトーボイスのDS-16(一番安いやつ)がそれだ。
ダイヤトーンでもラジオ用はP610(フリーエッジ)とは違い
フィックスドエッジでレンジの狭いものが使われていた。
あるいは再生産されたオーラトーン5Cを求めるのも一手だろう。
だが、ここが思案のしどころだ。
このAMラジオの黄金期、かつてラジオデイズと呼ばれた1940年代の音響機器が
その答えを導いてくれる。SP盤による録音ソースに限界のあった時代に
そこで最高のパフォーマンスを得られるように設計された機材で
エクステンデッドレンジと呼ばれたスピーカーの一群である。
ジェンセンP12シリーズ、セレッションG12、JBL D130は
この時代にPA機器としても使われた経緯もあって
現在ではギターアンプ用スピーカーとして重用されるが
AMラジオの黄金時代が生んだ名機でもある。 1970年代前半のラジカセ
ttp://www.video-koubou-topaz.jp/NATIONAL-RADIO-PHOTO/1972.7.1-CD.jpg
ttp://quwa.fc2web.com/RF-848-1972.jpg
ジェンセンP12R
ttps://www.jensentone.com/vintage-alnico/p12r
セレッションG12
ttps://celestion.com/product/13/celestion_blue/
つまり1940年代のAMラジオ規格は、1970年代においても健在だった。
さらにBBC LS5/9のウーハーの設計も、中高域の過度特性を重視している。
ttp://downloads.bbc.co.uk/rd/pubs/reports/1983-10.pdf
こうなると1940年代のラウドネス曲線に基づいた音響設計は
一種の普遍性をもっているともいえる。 BBCモニターについていうと、基本的に中高域のカリカリした感じを好んでいた。
最初期のGEC製フルレンジは以下ようなもの
ttp://quwa.fc2web.com/1950/BBC/RK-GEC1930s.jpg
次のパルメコ製同軸型は以下のとおり。
これにLorenz製スーパーツイーターを追加してハイファイ規格を保持した。
ttp://quwa.fc2web.com/1950/BBC/BBC-M008-12.jpg
1958年になってLS5/1が出てフラット志向に変更したが
このとき問題になったのが1.2kHz付近の大きなディップだった。
ttp://downloads.bbc.co.uk/rd/pubs/reports/1967-57.pdf
この時期もポップス系プログラムのAM放送ではパルメコは使用され
ビートルズ担当のBernie Andrewsと一緒に写真に納まっている。
ttp://www.bbc.co.uk/programmes/p04yt8kg
試行錯誤の後にKEF、ロジャースなどのモニターシリーズが1970年代に出て
これが一般にも市販されたため、BBC=フラットネスという印象が定着した。
このとき導入されたのが、コンサートホールの音響的スケールダウンと
インパルス応答の制御で、ステレオの定位感などの基本概念が明瞭になった。
その最終形態LS5/9はもちろんフラットなのだが
過度特性で中高域にアクセントがあるということは
分割振動による高次歪みがその周辺に累積していることも示す。
この若干の艶やかさがボーカル域にすごく効く。 日本の場合は三菱電機がNHKに提供したBTS規格のスピーカーがあり
1950年代から1970年代末まで一貫して使い続けられていた。
このモニター規格には3水準があり
16cmフルレンジのP610
20cm-2wayの2S-208
30cm-2wayの2S-308である。
P610は一般市販され馴染みの深いものだが
初代はフラットだったが、1960〜70年代は若干ドンシャリにラウドネスを効かせ
1980年代にまたフラットネスへと戻った経緯がある。
ttp://www.audio-romanesque.com/p610.htm
2S-308はステレオ放送準備のために開発されたもので
ハイファイのお手本のようなものである。
あまり知られないのが2S-208でバッフル一体型のユニットで
バッフルステップ効果で若干中高域が盛り上がっている。
ttp://www.audio-romanesque.com/2s208.htm
これはダイヤトーン・ブランドで一般市場に売り出したDS-21に使われた。
ttp://audio-heritage.jp/DIATONE/diatoneds/DS-21c.html
これを直したのがDS-22で、その後のダイヤトーンの方向性が決定した。
ttp://audio-heritage.jp/DIATONE/diatoneds/ds-22b.html
ttp://audio-heritage.jp/DIATONE/diatoneds/ds-25b.html この3水準のスピーカーがどういうかたちで使われたか?
この点について、2S-305型がメインで使われていたように言われるが
流行歌の場合は専用の音楽スタジオをもっていないケースもあり
音楽ホールでの出張録音が多かった。
ザ・ピーナッツの録音では、アンペックス製の簡易モニターが使われ
そこでバランス調整をしての一発録りだった。
アンペックスの付属スピーカーは、JBLがOEM生産した20cmフルレンジである。
ttp://peanutsfan.net/StHiFi3705.html
地方のラジオ局であれば、ほとんどの場合、ロクハンで音声チェックをしていた。
それでもマイクの生音を再生すれば、驚くような音だったという。
ttp://www.jas-audio.or.jp/jas_cms/wp-content/uploads/2015/12/201511-076-080.pdf
ttp://www.zc.ztv.ne.jp/shin/00/josf/
1950年代にはパイオニアがBTS規格のPE-8を製造していて
P610が市販される前は、こちらのほうが知られていた。
ttp://pioneer.jp/corp/70th/kaikotozenshin/10-2.html
こうしてみると1960年代中頃まで
ハイファイはまだローファイの延長上にあり
この頃が歌謡曲の録音の揺籃期でもあったと考える。 1960〜70年代のアンプについて考えるとき語弊があるのは
単品コンポとしてのアンプが注目されたのが
1970年代にステレオがアンサンブル型からセパレート型へ移行し
グレードアップする楽しみをストーリーとして展開してからだと思う。
それまでのアンプは電蓄、レシーバー、ラジカセに内蔵されたパーツであり
単品としてのアンプは、自作派と超高級品に峻別されていた。
逆にいえば、真空管やトランジスターの素子製造の地場を固めていた
東芝、松下電器、NEC、日立、ソニーのようなメーカーが圧倒的に強かった。
その意味では、アンプメーカーとしてステイタスを確立すること自体が
アンプの個性そのものとなっていたということもできる。
ラックスマンは甘く艶やかなラックストーンで知られ
現在でも純A級アンプのなかに引き継がれている。
サンスイはJBLの輸入代理を始めた頃から台頭し
芯のある力強さと正確さを持ち合わせた駆動力が光る。
ソニーはトランジスター型アンプのパイオニアであり
真空管とは違うスレンダーだが正確な低音を提供した。 こうした個性で語る単品アンプの物語がある一方で
庶民の手にしたステレオ機器は、家電として売られたものであり
1970年代の歌謡曲のステータスを知るときに欠かせない存在だ。
松下電器=テクニクス、東芝=オーレックス、日立=ローディと
新規に参入した自社ブランドのオーディオ製品は
むしろ基本性能の優秀性=ピュアリティの高さに繋がり
1980年代のバブル崩壊まで日本のオーディオ業界を牽引した。
当時の人にとっては、デパートで見かけた空気のような存在のため
ありきたりに見えるが、海外製でここまで価格を抑えて高い品質は
ドイツくらいしか見当たらない。 もうひとつの方向性は蓄音機時代から続く
日本コロムビアと日本ビクターの製品で
レコード製作と連動したサウンドを提供していた。
実は1960年代のオーデイオはステレオ化をテコにして
この二大巨頭を追いかける形で進行していたといえる。
同じことは、英国でのHMV、米国でのRCAビクター
ドイツのテレフンケン、オランダのフィリップスなど
いずれも家庭用オーディオの老舗として知られる。
このように達観すると、オーディオ用アンプの系譜には
レコード製作、素子製造、そしてアンプ専業メーカーという流れがあり
アンプそのものの性能を語る後者は、時代的な発展の末端にあり
特に1980年代前後のハイファイの価値観で批評しがちである。 歌謡曲のオーディオ的な立ち位置を考えると
その発展の可能性を一端リセットして
当時と同じ困惑のなかに再び身を置かなければならない。
つまり録音とセットにしたサウンドを提供するレコード会社
それを価格と機能性で追い落とす家電メーカー
独自の視点で個性をもつ専業メーカーの各視点を
もう一度睨み合わせて、落としどころを見つける。
個人的には1970年代初頭のラックス、サンスイは面白く感じる。
真空管からトランジスターへの移行期にあたり
それぞれのサウンドの嗜好を判りやすく描いているからだ。
むしろ、それに合わせるスピーカーについて悩ましく
ラックス+タンノイ、サンスイ+JBLという黄金の組合せに続き
ラックス+ビクター、サンスイ+ダイヤトーンという落としどころで
実際に保存状態の良いビクターとダイヤトーンのスピーカーが
どれくらい見つかるか?という心配のほうが先立つ。
もちろん、パイオニア、テクニクスのスピーカーを充てる
