真理って何だよ [転載禁止]©2ch.net
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世の中全部あいまいで不確かでよく分からないよ。人は死んでる?生きてる?そもそも存在してる?殺人は悪いこと?幸せって何? 絶対的な真理って何だ。もしそれがあったとしても、やはり人間には理解することなどできないんだろうか。
なにを言いたいのか聞きたいのか漠然としていてるよ 真理を探究するのが好きな人たち、殺人の善悪を考える人たちは哲学者だけど、 それが社会で生きることに必要かというとそうではない そもそも、いままでに究極の真理にたどり着いた人間などいないのだし、哲学しなくても みんな勝手に幸せに生きてるんだし、その人たちが真理を知っていないからといって、 その人たちの幸せが無意味になるってわけでもないだろう それでも、真理を理解していなくても、形而下で我々はある決まりの上で会話して、考えて、感じているのだし その決まりの上で個々の相違が明らかになるのだから、どちらに意味があるともないとも言えないのではなかろうか >>1 真理とは、つまり理解できたら、それは真理ではない。 おまえが理解したい真理とか、論理矛盾している。 不可能は可能だと確信している状態にきがつくべき。 c点論者 この世(宇宙)には、時間(これを論ずる事は、ここでは省略)と 空間(それは、物質の存在から 広がり として認識される)が、 基本的存在です。実在は「物質のみ」で、他は「概念」です。 この世の「物質」は、二つとはナイ。それ故それぞれを科観察の対象です。 これを数的統計処理をして、%を以て「物質」の真理(本質)とします。 中には、少数例も、一例報告など後日の為に、記録もされます。この世 (科学の世界)のしんり(本質)は%でしか、語れません。しかし、 信頼度は高くて、「数学は科学の女王にして奴隷」と言われるほどです。 以上が「科学」における「真理」です。 6につづく c点論 語り漏れですが、「矛盾の否定」が科学の「大原則」です。 また、「哲学」においても「矛盾の否定」は「大原則」で「論理」が 重要視されます。「科学」と異なり、形而下のみでなく、形而上(精神 などを含む、物質以外の存在)も思索の、研究の対象とします。 ここでは、数学的処理はは無くて、論理的合理的観念から始まり、論理 的に矛盾のない「観念連合」により真理(本質)に至ります。ここでの 信頼度は、「科学に及ばない」。 「科学も哲学も、論理を重視し、むじゅんを否定する」点は共通です。 An Argentinian prosecutor who accused President Cristina Fernández de Kirchner of orchestrating a cover-up in the investigation of Iran over the 1994 bombing of a Jewish community centre has been found dead in his apartment 7につづく c点論者 この世(宇宙)の真理を知りたいのは、我らの本能かも知れません。 私は、この世(宇宙)の奥(我らの生きる事のない、そこを認識 出来ない、世界が有って、真理:本質があるのではないかと言う 思索をしていますが)−−奥にある真理:本質を求めて「本質論」 トシテシサクシテオリマス。 この「本質論」には問題もありますが、多様な可能性を含んでおり ます。出来れば、みなさま共に検討してくだされ場、幸せです。。 なを、サイト「c点による時空論 改定版」を熟読願えれば幸いです。 「本質論」について、詳しく論じていますので。 「真理」は「いのち」と共に、私の生涯のテーマです。 9につづく c点論者 「時空」の実在である「物質」から考えてみよう。物質(科学の世界) は素粒子(科学)の世界の、もうこれ以上は分割出来ない存在と言う。 しかし、ここに、乱暴にも(論理もなく、技術もなく、ただ、頭脳内の 思索で)、素粒子を、「無限(新しいオリジナルな視座:S、イマムラ による)」に分割をツ図ケルと、ここは「本質論」の世界で、我らには 認識できないし、もちろん、生きる事も出来ないが、無限の結果は 「空間に位置のみ占める、体積のナイ、純粋な、粒子でない点」に至る。 これが、「c点」である。