永井もウィトゲンシュタインも独在性を事象内容に含められないって一方的に主張してるけど、根拠を示してないんだよなぁ
夢の懐疑は考えるけど、事象内容の懐疑は考えないのはなぜなのか 俺には夢という言葉と事象内容という言葉は同じに見える
そもそも最初から事象内容は独在性の対概念だからだというのが答えなら、事象内容はそれ以上拡がりをもたない専門用語になる
すなわち存在論の言葉としては使えない