本当の教育って何だらう。。。part.1 [無断転載禁止]©2ch.net
今も昔も学校って優秀な人材を育成する教育はするけど、実際にはほとんどが落ちこぼれるか普通に落ち着くわけで、夢を叶えられなかった時の自己啓発とかも教えた方が良いんじゃないのかなと。
学力や収入だけが全てじゃないと。
あと、過疎化が進む地方創生のためには学校と言う形態はコストに見合わないと思うので、高卒と同程度の学力を保証して高卒じゃなくても大学受験する資格大検とかみたいな資格形式とか、昔に戻って寺子屋形式も認めるとかどうだろう?
もう一つ、経験上(理科が好きで理科系だけは高校でも一番だった)学問を好きになってもらえれば勝手にグングン子供の学力って伸びると思うんだよね。
私にとっては漫画やアニメと科学や数学の専門書は同じく位置にある。
子供の頃はアニメと迷ってわくわく動物ランドとか生き物地球紀行見てた。 子どもだからって
サイズは小さくても魂は大人と同じで ガキのサイズから世界的逸材までそろっている。それを小学校のスモールサイズにすることの愚かさを知ることが大切。 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。
すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 予定調和っすなあ。
気持ちに揺らぎやムラ、それとの葛藤が全くないのは人として信用できん。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
人間とはそういうもの。
【大阪】ファッションヘルスでアルバイト、小学校の女性講師を停職処分 「やめられなかった」
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1540983476/
大阪市教委は31日、風俗店でアルバイトをして報酬を得ていたとして、
市立小の女性講師(27)を停職3カ月(同日付で依願退職)とする懲戒処分を発表した。
市民から匿名の通報が複数回あり、市教委が調査していた。
市教委によると、女性講師は今年4〜9月、週1、2回のペースで大阪府内のファッションヘルス店に勤務。
男性客の相手をし、月平均約8万円の報酬を得ていた。
また、ほぼ同時期に連鎖販売取引業者の化粧品や日用品を第三者に紹介、購入を促して月数千円を得ていた。
いずれも兼業を禁じた地方公務員法に抵触すると判断した。
女性講師は今年4月〜来年2月の予定で、育児休業を取得した教諭の代替を務めていた。
市教委の調査に「採用以前からやっていた。禁止行為と知っていたが借金があり、やめられなかった」と説明。
「子どもを指導する立場として示しがつかない行為で反省している」と話しているという。
https://mainichi.jp/articles/20181101/k00/00m/040/038000c 喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。
クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 学力や収入というと教育の一形態の結実にすぎず、多様で多彩な能力に
分岐していったと思われます。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 教育基本法とか誰か調べてその辺から議論できるかやって見れ。 自他の線引きをきっちりつけること。
自分の立場ですべきこと、する必要のないこと、すべきでないことのラインを明確に。 創志学園 環太平洋大学 大橋博
中学受験 港区の不届きな私立中高物語〜こんな私立中学を受験しますか?〜
http://hirogakuillegalact.blog.jp/ 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。
人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。
上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 自分の行く先を固定化させないこと。
現在を起点として、未来・過去にも手に届く距離というものがある。
自分の中にないものはないものとして、あるもので進むしかない。 いくら自分を厳しく律したつもりでも人間間違う時は間違うし、
むしろガチガチに管理するから失敗に歯止めがかからなくなることもある。
人間の限界を弁えた上で、根をつめ過ぎないこと。 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。
負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 何かをすればそこには必ず批判・反発・抵抗は湧き起こる。
それはそういうものと諦めるしかない。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。
人間、足るを知ることも必要。 一つの考えに留まり続けないことも大切。
