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【アクトゥアリテート】永井均 10【レアリテート】 [転載禁止]©2ch.net
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001考える名無しさん
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2015/01/16(金) 01:24:17.350
独在論などで知られる哲学者
https://twitter.com/hitoshinagai1
最新刊『哲おじさんと学くん』

関連話題をどうぞ。

次スレは>>925以降、宣言して立ててください。
落ちたら誰か立ててください。

前スレ↓
永井均 9
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1384576350/

前前スレ↓
永井均 8 【独在性】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1316015388/

著書リストは誰かよろ
0816考える名無しさん
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2019/06/29(土) 13:07:02.790
美魔女と前田敦子の記憶が完全に入れ替わったとき、
美魔女のその記憶は、過去そのものに届いているだろうか?
0817学術
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2019/06/29(土) 15:00:00.200
神をみんなで殺すのも同かな、マンツー神じゃないと、生き死にしても無意味。
定言命法については漢字では完全じゃないけど、完全なありようを目指しても、
ついていけなくて破綻する存在があると思う。
自我同一性を感じる人は食道楽や
オシャレもなく犠牲心もないんだろうなあ。生まれ変わるより死に変わる方がいいよ。
0818考える名無しさん
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2019/06/29(土) 15:35:40.390
また子供部屋おじさん
0819学術
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2019/06/29(土) 16:03:36.200
それでは否定反論になっていないがな。
0820考える名無しさん
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2019/06/30(日) 12:02:22.830
>>810
なぜ我々が神を信じてないのに自我同一性を失わずに狂人にならずに済んでいるのかと
いう疑問がわいてくる
言語習得の最初の段階は意味の側面でなく音の側面であるが哲学では意味の側面しか考察できないという
限界を哲学者は気づいていない
0821考える名無しさん
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2019/07/03(水) 17:13:25.970
>>820
その狂人=独在性に至ろうとして永井センセは瞑想に励んでるw
0822考える名無しさん
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2019/07/05(金) 22:56:16.320
17 :神も仏も名無しさん :2019/07/05(金) 22:51:37.03 ID:QwCXyyiF
この話に興味がある

833 神も仏も名無しさん 2019/07/03(水) 12:55:44.10 ID:EyBmaQ23
永井さん、内容的に手切れとも取れる講義をしたらしい。
アスペにはその内容の意味がわからない。
秋に本になれば、はっきりする。

841 神も仏も名無しさん 2019/07/03(水) 14:23:40.40 ID:2yDoWBDz
>>833
そうそう
永井さんは山下をすでに見限っている。

山下が勘違いしている。
永井さんは山下と距離をとり始めてり
0823考える名無しさん
垢版 |
2019/07/05(金) 23:04:18.400
18 :神も仏も名無しさん :2019/07/05(金) 23:00:43.79 ID:83zqFDG4
<span class="AA"> 永井均@hitoshinagai1 6月25日
後者(27日木曜)に関して。
「内山興正の「いきづまり」は素晴らしい!」
1、内山興正の自己誤解
第一図と第五図はまったく違うことを言っている−私秘性なしに独在性はありうる
すると、どちらからどちらへと「目覚める」べきかは明らか
2、「映画−映画館」解釈と「現世―涅槃」解釈

永井均@hitoshinagai1
3、じつは第四図と第五図こそが同じことを言っている!
  変化は単に「即自的にそうある→対自的にそうある」 視点(始点)の移動
4、超越的vs.超越論的 「死なない」のではなく「生死概念のとどかぬところ」
5、道徳的行為(菩薩の実践)をそれ自体として崇めないこと </span>
0825考える名無しさん
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2019/07/12(金) 00:50:34.030
1 :サビぬき。 ◆THkSItvq3E :2019/07/10(水) 23:59:51.28 0
https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1148947350364160001
 
永井均@hitoshinagai1
 
「私は北公次の『光GENJIへ』の愛読者だった。
テレビでは良識的なコメンテーターとして知られている人までもが
ジャニー喜多川をまるで偉人のように礼賛しているのを見ると、
世の中というものは恐ろしいという思いを新たにざるをえない。」
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0826考える名無しさん
垢版 |
2019/07/12(金) 00:54:27.290
107 :fusianasan :2019/07/11(木) 18:15:17.95 0
永井は前にHey!Say!JUMPの知念が好きだとか書いてたような記憶がある

一応ちょっと知ってる人だけど、
ずっと家にこもって本ばかり読んでるようなタイプだよ
まあ学者はそんな感じが多いんだろうけど・・


116 :名無し募集中。。。 :2019/07/11(木) 21:26:36.91 0
これか
 
https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1112688809651527680
 
永井均@hitoshinagai1
 
「平成」にはなんの思い入れもないが、終るとなると、ただ一つ、
私がずっと大ファンであった Hey! Say! JUMP が一時代前の存在になるようで、
それだけはちょっと感慨深いものがある。
たしかに、山田くんも知念くんも…立派な大人になったけどね。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0827考える名無しさん
垢版 |
2019/07/12(金) 00:55:01.020
118 :名無し募集中。。。 :2019/07/11(木) 21:28:49.94 0
永井均@hitoshinagai1
  
Hey! Say! JUMP の大ファンであったというのは本当か、と尋ねる方がいますが、
例えば『ウィトゲンシュタインの誤診−「青色本」を掘り崩す』の
「31 痛みを感じている人は口から泣き声を出している人か」のウィトゲンシュタイン批判は
「NYC論証」と呼ばれ、各々のキャラを知らないと面白くないですよ。
  


119 :名無し募集中。。。 :2019/07/11(木) 21:30:42.40 0
永井均@hitoshinagai1
  
ただし、NYCは Hey! Say! JUMP とは別グループ。
N=中山優馬,Y=山田涼介,C=知念侑李。
この「論証」は超簡単だが重要なので、そこだけでも読んでもらいたい。
なぜウィトゲンシュタインの主張が受け入れられてきたのか不思議だ。
講談社文庫版では『「青色本」を掘り崩す−ウィトゲンシュタインの誤診』。
0828考える名無しさん
垢版 |
2019/07/24(水) 03:27:39.710
哲学探究2p 18で

デカルトが欺く神に勝ちうる理由は明らかであった。それはデカルトが自分を捉える際に用いてる「ただそれだけが現にあたえられているから」という理由を欺く神の側は持ち得ないから、であった。

この点なんですが、欺く神もデカルトを捉えることが出来るのではないかとは思ったのですが間違ってますか?(神は全知全能なので)
0831考える名無しさん
垢版 |
2019/09/01(日) 11:15:43.970
956 :神も仏も名無しさん :2019/09/01(日) 09:31:10.44 ID:TeGoTQlz
一般の人は騙されても哲学者は騙されない。
仏教3.0鼎談、永井さん最後の言葉。
0832考える名無しさん
垢版 |
2019/09/01(日) 17:17:45.640
その「捉える」という表現は、古代ギリシア語の"κράτος"に対応するような意味で使っているのでしょうか
0833考える名無しさん
垢版 |
2019/09/01(日) 18:15:00.470
どうしてそう思ったかと言うと、最近、Twitterで紹介されていた本を眺めて
みたところ、古代ギリシア語の"κράτος"という表現は、支配という政治的
な意味の外に、その動詞形において、「消化する」とか、「保持する」とか
の意味で用いられて、包み込むようなイメージでも捉えられていると説明
されていたからです。

「捉える」という表現は、「とらふ」に由来し、「とらふ」は、明白に
「とる」+「ふ」の形態をとっている「とる」の再帰表現であると考える
ことができます。すると、「消化する」という意味を考えてみると、
「栄養を摂(と)る」という表現が思い浮かび、この場合、「とらふ」が
「自らにとる」ことを意味していることと類似していることが分る。
さらに、「とらふ」が捕まえることを意味するように用いられる場合、
それが「保持する」ことに近いことは言うまでもないでしょう。
その上、「囚(とら)ふ」という漢字を考えてみると、包み込むような
イメージにも合うことになる。古代ギリシア語を勉強したことはないので、
よくは分りませんが。
0834考える名無しさん
垢版 |
2019/09/01(日) 18:16:49.880
833考える名無しさん2019/09/01(日) 18:15:00.470>>822

と表示されていますが、私のレスは、>>822とは無関係です。
誤解のないよう。
0835考える名無しさん
垢版 |
2019/09/05(木) 02:08:30.230
>>831
>一般の人は騙されても哲学者は騙されない。

その「騙される」というのはどういう文脈で出たんですか。
よろしければ簡単にでも。
0836835
垢版 |
2019/09/06(金) 22:58:31.570
永井さんと山下さんがすれ違ったポイント。
「心と宗教」の山下スレッド(もう落ちちゃってるけど)と、
鼎談直後のポッドキャストを聞いたら、大体のところは分かりました。
0837考える名無しさん
垢版 |
2019/09/07(土) 18:50:35.290
山下良道は「第五図に出ると慈悲、アガペーがある」という。
取り出してほれと見せられるものではないし、
そもそも慈悲とかアガペーついては永井哲学の対象ではないだろう。
確定した事実、法則性などとしては扱えない。
哲学者として「ほーそうですかーあるんですねえ」などと言うことは出来ない。
いくら話の終わりだからといってもね。
宗教者と哲学者では興味の領域が違うよねという話だな。
0838考える名無しさん
垢版 |
2019/09/09(月) 09:27:17.250
仏教3.0〈哲学〉鼎談は、人間の共通言語としての哲学(数学のように)の代表者として
永井先生の見解をお聞きし、それに沿った仏教解説を試みたといったところでしょう。

以下2つの話は永井さんの話を踏まえた上での仏教者によるもの。
全部で4時間もあるし、ここの人にはつまらないかもしれないけど、
一応紹介しておきます。

山下良道vs藤田一照
19/09/03 帰ってきたアップデートする仏教 in 大阪
https://www.onedhamma.com/?p=7302

19/09/07 世間は虚仮、ただお浄土だけがリアル
https://www.onedhamma.com/?p=7306
0839考える名無しさん
垢版 |
2019/09/13(金) 08:50:20.380
永井均「 テーラワーダ仏教の伝統には「生きとし生けるものが幸せでありますように」等と唱える
「慈悲の瞑想」というものがあり、冒頭で触れた鼎談は実は二回目なのだが、その一回目から
この瞑想の評価をめぐって意見の違いがあった(この意見の違いは、
藤田一照・山下良道『アップデートする仏教』幻冬舎・一五一〜一五二頁に表われているので、
興味のある方は参照されたい)。私が注目したのは、他の瞑想(や坐禅)とは異なり、
これは言葉を使ってしかできないこと、しかしその言葉の質は普通のヤリトリの言葉とは
まったく違うこと、であった。私の思うところでは、これは、通常の言葉によるヤリトリとは逆に、
先ほど述べた意味での無為なる存在が、他,の,無,為,な,る,存,在,に,呼びかける、いわば超越者に
対する祈りの言葉なのである。そして、おそらくはそれが、たぶんそれだけが、われわれの場合の蔓なのである。」

