ゆとり教育に賛成
日教組のお手手繋いで平等主義と、
中曽根の個人主義ゆとりの教育と、
どっちが日本の現状に合っているのか
格差肯定!!
ゆとり教育を推し進めよう 個性教育はエリートと凡人の才能格差を押し広げるものである。
伸びる生徒は徹底的に伸びるし落ちこぼれる生徒は落ちこぼれるに任せる教育だ。
生徒一人一人の個性にきめ細かく対応できるような万能な教師はいないし、
そんな贅沢を押し付ける教育論は現場の実情を見ない机上の空論だ。
教育の本質は平凡への強制であり、標準から落ちこぼれそうな生徒を一括して引き上げることにある。
考えさせる教育もそうだが、自分にすらできないことを人に求めない方がいい。教師も普通の人間だ。 働き方にせよ教育にせよ、今の良識的とされる社会通念に見られるのは
画一的であることへの忌諱感と人間の能力への無邪気な過信だ。
人間は本来多種多様でユニークな存在であるはずなのに、
それを体制が歯車として管理しやすいようにする為に画一的な枠組みで個性を押しつぶして均質化させている、と。
そこには人間の多様な個性は、まず社会人としての基本ベースを守り共有した上でのものだという根本認識が欠落している。
80年代後半の新人類ニューアカブームあたりに源流があるのだろうが、
死守すべき権威・体制が形骸化した現在、画一的な発想に捉われないという発想自体が、
きわめて画一的で陳腐なものだと気づくのはいつの日だろうか。 分かりやすく教えるなんてのが小賢しい奴のやること。
勉強なんてのは定型の反復刷り込み。 勉強したくなったらすればいい。その方が能率がいい。勉強しすぎる弊害よりは。 相手のレベルに合わせるというのは、言い換えれば関係において自分の芯がないということ。
言いたいことの要点の筋さえ通っていれば、後は相手が自分で考えること。
相手の主体性を認めない人間の頭の良さなど信用できない。 思考なんて大雑把でいいんだと思うよ。
よく細部にこだわるなんて言う人がいるが、そういう人は本筋を見失ってることが多い。 あと2・3回、立民の同胞が政権を取れば、ゆとり教育で更に国力を落とせます。
日本は高麗連邦の属州にふさわしい卑小な一地域になれますよ。
東アジアの理想の姿、優秀な民族が劣等種を導く連邦国家群、
50年、100年先の夢を描いた誰もが望む理想郷ですね。
ご存知ですか、かつての「ゆとり教育」というのはね、
「猿が無理するなよ、猿相応の知恵があればそれでいいじゃん。」(^_-)-☆
という、宗主国高等民族からお猿さん達へのプレゼントだったのですよ。
安倍の凋落は予定通り。さて、再び始めましょうか、チョッパリ愚民化政策を。
テーハミングマンセー!イルボンチュゴラ!
そして、ウィデハンスリョン、キムイルソンドンジ、ヒョンミョンサーサン、マンセー!
心はひとつ