ということで選択肢を増やしても、問題の根っ子はあまり変わらないと思う。
こっちをちゃんと所有しているなら、アレンジはもっとたやすいと思うのだ。 ただ1970年代で難しいのは、モニター調と呼ばれる3wayスピーカーの台頭で
私自身これの扱いは苦手だ。スコーカーの設計が悪く中域の押し出しが弱いのだ。
もうひとつはワイドレンジ志向で、低域と高域のキャラが乖離していること。
よく測定結果は良いが要点を得ないためB&K製スピーカーと揶揄されたが
現在の駆動力のあるアンプで鳴らすと、どうなるか興味があっても躊躇する。
ちょっとしたフルレンジのほうが、歌謡曲は楽しめるだろう。 ちなみにラジカセのアンプは、ほとんどが無帰還のトランスドライブである。
終段をトランス分割→シングルプッシュ→トランス出力だ。
ttp://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/1123/448-67b.gif (松下電器 RQ-448)
だからレンジは狭く、出力オーバーすると急激に歪みが増す。
これは真空管時代から、電蓄、テレビ、ラジオに共通した仕様で
家電とオーディオ用のアンプを峻別することにもなっている。
一方で、無帰還アンプの良さは押し出しの良さである。
後面解放型のフィックスドエッジ・フルレンジと合わせると
音の明瞭感はグッと増すのだと思う。 1965年以前の歌謡曲の録音は、ボーカルの過入力の歪みに温和な面があって
ときおりわざとやってるのか? と思えるほど散発することがある。
CDで聴くとさらにパルス音が増強され
さらに現在の過敏なツイーターでは、ガサゴソと不快な音にしか聞こえないのだが
コーンツイーターで聴くとそれほどでもない。
ダイヤトーン TW-25、JBL LE-20など、システムとしてはウーハーの個性のほうが強いが
中域の引き立て役として意外に重宝する。
しかし現在は良質なコーンツイーターを製造しなくなり、ちょっとガッカリだ。 昭和のテレビ、ラジオという家電レベルのオーディオ性能について
フィックスドエッジ・スピーカー&オープンバッフルによる明瞭な反応
無帰還アンプによる素直な音の立ち上がり
などのメリットを挙げていた人に長岡鉄男がいた。>>863
歌謡曲の再生のため、このフルレンジからグレードアップするのに
一足飛びに大型ホーンを携えたトーキーシステムに進むのは
テレビと映画に共通の使命があったことだ。
それは人間の会話を自然に聴かせる技術が第一であり
大衆娯楽に寄り添って生産され続けたということに尽きる。 一方のオーディオ再生の基準は、7割方がクラシックのLPであり
残りがジャズだった。歌謡曲はテレビ、ラジオでいつも聴けたので
LPを買ってまで聴くのは、放送では取り上げない芸術音楽である。
この辻褄のなさが、歌謡曲とオーディオを結びつけることを拒んでいる。
歌謡曲が放送で流れなくなり、レコードでの鑑賞の対象となったとき
どうしてよいやら判らなくなっている。
1960〜70年代の20年間にオーディオは、歌を忘れたカナリアように
重低音、超高域の拡張に神経を注いでいたように思う。 ラジオからトーキーという両極端のシステム構成の間で揺れ動くなか
私自身は、大型ホーンに行く前に、大口径エクステンデッドレンジを
試してみることが良いように思っている。
現在製造されているハイファイ用では、JBL 4312Eがあり
そこで使われてるウーハーが、D123から続くエクステンデッドレンジだ。
ttp://www.lansingheritage.org/html/jbl/specs/home-comp/d123.htm
ttp://www.lansingheritage.org/html/jbl/specs/pro-speakers/1978-4311.htm
このD123の作られた時代には、SP盤再生用のエクステンデッドレンジが多く
簡易的なPA装置やジュークボックス用として幅広く使われた。
ttp://quwa.fc2web.com/1950/EV-630-1940-Alied-Radio.jpg
ttp://quwa.fc2web.com/image55.jpg
ジュークボックスに使われたユニットとしてジェンセンP12Rがあり
これは現在はイタリアのSICA社で、ギターアンプ用に製造されている。
ジェンセンの場合は、WEのトーキー用にもOEM生産してたが
P12Rのレベルは一番下のほうで、同じ土俵に乗せるのはおこがましい。
しかしポピュラー音楽の基準は、汎用品の音を基準に発展したのだ。 ジェンセン社は幅広くOEM生産してたので、その全貌を知るのは難しいが
自社ブランドの元では、G610という最高峰の同軸3wayがある一方で
Hシリーズのようにジャリジャリの高域で押し倒すものもある。
ttp://www.hifilit.com/Jensen/1955-1.jpg
そのなかでP12Rは低価格のローファイのグループに属する。
ジェンセンのエクステンデッドレンジ・スピーカーは
ラジオ、テレビ、電蓄のあまり価値のないスピーカーを
交換し改善するユニットとして理想的です。
低予算でより良い再生機器を得る賢い選択です。
この広告をみると、ビギナーのオーディオ事始めのようにみえるが
電蓄=レコード再生機器という括りとして目を付けたのが
プロ機器のジュークボックス・メーカーであった。
最も有名なのはRock-ola社で、ロカビリー時代のアイコンになってる。
ttp://www.jukebox-world.de/Forum/Archiv/Rock-Ola/R.O.TempoII.htm
オーディオ・ビギナーの音は、永遠の青春の音になった。 ジェンセンはシカゴの会社で
オーディオでいう西海岸、東海岸という区分では東側である。
東海岸のサウンドは、ボストンのくぐもった音が有名だが
ジェンセンは古くから西海岸のハリウッドとの繋がりもあり
明るく晴れやかなサウンドに特徴がある。
シカゴの特異性といえば、戦後のモダン・ブルースの発祥地で
そのギターアンプには、当然ながらジェンセン製が使われていた。
最高のというよりは、安くて丈夫というのが大きな理由だが
ブルース・ギターのサウンドが形作られていった。
この流れのなかで、フェンダーなどロック・サウンドが現れる。 一方で、ラジオ文化そのものになるとRCAの存在は欠かせず
有線のWEと並ぶ無線の帝王ともいえる存在だ。
どちらにも属さない映画業界では鍔迫り合いが激しく
光学サウンドトラックの方式が違うため
どちらの系列に属するかで上映する演目まで制限されていた。
そのサウンドの違いは、独禁法で解体され共同した後も健在で
その違いを緩和するイコライザーがパワーアンプに内蔵されていた。
ttp://quwa.fc2web.com/MOTIOMA7505A_21-22a.gif
この図の左がWE陣営、右がRCA陣営である。
再生機器の傾向としては、これと真逆になっている。
RCAは東海岸サウンドの家元であり、ノーブルで中庸な音だ。
日本の放送技術は、Bベロのリボンマイクでも知られるように
RCAを手本としている。 日本の放送技術が、RCA系のノーブルな音を基調としているので
再生機器の基本もかくあるべし、というのが今までの通説だ。
それはダイヤトーンの業務用スピーカー、デンオンのカートリッジにも
ずっと継承されてきたNHK技研の方針でもあった。
一方で、公共放送のサウンドに対し、それを凌駕しようと抗ってきたのも
歌謡曲のサウンドの歴史でもあったように思うのだ。 時代の制約を打ち破ろうとするアザとさという点では
以前に1960年代のロックの録音があまりに変で、色々と悩んだ。
特にビートルズの初期の録音は、どうやったら普通に鳴るのか
考えれば考えるだけ無駄なように思った。
これは売り出しを考えていた東芝EMIでも同じだったらしく
イギリスのロックというのは突然変異だと思ったらしい。
それもそのはずで、手本にした米国のブルース録音を
イギリス製の曇った電蓄の音で聴いたのを
さらにデフォルメして真似たためだと思われる。
しかし、それをジェンセンのような玉虫色のサウンドで聴くと
笑顔を絶やさないアイドルバンドというものとは
別の見方(聴き方)で魅力を感じるようになった。
単純には、この頃の英国の若者の鋭い目つきというか
影を背負って生きていることに、愛おしさを感じたから。
ブルースに共感したのも、実は切実な思いがあったのだと。 歌謡曲のあざとい部分をどのようにして引き出すか。
これは歌謡曲の個性的なサウンドを平等に聴くことと真逆なような気がする。
フラットで正しい音調をもって基準とすることで浮かびあがる個性もあるだろう。
一方でフラットな音調は、物事の平準化という一面も持ち合わせる。
つまり全てに渡ってまとまりがあり破綻もなく進行する。
おそらく現在のような情報量が膨大で、刺激の多い時代において
歌謡曲は内面的すぎて理解しがたいかもしれない。
ここでは平準化という方向とは別の仕方で
個性的なサウンドをより特徴をつかんで増幅することを考えたい。
見得を切った歌舞伎役者のように、大げさな身振りに仕立て直さないと
ラッシュアワーのなかで表情を読み取るようなことになりかねない。
大瀧詠一は1960年前後のAMIのジュークボックスを大切に持っていたが
アメリカン・グラフィティさながらの古いシングル盤を詰め込んであり
その楽曲を3枚のCDに分けて編集して売り出している。
そこに歌謡曲を突っ込んだとしたら、一体どういうことになるだろうか。
放送局の調整卓で聴くものとは、違う風景がみえてくるはずである。 大瀧詠一についてはあまり良く知らない、というほうが正しい。
色々な研究本をみても、どうやってこんな聴き方できるんだろう?