自分や他人を責めることが悪いのではなく、心がこわばって抜き差しならなくなるのが問題。 昨今嫌われる勇気なんてのが取りざたされているが、
勇気なんて力こぶを入れている時点でまだまだ甘ちゃんやね。
嫌われるのがデフォルトになってしまえば、何を思い悩むことも企むこともない。
無理して嫌われる必要はないが、好かれる必要もないわけでな。 先生より生徒のIQが高かったら教育じゃなくて虐待だしw 言うまでもなく人生は無駄の積み重ねの上に成り立っている。
ある程度の目星をつけて進む必要があるにせよ、全てを管理できるというのは思い上がりというもの。
効率的な目標の為に生活の全てを犠牲にしないこと。 https://chugakujyu.exblog.jp/i4/
2005年 11月 03日
設立趣旨/スタッフ紹介
2005年10月31日
世の中は 日本も世界も大きな曲がり角に来ており、その中で「日本の教育」とくに私立中高一貫教育もまた、歴史的とも言える曲がり角に直面しています。
進学塾にとっては色々な面で「受験の常識」が通用しなくなりました。しかしそういう事態に対して大手進学塾や受験ジャーナリズムの一部には、時々有益な指針を提起しているものもありますが、
概して大勢は、戦後日本の塾運動の成果を破壊する「非常識」さを拡大し、その道を突進しているように見えて仕方ありません。
私達は、非力な中小塾関係者ばかりですが、私立・国立・中学受験の世界で「非常識」ではなく、「良識」を、「建前(嘘)」ではなく、「ホンネ(真実)」を、
塾としての「経営論理」だけではなく「教育の論理」をも情報発信すべく群れ集まりました。
ネット上にバーチャルな学園「中学受験 悠遊学園」を設立致しました。主なスタッフは以下の通りです。
https://chugakujyu.exblog.jp/i8/
学園長 金 廣志(悠遊塾主宰)
教務課長 安本 満(龍馬塾主宰)
広報課長 永田 淳一(武久出版)
事務局長 三戸 さとみ(塾 指導者)
教諭 算数 金 廣志
国語 平井 好男(中学受験教室代表)
社会 海風荘主人
理科 永田 淳一
港区南麻布共学私立 理事長 TOMMY IKEDAの盟友は元過激派 金 廣志(キム・クヮンジ)
金 廣志(キム・クヮンジ)
1951年大阪生まれ。在日2世。東京都立北園高校中退。
69年に赤軍派に加盟。翌年全国指名手配され15年間逃亡潜伏。その間は肉体労働に従事。
時効成立後、86年から塾講師の道へ。96年高知で自宅近所の子達を集め「悠遊(ゆうゆう)塾」を開く。
ソウシ学園(仮称) グループ 創始者 大橋博(仮称) の大罪
港区南麻布私立共学校 池田富一(仮称)と金子暁(仮称)の大罪
中学受験 港区の不届きな私立中高物語〜こんな私立中学を受験しますか?〜
http://hirogakuillegalact.blog.jp/ 世の中そういうものだと前向きに諦めるということ。
自分の限界が分かれば無駄なものをしょい込んだり、人に押し付けることもない。
自然体で通すものは通すということ。 ま、人の生き方なんて人それぞれで外野が口を出すことではないのかもしれんね。
自分で自分を追い立てて生きるのはしんどいだろうなあ。
自分が納得しているのなら誰も文句は言えない。 上に立つということは人の人生に責任を持つということ。そこから逃れることはできない。 教育は学校で行われるものだろうか、学校で行われたセクハラを教育と呼ぶにふさわしいか。 人間はどいつもこいつも人間なのに神のように振る舞いたがる 好意であれ悪意であれ相手の領域に踏み込むときは、
干渉する枠をきっちり定め、主体性の領域を侵害しないこと。
人格を認めるとはそういうこと。 もちろんそれは双方向のものである以上、相手が自分の主体性をないがしろにしてくることもある。
そこに厳格な一線を持つ限りにおいて。 後は流れに身をまかせるだけ。思い通りには行かないもんさ。 心が高揚しそうな時ほど手元に引き付けておく必要性。肌感覚を手放さないという問題。 又吉先生のような本物を育てることでしょう
又吉先生は国語の偏差値75で当然全国1位でした
偏差値75は上限なので実際の力は測定不能です
又吉先生は僕らの目標ですよね 時の流れを自分のものにするためには、まず自分の空虚さを受け入れること。
欠点は克服するものではなく受け入れるものだと分かれば、さらに生きる意志につながる。 本当の教育と言うより
親の教育、幼稚園の教育、小学校と変化するし、国語と体育は違う 自分にとって得か損かの利害感覚を手元に引き付けることができない人間は結局何もできない。
エゴイズムが核にない人間ほど、薄っぺらい理想に吸い寄せられて身につかないきれいごとで自分を慰めるもの。 自分の存在がそこにいるだけで、多くの人間を押しのけ可能性を塞いでいるという宿命を噛みしめること。 相手の気持ちは気持ちとして理解するとして、それに自分を左右されないこと。
どんなに距離の近い相手でも、どこまでいっても自分とは立場・人格の異なる人間。
情の存在は不可欠だが、それに流されないこと。 The only thing that interferes with my learning is my education.
