なぜ教育学は現実に全く役に立たないのか?
人間の成長に最低限必要なもの。
・哲学、社会学 ・教育文化学(余裕が有れば教育学諸分野)
・自我崩壊、泣ける心、反省的思考(退行現象)、記憶、
夢(無意識的願望や記憶が上がってくる。夢の中でも認知革命はある。)
・経営学(会社法人と個人事業主の違いという 根本的に所から市場を学んでゆく)
・宗教学(人間の心性を歴史レベルで理解する)・ドキュメンタリー(自然・動物系、旅行・地理系)
・児童文学、サブカルチャー(児童文庫もノベルゲームソフトも読まなくなり、
シュミレーションもRPGもせず、アニメも観なくなった奴なんて、もう終わり)
・心理学の諸分野 ・キャリア(教育)学(一貫性のないガタガタのキャリアは人間を翻弄するだけ)
・環境の大きな変化(契機)
他にも色々あるだろうけど、最低限、これだけは必要。カチコチに硬化した
石コロや砂みたいな人間になっちまったら、その時点で成長は一時的にも途絶える。
博士課程までズルズル進んで満退したり、予備校講師を何年もやったと思ったら、
市役所に務めたり、かと思ったら、また大学の非常勤を転々としたりと、
こういうのが一番人間の成長を阻害する。やる時は10年スパンで継続的に。
やめる時は革命的に。 継続と革新をうまく両立させないと、何やっても中途半端ってのが一番ダメ。
○○は言った、○○はああした、とか そういう石コロ知識はもういいから、
自我論に関わることをやり、そこから優れた命題、妙諦、「だから何なのか」という
実際的問題に昇華出来ないと、知識なんて持ってても意味無し。 アマゾンも、肥沃な三日月地帯も、これは地球学というレベル、スパンで見ても共通。 博士課程までズルズル進んで満退したり、予備校講師を何年もやったと思ったら、
市役所に務めたり、かと思ったら、また大学の非常勤を転々としたりと、
↓
博士課程までズルズル進んで満退したり、予備校講師を何年もやったと思ったら、
市役所に務めたり、終いには子どもまで生んでみたり、かと思ったら、また大学の非常勤を転々としたりと、 子供は猜疑心をもっている。
歳をとると、物事を真に受けやすくなる。
サギにひっかかるのも、大抵、年寄りだし。
理解のためにヘーゲルの言葉だけを書くスレ
417 :考える名無しさん:2012/11/18(日) 09:51:40.24 0
「そんな幼稚なことはどうでもいい恥ずべきことだ。」
「我々はもっと深遠で良識と責任ある大人として共に考えていこうではないか」
世界を代表する権威ある或る教育者がこういった。
問題は若い人間たちが将来彼のようになりたいかどうかなのだと思うが・・。
優れた真面目な教育を受けてきたはずのその人間の物理的な出来栄えが
最悪であったなら、
全ての若者はその「優れた真面目な教育」なるものに絶望するほかないだろうから。
それとも彼はバカには見えない神秘的なオーラか何かをまとっているのだろうか?
私は多分バカだからそれが見えないだけなのだろう。
419 名前:考える名無しさん :2012/11/18(日) 10:10:56.48 0
物言わぬギリシャ彫刻のほうが、
真面目で道徳的であることを自己の誇りとするような自称教育者よりも
何億倍も若者にとって先生と呼ばれるにふさわしい。 英語から逃げるな!