読んでる間に、普通に音楽聴いているほうが楽しいと思ってやめてしまう。
とはいっても、大瀧詠一が最高のポップスの聴き手だったことは判る。
好きが高じて自分でも歌って作って、ラブソングへのラブソングみたいな。
そこにJBL 4344と古いジュークボックスが一緒になっていた。
アメリカン・ポップスの再生術として、正統な考え方をもった最初の人だと思う。 大瀧詠一は1955〜65年というアメグラ世代のポップスをこよなく愛し
自分の生きている時代の最新のテクノロジーで再構築しようとした。
結局ロンバケでブレークして、現在の記憶に残っているが
ウォール・オブ・サウンドをリゾートの壁紙に見立てたとき
高度成長期の末期の時代感覚=ポストモダンに追いついた。
その振り切り方が、私自身、実はあまり気に入らない。
ナイアガラでもがいていた同志の泥臭い思いも置いてきたように思う。
ちょうど松本隆が松田聖子でブレークしたのと似ているのだ。
ピュアで澄んだ空気に包まれている。それだけでいい。 昭和40年代のポップスをオーディオ的に考えるとき
ちょうど日本でもJBLやタンノイを一般の人が購入できるようになって
その高度成長期の波に乗って歌謡曲の再発見を目論むことが思い浮かぶ。
一方で、このアプローチで聴くとき、好ましいと思われる楽曲は
昭和をコテコテにしたものよりも、どこか洗練されたものが選ばれる。
このため選曲をオーディオ機器のために行う本末転倒なことがおきる。
大瀧詠一で言えば、ナイアガラ・ムーンとロング・バケーションの違い
細野晴臣で言えば、ホソノハウスとソリッド・ステイト・サヴァイヴァー
山下達郎で言えば、SONGSとRIDE ON TIMEの違いになって現れる。
もちろん後者の作品の面白さは知ったうえで、それ以前も一緒に楽しみたい。
ちなみに山下達郎は、JBL K2+マッキンとソニーのラジカセの両刀使い。
理由はJBLだとFMの音が悪いということらしい。 昭和40年代と1970年代という呼び方は
東京五輪と大阪万博くらい印象が違う。
新幹線とアポロ月面着陸くらい離れているかも。
それだけこの時代の移ろい方は激しく
時代の雰囲気を留めておくことが難しい。
歌謡曲を中心に聴いてたオーディオマニアなら
中高生でも低価格でできる音質改善に目を輝かせて
FMレコパルやステレオ誌のほうを参照しただろう。
単純にはラジカセよりチューナー+カセットデッキのほうが
ステレオ&高音質でエアチェックできたわけで
そこがオーディオへの第一歩だった。
一方で、ラジカセからレシーバーに移行する時点で
失ったもの、足らないものの存在にも気が付いた。
なんというか、音楽だけに没頭してたラジカセから離れ
音質を気にしてたら、もっと上のあることが気になる。
音楽鑑賞からオーディオ批評に立場がかわることで
競争社会と連動した高度成長期にどっぷりはまっていたのだ。 歌謡曲を音楽鑑賞の対象と思うようになったのは
競争社会の枠組みから離れて、じっくり聞けるようになったから。
当時もヒットチャートが歴然とあって
歌手活動のバロメータになっていた。
しかし、歌の魅力は多数決で決まるものだけではない。
B面の面白さは、歌手の魅力の裏返しで本音が見え隠れするから。
そこに近づいてみたいから、オーディオがある。 オーディオが音楽鑑賞の道具となっているか?
答えは簡単なはずなのに
歌謡曲の場合は、その取り巻く環境が特異で
オーディオ的な文脈で読み解くのが難しい。
そもそも人の好き嫌いをカタチにするのは難しいのだが。 ラジカセの音は、たとえ2wayスピーカー搭載でも
ラジオ音声中心にチューニングしてある。
1970年代初頭のフルレンジ時代は以下のとおり。
ttp://quwa.fc2web.com/RF-848-1972.jpg
150〜6,000Hzフラットで、AM放送用のスペックである。
これが1977年に出た2wayは以下のとおり。
ttp://quwa.fc2web.com/h197709-01.JPG
さすがに低域はBOSE 101Mのように100Hzに膨らみをもたせて
AM放送用のフルレンジに7〜12kHzのツイーターを足しただけ。
FM放送、カセットテープで歌謡曲を聴くのに
このレンジ感のほうが安定して聴ける。 BOSEで思い出したが
古い洋楽ロックやブルースを中心に聴く人に
BOSEを好む人は結構多い。
低音が座って高域がうるさくならない
東海岸サウンドがうまくマッチしてるのだろう。
ヒップホップまで網羅的に聴く人には重宝するが
音楽自体の押しが強いことが前提となる。
一方で、1〜4kHzにある種の霞みがかった反応の悪さがあり
自作派に人気のあるフォステクスとは真逆の感じだ。
ジェンセン贔屓の私も、BOSEは無表情に感じるので
サウンドはやさしくても、袋小路のようで避けている。
同じ傾向は、少し前のKEFやDynaudioにも感じていて
万能選手のようでありながら、購入しようとは思わない。 とはいえ、最初にステレオを揃えようとする人には
KEF LS50やDynaudio BM6などは、標準的な音を出すという意味で
オーディオの基本的なことを習熟するのに役立つ。
例えば、アンプの違いのような一見判りにくいものも
素直に反応する傾向にある。価格の割に良心的なつくりだ。
同じことは録音品質の判断にもいえて、特徴を画く点では正確だ。
かといって、弱点を容赦なくさらけ出すようなゲスな真似はしない
紳士な良識がKEF、Dynaudioにはあるように思う。
私自身は、歌謡曲のきれいごとで終わらないとこが好きなので
ジェンセンで洗いざらいぶちまけることを目指すゲス野郎だ。
オーディオとは自分自身の嗜好を知ることが結局決め手になる。 アンプの個性とは、非常に微妙な感覚だと思うが
やっぱりメーカー毎の違いはある。
マッキントッシュのような油絵のような濃い口の表現はさておき
ラックスマン、アキュフェーズ、マランツ、ヤマハと並べてみても
その伝統が垣間見えるように思う。
ラックストーンのように真空管のような甘い艶の乗った音は艶歌向きだし
ヤマハビューティと呼ばれる透明感のある高域はニューミュージックに合う。
マランツの上品なきらびやかさはアイドル系で意外な色香を振りまくし
アキュフェーズでインストの魅力を最大限まで引き出すことも可能だろう。
高忠実度を前提にするアンプで、こうした味わいを話題にするのは
スピーカーにそれを表現できるポテンシャルがあるという裏付けが必要で
確固とした個性が支配的になるというわけではない。 アンプでサウンドを支配的にできないとは
例えばDynaudioでヤマハビューティを表現するのは難しく
ラックストーンで中域のくすみを補うというのはアリだと思う。
ただラックスマンのA級アンプをBM6に充てるのは価格的に釣り合わないので
真空管アンプにしたほうが普通である。
アンプの価格の違いは低域のドライブ感で、ボーカルの迫り寄る感じに違いが出る。
ただスピーカーをJBL 4312Eに変えただけで、この問題は違うステージに移るので
あらかじめオーディオに何を求めるかで選択肢が変わると思う。 もともとヤマハビューティの基本は、ハードドームツイーターから発する
8kHz付近にある共振で、夏の木漏れ日のように輝いている。
Dynaudioのようなソフトドームで出すのはそもそも難しい。
この点ではKEF LS50のほうが艶を出しやすく
マランツのアンプとの組み合わせも面白いと思う。
Dynaudioは、むしろローテル、エアータイトのような
堅実な駆動力のあるアンプでウーハーのダンピングを効かせたほうが
本来の魅力を出すように思う。 かつてD130をモノラルで使用していた頃があって
アルテック 802+511Bを載せて俄かビンテージを組んでた。
D130は1950年代のフィックスドエッジ型のもので
EL84プッシュのバイアンプで鳴らすと潤いのあるボーカルが鳴り渡った。
ただ、晴れの日は最高、雨の日は音が痩せる、というお天気屋さんだった。
結局、手放したのだが、後になって本当に後悔して
代替品としてジェンセンの30cmに目を付けた。
1950年代にはハイファイ創生期の青天井の名機が多いが
