ケーブルで音が変わるのは思い込みだった 134
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
音を出したら葉加瀬太郎が呆気にとられる程の変化が出るのがケーブル。
ここでABXだなんだと屁理屈こいたって、音は出ない。 >>850
君w
標準ピッチどころかデビルトーンはたまたソルフェジオ周波数の話でもするのか?w ヒトの五感は、感覚閾値で全て説明出来るのだろうか。
脳刺激によって形成されたシナプスは各個人で異なり、個々に感受性の強さが異なっている。
例えば、音楽に造詣が深い人とそうではない人が同じ演奏会を隣り合わせた席で聴いた場合、感受性の強度によって各々が感じ取る情報量は異なる。
こうした感受性の強度と感覚閾値との相関性は解明されているのだろうか。
聴覚閾値が高い若年者が必ずしも感受性が高いとは言えないし、老化等によって閾値が低下したから感受性が低下するとも言えないのではないか。
感受性の強度と感覚閾値とが無相関だとすると、閾値を基準とした客観性評価(ヒトが物理的に差を知覚出来るか否か)で説明出来るとは言い難い。
良く出来た贋作と本物とを見た目の差異で判別することはまず不可能だが、どちらが贋作か分かっていたとしても、閾値を基準とした目視判定では違いを識別することは出来ない。
本物だという情報は、プラセボ発動のトリガーとなり得る。一方で、本物であるという情報によって感受性が励起され、閾値を超えた感覚が生じ得る可能性は否定出来ない。この場合、贋作である場合と本物である場合とで長期的な評価が異なる可能性がある。
オーディオの場合、聴き馴染んだシステムからケーブルを変更し、変更前のシステムと同様に聴き馴染んだ後に、変更前後で印象が異なるケースがある。あるいは、聴き馴染む必要すらないのかも知れない。しかしながら、ケーブルでは聴覚閾値を超える差異はないのだから、閾値基準の判定手法を用いても有意差は検出されない。
また、ケーブルを変えたことによって、第三者が何らかの変化を感じ取るケースも報告されている。こうした偶発的事例の検証はまず不可能であり、何れも真偽性に問題はある。
さらには、以前購入したベルデンケーブルと同一型番のケーブルを購入し、音の差異から偽物が発覚したケースも報告されている。このケースも出処から真偽性は定かではないが、事が代理店にも及んでいることから、創作と断じるには何らかの裏付けが必要だろう。
プラセボ以外に、感覚閾値を超えた差異の要因を想起させる事例は数多い。 >>853
君w
ようするに適切な閾値を適用させればいいだけだろw
例えば
http://highreso0.html.xdomain.jp/diff.html
例の差分法の閾値である「40dB差」の件だが、適切な根拠があれば
いつでも閾値を修正するとスレで発言しているw
だいたいよw
この閾値は、君が言う「感受性の強度によって各々が感じ取る情報量」の差を考慮した
マスキング効果および実際のブラインドテストの有意差の有無からのデータから閾値を求めているw
なおw
この閾値の修正を求めるのなら、感覚器官の応答を引き起こす刺激の強度から求めればよく
俺は最近その前準備として、まずはイカの飲み込む適切なタイミングの閾値を考えているw 電線で音が変わるなんてのは聴感上も科学的にもすでに証明されてる。
水準以上のオーディオ機器揃えられない貧乏人や、耳や脳に障害があって音を聴き分けられない障害者が「科学」の名を借りた妄言を垂れ流し、音が変わるのは空耳だ思い込みだと喚き散らす。 電線で音が変わるのはただの物理現象なので別に今さら説明するまでもないよ
それが人間に感知できる違いなのかどうかという点がわからないだけで 各種ブラインドテストも参考になるデータは取れるだろうが、それだけで結論を出すには弱すぎる
比較するのは数秒〜数分前に聴いた音の記憶だしなあ
薬の二重盲検法とはちょっと勝手が違う >>857
君w
いつまでループさせてんだよw
だからよw >>799
イカいや以下
今頃ABXすら理解できてねーやつがハゲ散らかしてんのかよw
>>610で書いてるだろw
>そして「長期運用での視点」なら↑で書いた
>ABXつまりXがA又はBのどちらなのかを納得いくまで聞き比べる手法
>あるいは試行回数を増やすことで対処できる
すなわち、短すぎるやら記憶がどーたらとかハゲ散らかしてるようでは話にならんw
以上
さらには >>832
>あるよ、LとRで違うケーブルというやつ。
>音の記憶力もいらないし、当然違和感が分からないやつはクソ耳と馬鹿にされる。
だいたいよw
たとえ「比較するのは数秒〜数分前に聴いた音の記憶」でも、ブラインドだろうがなかろうが同じだろw >>854
>ようするに適切な閾値を適用させればいいだけだろw
>例えば
>http://highreso0.html.xdomain.jp/diff.html
>例の差分法の閾値である「40dB差」の件だが、適切な根拠があれば
>いつでも閾値を修正するとスレで発言しているw
>この閾値は、君が言う「感受性の強度によって各々が感じ取る情報量」の差を考慮した
>マスキング効果および実際のブラインドテストの有意差の有無からのデータから閾値を求めているw
その通りで、閾値とブラインドでの有意差有無の閾値は等価であって、あくまで聴き分け可能か否かを前提としたもの。
>この閾値の修正を求めるのなら、感覚器官の応答を引き起こす刺激の強度から求めればよく
>俺は最近その前準備として、まずはイカの飲み込む適切なタイミングの閾値を考えているw
その比喩の意味と比喩として適切かどうかはともかく、閾値として適切か否かの根拠が、ブラインドでの聴き分け前提とした有意差有無である限りにおいて、閾値が変わるか否かはブラインドでの有意差有無に依存する。
>聴覚閾値が高い若年者が必ずしも感受性が高いとは言えないし、老化等によって閾値が低下したから感受性が低下するとも言えないのではないか。
そうすると、感受性の強度と感覚閾値とは無相関である可能性が高い。
>感受性の強度と感覚閾値とが無相関だとすると、閾値を基準とした客観性評価(ヒトが物理的に差を知覚出来るか否か)で説明出来るとは言い難い。 >>856
もう、分かっているよ。
https://i.imgur.com/PSIuHzZ.jpg
だからケーブルで音が変わるという人はビニタイ相当を使っているのであろう。 そうすると、閾値を超える差異がある領域を聴き分け可能な領域、閾値未満の領域を聴き分け不可能な領域と捉えることが出来る。
聴き分け不可能な領域において何らかの差異を感じる場合に考えられる要因の一つとしてプラセボが挙げられるが、>>853に示したように、プラセボでは説明出来ない事例が多数存在する。
