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【アクトゥアリテート】永井均 10【レアリテート】 [転載禁止]©2ch.net
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001考える名無しさん
垢版 |
2015/01/16(金) 01:24:17.350
独在論などで知られる哲学者
https://twitter.com/hitoshinagai1
最新刊『哲おじさんと学くん』

関連話題をどうぞ。

次スレは>>925以降、宣言して立ててください。
落ちたら誰か立ててください。

前スレ↓
永井均 9
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1384576350/

前前スレ↓
永井均 8 【独在性】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1316015388/

著書リストは誰かよろ
0851考える名無しさん
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2019/09/20(金) 11:57:56.620
a1というこの今の瞬間の私だけは確実だの議論は自己論駁的で
右側の視覚と左側の視覚は関係ないだろとか、次の瞬間はa1は無だろとか、a1とa2を関係づけようとしても無限に否定できるし、a1自体が否定される
三人称客観から一人称主観を分離し確保する戦術はマクタガート代表に自己論駁的で矛盾している
0852考える名無しさん
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2019/09/21(土) 16:52:08.080
a1、a2、a3、…an
b1、b2、b3、…bn
c1、c2、c3、…cn

m1、…mn

一人称、私の哲学はこの世のあらゆる事物、事実、系列の中から
a1… anだけが他と違い特権的だとする
事実の辞書的三人称客観的な系列と一人称の私は違うと
しかし、a1とa2…anは本来何の関係もない
関係あると言うならa2と同じくらいc2もb4も関係ある、平等だ
a0やaマイナス1に遡るかもしれない
入不二の関係に対する無関係性の先行性、本質性を考えてみればいい
三人称一般性を否定する一人称の特権性の哲学は自己論駁的に一人称の特権性を論理的に否定できるし、するしかない

ばらばらのa1a2a3の哲学になった時にaの系列、bの系列、cの系列、どれかを特権的取り扱わねばならない根拠は何もない

一人称の哲学は論理的に破綻している
0853考える名無しさん
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2019/09/21(土) 19:50:31.100
>>852
論理的に破綻してるもなにも
そもそもそういう話では全くないのだが
頭が固いのだろうけど
0855考える名無しさん
垢版 |
2019/09/22(日) 16:00:37.200
一人称哲学は三人称哲学の頽落したものに過ぎない
少なくとも同じレベルの足の引っ張りあいで平等に価値はない
0858考える名無しさん
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2019/09/23(月) 22:56:17.220
>>857
それは人間じゃないとは何か?
と同じくらい説明が難しい。

それは哲学ではない。
哲学とは違う

に訂正しても問題ないだろう

永井さんは一応哲学者ということに
なってるから哲学の枠組みに入って
るのだろうが、本人も哲学だとは
思ってないだろう。

哲学だとするから余計に分からなくなる
最初は感覚的なものだよ。
頭で理解しようとしても解るものでは
ない。
0859857
垢版 |
2019/09/24(火) 02:27:21.780
>>858
たしかに説明が難しい質問でしたね。問題ないので訂正受けいれます。

あらためまして貴方にとっての哲学とは何なのでしょうか?

>本人も哲学だとは 思ってないだろう。 哲学だとするから余計に分からなくなる

永井均氏の昔の見解とは一見真逆の様にもみえます。
〈子ども〉のための哲学p199から
>それに対して、自分の哲学ほどわかりやすいものはない。なぜって、世の中で通用しているふつうの考え方がわからないから、自分に理解できる考え方でそれをおぎなおうとしたとき、
そこに生まれるのが哲学なのだから。どう考えたって、これほどわかりやすいものがほかにあるはずはない。
それどころか、哲学とは本来、究極のわかりやすさそのもののことなのだ。
0860考える名無しさん
垢版 |
2019/09/24(火) 18:13:47.580
>>859
私にとって哲学ですか。
そうですね、あまり足を踏み入れたくはない領域ですね。
何故なら頭がおかしくなりかねないからです。ですので、触れていません。
哲学とは真理の探究なのでしょうか?
もしそうであるならば、答、正解を
求めていることになるとです。
しかしながら、答はないことは本当は
分かっているはずです。それでも
求めてやまない、人間の性質なんでしょうね。
永井さんにとって、「私の問題」は
哲学だと思ってないと思いますよ。
直接会ってお話ししたわけではないので
真相は分かりませんが。
以前、この問いに対する答がないならば
哲学以前の問題であると云っていたと
されるので、要するに、それは彼にとっては哲学ではないのでしょう。
私もそれには同意しますね。
こんな根元的な問いの答が分からないままでは、哲学に何の意味があるのだろうかと。
生きる意味とは。幸福とは。美とは?
0861857
垢版 |
2019/09/24(火) 20:09:45.690
>>860返答ありがとうございます。

>以前、この問いに対する答がないならば
哲学以前の問題であると云っていたと
されるので

ソースがわかりませんがもしそうであるならば
それは彼にとっては哲学ではないのでしょう。
私もそれには同意します。
0862考える名無しさん
垢版 |
2019/10/21(月) 01:29:46.550
「日本ではなぜか否定的にとらえられることがあるけれど、私はフェミニスト。
専門的な教育を受けたわけではなく、自分で学んでたどり着いた自分の
立場だと思っている。上智大の三浦まり先生が言った「性差別主義者でない人は
みんなフェミニストだ」という定義に賛同します」(川上未映子)。
0863考える名無しさん
垢版 |
2019/12/05(木) 23:47:08.270
共同体がA=Aという根本誤謬のうちにしか成り立たないというのがすべての根本
哲学というか権力はその誤謬を徹底されない論理で丸め込む。永井の哲学とは論理を徹底することにより
あきらかになる矛盾を通して根本誤謬を一般人に気づかせようとしてるんだと思うが
0864考える名無しさん
垢版 |
2019/12/08(日) 00:07:13.620
A=Aというのは誤謬なんですかね?(少なくとも、永井の議論の中で)
むしろ、私と他者が同じ「私」だという面、今と他時点が同じ「今」だという面も、間違いなくあるということが
前提の議論だと思うのだけど
0865考える名無しさん
垢版 |
2020/01/05(日) 21:49:21.410
まさか〈子供〉が自分のこととは知らずに20年も見過ごしてしまった
翔太と猫のインサイト読み始めた
これからで良いんだよね?
0867考える名無しさん
垢版 |
2020/01/09(木) 05:05:48.830
>>865
はい、その後は
<子ども>のための哲学、ウィトゲンシュタイン入門、これがニーチェだ
の3冊がおすすめです
0868考える名無しさん
垢版 |
2020/01/09(木) 05:08:44.390
>>188
存在と時間はエンタメ
精神現象学はオッサンの説教
さすがに自分にはこのノリはついていけない
0870考える名無しさん
垢版 |
2020/01/09(木) 23:28:02.070
「これから」って今からでも遅くないというような意味かと思ってたけど(それには異論ない)、
そうではなくて、どの本から読んだらいいかという話?
そうであれば、『私・今・そして神』以降のどれかにするのがいいんじゃないですかね
永井自身が、この本が大きな転機だったと書いているし
その中でも、いっそ一番新しい『世界の独在論的存在構造』でいいんじゃないかと思うし、
もしいきなりハードカバーは値段・大きさ的にためらわれるなどがあれば、文庫版になってる
『哲学の秘かな闘い』の1、2章あたりはどうかと

『翔太と〜』は、永井の議論のポイントそのものではなく他の問題についての議論や
前提となる考え方にも触れられるという点で、人によっては勉強になったりとっつきやすい、
という特徴はあると思うけど(私自身もそうだったので)、ポイントそのものについて
割かれているページはその分少ないのと、やはりちょっと古いところが、どうなんでしょうね

あと、こう言ってはなんですが、『<子ども>のための哲学』は、永井の議論のポイント
そのものについては、今からあえて読む必要はない(ひょっとして読まない方がいい?)
のじゃないかなあ、と
0871考える名無しさん
垢版 |
2020/01/10(金) 22:13:16.520
意見分かれましたが、ありがとうございます
僕は哲学童貞なので今は翔太と猫くらいが丁度いいレベルかな
永井さんおすすめ哲学入門本のバートランド・ラッセル、マンガ哲学入門、哲学の謎(野矢)から入って
それらをまずしっかり読み込もうかとも思ったけれど、、、
すでに読み始めた翔太とインサイトをしっかり読もうと

〈ぼく〉がどう生きていけるのかということを今の言葉で確かめていきたいから
猫のアインジヒトも読みたいと思うし

そのうち「私・今・そして神」も読もうと思ってます
0872考える名無しさん
垢版 |
2020/01/10(金) 22:34:20.040
永井自身はtwitterで哲学入門には『翔太と猫のインサイトの夏休み』、
永井哲学入門には『哲おじさんと学くん』て言ってたな
『世界の独在論的存在構造』は哲学に慣れていないと難しいとも

個人的にも同意で
特に『哲おじさんと学くん』を一文ずつ確実に理解しながら読むのがお薦めかな
0877考える名無しさん
垢版 |
2020/02/09(日) 02:26:56.150
ひょっとして去年一度講座すっぽかしたりしたのがあったから
朝カルの方がもう結構ってことだったり?
ってことはないですかね??
0878考える名無しさん
垢版 |
2020/02/09(日) 06:46:35.110
Twitterは相変わらず錯綜してんな
0879考える名無しさん
垢版 |
2020/02/22(土) 20:12:36.230
「仏教3.0を哲学する versionU」まだどこにも売ってないじゃん
0880考える名無しさん
垢版 |
2020/02/23(日) 22:55:51.950
あせるな
〈仏教3.0〉を哲学する バージョンII (日本語) 単行本 – 2020/2/25
0882考える名無しさん
垢版 |
2020/02/24(月) 19:30:50.470
この人はまず、<ぼく>で躓いた自分を総括すべきなんだよ
0884考える名無しさん
垢版 |
2020/02/24(月) 22:18:52.620
三省堂書店(本店)には置いてあったけど。。
25日が正式な発売日なの?
0885考える名無しさん
垢版 |
2020/02/24(月) 22:50:13.100
>>883
そもそも<ぼく>の独在性なんて、永井先生の勘違いであって
まずそれを認めること

そして、<ぼく>などというトリックで世に多くの迷い子を生じせしめたことを
反省してくださいね、ってことですよ、それが総括
0886考える名無しさん
垢版 |
2020/02/24(月) 23:24:49.160
>>885
それなら、なぜ「勘違い」あるいは「トリック」と言えるのか、説明が必要なんじゃないですかね
むしろ個人的感想としては、永井の議論によって迷いが晴れた(少なくとも混乱の一部が解消された)、
という人もそれなりに存在するんじゃないかと思うけど
具体的には、私や今の存在が特別だと言えるかどうかについて、つい普通の独我論や独今論で
考えてしまっていたタイプの人ね
いや俺のことだけど
0887882
垢版 |
2020/02/24(月) 23:31:18.890
>>886
文面から察するに、今の貴方は、永井先生の「普通でない独我論」を
多少なりとも理解していると思われる
そこで尋ねるのだが

永井先生の云う<ぼく>、つまり<私>は、意識の存在とは違うレベルの存在である、と
そう貴方は思ってますか
0888考える名無しさん
垢版 |
2020/02/25(火) 07:28:22.160
横レスだけど、思う考えるではなく現にそうである人に向けた哲学だと思うよ
0889882
垢版 |
2020/02/25(火) 07:50:19.610
そうだね
理屈ではなくいま、現にそうある
多くは導かれてそのことに気づいた・発見した
そんなところでしょう

だけどそのような「発見的把握」は、完璧に端的・無条件なものであり得るでしょうか
導かれたのだとすれば、それは条件付きでたどり着いた境地であり
そこにあるその存在性に批判的関心を向けることは、私にとっては自然なことです

みなさんは、その「そうある」ものをそうあるままに、いつまでも眺めていたいですか
そうであるなら、私は無粋なことをしているのしょう

哲学とは、どういうものなんでしょうね
私にはわからなくなりました
0890考える名無しさん
垢版 |
2020/02/25(火) 08:13:48.010
>>887
(1) 「違うレベルの存在」という意味・ニュアンスが、俺には現時点でよく分からない
(2) 意識と言われると、『なぜ意識は実在しないのか』という著作があって、難しいところがある
という2つの気になる点があるのだけど
とりあえず答えると、私にも他人にも(眠ったり病気等でなければ)同じように意識があるので、
<私>の存在の問題は意識の有無とは別の種類の問題ですね
ついでに書いておくと、<私>にだけは何か特殊な意識状態が成立している、というわけでもない
0891882
垢版 |
2020/02/25(火) 08:18:56.820
「違うレベルの存在」というのは、簡単に言うと、
『意識が存在しない状況下に於いても<私>は存在するのか』
ということです
それが存在すると考えるなら、<私>は意識とは違うレベルの存在であると言えるでしょう

と、そのような意味・ニュアンスですが
これで分かりますかね
0892882
垢版 |
2020/02/25(火) 08:29:32.920
>>890
(2)にレスしますとね

貴方に<私>が成立しているのであれば
他者にも<私>が成立しています

「私にも他人にも同じように意識がある」
と貴方は言われるのだが
どういう意味で「同じように」でしょうか
同じようにあると思われるのは、一般化された「意識」という概念・言葉だけ
とは思いませんか

意識という言葉と結合する現前の『この意識』は
すでに<(この)私>の十分条件として存在している
つまり<私>を伴わない具体的意識は、そもそも存在しない

そのように思いますが、どうですか
0893考える名無しさん
垢版 |
2020/02/25(火) 16:01:44.500
横レスだが
自分にも他者にも成立する<私>とは何か?
それは<<私>>ではないか
0894882
垢版 |
2020/02/25(火) 17:26:16.970
他者にも<私>が成立しているとは、少し丁寧に言えば
<私>は本来、私にしか開示されない何ごとか、を捉える記号
であるのだが、それが普遍的に理解可能な問題として他者にも開示され
そのことを前提にしないと話が始まらない、という事態を意味する、と
そのように理解していただけたら、あまり混乱は無いかもしれません

まあそれでも、伝えたいことが伝わららいのが常であり
いやむしろ、こちらが思っているより都合よく相手に伝わって欲しい、と願うのが我々なのだが

※貴方の言うその<<私>>が何を意味しているのか
 私には全く分かりません、ごめんなさい
(<私>の<>は、そのような便利な機能を持つものとして導入されたのですか)
0895893
垢版 |
2020/02/25(火) 18:13:34.290
それが普遍的に理解可能な問題として他者にも開示され たらそれが<<私>>
でしょう
<私>とはそれしかなさだから客観的、普遍的に理解可能な便利な機能を持つもの
ではないのではないでしょうか
もちろんこの文章もそうですが
0896882
垢版 |
2020/02/25(火) 18:45:52.610
なんだか全く分かりません
0897893
垢版 |
2020/02/25(火) 19:49:00.570
う〜ん
なんだか全く分からないと言われたらこれ以上説明するのも難しいですね。
<私>とはそれしかなさと言うところもわかりませんか?
<私>とは客観的、普遍的なものではないというところも?
まあ私も永井均氏の哲学を完全に理解しているわけではありませんし
全く分からないならお気になさらず永井均氏の著書に直接あたられるのが一番いい
と思いますよ永井哲学は理解するより再現するほうが難しいと思いますし
0898882
垢版 |
2020/02/25(火) 20:07:37.890
<私>とはそれしかなさ
それは分かりますよ
でなけりゃ、こんなスレ覗きません
(本当は、「それしかなさ」という言葉でみなさんが理解されているだけですが)

私が分からないのは、<<私>>ですよ
その記号は共通の了解が得られた記号なんですか
0899893
垢版 |
2020/02/25(火) 21:14:33.100
共通の了解が具体的になにを意味するかわかりませんが、
二重山括弧は永井均氏が自分の著書で使われているものです。
二重山括弧に見えなかったならごめんなさい《》の出し方がすぐわからず
貴方の書き込みの<私>の記号をコピーアンドペーストして造ったのです。
0900882
垢版 |
2020/02/25(火) 21:24:46.400
ああ、つまり《私》という表記があって
それが『自分にも他者にも成立する私』のことなんですか
永井均氏が、そのような内容の《私》を使っているわけですね
0901882
垢版 |
2020/02/25(火) 21:28:44.330
そもそも<私>という表記はどこに由来するのか

『<私>を「独在性のわたし」と呼ぶこととし、この<>には二重の否定が込められ、抹消記号?の変型である』

これは永井均本人の説明によるものです
0902882
垢版 |
2020/02/25(火) 21:40:11.650
そこで>>893氏が、
『自分にも他者にも成立するのは<私>ではなく《私》である』と言われたわけですが
<私>を『再現』させることはできるわけですよね(たとえそれが困難であっても)

それは、<私>が普遍的に成立することにはならないのですか

(※ちなみに私は普遍的にとは言いましたが客観的にとは言いません)
0903882
垢版 |
2020/02/25(火) 23:04:50.570
そもそも<私>とは、いかなる『再現』でしょうか
みなさんにとっては、ひょっとして空気のように当たり前のこと、なのかもしれませんが
永井均の言葉を借りるなら

『可能性の条件を満たしているもののうち、なぜかある一つが現実の私である』

このレトリックによって、ある非日常的な境地に至ったときに、何かが再現されたことになる
それがいわゆる「比類なき私」と呼ばれるものですよね

私はその境地を見るのに2、3日掛かりましたけど、とっくに「知ってた」人もいるでしょうし
どうして大騒ぎするような話なのかさっぱり分からない人がいても全然OKなのです
なぜなら、この話、そもそも、ピカソの絵をどう思うか、程度の話であって
それには個人差があって、ある人がピカソを理解したと確信していたとしても、
その確信の正しさを証明する方法もないし、伝える方法も無い、自己満足に留まる

ところでこうやって再現されたように思えた<私>ですが、
直感的にも意味がアヤシイですし、よく考えたら相当アヤシイ
なぜなら、現実の私であることは現実の私にしか分からないのですから、
私のいない世界で、この肉体が他者であるかもしれない可能性を考えることは
それが他者であることを確認することの意味が成立しないがゆえに
そもそもナンセンスなのです

意識の構造が生み出した必然的副産物
それが<私>であり、それ以上である可能性はありません
0904890を書いた者
垢版 |
2020/02/25(火) 23:20:45.830
他の方もいろいろレスされたようだけど、俺の理解・整理から言えそうなことも書いておきます。

>>892
>つまり<私>を伴わない具体的意識は、そもそも存在しない
これも正確なニュアンスが分からないけど、とりあえず答えると、<私>を伴わない具体的意識が
存在しないなんて、とんでもない。
なぜなら、意識を持っているけど私ではない人なんて、いくらでもいるので。

次に、
>貴方に<私>が成立しているのであれば
>他者にも<私>が成立しています
と言われているけど、他者に成立しているのは(他の方も指摘されたとおり)<<私>>であって、
<私>ではない。
(と言うと俺以外の他人は「いやいや私こそが<私>であって、お前は<<私>>に過ぎない」と
言うであろうことは当然想定されるけど。そのように、私だけに言えるはずのことがなぜだか
他者たちにも言える、というのが、まさに永井の議論の中心(と俺が理解しているところ)ですね。)

そして、
>どういう意味で「同じように」でしょうか
>同じようにあると思われるのは、一般化された「意識」という概念・言葉だけ
>とは思いませんか
と言われると、これは先に書いたとおり『なぜ意識は実在しないのか』の議論があって難しいけど、
とりあえずその議論(と俺が理解しているところ)に乗っかって答える。
「現象的意識」と言われるものについては、実は、私と他者の違いが反映された混乱した議論で
あって、「現象的意識」と言えるような内容があるわけではない。
そして、その点以外には、私と他人の意識の内容には、全く違いがない。
(もちろん、「目の前にある光景の内容」とか、「痛みの感じやすさ、刺激の強さ」とかの内容が
同じ(十分に近い)場合の話)

ということになると理解してます。
0905890を書いた者
垢版 |
2020/02/25(火) 23:29:40.890
ちょっとレスが前後したけど、>>903について。
<私>というのは、現に唯一私であるやつのこと(現に見え、聞こえ、体を動かせ、発言でき、
等々ができる唯一の人間)。
同様に、<今>というのは、現に唯一のこの今のこと。
これはどう見てもそうなってるとしか言いようがないものであって(と俺は思う)、何か特殊な
条件を満たしたり特別な境地に至らないと見えないとか把握できないようなものでは、
全くないと思いますよ。
失礼ながら、何か誤解されているのではないでしょうか。
0906882
垢版 |
2020/02/25(火) 23:40:07.970
>>904
>意識を持っているけど私ではない人なんて、いくらでもいるので。

その「私ではない人」は、「私の意識」を持っているのですか?
貴方は単に「意識一般を持っているひとはいくらでもいる」と言っているのでしょうけれど
私の意識は、「この意識」しかないので、貴方の意識がどうなっているかなど
分かりようがありません

私と他人の意識の内容には、全く違いがないと、貴方が判断する根拠は何ですか
0907882
垢版 |
2020/02/25(火) 23:45:22.490
>>905
そのような意味ではないと、永井均は言っているように思いますけどね

『独在性の意味ー永井均』でググってください
0908882
垢版 |
2020/02/25(火) 23:58:52.710
永井均は、こんな話をしていたはずです

「ぼくはどうして君ではないのだろう」

恐らくこれが<私>につながる永井均の問題意識であって
『現に唯一私であること』というような問題とは全く違うと思いますね
0909考える名無しさん
垢版 |
2020/02/26(水) 00:08:03.590
>>908

> 「ぼくはどうして君ではないのだろう」

インド哲学の正統派のよれば無明が原因(まあ仏教でもほとんど同じだけど)
0910882
垢版 |
2020/02/26(水) 00:19:10.980
インド哲学によれば、なんて言ってるうちは
ただのお参りでは?
お経によると、と言ってるようなものでしょ
(インド哲学をディスってるわけではありませんよ)

無明とは何か
それはいかにして何かの原因となり得るものなのか
0911893
垢版 |
2020/02/26(水) 01:51:00.090
私は書くのが遅いのでなんだか書いてるうちにスレがずいぶん進んだみたいだけどとりあえずもったいないのでレスします
>>900
>それが『自分にも他者にも成立する私』のことなんですか
違いますそれは一般的な「私」であり『自分にも他者にも成立する<私>』が
普遍的に理解可能な問題として他者にも開示され たらそれが《私》のことです。
>>901
西田幾多郎〈絶対無〉とは何かp72によると(注意そのまま引用したわけではありません)
ハイデガーやデリダの抹消記号を使って
本来は世界そのものなのだが言語においては実体化されて個物的な指示対象を持って
しまう「私」を、そのことを表示するために抹消記号で表記しようとした。
この表記法はさる学術雑誌の印刷所に拒否されたので、やむなく抹消記号を解体し
「〈〉」と表記することにした。つまり、<私>である。
>>902
><私>を『再現』させることはできるわけですよね

いいえできません<私>の説明を再現することはできますが
そもそも<私>を『再現』させるとは具体的にはなんのことかもわかりません

><私>が普遍的に成立することにはならないのですか

強く言うならありえませんもしも<私>が普遍的に成立することになれば誰が自分と言えるのかわからなくなるでしょう
あと普遍的に成立するなら客観的にも成立するでしょう。
一般的に客観的とは主観の恣意からはなれ普遍妥当性をもっているさまなので
0912考える名無しさん
垢版 |
2020/02/26(水) 04:18:09.480
>>910
> インド哲学によれば、なんて言ってるうちは
> ただのお参りでは?
> お経によると、と言ってるようなものでしょ
>(インド哲学をディスってるわけではありませんよ)
「インド哲学によれば」と書くのは私が悟ってないから

> 無明とは何か
真理を知らないこと

> それはいかにして何かの原因となり得るものなのか
真理を知らないから付託をしてしまうこと
0913882
垢版 |
2020/02/26(水) 06:43:53.140
>>911
>『自分にも他者にも成立する<私>』が普遍的に理解可能な問題として他者にも開示され たらそれが《私》のことです。

なるほど了解しました。

><私>の説明を再現することはできますが、そもそも<私>を『再現』させるとは具体的にはなんのことかもわかりません

いや、<私>が普遍的に理解可能な問題として他者にも開示されることが、<私>が再現されることである、と
そのように私は了解していたのですが、そのような了解は貴方にとって、なんのことかも分からない話なんですか

><私>が普遍的に成立することになれば誰が自分と言えるのかわからなくなるでしょう

1)『<私>が普遍的に理解可能な問題として他者に開示される』
2)『<私>が普遍的に成立すること』

1)と2)は決定的に違うことだと、貴方は理解されているようです
1)の他者は独我論世界に於ける他者のことを言っているのではではないと思われますが、
2)は独我論世界での話になっているのでしょうか
そう考えないと、貴方が「誰が自分と言えるのかわからなくなる」という意味が成立しないと思います
貴方が『1)と2)は全く違うことを言っているのだから区別して理解しなければならない』と考えるなら、
他者を「他者」<他者>《他者》などに区別して使い分ける必要があるように思われますが、どうですか
それとも、場当たりご都合主義でいきますか

あとですね
普遍的に成立しているとは言えても、客観的に成立しているとは言い難いことはあるとは思いますよ
・人を好きになること
・嬉しいときは笑い、悲しいときは泣く、こと
・言葉や数学によって理解(とよばれる作業)を遂行すること
・意識を持っていること

そもそも私が「普遍的」と「客観的」を区別し、普遍的とは言っても客観的とは言わないのは
そのような理由によるのですが、この話は少なくとも貴方には通じないのでしょう、了解です
0914882
垢版 |
2020/02/26(水) 06:50:44.060
ああ、それと>>911さん
>>905さんの<私>の説明は、あれで良いのですかね
0915882
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2020/02/26(水) 06:56:33.250
>>912
永井先生は最近ひょっとして、インド哲学にご執心なのかもしれませんが
わたしはあまり興味がありませんので

『真理を知らないから忖度してしまう』
なるほど、なんだか良い匂いがしますね(褒めてます
0916893
垢版 |
2020/02/26(水) 19:05:53.930
実は徹夜してまったく寝ていないのでおかしなところが他よりかなりあると思いますが直すのはしんどいので このままにします すいません
>>913
>いや、<私>が普遍的に理解可能な問題として他者にも開示されることが、<私>が再現されることである、と
そのように私は了解していたのですが、そのような了解は貴方にとって、なんのことかも分からない話なんですか

そうです。具体的にはなんのことかもいまだによくわかりませんね
貴方は
>>902では
><私>を『再現』させることはできるわけですよね
と書き込んでいましたがその時には具体的にはなんのことか説明されていませんよね。913では
><私>が普遍的に理解可能な問題として他者にも開示されることが、<私>が再現されることである、と
そのように私は了解していたのですが、
と書き込んでいますが間違いですよね再現されるのは《私》でしょう貴方913の最初の方でなるほど了解しました。とか書き込んでますが了解できていないのではありませんか?

再現させること 再現されること 、やらせること 受動 自然にそうなること、はそもそも違うことで902と913で表現が変わっていますよね。
0917893
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2020/02/26(水) 19:09:57.360
>>911
>ありえませんもしも<私>が普遍的に成立することになれば誰が自分と言えるのかわからなくなるでしょう
ありえませんと否定して、もしもと仮定してますここは重要なので見落とさないようにしてください
>>913
>1)『<私>が普遍的に理解可能な問題として他者に開示される』
2)『<私>が普遍的に成立すること』
1)と2)は決定的に違うことだと、貴方は理解されているようです
1)の他者は独我論世界に於ける他者のことを言っているのではではないと思われますが、
2)は独我論世界での話になっているのでしょうか
そう考えないと、貴方が「誰が自分と言えるのかわからなくなる」という意味が成立しないと思います

原文ではもしもをつけているので独我論世界になっていてもいなくても「誰が自分と言えるのかわからなくなる」は仮定として成立してます。
別にどちらでもいいのでそう思いたいなら独我論的世界と解釈してもいいですね。

私は貴方がいう
1)『<私>が普遍的に理解可能な問題として他者に開示される』
2)『<私>が普遍的に成立すること』
は強くいえばありえないと考えています。それは<私>や普遍的の概念からすれば当然のことだとも言えると思っています。

>貴方が『1)と2)は全く違うことを言っているのだから区別して理解しなければならない』と考えるなら、
そうですね。

>他者を「他者」<他者>《他者》などに区別して使い分ける必要があるように思われますが、どうですか
必要ないです。

>それとも、場当たりご都合主義でいきますか
文脈から判断して区別すればいいですほとんどの言葉はそうやって区別されているでしょう。必要があるのなら貴方が造って使えばいい場当たりご都合主義でいきたくないならでも我流の使い分けなどは使いずらそうですね。
>普遍的に成立しているとは言えても、客観的に成立しているとは言い難いことはあるとは思いますよ
私もそう思いますよでも言い難いということは無理すれば言えるということですよね。
>「普遍的」と「客観的」を区別し
私も区別はしてますよ
0918893
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2020/02/26(水) 19:12:10.450
>>911
><私>が普遍的に成立することにはならないのですか

>強く言うならありえませんもしも<私>が普遍的に成立することになれば誰が自分と言えるのかわからなくなるでしょう
あと普遍的に成立するなら客観的にも成立するでしょう。

ここ誤読されているぽいので説明するとあえてありえないことをいうことで<私>が普遍的に成立することを否定しているところです普遍的に成立するなら客観的にも成立するとは
文脈からわかると思ってたけど<私>が普遍的に成立するなら<私>が客観的にも成立する
ということで両方ありえないことを表現したつもりでした。
>>897
><私>とはそれしかなさと言うところもわかりませんか?
><私>とは客観的、普遍的なものではないというところも?
0919893
垢版 |
2020/02/26(水) 19:18:19.380
905さんの<私>の説明はそのまま全ての「私」にも当てはまりそうですね詳しくないけど様相実在論の立場にでもたてばその解釈でもいいんじゃないかなと思いました。
0920882
垢版 |
2020/02/26(水) 19:39:10.800
>>916
わたしには貴方の言う「《私》が再現される」という状況が分からないんですよね

それについて説明している永井均さんの著作>>899を当たってみますので
書名を教えて下さい
0921882
垢版 |
2020/02/26(水) 19:47:10.100
一方でね
「<私>が再現された」
というのは、わたしにはすごくよく分かるのです

なぜかというと、子どものための哲学を読んだ時に
私において、<私>が、まさに再現された
そうとでも言うしか無い経験だったわけです

しかし貴方に承諾いただけないのはよく分かりました
0922893
垢版 |
2020/02/26(水) 21:44:27.190
貴方が<私>である可能世界があり(貴方にとっては唯一の現実世界)「<私>が再現された」 そうとでも言うしか無い経験が
あったと承諾することはできますよ。
「《私》が再現される」それについては直接説明している
永井均さんの著書はないと思いますよまず再現という概念はつかってなかったと思いますし
たしか《私》は相対化された<私>のことですから意味から状況を想像するしかないんじゃないかなあ
貴方は意味とか意識とか確認とか好きそうな印象があるから比較的にはむいてるんじゃないかな。
0923882
垢版 |
2020/02/26(水) 22:13:52.600
>>922
しかし貴方は、『再現されるのは《私》でしょう』>>916
と言っておられるのだから、貴方がそのように理解する根拠があるはずで、
その根拠は永井均が《私》に言及した著作にあるのでしょう
その書名を教えて下されば結構です
0925882
垢版 |
2020/02/26(水) 22:31:30.320
どうも違和感があるのですが
あなた方は<私>が再現した経験が無いですよね
なぜって、それがなんのことだか分からないのだから

いや再現という表現がおかしいのかもしれない

たとえばみなさんは、子どものための哲学の前半を読んだときに
何が分かったのですか?どのようなことが起こったのですか?

わたしはね、てっきりわたしと同じような体験を共有していると思ってましたよ
なんせ、ここは永井均スレですから
でなけりゃ話にならんでしょ

まさかとは思いますが、まったくピンとこないですか?
0926考える名無しさん
垢版 |
2020/02/26(水) 22:41:05.300
あなた方って自分も入るのかな
再現というよりは、それについて語ってる哲学者がいるなんて!という感じで
興味持ち始めたところ

自分は「〈私〉は相対化されないよなぁ」と思ってます
だから《私》が再現するという話は脇から見ててよくわからない
0927882
垢版 |
2020/02/26(水) 22:53:42.890
たしかに再現にこだわる私もどうかと思いますけどね

当初自分的には『開示される』とか『発見的把握』とか表現していたのですが
893氏の『永井哲学は理解するより再現するほうが難しい』>>897に乗っかる形で
こんなことになってしまいました

結局、互いにぜんぜん違うことを話していた
のですらもなく
匂いのする記号をぶつけ合っていただけでした
やっぱりねえ
何度同じ失敗を繰り返すのか
絶望しますね
0928924,926
垢版 |
2020/02/26(水) 23:00:12.720
私は2レスしかしてません
全く傍観者です
0929882
垢版 |
2020/02/26(水) 23:18:24.090
説明できないことってあるでしょ
映画とか音楽とか絵とか小説とか
衝撃的感動を受けたりして
だけどその体験そのものは説明できない
同じものを見たり読んだりしても
それを感じない人には、話が通じない
だって、この感動は説明しても伝わらないのだから
だけどもし同じ体験をした人がいたなら
「ほら、あれよ、あそこがね、すごいね」みたいな契機によって
話が通じる、それは錯覚かもしれないけど
錯覚という奇蹟、奇蹟による錯覚

そこに隠された真実は果たしてあるのか
0930890を書いた者
垢版 |
2020/02/26(水) 23:59:37.570
>>906
>私と他人の意識の内容には、全く違いがないと、貴方が判断する根拠は何ですか

ここは俺なりの理解というかやや誇張も入っているので、補足説明しておきます。

まず、
(1)<私>と他者の違い、<今>と他時点の違いは、内容的な違いによって説明されるものではなく、
現に存在するという違い(アクトゥアリテート)しかない。
(2)「現象的意識」と言われる問題は、実は、アクトゥアリテートの違いが反映したものだ。
(よって、クオリアの逆転というような内容的違いが考えられると思うのは、実は疑似問題だ)
というところは、永井の近年の著作から言える、と俺は理解している。
そして、そうであるとすれば、
(3)私と他人の意識の内容には、(状況が十分類似していれば)全く違いがない。なぜなら、
そこにあるのは内容的な違いではなくアクトゥアリテートの違いだけだから。
とまで言う方が、問題の誤解・混同を避ける意味では有益ではないか、と、俺は考えたので、
あえてそういう表現をした。
穏当・正確に表現しようとすれば、「内容に全く違いがない」とまで断言するよりは、「内容の違いに
よって説明されるものではない」というのに留めるほうがよかったかもしれない。

以上が補足説明を含めた論拠の説明です。
0931890を書いた者
垢版 |
2020/02/27(木) 00:11:35.780
それと、しつこいようだが>>925あたりについて。
既に書いたとおり、<私>と他者、<今>と他時点の違い(アクトゥアリテート)は、内容的な違いではないので、
当然ながら、「一定の条件を満たした場合や一定の境地に達した場合(?)にだけ体験することのできる、
特殊な経験や意識状態」などというものでは全くないはずですよ。

もし<私>が、例えば、「『子どものための哲学』の前半を熟読した時に経験する状態」などという
ものだとお考えであれば、例えば以下のようなことを考えてみてはいかがでしょうか。
(1) 私と隣にいる他人が同時に『子どものための哲学』を読み始めて、同時に前半部分を
読み終わったら、<私>が2人生じることになるのか。
(2) また、隣にいる人が先に読み終わったりしたら、それによって隣の人が<私>になるのか。
というか、そんなわけないのは明らかだろうと俺は思うので。

