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【ショーペンハウアー】ペシミズム [転載禁止]©2ch.net
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0509幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2018/10/05(金) 02:06:47.560
252幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/10/05(金) 01:52:01.47ID:74THyRWz0>>254
『異史 明治天皇伝』を読んでいるが、福沢諭吉は実に開明的な人物だったんだな。
福沢諭吉は適塾時代に緒方洪庵からオランダ語で医学を学んだのだが、緒方洪庵は
フーフェラントの『医学全書』を『林氏医戒之略』として30巻の大著を翻訳した。
そのフーフェラントはショーペンハウエルにとってはゲッティンゲン大学医学部の先輩だ。
ローマン主義時代の欧州の啓蒙思想が幕末日本で福沢諭吉に伝わったのは興味深い。

254山師さん@トレード中2018/10/05(金) 01:53:00.23ID:IBAOAUqpp>>257
>>252
お前は適当すぎる、諭吉叩いてただろ

257幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/10/05(金) 01:54:27.95ID:74THyRWz0
>>254
幸ちゃんは福沢諭吉の「百姓や車曳きに学問を教えたのは間違いだった」という晩年の言説を引用しただけだぞ。
福沢諭吉は封建制の身分制度が大嫌いだったんだがな。結局身分制度は必要だったと痛感したのであろう。

264幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/10/05(金) 01:57:38.80ID:74THyRWz0
福沢諭吉は大坂の適塾で学んだが、最初は大坂で腸チフスを患って緒方洪庵の弟子の治療を
受けてから、本貫のある大分の中津に戻っているんだな。適塾は明治元年に閉鎖されて、
後に大阪大学医学部になった。それゆえ阪大医学部と慶応医学部は兄弟みたいなもんだ。

273幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/10/05(金) 02:03:01.52ID:74THyRWz0
>>266
日本語版ウィキペディアの緒方洪庵の項目には、幕末の1857年にフーフェラントの
『医学全書』を『林氏医戒之略』として30巻の大著を翻訳した件についてすっぽり抜け落ちてる。
日本語版ウィキペディアは実にいい加減な編集をしていると言わざるを得ない。
どうせヤブ医者組合の都合なのだろうが。

277幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/10/05(金) 02:04:24.81ID:74THyRWz0
第8回 緒方洪庵:扶氏医戒之略
https://istudy.konan.ed.jp/renandi/materialcontents/107929/101920/2016PreLabo08.pdf
0510考える名無しさん
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2018/10/05(金) 12:54:24.580
なんだこいつは
0511幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2018/12/22(土) 20:12:14.570
    、,-ー- 、_,.,r-r,.;r';"´ ゛ヽ,
  .;r゛  ' , ,.ミ' ー--、ilr;r _   'i
  Y  ,: r'       ヾ  ;r '';
  (ヽ , r'        ,ノ   彡
    i' j!    ;     i .:::.  ;'
    ヾi. 'rtr::.' .:-':tテ、:. `i r'"t
    i:i. ' ´':  、` 、 ,i i _/
     い、 'ー-‐' ヽ  i j',!ヽ
     iヽ': '´二 ´`  r''/:::::::::i、
     r ! ヽ._   _, -' .r'::::::::::::;!:::ヽ、     アルトゥール=ショーペンハウエル 1788ダンツィヒ〜1860フランクフルト
    /::::::´:〉- 二  `/::::::::::::::/::::::::::::::ヽ、
  r'::::::::::::::::7Tl T /´::::::::::::::/::::::::::::::::;r::::::::::-、
0514アッシジのフランチェスコ
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2019/04/20(土) 08:55:56.890
地球を生きものの楽園に
0515考える名無しさん
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2019/04/28(日) 18:35:47.900
http://meigetu.net/?p=7082

かつて角川文庫で出ていた石井立訳「女について」が復刊の様子
0516考える名無しさん
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2019/04/30(火) 17:39:10.100
パットンという連続殺人犯は人間社会に出ることはまず出来ないとのこと。
とっくに相当、人外らしい
0517考える名無しさん
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2019/05/03(金) 17:56:01.220
幸福については何度も読んでるな、最近出た鈴木訳のもかなり読み易かった
アインシュタインも孤独と人生が愛読書だったとか言われてるね
0518考える名無しさん
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2019/05/09(木) 13:08:07.870
「読書について」、はイチローが本を読まない理由にも通ずるもんがあるな
本を読むと主体性を失う
だが、知識がないと考えるってことも限定的になってしまうのもまた事実だな
0519考える名無しさん
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2019/05/09(木) 23:52:26.210
精神に好影響な良書を読みまくることはいいことだと思うよ
知識欲を満たすこともいいし、読書のメリットは何より理性に引き戻される感がいいよね
0520考える名無しさん
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2019/05/09(木) 23:59:32.260
イチローとかアスリート系の人は寧ろ読書とかしない方がいいんじゃないかと思う
言い方は悪いかもだけどスポーツ選手はちょっとバカの方が良いというか

知性よりも筋肉の方が必要だから
0522考える名無しさん
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2019/05/11(土) 19:23:23.920
スポーツは肉体の感覚を頼りにして進歩していく世界だから
知識は先入観に繋がり邪魔になることもあるだろうな
ただ、指導者やトレーナーとなり自らが掴んだ感覚を後進に教えることで
成果を得ることも事実としてあるのでそれが全てとも言えないが
イチローにはそのやり方が正しかっただけで正解ないだろう
0523考える名無しさん
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2019/05/11(土) 23:30:42.220
絶大知者のショーペンさんを観てても解る様に知性と鬱はワンセットだからね。
スポーツに励んだことある人なら解るとは思うけど、長期的な持続したトレーニングとか頭の活動を停止してある意味バカにならないと打ち込めない部分もある。

もちろん身体のコンディションを整える知識を初めとした筋トレの方法や栄養学とかメンタルトレーニングも必要だしそして何より野球での合理的な身体の使い方の感覚と言うこういうアスリート分野の知性は物凄いし、まさに天職だと思う。
0524考える名無しさん
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2019/05/16(木) 12:16:10.170
運動好きや現役アスリートは統合失調症にならないという説がある
逆にいえば身体動かさないインドアの「怠け者」が頭でっかちなった結果糖質になるともいえる
頭使いすぎて結果壊れて脳筋よりバカになるとは皮肉だね
0525考える名無しさん
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2019/05/17(金) 21:19:45.120
でもアスリートも無理し過ぎて身体を壊し心も…てあるからほんと気を付けないといけないね
0526考える名無しさん
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2019/05/23(木) 11:26:10.910
知性の仕事もアスリートもストイックさは必要だけど、いわゆる濃密に太く短くか緩やかに細く長くかの人生があるよね。
それでも人生80年、若き日はアスリートだったけど年老いて研究者になってるとかそういう色々なことを経験して楽しむことは大切だよな。
0529考える名無しさん
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2019/05/27(月) 12:27:21.650
30代から能力は低下するよ
勉強は積み重ねだから引退後の中年になってからだと研究者は厳しい
0530考える名無しさん
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2019/05/27(月) 21:14:31.830
確かにショーペンさんも35歳位までが神経力というか頭のピークだよみたいな話してたよな
0532考える名無しさん
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2019/06/09(日) 02:09:24.910
知性の「分ける」「曖昧をつくらない」って根本に欠陥がある気がする
どっちみち厭世のまま終わってしまう人は、物に対する判断と人に対する判断を混同している
もちろん人を知性でさばいて行くことでしか生き渡っていけないのは事実だが
0533考える名無しさん
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2019/06/09(日) 13:50:01.780
厭世的になって「自殺を考える子供」というのがなかなか存在しない様に知性が発達して様々な現実を知ることの欠落もあるのかなと
人生で一度も死や自殺を考えたこともない知的障害者はある意味幸福かもしれないね
0535考える名無しさん
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2019/06/09(日) 23:50:28.370
>知性の発達の欠陥

あるだろうな
ニーチェの「天才とは耐え難い存在である」
ってのは天才は凡人の嫉妬や羨望を煮えたぎらせるから、って他人目線で長く解釈してたけど
天才本人の「天才という状態」に対する耐え難さを現した主観からの話なのかなと思うことがある
0540考える名無しさん
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2019/06/23(日) 23:36:39.770
生涯親の遺産で生きた子供部屋おじさんじゃないけどほぼ同じような人
0541考える名無しさん
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2019/06/24(月) 10:50:13.930
隠遁してなるべく知的なことを楽しもうと言ってる訳だけど、ショーペンさんの思想は仏教や禅道に似てるのもあるよね。
0542考える名無しさん
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2019/06/24(月) 13:32:06.780
人生で心身の健康とお金が何よりも重要なのは当たり前のことだよな
0543考える名無しさん
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2019/06/24(月) 13:39:46.530
論文バカにした母親にキレて親子ゲンカしたりヘーゲルの講義にわざと合わせて失敗したりネタが尽きんな
0544考える名無しさん
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2019/06/24(月) 13:54:47.330
大抵の人は祖先が暴力で他人から奪った土地や財産の上に築かれた財産
を引き継いだ親に養育されて今の生活をしてるんだから、みんな多かれ
少なかれ子供部屋おじさん/おばさんみたいなもんじゃないのか?
0546考える名無しさん
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2019/06/24(月) 14:10:16.730
先祖代々の資産を管理して、他人の労働力を活用して生活を成立させるのが
上層階級で、受け継ぐ資産がなく、自分の労働を糧に変えることしか
生きる術がないのが下層階級だった
0547考える名無しさん
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2019/06/24(月) 14:22:05.230
状況がどう変わろうと、常に自らが裁く側にいるように自らの立場を確保する
ことが、自己保全のために最も重要
0548考える名無しさん
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2019/06/24(月) 16:35:07.870
働かせる働かされる裁く裁かれるとかから徹底的に逃れて生きて行けよとショーペンさんは説いてる様だけど
0549考える名無しさん
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2019/06/24(月) 17:26:34.250
逃れ、かつ生きるためにショーペンがやってた内容がどれ程のこどおじ度だったのか
やっぱり修行部屋おじさんなんじゃないか
0550考える名無しさん
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2019/06/24(月) 18:50:34.270
自由に外にでられても社会に対して何の影響力も及ぼせないお前らのが悲惨だろ
0551考える名無しさん
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2019/06/24(月) 20:54:07.910
そもそもショーペンさんの思想のことをペシミズムや厭世とか言い始めたのは誰だろう
超現実主義と言うのが正しいと思うけど
0552考える名無しさん
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2019/06/24(月) 21:12:38.450
>>535
それについても幸福についてでアリストテレスの引用で「天才は皆憂鬱質」だと言ってるよな
0554考える名無しさん
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2019/06/27(木) 18:48:57.120
社会の生存競争や人間関係の煩わしさから離れて悠々自適にってことだよな
退職して哲学や物書きと趣味の毎日だったシヨーペンさんは理想の生活を送ってたんだと
0555考える名無しさん
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2019/07/06(土) 11:49:18.460
生活のために労働時間割かれるのは仕方ないが、哲学好きは、金儲けして贅沢するより自分の自由時間確保を優先している人が多そう。
0556考える名無しさん
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2019/07/06(土) 12:00:58.160
だなー俺みたいや
ただ、問題があるとしたら俺の考えは深遠すぎてショーペンのように一般化されてないし
誰にも受け入れられてないってことだ
0557幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2019/08/08(木) 12:54:50.660
近代の劇は、人間の意志または性格から必然的に生じ来る悲劇をのみ書こうとする。しかしそ
のように意志や性格の分析または総合などによって論理的に因果づけられた平板な近代劇などで
は割り切れぬ神秘的な力が、人間の上には働いている。そこでその神秘的な力は、必ずしもギリシャ
劇における運命のごとくに悪意ある支配力として、悪魔的なものとしてではないにせよ、偶然
の巡り合わせから人間の建設的な意志を、調和と秩序とを破壊して悲しむべき事態をもたらす。
而してかくの如き悲劇を醸成するものは人間の情熱であり愛欲である。けれども人間の高貴なる
意志が、良心が、悲壮な覚悟をもってこの破壊された道義的世界秩序の再建のために命を捧げ
るとき、深刻な感動が見物の心を捉えるのである。このような劇は果たして運命劇であろうか、それ
とも性格劇であろうか。我々はここに名称のために論議することは差し控えたい。しかしながら
シラーのこの劇における運命は、ソフォクレスの描いているような運命とはよほど性質を異にして
いる。オイディプスの運命はすでに予定されており、いかにしてもこれを避けることの不可能
なものであった。その運命から逃れようと努力した結果が、かえってそれを成就することとなる
からである。従って我々は主人公に対して何等の責任をも罪をも負わせる気にはならない。作者
は当時民衆の間に行われていた運命観によって、かくの如き劇を作ることができた。

 フリードリヒ=シラー 『メッシーナの花嫁』 解説より 岩波文庫 1950年4月 相良守峰
0559考える名無しさん
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2019/08/08(木) 16:31:21.250
>>551
レッテル貼りをして黙殺しようとする人たち
0561考える名無しさん
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2019/10/04(金) 20:46:35.350
動かされているという感覚についてもショーペンさんは敏感だったんだろうなと
0562考える名無しさん
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2019/10/14(月) 15:58:50.510
なんだかんだで長生きしたショーペンさん。
そういうとこも強い。
0563考える名無しさん
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2019/11/07(木) 16:40:49.050
厭世言ってもショーペンさんみたいな人ほど長生きするんだよな
0564考える名無しさん
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2019/11/14(木) 19:59:51.250
厭世といっても生きている限りは持続を求める死に際しての苦痛は皆一様だからね
最初からこの世に存在がないという状態が最も望ましい
0566考える名無しさん
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2020/01/02(木) 11:18:33.060
幸福についてを読んだけど直接的に反出生主義っぽいことは書いてないよね?どの本に書いてあるの?
0567考える名無しさん
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2020/01/02(木) 21:23:55.490
意識と表彰のなんとか
0568考える名無しさん
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2020/01/17(金) 18:23:11.340
反出生思想も自分は子供作らなければいいだけの話だよな
他人の人生や選択に口出しできる問題じゃないと思う

人間も生物的動物的に種の保存の為の生存がそもそもの目的だけど、そこから脱却する為の思想は惹かれるけど
0569考える名無しさん
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2020/01/19(日) 10:47:38.940
古今の文学史全体を見ても、ヘーゲルの哲学と肩を並べるほどの虚名をはせた例はまずあるまい。
すべてがあれほど劣悪で、明々白々な嘘っぱちと出まかせ、いや、紛うかたなきたわごとは、どこを探しても見当たるまい。
加うるにあの論述ときては、反吐の出そうなとびきりの不快さが見るも腹立たしい破廉恥や鉄面皮と連れ立っている。
こうした一切合切が、これまで世界が拝むことのできた最高の叡智、最高の光輝として讃えられたためしは、あの徹頭徹尾無価値な似而非哲学をおいて他にない。
0570考える名無しさん
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2020/01/19(日) 10:57:51.720
ヘーゲルの哲学は脳味噌の白痴化の手段として比類のないものである。
あのようなチンプンカンプンのおまじない、あのようなへらず口は、この哲学の化け物じみた構造のなかであり得べからざる思想や純然たる矛盾を思考する任務を理性に負わせることで、知性の完全な麻痺をもたらすものだからだ。
0571学術
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2020/01/19(日) 11:18:28.980
ヘーゲルは頭脳の構造より単純ですがね。
0572学術
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2020/01/19(日) 12:25:01.130
世界や人間を写し取るならもっと複雑、難解なことが出来たはずだ。
0573幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/02/06(木) 23:02:42.370
安倍首相補佐官 海外出張でも公私混同の疑い 厚労省女性幹部とコネクティングルーム宿泊
https://bunshun.jp/articles/-/31861

和泉洋人首相補佐官(66)が、大坪寛子厚生労働省大臣官房審議官(52)との海外出張の際、ホテルの部屋割りを
めぐって…

スプーンでア〜ン(^^♪
https://bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/9/7/1500wm/img_97a13d66348b246ed7780d2e5efe24be107899.jpg


これ動物磁気を使った催眠術じゃないか!("゚д゚)

性奴隷だ!(`・ω・´)
0574考える名無しさん
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2020/02/06(木) 23:48:22.230
 底辺忍者参上!