私の学習を妨げた唯一のものは、私が受けた教育である。
アインシュタイン 全力で戦う時も無理にあがかないこと。
諦めるのではなく、負けないことに必死にならない。 世の中の全てが自分の思い通りに動くというのは幸せなことではないよ。 その場その場で自分にできることに最善を尽くすこと。
失敗はあって当たり前。勝ちたいのも誰しも同じ。
勝つことにこだわり過ぎないこと。 あんまり楽々と越えられても困るってこと。
普通の人間がそこにたどり着くのには、どれ程の葛藤と闘わなければならないことか。
人生はそんなにお手軽なもんじゃないからね。 教育原理や教育心理学、特別活動論、教科教育法、教育方法、総合的な学習の時間、
部活動の顧問レフェリング、登下校管理、宗教教育とか、いろいろな話題も
カリキュラムに連動して行いたいんだけど。 https://www.youtube.com/watch?v=Yr-rMsUynjY
もうね社会悪の巣だな
こういうのあったらよ テロ起こせよ社会的に終わってる奴は
やることやってから首吊れよ 大きく分けて2つの教育、それと自育がある。
父母の教えとそれ以外+自育だ。
学校で教えるんは「それ以外」の部分だ。 栃木県立高校の教師が裸の写真をエッグに掲載してもくびにならないよ いつでもここに戻ってこれるように逃げ道を作っておくこと。 暗さ、弱さ、醜さ、それを認めることのできない自分を受け入れること。 地獄からの命令「暗さ、弱さ、醜さ、それを認めること」 前向きなものにせよ後ろ向きなものにせよ感情に気持ちを入れすぎないこと。 煮詰まったらさっさと諦めて次に進むこと。あまり考えこみすぎない。 人の気持ちなんてものをごちゃごちゃ考えない。それは考えるものではなく、感じるもの。 全ての始まりにおいて自分が馬鹿で無能だということを認めること。
知性や実力はその根本認識の上に積み上げるものであって、
中途半端なプライドや過去の実績・名声を頼みにすることは、冷静で客観的な自己イメージを見失う元。
これは謙虚とか傲慢といった他者評価の振れ幅で揺れ動く問題ではなく、徹頭徹尾個人的な生き方の問題。 何か問題が起こっても存在に関わるようなことでない限り、しばらく手を加えず放置する。
変化がない場合は、その後で対策を考える。
大概の問題はこれでふるい落とされる。 外的な刺激に心が揺れ動くのを抑える。
物事に動じないといった硬直した態度ではなく、心の波をなだらかにする。
心に極端な山と谷をつくらない。 人から理解されようとしないこと。
やりたいことの為ならどんな理不尽な汚名を被ってもいい。 社会の作り出す強迫的な空気感に無条件で乗せられない。
乗せられるのなら乗せられているという自覚を持つ。
時代の只中を流されるにせよ、どこかに一人の人間として時代を対等なものとして眺める態度は必要。 カメラで問題を写メしてすぐに答えを出してくれるアプリ発明してください。
翻訳アプリ見たく問題文すべて写メしたら答え出るようなやつ 他人に迷惑をかけることを嫌がらないこと。
そこを踏まえないとやって良いことと悪いことの違いも身に沁みては分からない。 目的にまとわりつく余計な感傷を削ぎ落すこと。
それらは自らの意志をぼやけさせるだけ。 行動の主体をごまかさない。
自分が自分の為にやっているという感覚に他人を混ぜ込んであやふやにしない。 自分の言動の広がりに対して自分がけじめをつけられる範囲を意識する。立場を踏み外さない。 教育だなんて烏滸がましいと弁えてるアメリカには文部省 ない
日本の文部省は何やってんだか歴史の教科書に隣国から言われた嘘を書いて教えさせられているらしい。 どんなにウザい相手でも反発したり立ちふさがって態度を硬化させる前に、相手の背景を理解するよう努めること。
譲らない自分が明確にあれば、殊更それを人に押し付けることもない。 この世の不条理を受け入れること。
その強さがあればこそ自分を高めることができる。 あとは全力でいい加減に生きるこっちゃな。
それで世の中ちゃんと回るようにできてるんだから不思議なもんだ。 一般民はジタバタせんと大人しくしていろ」という教育は教育というより飼育だ。 まあ世の中なんてそんなもんだ。
自分にできることなんてたかが知れている。
嘘にまみれた世の中だが、そういうものと諦めて自分のことだけ考えて生きていくしかないな。 色んな問題があるけど、それはしゃーないんちゃうかな。
一々まともに向き合ってたらしんどいだけ。 はじめは教える「内容」があった。
次に教える「カタチ」を真似た。
それが文部省とか教職という「既得権益」へと変化した。
既得権益がいっぱいある方が天下り先が増えるんで基礎研究にまで「結果」を求めるようになった。 昨日テレビで子供の読解力をつける教育をやっていた。
それはいままで何となく使っていた言葉を、英語を勉強するように定義からきちんと学び直すというものだ。
これによってテストの問題の読解力もつくというものだ。
だが何となく言葉を使うことにも良さがあると思うがね。
英語のようにきちんと日本語を考えてしまうと、それについていけなくて言語障害になってしまう子供も出てくるのではなかろうか? 女子高(男子校)と共学の出会いにカリキュラムや管理維持は意外に難しいテーマだろうなあ。 授業料を受け取ると、すべての生徒と契約になるから、いろんな層の人たちを
最後まで伸ばす教育者にならないといけないだろう。 自分自身の表現能力を高めるだけではモンスターが増えて困る。
そこで偉人伝とか読んで精神的な幅を広げるんだが、偉人だらけな歴史にはトンデモが混ざっている。
このトンデモを捨てて教えれば温室育ちのもやしができる。
逆にトンデモを教えて強い国を目指す具体例も現存する。さて、どうするねw 【1882、2018】 月を横切るUFO、太陽を横切るUFO
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/galileo/1549867552/l50
理 系 の 理 論 バ カ ど も 、 事 実 に 平 伏 せ ! まあ人生なんて浮かれているのは幻みたいなもんで、本当は何一つ良いことなんかないんかもしれん。
それでも生きていれば何かが見えてくることもあるかもしれん。 それをやってんのが中国や朝鮮という皮肉。
なぜだろう。
73年前にアメリカが中国と朝鮮を勝ったことにした【嘘が育って仇花を咲かせた】それが今。
日本のいわゆる知識人はこの嘘の後を追いかけて遊んでいる。これもGHQによる植民地支配策の種なし果実。 日本の問題は、今俺がアイスクリームを食べたいということ。 敵を見誤らせて同士討ちに追い込んで、漁夫の利を得ようとする鳥がいるんだよ。