英語できなくて、これからの時代どうする。
英語教育は中国でもインドでも常識となっている。
日本だけやらないわけにはいかないだろ。 英語圏はハーバード ケンブリッジ大あるからそりゃ認める
でもなんで経済力がズタボロ落ち国家ばっかの英語圏
金に跳ね返ってこないし英文しなきゃりゃいけねーゴリ押しがわからん
異国人が母国語は英語の奴に勝ったとしても何もってんですかってはなし 公用語を用いた、地球市民、世界市民としての異文化コミュニケーションも
確かに理想論としてはありだけど、それが通用するのは、まず身の周りの問題を
何とかしてからの話だと思う。
人間が精神不安定になって、徐々に鬱、自殺の方向に思考を走らせていく要因の一つは、
自己疎外にある。すなわち、自分中心に世界を解釈できない、この世に生まれて良かったという
確証、地盤がない。そして、その中枢にあるのが、自分の家、両親であり、精霊なんだ。
N尾駅前や大学前の神社の精霊、阪急N駅の神社、阪神N駅の神社、お地蔵様たちは、
いわばその冥界を通じてのネットワーク(人脈)だ。そして、その先祖たち、精霊たち、
多くの出資者たちに支えられているという確信を中枢として、そこ(家)(社会の最小単位)から
学校(学校社会)と学友、会社と仕事仲間、住んでる地域、国…という風に、
同心円拡大式に広がってゆくんだと思うよ。これぞ究極の自我だ。
よく「日本は何もない」なんて言う自虐的な人がいるけど、ああいうのには多分、
自己の完成はやって来ない。日本が本当に何も無いかどうかは、日本学のスペシャリストじゃないと分からない。
自分の家を先鋭化し、自分の学校を先鋭化し、自分の友だちや教官を先鋭化し、
自分の会社を先鋭化し、自分の仕事仲間や上司を先鋭化し、自分の故郷を先鋭化し、
自分の国を先鋭化し…途中から順序がよく分からんくなってるけど、これが多分、
王道じゃないかと個人的に思う。根拠はない。でも直感がそう言ってる。
科学は畢竟、個人的な経験から生まれたものだし。 日本には、昔から「他人にものを上げる(冠婚葬祭)」「お供え物をする」
の風習があるけど、あれってひょっとして、ルーツを辿ったら、多分一緒のところに
起源があるんじゃないかな。だから、俺が言いたいのは、「出資」という言葉は、
何もコーポレート・コミュニケーションや神社のお賽銭だけの話じゃなくて、
それを始めとして、会社の仕事仲間や上司、友だちや教官にも敷衍していける生き方手法、
処世術じゃないかってことなんだ。
外国人を排斥せずに、憧れの目で接するっても確かにいいことなんだけど、
その前に、まず日本の文化や生き物を知る者の方が賢明だ。自分の中から外を眺めるのではなく、
外側から自分の側へ視点を移行すれば、生き方、世界の解釈も変わってくる。
他人を褒められない奴は、自分も褒められない。自分を褒められないような奴は、
他人も褒められない。自分を褒めるってことは、究極的には、自分の周り総ての者(物)に
誇りを持ち、その独自性に着目し、それを褒められるってことを意味するんだと思うよ。 異文化コミュニケーション → 異文化コミュニケーション、平和学 すべてが自分に関係している。すべては自己形成史の因数分解された
素数へと繋がっていく。そう解釈すれば、世の中は大変面白くなってくる。
宇宙が出来て、銀河系ができて、太陽系ができて(銀河と太陽の順序忘れたけど)、
地球ができて、恐竜時代やら何やらを経て、人類・文明が出来て、日本が出来て…
そうやってどんどん範囲が限定されて、今の自分が出来た。そう考えられるようになれれば、
『イワン雷帝』も『アレクサンドル・ネフスキー』も、『オリンポスの戦い』も、
名前忘れたけど カエサルを取り扱った 10話前後ある3巻セットのカエサルを扱った海外ドラマも、
その他、【史劇・スペクタクル】の所に置かれている膨大な量の古代ローマを扱ったAV資料、
キリスト教を扱ったAV資料、あるいは中国史や韓国史のドラマ資料、大学の図書館などに置かれてある、
恐竜時代を扱ったAV資料、宇宙史を扱ったAV資料、世界じゅうの大地、諸民族、文化、
海洋生物や地理を扱ったAV資料、その総てが、何もかもが魅力的に見えてくるようになる。 日本の教育学会からノーベル賞がでることが先ってはなしか 現代を知るためには「世界」や「正論」を読んで知性を
磨かなければならない。少なくとも言論人50人くらい
の本は読まなければ、言論能力を得ることはできない。 臨床を軽視ししてはいけない。
しかし臨床が行える余裕が現場にはない。
論理と現実がどんどんと遠ざかっていく。 今度の不正選挙で一番ビビっているのは、当の自民党議員であると思います。
彼らは、国家丸ごとのとんでもない不正が行われたのを知ってしまいました。
出口調査ではどう考えても大敗だったのに、なぜか、大差で勝ったことにされてしまった....