閾値未満の領域の変化を訴える者は、こうしたプラセボで説明出来ない事例に相当する経験があるから、プラセボだと言われても納得し得ないのではないか。 >>859
君w
>>感受性の強度と感覚閾値とが無相関だとすると、閾値を基準とした客観性評価(ヒトが物理的に差を知覚出来るか否か)で説明出来るとは言い難い。
だからよw >>854
>ようするに適切な閾値を適用させればいいだけだろw
そして、「感受性の強度」やら「聴覚(感覚)」をすべて含んでいる
「感覚器官の応答を引き起こす刺激の強度」すなわち、音圧の閾値どころか
聴覚の有毛細胞の反応差などによる閾値を求めればよく、簡単に言えば
脳の反応差を直接(物理的に)比較するということだw >>860
君wまた君wいつもの君w
毎度そのデータは興味深く「いとおかし」で眺めてるんだが
逆に差がある例として、そのビニタイとやらの成分やらなんやらの正体解明をいと願うw >>863
ハエよwまたハエよwいつもの昆虫よw
いくら昆虫でもビニタイ買って試せるだけの小銭は持ってるだろ?w
自分でやってみて正体解明をいと願うwww >>862
>>ようするに適切な閾値を適用させればいいだけだろw
>そして、「感受性の強度」やら「聴覚(感覚)」をすべて含んでいる
>「感覚器官の応答を引き起こす刺激の強度」すなわち、音圧の閾値どころか
>聴覚の有毛細胞の反応差などによる閾値を求めればよく、簡単に言えば
>脳の反応差を直接(物理的に)比較するということだw
感受性を感性に置き換えると分かり易いが、感性は個人差が大きい。
特殊な事例として、何らかの機能に欠損がある人は、ある分野において健常者をはるかに凌駕する能力を発揮する場合がある。
感覚閾値は個人差こそあれそれほど大きくない。
どんな人でも犬ほどの聴覚は持ち合わせていない。
>閾値とブラインドでの有意差有無の閾値は等価であって、あくまで聴き分け可能か否かを前提としたもの。
>閾値として適切か否かの根拠が、ブラインドでの聴き分け前提とした有意差有無である限りにおいて、閾値が変わるか否かはブラインドでの有意差有無に依存する。
>そうすると、閾値を超える差異がある領域を聴き分け可能な領域、閾値未満の領域を聴き分け不可能な領域と捉えることが出来る。
>聴き分け不可能な領域において何らかの差異を感じる場合に考えられる要因の一つとしてプラセボが挙げられるが、>>853に示したように、プラセボでは説明出来ない事例が多数存在する。
>閾値未満の領域の変化を訴える者は、こうしたプラセボで説明出来ない事例に相当する経験があるから、プラセボだと言われても納得し得ないのではないか。 >>865
>>閾値とブラインドでの有意差有無の閾値は等価であって、あくまで聴き分け可能か否かを前提としたもの。
>>閾値として適切か否かの根拠が、ブラインドでの聴き分け前提とした有意差有無である限りにおいて、閾値が変わるか否かはブラインドでの有意差有無に依存する。
のだから、
>>862
>「感覚器官の応答を引き起こす刺激の強度」すなわち、音圧の閾値どころか
>聴覚の有毛細胞の反応差などによる閾値を求めればよく、簡単に言えば
>脳の反応差を直接(物理的に)比較するということだw
といった観点で定まり得る閾値は、ブラインドでの有意差有無の閾値とは別物になる。 葉加瀬太郎動画見てもまだわかんねーのかよ。
お前らホントにバカだな >>861
> そうすると、閾値を超える差異がある領域を聴き分け可能な領域、閾値未満の領域を聴き分け不可能な領域と捉えることが出来る。
これはその通りだ
そして
(聴覚だけの情報から)何らかの差異を感じるか感じないかの境界
がその人にとっての「聴き分け不可能な領域」の閾値でしょ?
当然その閾値には個人差が大きいので、耳の肥えた人は微細な音の差を聴き分けることができる
その人がケーブルの差を聴き分けられる閾値を持っているかどうかを証明するには
>>827 でキミが言うように、1. をやって有意差出せばいいだけだ
> 聴き分け不可能な領域において何らかの差異を感じる場合
↑この仮定がそもそもおかしいと言ってるんだよ
(聴覚だけの情報から)何らかの差異を感じるんなら、その人の閾値を上回っている
聴き分け可能だ >>868
>> 聴き分け不可能な領域において何らかの差異を感じる場合
>↑この仮定がそもそもおかしいと言ってるんだよ
>(聴覚だけの情報から)何らかの差異を感じるんなら、その人の閾値を上回っている
>聴き分け可能だ
少なくとも現在時点では、聴き分け不可能な領域において感じる何らかの差異の要因はプラセボだとされている。
論理的に不成立なオカルト領域の話をしている自覚はあるが、
>>865
>>聴き分け不可能な領域において何らかの差異を感じる場合に考えられる要因の一つとしてプラセボが挙げられるが、>>853に示したように、プラセボでは説明出来ない事例が多数存在する。
>>閾値未満の領域の変化を訴える者は、こうしたプラセボで説明出来ない事例に相当する経験があるから、プラセボだと言われても納得し得ないのではないか。
なので、敢えて、聴き分け可能な領域と、聴き分けという状況では感知し得ない差を感じる領域があるのではないか、と仮定している。 ブラインドに非ずとも、聴き分けようとすれば分からなくなるという証言がある。ならば、プラセボが影響した状態でなら聴き分けが可能だとは言い難い。
また、
>>853
>以前購入したベルデンケーブルと同一型番のケーブルを購入し、音の差異から偽物が発覚したケース
では、プラセボの誘発因子がない。
あるとすれば、その偽物がビニタイ相当だという可能性だが、そのようなことが有り得るだろうか。 >>864
とりよw
データを取った現物でやるのが基本w
>>865-866
君w
>閾値未満の領域の変化を訴える者は、こうしたプラセボで説明出来ない事例に相当する経験があるから、プラセボだと言われても納得し得ないのではないか。
だからよw
>だからよw >>854
>ようするに適切な閾値を適用させればいいだけだろw
だいたいよw
「プラセボで説明出来ない事例」が不明w
↑でも書いたが、ここではブラインドでは差がないことをプラセボ(プラシーボ)と言っており
それは対象物の情報の有無が原因だw
>・・・といった観点で定まり得る閾値は、ブラインドでの有意差有無の閾値とは別物になる。
だからよw
「この閾値の修正を求めるのなら」と言っているw >>870
君w
>ブラインドに非ずとも、聴き分けようとすれば分からなくなるという証言がある。ならば、プラセボが影響した状態でなら聴き分けが可能だとは言い難い。
だからよw
天晴いや100か0かで思考するなよw
>>以前購入したベルデンケーブルと同一型番のケーブルを購入し、音の差異から偽物が発覚したケース
>では、プラセボの誘発因子がない。
そのケースの詳細不明w ビニタイはダイソーで50mを買える。
これで一度ABXを経験してみたら?