https://samgha.co.jp/websamgha/nagai/%e8%87%aa%e5%b7%b1%e3%81%8e%e3%82%8a%e3%81%ae%e8%87%aa%e5%b7%b1%e3%80%81%e3%81%a8%e3%81%9d%e3%81%ae%e8%94%93%e3%81%a4%e3%82%8b/


・・・けれど、哲学者に「慈悲がぶっ続きですよ」と言っても誰も納得しないだろうね。
そういう意味なのでは。
0841107
垢版 |
2019/09/16(月) 19:26:49.120
三人称の事実の積み重ねでは時間を捉えられない、辞書的な出来事の単なる積み重ねは時間ではない
主観から見た変化でないと本当の変化ではない、時間は捉えられない
しかし、主観から見た時間が一方向の線形な順序を持つためには前者を持ち込まないと駄目
だから時間は存在しない
0842107
垢版 |
2019/09/16(月) 20:05:44.790
三人称の客観を否定して一人称のこの主観にとやる理論はたくさんある
唯物論や自然主義に対抗するカント以来の観念論の系譜が多様にあるが、本質は主観にとっての変化、事実だけが唯一の正解だ
主観にとって繋がる系列、それだけが現実という哲学
マクタガートの発想が参考になる

しかし、主観の系列とは何か

この一瞬前の私と今の私の繋がっている根拠は
一瞬前の私は今はあの犬に
一瞬前の太陽が今の私ではないな
一瞬後の今の私は自転車で
一瞬後の私は今は絵葉書ではないか
また、私が現在過去未来と線形で連続している必要がどこにあるか?
三時間毎に私がいても過去に遡っても全然構わない
そうでないと言う理屈はない
0844107
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2019/09/17(火) 19:37:31.700
一人称のこの私はどこまで行っても三人称の辞書的系列のネガでしかない
私があるとしてもその一人称視点で順序づけられるような私ではない
そう解釈し、順序づけた時点で私ではないし、内包とか系列づけられるものなど私ではない
0845考える名無しさん
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2019/09/17(火) 19:57:32.050
郵便ポストが赤い
しかし、一秒後も郵便ポストと比較してやはり赤いと認識しなければならない理由は何もない
猫でも鉛筆でも半沢さんでもいい
郵便ポストの系列を三人称客観を前提にしないと郵便ポストは赤いという認識は成立しない
これは私のことを語っているわけで私が私であるとか私の内包とか語っている時に既に三人称客観が密輸されている
マクタガートが気づきながら目を逸らした一点
既にそれは私でも変化でも時間でもない
0846考える名無しさん
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2019/09/17(火) 20:09:08.020
郵便ポストは一秒後には猫であり二秒後には消しゴムで構わない
私の真の体験はそういう無差別なものだ
郵便ポストは郵便ポストで赤いなどと言うのは既に一般性に三人称客観に系列づけられた私ならざるものだ
0847考える名無しさん
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2019/09/17(火) 22:24:46.550
それは、どの点が問題なんでしょうね?
単に、視界の中央にあるものが1秒ごとにポスト→猫→消しゴムと変化していった(ように見えた)として、
それだけであれば、普通の物理的常識とは反する(ように見える)ことが起こった、というだけで、
特に問題ないようにも思うんだけど。
(巧妙なトリックとか幻覚のような場合を考えれば、別に物理的にもあり得なくはないし)

そうではなく、今見ている赤と1秒前や1秒後の赤とが同じ「赤」と呼べる理由はないのではないか、
という趣旨とすれば、永井の言う私的言語の問題と多分つながるのではないかと思います。
0848考える名無しさん
垢版 |
2019/09/19(木) 22:26:46.090
この今ここのクオリアもそれが何であるか、右側の視覚の郵便ポストと左側の視覚の薔薇の花が同じ赤なのか
何の根拠もない
右側と左側の視覚、知覚が同じ私である根拠なんかない
a1、a2という体験から何を導き出せるか、そもそもそれは私の体験かなどはわからない
この今のa1という私と、次の今のa2という私に何の関係があるか
永井読者なら何の関係もないことはわかるだろう
私はクオリアではないし、体験でも知覚でも現象でもない
また、ばらばらのままの私かそれでも総体として私だとか間抜けなことは言わないで欲しい
私なるものがもしあるとしたらありうるとしたら少なくともそんなものが私ではない
a1a2とかは私とは関係ないしそれの内包だ何だは私とは全く関係ない
マクタガートの私の主観的系列は三人称を密輸した汚染された客観に過ぎない
0849考える名無しさん
垢版 |
2019/09/20(金) 08:28:40.410
というようなことを
14歳がノートに書き付けるのならまだ良いのですが、
60歳にもなってまで発する、というのはどうなんでしょうね