    X
  ∠ ̄\∩
  (о´∀`о)ノ
 〜( ニ⊃
  ( ヽ/
  ノ>ノ
  UU


  ∠ ̄ヽ
 〜(о´∀`о)/
  / y⊂)
 (ノ〉 ⌒i
 /(_ノ^U


     臨

 前  ∠ ̄ヽ  兵
    (о´∀`о)
在  〜(_ξ)   闘
   //  <
 列 (_ノ_)  者
    ∪ ∪
   陣  皆
0575幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/02/09(日) 03:46:04.970
安倍側近の和泉補佐官と“公費不倫”の厚労省・大坪寛子審議官がコロナ会見に堂々と登場! 東出・唐田に大騒ぎのテレビはなぜ沈黙するのか

加藤茶と綾菜夫人、実は「創価学会婚」 夫婦円満の秘訣は「池田先生」の言葉
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/02071125/?all=1

スプーンでア〜ン(^^♪
https://bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/9/7/1500wm/img_97a13d66348b246ed7780d2e5efe24be107899.jpg
https://www.dailyshincho.com/wp-content/uploads/2020/02/2002100557_1.jpg
0576幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/02/16(日) 02:11:44.230
Ανδρόγυνο
https://el.wikipedia.org/wiki/%CE%91%CE%BD%CE%B4%CF%81%CF%8C%CE%B3%CF%85%CE%BD%CE%BF

Η λέξη ανδρόγυνο προέρχεται από την Ελληνική γλώσσα
και συνδυάζει τις λέξεις άνδρας και γυνή, δηλαδή γυναίκα,
και χρησιμοποιείται για να περιγράψει άτομα που
συνδυάζουν αντρικά με θηλυκά χαρακτηριστικά, είτε σε
θέματα προσωπικότητας ή μόδας, είτε σε όσον αφορά το σώμα
τους (ίντερσεξ). Στην ελληνική γλώσσα η λέξη ανδρόγυνο
σημαίνει ερωτικό ζευγάρι γυναίκας με άντρα.

Ως ταυτότητα φύλου

Ένα ανδρόγυνο ως ταυτότητα φύλου είναι ένα άτομο
που δεν ταιριάζει ούτε στο ρόλο φύλου του άνδρα
ούτε και της γυναίκας όπως ορίζονται στη κοινωνία
στην οποία γεννήθηκε ή ζει.


日本人の死因のトップは「結核」
0577幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/02/16(日) 13:10:40.130
第6章 年齢のちがいについて

ヴォルテールはきわめて美しく次のように言った。

その年齢相応の精神をもっていない人も、
その年齢特有の苦労をかかえている。

こうしたことからも、この幸福についてのもろもろの考察の末尾に、年齢のちがいがわれわれにもたら
すいろいろな変化について一瞥を投げかけるのは、適切なことであろう。

 われわれの一生をつうじ、われわれはつねに現在のことだけを考え、そのほかのことは無視してい
る。それでいて年齢のちがいをつくるものは、たんにわれわれが生涯のはじめには長い未来を目前に控
えているのに対し、生涯の終わりのころになると、長かった過去のことばかりが目にはいること、さら
にわれわれの性格はそんなことはないが、われわれの気質はいくつかのはっきりとした変化をとげ、その
ためにいつでも現在の色あいが異なったものとして現われることだけである。 ――

 わたしは、主著続編・第三一章三九四頁以降(第三版四四九頁以降)で、われわれはなぜ、子供のこ
ろは、欲求するよりもはるかに認識するという態度をとっているかということの説明を与えた。われわれの
0578幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/02/16(日) 13:28:39.850
生涯のはじめの四分の一が幸福なのは、まさにこの点にある。したがって、この時期は、年をとる
につれて、失われた楽園のように思えてくる。われわれは子供のころはあまり多くのかかり合いをもた
ず、要求も少ないために、意志がゆさぶられることもあまりない。われわれの本質の大部分は、した
がって認識に取り組むことになる。――すでに七年目に完全にじゅうぶんな大きさになる頭脳のよう
に、知性は、成熟とはいかないまでも、若いときに発達をとげる。そして子供は、すべてが新奇な魅力を
そなえている世界、おのれが生を受けたばかりの世界のなかで、たえず栄養をとろうとつとめる。そう
したことによって、われわれの子供時代が不断の詩になるという事情ができてくる。すなわち、すべて
の芸術と同様、詩の本質はプラトン的なイデア、すなわち本質的なもの、あらゆる個物のなかにあって
すべてのものに共通するものの把握のなかにある。われわれは、子供のころめぐりあったもろもろの場
面では、つねにただ一度だけの個々の対象あるいは事件とだけかかり合っていた。しかも、そうした個
物の対象なり事件なりが、われわれのそのときどきの欲望に興味をそそったからだというように思われ
るけれども、根本的にはけっしてそんなことはない。すなわち子供のころは、生は、そのすべての意義
をこめて、なおまだ新しく鮮やかなままの姿をみせており、何度も繰り返されることによって生の印象
を鈍化させてしまうというようなこともない。したがって、われわれは子供のころは幼稚そのものの営
みを行なっていようとも、ひそかに、それにはっきりとした意図はなくとも、個々の場面や動きについ
て、生そのものの本質、生のくりひろげるもろもろの形象や表現の基本的な型を把握すべくつとめてい
ることになる。スピノザが述べたように、われわれはすべての事物、人物を「永遠の相のもとに」見る
のでる。われわれが若ければ若いほど、それだけますます個物はその全種類を代表するようになる。
0579幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/02/16(日) 13:44:42.720
こうしたあり方は年とともにつねに薄らいでいく。しかもこの点に、事物がわれわれの若いときと年
とったときに与える印象のちがいがある。したがって幼少年期に得た経験や知識は、その後のすべての
認識ならびに経験の固定した典型および法則となる。こうした典型や法則は、たしかにつねにはっきり
と意識されるわけではないけれども、われわれが後年獲得するものすべてを包摂するいわば範疇(カテゴリー)とな
る。したがって、はやくも子供のころにわれわれの世界観の固い基礎がつくられる。われわれの世界観
のこうした基礎には、深いものも浅いものもあろうが、とにかくわれわれが年をとるにつれて、それは
しだいにみがきをかけられて完成していく。そうはいっても、本質的にはまったく変化するものではな
い。このように、幼少期にとっては本質的な純粋客観的な、しかもそのために詩的な見解のおかげで、
さらにそのころには意志がまだじゅうぶんな精力を貯えて姿を現わすまでにはいたっていないという事
情から、われわれは子供のころは、欲求するよりもはるかに多く認識するという態度をとる。したがっ
て多くの子供のまなざしは、まじめな観照的なものであり、かのラファエッロもこれを彼の描く天使の
なかに、とりわけシスティーナの聖母像(マドンナ)の天使のなかにうまく化身させた。こうした事情からしても、
子供のころはきわめて神聖なものであり、幼少期の回想はつねに憧憬につきまとわれることになる。
――子供のころわれわれはまことに熱心に事物の直感的理解にもっぱら取り組んでいるが、一方では教
育がわれわれに概念を植えつけようとけんめいになる。しかし概念などはもともと本質的なものを与え
ることはない。むしろこうした本質的なものは、つまりわれわれのすべての認識の基盤ならびにその真
の内容は、直観的な世界の把握のなかに存在する。だがこれはただわれわれ自身によって得られるので
あって、なんらかの方法でわれわれにもたらされるのではない。したがってわれわれの道徳的な価値
も、はたまた知的な価値も、外からわれわれのなかに来るのではなく、われわれ自身の本質の深奥から
0580幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/02/16(日) 14:16:53.180
湧出するものである。そのため、たといペスタロッチ流の教育方法を用いようとも、生まれながらの愚者
を思考する人間に仕立てあげることはできない。けっしてできない! こうした人間は愚者として生ま
れ、そして愚者として死ななくてはならぬ。――本章のまえの部分で記したような、最初に接した眼に
見える外界についての意味深長な把握ということから、われわれの子供のころの環境や経験がなぜ記憶
のなかにはっきりと植えつけられているかということが説明できる。すなわちそのころのわれわれは、
外界の把握になんら心を乱されることなく集中しており、そのさい気を散らすことなど少しもない。そ
こでわれわれは眼のまえにある事物を、まるでそれだけがそれらの種であるように、そればかりか一般
にまったく単独に存在するかのように見なしている。その後、年がたつにつれて、われわれはもろもろ
のわかりきった対象の一群によって勇気と忍耐を奪われることになる。――ここでわたしの主著のなか
の問題のくだり(三七二頁以下、第三版四二三頁以下)で述べたこと、すなわち、すべての事物の客観
的存在、つまり単なる表象のなかの存在はまったく楽しいものであるのに反して、欲望のなかに存在す
る主観的存在は苦痛と憂いによって強く汚染されているという教説を思いおこす人ならば、この間の事
情の簡潔な表現として、すべての事物は見ればすばらしいが、それがあることは恐ろしい、という定理
がうちだされても異存ないであろう。こうしたことに関連して言えることは、子供のころは、われわ
れにとって重要なのは意志の側面つまり存在の側面よりは、表象つまり客観性の側面、いうなれば見る
側面であるということだ。この側面は事物の愉しい面であるために、われわれには主観的で恐ろしい面
がまだ知られていない。したがって幼少のときの知性は、現実や芸術が眼前にくりひろげる形象のすべ
てを、やはりほんとうにとても幸せなものと受けとる。そしてこうした子供は、もろもろのこうした形
象は見た目にも美しいものだから、もしこうしたものが実際にあるとしたら、もっとずっと美しいだろう
0581幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/02/16(日) 14:37:14.890
と考える。したがって、その子の眼のまえの世界はエデンの園のようなものである。これこそ、われわ
れすべてが生まれあわせたアルカディアである。そのために、少し年がたつと、われわれをこの世の喧
騒のなかに駆りたてていく現実の生への渇望、行為と苦悩への衝動が生ずる。そしてこの世のうちで、
われわれはやがて事物のほかの側面、すなわち、一歩を踏みだすごとに立ちはだかってくる欲望の側面
を学ぶようになる。こうしてしだいに幻滅はつねにますます大きくなり、ますますひどいものとなる。こう
した事情によって、子供のころは、われわれにとって生は遠くから劇場の装飾を見るようなものだが、
老年には同じものをごく近くから見るようなものだと言うこともできる。
※おお幼年時代よ! そのころにはまだ時間はきわめて緩慢に進み、事物は未来永劫をつうじて
 いまのままとどまるために、ほとんど停止しているように思われる。
 子供のころが幸せなのは、最後につぎのような事情もある。春さきにはすべての木の葉が同じ色でしか
もほとんど同じ形をしているように、われわれも小さい子供のころは全員がおたがいによく類似し調和
し、したがっていずれもすばらしい。ところが思春期になると、分散が起こり、それが中心から遠のく
円の二つの半径間の距離のようにどんどん大きくなるということだ。
 生涯の後半よりははるかにすぐれた点のある生涯の前半の残りの部分、つまり青年期を暗くするも
の、そればかりか不幸にするものは、生のなかでいつかはめぐり会えるにちがいないという前提に立っ
て幸福を追求することである。このことから、つねに希望がかなえられないことが生じ、さらにこれか
ら不満足が生ずる。青年期のわれわれの眼前には、夢で見たはっきりしない幸福の像が、勝手気ままに
選ばれた姿を取り、揺れながらただようため、われわれはいたずらにそのもとの姿をとらえようとつとめる。
0582幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/02/16(日) 15:04:21.310
 したがってわれわれは青年時代には、それがどんなものであろうと、われわれの置かれた状況や
環境にはほとんどの場合不満である。それはわれわれがまったくほかのことを期待していたために、い
まになってお近づきになった人間生活にはつきもののむなしさ、まずしさをわれわれの置かれた状況や
環境のせいにしてしまうからである。――もし人がタイミングよく人に教えられ、若いときに、この世
では多くのものを獲得できるという迷妄を根絶やしにすることができれば、得るところには大きいであろ
う。だがほとんどの場合、われわれは生を現実よりも早くフィクションによって知るようになるという
事情から、逆のことが起こってくる。もろもろの文芸作品によって描きだされた場面は、なんといって
もわれわれが若くていわばあけぼのの時代にあるために、眼のまえですばらしい姿をくりひろげる。そ
こで、われわれはそれを現実のものとしたい、虹をつかみたいという憧憬に駆られる。若者はおのれの
生涯も面白い小説のかたちをとるよう期待する。そこでわたしがすでに前述の主著の続編(三七四頁、
第三版四二五頁)で述べた迷いが生ずる。なぜなら小説中のもろもろの形象に魅力が与えられているの
は、じつはこれらの形象がたんに絵空事であって現実のものではなく、したがってわれわれとしても、
それを鑑賞するにあたって純粋認識の平穏さと満足感に安住するからである。現実のものとなるという
ことは、欲望によって満たされることを意味する。そしてこの欲望が不可避の苦痛をもたらすのだ。こ
の問題に関心のある読者はわたしの主著のこのことを扱ったくだり(四七二頁、第三版四八六頁)を参
照されたい。
 こうして人の全半生の性格が幸福への満たされない憧憬であるとすれば、後半生を特徴づけるもの
は、不幸への配慮である。なぜなら、人生も後半にはいると、すべての幸福はたわごとであり、これに
反し苦しみは現実のものであるという認識が多少なりともはっきりと身につくからである。したがって
0583学術
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2020/02/16(日) 16:27:38.780
タロットの愚者引いたよ。カードゲームもなんかいいぜ?
0584考える名無しさん
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2020/02/16(日) 18:00:47.360
研究書読むと弟子がいたそうだけど、弟子達の翻訳がない
読んでみたかったな
0585考える名無しさん
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2020/02/16(日) 20:05:35.710
>>584
よく見たらシュ夕(ゆう)イナーだけじゃなく
ルドノル(のる)フ・シュ夕(ゆう)イナ一(いち)になってるじゃん
「シュタイナー 5ch 27」でググったら普通に出てくるけどw
0586考える名無しさん
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2020/02/16(日) 22:53:04.930
>>584

よく見たらシュ夕(ゆう)イナーだけじゃなく
ルドノル(のる)フ・シュ夕(ゆう)イナ一(いち)になってるじゃん
「シュタイナー 5ch 27」でググったら普通に出てくるけどwww
0587幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/02/17(月) 18:29:45.960
Arthur Schopenhauer
https://cs.wikipedia.org/wiki/Arthur_Schopenhauer

Ve Frankfurtu proslul svou samotářskou povahou i mnohým podivínstvím
(na dlouhých procházkách vedl rozhovory se svým pudlem Atmou, léta chodil plavat do Mohanu).