ジェンセンのそれはラジオ電蓄のグレードアップに良く知られた存在だった。
当時はユニットを個別に買って、箱を自作してというスタイルが主流で
適切な情報が現在ではウヤムヤになってしまって要領を得ない。
例えばD123の薄さは、家の壁や洋服箪笥のドアに取り付けるためだとか
一般家庭での販売戦略を真剣に考えていた時代だった。
そのD130には子供のようなD208があって
ベビーD130という別称のとおり、やんちゃな鳴りっぷりのユニットだ。
これと同じような感じでジェンセンP12Rでもできないかと思ってみると
P8R、P6Vと同じシリーズのベビーがいるではないか。
これより安いC6Vを使って、ちょっと遊んでみようと思ってる。 参考に考えているのは、ジェンセンのデュエットというシステムで
テレビを上に置いて使用するために考案されたものだ。
ttp://www.hifilit.com/Jensen/1955-4.jpg
ttp://www.federmann.cz/images/stories/Nf/hifi_1954.jpg
もうひとつの参考は、1970年代のモノラル・ラジカセで
ソニー CF-1980、ナショナル RQ-548のような感じ。
ttps://i.pinimg.com/originals/9f/52/bc/9f52bc6e4a03adce9602cc8e4284e185.jpg
ttp://i.imgur.com/zSs8u12.jpg
小さいのにパンチのあるサウンドを狙う。 歌謡曲の再生に最適なオーディオ機器を割り出すのに
ラジカセの特徴を以下のようにまとめてみた。
◆AM放送規格の100〜8,000Hzに下位互換性を保持している
→テレビ、ラジオの音声帯域に音がギッチリ詰まってる
◆スピーカーはフィックスドエッジ+オープンバッフル
→中低域のキレがよく中高域はドライで分割振動が強い
◆アンプはシングルプッシュB級+non-NFB+トランスドライブ方式
→トランスが小さく低域特性が悪く、高域はジャリジャリしてる
結果としては、再生音は狭い帯域であるにも関わらず
中低音のキレがよく、中高域に分割振動&リンギングを伴う。
持続音はキレイではないが、出音が明瞭というPA的な性格をもっている。
ちなみに現在のAMラジオの音声は4.5kHzまで狭められているとか。
これで判断すると1970年代は相当なローファイだと思うだろうが
もう少しましだったと思いたい。 ジェンセンのギターアンプ用スピーカーをオーディオ用に転用するとき
一番の欠点はfoが100Hz近傍でQoが1.0以上と高いことだ。
一般にバスレフ用はfoが60Hz前後でQ=0.3というのが使いやすく
ギターアンプ用はfo付近のQoの壁をなかなか超えられず下が伸びない。
実際に後面解放箱でも低音の特性はそれほど変化しないし
Qoの高いことが幸いして、コーン紙がプルプル震えない。
設計されたのが1940年代という時代の差がここに現れている。
その代りに得られるのが、フィックスドエッジならではの反応の速さで
ドラムなどの低音のスピード感は本当に気持ちいい。
そしてボーカルの腰からスイングする感覚も自然に出てくる。
開発期がスイングジャズ全盛時代で、生のビッグバンドと対等に渡り合った
PA機器としての機能性がそのまま受け継がれている。
オーディオでの使用範囲は、ギターでいうクリーントーンの範囲なので
リバーブ機能付きスピーカーという言い方のほうが適切だと思う。 ボーカルの腰からスイングする感覚というのは
呼吸に伴う胸声の押し出しが明瞭ということ。
そのため声を吐き出す瞬間に先行していく。
これが、100Hz付近にバスレフ共振が被っているスピーカーだと
重低音が伸びている一方で、胸声のタイミングは曖昧になる。
周波数バランスとしてはフラットでも、タイミングとしては
ツイーターにやじろべえのようにぶら下がっている。
逆にオープンバッフルだと周波数バランスは低域不足だが
タイミングとしてはピラミッド型という自然な現象になる。
そして歌謡曲の場合は、ノリのいいほうが楽しい。 ジェンセンの高域用をフォステクス FT28Dに変えてみた。
FT28Dは比較的安価で何の変哲もない感じだが
スタジオモニターのNF1に使用されてるユニットのベースモデルで
プロ用が60°でも10kHzまで落ちないのに対し
アマ用は5kHzから落ちてチャンネルセパレーションを稼いでいる。
ただし基本的なサウンドキャラは一緒で
何事にも動じない破たんのない音で一貫している。
ジェンセンC12Rと3.5kHzクロスで斜め45度から試聴するとほぼフラット。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-17091.png
ボーカルの肌合いが柔らかいのに運動性が高い、面白い組合せになった。
フォステクスのNF1の開発陣も、ウーファーがハイスピードなので
組合せとして柔らかい音のツイーターを選んだというけど
ジェンセンもスピードでは負けないので、方向性は一緒らしい。
ttp://www.miroc.co.jp/report/170426-fostex/
どこか懐かしい音で、何の音かと思ったら
FMラジオの三角ノイズの雰囲気そっくり。
シュガーベイブのソングズのような録音でも
ギスギスせずに普通に聞き流せるのは重宝する。 フォステクスのFT28Dを前にして思い浮かんだのは
現在の素材研究というものが、色々と進んでいるのが判る。
歪みに対する柔軟性、過度特性を内部で損失しているような感じで
それがボーカルの柔らかいタッチと、声の消え際の静謐さを両立させ
切々とした語り口が自然に浮き出てくる。
一方で、圧倒的なパワーで押しまくる方面が不向きなのは
アタック音が若干窪んでしまう感じに聞こえるからだろう。
オーディオ的快楽が肉食系女子を好んで取り上げるのとは反対に
物腰柔らかい大和撫子という絶滅危惧種を思い起こさせる。 ツイーターは、ウーハーに比べて耳に付きやすい帯域を占めるため
スピーカー全体のキャラクターを支配することが多い。
特に楽器の音色を聞き分けるのは、中高域に情報が集中する。
さらにステレオでの定位感は
1kHz以下でのチャンネルセパレーションが得られないため
出音に生じる8kHz以上のパルス信号で認識する。
楽器の音色、定位感というオーディオに必須の条件が
オーディオで中高域にぶら下がって音質の判断をする傾向を強めている。
一方で、ボーカルの声質の特徴は200〜2,500Hzに集中する。
特にアジア系の言語に特徴のある喉音は800〜2,500Hzにあり
この帯域が沈み込むと声の特徴が不明瞭になる。
欧米の言語は、もっと上の子音の帯域で情報を聴きとるため
2〜8kHzの表情が重要で、これはオーディオの基本設計に合致してる。
昔の海外製品には「サ行がきつい」ものが多かったが
クラシックやジャズを聴く分には、むしろ好ましい傾向であった。
ボーカル域の設計をしっかりしているスピーカーを選ぶのは
実は難しいと思っている。 ボーカル域の豊かな表現をオーディオで再現しようとするとき
200〜2,500Hzの質感を整えてあげることが重要で
古くから反応の速い大型ホーンの使用が相場となっている。
WEやAltec、クラングフィルムなど
トーキー用のスピーカーが好まれる傾向にある。
ただ、この方法はかなりの費用と広い部屋を用意しなければならず
現状では製造していないユニットの保存状態など困難が多い。
製造しているメーカーでも、キノシタ、ゴトウ、GIPなど
リプロデューサーとして最高ランクのものが思い浮かぶ。
もうひとつの方法は、昔のエクステンデッドレンジ・ユニットで
トーキーより規模の小さいPA用に開発されたもので
高域が8,000Hzくらいまでしか再生できない。
もともとはビッグバンドで歌うボーカルの拡声を目的にして
生楽器とガチンコ勝負しても声の埋もれない強靭さをもっている。
JBL D130がつとに有名で、1940年代の開発にも関わらず
1970年代ロックのライブステージまで生き残った名機だ。
もっと安価で現在も製造されているのが
ジェンセンやセレッションのギターアンプ用スピーカーだ。