(という例え話を考えてはみたものの、かえってますます誤解を生むだけかもしれないので、
端的に分裂や火星転送の思考実験を改めて読んでいただく方がよいかもしれない)
0932893
垢版 |
2020/02/27(木) 01:21:07.230
882さんすまないけど実はうろ覚えでいまさっき数えたら26冊永井均関連の本があるけど
どの本に《私》がでてくるかはあまり覚えてないんだよね
882さんはその根拠は永井均が《私》に言及した著作にあるのでしょうと言うけど
たしかにそのとうりなんだろうけどあまり記憶がはっきりしない
世界の独在論的存在構造に
《私》を見つけた終章中心性と現実性の派生関係の最後ページp269
世界というものは必然的に《私》から開かれるものであり、この世界もまた、とある
882さんは『再現されるのは《私》でしょう』の理解する根拠
『自分にも他者にも成立する<私>』という相対化された理解が
普遍的に理解可能な問題として他者にも開示され たらそれが《私》のことです。
では根拠にはならないのか 《私》とはそもそも永井均さんが造った表現なのだから
この程度の説明でも良いのではないかな
0933考える名無しさん
垢版 |
2020/02/27(木) 13:13:11.430
なんだか奇妙な論理だと思うなぁ
当事者性が希薄ってことはわかる
0934893
垢版 |
2020/02/28(金) 05:38:11.250
>>933
マーティンガードナー?
0935893
垢版 |
2020/02/28(金) 07:50:02.130
>>924投稿時間にさっききずいたのですがもしかして私への疑問ですか?
ちゃぶだいひっくり返すようなことを言いますが
だいたい〈私〉と表現できる時点で一度は相対化されてるよね。
永井均氏が何処かで言ってたと思うけどそれは不可避でしょう
だから他者とのコミュニケーションの場面では全て《私》のことしか言えない
累進構造から一段落ちて伝わり自分で辿り直すしかない
ちなみに今日も徹夜して典拠して確認して書いてないので間違いの可能性あり
私の記憶の永井哲学の体感理解度七割ぐらいあといままで書いてきた文章がおかしい
所がある。
0936考える名無しさん
垢版 |
2020/02/28(金) 13:41:50.620
「私」と〈私〉が相対化されてるそれは〈私〉が「語り得ぬもの」であるにも関わらず
〈私〉という言語表現をしたことによるものかと
〈私1〉と〈私2〉が相対化されるということではないでしょう
0937考える名無しさん
垢版 |
2020/02/28(金) 13:43:36.460
改行が変だった。
「私」と〈私〉は相対化されてる。
それは〈私〉が「語り得ぬもの」であるにも関わらず語ろうとしたため
〈私〉という言語表現をしたことにより生じているものかと。
〈私1〉と〈私2〉が相対化されるということではないでしょう。
0938考える名無しさん
垢版 |
2020/02/28(金) 14:08:57.610
永井均は道徳に関しては無頼派を気取ってタブーがないが
性に関しては、堅物の学者の限界で一般人より規制でガチガチ
0939893
垢版 |
2020/02/28(金) 16:26:52.570
>>937
>改行が変だった。
「私」と〈私〉は相対化されてる。
それは〈私〉が「語り得ぬもの」であるにも関わらず語ろうとしたため
〈私〉という言語表現をしたことにより生じているものかと。
ここは大丈夫なんですけど
〈私1〉と〈私2〉ってなんですか?
0940考える名無しさん
垢版 |
2020/02/28(金) 21:37:56.890
なんですかと聞かれても、こちらが聞きたいんだけど
あなたの言ってる相対化とは具体的にはどんなことなのですか?
0941893
垢版 |
2020/02/28(金) 23:09:24.630
>>940
https://www.weblio.jp/content/相対化
自分で調べて考えたらいい小学生でもつかってるような一般的概念なんだから、
それに対して〈私1〉と〈私2〉は辞書にも載っていない君の独自概念だろう
そんなのいきなり使われても意味不明だろうに
だいたい質問に対して全く答えず質問で返すとか答えてもらうつもりがあるの
ああ最初の質問には答えられてももう答える必要はないよ
君のような不実な人とはあまり対話したくないから。
さようなら
0943893
垢版 |
2020/02/29(土) 00:46:03.530
?本気で意味がわからない、多分この文の前半が目に入ってないのでしょう
>>941
>質問に対して全く答えず質問で返す
0944考える名無しさん
垢版 |
2020/02/29(土) 00:46:04.330
「私」と〈私〉は相対化して語ってるようで、相対化し得ないものでもある。
なぜなら〈私〉とは語り得ぬものだから。
調べていけばそれは本当は全く「私」のことなのかもしれない。
つまり全く物事の裏表というだけで同じことなのかもしれない。
(自分にはとてもそうは思えないけれど、論理的にはあり得る)
つまり永井均や「ピンときてる」読者達の思慮が足りないだけかもしれないのだから。

ともあれピンときてるだけで思慮の足りない自分は
〈私〉は相対化されないと思います。
しかし相対化されると主張してる人がいる。
だったら〈私1〉、〈私2〉、、という存在があるということでなかったら
相対化なんて出来ないでしょ?という問いかけですよ。

質問で返さないで下さい。
相対化とは「具体的には」どんなことを仰ってるのですか?
辞書的意味を訊いていません。
0945882
垢版 |
2020/02/29(土) 03:42:14.140
>>930
返信が遅くなりました

現に存在するだけなら、それは<私>である必要はありません
自我で十分であり、誰でも納得できる、普通の話です

もっとも貴方は<私>がなんのことだか分かっていないようですので
そのように考えてしまうのは仕方のないことです

分裂とか火星転送の話をするにしても、<私>をどう捉えているかによって
考えていることが違ってしまうわけですから、対話をしているように見えたとしても
全くすれ違った蒟蒻問答になってしまう

貴方は<私>がなんのことだか分かっていない、と失礼にも私は言いましたが
むしろ貴方が健全であって、私が狂っているのかもしれない

しかしピンとくる人もいるかもしれませんので
『<子ども>のための哲学』で、わたしに<私>が開示された(と勘違いした)箇所を
以下引用してみます
0946882
垢版 |
2020/02/29(土) 04:11:49.340
ほんとうの問題  〜<子ども>のための哲学」より

 ぼくの問題はそうではなかった。ぼくの問題はたとえばA、B、C、D、四人の子どもがいるとき
ぼくがBであって、AやCやDではないことにあった。Bであるぼくが反省意識によって自我を発見
できるか、なんてことはどうでもよかった。もしそんな自我なんてものがあるなら、他人にもある
だろう。そうなればまた、ぼくの自我と他人の自我の違い(つまりぼくの自我の特別さ)が問題に
なる。その特別さは「ぼくの自我」の「自我」の方にあるのではなく「ぼくの」の方にあるはずだ。
その「ぼく」とはいったい何なのだ。

(中略)

 でもそんなことをいっても、ほかの人たちだってみんな、それと同じ意味で、それぞれ特別な
「ぼく」なんじゃないか。と、こう思われるかもしれない。でも、そうじゃない。ぼくがぼくであるのと
同じ意味で、かれらは「ぼく」であることはできない。だってそうじゃないか。ぼくがぼくであるという
特別な意味でのぼくが、この世にいない場合でも、彼等はみんなそれぞれ「ぼく」である。そのとき
いないものこそが、ほんとうの意味でのぼくなのだ。これから先、必要な場合、この意味でのぼくを
<ぼく>と書くことにしよう。

(中略)

 さて、では、ぼくがこの世にいない状況というのは、どういう状況だろうか。さっきのA、B、C、D、
四人の場合で考えれば、いちばん単純に考えられるのは、なによりもまずBがいない状況だ。
Bが死んでしまったか、あるいはそもそも生まれてこなかったかで、Bという人間が存在しない
状況だ。このときでも、もちろんAやCやDは、それぞれぼく」であるだろう。だから世の中には
「ぼく」はたくさんいる。つまり自己意識を持った生き物はたくさんいる。でも<ぼく>はいない。
そのとき世界には何が欠けているのか。つまり「ぼく」たちがたくさんいるのに<ぼく>がいない
とき、世界は何を失うのか。逆に現実がそうであるように、たくさんの「ぼく」たちのほかに<ぼく>
がいるとき、世界には何がつけ加わるのだろう?