単にいつも通り繋ぎ変えたらおそらく全員が有意差を出せると思う。
しかし、ちゃんとレベル合わせをしたら??
おっと、レベル合わせもちゃんとできない人がケーブルで・・・・・w >>872
>そのケースの詳細不明w
べルデン8460、8470の「偽物・詐欺問題」を大公開!(大鬼門)
https://procable.jp/setting/74.html
複数の証言があるが、音で差異を感じた事例は以下の通り。
Cさんの告白: べルデン8470詐欺!
昨日注文の8470、3m×2本を予定通り検収しました。
早速、既設の他社から購入した8470と交換し視聴しました。
明らかに音質の違いを感じました。
音の輪郭がハッキリし商品説明書の
「■本当のフラット」の章に記載の
高域成分を実感しました。
同じ8470なのになぜ?
と2本の8470を比較したところ
1.芯線のよりのピッチが違う。(白黒線のよりのピッチも微妙に違う)
2.メッキ線の色が微妙に違う(光の反射率の違いか)
を感じました。
プロケーブルから購入した8470の方が
断然音質が生音に近い=本物と感じました。
良い製品をありがとうございました。
平成23年4月13日 ○○ ○○
上の事例では、交換当初にピッチや色の違いに気が付いている可能性もあるが、型番が同じ8470でそもそも音が変わると考える理由にはならない。
当該ケーブルの音の違いは、他の業者でも指摘されているが、そもそも同じケーブルであるのに音が違うことを指摘する動機付けがない。
もちろん真偽性が確かであるとは言い難いが、嘘と断じる根拠もない。
このスレで挙げられている他の事例も同様。 >>871
>>ようするに適切な閾値を適用させればいいだけだろw
適切な閾値は適切なブラインドテストによってのみ決定される。
聴き分け前提のブラインドテストでの有意差有無閾値≒聴覚閾値 >>873
>しかし、ちゃんとレベル合わせをしたら??
そもそも変わらないとされているケーブルでレベル合わせをしなければならない時点でどうかと思うが。 オーディオの評論、レビューの危ういところは、違いを感じた、と言ってしまえば
感じることができる感性を持っているかのように振る舞えるところでである。
要は言ったもん勝ち。違いがわかる男になるには、そう言ってしまえば良いだけ。
こんなに胡散臭いことがまかり通っているのは教祖が空中浮遊出来るとかいう
新興カルト宗教やオーディオ製品くらいのものである。
「ケーブルを変えると音が変わって感じたけど、本当に音自体は変わっているのだろうか?」
そんなことすら調べて自分の頭で考えられない空耳糞耳節穴バカがまき散らす錯聴体験談が
オーディオのウソ、デタラメ、オカルトを助長してしまった。
スピーカーケーブルが10cm単位で何万円もの値段で売られていたり、制震機器やただのラックに
法外な値段を付けたり、この国のオーディオ販売業界はまったくもって良心の欠片もない。
お人好しの脳天気な空耳糞耳節穴バカがいなければこういった詐欺まがい、いや詐欺そのもののじゃん
的な商売も成り立たないのだが、心理的なバイアスで音はいくらでも変わったかのように聞こえて
しまうので本当にタチが悪い…。 いつ聞いてもまともな答えが返ってきたことが無いんだが
聞き分けられるけど全く好みでないオーディオ機器と聞き分けが困難だけど好ましいオーディオ機器があったとしてオーディオマニアはどちらを買えばいいの?
他の趣味は欲しいものを買うけど。オーディオは聞き分けられないといけなくて嫌な音のする欲しくない物を買わないといけないの?
一番買いたいと思うものを高確率で排除する(偶然一致しないと買えない)ブラインドテストに意味はあるの?
ブラインドテストして何の意味があるの? >>879
>こんなに胡散臭いことがまかり通っているのは教祖が空中浮遊出来るとかいう
>新興カルト宗教やオーディオ製品くらいのものである。
>
>「ケーブルを変えると音が変わって感じたけど、本当に音自体は変わっているのだろうか?」
>そんなことすら調べて自分の頭で考えられない空耳糞耳節穴バカがまき散らす錯聴体験談が
>オーディオのウソ、デタラメ、オカルトを助長してしまった。
少なくとも、知り合いには新興カルト教団に騙されそうな純朴で素直な人はいないのだが。
皆一様に一癖も二癖もあって、他人の試聴結果はおろか、自分の耳を誰よりも疑って試行錯誤を繰り返す捻くれ者ばかりだ。
当然ながら科学的常識は知り得た上で、疑った挙句の果てに見つけた解に自信を持っている。
といった感じを受ける。 >>878
しかし、〇悪いな。
https://i.imgur.com/PSIuHzZ.jpg
を見れば明らかなように音が変わるケーブル(?)は存在する。
ワイヤーハンガーは音の違いが分からないと分かっている。
ビニタイは音の違いが分かると分かっている。
しかし、レベル合わせをするとまともなケーブルとの差は小さくなるわけで・・・。 >>882
スピーカー負荷でレベルを上げたら、ビニタイではその波形のままで+領域に突き出る音域が出る筈なんだが。 >>880
好ましい音と嫌な音との聴き分けができてるんだから
> 聞き分けが困難だけど好ましいオーディオ機器
の中から一番安いのを買えばいいんじゃない?
たぶんブラインドテストをクサす目的で書き込んでるんだろが、質問の趣旨が全く理解できない
誰か通訳プリーズ ブラインドテストで聞き分けはできないけど高額な物が欲しい。
金を出すのは自分なのにそれを否定される意味がわからんて事かな? おお、ありがとう
音が同じでも見た目にお金をかけて満足感が得られるのなら、それはその人にとって価値ある出費だよ
オーディオってそうゆうものだし
でも >>880 は
> オーディオは聞き分けられないといけなくて嫌な音のする欲しくない物を買わないといけないの?
だからなあ
「嫌な音のする欲しくない物」なんて誰も買わないと思うんだが…… >>873
君w
>ビニタイはダイソーで50mを買える。
そんな代物なのかw
まぁ、気が向いたらやってみるかw
>>876
君w
>明らかに音質の違いを感じました。
@>1.芯線のよりのピッチが違う。(白黒線のよりのピッチも微妙に違う)
A>2.メッキ線の色が微妙に違う(光の反射率の違いか)
ほーw
ホムセンの赤黒以下どころか、まじで@Aなどの違いでビニタイ並みちゃうかw >>877
君w
>適切な閾値は適切なブラインドテストによってのみ決定される。
聴いてなんぼの世界だから、基本そうだよw
だからブラインドテストしろと言われてるわけだw
だが、>>862にも書いたように
イカいや以下
「感覚器官の応答を引き起こす刺激の強度」すなわち、音圧の閾値どころか
聴覚の有毛細胞の反応差などによる閾値を求めればよく、簡単に言えば
脳の反応差を直接(物理的に)比較するということだw
以上
感覚器官の限界閾値として求めることも考えられるw
>>880
君w
>ブラインドテストして何の意味があるの?