ショーペンハウエルはフランクフルトに引っ越してから、数年間はマイン川で泳いでいたそうだ。

この情報はどこにもないぞ?(*^^*)
0589幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/02/17(月) 21:23:25.440
この年配になると、少なくとも理性的性格の持ち主は楽しみよりもたんに苦痛のないこと、わずらわされ
ないことを目ざして努力するようになる。――わたしも青年時代には、ドアで呼鈴が鳴るといい気持ちに
なった。それはわたしが、やっとそれ(楽しみ)が来たと思ったからだ。ところが後年になると、同じ
ことが起こっても、わたしは恐れに似たなにものかを感ずるようになった。「ついにあれ(不幸)が来
たか」と考えるわけだ。――人間生活に対して、すぐれた、しかも素質に恵まれた人びとは二つのまった
たく対立した感覚をもっている。なんとしても彼らは完全に根っから人間社会に属しているわけではな
く、したがって、彼らの卓越性の程度に応じ、多少なりとも孤独の境地に立たされるという事情があ
る。ともかく彼らは若いときにはしばしば、人間社会から捨てられたと感じるが、年をとると逆に、人
間社会から脱却したと感じる。この二つの感覚をもつわけだ。はじめの感情は人間社会となじみになっ
ていない不愉快なものであり、あとの感情は、人間社会のことを知りつくしたあとの快いものである。
――この結果、人生の後半は音楽の楽段の後半のように、野心は前半のように多くはない反面、落ち着
きをそなえている。一般に、どうしてそのようになるかというと、それは人は若いときには、この世は
幸せや楽しみにめぐり会えるすばらしいところだが、ただ実際にはそうしためぐり会いはむずかしいの
だと考える反面、年をとると、この世で幸せや楽しみを得ることはできるわけはないと、このことにつ
いては完全に心を鎮めており、どうにか我慢できるという現在に満足し、そのうえささやかなことにも
喜びを見いだすようになるからだ。――
 壮年に達した人がそれまでの生涯の経験をつうじて獲得したもの、そしてこの人に、青少年期とはち
がったふうにこの世を見るようにさせたものは、ものにこだわらないという態度である。この人はまず
なにはともあれ、事物を単純にながめ、そのあるがままの姿で受け入れる。ところが青少年のころは、
0590幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/02/17(月) 21:44:38.620
自分でつくりあげた気まぐれ昔から伝わってきた偏見、それに奇妙な空想の合作による虚像が、真の
世界を覆いかくし歪曲しているのだ。なぜなら経験が取り組んでまず見いだしたものは、若いころにつ
くりあげられた妄想や誤った概念からわれわれを解放することだからである。こうした誤ったものから
若者たちを保護するのが最良の教育であることはいうまでもない。このことはたしかに消極的なことで
はあるけれども、きわめてむずかしい。このためには、子供の視野をはじめはできるだけ狭め、しかし
そのなかでは、子供に純粋ではっきりとした正しい概念を与えるようにしなくてはならない。そして子
供が狭い視野のなかにおかれたものすべてを正しく認識するようになったあとは、つねにぼんやりした
ものや生半可な、あるいはまちがって理解したものがそのまま残存することのないよう注意しながら、
子供の視野をしだいに拡大していくことだ。このようにしていけば、事物や人間関係についての子供の
正しいものとなる。したがって、それらの概念は拡大させることは必要だとしても、矯正する世話はい
らない。こうして青年期まで進めていくことだ。この教育法はとりわけ子供に小説類を読ませることを
許さず、これをたとえば、『フランクリン自伝』やモーリツの『アントーン・ライザー』(1)のような適当
な伝記類によって代替させることを求めている。――
 (1)ドイツの作家カール・フィーリプ・モーリツ(一七五六―九三)の自伝的作品。
 若いときにはわれわれは、自分たちの人生行路のなかで、重要なしかも影響するところの大きい出来
事や人物は太鼓やラッパの鳴りもの入りで登場すると思っている。ところが年をとって回想してみる
と、重要人物や大事な事件はすべて、まったく静かに、裏口から、ほとんどだれの注意もひかず忍びこ
んできたことがわかる。
0591幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/02/17(月) 22:05:54.960
 これまで考察してきた点について、さらに生は刺繍した布地に比較することもできる。だれでも人生
の前半にあってはその表の側を見、後半にあってはその裏側を見ることになる。裏側は美しくはないけ
れども、教えるところは表より大きい。それは裏側が糸の結ばれぐあいをわからせてくれるからであ
る。――
 精神的な卓越性は、最大のものですら、いざ会話になると、四十歳をこえてはじめてその決定的なす
ばらしさが現われるようになる。それというのも年齢の円熟、経験の豊かさは、たしかに精神的な卓越
性によっていろいろの面で凌駕されることはあるけれども、これによって取って代わられることはけっ
してないからである。そればかりか、年をとり経験豊富なことは、きわめて平凡な人にも、相手が若い
かぎりでは、相手のきわめて偉大な精神力にあるていど対抗できる重みを与えてくれる。わたしはこ
こではたんに人格について言っているだけで、作品のことを問題にしているのではない。――
 どこかにすぐれたところのある人、つまり自然があまりにもわずかしか恵んでくれなかった六分の五
の人々に属さない人は、四十歳をこすと、ある種の人間嫌いにまったく染まらないでいることはむず
かしい。なぜなら、きわめて当然のことだが、この人は自分のことから他人のことを推しはかり、しだ
いに幻滅し、やがてはほかの人びとは頭の面で、それとも心の面で、しかしほとんどの場合は両面で自
分より遅れており、自分とはどうしてもうまが合わないことを悟るからである。そのためこの人は、彼
らと交際することを喜んで避けるようになる。それは、一般にだれでも、おのれにそなわる内面的価値
の程度に応じて、孤独を、すなわちおのれひとりを相手どることを愛したり、あるいは憎んだりすると
いう事情があるからである。この種の人間嫌いのことを、カントも『判断力批判』のなかの第一巻・第
二九節「一般的注意」の終わりのところでとりあげている。
0592幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/03/24(火) 00:53:43.500
 若者が人びとのやることなすことに、いちはやく適応するようになるばかりか、すぐにそこに安住
し、まるであらかじめ用意していたように、こうしたただなかに埋もれていくことは、知的ならびに道
徳的に見て好ましくないしるしである。この若者は凡人となることがすぐわかる。これに反し、他人の
やることなすことに対して、どうしてもなじめないといった態度、とまどった、ぎこちない、おかしな
態度をとることは、その若者がずっと高級な種類の本質をそなえていることをほのめかしている。
 われわれが若いとき、朗らかで活力に満ちているのは、ひとつには、そのころのわれわれは登山の途
中であって、死を見ないからである。死は山の向こう側にあるからだ。ところが山頂を越えると、われ
われはそれまではただ伝聞をつうじてだけ知っていた死を、実際に見ることになる。それというのも、
その年配になると生命力は退潮しはじめ、活力も減退するからだ。したがって、こうした時点では、陰
うつな真面目さが若々しい尊大さを駆逐し、それが顔つきにも現われてくる。われわれは若くありさえ
すれば、だれがなんと言おうと気にかけず、生を無限のものと考え、その気持ちのまま時をすごしてしま
う。われわれは年をとればとるほど、時間をますます惜しむようになる。なぜなら年をとるとわれわれ
は、やりすごした一日についてもつ気持が、一歩ごとに処刑台に導かれていく犯罪者がもつ感情と似た
ようになるからだ。
 若者の立場から見れば、生は無限に長い未来であり、老人の立場から見れば、生はきわめて短い過去
である。したがって人生の終わりになると、接岸レンズをとおして見たときのようなありさまを示す。
生がいかにも短いものであるかを認識するには、老人とならなければ、つまり長生きしなければならな
い。――時ですら、われわれの若いときには、はるかにゆっくりとした足どりを見せた。したがって、
0593幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/03/24(火) 01:09:02.640
われわれの生涯のはじめの四分の一は、最も幸せであるばかりでなく最も長いので、きわめて多くの記
憶を残してくれる。そしてだれでも、生涯のこの時期が話題にのぼれば、この時期についてそれ以降つ
ぐく二つの時期よりも、ずっと多くのことを騙ることができるであろう。さらに、一年のうちの春のよ
うに、生涯のこの時期には、いやになるほど日が長い。人生および季節の秋には日は短くなるけれど
も、それはいっそう朗らかで落ち着いたもんとなる。
 生も終わりに近づくと、人は生がいずこにとどまっているのかを知らない。だがなぜ年をとると、こ
れまで過ごしてきた生涯があんなに短く見えるだろう? それは、生涯の記憶が少ないために、自分
の生涯そのものも短かったと考えるからだ。すなわち、自分の記憶のなかから、すべてのささやかなも
の、多くの不愉快なものが取り去られるため、記憶全体としてもいくらも残らないことになる。学んだこ
と、体験したこと、この二つがいずれも忘却の淵に沈まないようにするためには、それぞれ練習したり
熟考したりしなくてはならない。だがわれわれは、ほとんどの場合、些細なもの、そして不愉快だった
ものをあらためてよく考えていこうとはしないものだ。だがほんとうは記憶のなかに保存するために、
こうしたことについて熟考することは欠かせないことだ。しかしささいなことは増加するいっぽうであ
る。それというのも、なんども、そしてしまいには無限に繰り返されることによって、われわれにとっ
てそれことはじめには重要に思われた多くのことが、しだいにつまらないものに思われてくるからだ。
したがってわれわれは、若いときのことを年をとったときのことよりもずっとよく覚えている。われわ
れが長生きすればするほど、記憶のなかに固定させるには不可欠の反芻を行なうほどに事物の動きが重
要かつ意義深いものとは思われなくなる。したがってさまざまな出来事も、過ぎ去ったとたんに忘れられる。
0594考える名無しさん
垢版 |
2020/03/25(水) 00:23:59.740
仏教は、究極の後ろ向き思想
0595考える名無しさん
垢版 |
2020/03/25(水) 00:25:05.420
ドイツの観念論と、インドの唯識論を統合した
0596考える名無しさん
垢版 |
2020/03/26(木) 12:55:21.700
ショーペン思想もネガティブ過ぎる
それでも共感しまくるけど
0597考える名無しさん
垢版 |
2020/03/26(木) 13:55:52.010
でもほんとに知性があったらいろいろ克服して人生を楽しめる生活ができるものだと
「幸福について」もそうだけど、やっぱり不幸回避的なことになるかなとは思う
0598幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/03/27(金) 23:27:38.010
豪猪(ヤマアラシ)の一群が、或る寒い日に、寄り合い、銘々の体温で暖め合って凍えるのを防
ごうと、ぴったりとくっつき合った。しかし、間もなく、彼らは、銘々の棘の痛さを感じて、
やがて、離れ離れになってしまった。だが、再び凍えそうになると、暖まりたくなって、またも、
くっつき合ってはみたものの、前に起こった災いが、同じように繰り返され、こうして、
これら二つの苦痛の間を、行きつ戻りつ、やっているうちに、とうとう、互いに或る
適当な間隔を保てば、その状態で最も具合がよくじっとしていられるということを見つけ出した。
―― 人間でも、ちょうど、それと同じように、自己の、内心の空虚さと単調さとから生じた
「社交の欲求」が、互いに寄せ集めるけれども、人間がそれぞれに持つ多くの厭うべき
特質と堪えがたき欠陥とは、再び、彼らを互いに突き放す。彼らが最後に発見した − そこで、
どうやら一緒になって生きてゆくことが出来そうな ― 中庸の距離間隔が、則ち、礼譲といい、
上品な風習というものなのである。この大切な距離間隔を保てぬ人がいると、イギリス人は
″KEEP YOUR DISTANCE!″(あなたがたの距離を守りなさい!」)と言ってたしなめる。――
なるほど、このような距離間隔があるために、銘々の温まろうとする欲求は、とても完全に満たさ
れるわけにはいかないが、その代わりに、棘で刺される苦痛を感じないですむ。――しかしなが
ら、自己のうちに多くの暖かさを持っている人は、寧ろ、社交から遠ざかってしまう。そう
すれば、他人に迷惑をかけないし、自分も迷惑をこうむらずにいられるから。
0599考える名無しさん
垢版 |
2020/03/28(土) 01:17:07.540
丸1日誰とも話さない孤独な生活はやはり異常に思える
ゆえに社交性は大切
0600考える名無しさん
垢版 |
2020/03/28(土) 01:28:33.620
なんか知性ってやっぱり地球を少し遠いところから眺める様な感覚なのかなとは思う
そういう風に悟ったら自分のことすらちょっと他人に思えてくるだろうし実は存在すら無いようなものだと

家族や友人とか社会や労働から離れるとこんなことを考えてしまうね
0603幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/03/29(日) 17:28:09.820
 さてわれわれがこうした実地の応用はひとにまかせ、われわれの本来の見地、すなわち、倫理的・形
而上学的な見地に帰るならば、第四一章の内容と本章の内容とを結びつけることによって次のような結
論が生じよう。この結論は、あくまで経験を超越したものであるが、しかし直接の経験によって保証せ
られている。――先祖から現在の嫡男にいたるまで一族のすべての子孫のなかに生きているものは、同一
の性格、すなわち、個別的に規定された同一の意志である。しかしこれらの子孫のなかのどの子孫の
場合も彼には別の知性が、すなわち、程度においても種類においても異なる別の認識が授けられている。
そのためこれらの子孫のなかのどの子孫の場合も生が彼にたいし別の側面から別の光に照らされて現わ
れる。彼は生の新しい根本的見解、新しい啓示を獲得する。なるほど、知性は個人とともに滅び去るた
め、この意志は、一代で獲得した知見を他の代で獲得されるごとに、その結果として彼の意欲自
身が別の方向を与えられ、またその方向によって変化を受け、こうして、これが大事なことであるが、こ
の変化に応じてあらためて生を肯定するか、否定するかしなければならない。こうして、生殖のために
男女の両性が必要であるということから生ずる自然の配備、すなわち、意志と知性の組合せがつねに変
わるという自然の配備が、救済の秩序の基礎となる。というのは、この秩序のおかげで、生は意志(その
模像と反映が生である)にたいしたえず新しい面をさし向け、いわば、彼の見守るまえで休みなく回転
して見せるのであり、生を肯定するか否定するかはともに彼の自由であるが、この両者いずれかを生の
見方の変わるごとに彼を決断させるために、手を変え品を変え絶えず別の生の見方をもちだし、彼に
たいしてその効果を試みさせるのである。
0604幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/03/29(日) 17:35:33.400
 ただし、彼がいったん否定の方向の道を決断したとなれば、彼のまえに見られる
全現象は死とともに消滅する。そこで同一の意志にたいし救済の道を開いておくものが、
新しい世界観を授けるほかならぬ知性の不断の更新と完全な変化であり、しかも知性は母親から伝えら
れるのであるから、これが深い理由をなすものと思われるが、あらゆる民族(例外は非常に少なく、い
や、例外かどうか、それもあいまいなくらいである)は兄弟姉妹間の結婚を忌避し、これを禁止してい
る、いやそれどころか、実際に男女の愛は兄弟姉妹間に生じないのである。ただし、彼のうちの一方が
私生児か、でなければ衝動の不自然な倒錯にもとづく非常にまれな例外の場合は別であるが。というの
は、兄弟姉妹間の結婚が行われれば、両者ともに両親のなかにすでにある同一の意志と同一の知性が
結びつき、そのため、すでに存在している現象をあてもなくくり返すだけだからである。
0606考える名無しさん
垢版 |
2020/03/29(日) 23:39:57.480
5chは長すぎると改行しないとレスできないんだぞ
長文書いたことないのかな
0608幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/03/31(火) 12:49:13.710
>>593の続き