これはギターの拡声もビッグバンドでは必要だったからで
もとはボーカルと共用していた。 ギターアンプ用スピーカーの欠点を挙げれば
強い分割振動と大口径でも関わらずfoが100Hz前後と高いことだ。
エレキの音を連想するため、分割振動=歪みと考える人が多いが
ジャズやブルースのクリーントーンを聴いて判るように
リバーブ機能付きのスピーカーと考えるのが妥当である。
さらに中高域に強いアクセントのあることで
ステージで拡散しやすい子音を強調する音調になっている。
これは斜め45度から聴いてフラットになるように設計されていて
昔のモノラル期の試聴方法は、押し並べて斜めから聴いていた。
もうひとつはもともと重低音まで再生することを目的にしてないのと
後面解放箱を前提に設計されてfo付近のQが1〜2までと高く
100Hz以下はストンと落ちる。バスレフ箱に入れても低域は伸びない。
しかし、ボーカル域の再生バランスは絶妙で
100〜300Hzの歯切れの良さはスィング感を楽々と出すし
500〜1,200の喉音の吹き上がりが心地よく迫ってくる。
音量を上げなくても、声のタッチが俊敏で自然なのだ。 エクステンデッドレンジの高域を補完するのにツイーターを足すが
これにはユニット毎の中高域の癖をどこで抑えるかの差があり
JBL D130なら2.5kHzクロス、Jensen C12Rなら3.5kHzクロスがいい。
それ以上高いと高域が荒れるし、低いと面白味が半減する。 ツイーターの音質がシステム全体の性格を豹変させる例として
D130+075というのがあって、とても攻撃的なサウンドになる。
これにアルテックのホーンを加えて1.2kHzでクロスさせると
低域はJBL特有のボクシーな反応、高域はふっくらしたアルテックという
普通のモニター調のサウンドにかわる。
ジェンセンの場合はRP103などの、樹脂ダイヤフラムのホーンが主流で
低域のパッツリした性格を包み込むようにバランスさせていた。
これも金属ダイヤフラムのツイーターを足すと
どこまでもプラス思考の明るいサウンドになる。
一般のジェンセンの印象はむしろこっちではないだろうか。 ポップス向けの音質改善ということになると
意外に録音スタジオで使用している機材が参考になったりする。
スタジオモニターというと正確無比の存在のように思われるが
その前段でNEVE系のマイクプリ、UREIのコンプレッサーなど
少し癖のあるサウンドをもつアウトボード類が使われ
デジタル時代になって、むしろ活況を呈しているように感じる。
製作者側からみれば、積極的にサウンドを作る方向性にあり
マイクの原音そのままというロジックから外れているかもしれない。
そのマイクそのものも、ノイマンの真空管式コンデンサーマイク
RCAのリボンマイクなど、ビンテージと呼ばれたものの復刻版など
それでしか得られないテイストを求めている。
もう少し下流にいくとリマスターの作業があり
そこでもイコライザー、コンプレッサーの類が使用され
使用するスピーカーも家庭用のものが持ち込まれたりする。
その意味では最大公約数と嗜好性の隙間を探っていると言えるかもしれない。 ポップスのサウンドそのものが嗜好性の強いコダワリの塊とすると
いわゆる原音再生とは万人がそう思うであろう最大公約数である
という相対的な価値観のなかに放り込まれる。
このカオス状態をどう受け止めるか?
そのルールが通常のオーディオ批評には存在しないが
録音スタジオでは製作者の意図として存在する。
逆に製作側に求められるのは、万人に受け容れられるサウンドであり
その万人たるものの実態に合わせることでもある。
肩肘張らずに言えば、電蓄、ラジカセ、ウォークマンがあれば
歌謡曲の各時代のサウンドの基本形は網羅できる。 歌謡曲の原風景は家電オーディオにある。
ここでさらに歌謡曲の再生で嗜好性を深めようと考えるのが
オーディオマニアとしての本分である。
ところがその価値観は極めて相対的であり、絶対的ではない。
つまり家電のもつサウンドバランスに対し
何をレベルアップすると、より好ましい感じになるか
自分自身の嗜好性に向き合わなければならない。
何がカオスかというと、自分の感性そのものが困惑している。
自分の困惑ぶりを楽しめるようになるといいかな。 家電オーディオからのグレードアップの方向性として
大音響、周波数レンジ、低歪みという機能性を持ち出しやすいが
違う観点で、パーソナライズの幅で考えてはどうだろうか。
電蓄→ラジカセ→ウォークマンという流れは
音楽のパーソナライズの進化の歴史でもあるわけだが
その逆の方向としてコミュニケーションの場の広がりがあり
球場コンサートなどの巨大化と実際には相反して進んでいる。
その中間で、音楽がコミュニケーションを日常的に促進する
そういうツールとしてオーディオを探るということも考えられる。
「喫茶ロック」というコンピレーション・アルバムがあったが
その解説本の冒頭で「音楽喫茶」というコミュニティが紹介され
その交流のなかで生まれた各テーマに進むよう展開している。 歌謡曲でシングル盤の面白さは
売れ行き=先行きの判らない状態での希望や不安の吐露だと思う。
1970年代までは、そうしたことが生き様そのもののように思えたし
単純に若かっただけではないように思う。
今の若者のほうが計算高く、ずっと安定志向のように思う感じがする。
そうさせたのは高度成長期の行き着く夢だったように思うのだが
そこが桃源郷でもないことは確かだ。
大切にしたいのは、録音時に歌手が抱いたパッションを
いかにその場に居たかのように、勢いよく再生することである。
その意味では、シングル盤には心の内をパブリケーションする
何等かの絆を求めようとする、前に進みだそうとする方向性が
常に秘められていると仮定することができるだろう。
オーディオでこの手の初々しさを後押しする方法はないだろうか。 現在が桃源郷でもないというのは
いじめっ子はいたがイジメはなかったとか
モーレツ社員はいたがブラック企業はないとか
教師がビンタしてもパワハラまでしつこくしなかったとか
人間の安定志向が負の方向に傾いた結果だと思う。 歌謡曲のもつメッセージを直感的に感じ取れる
そういうあからさまな表現が成り立つのだろうか。
よく「秘められた」という言葉を聞くが
歌にした時点で告白に近い心境の吐露があるわけで
そこをさらに押し殺しているのが切ないような感じがある。
この抑制された思いが、昭和の歌謡曲には必要な気がする。
グッと言葉を噛み殺したような瞬間は
出音の俊敏さとは逆のことなのだが
意外にオーディオは余韻の美しさにこだわり過ぎて
スッと音が引くような表現は苦手なような気がする。
大型システムになればなるほど、迫力のある表現は得意だが
逆の静謐さを緊張感をもって維持することが難しい。
最近のウーハーは小口径になった割に重たい振動板なので
出音が鈍く、引き際が長い。バランスが悪いように思う。 ウーハーの出音が鈍く、引き際が長いに対し
ツイーターの反応速度は高まるばかりである。
むしろインパルス応答を際立たせて定位感まで支配する。
その分、ウーハーの設計は重低音の伸びに向けられ
ボーカル域のタッチが鈍くなる傾向にある。
肉声を失って第二フォルマントを強調した
ボーカロイドのような音声も、そうした現象のひとつだ。
歌謡曲のもつ人肌の温もりは、中域に込められている。 アンプに強力なドライブ能力が求められるようになったのは
1980年代に能率80dBの小型スピーカー
特にセレッションのSL-600が出て以降で
当時はクレルの大型アンプでないと鳴らし切れない状態だった。
その後、電源の見直しにより多くのアンプがこの点を克服したが
代りにビギナー向けの代名詞だったブックシェルフが
むしろ上級者向けの製品に化けてしまった。
この頃からCDで新譜が出たため、ステレオで音楽を聴くより
ヘッドホンのほうが少ない投資で高音質で聴けることが判り
当然ながら電車でシャカシャカ鳴らす高校生が増えた。
歌謡曲をステレオで聴くという行為そのものが化石となったのだ。
1990年以降のことである。 歌謡曲の再生において200〜2,000Hzの重要なのだが
それを駆動するアンプのほうは