スレタイからでさえ理解できないバカか?w 聞き分けられたから欲しくなる
この条件が成立しない限りブラインドテストをすることが欲しいものを買うことと直結しない
欲しいものを買った後にブラインドテストしてもなんの意味も無いし
オーディオマニアは欲しいと思ったものを買うのであって聞き分けられたものを買うのでも無ければ、買ったものを聞き分けられる事に興味があるわけじゃない
故にやる意味なんて無い 所有欲を満たされるということでは意味があるのでは? >>889
>故にやる意味なんて無い
概ね正しい。
一般にブラインドテストでは有意差が出ないケーブルにおいて音が変わると主張したいなら、ブラインドテストによって客観性を示せ。
というだけの話だ。 >>889
君w
だからよw
>スレタイからでさえ理解できないバカか?w
スレタイ 「ケーブルで音が変わるのは思い込みだった」か否かの議論において
ブラインドテストをやれという話をしてんだよw
当然、通常の音楽鑑賞やらケーブルやその他の製品購入時等にまでブラインドテストを要求しているわけではないw
ただなw
否定派によっては、「ブラインドでわからないのに無駄金使ってw」とか馬鹿にするやつはいるけどなw >>888
>「感覚器官の応答を引き起こす刺激の強度」すなわち、音圧の閾値どころか
>聴覚の有毛細胞の反応差などによる閾値を求めればよく、簡単に言えば
>脳の反応差を直接(物理的に)比較するということだw
>以上
>感覚器官の限界閾値として求めることも考えられるw
そうした観点で導出した閾値は、聴き分け前提のブラインドでの有意差の有無閾値と無相関になる可能性があるのではないか。 >>893
>そうした観点で導出した閾値は、聴き分け前提のブラインドでの有意差の有無閾値と無相関になる可能性があるのではないか。
そうすると、聴き分けることが出来なくても、音質的差異を感じる可能性があることが示唆される。 >>893
君w
>そうした観点で導出した閾値は、聴き分け前提のブラインドでの有意差の有無閾値と無相関になる可能性があるのではないか。
だからよw
>>854に書いた例の否定派の差分法のように有意性無しの閾値を求めるのであれば
無関係どころか、脳(感覚器官)が反応する閾値未満の差であれば有意性無しでしょw
逆にこの閾値以上の場合、脳(感覚器官)が反応したら必ず差がわかるとは言えないので
有意性がある「可能性」があるということになるw >>895
>>>854に書いた例の否定派の差分法のように有意性無しの閾値を求めるのであれば
>>854のリンクに書かれているのは、あくまでブラインドによるデータから導出した閾値だと思う。
>無関係どころか、脳(感覚器官)が反応する閾値未満の差であれば有意性無しでしょw
>逆にこの閾値以上の場合、脳(感覚器官)が反応したら必ず差がわかるとは言えないので
>有意性がある「可能性」があるということになるw
感覚器官で得られた情報から脳で抽出したものが音情報なのではないか。
つまり、
音センサーである耳で検知した情報量≧脳で抽出した音情報の量
なのではないか。
1.耳で検知した情報量=聴き分けるという脳の指令によって抽出される音情報の量
ならば、後者に差がないなら、前者にも差はないことになり、プラセボ以外に音が違って聞こえる要因は含まれない。
2.耳で検知した情報量>聴き分けるという脳の指令によって抽出される音情報の量
ならば、後者に差がなくても、前者には差が含まれる得ると考えられる。この差分が、プラセボ以外に音が違って聴こえる要因を含む可能性がある。
2.の可能性はないのか。
だとしたら、なぜそう言えるのか。
1.だとしたら、耳で検知した情報量を全て脳内で処理することになる。果たして、脳がその負荷に耐えられるだろうか。 一聴して判るほど音に違いが出る。それがケーブルなのだよ。
葉加瀬太郎の動画見りゃ分かるだろ。
こんなところでグダグダ御託を並べたって何の知見も得られないことに気付かないのはやっぱこいつら馬鹿なんだろうなw オーディオマニアは、科学や物理の常識を超越した不思議な理論を並べ立てて
音が「変わる」「良くなった」とありがたがる。
ほとんどが屁理屈にすらならないシロモノだったり、子供でも判りそうなオカルト同然の
怪しい理論だったりするものが多いのだが、それを信じて疑っていない人がいるのが
滑稽であると同時に非常に痛々しい限りだ。
また、正しい理論だったとしても、それが人にとって感じ取れるほどの違いをもたらす
ものなのだろうか、という思考がまったく働いていない人もかなりいる。
ABXダブルブラインドテストをすれば結論はすぐに出るのだが、獣が火を畏れるがごとく
ブラインドテストからひたすら逃げ続ける。
人間の聴力は極めて脆弱で錯覚しやすく、オーディオというのはかくも曖昧なものであり、
使っている人の思い込みでどうにでもなるという悲しいプロダクトでもある。
そして、作り手でもそれを利用して商売しているところまである。
こんなに人の弱みに付け込んでお金を搾り取っているのは今の時代、怪しい新興宗教と
ピュアオーディオくらいのものである。 >https://i.imgur.com/PSIuHzZ.jpg
>ワイヤーハンガーは音の違いが分からないと分かっている。
>ビニタイは音の違いが分かると分かっている。
>しかし、レベル合わせをするとまともなケーブルとの差は小さくなるわけで・・・。
否定派もピンキリなんだな >>883
その通り、結果の一例は
@ https://imgur.com/icwADAE.jpg
A https://imgur.com/OZ0KfMS.jpg
このように帯域の一部が音量アップ、音量ダウンは違いが分かりにくい。
確かSSで耳試しのテストにあったはず。
ただし@は4kHzのLPFと見ると分かるかも、肯定派には無理かな。
Aはなかなか難しいと思う。
2本パラったらおそらく誰も違いが分からないと思う。
100円で2m×4×6=48mだから6パラまで可能、もはや誰にも分からない。
よって高額ケーブルは100円相当。 人間は人混みの中で特定の声だけ聴き分ける能力あるからね
オーディオでもそういう能力が発揮されて、一部の帯域だけ聞こえるように脳が判断したりする
だから、このケーブルはこういう音色っていう情報が事前にあると本当にそう聞こえる
本当はそういう音は出ていないが、本当にそう聞こえるので嘘でもないし耳が悪いわけでもない
だから、ブラインドテストをすると聞き分けは出来なくなる
これがケーブルで音が変わる事の真相だと思う
結論的にはどちらも間違っていない
音は変わっていないが、当人には変わって聞こえる
本当に変わって聞こえる以上はそれに大金を支払っても別に損はしない >>901
そうですね、ブラインドでは思いこみは発動されない。
だからブラインドでは違いが分からない、スレタイどおり。 >>902
だから試してみろってwww
な?