こうして時は、ますます足跡を残すことなく経過していく。――さらにわれわれは、不愉快なこと
を好んで考えてみようという気持にはならない。とくに、ほとんどの不快事がそうであるように、わ
れわれの虚栄心が傷つけられたことなどはとくに反省してみようという気にはなれない。なぜなら、わ
れわれ自身のせいではない苦しみなどは、ほとんどわれわれにふりかかってくることなどないからだ。こ
うして、多くの不愉快なこともやはり忘却される。些細なこと、不快なこと、この両者を忘れるために
われわれの記憶はますます少なくなる。しかも記憶の素材である人生が長ければ長いほど、比較的最近
のものしか記憶できなくなる。人が乗っている船から遠ざかっていく岸辺の対象がどんどん小さくな
り、ぼんやりとし、しまいには見分けるのがむずかしくなるように、われわれの過ぎ去った歳月、その
ころの振る舞い、体験なども、時間がたてばたつほどあいまいになる。それでもときには、記憶と空想力
がわれわれのはるか昔の生活の一場面を、まるで昨日のことのようにいきいきと再生し、まったくわれ
われの身近なものとして迫ってくることもある。なぜこのようなことが起きるのであろうか? それは
なんといっても、現在とあのころとのあいだの過ぎ去った年月を同等に想起することができないからで
ある。これらの年月は一つの像のなかにおさめて見るわけにはいかないし、その間に起こったことの大
部分は忘却されている。そして、このことについての単なる一般的認識が抽象的に、つまり直観ではな
くたんなる概念として残るだけである。こうした理由で、かなり昔に過ぎ去ったことが、個別的にはまる
で昨日のことのようにわれわれにきわめて身近に現われる。それでいて、そのころと現在とのあいだの
時間は消滅しているため、全生涯が不可解なほど短いものに思われてくる。そのうえ年をとると、とき
には、われわれがあとに残してきた長い過去と、さらにわれわれ自身の年配とが、一瞬間、まるでおと
ぎ話のようなものに思われてくるときがある。一般になぜこうしたことが起こるかというと、それは、
0609幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/03/31(火) 13:01:11.070
われわれは年をとってもいぜんとして、つねに同じ現在を見ているからである。だがこの種の内面的な
動きは現在のところ、われわれの本質そのものでなくわれわれの現象だけが時間のなかにあるのであ
り、現在は客観と主観の接触点であるという事情にもとづいている。――それならばふたたびきくが、
若いとき人は、今後にひかえている生をなぜあのように果てしないほど長いものと思うのであろうか?
それは、若者が胸にいだく果てしない希望、そしてこれを実現するためにはメトシェラでさえ早死に
だったと思われるほどの長い年月を要する希望のために、場所を用意しなくてはならないからであ
る。これらの歳月についての記憶のなかには素材が充満しており、したがってこれらの歳月は長い。な
んとしても新奇なことはすべて重要に思われ、つねに反芻されるため、記憶のなかでしばしば繰り返さ
れ、記憶のなかに定着するのだ。
 ときどきわれわれは、はるかな場所に行ってみたいとあこがれることがある。しかしほんとうは、こ
のときわれわれはただ自分たちが若く溌剌としていたころ送った時に憧憬を感じているのだ。そうなる
と、空間の仮面をかぶった時間がわれわれをあざむくことになる。われわれが旅に出ると、この迷妄に
気がつく。――
 高齢に達するためには、「欠かせない条件」としての欠点のない体質とともに、二つの方法がある。
これを二つのランプの燃え方を例にとって説明することができる。一方のランプは長くともる。このラ
ンプにはあまりたくさん灯油ははいっていないけれども、しんが長いからである。もうひとつのランプ
も長くともる。それは強力なしんがあり、灯油の量も多いからである。種類、方法のちがいはあれ、と
にかく灯油は生命力であり、しんはその消費である。
0610幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/03/31(火) 13:14:16.310
 生命力について言えば、三十六歳までは利子生活者に比することができる。きょう支出したものは、
あすはふたたびはいってくる。だがこの年齢あたりからわれわれは、元本にまで手をつけはじめた
金利生活者とそっくりになる。はじめのころは、いったいどうなっているかはあまりよくわからない。
支出の大部分はつねにおのずと還ってくるので、多少の赤字は問題とされない。ところが赤字はしだい
にふえ、しかも赤字がとまる見込みはない。したがって物体が落下していくときのように、欠損はつねに
促される。そして最後にはなにも残らなくなる。ここで比較してた二つのもの、つまり生命力と財産
がともに実際に失われようとする姿はまったく物悲しい。まさにこうしたことから、年をとるとともに
所有欲が高まる。――これに反し、生まれてから青年に達し、さらにそれからしばらく年をとるまでの
われわれは、生命力という点では、利子を資本蓄積に役立てる者と似ている。すなわち支出したものが
保護者の配慮が加わっていれば、ときには同時に金についてもいえることになる。おお、なんと幸せな
若者であろう! そしてなんと悲しい老人であろう! ――それにもかかわらず、人は若いときの力を
いたわるべきである。アリストテレスは(『政治学』最終巻・第五章)オリンピック競技の勝利者のな
かでは、ただの二、三人が少年のときも勝ち、また大人になってからも勝ったと指摘した。それという
のも、まえまえからの準備を必要とする青少年期の鍛錬は、もろもろの力をあまりにも使いつくしてし
まうために、こうした力は、そちに大人になったときに消滅するからである。筋肉の力についていえる
ことは、すべての知的な業績を生み出す神経の力についていっそうぴったりとあてはまる。したがって
温室内での教育が生み出した神童たちは、たしかに少年期には人びとを驚かすけれども、その後はふつう
人並みの頭脳しかもてなくなる。
0611幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/03/31(火) 13:30:52.730
そればかりか。多くの学者たちの頭脳が後年きわめて弛緩し、判断力も
なくなるのは、彼らが若いときに、無理に古典語を学ばされたせいかもしれない。――
 わたしは、ほとんどすべての人の性格は、それぞれの年齢にうまく適合しているように思われると指
摘した。そのために、人の性格がその年齢にぴったりと合ったときには、その人が受ける利益はいっそ
う大きなものになる。一部の人びとは愛すべき若者であったが、もっと年をとるとそうはいかなくな
る。また他の人びとは壮年期には力強く活動的だが、年をとるとこうした価値は失われる。多くの人び
とは、老人になっていちばん利益を受けるようである。彼らは老人になると、なんとしても経験がいっ
そう豊かになり、しかも落ち着きを増すために、より柔和になってくる。こうした人びとはしばしばフ
ランス人のあいだに見うけられる。どうしてこのようになるかというと、それは、そもそも性格にはそ
れぞれ若者らしいところ、あるいは壮年めいたところ、それとも老人のようなところがあり、それに
よって性格がそれぞれの年齢に適合したものとなるか、あるいはこれを矯正するものとして作用すると
いう事情があるからである。
 船に乗ると、その動きが、ただ岸辺の対象がしだいに遠のき、したがって小さくなっていくことに
よってのみわかるように、人は自分が年をとり、さらにもっと老人になっていくことを、どんどん年を
とっていく人びとが若いように見えるということによって悟るようになる。
 すでにまえにも、人が見ること、なすこと、体験することのすべてが、年をとるにしたがってますま
すわずかしか精神のなかに残らなくなるという状態やその理由を述べておいた。この意味で、人はただ
若いときだけじゅうぶんな意識を備えて生きていくが、老人になるとわずか半分の意識しかもってい
ないようになるということが主張できる。事物はなんらの印象も残さず、急いで過ぎ去っていく。
0613考える名無しさん
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2020/04/03(金) 17:13:20.920
脱俗隠遁の生活で経済活動からどれだけ逃れてやって行けるかがやはり重要だなと
今の時代に自給自足はもちろん無理があるけど、まずはなるべく消費しない(お金を使わない)ことだよね
0614考える名無しさん
垢版 |
2020/04/03(金) 17:20:40.030
著書の幸福についてで心構えや解釈については延々と語られてるけど、
お金や実生活のことについては殆ど触れられてないのはやはり経済的な不安無い財産で生活できてたからなんだろうな
0615考える名無しさん
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2020/04/03(金) 17:23:38.900
その辺のこと(実生活について)はソローの森の生活とかで語られてるかな
0616考える名無しさん
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2020/04/03(金) 18:32:19.040
仕事や家庭も含めた「生活に追われる生活」ではなく、まずは健康や平静を重視した日々を送ること
0617考える名無しさん
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2020/04/03(金) 18:38:58.570
今世の中はコロナだけど、それに影響されることもない立ち位置に居ることが必要なんだろうな。
0618幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/04/07(火) 08:44:55.380
これは、千回も見た芸術作品がなんの印象も与えないのと同じような事情にある。人はしなくてはならない
ものをするけれども、あとになると、自分がそんなことをしたかどうかもわからなくなる。そもそも生
は、それが完全な無意識にむかって突進するにつれて、つねにますます意識されないものとなってくる
が、まさにこのことによって、時の流れもつねにいっそう促進されることとなる。子供のころは、すべ
ての対象、あらゆる出来事の新しさが意識にのぼる。したがって日は果てしなく長い。同じことが旅に
出たときにも起こる。そこで旅行中の一か月は、家にいるときの四か月よりも長いように思われる。こ
うした事物の新しさによって、若いとき、そして旅に出たときの二つの場合には、それぞれ年をとったと
き、あるいは家にいるときよりも長いように思われる時間が、実際に「長い」ことになってもおかしく
はない。そうはいっても、長いあいだこの習慣によって、しだいに知覚や知性がすりへらされてしま
うために、すべてのものがつねにますますなんらの刺激も与えないで過ぎ去っていくということもあ
る。こうなると、毎日はますます無意味なものとなり、しかも日はいっそう短くなる。少年時代の一時
間は、老人の一日よりも長い。したがってわれわれの生の時間は、ちょうど斜面をくだり落ちる球のよ
うに加速される運動である。さらに回転する円盤状の中心から遠い点ほど、より速く回るようなもので
ある。したがってだれでも、その人の誕生のときから遠のくにしたがって、時間はつねに速く過ぎ去る
いっぽうである。こういう事情からして、われわれのこの間の気分を直接たしかめるにあたって、年月
の長さはわれわれの年齢の長さと逆の係数の関係にあるというふうに考えることもできる。たとえば一
年がわれわれの年齢の五分の一にあたるときは、同じ一年でも、一年がわれわれの年齢の五十分の一に
しかあたらないときの十倍も長いものに思われる。時の歩みが異なっていることは、どの年齢をとって
も、われわれの存在のすべてのあり方に最も決定的な影響を与える。
0619幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/04/07(火) 09:00:06.210
その第一の影響は、たといそれが
わずか約十五年にすぎないにしても子供時代は一生のうちの最も長い時間であり、したがって記憶のな
かに最も豊かに残されるということである。さらにわれわれが、われわれの年齢の高さに反比例して退
屈にさらされるという影響も出てくる。なんといっても子供たちは、遊びでもよい仕事でもよい、つね
にひまつぶしのたねを必要とする。もしたねぎれということになると、彼らは一瞬恐ろしいばかりの退
屈に襲われる。青年でもまだ退屈に陥りがちであり、そのため彼らは充実されていない時間が心配でな
らない。壮年では退屈はだんだんなくなる。老人になると時はつねに短く、日々は矢のようにすみやか
に過ぎていく。ここでわたしが人間について語っているのであって、年とった牛について語っているの
ではないことはおわかりだろう。こうして時の歩みが加速されるために、老年になるとほとんどの場
合、退屈は退散する。それに、苦痛を伴うもろもろの情熱も黙りこむ。したがって、あまりにも
高齢となって体も弱くなり、さらに苦労もふえるようになるまえの年配を「最良の年」とよぶこともで
きる。われわれの快適さについては、たしかにこの年配はほんとうに最良の年であろう。これに反し、
すべてのものが印象を与え、あらゆるものがいきいきと意識にのぼる若いころの歳月は、精神を実らせ
る時であり、精神に花を咲かせる春であるという長所をもっている、意味深長なもろもろの真理は、た
だ観照されるだけであって、けっして計算できるものではない。その手はじめとなる認識は直接的なも
のであり、瞬間的印象によって呼びおこされる。したがってこうした認識は、瞬間的印象が強く、いき
いきとしかも深いときにだけ登場する。こうしたことからしても、すべてが若いときの利用いかんにか
かっている。もっと年をとると、われわれは他のことに、そればかりか世間のことに、より多くかかり
合うことになる。それは、われわれ自身が完成し、それなりに固まり、もはや印象に左右されなくなるからだ。
0620考える名無しさん
垢版 |
2020/04/07(火) 09:27:59.130
         、_,i|::::::::::|:::::i::::::::|:::i:::::i::::::|::::::::i//.::::::::::::::::/.::::::ヽ._ノ
.              /i|:::::::::{::::i:|:::::::::_;L:::ノ>く:::::::::::/:/.:::::.f
            〈:八:::::::::ヽj」-'′            ゙̄Y:::/.::::::::}i:,
           ∧:::.\::::ノ                 V.::::::::::ノハ
            〈::::;::::ヽ::У        )             ::::::〃::::::〉
            ∨ヘ:::::〉                         \i|:::::::∧
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            |′                      ⌒   ∨{
                ,゙                           V}
             :                  /             ゙:
             l         \      ,             i
             l           ヽ、ヽ ノ  今 日 も 終 日 中 年 ひ き こ も り 板
            l              ^ 入!              !     
                ゙.  __________r´_|______   !
              Y゙´ ̄`゙'ー-=ニ   ∞    _ニ=‐-'^ ̄ ̄ ̄Y  
                '.         `丶、   γ'´         ! 
                 '.           ^「こ:r′            |
                 '.          |⌒|               |
                   ゙.              |  |       .       |



今日も過疎5ちゃんで がんばってね

ダメ人間
0621幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/04/09(木) 13:11:09.830
だがそうなると、世界はわれわれにより少なくしかはたらきかけなくなる。この時代はした
がって行為行動の時である。いっぽう若いときは本源的な把握と認識の時である。
 若いときには直観が、年をとると思考が勢いをふるう。したがって若いときは詩のための時代であ
り、老年は哲学のための時代である。また実際面でも、人は若いときには、自分の眼に見えたものとそ
の印象によって、老年になると、ただ思考によってのみ左右される。どうしてそうなるかというと、そ
れはひとつには老年になってはじめて自分の眼で見てきたものの数がこれでじゅうぶんというほど多く
なり、しかもこれらのものに豊かな意味、内容、信頼感を与えることができるほどの概念がそなわり、
それと同時に自分が見聞きしたものの印象を、習慣的に適度に制御することができるようになるからで
ある。これに反して若いとき、とくにいきいきとした空想力に富む頭脳を有する者の場合には、自分が
見たものの印象、つまりは事物の外面から受ける印象があまりにも強力なために、世界をひとつの像と
見なすようになる。したがって彼らにとってもたいせつなのは、主として、いかにこの像に対処する
か、そしていかなる態度を示すかということである。彼らにとってはこうしたことのほうが、自分がそ
のさいいかに考えるかということよりもたいせつになる。このときはすでに、若者が個人的虚栄心が強
く、やたらと着飾ってみようという気持をもっていることにも現われる。
 精神力の最大の精力と最高の緊張は、疑うまでもなく若いときに出現する。おそくとも三十五歳まで
に現われる。それからあとは、こうした精神力のエネルギーや張り切り方はきわめて緩慢ではあるけれ
ども、とにかく減少していく。そうかといって、中年、いや老年でも、精神的な代償がないわけれはな
い。中高年齢層に達して初めて、経験・学識は豊かなものとなる。この年配になった人には事物をあら
ゆる側面から観察し、考察するための時間や機会にたっぷり恵まれる。
0622幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/04/09(木) 13:23:08.260
彼らはあらゆるものをあらゆ
るものと関連づけ、それらの接触点や連絡ルートを見いだすことができるために、やっとこの年になっ
て、事物の結びつきのありさまを正しくわきまえるようになる。すべてのものがはっきりわかるように
なったのだ。したがって中高年齢層の人びとは、すでに若いときから知っていたことをいまやずっと根
本的に理解するようになる。それはあらゆる概念に対して、その正しさを証明するものがずっとふえて
きているからである。人は若いとき知っていると信じていたことを、老年になってほんとうにわきまえ
るようになる。それに老年になると、人は実際にも多くのことを知るようになるうえに、あらゆる面に
ついて熟考し、それによってまったく本質的に結合した認識を得る。いっぽう、若いときのわれわれの
知識などはどれも抜けたところだらけであり、しかも断片的である。なんといっても年を重ねた人は、
生について完全にしかも適切な考え方をもっている。それはこうした人は生を全体としてとらえ、その
自然の成りゆきをもわきまえており、他の人びとのように生を入口からばかりでなく、出口からも見と
おしているからである。そのためこうした人は、とくに生のむなしさを完全に認識する。これに対し他
の人びとは、これだというすばらしいものがやがて姿を現わすだろうという迷妄にとらわれている。老
人とはちがって、若者にとっては構想ばかりが先に立つ。したがって人は若いときには、自分が知って
いるわずかなものから多くのことをなしとげることができる。しかしその人も年をとると、判断力や、
物に浸透してその根底をきわめる力がついてくる。人は独自の認識、創造的な基本構想、つまり世界の
すぐれた精神の持主に贈られることになっているすべてを、すでに若いときに集めているけれども、そ
の人がおのれの集めた材料を使いこなす巨匠となるのは、もっと年をとってからである。こうしたこと
からしても、偉大なる著述家は彼らの傑作を五十歳のころ提供する場合がほとんどであることがわか
る。たしかに木の梢が実を結ぶのはさきの話にしても、若いときはなんといっても認識の木の根もとである。
0623幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/04/09(木) 14:03:19.630
だが、たといそれがどんな貧弱な時代であっても、あらゆる時代が、自分たちの時代をずっと昔
の時代や過ぎ去ったばかりの時代とくらべてより賢明であると考えるように、人生のあらゆる時期も、
以前の時期よりも賢いと思っている。だが時代にせよ、人生の一時期にせよ、このように考えるの
はまちがっていある。われわれの精神力も認識も日々に向上する体の発育期にあっては、きょうは軽蔑の
念をもってきのうを見くだすものだ。こうした習慣は、精神力が衰えはじめ、きょうはむしろ尊敬の念
をもってきのうを見るべきときになっても、やはり根強く残っている。したがってわれわれは、その業
績についても判断についても、われわれの若いときのことをあまりにも過小評価している。(1)
 (1)〔原注〕だが多くの場合、われわれは時間が最も貴重である青年時代に時を浪費し、老年になってはじ
めて時を惜しむようになる。
 たしかに人間の性格や心のように、人間の知性つまり頭脳も、その根本的な特質については生得のも
のであるけれども、知性は心や性格ほどには不変のものではなく、多くの変化をとげるばかりか、こう
した変化が全体として規則的に現われるということを、このさい一般的に指摘しておく必要がある。知
性がこのように変化するのは、ひとつには知性が肉体的基盤をもっていること、もうひとつには知性が
経験的材料をかかえていることによる。したがって、知性それ自身の力は絶頂に達するまでしだいに成
長し、それからあとは痴愚にいたるまでしだいに衰退してゆく。だが他方ではそのさい、これらすべて
の力をとらえ、活動させる材料、したがって思考や知識の内容をはじめ。経験、見識、練磨、さらには、
これによって得られる洞察の完全さは、いつかはっきりとした弱体化が現われてすべてが消失するまで
は、たえず生長をつづけていく。そもそも人間は一方ではまったく不変のものからなり、そして他方で
は、二重のしかも対立したしくみによって規則的に変化するものからなっている。このことが、さまざ
まな年齢における人間の竚まいや精力のちがいを説明してくれる。
0624幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/04/09(木) 14:16:19.940
 広い意味にとれば、われわれの生涯の最初の四十年は文章そのものであり、そしてその後の三十年は
われわれに文章の真意と脈略を、道徳ならびにそのあらゆるニュアンスとともに、はじめて正しく解明
してくれる解説書であるということもできる。
 人生も終わりごろになると、仮面が取りはずされる仮面舞踏会の終末近くのようなものになる。その
ころになると、人は、自分の生涯のなかで接触してきた人びとがほんとうは何者であったかがわかって
くる。なぜなら、人びとの性格は明るみに出、もろもろの行為の結果も判明し、多くの業績をもそれ相
応に評価され、すべての虚像が退散するからである。だがこうしたことすべての実現には時間が必要
だ。――だがなんとしても奇妙なのは、人はその生涯の終わりごとになってはじめて、おのれの目標や
意図を、それもおのれと世界、おのれと他者との関連において、ほんとうに認識しかつわきまえるとい
うことだ。いつもそうであるとはかぎらないけれども、たしかに人はおのれの目標や目的を、老年にな
ると、若いときにかかげた場所より低目におくようになることが多い。それでもときには、高目におく
こともある。なぜそのようなことになるかというと、それは、そうした人は、この世はむなしいものだ
ということがじゅうぶんにのみこめず、したがって、より高い目標なり目的なりをかかげることになる
からだ。こうしたことからも、いったいその人がどんな人なのかということもわかってくる。――
 ふつう、若いときは人生の幸福なときであり、老年は人生の哀れなときであるといわれている。もし
情熱が人を幸せにするならば、このことも正しいであろう。だが若者は、もろもろの情熱によってあち
こちへと引きまわされ、喜びが少ないのに苦しみばかり多くなる。年をとって冷静になった人は、情熱
に駆りたてられることがなく、すぐにものごとを観照する態度をそなえるようになる。それは認識が自
由になり、優位をしめるようになるからだ。
0625幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/04/09(木) 14:33:53.490
 なんといっても認識はそれ自身苦痛のないものであるため
に、意識のなかで認識が支配すればするほど、それだけますます幸福になる。もろもろの情熱が人を幸
せにできるものでなく、また老人は多くの楽しみを味わうことができないからといって悔むべきではな
いということを理解するためには、すべての楽しみは消極的である半面、すべての苦痛は積極的である
ということを熟考するだけでよい。なぜなら、あらゆる楽しみはつねにただなんらかの欲望を鎮めるこ
とでしかないからである。したがって、欲望がなくなるとともに楽しみもなくなるということは、食事の
あとはなにも食べることができないことや、夜よく睡眠をとると、あとは眠れなくなることと同じよ
うに、あまり悲しむべきことではない。プラトンは(『国家』のはじめで)、老人になると、それまでた
えず人を不安にさせてきた性欲からついに解放されるという点で幸福だとしたが、この考えはきわめて
正しい。そればかりではない。性欲がよびさます多種多様の無限の気まぐれと、こうした気まぐれから
生ずる激情は、人が性欲、つまりその人がつねに憑かれたままになっている悪魔の影響下におかれてい
るかぎり、その人をいつも軽度の狂人の状態にしておくが、その人でもいったん性欲が退散すると今度
はきわめて理性的になる、と主張することもできる。だが確かなことは、一般的にいって、個人個人の
環境、状況などをすべて度外視すれば、若者にはある種の嘆息と悲哀が、そして老人にはある種の
朗らかさがつきものだということだ。その理由は、若者は例の悪魔、性欲の支配下におかれている
ばかりか、そのために苦役させられているために、自由な時間にはほとんど恵まれていないこと、それ
に例の悪魔が、人間にふりかかるか、あるいは人間を威すほとんどすべての災いの直接的あるいは間接
的に元兇となっていること以外にはない。だが老人は、長いこと引きずらされてきた足かせから解きは
なされ、いまや自由自在に動けるために朗らかになる。
0626幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/04/09(木) 14:48:25.130
 ――しかし他方では、性欲が消滅すると、生の
本源的な核も失われ、ただその外皮しか残らないこと、さらにこうしたありさまは、はじめは人間に
よって行なわれたものの、しまいにはその人間の衣をまとったロボットによって終幕まで演ぜられる喜
劇そっくりであると言うこともできる。
 それはともかく、若いときは不安の時であり、老年は平穏の時である。すでにこのことからも、両者
にそれぞれの楽しみがあることがおしはかられる。子供は眼前の色とりどりのさまざまな形をしたもの
すべてにむかって、のびのびと、望みにもえて両手をさしのべる。それは、子供のもつ感覚がなお新鮮
で若々しいために、これらのものすべてによって刺激されるからである。同じことが若者になるといっ
そう力強く現われる。若者も、色とりどりの世界とそのなかのもろもろの姿によって刺激される。そし
て、若者の創造力はたちまちのうちに、世界がこれまで与えてくれたもの以上のものを生みだす。その
ため若者はなんともはっきりしないものをむやみに欲しがり、これに恋いこがれる。このことが若者か
ら、それなくしては幸福は得られない平穏さをうばい去る。若者たちが、ただそれがある場所さえわかっ
たならば、この世ですばらしいものを入手できるのだと思っている半面、老人たちは、『伝道の書』の
言う「いっさいは空しい」という考え方に満たされており、すべての胡桃はいかに金鍍金が施され
ていようと、中身は空だということを知っている。というのも、老年になると、すべてのものが平穏
となるからであって、それはひとつには、血が以前より冷却され、感覚への刺激がいっそう少なくなる
ためであり、またひとつには、事物の価値、楽しみの実質がいかなるものであるかが経験によって明ら
かになり、さらにはそれによって、以前には自由に事物を見ることを阻んだり歪めたりしてきた幻想、迷
妄、偏見のたぐいからしだいに解放されるためである、そのため、老人はいまやすべてのことをより正
しく、よりはっきりと認識し、存在するものから、多少なりとも、この世の事物はすべて虚しいという
洞察をひき出すようになる。
0629幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/04/13(月) 14:23:01.120
『ドクトルたちの奮闘記』の執筆舞台裏 「芝居の前狂言」になぞらえた新刊ご案内 
石原 あえか 東京大学大学院総合文化研究科准教授
https://keio-up.co.jp/kup/sp/doctor/

 2009年度にお世話になったイェーナ大学の独文学研究所は、江戸の蘭学医たちに影響を与えた名医フーフェラントの旧居でした。
このフーフェラント、ゲーテが彼に自邸サロンでの講義を頼まなければ、無名の開業医として一生を終えたかもしれません(これは
ドイツの研究者間ではよく知られている話)。ところが帰国してみると、その貴重な重訳である緒方洪庵の『扶氏経験遺訓』も
杉田成卿の『医戒』も、初版和綴本を母校・慶應義塾図書館が所蔵していました。これを使わないのは勿体ない! 俄然、研究心が
湧きます。また本書で紹介するひとり、日本人女医として最初にドイツに留学した高橋瑞子の下宿探しは、こともあろうに
デュッセルドルフ・ゲーテ博物館の展示図録によって、見事正解が得られました。その後、さらに不思議なご縁で彼女の遺骨とも
対面し、また彼女の死後出版された私家版歌集も入手できました。いろいろエピソードはあるのですが、要するに日独医学交流史
というテーマに向き合い始めたら、次々と課題が出て、勝手に発展していきました。こんな風に仕事が仕事を始めたら、研究者
たるもの、絶対に逆らってはいけません。
0631幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/04/16(木) 23:12:31.720
まさに、このことが、ごく並みの能力しかない者を含め、ほとんどすべて
の老人に賢明さの一端を与えることになる。これが老人を若者から区別する。だから主として、この賢明
さによってすべての精神的な落ち着きがもたらされる。なんとしても、このことは幸せを主として形づ
くるものであるばかりでなく、もともと幸福の条件、本質となるものである。
 さらに、老人の宿命は病気と退屈だと考えられている。しかし病気は、とくに高齢に達した人の場合
には、なにも老人特有のものではない。なぜなら、「年をとるにつれて健康も病気も増加する」からで
ある。つぎに退屈については、わたしはすでに、なぜ老人が若者とくらべて退屈に襲われることが少な
いかということを述べておいた。どうしてそうなるかという原因はすぐ説明がつくが、ともかく老人に
はかならずつきものの孤独に、退屈は必然的に同伴するものではない。退屈に襲われるのは、感覚や、
社交以外の楽しみを知らず、自分の精神を豊かにすることも、自分の力を発展させることもしなかった
人びとだけである。たしかに老年になると、精神のもろもろの力は弱まるけれども、退屈を相手に戦う
ことができるくらいの力はいつもまたじゅうぶんに残っている。さらに老人になると、まえにも述べた
ように、経験、知識、復習、熟考などをつうじて正しい洞察はたえず向上するいっぽうとなり、判断も鋭
さを増し、ものごとの関連性もはっきりわかるようになる。老人はあらゆるものごとについてますます
すべてを包括する観点を獲得できるようになる。そうしたことから、老人は積み重ねられた経験を、と
きにこれをより充実させることに新しく結びつけることによって、つねにあらゆる方面におけるおのれ
の新奥の自己形成の発展に取り組み、精神を活動させ、満足させ、そして報いていくのだ。これらすべ
ての作業によって、まえに述べたある程度の精神の弱体化は償われる。とりわけ、よく言われるよ
うに、老年では時の歩みがいっそう速まり、これが退屈を予防することとなる。
0632幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
垢版 |
2020/04/16(木) 23:25:46.940
肉体のもろもろの力が
弱まることも、そうした力を仕事に必要とするのでなければ、それほど害のあることではない。年とっ
てから貧しいことは、大きな不幸である。こうしたことがなく、しかも健康が保たれていれば、老年は
生涯のうちでまったくしのぎやすい時期である。快適なこと、安全なことだけが老人のおもな欲望であ
る。したがって、人は老人になると以前にもまして金を愛するようになる。それは金が、もろもろの力の
弱まったことの代償となるからである。ヴィーナスに逃げられた人は、好んでバッカスのもとで朗らか
な気分になろうとする。見たり、旅したり、学んだりする欲求のかわりに、教えたり、話したりする欲
求が現われる。だが老人になっても、自分の研究への愛情、また音楽熱、演劇熱など、一般に外的なも
のへのある種の感受性が残っている人は幸福である。もろもろこうした感受性は、一部の人びとにあっ
ては、かなり高齢になってもつづいている。
 相当の高齢になってはじめて、人間はホラティウスの言う「なにごとにも驚かず」という境地がその
まま完全にわかるようになる。すなわち、この世のすべての事物がむなしいものであり、この世のあら
ゆるきらびやかなどは、空虚なものであることを、正しくしっかり確信するにいたる。迷妄は消滅する
のだ。老人は、自分が心身の苦痛から解放されているときはいつでもありのままに味わうことのできる
幸せよりも、宮殿のなかでも小屋のなかでもよい、どこかにもっと大きな幸せがあるなどとは信じな
い。老人にしてみれば、この世の尺度ではかられた大きなものも小さなものも、あるいは偉大なものも
卑小なものも、もはや区別できないことになる。このことが老人に精神の落ち着きを与える。この境地
にある老人は、世の中の仮象などは笑って見くだすだけである。老人は完全に覚醒している。そして人
間の生は、それをいかに飾りたて化粧をほどこすにしても、じきに、すべてのこうした安物の飾りつけ
などを透過して底の底まで見透かされることを知っている。また老人は、人間の生は、どんなに
0633幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/04/16(木) 23:36:51.400
表面的に彩られ飾りたてられていようと、本質的にはいたるところすっかり同じものであること、さらに存在の真の価値
は、楽しみがあること、あまつさえきらびやかなことなどによってではなく、苦痛のないことによって
はかられるべきことを知っている(ホラティウス、『書簡集』第一巻、一二の一−四節)。高齢者の根本
的特質は、迷妄からさめていることである。それまではその人の生に刺激を与え、その行動に拍車をか
けたもろもろの幻想は消滅する。その人は、この世のすべてのすばらしさ、とりわけ華麗、栄光、高貴
とされているもののむなしさ、空虚さを認識する。その人は、ほとんどの人びとが欲求している事物
や、大多数の人びとがあこがれている楽しみはあまり実質がないことを知り、われわれの全存在がいか
に哀れな、むなしいものであるかということをしだいに洞察するようになる。七十代にはいってはじめ
て人は『伝道の書』の最初の詩句を理解するようになる。だがこのことは老人にどことなく気むずかし
げな外見を与えるものでもある。――人が「おのれ自身にそなえる」ものは、老人のときほどありがた
いものになることはない。
 もちろん、いつも愚鈍であった大多数の人びとは、高齢になるとますますロボット化してくる。彼ら
はつねに同じことを考え、語り、行ない、そしていかなる外的な印象も彼らのこうした生き方をあまり
変えることはできず、さらに彼らからなんらかの新しいものを引きだすことはできない。この種の老人
に語りかけるのは、砂の上に字を書くのと同じことである。印象はほとんどすぐに消失してしまうの
だ。この種の老境は生ける「しかばね」にすぎないことはいうまでもない。――自然は高齢になってふ
たたび子供に帰ることを、めったいにないことだが、三番目の歯を生やさせることによって、象徴してい
るように思われる。
0634幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/04/17(金) 00:54:31.010
 老境にはいるにつれてすべての力が消滅していくこと、それにその消滅の度合いがつねにいちじるし
くなっていくことは、もちろん哀れなことだが、やはりこれは必然的なこと、いやそればかりか有益な
ことである。それというのは、もしこんなことがなければ、すでにその人に下工作をはじめている死が
あまりにも恐ろしいものになってくるだろうからである。したがって、きわめて高齢に達することがも
たらしてくれる最大の利益は、自然死である。自然死は、病気によって先導されることもなく、なんら
の痙攣をも伴わず、きわめて楽な、しかもなんの感覚にも襲われない死に方である。自然死については
わたしの主著続編・第四一章四七〇頁(第三版五三四頁)の記述を参照してほしい。(1)

(1)人間の生涯はもともと長くも短くもない。なぜなら人の一生は結局、われわれが他のすべての時間の長
さを測る尺度となるからである。――ヴェーダの奥義書ウパニシャッドには、自然の寿命は百歳であると記し
てある(『ウプネカート』第二巻五三頁)。私も確かにそれは正しいと信ずる。なぜなら、ただ九十歳
をこえた人だけが自然死に与れることにわたしも気づいたからである。こうした人びとはなんの病気
もなく、卒中、痙攣、それに喉をゴロゴロならしたりすることもなく、そればかりか、ときには顔色があお
ざめることもなく、ほとんどの場合は腰かけたまま、しかも食後に死んでいく、こうした人は死ぬのではな
く、むしろただ生きることをやめただけのことなのである。九十歳以前に死ぬ人は、たんに病気によって死
ぬ、つまり早死にするのだ。――旧約聖書(『詩篇』九〇の一〇)では人間の寿命は七十歳、最高までいっ
ても八十歳となっている。自信がいっそう強かったヘロドトス(一の三二、三の二二)も同じことを言って
いる。だがこれらの説は誤っており、日常の経験をうわすべりにいいかげんにとらえた結果である。なぜな
ら、もし自然の寿命が七、八十歳であるとしたら、七十から八十歳までの人びとは老衰で死ぬにちがいない
ことになる。だが実際はそうではない。彼らは、自分たちよりも若い人たちと同様、病気で死ぬのである。
しかし病気は異常なことである。したがってこれは自然な終末ではない。ふつうは九十歳から百歳のあいだ
で死ぬ人がはじめて、老衰で倒れるのだ。
0635幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/04/17(金) 01:09:25.710
彼らは病気でもなく、死ぬまえに痙攣することも、喉をゴロゴロ
いわせることも、震えることもないばかりか、ときには顔があおざめることもなく死ぬ。これこそ自然死と
よばれるものだ。したがって自然の寿命を百歳としたウパニシャッドはこの点でも正しい。

 たとい人は長生きしても、不可分の現在以外はけっしてなにものも持っていない。だが記憶が毎日忘
却によって失うものは、記憶が物をおぼえて貯めこむものより多い。――人は年をとればとるほど、人
間的な事柄いっさいがますます卑小なものに思われてくる。若いときにはしっかりと安定して
われわれの眼前に存在していた生が、老年になると、はかない現象の迅速な遁走として示される。すな
わち、すべてが無であることが暴露される。
 若者と老人とのあいだの根本的な違いは、若者が生を待ち受けているのに、老人は死を待っているこ
と、したがって若者が短い過去と長い未来をもっているのに、老人は逆の立場にあることである。老年
期の生は悲劇の第五幕に似ている。すなわち、人は悲劇的結末が近いことを知っているが、それでい
て、それがいったいどのようなものになるかがわからない。もちろん人は年寄りになると、目のまえに
死を有っているだけである。そこで問題になるのは、どちらの立場がより危険かということである。さ
らに全体としてみれば、生は、うしろに残してきたもののほうがこれから先に過ごしていくものよりも
ましだということなのかどうかという疑問が生じてくる。だがすでに旧約聖書外伝の『伝道の書』(七
の二)も、「死亡の日は誕生の日よりもましだ」と述べている。ともかく、きわめて長生きすることを
望むことは僭越な欲望である。なぜならスペインの諺も、「長生きする者は、いやなことをたくさん経
験する」と言っているからだ。――
 たしかに、占星術が望むように個々人の人生は惑星のなかにあらかじめ記されいるわけではな
い。そうはいっても人間の生涯一般についていえば、人間の年齢はそれぞれひとつのきまった惑星に順を
追って対応しており、したがって、人の生は連続的にすべての惑星によって支配される。
0636幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/04/17(金) 01:20:12.250
――十歳では水星が支配する。その年代の子供は水星のようにすばやく軽やかに、もっともせまい環のなかで動
く。この子はつまらないことで気分を変える。しかし狡猾さと弁論の神の支配のもとにあって、たやす
く多くのことを学ぶ。――廿歳とともに金星の支配がはじまる。恋と女がこの年配の人をわがものに
する。三十歳になると火星が勢力を握る。この年配の人は、いまや熱情的で強力であり、勇敢でけんか
早く、不敵である。――四十歳では四つの小惑星が支配する。この年配の人の生はしたがって大幅に広
がる。こうした人はケレスのおかげで役に立つものに奉仕する。またヴェスタのためにおのれ自身のい
ろりをもつ。こうした人はパラスによって自分が知るべきことを学ぶ。そしてユノとして、大多数の人
びとより長く生きながらえたことになる。彼らは現在活動中の世代の人びとよりもすぐれていると思っ
いる。彼らはまだおのれの力を楽しんでおり、知識、経験も豊かである。彼らは、(それぞれの個性
や置かれた状況にしたがって)おのれをとりまくすべての者に対して権威をもっている。したがって彼
らはいまや最適の人物となる。かくて木星は絶頂に達する。そして木星とともに五十歳の人は頂点
にある。――だが、それからあと六十歳には土星が来る。そして土星とともに、鉛のような重さ、緩慢
さ、しつっこさが現われる。

 だが年寄というものは、まるで死んだ人間みたいに
 大儀で、のろまで、陰気臭くて、鉛のように血の気がない。

(シェイクスピア『ロメオとジュリエット』第二幕・第五場)
0637幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/04/17(金) 01:33:13.330
――十歳では水星が支配する。その年代の子供は水星のようにすばやく軽やかに、もっともせまい環のなかで動
く。この子はつまらないことで気分を変える。しかし狡猾さと弁論の神の支配のもとにあって、たやす
く多くのことを学ぶ。――廿歳とともに金星の支配がはじまる。恋と女がこの年配の人をわがものに
する。三十歳になると火星が勢力を握る。この年配の人は、いまや熱情的で強力であり、勇敢でけんか
早く、不敵である。――四十歳では四つの小惑星が支配する。この年配の人の生はしたがって大幅に広
がる。こうした人はケレスのおかげで役に立つものに奉仕する。またヴェスタのためにおのれ自身のい
ろりをもつ。こうした人はパラスによって自分が知るべきことを学ぶ。そしてユノとして、家の女主
人、つまり妻が支配する。(1)――人生五十歳になると木星が支配する。この年になった人は、大多数の人
びとより長く生きながらえたことになる。彼らは現在活動中の世代の人びとよりもすぐれていると思っ
いる。彼らはまだおのれの力を楽しんでおり、知識、経験も豊かである。彼らは、(それぞれの個性
や置かれた状況にしたがって)おのれをとりまくすべての者に対して権威をもっている。したがって彼
らはいまや最適の人物となる。かくて木星は絶頂に達する。そして木星とともに五十歳の人は頂点
にある。――だが、それからあと六十歳には土星が来る。そして土星とともに、鉛のような重さ、緩慢
さ、しつっこさが現われる。

 だが年寄というものは、まるで死んだ人間みたいに
 大儀で、のろまで、陰気臭くて、鉛のように血の気がない。

(シェイクスピア『ロメオとジュリエット』第二幕・第五場)
0638幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/04/17(金) 01:33:32.720
最後に天王星が来る。そうなると、よく言われているように人は天にのぼる。海王星(残念なことに頭
の悪い者がこんな名をつけた)については、計算に入れないことにする。なぜなら、わたしがこれをほ
んとうの名前、エロスとよぶことが許されないからである。そうでなければ、わたしは、いかに終わり
が初めと結びつくかということ、つまり、いかにエロスは死とひそかに結びついており、そのためにエ
ジプト人のオルクス(2)あるいはアメンテス(プルタルコス『イシスとオシリスについて』第二九章)が、
「たんに取るばかりでなく与えるもの」であり、死が偉大なる生の貯水池であるということを示したで
あろう。したがって、こうしたことからして、オルクスからすべてが出現する。そしていま生きている
者はすべてオルクスのもとにすでにいたことがあるのだ。もしわれわれがこうしたことが起こったもと
となる手品使いの手口をつかみとることさえできれば、すべてのことが明らかとなるだろう。
(1)〔原注〕その後新しく発見されたおよそ五十個の小惑星は、わたしが周知しようとは思わない新参者で
ある。したがってわたしはこれらの小惑星を哲学教授なみに扱うことにする。すなわち、わたしは彼らをわ
たしの趣味にあわないために無視するわけだ。
(2)地下の世界の神。死および死者の国をも意味する。
0641考える名無しさん
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2020/04/24(金) 17:30:59.120
ショーペンハウアーってバカだよな
孤独になる事をすすめるって
他人と交流することで心身が整うってことが分かってない
0642考える名無しさん
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2020/04/24(金) 19:14:36.630
0か100かでしか物事を考えられないお前こそバカだろ
0643考える名無しさん
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2020/04/24(金) 21:30:24.470
心身健やかに面白おかしく生きてくことにどんな社会的意義があるんだ?
健康なだけのムダな人生
0644考える名無しさん
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2020/04/24(金) 21:35:57.980
心身ボロボロで退屈でつまらなく生きていくことにどんな社会的な意義があるんだ?
苦痛なだけの最悪の人生
0645考える名無しさん
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2020/04/24(金) 21:40:32.660
ショーペンハウアーは誰とも付き合うななんて言ってないからな
恋人もいたし、ゲーテなど知識人との交流もあった
孤独に耐えられずにくだらん奴らと付き合うのは無駄だし疲れるからやめろと言ってるだけ
0646考える名無しさん
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2020/04/24(金) 21:41:38.270
不健康との比較を問題にしてる訳ではないだろ文意も読めないド池沼くん
0647考える名無しさん
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2020/04/24(金) 21:42:49.010
>>644
こういう揚げ足取りと皮肉だけの人間と付き合うのは確かに無益ですね
0648考える名無しさん
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2020/04/24(金) 21:49:04.390
社会的意義を問うてるのに個人の人生の良し悪しを問題にしてるアホだからね
0649考える名無しさん
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2020/04/24(金) 21:49:40.370
644の人気に嫉妬w
0650考える名無しさん
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2020/04/24(金) 21:54:47.980
連投悔しいねえ
0651考える名無しさん
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2020/04/24(金) 21:55:25.950
誰が何に反論してるのか全然わからない
0653幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/04/25(土) 04:26:16.090
(Caly Yougam) 432,000÷10=43,200
Drapar 432,000×2=864,000
Trita 432,000×3=1,296,000
Salya 432,000×4=1,728,000
Aggregat of Maha yug 432,000×71=30,672,000
0654幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/04/27(月) 23:27:58.600
О нищете духом

Само Блаженство открыло мудрые уста Свои и сказало: (Блаженны нищие духом,
ибо их есть Царствие Небесное). Все ангелы, и все святые, и все, когда-либо
рожденное, должны умолкнуть, когда говорит вечная премудрость Отца; ибо вся
мудрость ангелов и твари - ничто по сравнению с мудолстью Божьей, которая бездонна.
И эта мудрость изрекла, что нищие блаженны.

Over armoede in de geest

Gelukzaligheid zelf opende zijn wijze lippen en zei: (Gezegend zijn de armen in geest,
want voor hen is het koninkrijk des hemels). Alle engelen en alle heiligen en allen die
ooit geboren zijn, moeten zwijgen wanneer de eeuwige wijsheid van de Vader spreekt;
want alle wijsheid van Engelen en schepselen is niets vergeleken met de wijsheid van God,
die bodemloos is. En deze wijsheid heeft gesproken, dat de armen gezegend zijn.

Tentang kemiskinan dalam pikiran

Membuka mulutnya dan berkata: Semua malaikat dan semua orang kudus dan semua
yang pernah dilahirkan harus diam ketika kebijaksanaan abadi Bapa berbicara. untuk semua
kebijaksanaan Malaikat dan makhluk tidak ada dibandingkan dengan kebijaksanaan Allah,
yang tidak terbatas. Dan kebijaksanaan ini telah diucapkan, bahwa orang miskin diberkati.
0655考える名無しさん
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2020/04/30(木) 21:18:35.600
>>650
ド低脳のド池沼様が今更戻ってきて発狂
やっぱり馬鹿でした
0656考える名無しさん
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2020/05/01(金) 21:07:33.550
今更戻ってきて発狂してるのはお前だろ…
0658考える名無しさん
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2020/05/09(土) 01:09:56.740
ペシミズムは人生の休憩所みたいなものだと思っている。また飛び立つまで休むのに必要。
0659幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/05/10(日) 02:08:44.730
 第四二章 種族の生命

 前章において指摘されたのは、生への意志の十全な客観化たる存在者の初段階の(プラトン的)イデ
アは、個体が認識をなす際には時間なる形式に結びついているから、種族としてすなわち生殖の絆で結
ばれる継続的な同種類の諸個体として、現われるのだということ、したがって種族は時間においてばら
ばらに引きはなされたイデア(エイドス、スペキエス)(1)なのだということであった。それゆえおのおの
の生物の本質そのものはさしずめそれの種族のうちに宿るのであるが、しかしながら種族はといえば、
これは諸個体をおいてほかにその存在の場をもつわけではないのだ。ところで意志が個体においてのみ
自己意識に達するのであるとしても、したがって直接的には個体としてのみ自分を認識するのであると
しても、自分の本質が客観化される場こそがまさに種族なのだという深層の意識は、やはり次の点にお
いて現われてくる。すなわち、種族そのもののなすべき仕事、つまり性的関係、出産ならびに育児とい
うものは他の何にもまして重要喫緊のものだということ一事においてである。動物においては欲情はま
さにここに由来するのであり(その激烈さについてはブールダハの『生理学』第一巻・第二四七節、二
五七節に見事な叙述がある)、また人間の場合性欲の満足のために相手となる個体を入念にあるいは行
きあたりばったりに選ぶ際もこれと同様で、その選択たるや情熱的な愛にまで高まることもある。これ
の詳細な考察には別に一章を設けるつもりである。最後に、子供たちにたいする両親の度はずれた愛情
も同一事に由来するものであろう。
0660幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/05/10(日) 02:28:48.660
 (1)〔訳注〕本全集第一〇巻一〇三頁、本巻四〇頁参照。
 第二巻への補足においてわたしは意志を樹根に、知性を樹冠にたとえた。内面的にはつまり心理学的
(霊魂論的な)にはそのとおりなのであるが、しかし外面的すなわち生理学的には生殖器が根底であり頭
部が頂上である。なるほど営養を司るのは生殖器ではなくて内臓の絨毛である。けれども個体は生殖器
によって自己の根源たる種族と関連するのであるから、根底はやはり絨毛ではなくて生殖器である。と
いうのも、個体は形而下的には種族の一産物であるが、形而上学的にはイデアの、すなわち時間の形式
において種族として現われるイデアの、大なり小なり不完全な写像だからである。脳髄ならびに生殖器の
活力と衰弱は以上に述べた関係と相即しかつ結びついている。性欲というものは、個体の生命が芽ばえ
るべき樹木(種族)の内的性向のごときものであって、それは樹葉が樹木によって養われるいっぽう樹
木への養分供給に助力するのに似ている。だからこそかの欲望はまことに強烈であり、またわれわれの
本性の奥底から湧出するものなのだ。或る個体(個人)を去勢するということは、いわばそれが芽ばえ
る場としての種族という樹木からそれを切り落とし、かくて他から断絶せしめてその者を枯死させるこ
とに他ならない。精神力と体力が衰微するのはこのためである。――いかなる動物個体にあっても種
族の勤めすなわち受精(結実)につづくものは一時の憔悴とあらゆる活力の弛緩であり、多くの昆虫に
あってはそれは即座に招くことさえある。それゆえケルスス(1)は「射精は霊魂の一部を捨てることだ」
と述べている。人間の場合には交合の力の消失はその個体がいまや死に向かいつつあることを示す。ま
た年齢を問わずかの力の濫費は生命を縮め、他方節制はすべての体力とりわけ筋力を強健にする。だ
から節制はギリシャの競技者のトレーニングに数えられていた。さらにこの節制は昆虫の生命を来春ま
で引きのばすほどである。
0661幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/05/10(日) 02:47:27.630
 ――さて右に述べたことのすべてが示すのは、個体の生命は結局種族か
らの借用にすぎず、生命力のすべてはいわばダムで一時堰き止められた種族の力だ、ということである。
しかしこれは、生命の形而上学的基盤は、直接的には種族において、かつ種族を介してはじめて個体にお
いて現われるということなのだ。だからインドでは男根石と女陰石は種族とその不死性の象徴として
崇拝され、死の反対物として、死を司る神格シヴァにむけてその属性として付与されている。
 (1)〔訳注〕A.C.ケルスス(前三〇 ‐ 後四五)『医学』の言葉といわれる。
 神話や象徴はさておき性欲の激烈さ、あらゆる動物と人間とがその用を達する際の熱意と真剣さとが
立証するところは、動物は性欲に役立つ機能によって、その真の本質が宿る場としての種族に所属する
のだということなのである。いっぽうこれ以外のすべての機能と器官は直接的にはもっぱら個体に役立
つのみであり、またその個体の存在はじつに副次的なものにすぎない。さらにまた動物の全存在の集中
的発揮たるかの欲望の激烈さのうちには、「個体は存続せず、したがって真の存在の場たる種族の維持に
すべてをかけねばならぬ」との意識が表わされている。
 次に以上の点を解明すべく欲情に駆られて交尾を行なっている動物を何かはっきりと思いうかべてみ
よう。するとそこには平生には見られぬ真剣さと熱意がうかがえるものだ。ではこの場合何が起こっている
のであろうか。――この動物は自分が死ぬものたること、そして現在の行為によって新たな、しかし自
分とそっくりの個体が生じて自分の代わりとなるであろうことを知っていようか。――考えるというこ
とがないのであるから、右のことは何ひとつ知らない。しかも動物はあたかもそれらをすべて知ってい
るかのごとくに熱心に、時間における種族の存続のために配慮するのである。というのは、動物にも生
命をたもち生存を欲するという意識はあり、この意欲の最大限を交尾なる行為によって表現するからだ。
0662幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/05/10(日) 03:41:57.060
以上がこの場合動物の意識に生ずるすべてである。かつまた諸生物の存立のためにはじゅうぶん
事足りる。意志が根本であり、認識は付髄的であるのだから。このために意志は一から十まで認識に
よって導かれる必要はなく、むしろ根源たる意志が何ごとかを決意するやいなや、この意欲はおのずか
ら表象としての世界において客観化される。かくて、われわれが心中思いえがいていたかの或る〔種族に属す
る〕形態の動物がもしかりに生命と生存とを欲するとすれば、その動物は生命・生存一般を欲するので
はなくて、まさにこの形態におけるそれらを欲するはずである。だからこそ同類の雌において自分の形
態を認めるやいなや交尾への意欲が勃然として起こってくる。この意欲は、外部から時間の形式のもと
でこれをながめるときは、無限の時間にわたってかかる動物の形態として維持されることとなり、それ
は一個体による他の個体の永久に反復される交替によって、つまり死と生殖の交互作用によってなされ
る。かくみるならば、これらの反復と交互作用はもはや、いっさいの時間をつらぬいて持久するかの形
態(イデア、エイドス、スペキエス)の単なる脈動としか思われない。われわれはこれを引力と斥力に、
物質はこの両者の対抗関係から生ずるのだが、この二つの力に比することができる。――以上動物にお
いて立証されたことは人間についてもまた通用する。すなわち、人間の場合、生殖行為は、その目的原
因の完全な認識がこれに伴っているとはいうものの、この認識によって導かれるというごときものでは
なくて、直接的には生への意志から、この意志の集中的発揮として生ずるものだからである。ゆえにそれ
は本能的行動のなかに数えられてしかるべきだ。というのも動物は交尾に際して目的の認識によって導
かれることがないが、同様に工作衝動においても目的の意識が欠けているからである。工作衝動におい
ても意志は主として認識を媒介せずに表出される。いずれの場合も認識の裁量にゆだねられているのは
微細なことがらのみであるがゆえに。生殖はいわば最も讃嘆に値する工作衝動であり、その作品はいわ
ば最も人間を罵倒せしめるにたる作品なのである。
0663幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/05/10(日) 04:31:06.590
 性の欲求が他のいかなる欲求ともはなはだ異なる性格をもつのはなぜか。これは以上の考察から明ら
かになる。この欲求は最も強いばかりでなく、他のいかなるものに比べても格別に威力にみちている。
それはいたるところ必然不可避のものとして、改めていうまでもない前提であり、他の願望のごとく
趣味や気分の問題ではない。というのもこれこそ人間の本質そのものをなす願望だからである。だか
らこの欲求と戦う場合には、勝利が確実ということよりも強い動機は存在しない。かくてそれは肝心要
のことであるから、その満足がえられぬときは他のいかなる快楽をもってしてもこれを補うことはでき
ない。また動物も人間もこのためには危険を冒し戦いを挑むものである。この天然自然な類の意識を率
直に表現するが、かの有名な看板、ポンペイの妓楼(ポルニクス)の、男根(パロス)の装飾をつけた
戸口にかかげられていた「ここに幸あり」(Heic habitat felicitas)である。この看板は登楼する男には
率直な感じのものであり、帰りの嫖客に皮肉、またそれ自身はユーモアたっぷりだった。――真剣さと
威厳に満ちたところでいえば、生殖欲の圧倒的な力には、オシリス(1)が永遠の神々のために記念柱
を建立して刻みこんだ碑文に表われている(スミルナのテオン(2)『音楽について』第四七章)。
「精神にして天空、太陽にして太陰、大地たるとともに夜と昼、有りかつ有るであろう万物の父、愛
(エロス)に」。――ルクレティウスの開巻劈頭にある美しい呼びかけの詩行についても同様のことが
いえる。

 アエネアスの子ら(ローマ人)を生みし者、人間と神々の快楽(けらく)
 実り多き美神(ウエヌス)よ……
0664幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/05/10(日) 04:49:41.400
 (1)〔訳注〕エジプト神話の冥界の神。
 (2)〔訳注〕二世紀の哲学者
 人間界において性的関係が演ずる重大な役割は右のすべてに対応するもので、この世界では元来それ
があらゆる行動・営為の見えざる核心をなしており、それにいかようにヴェールをかけようともいたる
ところで顔をのぞかせている。それは戦争の原因であり講和の目的であり、真直さの基礎、諧謔の目標
であり、つきることなき機知の源泉、すべての暗示を解く鍵、あらゆる秘密の合図、あらゆるあいまい
な申し出、あらゆる盗み見の意味でもあり、青年の、ときには老人の日常の工夫努力、遊冶郎の頭にこ
びりついた考え、純潔な男の場合にもその意志に反して絶えず繰りかえされる夢、いつもながら笑い
の種なのだが、これひとえに性的関係の根底に最も奥深い真剣さが宿るゆえである。ところであらゆ
る人間はこの大切な用務がひそかに行なわれ、表向きはできるだけ知れないようになっているというの
はこの世の皮肉であり、お笑い草だ。実際はいついかなるときもこの用務はこの世のほんとうの世襲の主
としてその全能により祖先伝来の玉座に腰をおろす。そして、われわれ人間がこの用務を抑制し監視し、
少なくとも限定し、できることなら隠しとおすかあるいは、それが人生のまったく付随的なついでの用
件として現われるよう自由に支配すべくいろいろと工夫したことがらを、その座から見下ろしつつ軽蔑の
眼差しで嘲笑するわけである。――ところで以上のすべては性欲が生への意志の核心であり、したがっ
ていっさいの意欲の集中発揮であることと一致する。だからこそわたしは本文中で生殖器を意志の焦点
と称したのだ。しかり、人間は性欲の権化だとさえいえる。なぜなら彼の発生、彼の願望中の願望は交
合行為であるし、またこの欲望のみが彼の全現象を恒久化し締めくくるのであるから。なるほど生への
意志はさしあたっては個体保存のための努力として表われる。がしかしそれは種族保存の努力への一段
階にすぎない。
0665幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/05/10(日) 05:45:04.100
そして後者は、種族の生命が持続、延長ないし価値の点において個体のそれを凌駕する
程度に応じてよりいっそう激烈でなくてはならない。それゆえ性欲は生への意志の完璧な表われであ
り、最も明快に表現されたこの意志の典型なのである。そこからの個体の発生ならびに、自然人にお
けるこの意志の他のいっさいの願望を超える優位性は、右の点と完全に一致する。
 ここでなお生理学的な点をひとつ指摘しておくが、これはわたしが第二巻で述べた基礎学説を逆に
明瞭ならしめることになる。すなわち、性欲は欲情の最も激烈なるもの、願望中の願望、われわれのいっ
さいの意欲の集中的発揮であり、したがって個人的なつまり或る特定の個人にふりむけられた願望にぴたり
と応ずるような満足感は最高最大の幸福であり、人間の自然的努力の究極目標であって、そこに到達す
れば彼はいっさいを得、それに失敗すれば彼はいっさいが失敗したに等しいのであるが、われわれは
この欲望の生理学的相関物を客観化された意志つまり人間の生体組織において見いだす。というのは精
液をさすのであって、これは分泌物中の分泌物、あらゆる液汁のなかの精髄、あらゆる有機的機能の最
終的な結果である。かくてわれわれは、肉体は意志の客観化、表象の形式をとった意志するものにほか
ならぬという点についての再度の確証をつかんだわけである。
 生殖には子供の養育が、性欲には両親の愛が結びつく。つまり種族の生命はここにおいて継続され
る。したがって動物の子供への愛は性欲と同じくまことに強烈で、特定の個体にのみ向けられた努力を
優に凌駕する力をもっている。最も穏順な動物といえども子供らのためには生死をかけた異常な闘争を
買ってでるし、ほとんどすべての種類の動物にあって子供の庇護のために母親はいかなる危険にも、い
な、場合によっては確実な死にむかってさえも突進してゆく。人間の場合はどうかというに、この本能
的な親の愛は理性によって、つまり思慮分別によって導かれ媒介され、ときには抑止されもするもので、
0666幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/05/10(日) 06:24:36.690
性質のよくない人間の場合にはこの親の愛をまったく放棄することにもなりかねない。したがって
われわれは最も純粋な形ではこの愛の働きをむしろ動物において観察する次第なのだ。もっとも人間の
場合、親の愛はそれ自身としてみればけっして弱いわけではない。人間においても個々の場合には子供
への愛情が自己愛を完全に圧倒し、自分の生命を犠牲にすることさえある。たとえばつい先ごろもフラ
ンスの諸新聞はロート県のシャアールで或る父親が、兵役のくじに当たった息子のために、つまり息子
が寡婦の長男となって兵役をのがれられるようにと自ら命を断ったと報じている(『ガリニャーニの使
者』一八四三年六月二二日付)(1)。けれども動物の場合は思慮分別がないから本能的な母性愛が直接か
つ純粋に現われ(雄は自分が父であることをたいていは意識しない)、したがってその現われ方も明瞭
であるし完全な強さを発揮する。じつのところ動物の母性愛は、彼らの真の本質が個体におけるよりも
いっそう直接的に種族に宿るものであり、それゆえ子供の身において種族が永続するためなら、必要
とあれば自分の生命を犠牲にするのだという彼らの意識の表われなのである。かくて性欲の場合と同様
に、彼らの意識が、それが宿る個体を超えて種族にまで及ぶという意味において、生への意志はいわば
超越的でさえあるのだ。以上に述べた種族の生命の第二の表われを単に抽象的にではなく、それがいか
に大きく現実的なものであるかを読者に具体的に知ってもらうために、本能的母性愛の圧倒的な強さを
示す二、三の例を挙げたいとおもう。
 (1)〔訳注〕一八一四年から国際的相互理解を目的としてパリで発行された英文日刊紙。
 ガリニャーニはイタリア系のフランス人父子。
 らっこ(猟虎)は追いつめられると赤子をつかんで水中にもぐる。呼吸のためにふたたび水面に出て
きたとき自分のからだで子供を覆い、自らは漁師の矢を受け止め、その間に子供は助かる。――
0667幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/05/10(日) 06:42:07.890
母鯨をおびきよせるには子鯨を倒しさえすればよい。母親は子鯨のところへ急ぎ、銛を何本か打ちこまれても
生命のあるかぎり子鯨から離れることはないのだ(スコールズビ『捕鯨航海日誌』クリース訳一九六頁)。
ニュージーランド近海の三王島には海象ともよばれる巨大なせいうち(学名 phoca proboscidea)
が棲息する。きちんと群をなして島の周囲を遊泳し魚類を食とするが、しかし水中にわれわれの知らな
い恐るべき天敵がいて、これによって彼らはよく深手を負わされる。そこで彼らの集団遊泳には独特の
戦術が必要となる。すなわち雌が岸にあがり、そして雌が授乳しているあいだ、これは七、八週間であ
るが、すべての他の雄はその周囲に円陣をつくり、雌を妨害して飢えて海にはいることがないようにする。
雌がこれをしようとするとかみついてこの邪魔をするのである。かくて彼らすべては相共に七、八週間
飢えてまったく瘦せ衰えるわけだが、しかもこのことたるや、子供らが泳げるようになり、また突いた
りかんだりしてみせて教えこんだ大切な戦術を彼らが実行できるようになるまで水にはいれないという
ただそのために行われるのだ(フレシネ『南極旅行記』一八二六年)。ここでもまた、意志のあらゆ
る強烈な奮闘と同じく母親の愛がいかに知能を高めるかということが示されている(第一一九章六参
照)。――鴨、グラースミュッケ〔うぐいすの一種〕その他多くの鳥類は漁師が巣に近づくと高声で鳴き
ながらその足元を飛び、まるで翼がなえたかのごとくにあちこちばたばたとはばたいて、漁師の注意
を子供からそらせ自分のほうへ引きつける。――ひばりは自分自身が犠牲となって犬を巣から引きはな
そうとする。鹿や野呂鹿の雌も同様で、子供たちが襲われぬように自分自身が追われるべくしむける。
――つばめは子供を救うために、あるいはいっしょに死ぬために向得ている家のなかへ飛び込むもの
だ。デルフトで大火があったとき、こうのとりが、まだ飛べないひなを捨てきれずに自ら巣で焼け死ん
だ(H.ユニウス『オランダ事情』)。大雷鳥とやましぎは巣で卵をだいているところを捕まえることがで
きる。
0668幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/05/10(日) 06:45:55.080
ムスキカパ・テュラヌス〔ひたき〕は勇猛心をふるいおこして巣を守り、鷲にむかって抵抗をす
る。――蟻を二つに切り離すと前半分はなおも自分のさなぎを安全な場所へ運んだという。――一頭の
雌犬の腹をさいて子供たちを取りだしたところ、死にかけているのに子供のところへはって行って、な
めてやり、子供を取りあげられたときになってやっとくんくん鳴きはじめたという(ブールダハ『経験
科学としての生理学』第二巻および第三巻)。
0669考える名無しさん
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2020/05/12(火) 21:45:04.810
331 :学術 :2020/05/12(火) 15:40:38.78 0
魔法で、意識脳溶け行く恍惚のあとの夜景のおのれという他者の光源にはえる魔力を手に入れたという話。
0670幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/05/16(土) 12:57:45.880
 音楽は、世界じゅうどこでも理解されるほんとうの普遍的な言葉だ。だからこの言葉はあらゆる国々
において、すべての世紀をつうじて、たえずまじめに熱をいれて話され、語るところの多い、意味のあ
る旋律(メロディー)はすぐに世界中に広まるのに、意味の貧弱な、内容のない旋律はすぐ立ち消えに
なって死んでしまう。これは旋律の内容が極めて判りやすいものだということを証している。しかしこの
音楽という言葉は、事物について語るのではなく、意志にとっての唯一の現実である喜怒哀楽のみを語
るのである。それゆえ心に訴える一方、頭に対しては直接には何も語らない。だから描写音楽のように
内容を求めるのは音楽の濫用で、これは絶対にしりぞけねばならぬ。ハイドンやベートーヴェンはその
錯誤を修正できなかったが、私の知り得る限り、モーツァルトやロッシーニにはそういった事実はなか
った。なにぶん、情熱を表現することと事物の描写とは、まったく別のことだからだ。
 ラモー(1)によってその基礎をすえられた、この普遍的な言葉の文法は、きわめて精確に規定されてき
た。これに反し、この言葉の辞書にいたっては、わたしがそれを企てる前には、真剣に試みられる
ことさえなかった。わたしが「辞書」というのは、右に述べたとおり、音楽の内容がもっている重要
な、疑うことのできぬ意味の解明ということで、つまり、音楽が旋律や和声(ハーモニー)で述べた
ことが何であり、何について語っているのかということを、もちろん概説的にしかできなくとも、
理性的に把握できるように仕向けることを言うのだ。――かかる試みがわたしには以前になかった
のは、他の多くのことと同様、人間というものが反省・熟考に傾くことがいかに少なく、どんなに
ぼんやりと暮らしているかを証明する。ただ享楽しさえすればよい、考えることなどできるだけ少なく
しようというのが、いかなる場合でも彼らの意図だ。こうなったのは、彼らの本性のせいで、だから
こんな連中が哲学者の役割を演ぜねばならぬと思ったりすると、ああいう茶番劇になってしまう。
わが哲学の教授諸公を見れば一目瞭然で、哲学だ、真理だと大いに熱をいれながら、あの素晴らしい
仕事はどうだろう。
0672考える名無しさん
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2020/05/21(木) 16:33:59.770
ニーチェが、いつもはすぐに本なんて買わないのにデーモンに囁かれたとか言って
自宅で貪り読んだショーペンハウアーの本って「意志と表象としての世界」なんですか?
0676文系バカ
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2020/06/02(火) 10:19:20.410
やっぱり理系の人たちが羨ましく思うな
実用性やビジネスの面も大きいけどそれよりも工学分野に知性を感じるのが大きい
現代の建築から家電までほんと凄い発展を遂げてるなと思うよ
0677考える名無しさん
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2020/06/02(火) 10:24:04.130
でももちろんいわゆる文系のものも素晴らしいと思う
人生の苦悩や喜びを語った物語や音楽を聴いて美しく感じる人間の感性とか大切なもんだと
0679考える名無しさん
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2020/06/21(日) 02:26:45.450
ウィトゲンシュタインも哲学書は
意志と表象としての、、、だけしか読まなかったらしいな
0682幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
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2020/06/22(月) 02:05:28.110
人の生は その芽生え
女の胸の乳房から湧いてあふれてきたものを……
おまえの稚ない片言は 女の口から教えられ
おまえが初めて流す涙は 女に優しくなだめられ
おまえの最後の吐息でさえ 女ひとりに吐かれることがしばしばです
かつて自分を導いた人の臨終を看取るいやしいつとめを
男がためらって なさぬときには……

バイロン著 『サルダナパール』第一幕第二場
0683考える名無しさん
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2020/07/22(水) 14:54:40.730
>>679
そんなことはない
LWはちゃんと色々読んでるし
ショーペンハウアーのことは晩年酷評してる
「駄目ですね。
私はショーペンハウアーが自分の哲学から何を得たのかをまったく明瞭に理解できると思う
──しかしショーペンハウアーを読むと、きわめて容易にその底が分かるように思える。
彼にはカントやバークリーが深いという意味での深さはない」
0684考える名無しさん
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2020/07/22(水) 15:57:49.580
ボン!
ボン!
バカァ!
ボン!
バカァ!
ボン!
ボン!!
おろわ!!
0686考える名無しさん
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2020/09/09(水) 13:39:08.480
834 :学術@死神騎士 :2020/09/09(水) 12:51:41.25
いいことも的外れ多い。逮捕は知らないけどとがめ立てないのがおかしい。
0687考える名無しさん
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2020/11/09(月) 18:33:00.370
読書について他二編って面白いですか?
0688考える名無しさん
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2020/11/24(火) 15:06:59.800
隠者正義
村上春樹は正しかった
0689考える名無しさん
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2021/01/23(土) 14:48:18.920
哲学書を一冊だけ読むのなら、迷わず「意志と表象の世界」
0690考える名無しさん
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2021/01/23(土) 16:22:34.730
「意志と表象の世界」は手に入りにくい
去年の初夏に密林に発注したが、発送が2回くらい延期されて、
まだ届かない。来月には届く予定だとされるが、どうなることやら
0691673
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2021/01/28(木) 08:15:25.040
おまえも意志と表象としての世界にしてやろうか?
フハハハハ
0692考える名無しさん
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2021/02/12(金) 13:33:10.280
予想はしていたけど、やはり発送がまた延期になった。
発注してかから8ヵ月くらいで、これまでに2回発送延期。
生きているうちに届くことがあるかどうか疑わしいw
0693考える名無しさん
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2021/02/12(金) 13:34:09.670
以前に少なくとも2回は発送が延期されているから、今度で少なくとも3回目の延期だ。
0695考える名無しさん
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2021/04/08(木) 07:50:50.680
盲目的な生きんとする意志

それが「物自体」の正体だった
0696考える名無しさん
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2021/04/10(土) 18:17:50.180
ショーペンハウアー的にはそうです。
0697◆P1F.MDbmTg
垢版 |
2021/04/10(土) 18:20:48.130
助けて
0698◆P1F.MDbmTg
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2021/04/10(土) 18:21:11.080
みんなのこと助けてあげて
0699考える名無しさん
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2021/04/10(土) 18:56:06.570
>>698
生きんとする意志だな
0700考える名無しさん
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2021/04/10(土) 23:47:59.400
本当に届くのか半信半疑だった「意志と表象の世界」、しばらく前に届いた。
読み始めるのはかなり先になりそうだが、分厚いから、存在感があって
他の本に埋もれてしまう心配はない。
0701考える名無しさん
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2021/04/11(日) 09:28:10.420
>>700
哲学書の中では非常に読みやすい部類

カントやヘーゲルとは文章力が段違いだ
0702考える名無しさん
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2021/04/13(火) 06:53:24.620
文学作品としても読めるぜ
0703◆P1F.MDbmTg
垢版 |
2021/04/13(火) 07:07:11.470
>>699 リングリングプロジェクト
0704◆P1F.MDbmTg
垢版 |
2021/04/13(火) 07:07:47.070
>>702 マルセル・プルースト「失われた」
0706考える名無しさん
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2021/04/18(日) 22:50:19.520
ショーペンハウアーによれば、この世はマーヤーだ
0707考える名無しさん
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2021/04/18(日) 22:56:28.450
"souffrance de ce qui"という句で検索しただけで、
すぐにショーペンハウアーが2件ヒットしたw

>Pour Schopenhauer, la vie est une oscillation permanente entre la souffrance de ce qui nous manque, et la nostalgie de ce que nous avons perdu.

>Et les hommes ont tort de croire au progrès, de sacrifier tout au
progrès car la réalité ne peut être autre chose que l'éternelle
souffrance de ce qui vit.
0708考える名無しさん
垢版 |
2021/04/18(日) 23:00:38.850
>>707
実際にショーペンハウアーがどう言ったのか知らないけど、こういう見方は、
明らかに片手落ちだな。
苦労が無ければ、喜びもないし、欠乏を感じなければ、満足感もない。
トーナメントで全部不戦勝で戦わずに優勝しても、誰も喜ばないだろw
腹が減らなきゃ、うまいものを食って満足することもないし。
0709考える名無しさん
垢版 |
2021/04/18(日) 23:07:13.950
初登頂を競っていた頃の登山家だって、命がけで苦労して登頂に成功する
ことに喜びを感じていたわけで、ヘリコプターで山頂に下してもらうことが
できたとしても、何の喜びもない。

生活のなかで何の苦労もなく、不足もなければ、苦労も不足もないこと
そのものが、生きている意味を見失わせるように、何も生じないという
「出来事の欠如」として精神的に耐えられないものになる。
0710考える名無しさん
垢版 |
2021/04/19(月) 09:14:00.140
衣食住が足りていて、生きていくのに不足はないものを与えられて
いるのに、不平不満を言うのは「贅沢だ」とされるわけだが、
飼われている犬や猫でさえ、なにもできない状態で屋内の
狭い空間に孤立して閉じ込められて餌だけ与えられていれば、
正常ではなくなる。
0711考える名無しさん
垢版 |
2021/04/19(月) 20:59:41.790
文明的価値観の中で人間は正常ではいられないから不幸になっていくしか無いんだけどな
かといって文明から逆行して動物に戻ることはできないので
そこをなんとか克服しようではなくて滅びていくのが生物としての正しいありよう
0712考える名無しさん
垢版 |
2021/04/19(月) 21:36:12.850
ヨーロッパがインドに興味を向け始めた時代に、いち早くインドの思想を取り入れ、自身の哲学と結びつけたのがショーペンハウアーであった。

1813から1814年にかけての冬にショーペンハウアーはヘルダーの弟子でインド学者のフリードリヒ・マイヤーによって『ウプネカット』の存在を教えられる。

ショーペンハウアーは生涯この『ウプネカット』を愛読書とし、
「これはこの世で可能なもっともむくわれることの多い、心をたかめてくれる読みものだ。それはわたしの生涯の慰めであった。そしてまたわたしの死の慰めともなろう 」
とまで言って称賛した。
0713考える名無しさん
垢版 |
2021/04/19(月) 21:36:48.300
インド人の太古の聖賢は次のように語っている。

「やがては死すべき人間の眼を蔽って、それを通して人間に世界を見させているのは、マーヤーである。欺瞞の面紗である。
世界はあるともいえないし、また、ないともいえない。
なぜなら世界は夢に似ていて、旅人が遠くから見て水かと思う砂上の陽光のようなものだし、また旅人が蛇かと思う投げ棄てられた縄にも等しいからである」
(この種の比喩はヴェーダやプラーナのいたるところで無数にくりかえされている)―

ところでこれらのひとびとが以上のように考え、説いていることは、本書がいままさに考察しつつある当面の問題に外ならない。
すなわち根拠の原理に従う「表象としての世界」である。

(ショーペンハウアー著 『意志と表象の世界』)
0714考える名無しさん
垢版 |
2021/04/20(火) 06:08:52.760
ショーペンハウアーによれば、この世界はマーヤー(幻影)だ
0715考える名無しさん
垢版 |
2021/04/20(火) 06:09:21.280
【あずま】東浩紀601【システム】


25考える名無しさん2021/04/20(火) 01:29:29.760
キモくて金のないオバサンは救われてキモくて金のないオジサンは救われない世界なんてあるの

26考える名無しさん2021/04/20(火) 02:30:44.500
オバサンは実際には救われないけど(何か変わりそうな)雰囲気で救われてる
オジサンは雰囲気で守られる事もなく、生のまま捨て置かれている

27考える名無しさん2021/04/20(火) 02:39:53.120
東浩紀と村上隆のせいで五輪めちゃくちゃだな

28考える名無しさん2021/04/20(火) 03:00:36.170
キモくて金のないオバサンは雰囲気で守られるどころか視界から消されそう

29考える名無しさん2021/04/20(火) 03:50:36.960
女ならブサイクで貧乏でも精神疾患なければなんとかなってるイメージだけど

30考える名無しさん2021/04/20(火) 04:17:51.440
話題にもならず存在しない事になってる
0716考える名無しさん
垢版 |
2021/05/19(水) 15:24:55.770
ショーペンハウアーによれば、この世界はマーヤー(幻影)だ
0717考える名無しさん
垢版 |
2021/05/19(水) 15:25:47.680
芸術によって、苦悩を紛らわすことはできる

だが、それは一時しのぎにすぎない
0719考える名無しさん
垢版 |
2021/05/20(木) 15:52:34.160
バルタザール・グラシアンの著作を愛読していたらしいな
0722考える名無しさん
垢版 |
2021/05/29(土) 08:05:06.400
ショーペンハウアーの特技は語学

多数の言語に通じていた
0723考える名無しさん
垢版 |
2021/05/30(日) 10:53:26.710
インド哲学の精髄を明晰判明に語り尽くした
0724考える名無しさん
垢版 |
2021/06/04(金) 15:10:48.000
インド哲学を読むより、ショーペンハウアーを読んだほうが良い
0726考える名無しさん
垢版 |
2021/06/05(土) 16:56:34.750
ショーペンハウアー自身が、「短編より主著を読んでくれ」と言っていた
0727考える名無しさん
垢版 |
2021/06/09(水) 08:43:42.920
>>723
正に「幸福について」は仏陀の教えを社会的な視点でアップロードして解説されたバイブルだよな
アインシュタインも愛読してたらしいし、隠遁と健康に重きを置いて平静を保ってなるべく知的なことや芸術を楽しむ生活しようと言う話
0730考える名無しさん
垢版 |
2021/06/17(木) 18:03:14.250
>>727

> 隠遁と健康に重きを置いて平静を保ってなるべく知的なことや芸術を楽しむ生活しようと言う話

それは、仏教というよりストア派っぽいな?
0731学術@死神酔天魔法狂廃鬼神龍騎禅軍呪妖幻術師悪魔召喚居士
垢版 |
2021/06/17(木) 18:05:34.860
エピクロス派の方に似ている意外にに消極的さ。快楽主義は。
性欲をお互い湧かすすべなんじゃないのその心理機構。むしろ。
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