(なぜに、c点と言うかは、サイト「c点による 時空論 改定版」をよんで下さい)。c点の世界ーーここが「本質論」の 世界である。「無限と言う視座を信じて至る世界」である。もちろんの事 この視座を信ずる、信じないは、各人の自由である。 10につづく c点論者 この「c点」は「無限に小さな(有)と無限に小さな(無)無限に 大きな(無)無限に多くの(無)無限に広がる(無)と渾然一体と なって居る。これが「本質論」の世界(宇宙)の真理(本質)である。 つまり、矛盾:有無合一体(c点)と言う視座(S、イマムラのオリジ ナル)を信ずるしか、この世界は存在しない。 参考までに 仏教(竜樹の空思想、釈迦の無思想):色即是空、つまり、色(有)とは 空(無) 「あるもの」は「ない」(非論理で仏教は哲学ではない)。 以上は、般若経。 古代インドの神話で、空海の華厳経世界では、「一即一切」「一切即一」 「一即多」「多即一」と「c点」に同一である。(哲学ではないが 「本質論」である)。 なを、仏教は釈迦の訓えデナク「ほとけ」の訓えとカンガエタイ。 11につづく c点論者 「本質論」の「c点よりなる素粒子(科学の世界)は、有無合一体」 である。だが、この世(科学の世界)では、「無は認識出来ない」 よって、有無合一体(c点)は「無」が優位であれば、 「無」 c点の「有」が優位であれば、「無」は認識されない為 「有」 の2種類とこの世(科学の世界)ではなる。 しかし、「本質論」の世界では 「有」 「無」 「有無合一体」 の3種類とならざるを得ない。これは、「本質論}では有るが、考えて 下さい。どこか、「量子力学」との接点をかんじませんか。 だが、「科学」と「量子力学」とは、結びつきません。 12につづく c点論者 「本質論」と「科学」には、決定的な問題が有ります。 流動する「時間」の中にこの世(宇宙)は有ります。「科学」には 「プランク時間」と言う流動の「最小単位の時間」が有ります。だが、 「本質論」では「時間は物質の変化.非変化の同時同位置存在の概念 でしかアリマセン。思索より「物質の非変化」を除く事は非論理的で 有ります。よって、「本質論」の時間は、「物質の実在する現在(瞬間) しかなく、「我らは、永遠と瞬間には、生きていません」。 「時空論」の「ナゾ」は深いものです。だが、それが真理(本質)かも 知れません。 13につづく c点論者 「c点」は「本質論」では有りますが、これから検討するよちは有ります。 私のテーマは「いのち」で、数学も物理学もワカリマセンが、「思索の 方向付け」を試みました。参考の為に検索してください。 サイト1.「c点による時空論 改定版」この世の奥にあるもの c点論への旅 サイト2.「c点による時空論 改定版」 サイト3.「c点と光速不変の原理ならびに質量」 「c点」について、独断的空想的宇宙論です。お断りするまでもなく これは「本質論」でしかアリマセン。 14につづく c点論者 「真理」とは、この我らの「生きる現象世界」の中にこそ求むべき でしょう。しかし、 「いのち」アル限り、この世(宇宙)はある 「いのち」なき所に、この世(宇宙)もない >>8 何かを隠ぺいしているようにみせれば、隠蔽されていることが真実であるように 思えてくるから不思議だ。大事そうに金庫に何かをしまい込めば、きっとそれが 貴重なものに違いないと思えてくるのと同じだね。金庫に入れたのは犬の糞 かもしれないのにw 15につづく c点論者 「c点」には流動する「時間」は無い。それ故に、「本質論」では 「有」 「無」 「有無合一体」:c点 の3種類になる。何故なら、我らは「科学の世界」のように「生きていて 有と無とを分類出来ず、「時間論」では、有無合一の「現在(瞬間)」で はあるが、「c点」は固定したものではなくて、物質の「変化、非変化 の同時同位置存在である」故に、「本質論」の世界で 変化(有→無→有→無→)と非変化(有無合一体) とが、共存している。この「変化」は、考えて頂ければ、分かるとうり 変化 → 「波」の原型(本質論では、流動する時間がない) しかし、「量子力学」への参考にはなります。 ここで、「c点」は「変化、非変化合一体」ともいえる。 18につづく c点論者 「c点」(本質論)と「素粒子」(科学)を結ぶものは無い。ここで 「c点」と「素粒子」を結ぶものを仮定して、これを「単子」と 名付ける。