むしろ小口径で重たいウーハーの重低音をターゲットにしている。
何となく気になるのは、重低音と超高域の伸びばかりに注意が向いて
ちょうど高山に昇ったときのように、空に近く見渡しも良いのだが
ボーカル域の酸素濃度が低い感じがすることだ。
あるいは杉林のようにまっすぐに高くそびえる一方で
地面では太陽の光を遮ってしまい、草も生えないような感覚である。
個人的には制動の効かない低域が伸びてるよりは
むしろバッサリ切ってしまったほうが
ボーカル域の反応を聴き取りやすくするのに良いと思っている。
低音のタイトな切れ味についてこだわっているのは
ラックスマンからスピンアウトしたエアータイトで
手配線の真空管アンプで、ずっとモダンな音を追求している。
ラックスマンの中域に独特の艶のある音とは逆だが
エアータイトは真空管のもつ暖かみを保持しながら
音楽的な躍動感を引き出しているように感じる。 ただし躍動感を引き出すのに、アンプの支えは必要と考えながら
フィックスドエッジや励磁型のスピーカーに変えたほうが
遥かに効果は覿面に効いてくる。
ドラムのドカッと叩く迫力など、重たいウーハーでは出せないし
それはそのままボーカル域の見晴らしの良さにもつながる。
フィックスドエッジの難しいのは、低音があまり伸びないことと
エッジの共振が1.5kHzに大きなディップとして現れる点で
1960年代にはハイファイ用として製造されなくなった。
一方で、エッジ貼りの作業工程がない分、安価にできるため
家電のテレビやラジカセにはずっと使われ続けた。
重低音の薄さ、中域の反応の速さ、中高域の少し濁った分割振動など
昭和の歌謡曲に必須の味付けのように思える。 昭和の歌謡曲の住処が放送メディアを中心とした家電にあるとすれば
ラジオ、テレビの音の本質とはどういうものだろうか。
>>863において肯定的、>>862において否定的と両極端だ。
あまり自分でも考えなかったのが
オーディオメーカーとしての松下電器の立ち位置だ。
サン・トリ・パイのうちにも入らず
ソニーをリトマス試験紙に見立て、真似下電器と揶揄されるが
1960年代の中頃に小型ブックシェルフと共に
テクニクス・ブランドを立ち上げ
その後、ダイレクトドライブ・ターンテーブルSP-10など
独自技術も含め幅広く展開していた。
注目すべきは、パナソニック・ブランドとしての活動で
ゲンコツという異名をもつ20cmフルレンジスピーカーから始まり
同軸型2wayのPXシリーズは、安価な割にフラットな特性をもつことで
海外でも売れ行きの良かったものだ。
意外に忘れられがちなのが、小型真空管の信頼性で
今でも長寿命管として知られる。
国内でのナショナル製品があまりに日常的であったために
嗜好品としてのオーディオ製品と見なされなかったのが
今になって思うと残念な気がする。 嗜好品として見なされない音響機器は
造り手の顔が見えないノンデザイナー・ブランドで
昔は日本製オーディオを「お茶漬けの味」と揶揄していた。
酒の肴にもならず、酔い覚ましのシメの部分だろうか。
ここでお茶漬けの味をちゃんと考えると
ただご飯にお茶をかけただけではダメで
いい塩梅の薄い塩味、ほんのりとした海苔の香り
そして少々の魚介類の旨み成分が加わって
胃がもたれずにスルスル入る。
昭和の歌謡曲の味加減を考えるに
ある種のストレス社会との相反性も感じられ
「お茶漬けの味」を肯定的に見直すことが必要だと思う。 おそらくは、お茶漬けの味の代表格はNHKである。
NHKの音というのがあるのか?
そういう疑問もあるかもしれないが
民放のようにラウドネス競争に走らない
ニュースキャスターが皆揃って同じ口調
などの印象から、工業製品としての規格化の傾向が強い。
BTS規格から生まれたデンオン、ダイヤトーンの各製品は
ビギナーからベテランまで安心してお勧めできる高品質なものだ。
海外でこうした雰囲気をもったオーディオは
英HMV、米RCAなどが思い浮かぶ。 一方で、NHKの音は超えられない壁のような存在であり
ストレス社会を黙認するお役人のような感じもする。
規格化を意識させている時点で、すでに抑圧的なのだ。
では無意識に存在するお茶漬けの味とはどういうものか。
それがパナソニック製品の音なのである。
マネシタ電器の裏には、徹底した規格化と低コスト化という
技術的なバックボーンがなければけして成立しない。
規格化の背景には、必要ないところにはコストを掛けない
つまり不用の用の勘所をしっかり弁えていることが重要で
そこがサウンド造りに生かされていると言える。
例えば、音質の要となるスピーカー、真空管は自社製で
トランス、コンデンサーの類は無味無臭なもので統一して
調達コストを下げるという割り切り方が、サウンドに現れる。
出力トランス、カップリングコンデンサーなど
アンプの音決めをする要だのだが、意外にアッサリしている。
この点が、お茶漬けのように感じられる要因だと思う。 ここで、歌謡曲をお茶漬けの味に喩えて
その味にこだわるということについて考えると
いい塩梅、ほのかな香り、わずかな旨み成分と
薄味のなかに繊細な感性が生きていることに気が付く。
ご飯がふやけてしまうと味気なくなるし
海苔がベトベト絡みつく、鮭の脂が溶け出しすぎる等々
サッパリ感のバランスが崩れる要因は意外に多い。
つまり作り立てをササッと掻き込むのが美味しいのだ。
オーディオに喩えると、ピアノからメゾピアノの音量に
繊細な再生能力を傾けた仕様が好ましいことになる。
これは多くの日本人歌手の声量から考えても妥当で
1〜2Wのレベルで高品位ということを目指すことになる。 お茶漬けの味には、繊細な薄味の美学のほかに
様々な要素の混ざり具合というものもある。
いい塩梅、ほのかな香り、わずかな旨み成分は
塩、海苔、鮭と、どれを単味で取り上げても
サッパリ感は出てこない。
雑味として混ぜ合わさることで、各々の味が引き立つ。
一方で、それぞれの味がしっかりしてないとダメで
塩なら食塩ではなく、梅干しや塩鮭に含まれる粗塩
海苔も炙りたての焼きのり
逆に、ご飯は冷飯、お茶は二番煎じのほうが
加えた味が浮き出て美味くなる。
歌謡曲もリソースに忠実な再生だけではダメで
いい塩梅になる混ぜ具合を吟味することが大事だと感じる。 いい塩梅の要件は、塩梅の味がちゃんと判るようになってるかで
それは録音ソースを引き出す入り口が明瞭なほうがいい。
私は入り口のメインがCDなので、そもそも音がささくれやすく
出口に辛口のジェンセンを配置してるので、基本的に辛口嗜好である。
正確というわけではなく、ギミックな明瞭感を基調にしてる。
この反対に、塩梅を薄める冷や飯、二番煎じも必要で
オーディオのタガの外れた規格のものが入ると
少し気軽さが演出できて、家庭の雰囲気が出てくる。
2A3、300Bという三極管を好む人も多いだろう。
私はCDをベルトドライブ式&スローロールオフ・フィルターで和らげ
サンスイのラジオ用トランスで庶民的なレンジ感を演出してる。
言い方が悪いかもしれないが、デノン PMA-1500REは冷や飯の類で
造り込んだ音をレシピ通りに増幅してくれる無味無臭の存在である。
同じ無味無臭の存在は、フォステクスのツイーターで
ジェンセンのやんちゃ振りをモニター調に整えてくれる。
こうしてみると、入り口と出口の辛めの音を和らげるトラップを
色々と配置しているようだ。 デノン PMA-1500REの良いところを挙げると
音量の大小でのリニアニティが変化しないことで
ただ安いアンプだと、小音量に合わせて
低域や中高域に微妙にラウドネスが掛けてあるが
中堅機のPMA-1500REには、そのような甘さがなく
音がスッと引くときのバランスが崩れない。
低音がズドーンと残ったり、高音の出音だけが元気いい
そういう感じがなく、出た音と消失する音の表情に変化がない。
逆にこれより高価なアンプには、押し出しのほうが強くて
小音量のディテールが判りにくいものものあり
単純に残留ノイズのほうが盛大なものも多い。 70年代の放送局において、
歌謡曲の送り出しに重要な役割を占めてたと思われる
「テープデッキ」に関する考察や、
それを現代で再現するようなオーディオ的な見解を