違いが分かっちゃうだろ?www >>903
まだ幸福になる壺を試せと言い張る時代錯誤の詐欺師がいるのか
今はワクチン詐欺が流行りだろうが だからオーディオは見た目も重要って事だね
高級機が見た目に金かけるのもそういう意味では合理的
見た目で音も変わって聞こえるわけだから ヒトが脳内で何らかの判断を行う場合、体験的に知り得ている情報に基づき、知覚センサーで検知された情報を解析・抽出すると考えられる。
電話の声で相手が誰であるかを判定すると、それ以外の情報は判断ルーチンに含まれなくなる。なりすまし詐欺が減らない要因の一つだろう。
>>901
>人間は人混みの中で特定の声だけ聴き分ける能力あるからね
この例においても、特定の声を聴き分けたことで、他の情報は聴き取れなくなることが示唆される。
聴き分けという比較体験において、何をパラメータとするか考えたとき、動的なダイナミクスの変化や位相変化等を含め、極論、周波数-レベル特性に集約される。
比較対象が明確であっても、聴き分けるという意思が働いた場合に分からなくなる現象は、ブラインドテスト環境と同様、周波数-レベル特性で判断することになっているという推論が成り立つ。
これに対し、比較を念頭に置かない状態では、判断ルーチンに依らない素の状態と言える。しかしながら、比較を念頭に置いていないという条件の他に、素の状態を定義する条件は不明なので、比較を念頭に置かない状態=素の状態と定義することは出来ない。
一方で、外部から入力された情報は如何様にも変化する。この外部情報に基づくプラセボも同様に一定ではない。
例えば、AからBに替えたことで得たプラセボは、BからCに替えたことで得たプラセボによって上書きされる。
A<Bという情報で得たプラセボによる体験と、B<Cという情報で得たプラセボによる体験とを組み合わせても、必ずしもA<Cという体験にはならない。
A>Cという外部情報があった場合、その外部情報によって得たプラセボによる体験は、A<B、B<Cという外部情報によって得たプラセボ体験と矛盾することになる。
だから
>少なくとも、知り合いには新興カルト教団に騙されそうな純朴で素直な人はいないのだが。
>皆一様に一癖も二癖もあって、他人の試聴結果はおろか、自分の耳を誰よりも疑って試行錯誤を繰り返す捻くれ者ばかりだ。
>当然ながら科学的常識は知り得た上で、疑った挙句の果てに見つけた解に自信を持っている。
という印象を受ける。 バイオリンとかの楽器職人も見た目も美しくなければならないって言ってるからね
やっぱ見た目で音も変わって聞こえるんだよ
職人もそれが分かっているから、見た目もすごくきれいに仕上げようとする >>896
君w
だからよw >>194
つまり「耳で検知した情報量」以外の「期待や快楽」などでプラセボがおこるんだろw
なので
耳で検知した情報量<聴き分けるという脳の指令によって抽出される音情報の量(「期待や快楽」含む)
>>900
君wまた君wいつもの君w
>ただし@は4kHzのLPFと見ると分かるかも、肯定派には無理かな。
つまりハンガーは高域に敏感な若いやつならわかってもおかしくないレベルだぞw
>>901
君w
>音は変わっていないが、当人には変わって聞こえる
>本当に変わって聞こえる以上はそれに大金を支払っても別に損はしない
だからよw
それがさんざん言っている画期的大仮説「プラシーボ相対性理論w」によるケーブルの実効性だw
にもかかわらず、「音は変わっていない」ことを頑なに否定する肯定派がハゲ散らかしてんだよw
>>903のようなハゲとりがw >>904
おまいも田舎の実家に帰って、の奥でも畑の隅でも掘ってみな
意外と幸せを呼ぶ小汚ねえツボが・・・・
てな具合に何事もやってみなけりゃ分からない
やらない言い訳してばかりのやつぁ生涯底辺なwww >>908
>つまり「耳で検知した情報量」以外の「期待や快楽」などでプラセボがおこるんだろw
>なので
>耳で検知した情報量<聴き分けるという脳の指令によって抽出される音情報の量(「期待や快楽」含む)
プラセボも含めばそういうことになる。
補足すれば、
>音センサーである耳で検知した情報量≧脳で抽出した音情報の量
は、外部情報がない場合であって、プラセボを含めたものではない。 >>906
君w
>A<Bという情報で得たプラセボによる体験と、B<Cという情報で得たプラセボによる体験とを組み合わせても、必ずしもA<Cという体験にはならない。
>A>Cという外部情報があった場合、その外部情報によって得たプラセボによる体験は、A<B、B<Cという外部情報によって得たプラセボ体験と矛盾することになる。
だからよw
当人のプラセボによる体験でA<Cとなっても、外部情報(「他人の試聴結果」など)がA>Cになることなど
人により主観は異なるんだから多々あることだろw
それを「矛盾」とかハゲ散らかされてもお話にならんのだがw
だいたいよw
>皆一様に一癖も二癖もあって、他人の試聴結果はおろか、自分の耳を誰よりも疑って試行錯誤を繰り返す捻くれ者ばかりだ。
ならばなおさらだろw
あとよw >>872にも書いたが
君はよく「必ずしも〜」とか多様してるが、ブラインドテストの原点は統計処理だぞw
>天晴いや100か0かで思考するなよw >>910
君w
>>音センサーである耳で検知した情報量≧脳で抽出した音情報の量
>は、外部情報がない場合であって、プラセボを含めたものではない。
で?w
以前から疑問なんだが、何を主張したいわけ?w >>911
>当人のプラセボによる体験でA<Cとなっても、外部情報(「他人の試聴結果」など)がA>Cになることなど
>人により主観は異なるんだから多々あることだろw
当人のプラセボ体験A<B、B<Cから、A<Cとなるが、A>Cとの外部情報によって当人に想起されるプラセボ体験はA>Cとなる。
そうすると、当人のプラセボ体験A<B、B<Cから、A<Cとなることと矛盾する。
>君はよく「必ずしも〜」とか多様してるが、ブラインドテストの原点は統計処理だぞw
>>天晴いや100か0かで思考するなよw