もちろん、哲学で言う「モナド(単子)」とは、無関係で あり、単に「名前をお借りした」ものです。誤解の無い様に願います。 ここで 「c単子」は「科学の世界に属してはいるが、本質論の特性を持つもの」 です。 この〈c単子」を導入して、これから「c点論」を展開いたします。 ただ、「本質論」には変わりはアリマセン。 19につづく c点論者 ここで、「時空論」に戻ります。本来なら、「時空」から始める べき? そこで、改めて「c点による時空論 改定版」の中に、 「c点」には「エネルギー」があると書きました。 エネルギーは「科学」の世界で作用します。「c点」または「c単子」 が作用しています。つまり、時空論(宇宙論)では「離れる力(ビッグバンとか 超新星爆発とか)と引き合う力(ブラックホールなど)」が働いています。 「離れる力と逆に引き合う力」が有ります。「c点」は有無合一体ですが、 本質には、同様に、「逆の力の合一体?」が存在するかも知れません。 20につづく c点論者 この世(科学の世界)では、物質は認識出来ます(見えます)。 つまり、重さ(質量)もあり、バラバラに破壊し無い為に、固く 集まる特性があり、運動も「遅く」なります。 つまり、見えるもの「有」ーー物質ーー重いもの‐‐動きが遅い ここで考えられるのは、「重いc点」「重い℃単子」と言う事。 さらに、空想すると、「軽いc点」「軽い℃単子」−−「軽くて 早い」もの。 そこで、「軽い」「重い」は、「c点」の有と無とが「瞬時に」 変わる様に、同様に変化すると、思われます。 矛盾(軽重合一体)として、「c点論に至る視座」ではないだろうか。 だが、「本質論」には変わりません。 21につづく c点論者 ここで「光速度不変の原理」を考えてみましょう。「誰が見ても、 どこから見ても、光のそくどは一定です。光速と近いロケットで、 「光」とど同方向に向かっても、ロケットの乗員は「光と並びません」。 それは、単なる「波」では無く、「c単子」が乗員の網膜を刺激して 認識させるからです。 もちろん、ロケット内は「慣性の法則」で乗員は、「身体の破壊」を 守られますし、動くロケット内での 身体保護の為に、「重い℃単子」が働き、「身体がコンパクトにかたまり 運動も遅くなる(時間が延びる)」 だが、現実には「夢物語」であるのは、ご存じのとうり。(実際に、観測 データも集まりつつあるが)。 しかし、「ナゾ」はまだまだ多い。 c点論は、「空想を楽しんで」下さい。、 それは、「c点」は本質論で「見えません」が「C単子」は、「本質ろん」 的特性を失わず、現象世界(科学)では、どこまでも「℃端子 24につづく c点論者 繰り返し成りますが、「ひかり」は単なる「波」として、我らの 網膜を刺激するのではなく、「c単子」として「c点(有と無との混合 つまり波とほぼ同じもの、それに、有無合一体の3種類)の特性)」 と同じく、「ひかり」を受ける者が、いかなる状況、状態、環境でも 「光速度は不変」なのです。「ひかり」と同じ速度のロケットの窓から 見ても、人は「波」と言う「ひかり」を見ることは無く、「c単子」を 見るので、「見る光は波では無く(光速で進む約1分30万キロ メートルの光)」であり、ロケットと「ひかり」は乗員には「 並んででは見えません」。 地球上の「ひと」もロケットの乗員も、「c単子」を見ることになる。 「光速度不変」のみで、問題を考えるのは、疑問である。 前にも書いた様に、「質量」(エネルギー)も含め論ずべきである。 24につづく c点論者 「光速を超えるものは無い」と言う。「ひかり」には「波」であり 「質量は無い」。よって、高速を超えるものは無い。しかし、「非常に 軽いc点(単子が純粋な点とすれば)軽い℃単子」によるビッグバン では、高速を超えても不思議でなく、その様な説もある。 超新星爆発では、「非常に重い℃点(単子)から非常に軽いc点(単子) に急変」して、「離れあう力」が爆発を起こした。ここでは、ビッグバン については話さない。サイト「c点による時空論 改定版」にも述べた。 25につづく c点論者 「ブラックホール」に物質が引き込まれると、「運動は遅くなり 体積は小さくなる」と言う。「時間も空間も実在は物質のみ」である から、ここでは、「時空そのもの全体の変化」ともいえる。 「物質はそのおかれた状況ごとに時間がある」と言う。 