書いていただけるとありがたい。
というか興味津々です。 アナログ・テープの音の特徴のひとつに磁気ヒステリシスがあり
テープコンプとも呼ばれる音量が飽和する感じが
ソフトディストーションの心地よさを出します。
デジタル機はこれと違って、ちょっとでも入力オーバーすると
バリバリと不快な歪みを出してしまう。
このため、アナログ・テープのほうがS/N比が低いのに
音量のフォルテ感が出しやすいという特徴があります。
デジタル機器でこのようなコンプレッション効果を出すのに
よく真空管のソフトディストーションのことが言われますが
音質で影響の大きいのはトランスのほうで
個人的にはライントランスに過入力を与えたほうが
真空管の過入力歪みよりもマイルドで好ましいと思っています。
あとは旧式のフォトカプラーを使ったリミッターがあり
例えば、UNIVERSAL AUDIO LA-2Aは自然な飽和感が得られますが
もとは生音を扱うためのものなので、既に処理してある録音に対して
ダイナミックレンジまでいじる必要性は低いと思います。
稀にミニワットの真空管アンプで、小さい音が聞こえにくいなどに
有効な場合もありますが、もっと安い製品で十分です。 アナログ・テープのもうひとつの特徴はヒスノイズで
一般にはアナログ録音の弱点とされてきたものです。
一方で、FM放送の三角ノイズが高域をソフトにして
高次歪みが曖昧になるため心地よく感じる人も多いらしく
ヒスノイズも一概に悪玉とはいえないように思います。
三角ノイズは、無信号時のテレビで聴かれた「砂の嵐」で
うるさく騒ぐ幼児に聴かせると、おとなしくなるなど
一説によれば、子宮内での音に似ているとのことです。
試しに信号を入れないアンプにツイーターを繋いで
フルレンジと一緒に鳴らしてみると
それだけで表情がほぐれたように感じます。
今どきのハイレゾも一緒の効果があるかもしれません。 ちなみに磁気飽和を狙ったライントランスは
高級なハイファイ用ではなく、小さいトランスのほうが出しやすいです。
そしてプリアンプとパワーアンプの間に挟んで
プリ側で過入力で送り出し、パワー側のボリュームを絞ることで
ちょうどいいポイントが見つかります。
例えば、初期のNEVEのコンソールにはトランスが多用されていましたが
磁気飽和を起こすと綺麗な高次倍音が乗るような設計になってました。
16chものマルチトラックになると、音が混濁してジャマなだけですが
ソロパートの収録に存在感を出したいときは、今でも有効な手段です。
トライデント社のライントランスなどは
廃棄されたコンソールからパーツ取りする場合もあります。
これと同じというわけではありませんが、安価で製造されているもので
サンスイトランスのST-78、ST-17Aが歌謡曲にはピッタリで
高域の伸びたST-78、それより暖色系のST-17Aと使い分けています。 放送用テープデッキについては、
一般の録音スタジオが8〜16chにいたるマルチトラックなのに対し
番組そのものを収録した2トラックの再生機器が主流になります。
ハイファイ規格のFM局の地方局との連携に必須だった一方で
何よりも大事なのが堅牢性で、絶対に止まらないことです。
このためスチューダーやアンペックスのように音質面での話題はない一方で
放送用のターンテーブルもそうなのですが
テープ速度の正確さはもとより、ワウフラッターの低さなど
メカニズムの安定性からくる腰の据わったサウンドが特徴としてあります。
個人的にはデジタル機器には、音程のブレはない代わりに
腰が据わったという感覚をあまり感じません。
腰が据わったというのは、聴感的に音がまっすぐ伸びた感覚なのですが
おそらくデジタルは微小信号のグランドノイズがパルス波でチラチラするので
どこか落ち着きのない感じがするようです。
この落ち着き感は、ライントランスを入れることで、スッと出てくるので
可聴領域を侵さない程度にアナログのフィルターを入れると解消します。
トランスとまでいかなくても、コイルでも十分なような気がしますが
既にトランスをひとつ噛ましているので、まだ試していません。 あとFM放送で多用されているOPTIMODというマルチバンド・プロセッサーがあって
可聴領域を5〜8バンドに分けて、個々に音質を最適化する機材です。
ラジオで聴く楽曲が、CDで聴くより音が前に出て聴きやすいと思うのは
このプロセッサーによるところが大きいのですが
この音質を好む人と好まない人とに分かれることも確かです。
個人的には、このプロセッサーの機能に頼り過ぎて
高域や低音が張り付いたままでダイナミックな変化に乏しくなるなど
総合的なまとまりに欠けた音で流すことも否めない感じがしており
やはり判断する人間の感性が反映されるのでしょう。
もちろん、元の録音がそういう傾向のものもありますが
パッケージメディアと聴き比べてあらためて気付くときがあります。 あとLPと比べて、CDの音が潤いに欠けるという意見も多く
これは逆にLPのカッティング時に行う、リミッターやエンハンスの作業を
CDに移し替えるときに省略しているためで、初期の再発CDに多くありました。
これはリマスタリング作業が間に入ることで解消していくのですが
オリジナル・テープからハイビット&広帯域で直接コピーという宣伝には
諸手を挙げて称賛せず、一呼吸おいてから鑑賞するほうが無難です。
これは稀なのですが、初期の再発CDのほうが、原音に近いという意見もあり
おそらくかなりの大音量派ではないかと推測します。
もともと歌謡曲は小出力の機材で聴き映えするように最適化されていて
適度な音量のほうがラウドネスの具合が合ってると思います。 ラウドネス機能には少し誤解されている部分があって
ラウドネス曲線をもとに小音量では低音と高音が聞こえにくくなるので
フラットなバランスで聴くためドンシャリに持ち上げる機能を指します。
ttp://www.zainea.com/loud3.gif
ttp://www.zainea.com/tempo7.gif
実際の大音量と小音量の聴感には逆の効果がみられ
中域から中高域に+3dB/octの盛り上がりがあると
音像が一歩前に出たような錯覚を感じます。
ttp://www.zainea.com/tempo15.gif
つまり遠くで鳴っていても、すぐ近くで鳴っているように感じ
いわゆる古いPA機器にみられた特性でもありました。
ただ歌謡曲の多くにはラウドネス機能が累加されているので
音量を上げて聴くときは、両端を少し落とした感じで
バランスがとれると思っています。
マイクの特性を含めた考察は以下のものがあります。
ttp://www.zainea.com/loudness%20related%20to%20mics.htm 以上をキーワードでまとめると
アナログテープの磁気ヒステリシス、ヒスノイズの模倣
デジタル音響機器のパルスノイズの除去
試聴時のダイナミックレンジとラウドネスの最適化
ということになります。
ちなみに磁気ヒステリシスは
高層ビルに使われる免振デバイスも同じ曲線で
粘り強く腰の据わった感覚となります。 LPとCDを比べたときに、音楽のノリがLPのほうが良い
という意見もよく聞くのですが
どうもLP盤特有のワウフラッターと関連があると思ってます。
単純な回転数の乱れ以外に、円溝の偏心による揺らぎもあります。
試しにフランジャーというエフェクトをゆっくり薄くかけると
バンド全員がリズムを取ってるようなノリが出てきます。
放送送り出しのテープデッキではこういうことは起きませんが
レコードを掛けてる場合は、クオーツロックでもワウは生じます。
逆にクオーツロックのダイレクトドライブについて
回転数の制御で音の伸びやかさが失なわれ、ぎこちなく感じる人もいます。
ぎこちなさの原因は、高域の線速度の乱れを感じ取るからで
これが安定してないと音の連続性が途切れたように感じるからだと思います。 CDにも一種のぎこちなさを感じるのですが
この原因は、音の立ち上がりにパルス波が乗ってくるからで
広帯域なのにインパルス特性に乱れのある機器では
ざわついた感じで耳につきます。
逆にロックでは鋭角的な立ち上がりが強調されて
好ましいと感じる人もいて、相性も関係すると思われます。
こうしたことは、アナログレコードではスクラッチノイズとして
よりエッジの効いたメカニカルな特性として現れます。
こうした現象は、デジタルだからアナログだからということではなく
それに合わせた対処とコントロールができるかの問題だと思います。
個人的に、歌謡曲のDACにはスローロールオフのフィルターが
肌合いの滑らかさが出て合っているように思っていて
そこでちゃんとウーハーから出音の応答速度も確保して
全体のポテンシャルを維持したほうが良いように思ってます。 あとデンオンの業務用機器の全般に言えることは
イコライザーの特性がとても素直だということです。
これはCD再生機の評価用フィルターをアナログ回路で組み上げ
20kHzでリンギングなしにストンと落とす技術にも現れます。
EMTやノイマンのイコライザーアンプは高価で取引されますが
デンオンのそれもあながち捨てたものではないと思います。 デンオンのテープデッキは1950年代からNHKに納品されていましたが
その音声チェック用に三菱のロクハンが使われていました。
P-610は初号機が10kHzまで、2号機が14kHzまでレンジを伸ばし
1983年のDA/DBの販売まで長く使用されました。
その2号機はフルレンジの周波数バランスのお手本として
今でも神話のように語られます。
一方で、大入力には弱い一面もあり
小音量でのラウドネスを補うために中高域を辛目にしています。
ttp://quwa.fc2web.com/P610-1.jpg
1979年の「魅力のフルレンジスピーカーその選び方使い方」では
2.1m×2.1mの平板バッフルに埋め込んでテストレポートしています。
菅野氏「16cmフルレンジという制約のなかで音を充実させ、
リアリティを感じさせようという作り方が意外になされているんだな
という感じです。今までどちらかというと、
モニター的な性格のスピーカーという印象をもっていたのですが、
意外に個性の強いスピーカーという印象です。」
瀬川氏「菅野さんがうまく作られたユニットだとおっしゃった点は、
高域の一種独特な音色、例えばピアノの右手で弾かれる音が
一見粒立ちがいいように聴こえるところに感じられます。
それと中低域がふくらんでいるように聴こえましたね。
それが、たとえばサックスをふくらます反面、
ナレーションをいくらか胴間声的に聴かせる傾向があります。」
岡氏「私が一番印象に残ったのは、中低域から低域にかけての出方ですね。
意識的にその辺にウェイトをかけて、音楽の量感を出そうとしているところがある。
それと高域もまたときどきビュンビュンとピークっぽく出てきて、
それが音の色艶をつける面白さになっている。
それから不思議に思ったのはナレーションの声なのですが、
暖かい感じなのに妙に明瞭度が出ているという一種独特な鳴り方をしましたね。」 こうした批評を受けてか、1983年に高域を20kHzまで伸ばした
P-610DA/DBを開発しました。D=デジタル対応ということもあり
もちろん特性はフラットに修正されています。
しかし世間一般の2号機への信頼性は留まることを知りません。
小さな6畳間で1Wレベルでの出力範囲では
このバランスが良いと言えるのです。 三菱ロクハンの特性が6畳間のような小さな空間に適していたのは
周波数レンジの指向性にも現れています。
ttp://quwa.fc2web.com/P610-1.jpg
正面ではやや辛口、30度逸れると2.5kHzからロールオフします。
これはステレオ再生に必須のチャンネルセパレーションを確保し
良好な定位感を生み出すのに役立ちます。
さらに60度までの特性を比較すると、きれいな同心円状に揃っています。
この減衰特性の癖まで揃えるのは大変なことです。
一方で、フルレンジ・スピーカーで生じやすいエッジの共振による
1〜2kHzのディップを抑えてスムーズに持ち上がります。
この領域はバッフルステップで持ち上がる一方で
エッジの共振と相まって濁ることが多いのです。
P-610のスポンジエッジは耐久性は悪かったのですが
ボーカル域に重要な帯域の品質を確保するために必要なことでした。
このように2kHz前後に生じる
ピストン領域と分割振動帯域との棲み分けは
機械的な癖というよりは、人間の聴覚に沿った設計が基本にあります。
この辺のセンスの秀逸さが三菱ロクハンの本当の凄さだと思います。 フォステクス FE103は1964年以来のロングセラー製品ですが
昔のFE103と今のFE103Enとでサウンドが異なるのに
気付いている人は少なくないと思います。
単純には昔のほうが、もっとキレよく尖ってたという感じで
Enになってコーン紙が変わって音質が大人びたという印象です。
これは周波数特性にも現れていて、旧FE103は30度で10kHzまでびっしり
ttp://www.audio-heritage.jp/FOSTEX/unit/fe103(1).jpg
現機種は2.5kHzからロールオフしています。
ttps://www.fostex.jp/wp/wp-content/uploads/2014/08/FE103En-F1.jpg
現状の設計思想は、三菱ロクハンと似てなくもないのですが
違いは10kHz付近にあるボイスコイルの共振で
この過度特性が高域のパルス波にエッジ感をもたせます。
パルス波の輪郭を強調することは、定位感の強調に繋がりますが
デジタル録音のように高域のエネルギーが落ちない場合には
高域をロールオフしたほうが、従来の録音とも馴染みやすいです。 最近になって、ツイーターにフォステクス FT28Dを付けてみたが
モニター調に音質が整っているのに、どんな録音ソースも柔軟にまとめる
物腰の柔らかさに驚いている。NHKの匂いがするツイーターだと思ってる。
このユニットの改良版がNF01Rニアフィールドモニターに使われているが
今どきのモニターに求められる中立性が巧く作用しているようだ。
これと似た感触は、素材と縫製にこだわったユニクロの服にも感じる。
自分はジェンセンC12Rという特異なユニットをベースに備えているため
これまで小型フルレンジやホーンドライバーで何となく満足していたが
ジェンセンの筋肉隆々なところをヴェルヴェットで包み込んだような
不思議な感触がそこにある。喩えて言えば、女性艶歌歌手のそれだ。
実際に、ちあきなおみ、八代亜紀、藤圭子など
1970年代の演歌歌手のライブ録音をかけてみると
ボーカルにクローズアップしたミックスバランスのため
一般にテレビ中継のように言われるレンジ感のなかでも
中低域の躍動感を物腰柔らかい高域で包み込むバランスが
言葉の出だしの素早さを保ちながら、キツく突き刺さらない
自然な口調を提供してくれる。 NHKっぽい標準的なサウンドを志向することができたとき
不思議と歌謡曲の録音に原音再生という文字が浮かんできた。
1968年以降、フェイクなアレンジで賑わってきた芸能界だが
おとぎ話を聞かされているようなところが魅力でもあった。
ところが、声だけは真実を語っているかのような
そういう錯覚に陥るほど、声がタイトに引き締まっている。
1970年代のユーミン、中島みゆきが、そこに居るかのよう。
現在も十分現役なのに「今なにをしてますか?」と
思わず訊きたくなってしまうような
それだけ地声のように据わって再生できている。 システム全体で聴いて、人声がタイトに引き締まるとは
声を発する瞬間と薄らいでいくときのタイミングがブレないこと。
よく高域に繊細な反応を示すツイーターをもつと
エコー成分に激しく反応して、古い録音が化粧臭くなる。
逆に重低音が共振で尾を引くウーハーだと
マイクの生音は胴間音が強くて声色が曇ってしまう。
オーディオにとって魅力的なサウンドとして進化した部分は
人声にとってはアンバランスな感覚をもっている。
お尻と胸のデッカイ女がやたらとヒラヒラのドレスを着て
結局着ぶくれしたように感じるアレである。
ボーカル域は、タイトに引き締まったボディを維持しないと。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。