「周りからブン殴られて終わり」

というのが、ありそうな現実だと思いますが。
0850考える名無しさん
垢版 |
2019/09/20(金) 09:43:49.520
なんで暴力に訴えかけるようなこと言うのかな
気にくわないなら彼にちゃんと反論すればいいのに
揶揄してないで
0851考える名無しさん
垢版 |
2019/09/20(金) 11:57:56.620
a1というこの今の瞬間の私だけは確実だの議論は自己論駁的で
右側の視覚と左側の視覚は関係ないだろとか、次の瞬間はa1は無だろとか、a1とa2を関係づけようとしても無限に否定できるし、a1自体が否定される
三人称客観から一人称主観を分離し確保する戦術はマクタガート代表に自己論駁的で矛盾している
0852考える名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 16:52:08.080
a1、a2、a3、…an
b1、b2、b3、…bn
c1、c2、c3、…cn

m1、…mn

一人称、私の哲学はこの世のあらゆる事物、事実、系列の中から
a1… anだけが他と違い特権的だとする
事実の辞書的三人称客観的な系列と一人称の私は違うと
しかし、a1とa2…anは本来何の関係もない
関係あると言うならa2と同じくらいc2もb4も関係ある、平等だ
a0やaマイナス1に遡るかもしれない
入不二の関係に対する無関係性の先行性、本質性を考えてみればいい
三人称一般性を否定する一人称の特権性の哲学は自己論駁的に一人称の特権性を論理的に否定できるし、するしかない

ばらばらのa1a2a3の哲学になった時にaの系列、bの系列、cの系列、どれかを特権的取り扱わねばならない根拠は何もない

一人称の哲学は論理的に破綻している
0853考える名無しさん
垢版 |
2019/09/21(土) 19:50:31.100
>>852
論理的に破綻してるもなにも
そもそもそういう話では全くないのだが
頭が固いのだろうけど
0855考える名無しさん
垢版 |
2019/09/22(日) 16:00:37.200
一人称哲学は三人称哲学の頽落したものに過ぎない
少なくとも同じレベルの足の引っ張りあいで平等に価値はない
0858考える名無しさん
垢版 |
2019/09/23(月) 22:56:17.220
>>857
それは人間じゃないとは何か?
と同じくらい説明が難しい。

それは哲学ではない。
哲学とは違う

に訂正しても問題ないだろう

永井さんは一応哲学者ということに
なってるから哲学の枠組みに入って
るのだろうが、本人も哲学だとは
思ってないだろう。

哲学だとするから余計に分からなくなる
最初は感覚的なものだよ。
頭で理解しようとしても解るものでは
ない。
0859857
垢版 |
2019/09/24(火) 02:27:21.780
>>858
たしかに説明が難しい質問でしたね。問題ないので訂正受けいれます。

あらためまして貴方にとっての哲学とは何なのでしょうか?

>本人も哲学だとは 思ってないだろう。 哲学だとするから余計に分からなくなる

永井均氏の昔の見解とは一見真逆の様にもみえます。
〈子ども〉のための哲学p199から
>それに対して、自分の哲学ほどわかりやすいものはない。なぜって、世の中で通用しているふつうの考え方がわからないから、自分に理解できる考え方でそれをおぎなおうとしたとき、
そこに生まれるのが哲学なのだから。どう考えたって、これほどわかりやすいものがほかにあるはずはない。
それどころか、哲学とは本来、究極のわかりやすさそのもののことなのだ。
0860考える名無しさん
垢版 |
2019/09/24(火) 18:13:47.580
>>859
私にとって哲学ですか。
そうですね、あまり足を踏み入れたくはない領域ですね。
何故なら頭がおかしくなりかねないからです。ですので、触れていません。
哲学とは真理の探究なのでしょうか?
もしそうであるならば、答、正解を
求めていることになるとです。
しかしながら、答はないことは本当は
分かっているはずです。それでも
求めてやまない、人間の性質なんでしょうね。
永井さんにとって、「私の問題」は
哲学だと思ってないと思いますよ。
直接会ってお話ししたわけではないので
真相は分かりませんが。
以前、この問いに対する答がないならば
哲学以前の問題であると云っていたと
されるので、要するに、それは彼にとっては哲学ではないのでしょう。
私もそれには同意しますね。
こんな根元的な問いの答が分からないままでは、哲学に何の意味があるのだろうかと。
生きる意味とは。幸福とは。美とは?
0861857
垢版 |
2019/09/24(火) 20:09:45.690
>>860返答ありがとうございます。

>以前、この問いに対する答がないならば
哲学以前の問題であると云っていたと
されるので

ソースがわかりませんがもしそうであるならば
それは彼にとっては哲学ではないのでしょう。
私もそれには同意します。
0862考える名無しさん
垢版 |
2019/10/21(月) 01:29:46.550
「日本ではなぜか否定的にとらえられることがあるけれど、私はフェミニスト。
専門的な教育を受けたわけではなく、自分で学んでたどり着いた自分の
立場だと思っている。上智大の三浦まり先生が言った「性差別主義者でない人は
みんなフェミニストだ」という定義に賛同します」(川上未映子)。
0863考える名無しさん
垢版 |
2019/12/05(木) 23:47:08.270
共同体がA=Aという根本誤謬のうちにしか成り立たないというのがすべての根本
哲学というか権力はその誤謬を徹底されない論理で丸め込む。永井の哲学とは論理を徹底することにより
あきらかになる矛盾を通して根本誤謬を一般人に気づかせようとしてるんだと思うが
0864考える名無しさん
垢版 |
2019/12/08(日) 00:07:13.620
A=Aというのは誤謬なんですかね?(少なくとも、永井の議論の中で)
むしろ、私と他者が同じ「私」だという面、今と他時点が同じ「今」だという面も、間違いなくあるということが
前提の議論だと思うのだけど
0865考える名無しさん
垢版 |
2020/01/05(日) 21:49:21.410
まさか〈子供〉が自分のこととは知らずに20年も見過ごしてしまった
翔太と猫のインサイト読み始めた
これからで良いんだよね?
0867考える名無しさん
垢版 |
2020/01/09(木) 05:05:48.830
>>865
はい、その後は
<子ども>のための哲学、ウィトゲンシュタイン入門、これがニーチェだ
の3冊がおすすめです
0868考える名無しさん
垢版 |
2020/01/09(木) 05:08:44.390
>>188
存在と時間はエンタメ
精神現象学はオッサンの説教
さすがに自分にはこのノリはついていけない
0870考える名無しさん
垢版 |
2020/01/09(木) 23:28:02.070
「これから」って今からでも遅くないというような意味かと思ってたけど(それには異論ない)、
そうではなくて、どの本から読んだらいいかという話?
そうであれば、『私・今・そして神』以降のどれかにするのがいいんじゃないですかね
永井自身が、この本が大きな転機だったと書いているし
その中でも、いっそ一番新しい『世界の独在論的存在構造』でいいんじゃないかと思うし、
もしいきなりハードカバーは値段・大きさ的にためらわれるなどがあれば、文庫版になってる
『哲学の秘かな闘い』の1、2章あたりはどうかと

『翔太と〜』は、永井の議論のポイントそのものではなく他の問題についての議論や
前提となる考え方にも触れられるという点で、人によっては勉強になったりとっつきやすい、
という特徴はあると思うけど(私自身もそうだったので)、ポイントそのものについて
割かれているページはその分少ないのと、やはりちょっと古いところが、どうなんでしょうね

あと、こう言ってはなんですが、『<子ども>のための哲学』は、永井の議論のポイント
そのものについては、今からあえて読む必要はない(ひょっとして読まない方がいい?)
のじゃないかなあ、と
0871考える名無しさん
垢版 |
2020/01/10(金) 22:13:16.520
意見分かれましたが、ありがとうございます
僕は哲学童貞なので今は翔太と猫くらいが丁度いいレベルかな
永井さんおすすめ哲学入門本のバートランド・ラッセル、マンガ哲学入門、哲学の謎(野矢)から入って
それらをまずしっかり読み込もうかとも思ったけれど、、、
すでに読み始めた翔太とインサイトをしっかり読もうと

〈ぼく〉がどう生きていけるのかということを今の言葉で確かめていきたいから
猫のアインジヒトも読みたいと思うし

そのうち「私・今・そして神」も読もうと思ってます
0872考える名無しさん
垢版 |
2020/01/10(金) 22:34:20.040
永井自身はtwitterで哲学入門には『翔太と猫のインサイトの夏休み』、
永井哲学入門には『哲おじさんと学くん』て言ってたな
『世界の独在論的存在構造』は哲学に慣れていないと難しいとも

個人的にも同意で
特に『哲おじさんと学くん』を一文ずつ確実に理解しながら読むのがお薦めかな
0877考える名無しさん
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2020/02/09(日) 02:26:56.150
ひょっとして去年一度講座すっぽかしたりしたのがあったから
朝カルの方がもう結構ってことだったり?
ってことはないですかね??
0878考える名無しさん
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2020/02/09(日) 06:46:35.110
Twitterは相変わらず錯綜してんな
0879考える名無しさん
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2020/02/22(土) 20:12:36.230
「仏教3.0を哲学する versionU」まだどこにも売ってないじゃん
0880考える名無しさん
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2020/02/23(日) 22:55:51.950
あせるな
〈仏教3.0〉を哲学する バージョンII (日本語) 単行本 – 2020/2/25
0882考える名無しさん
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2020/02/24(月) 19:30:50.470
この人はまず、<ぼく>で躓いた自分を総括すべきなんだよ
0884考える名無しさん
垢版 |
2020/02/24(月) 22:18:52.620
三省堂書店(本店)には置いてあったけど。。
25日が正式な発売日なの?
0885考える名無しさん
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2020/02/24(月) 22:50:13.100
>>883
そもそも<ぼく>の独在性なんて、永井先生の勘違いであって
まずそれを認めること

そして、<ぼく>などというトリックで世に多くの迷い子を生じせしめたことを
反省してくださいね、ってことですよ、それが総括
0886考える名無しさん
垢版 |
2020/02/24(月) 23:24:49.160
>>885
それなら、なぜ「勘違い」あるいは「トリック」と言えるのか、説明が必要なんじゃないですかね
むしろ個人的感想としては、永井の議論によって迷いが晴れた(少なくとも混乱の一部が解消された)、
という人もそれなりに存在するんじゃないかと思うけど
具体的には、私や今の存在が特別だと言えるかどうかについて、つい普通の独我論や独今論で
考えてしまっていたタイプの人ね
いや俺のことだけど
0887882
垢版 |
2020/02/24(月) 23:31:18.890
>>886
文面から察するに、今の貴方は、永井先生の「普通でない独我論」を
多少なりとも理解していると思われる
そこで尋ねるのだが

永井先生の云う<ぼく>、つまり<私>は、意識の存在とは違うレベルの存在である、と
そう貴方は思ってますか
0888考える名無しさん
垢版 |
2020/02/25(火) 07:28:22.160
横レスだけど、思う考えるではなく現にそうである人に向けた哲学だと思うよ
0889882
垢版 |
2020/02/25(火) 07:50:19.610
そうだね
理屈ではなくいま、現にそうある
多くは導かれてそのことに気づいた・発見した
そんなところでしょう

だけどそのような「発見的把握」は、完璧に端的・無条件なものであり得るでしょうか
導かれたのだとすれば、それは条件付きでたどり着いた境地であり
そこにあるその存在性に批判的関心を向けることは、私にとっては自然なことです

みなさんは、その「そうある」ものをそうあるままに、いつまでも眺めていたいですか
そうであるなら、私は無粋なことをしているのしょう

哲学とは、どういうものなんでしょうね
私にはわからなくなりました
0890考える名無しさん
垢版 |
2020/02/25(火) 08:13:48.010
>>887
(1) 「違うレベルの存在」という意味・ニュアンスが、俺には現時点でよく分からない
(2) 意識と言われると、『なぜ意識は実在しないのか』という著作があって、難しいところがある
という2つの気になる点があるのだけど
とりあえず答えると、私にも他人にも(眠ったり病気等でなければ)同じように意識があるので、
<私>の存在の問題は意識の有無とは別の種類の問題ですね
ついでに書いておくと、<私>にだけは何か特殊な意識状態が成立している、というわけでもない
0891882
垢版 |
2020/02/25(火) 08:18:56.820
「違うレベルの存在」というのは、簡単に言うと、
『意識が存在しない状況下に於いても<私>は存在するのか』
ということです
それが存在すると考えるなら、<私>は意識とは違うレベルの存在であると言えるでしょう

と、そのような意味・ニュアンスですが
これで分かりますかね
0892882
垢版 |
2020/02/25(火) 08:29:32.920
>>890
(2)にレスしますとね

貴方に<私>が成立しているのであれば
他者にも<私>が成立しています

「私にも他人にも同じように意識がある」
と貴方は言われるのだが
どういう意味で「同じように」でしょうか
同じようにあると思われるのは、一般化された「意識」という概念・言葉だけ
とは思いませんか

意識という言葉と結合する現前の『この意識』は
すでに<(この)私>の十分条件として存在している
つまり<私>を伴わない具体的意識は、そもそも存在しない

そのように思いますが、どうですか
0893考える名無しさん
垢版 |
2020/02/25(火) 16:01:44.500
横レスだが
自分にも他者にも成立する<私>とは何か?
それは<<私>>ではないか
0894882
垢版 |
2020/02/25(火) 17:26:16.970
他者にも<私>が成立しているとは、少し丁寧に言えば
<私>は本来、私にしか開示されない何ごとか、を捉える記号
であるのだが、それが普遍的に理解可能な問題として他者にも開示され
そのことを前提にしないと話が始まらない、という事態を意味する、と
そのように理解していただけたら、あまり混乱は無いかもしれません

まあそれでも、伝えたいことが伝わららいのが常であり
いやむしろ、こちらが思っているより都合よく相手に伝わって欲しい、と願うのが我々なのだが

※貴方の言うその<<私>>が何を意味しているのか
 私には全く分かりません、ごめんなさい
(<私>の<>は、そのような便利な機能を持つものとして導入されたのですか)
0895893
垢版 |
2020/02/25(火) 18:13:34.290
それが普遍的に理解可能な問題として他者にも開示され たらそれが<<私>>
でしょう
<私>とはそれしかなさだから客観的、普遍的に理解可能な便利な機能を持つもの
ではないのではないでしょうか
もちろんこの文章もそうですが
0896882
垢版 |
2020/02/25(火) 18:45:52.610
なんだか全く分かりません
0897893
垢版 |
2020/02/25(火) 19:49:00.570
う〜ん
なんだか全く分からないと言われたらこれ以上説明するのも難しいですね。
<私>とはそれしかなさと言うところもわかりませんか?
<私>とは客観的、普遍的なものではないというところも?
まあ私も永井均氏の哲学を完全に理解しているわけではありませんし
全く分からないならお気になさらず永井均氏の著書に直接あたられるのが一番いい
と思いますよ永井哲学は理解するより再現するほうが難しいと思いますし
0898882
垢版 |
2020/02/25(火) 20:07:37.890
<私>とはそれしかなさ
それは分かりますよ
でなけりゃ、こんなスレ覗きません
(本当は、「それしかなさ」という言葉でみなさんが理解されているだけですが)

私が分からないのは、<<私>>ですよ
その記号は共通の了解が得られた記号なんですか
0899893
垢版 |
2020/02/25(火) 21:14:33.100
共通の了解が具体的になにを意味するかわかりませんが、
二重山括弧は永井均氏が自分の著書で使われているものです。
二重山括弧に見えなかったならごめんなさい《》の出し方がすぐわからず
貴方の書き込みの<私>の記号をコピーアンドペーストして造ったのです。
0900882
垢版 |
2020/02/25(火) 21:24:46.400
ああ、つまり《私》という表記があって
それが『自分にも他者にも成立する私』のことなんですか
永井均氏が、そのような内容の《私》を使っているわけですね
0901882
垢版 |
2020/02/25(火) 21:28:44.330
そもそも<私>という表記はどこに由来するのか

『<私>を「独在性のわたし」と呼ぶこととし、この<>には二重の否定が込められ、抹消記号?の変型である』

これは永井均本人の説明によるものです
0902882
垢版 |
2020/02/25(火) 21:40:11.650
そこで>>893氏が、
『自分にも他者にも成立するのは<私>ではなく《私》である』と言われたわけですが
<私>を『再現』させることはできるわけですよね(たとえそれが困難であっても)

それは、<私>が普遍的に成立することにはならないのですか

(※ちなみに私は普遍的にとは言いましたが客観的にとは言いません)
0903882
垢版 |
2020/02/25(火) 23:04:50.570
そもそも<私>とは、いかなる『再現』でしょうか
みなさんにとっては、ひょっとして空気のように当たり前のこと、なのかもしれませんが
永井均の言葉を借りるなら

『可能性の条件を満たしているもののうち、なぜかある一つが現実の私である』

このレトリックによって、ある非日常的な境地に至ったときに、何かが再現されたことになる
それがいわゆる「比類なき私」と呼ばれるものですよね

私はその境地を見るのに2、3日掛かりましたけど、とっくに「知ってた」人もいるでしょうし
どうして大騒ぎするような話なのかさっぱり分からない人がいても全然OKなのです
なぜなら、この話、そもそも、ピカソの絵をどう思うか、程度の話であって
それには個人差があって、ある人がピカソを理解したと確信していたとしても、
その確信の正しさを証明する方法もないし、伝える方法も無い、自己満足に留まる

ところでこうやって再現されたように思えた<私>ですが、
直感的にも意味がアヤシイですし、よく考えたら相当アヤシイ
なぜなら、現実の私であることは現実の私にしか分からないのですから、
私のいない世界で、この肉体が他者であるかもしれない可能性を考えることは
それが他者であることを確認することの意味が成立しないがゆえに
そもそもナンセンスなのです

意識の構造が生み出した必然的副産物
それが<私>であり、それ以上である可能性はありません
0904890を書いた者
垢版 |
2020/02/25(火) 23:20:45.830
他の方もいろいろレスされたようだけど、俺の理解・整理から言えそうなことも書いておきます。

>>892
>つまり<私>を伴わない具体的意識は、そもそも存在しない
これも正確なニュアンスが分からないけど、とりあえず答えると、<私>を伴わない具体的意識が
存在しないなんて、とんでもない。
なぜなら、意識を持っているけど私ではない人なんて、いくらでもいるので。

次に、
>貴方に<私>が成立しているのであれば
>他者にも<私>が成立しています
と言われているけど、他者に成立しているのは(他の方も指摘されたとおり)<<私>>であって、
<私>ではない。
(と言うと俺以外の他人は「いやいや私こそが<私>であって、お前は<<私>>に過ぎない」と
言うであろうことは当然想定されるけど。そのように、私だけに言えるはずのことがなぜだか
他者たちにも言える、というのが、まさに永井の議論の中心(と俺が理解しているところ)ですね。)

そして、
>どういう意味で「同じように」でしょうか
>同じようにあると思われるのは、一般化された「意識」という概念・言葉だけ
>とは思いませんか
と言われると、これは先に書いたとおり『なぜ意識は実在しないのか』の議論があって難しいけど、
とりあえずその議論(と俺が理解しているところ)に乗っかって答える。
「現象的意識」と言われるものについては、実は、私と他者の違いが反映された混乱した議論で
あって、「現象的意識」と言えるような内容があるわけではない。
そして、その点以外には、私と他人の意識の内容には、全く違いがない。
(もちろん、「目の前にある光景の内容」とか、「痛みの感じやすさ、刺激の強さ」とかの内容が
同じ(十分に近い)場合の話)

ということになると理解してます。
0905890を書いた者
垢版 |
2020/02/25(火) 23:29:40.890
ちょっとレスが前後したけど、>>903について。
<私>というのは、現に唯一私であるやつのこと(現に見え、聞こえ、体を動かせ、発言でき、
等々ができる唯一の人間)。
同様に、<今>というのは、現に唯一のこの今のこと。
これはどう見てもそうなってるとしか言いようがないものであって(と俺は思う)、何か特殊な
条件を満たしたり特別な境地に至らないと見えないとか把握できないようなものでは、
全くないと思いますよ。
失礼ながら、何か誤解されているのではないでしょうか。
0906882
垢版 |
2020/02/25(火) 23:40:07.970
>>904
>意識を持っているけど私ではない人なんて、いくらでもいるので。

その「私ではない人」は、「私の意識」を持っているのですか?
貴方は単に「意識一般を持っているひとはいくらでもいる」と言っているのでしょうけれど
私の意識は、「この意識」しかないので、貴方の意識がどうなっているかなど
分かりようがありません