しかし、ブラックホールの「強い重力」から、物質が自己(固体)を 維持するには、「重い℃単子」が働くしかない。これを「時空の変化」 とするか、「c点論(c点:d単子)」とするかは、問題である。 そのほか、「宇宙における重力の歪み」など、質量(エネルギー)に 関する多くの問題がある。 科学技術の進歩により、宇宙論は無限に広がりつつある。 私の生涯のテーマは、「いのち」であるが、地球外生命などと、すぐに 脱線してしまう。我ながら情けない。 「c点」にとりつかれているが、真理(本質)とは、正直、ワカラナイ。 多弁暴論をお許し下さい。 c点論者 蛇足ですが、私は老医師で、「真理」は現象世界(実在するこの世) の中から見出すべき、「自然」こそ教師と信じて、生きてきました。 これが正しかったか、どうか、 迷いも 27につづく c点論者 「真理」について、これまで、「科学(現象世界、この世)」の観察 (観察主体は、われらの感覚器官またはそれに代わる科学技術)について 主に述べた。科学および科学技術の進歩は急速であり、これから無限に 多くの「真理」が見つけ出されると、思われる。 しかし、これまでの「本質論」の世界まで、もちろん、形而下も形而上も 含めて、「真理」を論じなくては、どこか間違いの様に思う。 問題が大きすぎるので、「宗教(特に、日本の仏教、神道)」をテーマに 論じたいと思う。 28につづく c点論者 「本質論」の世界では、乱暴な表現では、「真理は時代によっても 異なる事もありうる」。それは、時代により観察主体、観察知識、そして 観察技術が変わる(進歩する)からである。「科学」では「数学の進歩」 により、観察精度が非常に進んだのは、ご存じのとうりです。また、 サングラスを掛けて観察すれば、(時代背景に誘導されては)、結果 は事なり、「真理」とは言うわけには、いきません。「真理」とは、時代 環境を超えて、「不変の事実」でなければ、成りません。 これでわかることは、コレマデ「真理」と「信じられていた多く」が、 「本質論」である事実が、次々に見出されることです。なを、念の為ですが 「c点論」も「本質論」に属します。 「日蓮大聖人様は偉大なり 日蓮大聖人様以外に仏なし 末法の御本仏は日蓮大聖人様、ただおひとりです。 中杉博士は、現代の最高指導者です。 中杉博士より法を教わらない限りは仏になること、また幸福になることはできません。 個人の無明の闇を晴らし、日本の闇を晴らし、全世界の闇を晴らしていきましょう。 それが正理会の使命です。」 http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/ いつも思うけど、知ったところでどうなのか、ってやつよね。 真理は自分が信じて疑わない その自己の世界に存在する 揺るがない 信念 ☆☆☆☆☆ ☆ 自民党、グッジョブですわ。 ☆ http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html ☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が 3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。 そして、私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆ c点論者 ムダバナシ。 この我らの「時空世界」はビッグバンにより生まれました。またまた、c点 ですが、空間には「c点が蜜に疎に変化に富んで存在」していたが、それは 「本質論」であり、認識は出来ない。ビッグバンは完全な「?」では無くて 認識出来ない「空間」の1点(体積の無い無限に超高密度)より始まったが、 「点と単子」より「物質」が生まれ、1点から爆発的に「物質が核酸したのでは ない」。ある1点から次々に「物質が生まれた」ので、「あたかも爆発して 物質が拡散した様に感じられる」。 こうして、生まれた「物質」が「時間」を生んだ。と考えるが、まとまったら サイトに書きたい。以上は「本質論」で、c点論を認めない者には、「真理」では ありません。 消えた積りでしたが、蛇足を書きました。 