君が使う「必ずしも〜」と同様に、100%そうとは言えないといった意味で用いている。 >>912
>以前から疑問なんだが、何を主張したいわけ?w
有意差なしの場合に、外部情報ありきで感じる音が、「必ずしも」プラセボとは言えないのではないか。
何かを聴き分ける、例えば
>>901
>人混みの中で特定の声だけ聴き分ける
ことは、他の情報を遮断することで成立する。
そうすると、意識的に聴き分けることでマスクされる情報がないという根拠にはならない。 >>913-914
君w
>そうすると、当人のプラセボ体験A<B、B<Cから、A<Cとなることと矛盾する。
だからよw
「当人に想起されるプラセボ体験はA>Cとなる。」ことは「必ずしも」そうなるわけではないでしょw
その外部情報とやらは人により主観やら信じるやらなんやら異なるんだからよw
>君が使う「必ずしも〜」と同様に、100%そうとは言えないといった意味で用いている。
だからよw
俺も↑でもわかるように「必ずしも〜」みたいなことは多様してるが
君とは違い、「断定した主張など」に対して使用しているw
↑の例であれば、「必ずしも矛盾しない」すなわち問題にならないw
>有意差なしの場合に、外部情報ありきで感じる音が、「必ずしも」プラセボとは言えないのではないか。
だからよw
ブラインドとそうでない場合の違いは外部情報の有無しかないw
そしてブラインドにすると有意差が無くなる場合、その外部情報を原因とする
プラセボ(プラシーボ)と言っているわけだよw
すなわち、この場合では外部情報を原因とする「必ずプラセボ」w
>そうすると、意識的に聴き分けることでマスクされる情報がないという根拠にはならない。
君の>>906と併せて意味不明だが「他の情報を遮断」ではなく「選択」してるかもしれんだろw >>915
>何かを聴き分ける、例えば
>>>901
>>人混みの中で特定の声だけ聴き分ける
>ことは、他の情報を遮断することで成立する。
>
>そうすると、意識的に聴き分けることでマスクされる情報がないという根拠にはならない。
意識的に聴き分けること自体、何らかの情報欠損を生じ得るのだとすると、ブラインドテストは、心理的要因だけでなく、意識的に聴き分けることに起因した情報欠損を伴うのではないか。
>「他の情報を遮断」ではなく「選択」してるかもしれんだろw
そうかも知れない。
つまり分からない、ということ。
分からないにも拘らず、
>ブラインドとそうでない場合の違いは外部情報の有無しかないw
>そしてブラインドにすると有意差が無くなる場合、その外部情報を原因とする
>プラセボ(プラシーボ)と言っているわけだよw
>すなわち、この場合では外部情報を原因とする「必ずプラセボ」w
と断じている。 >>915
>「当人に想起されるプラセボ体験はA>Cとなる。」ことは「必ずしも」そうなるわけではないでしょw
>その外部情報とやらは人により主観やら信じるやらなんやら異なるんだからよw
これはその通り。
だから矛盾が生じないように
>他人の試聴結果はおろか、自分の耳を誰よりも疑って試行錯誤を繰り返す
>科学的常識は知り得た上で、疑った挙句の果てに見つけた解に自信を持つ
という評価になる。
他人のレビューや一聴した結果を丸呑みしているかのような言説があるが、そういう人を少なくとも個人的には知らない。 >>916-917
君w
>〜と断じている。
だからよw
断じれる根拠は「他の情報を遮断」あるいは「選択」にかかわらず
>ブラインドとそうでない場合の違いは外部情報の有無しかないw
>そしてブラインドにすると有意差が無くなる場合、その外部情報を原因とする
>プラセボ(プラシーボ)と言っているわけだよw
>すなわち、この場合では外部情報を原因とする「必ずプラセボ」w
つまりだよw
ブラインドだろうがなかろうが「意識的に聴き分ける」ことをしているABX時に
何かわかっているAとBを比較して「Aのドラムの低音の方が「天*晴」w」の場合
Xが「天*晴」かどうかを同じように「意識的に聴き分ける」ことをしているw
>他人のレビューや一聴した結果を丸呑みしているかのような言説があるが、そういう人を少なくとも個人的には知らない。
それはまためずらしいやつだなw >>918
>>ブラインドとそうでない場合の違いは外部情報の有無しかないw
外的要因はその通り。
だが、
>>916
>意識的に聴き分けること自体、何らかの情報欠損を生じ得るのだとすると、ブラインドテストは、心理的要因だけでなく、意識的に聴き分けることに起因した情報欠損を伴うのではないか。
という観点が抜けている。
>何かを聴き分ける、例えば
>>>901
>>人混みの中で特定の声だけ聴き分ける
>ことは、他の情報を遮断することで成立する。
特定の声だけを聴き分けているとき、他の音情報は脳内で処理されない。
つまり、分からない。
>そうすると、意識的に聴き分けることでマスクされる情報がないという根拠にはならない。 >ブラインドに非ずとも、聴き分けようとすれば分からなくなるという証言がある。
つまり、ブラインド如何に依らず、聴き分けようと意識することで分からなくなる。
とすれば、意識的に聴き分けること自体、何らかの情報欠損を生じ得る可能性は排除出来ない。 そもそも、音センサーである耳で検知した情報を全て脳内で処理することは不可能だろう。
>>>901
>>人混みの中で特定の声だけ聴き分ける
ようなケースを挙げるまでもなく、ヒトは耳で検知した情報から意図的に必要な情報を抽出していると考えられる。
通常、音楽を聴いて愉しむ状況では、何ら意図的な情報抽出は行われていない。
耳に入る音に起因して、脳が無意識に感じている状態なのではないか。 >>921
その「意識せずにリラックスして聴けば違いが分かる」理論は過去に散々論理矛盾を指摘されてるのに、
まだやるの?
こっそりケーブル変えられても気付かなければ、
「意識せずにリラックスして聴いても違いがわからない」
でいいんだよね? そもそもリラックスして聞いている時は、ケーブルによるビミョ〜な音の差なんて気にしたコトがないなあ(・・?)
機器の違いも気にしたコトはないが、ええもんに替えた時のおおっ❗(゚д゚lll)
を一度味わってしまうと、もう後には戻れないのよんヽ(*´ω`*)ノ そういやLINEケーブルをヤマダにいっぱいぶら下がってたSONYのAVケーブルから、パイのオーディオ用ケーブルに替えた時もだな
この鮮明にして鮮烈なラッパの音を聞いてしまったら・・・・ヽ(*´ω`*)ノ >>922
>「意識せずにリラックスして聴けば違いが分かる」
かどうかは分からない。
>>919
>>>>901
>>>人混みの中で特定の声だけ聴き分ける
>>ことは、他の情報を遮断することで成立する。
>
>特定の声だけを聴き分けているとき、他の音情報は脳内で処理されない。
>つまり、分からない。
>
>>そうすると、意識的に聴き分けることでマスクされる情報がないという根拠にはならない。
からと言って、
>「意識せずにリラックスして聴けば違いが分かる」
という根拠にもなり得ない。 いまどきオーディオの金かけられる人なんて、暇と金がある人だけだね
多分若い人はほとんど無理だと思う
年功序列終身雇用で60歳前後まで給料もらい続けた人くらいだね
若い人は本当にかわいそうだ
ぶっちゃけ普通レベルの才能ではほとんどの人は結婚する余裕もないだろう
少子化問題ってここが問題なのに、金あって結婚して子供いる人の支援しかしてないからな
そりゃ解決しないだろっていう >>919
君w
>特定の声だけを聴き分けているとき、他の音情報は脳内で処理されない。
>つまり、分からない。
だからよw >>918
仮にそうだとしても
>ブラインドだろうがなかろうが「意識的に聴き分ける」ことをしているABX時に
>何かわかっているAとBを比較して「Aのドラムの低音の方が「天*晴」w」の場合
>Xが「天*晴」かどうかを同じように「意識的に聴き分ける」ことをしているw
つまり「意識的に聴き分けることに起因した情報欠損を伴う」ことがあったとしても
ブラインドだろうがなかろうが同じことw >>928
>>ブラインドだろうがなかろうが「意識的に聴き分ける」ことをしているABX時に
>>何かわかっているAとBを比較して「Aのドラムの低音の方が「天*晴」w」の場合
>>Xが「天*晴」かどうかを同じように「意識的に聴き分ける」ことをしているw
本当にそうなのか。
外部情報がある状況で、外部情報がないブラインドほど集中して聴き分けるという状況になり得るだろうか。それほど集中するまでもなく、外部情報に依存して、聴き分け出来たと思い込んではいないだろうか。
少なくとも個人的には、ブラインド環境でなくとも、意識的に集中して差があるのか否かを聴き分けようとすればするほど分からなくなる。
特に、低音がどうかというような明確に周波数-レベル特性に差異があるような現象は、意識すればするほど差がないように聴こえるようになる。 補足
>特にケーブル等において、低音がどうかというような明確に周波数-レベル特性に差異があるかのように聴こえる現象は、意識すればするほど差がないように聴こえるようになる。
言い換えると、聴き比べることを意識すればするほど、深みに嵌るように思える。 つまり、
>>922
>「意識せずにリラックスして聴けば違いが分かる」
といった話ではなく、ブラインドで聴き分けようとすることが、本当にその音の真価を見定めることになるのか、ということ。 >>929-930
君w
>外部情報がある状況で、外部情報がないブラインドほど集中して聴き分けるという状況になり得るだろうか。それほど集中するまでもなく、外部情報に依存して、聴き分け出来たと思い込んではいないだろうか。
だからよw
ABXは
@AとBを聞き比べしている時は、外部情報有のAとBを聞き比べ
その後
AX(外部情報の無いAまたはB)と、外部情報有のAとBを聞き比べ
当然ながら違いはXだけに外部情報が無いだけだろw
そして、納得いくまで試聴でき統計的処理を行うことでばらつきを回避すれば済む話
>少なくとも個人的には、ブラインド環境でなくとも、意識的に集中して差があるのか否かを聴き分けようとすればするほど分からなくなる。
だからよw
ABXの@の段階でわからないならしなければいいだろw >>932
>ABXの@の段階でわからないならしなければいいだろw
>>929
>少なくとも個人的には、ブラインド環境でなくとも、意識的に集中して差があるのか否かを聴き分けようとすればするほど分からなくなる。
>特に、低音がどうかというような明確に周波数-レベル特性に差異があるような現象は、意識すればするほど差がないように聴こえるようになる。
オーディオの音を評価するとしたら、単品(システム)評価が妥当なのではないか。
聴き分けではなく、単品評価ありきで、その単品評価結果を並べたときに差が見えてくる。
脳の情報の取捨選択性を考慮すれば、意識的に聴き分けようとすることによる情報欠損は必然的にあると思わざるを得ない。 >>933
> 聴き分けではなく、単品評価ありきで、その単品評価結果を並べたときに差が見えてくる。
差が見える=音の違いが認識できる
という主張でしょ?
「意識せずにリラックスして聴けば違いが分かる」
となにが違うの?
前回は華麗にスルーされたけど、
こっそりケーブル変えられても気付かなければ、
「単品評価結果を並べたときに差が見えたと思い込んでいたが、ただの空耳だった」
でいいよね? 具体例を挙げてみる。
低音が出ているように感じるケーブルがあるとする。
あるいは、低音が出過ぎていると感じる場合に、敢えて細いケーブルを使うと良いという言説がある。
余程特殊なケーブルでもない限り、当然ながら、周波数-レベル特性に聴覚閾値を超える差異はないと考えられる。周波数-レベル特性に閾値を超える差異はないのだから、物理的な低音域の量の差異などの有意差は当然に検知されない。
だが通常利用においては、低音が出ているように感じることがあるとされている。一般にこれはプラセボ体験だとされる。
本当にそうだろうか。
単なる消去法で導出された推論の域を出ないのではないか。
低音が出ているように感じるのは、必ずしも物理的な低音域の量の差異とは限らない。
通常利用で感じる低音の安定感から、あたかも低音が出ているように感じるのだとしたら?
「安定感」が何によって齎されるのか、必ずしも明確ではない。そうすると、物理的な低音域の量に着目して聴き比べても、物理量としてどのように現れるか分からない「安定感」という要素はマスクされる。そもそも、何に着目すれば良いのかすら分からない。
つまり、聴き分けでは「低音の安定感」の差異は検出不可能ということになる。
第三者が何らかの異変を訴える事例
音質評価で偽物ケーブルが発覚した事例
こうしたプラセボ体験では説明出来ない事例は、多数存在するのではないか。
有意差が検出されない音の差異を訴える人は、各々そうしたプラセボ体験で説明出来ない個人的体験があるから、科学的根拠や客観的評価結果を知りながらも納得し得ていないのではないか。 >>934
>でいいよね?
分からないものを何度問われても分からないとしか言いようがない。 粘着されるのは迷惑なので、以下に訂正しておく。
>>933
>聴き分けではなく、単品評価ありきで、その単品評価結果を並べたときに差が見えてくる「のかも知れない」。 >>933 >>935
君w
>オーディオの音を評価するとしたら、単品(システム)評価が妥当なのではないか。
>聴き分けではなく、単品評価ありきで、その単品評価結果を並べたときに差が見えてくる。
だからよw
単品評価だろうが、その「評価」は他と比較していることには変わりがなく、「聴き分け」と同等w
>脳の情報の取捨選択性を考慮すれば、意識的に聴き分けようとすることによる情報欠損は必然的にあると思わざるを得ない。
だからよw
「情報欠損は必然的」だろうが
ブラインドとそうでない場合でも意識的に聴き分けようとすることに変わりはなく
違いは外部情報の有無しかないw
>通常利用で感じる低音の安定感から、あたかも低音が出ているように感じるのだとしたら?
だからよw
「あたかも低音が出ているように感じる」 これをプラセボと言っているw
>つまり、聴き分けでは「低音の安定感」の差異は検出不可能ということになる。
だからよw
「低音の安定感」は「あたかも低音が出ているように感じる」プラセボなんだから
ブラインドで「差異は検出不可能」なのは当然だろw >>939
>単品評価だろうが、その「評価」は他と比較していることには変わりがなく、「聴き分け」と同等w
>違いは外部情報の有無しかないw
そうでないと聴き分け前提のブラインドテストの正当性が維持出来ないことは理解出来る。
だが、聴き分けようとすることによって
>「情報欠損は必然的」
てあることは疑いようがない。
何故なら、
>>920
>>ブラインドに非ずとも、聴き分けようとすれば分からなくなるという証言がある。
>つまり、ブラインド如何に依らず、聴き分けようと意識することで分からなくなる。 >>940
君w
>そうでないと聴き分け前提のブラインドテストの正当性が維持出来ないことは理解出来る。
だからよw
「そうでないと」ではなく「そう」だからこそ「ブラインドテストの正当性が維持」できてんだよw
「そう」でないなら論文等で採用されない
>>>ブラインドに非ずとも、聴き分けようとすれば分からなくなるという証言がある。
>>つまり、ブラインド如何に依らず、聴き分けようと意識することで分からなくなる。
だからよw
>「情報欠損は必然的」だろうが
>ブラインドとそうでない場合でも意識的に聴き分けようとすることに変わりはなく
>違いは外部情報の有無しかないw
いつまでも指摘や反論をスルーして同じ主張をハゲ散らかしてんじゃねーよw
まさに>>938が言う
>自分が粘着している自覚はないの? >>935
> 通常利用で感じる低音の安定感から、あたかも低音が出ているように感じるのだとしたら?
と
> つまり、聴き分けでは「低音の安定感」の差異は検出不可能ということになる。
の2つの文の間に明らかに論理矛盾があるでしょ?
低音が出ているように「感じる」んだから、聴き分けできてるじゃないの
>>936
あくまで回答拒否ですか(笑)
「かも知れない」を末尾につけたところで、何の説得力の補填にもならないよ
キミの妄想度がますます増して見えるだけだ 何故ブラインドテストを錦の御旗に掲げなければならないのか?
耳やアタマが弱くて音の違いを聴き分けられないオーディオ弱者層や、「ただし導線の抵抗は無視できるものとする」みたいな宗教じみた片手落ちのエセ科学を信奉する層にとってブラインドテストは「音の違いはないものとする」には好都合だからだ。 >>942
>> 通常利用で感じる低音の安定感から、あたかも低音が出ているように感じるのだとしたら?
>と
>> つまり、聴き分けでは「低音の安定感」の差異は検出不可能ということになる。
>の2つの文の間に明らかに論理矛盾があるでしょ?
論理矛盾がある、という前提で読むから読み取れないのでは?
あるいは、起・承・転のうちの「転」を意図的に除外して、論理破綻していると恣意的な発言をすることが目的なのか。
>「安定感」が何によって齎されるのか、必ずしも明確ではない。そうすると、物理的な低音域の量に着目して聴き比べても、物理量としてどのように現れるか分からない「安定感」という要素はマスクされる。そもそも、何に着目すれば良いのかすら分からない。 >>942
>キミの妄想度がますます増して見えるだけだ
妄想と取るか推論と取るかは読み手次第。
妄想と取る人は悪意的な読み手なのだろう。 >>942
>「かも知れない」を末尾につけたところで、何の説得力の補填にもならないよ
説得性を高めるために追加したのではなく、自らが知り得ないことを断定型で書いたが故の訂正。 >>941
>いつまでも指摘や反論をスルーして同じ主張をハゲ散らかしてんじゃねーよw
>>ブラインドとそうでない場合でも意識的に聴き分けようとすることに変わりはなく
>>違いは外部情報の有無しかないw
外的要因は正しいと認めた上で
>>「情報欠損は必然的」だろうが
については納得出来ないのだから、同じ主張を繰り返す他はない。
其方が此方の主張を納得し得ないのと同様に、其方の反論指摘にも此方を納得させ得る根拠がないのだから仕方ない。
主張が真っ向からぶつかっているだけの話に過ぎない。 >>941
>>ブラインドとそうでない場合でも意識的に聴き分けようとすることに変わりはなく
繰り返しになるが、ブラインド如何に依らず、聴き分けようとすれば分からなくなるのだから、ブラインドしたか否かは、単に外部情報の有無によってそもそも聴き分けることが出来ないことを裏付けているに過ぎない。 >>943
お前よw
>ブラインドテストは「音の違いはないものとする」には好都合だからだ。
だからよw
ブラインドテストは「音の違いはないものとする」どころか「音の違いがある」とする
各種テストに多数使用されている
>>947-948
お前よw
>主張が真っ向からぶつかっているだけの話に過ぎない。
やら
>ブラインド如何に依らず、聴き分けようとすれば分からなくなる
だからよw >>932
>そして、納得いくまで試聴でき統計的処理を行うことでばらつきを回避すれば済む話
>ABXの@の段階でわからないならしなければいいだろw
すなわち
>いつまでも指摘や反論をスルーして同じ主張をハゲ散らかしてんじゃねーよw >>935
>第三者が何らかの異変を訴える事例
>音質評価で偽物ケーブルが発覚した事例
は、ブラインドで識別出来ることになる。
一方で、ケーブルの差はブラインドでは識別出来ないとされる。
ブラインドで識別出来ないはずのケーブルの差異を、聴感で識別出来ていることになる。
これが矛盾でないとしたら、一体何なのだろうか。
ケーブルがクソだった?
聴き分けた人が超人だった?
どちらも苦しい。 >>950
お前よw
>>第三者が何らかの異変を訴える事例
>>音質評価で偽物ケーブルが発覚した事例
>は、ブラインドで識別出来ることになる。
だからよw >>887
イカいや以下
>明らかに音質の違いを感じました。
@>1.芯線のよりのピッチが違う。(白黒線のよりのピッチも微妙に違う)
A>2.メッキ線の色が微妙に違う(光の反射率の違いか)
ほーw
ホムセンの赤黒以下どころか、まじで@Aなどの違いでビニタイ並みちゃうかw
以上
だいたいよw >>876 お前自身が言う
>上の事例では、交換当初にピッチや色の違いに気が付いている可能性もあるが
ブラインドテストと言えないだろw
にもかかわらず
>ブラインドで識別出来ないはずのケーブルの差異を、聴感で識別出来ていることになる。
妄想をハゲ散らかすなw レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。