私と他人の意識の内容には、全く違いがないと、貴方が判断する根拠は何ですか
0907882
垢版 |
2020/02/25(火) 23:45:22.490
>>905
そのような意味ではないと、永井均は言っているように思いますけどね

『独在性の意味ー永井均』でググってください
0908882
垢版 |
2020/02/25(火) 23:58:52.710
永井均は、こんな話をしていたはずです

「ぼくはどうして君ではないのだろう」

恐らくこれが<私>につながる永井均の問題意識であって
『現に唯一私であること』というような問題とは全く違うと思いますね
0909考える名無しさん
垢版 |
2020/02/26(水) 00:08:03.590
>>908

> 「ぼくはどうして君ではないのだろう」

インド哲学の正統派のよれば無明が原因(まあ仏教でもほとんど同じだけど)
0910882
垢版 |
2020/02/26(水) 00:19:10.980
インド哲学によれば、なんて言ってるうちは
ただのお参りでは?
お経によると、と言ってるようなものでしょ
(インド哲学をディスってるわけではありませんよ)

無明とは何か
それはいかにして何かの原因となり得るものなのか
0911893
垢版 |
2020/02/26(水) 01:51:00.090
私は書くのが遅いのでなんだか書いてるうちにスレがずいぶん進んだみたいだけどとりあえずもったいないのでレスします
>>900
>それが『自分にも他者にも成立する私』のことなんですか
違いますそれは一般的な「私」であり『自分にも他者にも成立する<私>』が
普遍的に理解可能な問題として他者にも開示され たらそれが《私》のことです。
>>901
西田幾多郎〈絶対無〉とは何かp72によると(注意そのまま引用したわけではありません)
ハイデガーやデリダの抹消記号を使って
本来は世界そのものなのだが言語においては実体化されて個物的な指示対象を持って
しまう「私」を、そのことを表示するために抹消記号で表記しようとした。
この表記法はさる学術雑誌の印刷所に拒否されたので、やむなく抹消記号を解体し
「〈〉」と表記することにした。つまり、<私>である。
>>902
><私>を『再現』させることはできるわけですよね

いいえできません<私>の説明を再現することはできますが
そもそも<私>を『再現』させるとは具体的にはなんのことかもわかりません

><私>が普遍的に成立することにはならないのですか

強く言うならありえませんもしも<私>が普遍的に成立することになれば誰が自分と言えるのかわからなくなるでしょう
あと普遍的に成立するなら客観的にも成立するでしょう。
一般的に客観的とは主観の恣意からはなれ普遍妥当性をもっているさまなので
0912考える名無しさん
垢版 |
2020/02/26(水) 04:18:09.480
>>910
> インド哲学によれば、なんて言ってるうちは
> ただのお参りでは?
> お経によると、と言ってるようなものでしょ
>(インド哲学をディスってるわけではありませんよ)
「インド哲学によれば」と書くのは私が悟ってないから

> 無明とは何か
真理を知らないこと

> それはいかにして何かの原因となり得るものなのか
真理を知らないから付託をしてしまうこと
0913882
垢版 |
2020/02/26(水) 06:43:53.140
>>911
>『自分にも他者にも成立する<私>』が普遍的に理解可能な問題として他者にも開示され たらそれが《私》のことです。

なるほど了解しました。

><私>の説明を再現することはできますが、そもそも<私>を『再現』させるとは具体的にはなんのことかもわかりません

いや、<私>が普遍的に理解可能な問題として他者にも開示されることが、<私>が再現されることである、と
そのように私は了解していたのですが、そのような了解は貴方にとって、なんのことかも分からない話なんですか

><私>が普遍的に成立することになれば誰が自分と言えるのかわからなくなるでしょう

1)『<私>が普遍的に理解可能な問題として他者に開示される』
2)『<私>が普遍的に成立すること』

1)と2)は決定的に違うことだと、貴方は理解されているようです
1)の他者は独我論世界に於ける他者のことを言っているのではではないと思われますが、
2)は独我論世界での話になっているのでしょうか
そう考えないと、貴方が「誰が自分と言えるのかわからなくなる」という意味が成立しないと思います
貴方が『1)と2)は全く違うことを言っているのだから区別して理解しなければならない』と考えるなら、
他者を「他者」<他者>《他者》などに区別して使い分ける必要があるように思われますが、どうですか
それとも、場当たりご都合主義でいきますか

あとですね
普遍的に成立しているとは言えても、客観的に成立しているとは言い難いことはあるとは思いますよ
・人を好きになること
・嬉しいときは笑い、悲しいときは泣く、こと
・言葉や数学によって理解(とよばれる作業)を遂行すること
・意識を持っていること

そもそも私が「普遍的」と「客観的」を区別し、普遍的とは言っても客観的とは言わないのは
そのような理由によるのですが、この話は少なくとも貴方には通じないのでしょう、了解です
0914882
垢版 |
2020/02/26(水) 06:50:44.060
ああ、それと>>911さん
>>905さんの<私>の説明は、あれで良いのですかね
0915882
垢版 |
2020/02/26(水) 06:56:33.250
>>912
永井先生は最近ひょっとして、インド哲学にご執心なのかもしれませんが
わたしはあまり興味がありませんので

『真理を知らないから忖度してしまう』
なるほど、なんだか良い匂いがしますね(褒めてます
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。

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