答えは個々にある 自分で納得できりゃそれでいいだろ “The truth is like a lion. You don’t have to defend it. Let it loose. It will defend itself.” - St. Augustine 真理とは人それぞれに意見や思考が違うことが 真理だよ。だから変化するし前進していく。 ソフィストを批判したプラトンを弟子のアリストテレスに イデア論が批判して物質の因果法則で批判する。 こうやって意見が違うこと自体が意見の違いを躍動させ 変化させていく矛盾。相対的であることが絶対性を成り立たせ、 絶対であることがまた相対性を成り立たせる。表裏一体の関係。 これにヘーゲルは気づいていた。 マルクスなんて変な解釈するやつに 批判的に継承されたのは、哲学史的に? だってヘーゲルってマルクス知らんのだろ。 こういうのってホントまちがっとらんかね。ソクラテスやイエスだって 実際プラトンやパウロ知らんのだろ。 旧世代の人にくちなし的な勝手な自説に 利用してさ。 カントもルソーに教わったって。 なにも教わってないでしょ。 これが真理ということです。 つまり、過去の人は未来にどう解釈されるか 知り得んけど、未来の人はそのデータを 勝手に一方的に活用できちゃう。 言葉を換えれば嘘をつく。 ソクラテスがプラトンの作品に書かれてる ことを言ってるのは嘘。 未来は過去を嘘にする理想で出来上がる。 これが真理。 哲学はすごく大事!人類はどうあるべきか?それは生きる方向性になる。 親があてにならない時、教師があてにならない時、政治家があてにならない時、迷える子羊のように心細い時、原点に立ち帰る。人間という動物の本能に問いかける。 そもそも私たち人類はどうやってここまで来たのか?そして何処へ? もともと道なんてなかった。けもの道を掻き分けてここまで来ただけ。哲学が指す方向を目指して。 真理は自身に聞け。 求めよ。されば与えられん。 物質世界の合理性、全宇宙を統合する数式、それを実現してるエネルギーそのもの。 宇宙は全部で一つ。エネルギーは分散され、神は細部に宿る。 混沌から秩序へと続く緩やかな流れ。天然の遠心分離機のように。 価値のないものが価値のあるものの周りを物欲しげにウロウロする。 動物は皆エサを求めてウロウロしている。 これって真理!? 真理が普遍なわけねぇだろ、時間に支配されない真理などない。 全ての実在が無いのに真理だけみたいな発想はやめろ。 人間の認識を通じて初めて存在するものはすべて虚構. 科学は数学も含めすべて虚構. 真理ならミミズにとっても真理のはず. ミミズが真理を理解できないのと同じくらいに人間にも真理は理解できない. まりちゃんのことなら理解できるひとはいるかもしれないが. あー掲示板ってくだらね。 虚構なんて言ってるやつは 顔見りゃ虚構って顔してるぐらい存在が薄いだけのやつなのがすぐわかる。 自分の顔を鏡で見てみろ。 それがおまえの虚構だ。 どうせミミズぐらいの存在感しかないと 自分で説明してるだけだろ。 なぜに叩き合い潰し愛? 真理について皆がどう認識してるか聞いてるだけなのに? 感想を言うのは良いけれど、感情を煽るような言葉で全否定するのは何の意図があるの? こういうのは論文で証明できるものではないし、人生経験に照らし合わせて、なるほどと腑に落ちるかどうかですねえ。 俺がわかった真理は どんなに悩んでも考えでも 自分以外も以上のこともできやしないということ。 囚われた身の丈の自分に答えだすしかないということ。 ガキのころはなんでもできそうな気がするわけだが 人それぞれに周囲から求められる程度の個性や能力で世の中が回っていて、 これが真理。 >>52 囚われた身の丈自体が成長するよ なんか枠が広がる 香山家では私こそマリであり、真理です。 なぜ疑うの?これは事実であってあなた方がなにを言おうとも真理は変わらないのです。 真理はシンのコトワリである、説明するならその側面しか得ることはできず その側面だけで理解すると真理を歪めるだけである。 社会とは何か、それを説明してしまうようなものだ。 どんな質問や疑問や問題でも、 たった一つ、最善の答えを導き出せるシステム 最善とは最適解のことであって、完全解ではない。 その違いも理解できない奴は、目の前のバナナに真理を描く猿でしかない。 完全とは方程式で解ける最悪も最善も含めて最後にたどり着ける勝利者の 成果である。 物理は。ものの仕組みを説明できるが、 物の存在証明を説明できない。 