ほかの同僚も同じことを言っている....こんな大規模な不正が日本で行われ、自分も当事者だなんて....。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_200.html
生放送でみんなの党代表が、これ違法選挙だとわかってて政府がやってるのは分かってますね。
これ選挙やり直しになりますよ、とはっきりとNHKで生放送した瞬間、全国一斉に放送が停止。
NHKもグルとは珍しいね。民法は言うまでもなく全部グルです。週刊誌は全て知っていた
https://twitter.com/Fibrodysplasia/status/280656150926602240
日本未来の党 斎藤 やすのり
宮城2区の選挙区での私・斎藤やすのりへの投票に対し、比例の未来の党への投票が6割しかなかった件。
昨日、私は『様々な団体から党でなく個人への推薦を頂いているから、あり得る』と述べましたが、
泉区、宮城野区、若林区が3つとも綺麗に×0.6に。しかも新潟など他でも同じパターン。なにこれ。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_242.html
う〜ん裏社会はバカしか使えませんからねえ。70%がどこそこ、などという細かい按分は苦手だと
思います。計算機にインチキをやらせるにしても、小沢さんのギリギリで未来の党を立ち上げる
というフェイントでプログラム変更は間に合わず、単純な手に切り替えざるを得なくなった。よって
「最多得票の候補者と自民候補者を入れ替える」みたいな極めて乱暴な手しか使えなかったと思います。
比例区も同じで、一番票を取った政党の票数と、自民党の票数と数値を差し替えたのでは?と思います。
要は、自民党の票数=実際の未来の党の票数だと思います。「(計算機の)結果が不服で、
実際の票数が知りたい」などという訴訟を起こされた選管は、今後は辻褄合わせに奔走し、
生きた心地はしないでしょうねw http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_249.html 在日カルト宗教団体は、信者や敵対者に対して組織的な威圧、監視、嫌がらせを行い
マインドコントロールしなければ組織を維持、拡張することができません
そのため証拠を残さず、訴えられないように、集団で威圧、監視、嫌がらせを行う「ガスライティング」という手法が必要なのです
在日カルト教団がどのように信者のマインドをコントロールしているのか知って下さい
[ガスライティング 集団ストーカー カルト]などで検索を!
外国人工作員の隠れ蓑はカルト宗教団体
10人に一人はカルトか外国人 異常に気づけ
学校で習ったことは将来ほとんど使わない
社会に出て使うのは
読み書き と 四則計算 ぐらい
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/4232024.html
そもそも入学の際、その事前説明が全く行われていない。
おそらくは、「みんなが一緒に学習することが義務付けられている以上、それは将来必ず自分の人生で役立つものなのだろう」
という短絡的な、事実と相違する思いこみが一人歩きしていったものと考えられる。
その思いこみが、多くの前途ある若者の人生を困難なものに落とし込めることになってしまった。
不登校 いじめ 自殺 神経症 引きこもり ネットカフェ難民 文化遭難 生活保護
教師からの暴力 教師による性犯罪
役に立たない・・・x
役に立てる知恵がない・・・○ 日本もとっとと修士は出てないと教員になれないようにしようぜ。
日本ぐらいだろ、頭の悪い教員が偉そうに理論を否定してるのって。
しかも否定の論理が科学的でも合理的でもなく、単に自分の無能さが暴かれるのを
恐れてという。 上の世代は、ありのままの自分を受容できない大人が本当多いよな。
だから徒弟思想に奔って、依怙地になって、下の世代にわざと専門分野のノウハウを授けず、
時間と金だけ奪っていくような 通せんぼ野郎と化したり、若者を濁りきった眼で視ては、
一辺倒に非難ばかりしたり、もう既に論破された様な神話ばかりを繰り返し繰り返し、
毎回同じことを言うことで、時間と金を犠牲にして、学生を嘘で洗脳する。
学部生にそんなもん出来るわけがないと よく言われるけど、そりゃ早期のうちから
いつまで経っても教えてくんなきゃ、1時間半近くも毎回雑談しているだけでは、
誰だって成長しない。帰納的論述法を1回生の頃からもっと徹底的に講義すれば、
誰だってそれを卒論で書けるようになる。半年やっただけ、しかも1週間に1コマで、
出来るようになる訳が無いのに。
西田みどり『誰でも書けるレポート講座 <型>で書く文章論』(知玄舎、2012年)
のようなテキストをそのまんま教科書に採用して、1回生の春〜秋にかけて、
土曜日の午前中を3時間まるまる充てるような講座を設けて、問題集プリント冊子も作成し、
テストも論述形式の暗記型して、午後は再テストの時間を設けて、添削もしまくれば、
あんな簡単な常識レベルのもん、誰だって1年でこなれるようになる。もちろん予約制で。 それは自学自習でやるべきことじゃね。
他人に教えてもらうようなことじゃないことを教えろというのは、さすがにガキすぎる。 よくよく考えたら、子どもたちは、子ども時代に受けたプレゼンテーションが
如何なる意味を持っていたのか、社会人になってから、社会人相手にやる
プレゼンテーションと、前述のプレゼンテーションの意味が、如何なる繋がりを
有っていたのか、何も教えられて来なかったよな。大学に入って初めて、
自分が騙されてきたこと、担がれて来たことを知った。
大学以降の世界では、いわゆる決まりきった答えというものがない。
精神論を吐いていれば時間稼ぎ出来て、お茶を濁せるような世界でもない。
発問も回答も、全部自分で用意(リハーサル)して来なければならない。
囲いがあるからこそ、より簡単に学べる。発問が準備されているからこそ、
より容易に準備を整えてくることが出来る。
そして、今自分がやっているプレゼンが、学問分野全体の中で どの位置を占めているのか。
相対的にどれぐらいの箱のサイズなのか。どういう役割を果たしているのか。
そこの部分を、子どもたちは、何も情報開示されないままに 授業を受け、
責任を自己責任ということに丸投げされてきた。騙されていること、担がれていること
にも気づかされず、カモにされていることも教えられずに。そして、大学や社会に出てから、
初めて自分が、そこそこ中産階級の育ちをして来たのだと悟るのと同時、しょーもない人間たちに
10代をツケ込まれて来たこと、それによって成長を阻害されてたことを、何年もトラウマとして抱えされ続ける。
彼ら、大人社会を憎み、大人も子どもも全て敵と捉え、隙あらばつけ込んでくる詐欺師たちによって。 子ども相手と大人相手では、誤魔化し易さや許容度、責任の大きさも全然違うし。
子ども相手だと、先輩に教わったり、自ら開発した逃れ方が通用したとしても、
大人相手だと、説明責任や情報開示など、学生レベルの概念から始まって、
法律、利害関係、自分の立場など、色んなものが関わって来るようになる。
だからこそ、下手な誤魔化しは、逆に聴衆の気を逆撫でしたり、罵声の対象になるのだ。
叱ってる、指導してる、という名目のもと、いわゆる大人の暗黙の権力で
動かせるような相手でもない。人間というものは、無料では自分の思い通りには
動いて貰えないのが当たり前だ。それを、暴力の技術を習ったり、習ってるフリをしたりして、
都合が悪くなれば 相手を叩く、胸ぐらを掴む、ノートなどで殴る、声や体格などで脅す、
などでは済まされないのだ。相手は大人であり、金も権力も自分以上に持っている。
20代なんぞは下っ端の下っ端だ。自分の中での幻想物語・崇高物語さえ守れれば善い、
などという世界ではない。フィードバックは何倍にもなって還ってくる。そんなシビアな世界だ。 また、それでいて、それを誰かに告発しようとすると、「何も知らない
(出来ない)くせに」「そんなだからおまえは成績が伸びないんだ」
「素直に言うことを聞けよ」と来たものだ。自分の罪を隠そうとすると同時に、
自分の罪を暴こうとする者を蹴落とそうとまでする始末だった。相手を成績や
大学合格のキップで脅しつけて。親や友人、世間など、周囲からの目線などを利用して、
いやむしろ、その差別を作り出し、助長させて。さらには、落ちたら笑ってやる
というようなプレッシャーまでかけて。俺の言うことを聞かない奴は
みんな落ちてくんだ、「ほら見ろ」とか言って。
結局、学部入試エリートというものは、何も疑わずに何でもかんでも無反省に吸収する、
ただのボンクラだったのだろうか。あるいは、日常の悩み、猜疑心で心が満たされていても、
やる時はやるような、心のスイッチの切り替えがバカみたいに強い、物事割り切って考えられる
奴だったのだろうか。 他人(ひと)の所為にするな。親に迷惑かけるな。そんな扱いばかり受けて来た。
自分のことは丸ごと棚上げして。全部人に押し付けて丸投げして。 予備校業界では、アホ親と子どもを共に食い物にする、巧妙な詐欺紛いの
システムが出来上がってしまっている。アホはすぐに宣伝に釣られる。
そして泣かされる。あるいは巧い言葉でフォローを入れて慰められて終いだ。
始めから出来る奴を招き入れて、そいつが大学に合格して、あるいは実のところ
そんなに嬉しくなくとも、社会から期待された(いわゆる周囲の大人への感謝というやつ)
役割どおりに、無意識に演技喜び・演技泣きをする連中をカメラなどで移して、それを宣伝に使って。
ほんの上層の面ばかりを切り取って、そこだけアップで映し、下は全部カット。
他人の失敗は他人の所為のままで(時にはエスカレートさせるくせに)、他人の成功は自分らの所為。
個人、とりわけ教師たちは、そんな彼ら子どもたちに、一体何をしてやれるだろうか。
あるいは、自分も気づかぬ所で、無意識に彼らを詐欺(カモ)ってしまっていないだろうか
(そんな教師がいないだろうか)。子どもたちは、社会人になった後も、
ずっと上の人間たちから巧いこと利用され、カモにされ続け、泣き寝入りをしながら
生きていかねばならないのだろうか。会社に入っても、そこには詐欺のシステムというものは、
やはり当然のごとく存在するのだろうか。何で周りの大人たちは、そんな彼らに対して、
口を紡いでタブー視するだけなのだろうか。自分などが騒いだところで、相手らは意地を張って
根(こん)を張ってくるから、自分たちが出来るのは、ただただ、数の力で黙殺・排斥するだけだ、
俺たちは裁判官じゃないんだ、文句があるなら法廷でどうぞ、とでも言わんばかりに。 「場の空気を読め=同調圧力・みんな仲良く」が良いという日本的道徳観がそもそも間違い
内なる同調主義は、排他主義と表裏一体だからだ
これこそが出る杭は打てといじめの動機に繋がっている
いじめの原因、腐った日本の道徳教育をやめろ
綺麗事ばかり並べる心のノートを破き捨てろ >>1
>なぜ教育学は現実に全く役に立たないのか?
それは、教育学が、
「人間の『脳』を『生物学・医科学・社会学的』見地に基づき理解した上で構築されていないから」
だと存じますよ。 と>>35のようにのたまう、教育学の入門テキストすら読んだことのない馬鹿が理論の活用を
拒否るから。
理論を知らないのに理論の勉強はしたくないアホ教師が多すぎてどうにもならない。 >>36
ほうっ、どうやら教育学を熟知されたお方のようですね。
それでは、お尋ねさせて頂きましょう。
今現在、依存症や課金方法で大変問題になっておりますソーシャルゲームを始めとする、
「子供の『TVゲーム類』との関わり方」
について、教育学では、どのような理論で説明されているのでしょうか。
それでは、よろしくお願いいたします m(_ _)m 。