つづきます
0947882
垢版 |
2020/02/29(土) 04:29:57.670
ぼくが存在しない二種類の状況 〜<子ども>のための哲学」より

 ちょっと考えただけのときは、答えは明らかであるように見える。いまの例でいえば、「ぼく」たちが
たくさんいるのに<ぼく>がいないとき、世界が失うものは、もちろんBという人間であり、たくさんの
「ぼく」たちのほかに<ぼく>がいるとき、世界に加わるものも、もちろんBという人間だ。つまり、
どちらにしても、特定の人間の存在と不在が問題になっているにすぎない。一見、このように見える
のだ。

 でも実はそうではない。Bという人間が居るにもかかわらず、そいつは<ぼく>ではない、そういう
事が考えられるからだ。いま想定している世界は、A、B、C、D、の四人の男の子がいて、Bが<ぼく>
である世界だった。だから今度は、Bがいなくなるのではなくて、Bはそのままいるのだが、そのBが
<ぼく>ではない、という状況を考えてみればいい。<ぼく>だったBが突然<ぼく>でなくなるか、
あるいはもともと<ぼく>ではなかったかして、<ぼく>が存在しない状況だ。

 言うまでもないことだが、Bが<ぼく>ではない状況とは、Bが心のない、外見だけ人間のように
見える、ロボットのようなものであるような、そんな状況のことではない。Bは感情もあれば、記憶も
そのままの、これまでどおりの人間だ。つまり、自己意識を持った生き物のままだ。つまり、Bは
「ぼく」ではあるのだ。でも<ぼく>ではない。そして世界に<ぼく>はいない!

 このとき世界は何を失ったのか。Bが「ぼく」ではあるのに<ぼく>ではないとき、世界には何が
欠けたのか。逆に、現実がそうであるように、Bが「ぼく」であるのみならず、さらにまた<ぼく>でも
あるとき、世界には何がつけ加わったのか。Bという人間に何がつけ加わったのか。
0948882
垢版 |
2020/02/29(土) 04:49:04.750
ぼくの出した答え 〜<子ども>のための哲学」より

A、B、C、D、の四人が一緒に遊んでいて、急にBが<ぼく>でなくなったとする。さてその変化に
気づくことができるのは、だれだろう?

 AやCやDに気づけるはずはない。Bには外見上なんの変化もおきていないのだから。外見だけしか
分からない他人(ここではAとCとD)には、この変化がわかるはずはない。ではB自身はどうか。
B自身だっておなじことだ。Bの内面には何の変化も起きていないのだから。内面をのぞき込めると
いう特権があるだけのB自身に、この変化がわかるわけはないのだ。では<ぼく>はどうだろう?
だが、残念ながら<ぼく>はもう存在しないのだ。死んだ人間が自分が死んだことを知っているはず
がない。という意味で、<ぼく>もまたBに起こった出来事を知っていることはできない。

(中略)

 ではこのとき消えてなくなるものはいったい何だろう?逆にいえば、消えてなくなるまえにあった
ものは何だろう?この変化の前後を通じて、Bという人物はこれまでどおりふつうに生きて活動を
しており彼の記憶や意識や自己意識や自我といったものもそもまま存続している。とすれば、いったい
何が変化したのか。変化の前後で、存在したりしなくなったりするものは何か?

それは<ぼく>である。そしてそれ以外には表現できないものだ、というのがぼくの達した結論だった。
0949882
垢版 |
2020/02/29(土) 04:59:35.340
引用は以上とします


永井均さんは、「<ぼく>の存在はひとつの<奇跡>なのだ!」と書いたあと

「ところで読者の皆さん、ここまでのところで、ぼくが感じた問題の意味を理解して
いただけただろうか。ぼくの経験では、このような話をどんなにくわしくしても、
そもそも問題の意味をまったく理解しないひとがいるようだ。」

などと言ってます。
いや、いるようだ、ではなく、ほとんどそうなんだよ

<私>を批判しに永井スレに来た私ですが
まさか<私>を擁護するはめになるとは
苦笑を通り越して屁が出ますわ
0950893
垢版 |
2020/02/29(土) 08:57:08.960
>>944
>「私」と〈私〉は相対化して語ってるようで、相対化し得ないものでもある。
>>937
>「私」と〈私〉は相対化されてる。
>それは〈私〉が「語り得ぬもの」であるにも関わらず語ろうとしたため
>〈私〉という言語表現をしたことにより生じているものかと。
と語っている所は「私」と〈私〉は相対化されていて〈私〉という言語表現をすれば相対化が生じると読める。
>>944
>なぜなら〈私〉とは語り得ぬものだから。
逆、相対化されるから〈私〉は語り得ぬものになる。
0951893
垢版 |
2020/02/29(土) 08:58:35.970
>つまり永井均や「ピンときてる」読者達の思慮が足りないだけかもしれないのだから。

「ピンときてる」いきなり出てきて意味不明、何にピンときているのやらこの文からは読み取れない、君に 思慮が足りないだけかもしれないだけで永井均に思慮が足りないわけではない

>しかし相対化されると主張してる人がいる。
だったら〈私1〉、〈私2〉、、という存在があるということでなかったら
相対化なんて出来ないでしょ?という問いかけですよ。
〈私〉とは森羅万象としての世界のことであるから
他者の存在を前提に置かなければ当然相対化できないが言語をつかうコミュニケーションを
おこなう以上他者は前提される。君は他者の視点から相対化されているしまたしている。ことにされている。というか常に既に成っている。そうじゃなければ言葉をつかえない
そうして原初の事実は隠蔽される。〈私〉は言語の在り方に反する。
>>937
>〈私1〉と〈私2〉が相対化されるということではないでしょう。
この文章には?は使われていない自分の都合のいいように後で書き加えている
これだけでは質問文とは見なせない
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。

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