物理は、なぜ在るかを1つも説明したことはない。 それに引き換え宗教は、この世界は神がお造りになられたと言う。 完全な嘘っぱち。 >>71 それは物理世界の話ではなく、精神世界の話だ、 おまえが意味不明なだけ、物理世界のことなど神は何も言っていない。 >>71 世界には形而上の意味が存在しないと主張する奴がいるが、 おまえはそれだな、たとえ模様であってもそれは物理的な存在と言える。 真理の条件として、真理が対象とする領域の中で常に一貫性を保ち、且つ普遍的に通用 するもの、ということが言えると思います。言い換えますと、その領域で扱われる物の 本質をよく表現できる法則、と言えると思います。 人が作る法則、それは神ではないのは明らかである、 それを神と信仰しちゃうとこうなる。 物理は人の思い込みがつくった法則じゃないだろw頭わいてんのか?w 先日おきた自身も物理現象だぞ?wそれって想像や観念なんか?w 物理が絶対ではないというお前らはリンゴが木から落ちずに 上昇したり浮遊したりすると主張するのであるか! リンゴが木から落ちているように見えるだけで本当は落ちていない。 それは思い込みです。 >>80 は物事の「真理」を何も分かっていない。 >>82 存在とは状態にすぎません。不確定性に満ちているのです。 量子論です。勉強不足ですよ。 いずれリンゴは万有引力などといった戯言を超越します。 >>79 地震が起きる理由も人間は説明できないでしょう? 地震予知の100%的中が不可能それが残念ながら答えです。 古典的物理学に頼っている限り完全予知は無理です。認識を改めましょう。 量子論とは神の要請により現代に降り立ったのです。 君達は「真理」を何も分かっていない。 我 思う故に 我ありです。 >>84 「先日おきた」ことを確認するのも量子論なんですか? >>81 さんにとって脳科学だけは思い込みではなさそうですね(笑) 「思い込む」とは何なんでしょうか?よく考えてみてください。 それは存在ですか?状態ですか? 脳科学や物理といった小さな世界に留まらないでください。 哲学してください。 真理はその先にあるのです。 当然、哲学そのものに答えはありません。 それは「超然意識」=「ゲシュタルト再構築」へ向かうためのプロセスでもありプロミスです(微笑) そして地球の方達は二言目には質問。 「哲学してください」(二回言いました) 早く太陽系から抜け出してくださいね(笑) 私達は「シルバーパーチル」の対岸であなた達を待っています。 「いのち」アル限り、この世(宇宙)はある。 これまで、S、イマムラは「いのち」を前提に、「真理」を論じて来て います。 「この世」があってこそ、そこに「真理」を求める。 「この世」無き所では、「真理」と言うものは、意味を成しません。 無こそ有の苗床である。>>91 君は何も分かっていない。 哲学してください。 「真理」 @常識的には「ほんとうのこと」「まこと」「不変のもの」 A哲学では 問題の事態が「そのとうりに正確である」(意味論) 「知性と実在の一致「仮説と事実の一致」「科学的事実」(真理認識論) B倫理学、宗教学では 訓えに「正しい生き方」 一般に、「真理」とは以上の様なものとされている。 >>88 いえ、あなた自身に>>85-86 にはっきりと答えていただきたい 「この世」があってこそ、 総ての思想(哲学も、宗教も、神も、空や無も、その他も)が有りうる。 西洋哲学に於いて、「無」の概念が哲学として論究されたのはデカルトからであり、 ショ−ペンハウア−からニ−チェそしてフッサ−ル、サルトル、メルロ=ポンティへと継続されていく。 科学での“宇宙”という概念は、この世のすべての事象を「有」を基底として捉えた見方である。 つまり、科学的論理(=形式論理)を基底とした捉え方が“宇宙”であり、「無」を基底とした 現象学的論理による捉え方は、宇宙概念とは異なる“地平”として捉えられている。 「認識主体」の無い、よって、認識対象もなく、仏教の空や唯識など も含めて、思想として如何なものか。 「c点論者」の言う「本質論」ではないか。 >>88 頭が壊れたのでしょうか、非論理に走るのもいいが、あなたの表現は トンデモ以外のなにものでもないですよ。自覚したら? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる